2024-04-21

"コミュニケーションとコンピュテーション" 稲垣康善 著

本書は、情報通信と計算技術を支える理論についての教科書である。教科書であるからには、今更感は否めない。
しかしながら、初心に返る意味でも、教科書的な存在は意外と大きい。なにやら忘れかけたものを思い出させてくれるような...

コンピュータ工学における情報と計算は、物理学における物質やエネルギーと同様、基礎概念として君臨している。
それぞれの歴史を紐解けば、クロード・シャノンは情報の内容を問わず、ひたすら情報の量に着目して数学的理論を打ち出した。
アラン・チューリングは計算可能性を追求した抽象的な計算機理論、いわゆる、チューリングマシンを提唱した。
ここでは、通信路モデルと計算機モデルの融合という観点から、コンピュータ工学を物語ってくれる。

「コミュニケーション(通信)とコンピュテーション(計算)は、情報の学問と技術の核心である。」

1. 通信路モデル
まず、あの有名な式を押さえておこう。

  H(X) = -ΣP(x) log P(x)

そう、情報理論のエントロピーだ。この用語は捉えどころが難しく、通信理論においてもカオスのまま。
そして、シャノンの第一基本定理と呼ばれる「情報源符号化定理」と、これに雑音特性を付加したシャノンの第二基本原理と呼ばれる「通信路符号化定理」を経て、より現実な世界へと導かれる。
そこで、根幹となる技術が誤り検出と誤り訂正符号である。今日のデジタルシステムを根幹から支えているのは、この技術と言ってもいいだろう。完璧な誤り訂正システムは存在しない。情報効率を高めようとすれば、尚更。そして、確率論に持ち込まれる。通信媒体や記憶媒体によっては、用いる符号も違う。
ちなみに、本書では扱われないが、リードソロモン符号などはデジタルシステムでよく用いられ、符号化と復号化が複雑な分、訂正能力が高く、バイト単位で処理できるのも記憶媒体と相性がいい。
そして、生成多項式とにらめっこする羽目に... というのが、おいらの仕事の定番である。

2. 計算機モデル
まず、有限オートマトンを押さえておこう。論理で構成できれば、言語化や記号化ができる。プログラミングとは、まさに言語化、記号化の世界。
それは、データを記憶領域内でどのように表現し、どのような手順で処理するかを記述すること。そう、アルゴリズムってやつだ。プログラミングでは、このアルゴリズムの設計が基本となる。そして、論理システムは、有限集合のステートマシンで記述できる。
計算可能性では、状態遷移関数が帰納的関数であるかどうかが鍵となる。これこそが、「チャーチ(=チューリング)の定立」ってやつだ。
さて、万能マシンは可能であろうか。それは、多項式時間で計算可能か、そんなアルゴリズムが存在するか、という問題と絡み、さらに停止性問題と絡む。ゴルディアスの結び目のごとく...

「構造ないしは構造物の複雑さを計る尺度がないことは、情報科学とコンピュータ科学の理論的支柱の間の最も基本的なギャップであると考えている。」
... F. P. ブルックス

2024-04-14

"方程式のガロア群" 金重明 著

群、環、体を巡り、線型空間をさまよう。すると、いつしか初心に返る。そういえば学生時代、ブルーバックス教(狂)にのめり込んだものだ。それは、自然科学や科学技術の一般読者向けシリーズ。相対論も、量子論も、マクスウェルの悪魔も、ラプラスの悪魔も、ここに始まった。ガロア群では逆流する格好だが、相手が難攻不落となれば、思考パターンの原点に立ち返ってみるのも悪くない...

数学界に大変革をもたらしたエヴァリスト・ガロア。そんな大数学者も生前は全く評価されず、ひとりの女をめぐる決闘で命を落とす。享年二十歳。彼は、その短い生涯の中で問い続けた。「方程式が代数的に解けるとは、どういうことか」と...
具体的には、冪根の記号 n√x や四則演算の記号で解を記述できるってこと。しかし、そうした記号も定義に過ぎない。

五次以上の方程式に代数的解法がないことは、アーベルが証明した。
それどころが、三次や四次でも解の公式は複雑だし、実践的には、グラフ上でシミュレーションし、X 軸との交点あたりで近似する方が手っ取り早い。近似の概念を許せば、いくらでもやり方は広がる。だが、ガロアは代数的方法にこだわった。真の数学者たる所以か!
従来の数学は、数式を変形しまくり、そこに活路を見い出してきた。ガロアは、数式の操作に限界を感じ、数自体の構造や性質を調べるという新たな視点を与えた。そして、方程式が代数的に解けるための必要十分条件を見い出す...

「方程式が代数的に解けるかどうかは、ガロア群を分析すれば分かる。ガロア群が可換群であれば、その方程式は代数的に解け、可換群でなければ、代数的に解けない。」

数学の世界は、公理に矛盾しなければ、どんな思考も、どんなやり方も許される。この世界を支えているのは、理性による証明のみ。逆に言えば、証明を疎かにした途端に崩壊しちまう。
しかし、すべての証明を理解した上でないとガロア群を味わえないとすれば、数学の落ちこぼれには酷だ。
まず、ガロア群には、体の自己同型群という見方がある。ここでは、そうした形式的な見方をほぐし、具体的な方程式におけるガロア群を紹介してくれる。アクアリウムで生態系でも観察するようにガロアの群れを観察する... というのが本書のコンセプト。だからといって、現実に方程式が与えられた時、ガロア群をどうやって構成するのか?という問題は残されたままだけど...

まず... ガロア拡大体と Z/nZ の世界が待ち受ける。
ガロア拡大体では、方程式の操作で因数分解を検討し、その方程式の持つ係数体の範囲内で因数分解ができるか、あるいは、係数体の範囲外に体を拡大しなければ因数分解できないか、すなわち、可約か既約か、が問われる。
体とは、四則で閉じた世界。実数体は有理数体の拡大であり、複素数体は実数体の拡大であり、そしてガロア拡大体とは、方程式のすべての解をカバーできるほど拡大した体を言う。
Z/nZ とは、Z は整数で、nZ で割った数。つまり、mod n を問う世界。モジュラ演算が巡回群と相性がいいことは、言うまでもない。それは、演算をすこぶる単純化してくれる性質で、数の性質を見極める時に有効となる。

「ガロアは、方程式を解くとは、係数体をガロア拡大体まで拡大することだ、ということを見抜いた。方程式を代数的に解くとは、係数に四則と累乗根をほどこして解を表現することだった。体の中で四則演算は自由に行える。しかし累乗根を求めるためには、体を拡大しなければならない。つまりポイントは、累乗根を用いて体を拡大するとはどういうことなのかを解明することにある。その鍵を握っているのが、ガロア群なのだ。」

次に... 円周等分方程式で、1 の n 乗根の世界が広がる。
1 の n 乗根とは、xn = 1 の根。これを移項して因数分解すると...

