2026-03-22

"カルマンフィルタと適応信号処理" 谷萩隆嗣 著

適応信号処理とは、文字通り、環境や情況の変化に応じて適切な処理を自動的に行うこと。受信信号の変化に応じて、フィルタ係数を動的に変化させたり...
例えば、航空機に内蔵される速度計や高度計といった計器類に、GPS などの外部情報を連携させ、誤差を補正しながら刻々と変化する位置情報を推定していくような自動操縦システムがある。環境変化への適応と未来を推定する能力では、人間という生命体もその一例といえよう。

こうしたシステムでは、リアルタイム処理が要求され、そのまま演算量が問題となる。本書は、カルマンフィルタ、最小二乗法、確率勾配アルゴリズムなどを題材に、様々な推定アルゴリズムについて解説してくれるが、なによりも実装の視点からの数学のテクニックに注目したい。
例えば、状態方程式、すなわち差分方程式と行列式との相性を軸に、転置行列で演算量をごっそり削ったり、共分散行列で分布領域をざっくり推定したり... と、演算量の軽減と推定誤差を最小にする戦略が注視される。
ただ、数式の記述がすこぶる丁寧なのは前戯好きにはありがたいが、ちとしつこい気もしないではない。もう少し視覚的な情報があると、さらにありがたいのだけど...

まず、状態方程式にガウス分布、いわゆる正規分布を想定し、条件付きのもとでベイズの定理による状態推定モデルが提示される。この時点で、最小二乗法や確率勾配アルゴリズムの登場を匂わせるが、とっかかりはカルマンフィルタの有効性から...

「状態方程式が線形差分方程式で表される線形離散時間システムの状態変数の推定、すなわち状態推定を行うためのフィルタとしてカルマンフィルタがよく知られている。カルマンフィルタを適用すれば、状態方程式および確率変数の統計量が既知のとき、与えられた制約条件のもとで平均 2 乗誤差を最小にする最適な推定値を得ることができる。」

大まかに言えば、こんな感じであろうか...
状態方程式には前状態にカルマンゲインが加味され、カルマンゲインには観測誤差と推定誤差が加味される。それぞれの誤差にはノイズが含まれ、観測値と推定値が完全に一致すれば補正の必要はないが、そんな理想的な状況は考えにくい。そこで、前状態から現状態への移行分布と、その推定確率が問題となる。現状態が前状態に引きずらるなら、初期値の与え方も問題になろう。そして、状態方程式だけでなく、カルマンゲイン、観測値、推定値のすべてが方程式で記述され、これらの連立方程式がそのまま行列式に対応づけられる...

カルマンフィルタの性質としては...
カルマンゲインは、状態推定値に関係なく再帰アルゴリズムによって計算できるという。状態推定の計算とカルマンゲインの計算が分離していることが、一つの特徴だとか。そして、状態推定の平均二乗誤差を最小にする戦略が語られていく...
そもそも、カルマンフィルタは線形離散システムを想定し、与えられたパラメータをもとに状態推定を得るアルゴリズムであるはず。
しかし、必要なパラメータが欠けていても、そのパラメータをも推定しながら状態推定を得るものに「適応カルマンフィルタ」があるという。
さらに、非線形離散システムにおいても、「拡張カルマンフィルタ」「アンセンテッドカルマンフィルタ」といったものが導けるとか。適切な近似が与えられれば、だろうけど。結局、近似法との組み合わせが鍵ということになろうか...

2026-03-15

"ディジタル・フィルタ理論&設計入門" 三谷政昭 著

本書は、ディジタル信号処理の中核をなすディジタル・フィルタの入門書。しかし、入門書は侮れない。根本的な理屈を外観できて楽しい。ついでに屁理屈も...
おまけに、個人的に馴染んできた数値演算ライブラリ Scilab のコードが添えられ、視覚的に味わえる。Scilab に没入しすぎの感も否めないけど...
また、マイクロネット社の DspAnalyzer が紹介され、信号処理アルゴリズムや周波数特性を視覚的に解析でき、ちょいと興味がわく。

フィルタの設計は、アナログ時代から携わってきた。数学的な違いは、アナログではラプラス変換(変数 s)が威勢を張り、ディジタルでは z 変換が幅を利かす。
当時、ラプラス変換と聞くだけで蕁麻疹がでたものだ。表記の仕方にも馴染めず、作用素の変換表はまず手放せない。それは、z 変換でも同じこと。いまだ、微積分で定義される関数空間から逃れられずにいる。

本書では、s-z 変換の考え方から触れられ、これだけでもかなりのことが暗示される。
s は複素平面上で、s = σ + iω の形で記述され、s が微分に、1/s が積分に対応する。そして、連続時間 t を離散時間 T へ持ち込む双一次変換の存在感が強調され、近似法を駆使せよ!と告げる。

  z = esT ≈ (2 + sT) / (2 - sT)

1. 通過域と阻止域
フィルタの設計は、基本的には周波数特性とのにらめっこ。基本形は、LPF(ローパス・フィルタ)、HPF(ハイパス・フィルタ)、BPF(バンドパス・フィルタ)、BEF(バンドエリミネート・フィルタ)。要するに、いかに不要な周波数帯をちょん切るか。あとは、これらを組み合わせてマルチバンドパスにしたり、オールパスにしたり...

