メディアとは、なんであろう...
巷では、マス・メディアという用語が飛び交い、もっぱら、新聞やテレビの報道の在り方、あるいは、ネット上で荒れ狂う虚偽情報との葛藤といった大衆媒体としての側面から論じられる。
だが、マクルーハン親子が論じているのは。こうしたメディア論とは一線を画す。普遍的と言うべきか、本能的と言うべきか。アリストテレスの伝統に倣い、メディア詩学とするべきか...
尚、高山宏監修、中沢豊訳版(NTT出版)を手に取る。
「次の世代のための科学と芸術と教育の目標は、遺伝子コードの解読ではなく、知覚コードの解読でなければならない。グローバルな情報環境においては、『答えを見つける』式の古い教育パターンでは何の役にも立たない。人間は、電子のスピードで動き変化する答え、それも数百万という答えに囲まれている。生き残れるか、コントロールできるかは、正しい所にあって正しい方法で探査(プローブ)できるか、問いを発することができるかにかかっている。環境を構成する情報が絶え間なく流動しているのを前に必要なのは、固定した概念ではなく、かの書物『自然という書物』を読みとる古(いにしえ)よりの技(スキル)、未だ海図のない、海図が存在し得ない魔域行く航海術である。」
メディアの法則は、四つの素朴な質問で構成される。
- それは何を強化し、強調するのか?
- それは何を廃れさせ、何に取って代わるのか?
- それはかつて廃れてしまった何を回復するのか?
- それは極限まで押し進められたとき何を生み出し、何に転じるのか?
本書は、この四つの問い掛けにテトラッド・アナリシス(Tetrad Analysis)を仕掛ける。良き質問は良き思考へ導く... と言わんばかりに。
テトラッドとは、生物学で言う四分染色体のことで、四要素の相同組換えをしながら解析していく。つまり、遺伝子解析の手法を文体構造の解析に応用しようという試み。ここでは二次元平面上に、上下に「強化」対「回復」、左右に「反転」対「衰退」を配置し、上下左右の関連性を考察していく。
例えば、アリストテレスの因果性では、目的因、質料因、形相因、動力因を配置。他にも、絵画の遠近法、記号論、動的空間、冷蔵庫、ドラッグ、群衆... さらには、マズローの法則、キュビズム、コペルニクス的転回、ニュートンの運動法則、アインシュタインの時空相対性など数十以上もの事例が紹介される。
「コールリッジが、すべての人間はプラトン主義者かアリストテレス主義者のどちらかに生まれると言ったとき、彼はすべての人間は感覚の偏向において、聴覚的か視覚的かのどちらかであるということを言おうとしていたのである。」
「メディアはメッセージ」であるという...
あらゆる人工物が何らかのメッセージを発するとすれば、そこには必然的に言語構造が見て取れ、その構造やパターンを通して世界を観てゆく。人類は、メッセージを伝えるための多彩な技術を編み出してきた。詩も一つの技術。心に響くように修辞技法を乱用し、回りくどい隠喩を用いた日にゃ... 結局は言葉遊びか。その言葉遊びこそが人の意識を高める。ルイス・キャロル風に言語遊戯に励み、ライプニッツ風に普遍記号に狂い...
一方で、真剣な物言いが人を追い詰める。他人ばかりか自分自身をも...
言葉の暴力という形容もある。集団社会では言葉の伝染が猛威をふるう。ネット検索は能動的な活動だけに、自分の意志で考えていると思い込みがち。扇動者にとって、思考しない者が思考しているつもりで同調している状態ほど都合のよいものはない。言語の発明が、人間をこんな風にしちまうのか。人類は本当に進化しているのか。人類は自然法則に反する存在になっちまったのか。神になろうとする野心家は、その反動で悪魔になっちまう...
「言語は、経験を蓄積するのみならず、経験をひとつの様式から別の様式に翻訳するという意味で隠喩である。通貨は技能と労働を蓄積するとともに、ひとつの技能を別な技能に翻訳するという意味で隠喩である。しかし、交換と翻訳の原理あるいは隠喩は、われわれの感覚のどれかを別な感覚へと翻訳する理性の力がこれを管掌するが、われわれはこれを一生のあらゆる瞬間にやっているのである。アルファベットであれ車輪であれコンピュータであれ、特別な技術的拡張物にともなう代償があって、それはこうした大規模な感覚拡張物は閉鎖系になるということである。」