  (xー1)(xn-1 + xn-2 + ... + x2 + x + 1) = 0

それは、xn-1 + xn-2 + ... + x2 + x + 1 = 0 を解くことを意味する。
これが、円周等分方程式ってやつだ。
そして、ユークリッドの時代から語り継がれてきたコンパスと定規による作図問題と結びつける。代数学が幾何学と結びつくと、収まりがいい。

こうした世界を念頭に... 二項方程式のガロア群は Z/pZ (p: 素数)の加法群と同型に、円周等分方程式のガロア群は Z/pZ の乗法群と同型に、一般的な方程式のガロア群はもっと一般化された置換群に... といった具合にガロアの群れを観察していく。

「自我や心が脳の作用であることを疑う人はほとんどいないだろう。しかし脳神経の、物理的、化学的な情報交換が、どのようにして自我の意識へと創発するかについては、何もわかっていない... 数についての謎も同様だ。人類が解明した数は、せいぜい加算無限個にしか過ぎない。人類が解明した数には名前が付いており、あいうえお順でもいいし、abc 順でもいいが、それを一列に並べることができるからだ。しかし数直線上に存在する実数は、非加算無限個ある。... 人類の認識と、実数までの間には、まさに、誰にも渡れぬ深くて暗い河がある。」

2024-04-07

"代数方程式とガロア理論" 中島匠一 著

群、環、体をめぐる旅。それは、線型空間をさまよう旅。そこにどんな御利益があるというのか。それを味わうには資格がいるらしい。ガロア理論に辿り着いたという資格が...
それでも、我武者羅にやっているうちに、薄っすらと見えてくる... ってこともある。御利益とまではいかなくとも、考え方だけでも味わえれば... まずは頭を空っぽにし、抽象数学とやらに触れてみる。
すると、数を計算する学問から、数の性質を味わう学問へ。数学は楽しい。数学の落ちこぼれでも、やはり楽しい。数学は哲学である... というのがおいらの持論である。

「ガロア対応の理論を創造し、それを代数方程式の解法に応用したのがガロアの仕事である。本書では『体の代数拡大に対する』本来のガロア理論だけを紹介してあるが、現代の数学ではガロア対応は単に代数拡大の理論だけにあるものではなく、もっと多くの対象について成り立つことがわかっている。それだけでなく、『(広い意味で)ガロア対応が成り立つこと』が数学における美しさの基準の一つになっているといってよいと思う。その意味でガロア理論は数学の理論の一つの雛形となっており、それが『ガロア理論は一つの思想である』という主張の内容(の一部)である。」

本書は、代数方程式とガロア理論について基本的なことをまとめた入門書。ガロアの動機は、代数方程式の解の公式を求めることに発している。
著者は主張する、「ガロア理論は代数学の華(はな)である」と...

さて、ここで抑えておきたいキーワードは、「代数拡大」「ガロア対応」

代数拡大とは...
ある数の体系が別の数の体系を代数的な性質で飲み込むといった現象をよく見かける。代数的な性質とは、二項演算において、加法や乗法、あるいは、交換法則や結合法則や分配法則が成り立ち、零元や単位元が存在するといったこと。
例えば、有理数体は四則演算において実数体に飲み込まれ、実数体もまた複素数体に飲み込まれる。
この性質を多項式に拡大すると、おいらの思考はたちまち破綻しちまう。そこで、物事を理解したければ、まずバラバラに分解して構成要素に還元せよ!という考えがある。整数を因数分解していけば素数に辿り着く。多項式で同じことをやれば、既約多項式に辿り着く。"Tn - a" といった形で。これを突破口に、代数拡大の理解を試みるのであった...

ガロア対応とは...
体を代数拡大する過程で、中間体というものが考えられる。集合論でいえば、部分集合のようなもの。これにガロア拡大を仮定してガロア群を考えると、これにも部分群が現れる。
すると、体の中間体とガロア群の部分群の間に、一対一の対応が見られるという。
すべての有限群は、ガロア群に含まれるというのか。少なくとも、その可能性があるというのか。うん~... 人を見たら泥棒と思え!というが、群を見たらガロア群と思え!というわけか。抽象レベルの高すぎる数学は、魔術と見分けがつかない...

「G を任意の有限群とする。このとき、Gal(L/K) = G をみたすガロア拡大 L/K が存在する。」

2024-04-01

リンゴの力学... 存在の重さは何グラム?

なぁ~に、四月馬鹿のたわごとよ...

リンゴを食すは、邪心の表れか...
ある説によると、アダムとイブが口にした禁断の果実はリンゴであったとか。真相は知らんが、どうやら旧約聖書の翻訳時に生じた解釈のようだ。つまり、禁断の... を表すラテン語の "malus" は、形容詞では「邪悪な」となるが、名詞では「リンゴ」となるらしい。
神様がダジャレ好きなら親しみやすい...

リンゴの力学に何を見る...
リンゴをかじると、歯ぐきから血が出る輩がいれば、リンゴが落ちると、万有引力の法則を見る御仁もいる。かのニュートン卿によると、地球上の重力はすべての物体に平等に働くことになっている。
しかし、重力が平等に働いても、重みはそれぞれ。巷では、なにごとも重みがある方が価値が高いとされる。名誉の重みに、権威の重みに、責任の重みに、金の重みに... 愛の重みと。価値関数ってやつは、なんであれ重みに大きく反応しやがる。そして何よりも、存在の重みだ。物理学では、重力を通して質量ってやつが幅を利かせ、こいつほど自己存在を意識させる物理量はあるまい。

人間は自分の存在感を強調する余り、他人より大きな重みを求めてやまない。
影では、女性諸君は体重計の上で軽い存在を演じておきながら、鏡の前での念入りな厚化粧もひび割れしては、お肌の曲がり角も曲がりきれない。
男性諸君はというと、普段は常識や形式を重んじる理性者どもが、夜の社交場でちょいワルオヤジを演じてやがる。不良ぶるのがモテる秘訣と言わんばかりに。これが右曲がりのダンディズムってやつか。
女性諸君も、男性諸君も、人生のコーナーをやや攻めすぎていると見える。

かつて人類は、宇宙観を力で語り、エネルギーで語り、そして今、情報で語ろうとしている。自己主張の旺盛な現代社会では、存在感の可視化がそのまま精神上の問題となる。自己肯定とは、自己の正当化というわけだ。
健全な懐疑心の持ち主は、まず自分自身の存在感を疑うであろう。自己否定に陥っても愉快でいられるなら、それこそ真理の力学というもの。
心のサイズは分からなくても、心臓のサイズなら分かる。大きさは握りこぶしぐらいで、重さは約 200 から 300 グラム。
ちなみに、行きつけの寿司屋の大将は、怪しげな笑みを浮かべて... 心を握ります!などと囁く。気色わるぅ~...