周波数特性で問題となるのは、通過域と阻止域の境界のノイズ除去と、通過域の損失をいかに抑えるか。利得や動作速度を考察するのはアナログでもディジタルでも同じことだが、ディジタルでは量子化誤差や位相空間が注視され、零点と極の特性が重要となる。零点とは、伝達関数が 0 になる z の値。極とは、伝達関数が無限となる z の値。複素関数の性質が零点と極に左右されることから、周波数特性は伝達関数の零点と極で決定される。

位相については、アナログでもネガティブ・フィードバックで自己発振の抑制に位相補正を用いたりするが、ディジタルの位相は伝達関数における入出力の偏角で記述され、ちょいと空間イメージの違いがあろうか。
偏角といえば、数学的な記述では三角関数だ。フィルタの設計は解析学とすこぶる相性がよく、フーリエ変換がまとわりつく。DFT が...
そして、通過域と阻止域の境界面でギブス現象が問題となるのも定番か。窓関数も...

2. FIR フィルタと IIR フィルタ
基本構成は、乗算、加算、分岐、遅延といった要素で組み立てられ、数学的には差分方程式で記述される。大まかな分類では、非巡回形と巡回形があり、FIR フィルタと IIR フィルタは外せない。名称は、インパルス応答の継続時間が有限か無限かの違い。Finite Impulse Response か Infinite Impulse Response か...
ちなみに、インパルス応答とは、時間幅の非常に短い入力パルスから得られる出力のことで、システムの入出力特性を評価する上で重要な役割を担う。

FIR フィルタは...
有限時間で収束する。つまり、差分方程式がいつかゼロになり、入力次数のみの畳み込み和で記述できる。完全な線形位相となれば、安定性も高い。
よって、非巡回形で構成されることが多く、その分、次数の調整が面倒で、遅延器や加算器の段数も多くなる。

IIR フィルタは...
収束しない。つまり、差分方程式がいつまでもゼロにならず、入力次数に過去の出力データ列を加えた総和で記述する。位相を犠牲にすれば、優れた利得特性が得られるという寸法よ。
よって、巡回形で構成され、次数が少なくて済み、遅延器や加算器の段数も少ない。

リソースが贅沢な時代では、FIR フィルタの方が優勢であろうか。過去に引きずられないという意味でも...

3. 近似アルゴリズム
伝達関数の近似アルゴリズムに、Remez 法が紹介される。そう、チェビシェフ近似ってやつだ。最大誤差を最小にするために振動を分散するという意味で、等リプル近似とも呼ばれる。
事例では、サンプル点に重み関数を適応するなどが紹介される。

4. ヒルベルト変換
正規化周波数を持つ実信号に対して、位相を π/2 遅らせたり、進めたりする変換である。正規化周波数とは、サンプル時間で位相を捉えることで、サンプル時間は任意。数学的には、複素平面上で偶関数と奇関数の結合という見方ができ、物理的には、正の周波数領域で π/2 の遅れ、負の周波数領域で π/2 の進みを持つオールパス・フィルタという見方もできる。
事例では、遅延器で実数部を、ヒルベルト変換で虚数部を生成する解析信号の構成例などが紹介される。

2026-03-08

"戦争における「人殺し」の心理学" Dave Grossman 著

平時では、なぜ人を殺すのか?を問い、戦時では、なぜ人を殺さないのか?を問う。社会が正気なら狂気を論じ、社会が狂気すれば正気を論じるものであろうか。そして現代社会は、どちらの側に... 狂ったこの世で狂うなら気は確かだ!