リンゴを食せば、自由が得られるか...
リンゴを食せば、糖分が摂取でき、自由エネルギーを得る。自由エネルギーとは、原子のランダム運動によって生じるエネルギーではなく、なんらかのエントロピーに関連づけられた法則的で秩序あるエネルギーだ。つまり、物理学は、秩序から自由が得られると告げている。
糖分に含まれた自由エネルギーは肉体の中で運動エネルギーに変換され、身体も熱くなる。まさに、自由への情熱は熱い!自由への渇望が、アダムとイブをリンゴへと向かわせたのかは知らんが...

すべての物体が同時に落下するって本当?
義務教育では、真空ではすべての物体は同時に落下する... なんて教わるが、天の邪鬼には、どうもピンとこない。重いヤツの方が速く落ちる... とする方が収まりがいい。その証拠に、アルコール濃度の重い方が撃沈するのも速い。そして、自己存在の重さはスピリタスといきたい!

なぁ~に、四月馬鹿のたわごとよ...

2024-03-24

"ビッグ・クエスチョン" Stephen W. Hawking

Big Question !
古来、自然科学には、神託めいた究極の問い掛けがある。宇宙はいかにして誕生したのか?人類とは何者か?そして、どこから来、どこへ行くのか?それは、自らの存在に意味を求めてきた旅、いや、解釈をめぐる旅である。
車椅子の宇宙物理学者スティーヴン・ホーキングは、10 の難題が突きつける。

  • 神は存在するのか?
  • 宇宙はどのように始まったのか?
  • 宇宙には人間のほかにも知的生命が存在するのか?
  • 未来を予言することはできるのか?
  • ブラックホールの内部には何があるのか?
  • タイムトラベルは可能か?
  • 人間は地球で生きていくべきなのか?
  • 宇宙に植民地を建設するべきなのか?
  • 人工知能は人間より賢くなるか?
  • より良い未来のために何ができるか?

さて、この世界一有名な無神論者は、これらの問いにどう答えてくれるだろうか...
仮に、神は存在するとしよう。宇宙に始まりがあったとしよう。すると、宇宙の始まりの前には何があったのか?神は天地創造の前に何をなさっていたのか?本当に神は、そういう質問をする人間どものために、地獄を創ったのか?
永遠なるものは、創造されるものより完全である。だから、宇宙は永遠でなければならない!という主張も分からなくはない。
しかし、だ。宇宙は完全である必要があるのか?そもそも、完全とはなんだ?宇宙の在り方に、どんな意味があるというのか?神はなにゆえ、11 次元の M 理論のような複雑怪奇の空間をデザインしたのか?... などと問えば、たちまち地獄行きよ。不完全者は、地獄を見なければ、天国を見ることも叶わないと見える。ダンテが「神曲」で天国を描く前に、煉獄と地獄を描いて魅せたのは、必然だったのであろう...
尚、青木薫訳版(NHK出版)を手に取る。

「私に信仰はあるのだろうか?人はそれぞれ信じたいものを信じる自由があり、神は存在しない!というのが一番簡単な説明だというのが私の考えだ。宇宙を作った者はいないし、私たちの運命に指図する者もいない... おそらく天国は存在せず、死後の生もないだろう。死後の生を信じるのは希望的観測でしかないと思う... だが、私たちが生きつづけることには意味があり、生きて影響を及ぼすことにも、子どもたちに伝える遺伝子にも意味はある。一度きりの人生は、宇宙の大いなるデザインを味わうためにある。そしてそのことに、私はとても感謝している。」

宇宙を形作る要素は、三つあるという。一つは質量を持つ物質、二つはエネルギー、三つは空間である。それは、アインシュタインのあの有名な方程式でも記述される。
しかしながら、量子力学では、すべての存在に対存在が想定され、エネルギーの存在には負のエネルギーを、素粒子の存在には反物質なるものを持ち出さなければ説明がつかない。空間そのものが、負の遺産の貯蔵庫というわけか...

「不確定性原理は粒子だけでなく、電磁場や重力場などの『場』にも当てはまる。そのため、何もない空っぽの空間のように見えたとしても、場は厳密にゼロになることができない。なぜなら、場が厳密にゼロならば、きちんと定義された位置もきちんと定義された速度もゼロになるからだ。それでは不確定性原理が破れたことになる。そこで、場は厳密にゼロになることはできず、ある最小値のゆらぎを持たなければならない。それがいわゆる真空のゆらぎだ。真空のゆらぎは、突如現れては打ち消し合って消滅する、粒子と反粒子のペアと解釈することができる。」

ところで、生命とはなんであろう。それを定義づけられる根本原理とはなんであろう。一つの性質に、維持と複製がある。まさに遺伝子には、複製しようとする意志と増殖しようとする力が感じられる。DNA は、生命体の青写真を世代から世代へと伝えていく。
複製と増殖という性質に着目すれば、コンピュータウィルスもある種の生命と見なすことができるやもしれん。そもそも人間は、物理的には粒子の集合体でしかない。コンピュータもまた然り。コンピュータ科学は、マシンを生命化しようとしているかに見える。今日のインテリジェンスな AI の出現は、既にアラン・チューリングが提起した、マシンは意志を持ちうるか?という問題を具現化している。AI に支配された社会は、すべての人間を奴隷の地位に押し込め、人間には実現不可能と思われた真の平等社会を実現するやもしれん...

「スーパーインテリジェントな AI の到来は、人類に起こる最善のできごとになるか、または最悪なできごとになるかということだ。AI のほんとうの危険性は、それに悪意があるかどうかにではなく能力の高さにある。」

2024-03-17

"FACTFULNESS" Hans Rosling, Ola Rosling, Anna Rosling Roennlund 著

TED talk でハンス・ロスリング氏を見かけたのは、十年ぐらい前になろうか。彼が亡くなって、五年が過ぎたというのも不思議な感じ。今でも生き生きとした講演が観覧できるのだから...

産業革命で最も偉大な発明は何か?それは、洗濯機だ!この発明こそが、退屈な時間を知的な読書の時間に変貌させた魔法だ!と豪語したコミカル調が蘇る。
少子化問題で子供をどんどん産みなさい!と触れ回り、経済政策では消費を煽るばかりの政治家や有識者を尻目に、世界規模の人口増殖の方に問題意識を向ければ、マルサスの人口論を読まずにはいられない。経済学では、古びてしまったとされる理論を。いまや産んじまえば、なんとかなるって時代でもあるまい。ハンスは、貧困層の生活水準を引き上げることが人口増加の抑制につながる、と唱えるのであった...
尚、上杉周作、関美和訳版(日経BP社)を手に取る。

"FACTFULNESS" とは、ハンスの言葉で、データや事実に基づいて世界を読み解く習慣を言うらしい。本書の共著者でもある息子オーラ、妻アンナと共にギャップマインダー財団を設立。Gapminder は、統計情報を五次元で視覚化するツールとして知られ、ここでは国別に、所得、健康、寿命、人口の関係が示される。
こうして眺めていると、国の有り様が多種多様に富み、先進国と途上国で区別する国際機関や各国政府の要人たちの言葉が空虚に感じられる。先進国という呼称に固執する国もあれば、都合よく使い分ける国もあったり、あるいは、貧困国とされながらも最優先される必需品がスマホだったり。
本書は、10 の思い込みを提示してくれる。"FACTFULNESS" とは、これらの克服から見い出せるものらしい...

  1. 分断本能... 世界は分断されているという思い込み
  2. ネガティブ本能... 世界はどんどん悪くなっているという思い込み
  3. 直線本能... 世界の人口はひたすら増え続けているという思い込み
  4. 恐怖本能... 危険でないことを、恐ろしいと考えてしまう思い込み
  5. 過大視本能... 眼の前の数字が一番重要だという思い込み
  6. パターン化本能... ひとつの例がすべてに当てはまるという思い込み
  7. 宿命本能... すべてはあらかじめ決まっているという思い込み
  8. 単純化本能... 世界はひとつの切り口で理解できるという思い込み
  9. 犯人探し本能... 誰かを責めれば、物事は解決するという思い込み
  10. 焦り本能... いますぐ手を打たないと大変なことになるという思い込み

しかも、賢い人ほどハマりやすいという。問題は、知識のアップデート。変化の激しい時代では、すぐに知識が廃れていく。勉強は学生の本分!などと言われるが、社会人だからこそ、経験を積めば積むほど、その必要性を感じる。
古い知識が役に立たないということではない。古い知識に新たな知識を重ね、その知識に至るプロセスも新旧で重ねれば、より強力となろう。重要なのは、学ぶ習慣である。マハトマ・ガンディーは、こんな言葉を遺してくれた。「明日死ぬと思って生きよ。不老不死だと思って学べ。」と。
そして、学ぶ習慣を支えてくれるのが、好奇心だ。様々な角度から学べば、いろんな面白味が見えてくる。多くの偉人たちが、読書批判をやりながら、熱心な読書家であったことも頷ける...

「なによりも、謙虚さと好奇心を持つことを子供たちに教えよう。謙虚であるということは、本能を抑えて事実を正しく見ることがどれほど難しいかに気づくことだ。自分の知識が限られていることを認めることだ。堂々と知りません!と言えることだ。新しい事実を発見したら、喜んで意見を変えられることだ。謙虚になると、心が楽になる。何もかも知っていなくちゃならないというプレッシャーがなくなるし、いつも自分の意見を弁護しなければと感じなくていい。好奇心があるということは、新しい情報を積極的に探し、受け入れるということだ。自分の考えに合わない事実を大切にし、その裏にある意味を理解しようと務めることだ。答えを間違っても恥とは思わず、間違いをきっかけに興味を持つことだ。... 好奇心を持つと心がワクワクする。好奇心があれば、いつも何か面白いことを発見し続ける。」

ただ、これら 10 の思い込みは、進化の過程で必要であったのではなかろうか。問題は、どれも感情を煽り、ちと行き過ぎるところにある。
人は何事も、善悪、白黒、勝ち組と負け組... などと、二項対立で捉えがち。おまけに、自分自身を優位なグループに属させ、ある種の優越主義に浸る。人はなんでも悪く考える傾向があり、隣の芝は青く見えるもの。進化の過程は右肩上がりに見えるもので、直線的に上昇するものと捉えがちだが、そのおかげで希望が持てる。
だが、実際には退化の時代もあったはず。そうでないと、自省というものが働かない。
そして、現在は、進化の時代か、退化の時代か、そんなことは知らんよ。
恐怖心は、人間の心理操作でもってこい。だが、恐怖と危険はまったく違う。恐ろしいと思うことはリスクがあるように見えるだけで、危険なことには確実にリスクが内包されている。ジャーナリズムは、分断意識を刺激し、恐怖心を煽って、注目を浴びようとする。
ソーシャルメディアだって、負けじと犯人探しに躍起だ。政治屋は手頃なスケープゴートに責任転嫁とくれば、大衆は、今すぐ手を打たないと大変なことになると焦る。
しかも、こんな複雑怪奇な人間社会を、ひとつの切り口で理解した気になれれば、すべての思考をたった一つでパターン化しちまう。こうした心理傾向は、いわば人間の本能である。
そして、これらの思い込みを克服できれば幸せになれるかも分からん。それで、ハンスさんは楽観主義者のレッテルを貼られたそうな...

「わたしは、楽観主義者ではない。楽観主義者というと世間知らずのイメージがあるが、わたしはいたって真面目な可能主義者だ。可能主義者とは、根拠のない希望を持たず、根拠のない不安を持たず、いかなる時もドラマチックすぎる世界の見方を持たない人のことを言う。ちなみに、可能主義者はわたしの造語だ。」

また、アフリカ連合主催の講演で、辛辣なツッコミを喰らった場面は、なんとも印象的である。しかも、穏やかな口調なだけに、なおさら辛辣に...