性と戦争を論じれば、闇に包まれる。どちらも人間の本性が剥き出しになる題材。デーヴ・グロスマンは主張する。平和は性と戦争の双方を超克してこそ実現できる... 戦争を理解するには、まず人間を理解することだ... と。
尚、安原和見訳版(ちくま学芸文庫)を手に取る。

「神話では、アレス(戦争の神)とアプロディテ(愛の女神)の結婚からハルモニア(調和の女神)が生まれた。」
... リチャード・ヘクラー

著者グロスマンは、心理学者にして歴史学者、そのうえ叩き上げの軍人であったという。本書は、米国ウエスト・ポイント陸軍士官学校や同空軍士官学校の教科書としても使用されているとか。
戦場を知らないおいらが想像する人を殺す動機といえば、やらなければ、やられる!... ぐらいなもの。
しかし、人間には生まれつき人を殺すことへの抵抗感が備わっているという。同種間の闘争では、まず威嚇に始まり、それから逃亡や降伏へ。多くの兵士は戦闘という手段をなるべく避けようとするらしい。しかも、その動機では、自分の身を守ることよりも相手を殺さないことが優先されると。
自衛本能よりも戦友の身を守り、人殺しを避ける方が優先されるとすれば、人間も捨てたもんじゃない。だが、その人間性が訓練によっていかようにもコントロールできるとすれば...

「戦争... が人を変えるわけではない。ただ人のうちにある善と悪を誇張するだけだ。」
... モラン卿「勇気の解剖学」より

1. 非発砲者の存在
どんな戦争にも、面と向かえば、一定の非発砲者が出るという。発砲者が他者の発砲を促すこともあれば、非発砲者が他者を躊躇させることも。兵士の発砲率では、第二次大戦で 15 % から 20% であったのに対し、ベトナム戦争で 90% 以上に跳ね上がったという。
戦場における兵士の仕事は、第一に敵を殺すこと。これを合理的に実行させるには、それなりの訓練を要する。映画「フルメタル・ジャケット」ではないが、心にそのようなジャケットをまとう戦闘員養成プログラムが施されたのか。ごく少数派にはサイコパスを覚醒させちまう人間もいる。

2. 人間性の否定
人殺しの心理メカニズムの一つに、相手の人間性を否定するということがある。あらゆる残虐行為に、ナショナリズムや民族優越主義、人種差別や性差別などの思い込みや偏見が加担する。敵の女ならレイプもお構いなし!これに憎悪を加え、相手を人間以下の動物とみなせば、どんな行為も正当化できる。さらに条件付き訓練を施せば、あとはパブロフの犬のごとく...
味方の損傷を最小限に抑え、効率的に敵を破壊しようとすれば、遠距離砲や超高度爆撃に頼る。そして、大量破壊兵器へ。ドローンなどの無人兵器を投入したところで、攻撃対象が人間であることに変わりはない。兵士を投入しない分、攻撃側は非人間性を旺盛にし、インフラや都市が標的とされ、狙われるのは戦闘員ではなく、一般市民である。

3. 匿名性と集団免責の原理
もう一つの心理メカニズムに、集団心理の凄まじさがある。戦争の情勢は、死傷者数と生産量の低下で評価される。報道屋は、破壊した戦車、撃沈した戦艦、撃墜した戦闘機の数を大々的に報じ、群衆扇動に一役買って出る。戦意高揚のために残忍な差別標語を並べ立て、劣等人種に、民族浄化に... と。これに同調圧力が加わり、歯止めがきかない。
一方で、戦闘に加わった人間の精神的代償は計り知れない。トラウマに発する PTSD の類いを生涯背負うことに。それは災害時でも言えること...
人が集まれば増強効果が生じる。喜びも、悲しみも、そして攻撃性も。大群衆の中で身の毛もよだつ残虐行為を見ても、周囲の傍観者が介入する確率が極めて低いのは、社会学でもよく指摘されること。集団の中で責任が分散され、もはや他人事。
そして、無意味な暴力は、たいてい個ではなく集団によってなされる。一人ではやれなくても、集団ならやれる!

「戦闘部隊は... ふつう犠牲者が 50 パーセントに達した時点で崩壊する。その顕著な特徴は、敵を殺すことを拒否する者の数が増えることである。... 敵を殺す動機と意志は、同輩や仲間の死とともに消滅する。」
... ピーター・ワトスン「精神の戦争」より

4. 服従の実験室
本書は、エール大学のスタンリー・ミルグラム博士の有名な実験に言及している。それは、面識のない人間に対して電気ショックを与え続けるというもの。当初、最大電圧まで与える被験者は 1% にも満たないだろうと予測されたが、被験者に指令を与えると、65% 以上が致命的にも見える電気ショックを他人に与えたという。悲鳴が続いても... 悲鳴がやんでも...
行動は自分で考え自主的に... と考えがちだが、人間は命令されることを好むところがある。フロイトも「服従したいという欲求の強さ」に言及しているという。
戦闘経験者の最大の動機は、撃て!と命令されるから... というのが本当のところらしい。人間には、潜在的な殺人者の影がつきまとう。それを自信に満ちた司令官が後押しするだけのことか。平時においても大衆は、強力な指導力を発揮する政治家を求めてやまない...