「図とか表はよくできましたし、話も上手だったけど、ビジョンがないわね!極度の貧困がなくなるって話ね。そこが始まりなのに、先生の話はそこで終わってましたね。極度の貧困がなくなれば、アフリカ人は満足だと思ってらっしゃる?普通に貧しいくらいがちょうどいいとでも?講演の結びで、先生はご自分のお孫さんがアフリカ観光に来て、これから建設予定の新幹線に乗る日を夢見てるっておっしゃいましたね。そんなのがビジョンだなんて言えます?古臭いヨーロッパ人の考えそうなことですよ。... (略) ... 私の夢はその逆で... アフリカ人たちが観光客としてヨーロッパに歓迎される存在になる。難民として嫌がられるんじゃなくてね。それが、ビジョンというものよ。」

2024-03-10

"饒舌について 他五篇" プルタルコス 著

プルタルコスといえば、その大作に「対比列伝」がある。ToDo リストにずっと居座ってるヤツの一つ。ちょうど、澤田謙の編纂版「プリューターク英雄伝」でお茶を濁したところ(前記事)。
だが実は、「モラリア(倫理論集)」ってヤツもある。邦訳版で全 14 巻にも及ぶ大作で、エッセーの起源ともされるそうな。ついでに、こいつもお茶を濁すとしよう。だからといって、どちらも ToDo リストから抹殺できずにいる。未練は男の甲斐性よ!

本書は、その大作の中から「いかに敵から利益を得るか」、「饒舌について」、「知りたがりについて」、「弱気について」、「人から憎まれずに自分をほめること」、「借金をしてはならぬこと」の六篇をつまんでくれる。ソーシャルメディアでも見かけそうな題目が並び、現代病の根源を拾い集めたような...
尚、柳沼重剛訳版(岩波文庫)を手に取る。

1. 最高の敵は己の中に...
敵があってこそ得られる利益がある。愚者は友人関係すらぶち壊しちまうが、賢者は敵対関係までもうまく利用するらしい。目を光らせる者がいて、修正される振る舞いもあれば、他人を観察することによって、自分の長所や短所が見えてくることだってある。人に騙されて高い授業料を払い、それで賢くなることも...
虚栄心は人間の本能的な性癖の一つだが、そんな悪癖までも利用しちまう人たちがいる。樽犬先生(ディオゲネス)ともなれば、祖国から追放され、財産を没収され、そんな不遇を閑暇と哲学の道へ転じた。賢者とは、なんと抜け目のないヤツらだ。
愚者は、成功よりも失敗に学ぶことが多い。ならば、友よりも敵に学ぶことが多いのやもしれん。恋愛よりも失恋に学ぶことが多いのやもしれん。結婚よりも離婚に学ぶことが多いのやもしれん。
わざわざ自ら失敗を招く必要もあるまいが、愚者は自ら体験してみないと分からない。そして、自分は悪くない!と、なんでも他のせいにできる性分は、ある意味幸せである。
おまけに、敵意が生じれば、憎しみとともに妬みが生じ、他人の不幸を喜ぶ気持ちまでも芽生えさせる。「嫉妬は憎悪よりも、和解がより困難である。」とは、ラ・ロシュフーコーの言葉。嫉妬こそが最も厄介な敵やもしれん。今こそ、嫉妬を感じないようにする修行を...

2. 沈黙不能症
ソーシャルメディアに誹謗中傷の嵐が荒れ狂う時代では、沈黙の仕方も難しい。論争では、言葉で勝利することが第一の目的となり、真理なんぞ二の次三の次。ソフィストたちが育んできた弁論術の伝統は、いまやプレゼン技術として受け継がれる。ただ、技術がいくら進歩しようとも、古くから伝わる訓戒は変わらない。見た目より中身だ!言葉より実行だ!と...
お喋り屋が欲望を満たすのは、すこぶる難しい。人に聞いてくれ!と言いながら、自分は聞く耳持たず。他人に目を光らせておいて、自分自身には目を背ける。
それでも、お喋り屋が周囲を黙らすという意味では、人に沈黙を教えている。そればかりか、言葉の不毛を教えている。
酒呑みが、黙っていられるもんか!それで酒呑みに説教されてりゃ、世話ない...

「哲学が饒舌の治療を引き受けるとなると、これは厄介でむずかしい。用いられる薬は言葉だが、言葉は聞かれてこそ効き目があるのに、おしゃべりな人間は決して人の言うことには耳をかさず、のべつしゃべってばかりいるからである。そして、この他人の言葉に耳をかさないというのが、沈黙不能症という病気の最初の兆候である。」

3. 弱気の正体は依存症か...
弱気で他人の奴隷になるか、自己賛美で自己愛の奴隷になるか、借金でお金の奴隷になるか、いずれも似たり寄ったり。
しかし、人間ってやつは何かに依存せねば生きてはゆけぬ。アリストテレスは、人間を「ポリス的動物」と定義した。ポリスとは単に社会を営むだけでなく、最高善を求める共同体というような哲学的な意味も含まれているが、ほとんどの人間が社会に依存しながら生きている。社会制度がどんなに不完全であっても、その制度に文句を垂れようとも、その仕組みに依存せずには生きては行けぬ。自己責任なんぞクソ喰らえ!自立なんぞ悪魔にでも喰わしちまえ!それでミイラ取りがミイラに...
依存症に打ち負かされた弱気は、多くの不遇を呼び寄せる。不評の煙を逃れようとも、逃げ方が下手なもんだから、却って炎上よ。断ると気まずいかなぁ... という気持ちに憑かれ、無茶な要求までも引き受け、後の祭りよ。ノーが言えないのは、本当に相手への気遣いか。却って揉め事を増幅させてはいないか。
しかしながら、弱気がすべて悪いとは言えまい。無防備な強気よりはましかも。不当な要求で、厚かましく要求してくる連中は、断固として拒否!恥知らずを思い知らせてやれ!思慮分別に欠ける人間から憎まれるのは本望よ!

ゼノン曰く、「何だと、愚か者めが。その友人とやらは、お前に対して不当不正な所業に及んでいるのだから、お前を恐れてもいなければ、お前に対して恥ずかしいとも思ってはおらぬ。しかるにお前は、正義のためにそやつに刃向かう勇気がないのか!」

2024-03-03

"プリューターク英雄伝" プリューターク 著 & 澤田謙 編

死ぬまでに読んでおきたい!
そんな大作が、ToDo リストを賑わす。プリュータークの「対比列伝」も、そうした一冊。
だが、人生は短い。永遠に到達できない境地があるのも止む無し。だとしても、無闇矢鱈と足掻いてみるのも悪くない...

そこで、本書だ!
翻訳者澤田謙が独自の視点で人物像を掘り起こし、編纂して魅せる。
「対比列伝」というからには、古代のギリシアとローマで著名な人物を、一人ずつ対比しながら物語るという趣向(酒肴)。それぞれ二十名以上、計五十名ほどの英傑が記される。優れた人物の優れた行為には、一種の張り合いのようなものを感じる。自分もこうありあたいと...
しかも、時代を超えた対比となると、人物の特徴がより鮮明になる。長所だけでなく、短所も露わになり、より親しみが感じられる。

しかしながら、ここでは対比にこだわらず、自由奔放な書きっぷり!
「大王アレキサンダー」、「英傑シーザー」、「高士ブルータス」、「哲人プラトン」、「智謀テミストクレス」、「怪傑アルキビアデス」、「義人ペロピダス」、「雄弁デモステネス」、「大豪ハンニバル」、「賢者シセロ」と十名ばかりを炙り出し...
しかも、ハンニバルやプラトンは、対比列伝では一章をなしていないが、ここでは章に昇格させ、他の人物についても、かなり加筆したと宣言している。歴史学者箕作元八の著作「西洋史新話」を参考にしたと... そして、そちらの書にも興味がわくが、絶版のようだ。うん~、惜しい!
ブルータスの二大演説に至っては、対比列伝には骨格が記されるだけだそうだが、ここではシェークスピア風の戯曲で捲し立てる。
それで原書はというと、歴史書というより物語性に富んだ伝記小説風のようで、その性格は継承しているらしい。

例えば...
アレキサンダーの大王たる逸話は、知っていても、やはり読み入ってしまう。
ダイオゼネス(ディオゲネス)との問答では... 樽犬先生、何をご所望か?じゃ、そこをどいてくれ。日が陰るでなぁ...
「我もしアレキサンダーたらずんば、願わくばダイオゼネスたらん哉じゃ。」
「ゴルディアムの結び目 - この紐を解くものは、天下に王たるべし。」に挑んでは... 颯ッと佩剣を抜き放ち、紫電一閃!結び目を両断する。波斯(ペルシア)を平らげると、大王はこう言い放ったとさ...
「敵に克つよりも、己に克つこそは、王者たるに適わしきこと。王者の光栄は、そこのところにあるのだ!」

プラトン物語は、ソクラテスに看取られている。
「雅典(アテネ)の神々を礼拝せず、自分の創った新たな神を拝する。濫りに新説を流布し、世の青年を惑わす。」これが、ソクラテスの罪状。道徳を説き、真理を叫び、法に従うことを説いた賢者は、今、脱獄の勧めを拒否して法の裁きに身を委ね、毒杯を仰ぐ。
その意志を次いだプラトンは、学園アカデマス(アカデメイア)を開講し、青年たちを導いた。これが、今日のアカデミーである。プラトンは、哲学者こそ統治者の資質としながら、自らは教師に甘んじたとさ...

ハンニバル物語には、人を動かすリーダーシップ論を学ぶ。
電光石火のごとくアルプス越えを果たせば、「カルタゴは怖るるに足りないが、ハンニバルは怖れねばならないぞ!」
この豪傑に、ローマはアルキメデスの知恵で反撃す、「予に支点を与えよ。然らば地球を動かさん!」

... こうした物語を多くの作家が読み、また創作の糧にしたことだろうことは、想像に容易い。

ところで、英雄ってやつは、どんな時代に出現するのであろうか...
大衆は、強烈な指導力を持つ政治家の出現を待ち望む。そして、選挙運動を冷めた目で眺めては嘆く。そんな人物は見当たらないと...
大衆は、移り気が激しい。いざ、豪腕な政策を施せば、それを嫌い、今日の英雄は一夜にして独裁者呼ばわれ。
しかも、大衆は盲目で、自信満々な語り手を信用する。こうしたことが、民主主義の最大の弱点なのであろう。
したがって、政治家は、弁論術を求めてやまない。支持を得るために、その技術を磨く。現代風に言えば、プレゼン技術。もちろん、その根底に政治哲学が重視されるべきだが、何事も手っ取り早く手段や方法に群がるのが人間社会というもの。効果的な人心掌握術があれば、そこに群がる。重要なのは真理ではない。真理っぽく装うことだ。大事業を成すには、真理では足らぬ。正義でも足らぬ。権勢や利運をも味方につけなければ。
ただ、いつの時代でも、どこの国でも、絶えないのは大勇を妬む小勇がある。民主主義社会では、善良な政府の存在よりも、善良なマスメディアの存在の方が本質的なのかもしれん...

「大衆時代なればこそ、世は英雄を待望するのである。猫の顔ほどの希臘(ギリシア)の小天地に、偉人傑士雲のごとく現われたのは、いわゆる希臘の自由なる民主主義時代であった。羅馬(ローマ)の民衆が、世界統一を夢みはじめたとき、シーザーが起ってその大衆の呼び声にこたえた。仏蘭西(フランス)革命の怒濤のごとき大衆の波に乗ったのが、一世の風雲児ナポレオンであった。ながい封建の桎梏が自然に腐れ緩んで、百姓町人の手足に自由が訪れたとき、西郷南洲は錦の御旗を東海道に押し立てたのだ。真の英雄は、自由なる民衆時代にあらずんば、現われるものではない。」
... 澤田謙

では、対比列伝に倣って、古代のギリシアとローマを対比しながら眺めてみよう...

まず、古代ギリシア時代は、アテネとスパルタの争覇戦であった。しかも両国の性格は、人情風俗習慣に至るまで正反対。アテネは文化を重んじる民主主義、スパルタは武断を誇る国家主義。デモステネスのような雄弁家を輩出したのも、アテネのお国柄を表している。もはや覇王フィリッポスに対抗できるのは、執政官にあらず、将軍にあらず、ただ一人の雄弁家であったとさ。
テミストクレスは、雅典(アテネ)の未来は海上にあり!とし、海軍を創設。積極的な海外貿易で国力を強化していく。政変で専制政治に傾くと、直ちにこれを打倒するアルキビアデスのような怪傑が出現する。
対するスパルタは、他国と交われば衰弱な風土に汚染されるとし、海外との交流を拒否する。アテネは個人財産を重んじ、スパルタは金銭を卑しみ、自ずと両国で法の在り方も異なる。見事なほどの対称性をなす都市国家と言うべきか。

これに、第三勢力としてテーベが割って入るといった構図。
ペロピダスは、異郷アテネに亡命するも、ひそかに二大強国の隙き間から、新興国テーベの樹立を画策する。それでも、外敵による危機が迫ると、ギリシア全土で惜しみなく結束できる関係が保たれている。

一方、古代ローマ時代は、策謀と奸計で賑わす。
ローマ皇帝という絶大な権力者がいながら、元老院という諮問機関が併設され、その意味では、アテネとスパルタが融合したような。いや、ローマは群衆が動かす国家だ。それ故、大っぴらに事を運べない。
シーザーが慕った高徳な人物ですら、正義感が強すぎる故に私情を捨て... ブルータス、汝もか!
このブルータスこそは、専制政治を打ち破って平民政治を打ち建てた、古ブルータス家の子孫であったという。策略家カシアスは、ブルータスの純粋な使命感を操って、暗殺計画の一党に引き入れ、事を為す。
そんなローマを遠くエジプトから視線を送る女王は、シーザーを悩殺し、アントニーを弄殺。だが三度目の正直か、オクタヴィアスを艶殺せんとして成らず。クレオパトラの鼻が一分低かったら、世界の歴史は違っていたろう... とパスカルに言わしめた妖艶無比なる美女の運命は、自ら毒蛇の餌食に...