「大衆が必要とする指導者、そしてまた大衆に与えられる指導者は、断固たる自信と決意をもって命令を下す。その自信と決意は習慣による部分もあるが、指導者の絶対の命令権は伝統と法と社会によって確立されたものと信じきっていることにもよる。」
... アルダン・デュピク「戦闘の研究」より

2026-03-01

"自分を知り、自分を変える - 適応的無意識の心理学" Timothy D. Wilson 著

自分を知るには、勇気がいる。覚悟がいる。覚悟がないから、自らを欺瞞し、自らを暗示にかける。おまけに、自我とやらが自ら人生物語を創作にかかる。伝記作家が他人の人生物語を創作するように...
マーク・トウェインは、こんな言葉を遺した。「人間は顔を赤らめる唯一の動物である。いや、顔を赤らめる必要のある唯一の動物である。」と...
自分自身に嘘をがつけないのは、優しさに欠けるというもの。それが、精神の合理性というもの。もはや、自我は邪心の塊と化す...

そもそも、自分を知る必要があるのか。知らぬが仏ってこともある。自分はどこまで自分というものを知らないのだろう。防衛本能だって働く。余計なことを知らないうちに処理してくれるなら、それはそれでありがたい。なるべく、そっとしておきたいものだ。
それでも知りたい!どうしても知りたい!自己に関わる心の衝動は、ことのほか手ごわい。すると、自我が囁きかける。すべては自己責任で... と。純真無垢な心なんぞ、人間には似つかわしくない...
尚、村田光二監訳(新曜社)を手に取る。

「人はどれほど自分自身を知っているのか、その知識の限界はどのあたりか、自己洞察を欠くとどうなるのか... 人間は、生存にとって欠かすことのできない、強力な、洗練された適応的な無意識を持っている。しかし、無意識は気づかないところであまりに効率的に働いていて、知る方法もほとんどないから、自己知識を得るのはそれなりに困難だ。いくら必死に心の内を探ろうとしても、私たちの中には、直接知ることのできない、広大な領域がある...」

まず、自分を知るには無意識の領域に踏み込む必要がある。どのようにして自己洞察を得るか。ひとつには、適応的無意識の働きを観察すること。そして、その働きを科学的に検証すること。これがティモシー・ウィルソンの主張である。
無意識を意識するとは、既に自己矛盾を孕んでいる。しかし、こうした洞察はけして不可能なことではないと励ましてくれる。適応的無意識を素直に感じるには、衝動に身を委ねることも厭わない。気まぐれ崇拝者には、たまらない実験だ。そこに自分というものを再発見できれば、自分を変えることだってできるやもしれん。
但し、良い方向に変われるとは限らんが...

無意識の問題はフロイトも取り上げた。当時は、低水準の動機としてあまり重要視されなかったようで、現代心理学は、精神状態の効率性という観点から肯定的に捉えている。意識は、無意識との調和において成り立っているとでも言おうか。あるいは、妥協の中でもがいているとも言えそうか。
本書は、意識と無意識との狭間で、自己洞察の意義を強調する。自己認識、自己抑制、そして、自己敬愛といった意識は無意識と協調して発動されるという。人間は自己洞察を欠くと、どうなるのだろう。情報過多の時代では、情報の力を認識しておく必要がある。猛威を振るう広告に警戒心を怠れば、人間が広告業界の指令に盲従する自動人形になりかねない。

有効な特性の多くは、トレードオフがつきもの。人間の心には、誰しも偏見が根付いており、人種、性、職業、地域といった差別意識は、社会環境に引きずられやすい。
では、偏重した心で、偏重した意識を自覚できるだろうか。悪行を知らずして善行も叶うまい。相対的な認識能力しか発揮できない知的生命体が喜びを知るには、悲しみも必要だ。不幸な出来事がすべてマイナスというわけではない。その反発や修正でプラスに転ずることもあれば、自省の念を抱いて胸が張り裂ける思いもする。無意識の領域には、心理的な免疫システムが装備され、自己修復機能が働くようである。

しかしながら、完全に無意識に委ねるにも勇気がいる。自己洞察には、人間を知るという意味も含まれ、客観的な視点を要する。それが心理学の役目ということになろうか。いや、心理学だけでは心もとない。精神医学、脳科学、遺伝子工学、生物学、社会学、哲学、言語学などを含めた、それこそ人間にかかわる知識を総動員して...

「適応的無意識の現代的な見方では、判断、感情、動機などの心の興味深い働きの多くが、抑圧のためではなく、効率性という理由から意識の外で起こる。心は低水準の処理(たとえば知覚過程)が意識に到達しないようになっているだけでなく、多くの高次の心理過程や状態もアクセスできないように設計されている。心は、多くのことを同時に並行しておこなうことができる、よくデザインされたシステムである。何か他のことについて意識的に考えながら、気づいていないうちに世の中について分析し、思考している。」