シセロ(キケロ)ほどの人物までも、時代の餌食に... 
クレオパトラの鼻とは反対に、シセロの鼻は豌豆(シセル)に似ていたので豌豆氏と渾名されたそうな。この賢者にして、二大欠点が暴かれる。
一つは、余りに己の功績を、自ら称賛し過ぎたこと。彼の文書には、自賛の言辞で満ち満ちていたという。
二つは、弁舌にまかせて、あまりに皮肉や毒舌を弄したこと。元老院といわず、人民会といわず、裁判廷といわず、人を見下すような...
いずれも悪意はなさそうだが、没落を早めるには、惜しみて余りある。そして、ローマを追われながらも、共和制が独裁制に変貌していく様を憂う。
オクタヴィアスはシセロの信望を利用して統領になるが、アントニーのシセロ暗殺計画に屈っする。皮肉なことに、アントニーはオクタヴィアスに攻められ、エジプトで非業の死を遂げることに。オクタヴィアスはというと、シセロの子を抜擢し、共に統領ならしめたとさ...

2024-02-25

"向上心" Samuel Smiles 著

天は自ら助くる者を助く... と説く「自助論」に触発され(前記事)、サミュエル・スマイルズをもう一冊。
人の一生とは、その人がつくり上げた思想の世界に他ならないという。そうした世界を持つことが、人生を楽しむってことであろうか...
尚、竹内均訳版(三笠書房)を手に取る。

「気高い思想を伴侶とすれば、人はけっして孤独ではない。」
... フィリップ・シドニー

本書にも、格言めいた言葉が散りばめられる。自分を大きく育てよ!個性を磨け!仕事に人生の活路を見い出せ!自己投資を惜しむな!自分の頭で考え、信念を築け!強い磁力を持った人物に学べ!ありふれた義務を果たせ!などなど叱咤激励の数々。
世界を動かし常に躍動させているのは、精神力だという。あらゆる力を締めくくるのは希望だとか。かのバイロン卿は、こう叫んだそうな...

「希望がなければ、未来はどこにあるというのだ?地獄にしかない。現在はどこにあるかと問うのは愚かしいことだ。われわれはみなそれをよく知っているのだから。過去はどうだ。くじかれた希望だ。ゆえに人間社会で必要なのは、どこにいても希望、希望、希望なのである。」

人生で大切なのは、朗らかさ、包容力、人格、そして人間性こそが... などと並び立てられると、説教を喰らっているようで、自分の人生は生きるに値するか... などと考え込んじまう。「崇高な精神に導かれたエネルギッシュな人格者」という人間像も、こそばゆい。
おまけに、人格形成で重要な要素に「義務」とやらを掲げてやがる。おいらの大っ嫌いな言葉だ!なぜ、この言葉が嫌いかといえば、それは天の邪鬼だから、いや、誰かに押し付けられている感じがするから...
しかしながら、ここで言う義務は、ちと様相が違う。それは、自分で見つけるものであって、誰かに与えられるものではないってことだ。
しかも、どんな人間にも見い出すことができ、また、背負うべきだという。
自分のできることといえば、目の前にあることを地道に懸命にやるだけ。そうした意識を持ち続けることによって、義務とやらが自ずと見えてくるらしい。慣習の力というやつか。
となると、向上心を身につけるには、慣習のあり方を見直し続け、いかに生きるかを問うことになる。
こいつぁ、自分自身を叱咤激励する指南書か。いや、独り善がり論か。ちなみに、副題に「すじ金入りの自分論」とある...

「実際に生きた歳月の長さで人の寿命をはかることはできない。どんな業績を残し、何を考えたかによって生きた長さを考えるべきである。自分と人のために役立つ仕事をすればするほど、考えたり感動したりすることが多ければ多いほど、本当に生きていると言える。」

仕事は、行動力あふれる人格を養うための最良の方法だという。働くことによって、従順さ、自制心、集中力、順応性、根気強さが鍛えられ、実務能力こそが人格を高めると。
仕事に生き甲斐が持てれば、幸せであろう。一つの仕事に通じれば、人生哲学が会得できそうだ。
では、何を仕事とするか。本書は、社会に役立つすべての労働に価値を認めている。家事だって、立派な仕事。有能な主婦は、有能なビジネスウーマンになり得ると。こうした視点は、古代ギリシアの詩人ヘーシオドスの著作「仕事と日」にも通ずるものがある。

「人間の内に秘められた才能は、仕事を通して完成されるのであり、文明は労働の産物と言える。」

試練が人間形成の糧になるというのは、おそらく本当だろう。
では、利便性はどうか。どんどん便利になっていく社会では、人間は退化しちまうってことか。そうかもしれん。大衆は、分かりやすさに群がる。便利なツールに群がる。昆虫が光に集まるように。多様化社会と言いながら、同じ情報に群がる。共有という合言葉で。みんなが知っていることを知らないと、寄ってたかって馬鹿にされ、それを極度に恐れる。自立の道はいずこ?
生物学的にも、視力は衰え、嗅覚は鈍感になり... それで精神は?
人類の進化の歴史は、単調な右肩上がりであったわけではあるまい。進化する時期もあれば、退化する時期もあったはず。啓蒙の時代があれば、愚蒙の時代もあるはず。作用と反作用の力学は、人間精神にも当てはまるであろう。
そして、大局的見地から進化の方向にあるということであろうか。いや、それは進化論的な神話で、実は退化の道を辿っているのやもしれん。こうした古典が未だ輝きを失わないのも、そのためであろうか...

「常に自分を今以上に高めようとしない人間ほど貧しいものはない。」
... 十六世紀の詩人ダニエル

2024-02-18

"自助論" Samuel Smiles 著

神様は冷てぇや。実に冷てぇや。言葉が欲しい時にいつも沈黙し、肝心な時にきまってお留守なさる。神様は臆病者が嫌いと見える。自分の意志で動こうとしないヤツが大っ嫌いと見える。おいらは神様が嫌いだ。バチ当てやがるから...

「天は自ら助くる者を助く」

保護や援助の度が過ぎると、人を無気力にさせ、自立心までも萎えさせる。政府が打ち出す支援策がしばしば失敗するのは、そのためか。そればかりか悪用される始末。一番の良策は、放っておくことかもしれない。
しかしながら、援助の手を差し伸べたおかげで、救われる場合もある。援助が人を救うのか、人を堕落させるのか。いずれにせよ、自らを救おうとする意志が伴わなければ。それこそ自由精神というものか...

本書は、サミュエル・スマイルズが説いた自己啓発書である。
ここには格言めいた言葉が散りばめられ、その言葉を拾っていくだけでも、自分自身を救った気分になれる。気分は重要だ。自ら意志を活性化させるためにも。それで自己責任論に押し潰されては、元も子もない...
成長は、無知の知から始まるという。だがそれは、ソクラテスの時代から唱えられてきたこと。進歩する人は、まずメモと時間の使い方が違うという。まさに独立独歩のツールというわけか。日々のたった十五分の行為の積み重ねが、凡人を大人物に変えるんだとか。そして、最も重要なのが、人格だという。自分の人間性こそが、最も頼りになる財産というわけか。
日々の行為と習慣に才を見い出すとは... 早熟な才人には、その行為に圧倒されちまうが、大器晩成型の人間には落ち着いて学べるところがある。アリストテレスは、こんな言葉を遺してくれた。「人は繰り返し行うことの集大成である。それゆえ優秀さとは、行為でなく、習慣である。」と。
真の雄弁とは、無言の実践を言うらしい...
尚、竹内均訳版(三笠書房)を手に取る。

スマイルズが生きた時代は... 西欧列強国が競って世界支配を目論み、日本は江戸末期から明治維新へと向かう中で国家という意識を強めていく。どこの国も自存自衛の意識を国粋主義へと変貌させ、領土野心を旺盛にさせていく... そんな時代である。
自尊心ってやつは、心の支えになる。だが、度が過ぎて暴走を始めると、これほど手に負えない意識もあるまい。自己を支配できぬ者は、他人の支配にかかる。真の自尊心は、自己抑制との調和において機能するというわけか。
スマイルズが「自助論」を書いたのは、それが時代への警鐘であったと解するのは、行き過ぎであろうか。まずは、そう思わせる言葉を拾ってみよう...

「自助の精神は、人間が真の成長を遂げるための礎である。自助の精神が多くの人々の生活に根づくなら、それは活力にあふれた強い国家を築く原動力ともなるだろう。」

「政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。どんなに高い理想を掲げても国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルにまで引き下げられる。逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でもいつしか国民のレベルにまで引き上げられる。」

「暴君に統治された国民は確かに不幸である。だが、自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間のほうが、はるかに奴隷に近い。」

「人は専制支配下に置かれようとも、個性が生きつづける限り、最悪の事態に陥ることはない。逆に個性を押しつぶしてしまうような政治は、それがいかなる名前で呼ばれようとも、まさしく専制支配に他ならない。」
... ジョン・スチュアート・ミル

本書の言葉には、説教を喰らっているようで耳が痛い。学問に王道なし!と言うが、どこかに近道があるのではという考えは拭いきれず、つい手軽なハウツー本に突っ走る。そんなおいらの性癖は如何ともし難いが、自己修養だと思って、いくつか言葉を拾っておこう。
つまり、拾った言葉の対極に自分があるってことだ。言葉は心を映す鏡... というが、どうやら本当らしい...

「真の人格者は自尊心に厚く、何よりも自らの品性に重きを置く。しかも、他人に見える品性より、自分にしか見えない品性を大切にする。それは、心の中の鏡に自分が正しく映ることを望んでいるからだ。さらに、人格者は自分を尊ぶのと同じ理由で他の人々をも敬う。彼にとっては、人間性とは神聖にして犯すべからざるものだ。そしてこのような考え方から、礼節や寛容、思いやりや慈悲の心が生まれてくる。」

「どんなに高尚な学問を追求する際にも、常識や集中力、勤勉、忍耐のような平凡な資質がいちばん役に立つ。そこには天賦の才など必要とされないかもしれない。たとえ天才であろうと、このような当たり前の資質を決して軽んじたりはしない。」

「人間は、読書ではなく労働によって自己を完成させる。つまり、人間を向上させるのは文学ではなく生活であり、学問ではなく行動であり、そして伝記ではなくその人の人間性なのである。そうはいっても、すぐれた人物の伝記には確かに学ぶところが多く、生きていく指針として、また心を奮い立たせる糧として役立つ。」

「人間の進歩の速度は実にゆっくりしている。偉大な成果は、決して一瞬のうちに得られるものではない。そのため、一歩ずつでも着実に人生を歩んでいくことができれば、それを本望と思わなければならない。『いかにして待つかを知ること、これこそ成功の最大の要諦である』と、フランスの哲学者メストルも語っている。」

「人間の知識は、小さな事実の蓄積に他ならない。幾世代にもわたって、人間はこまごました知識を積み重ねてきた。そうした知識や経験の断片が集まって、やがては巨大なピラミッドを築き上げる。」

「真の謙虚さとは自分の長所を正当に評価することであり、長所をすべて否定することとは違う。」

「金持ちが必ずしも寛大ではないのと同じように、立派な図書館があり、それを自由に利用できるからといって、それで学識が高まるわけではない。立派な施設の有無にかかわらず、先達と同じように注意深くものごとを観察し、ねばり強く努力していく以外に、知恵と理解力を獲得する道はない。」

「依存心と独立心、つまり、他人をあてにすることと自分に頼ること... この二つは一見矛盾したもののように思える。だが、両者は手を携えて進んでいかねばならない。」
... ウィリアム・ワーズワース

「最短の近道はたいていの場合、いちばん悪い道だ。だから最善の道を通りたければ、多少なりとも回り道をしなくてはならない。」
... フランシス・ベーコン

「心の中にいくら美徳の絵を描いても、現実に美徳の習慣が身につくわけではない。むしろ心はコチコチに固まり、しだいに不感症となるだろう。」
... バトラー主教