権力者といえば... 悪の権化、冷徹で狡猾な独裁者... といったダーティーなイメージがつきまとう。だが、共和国精神の根付いた地域では、人間的な面を併せ持つ政治指導者を言うらしい。とりわけフィレンツェの地には、共和制ローマから脈々と受け継がれる伝統精神なるものがあるとか。
ニッコロ・マキャヴェッリは、「君主論」で政治的な力量を備えた人物を論じて魅せた。本書では、フィレンツェ共和国の発祥から、その黄金時代に君主的存在となったロレンツォ・デ・メディチの死までを物語ってくれる。いわゆる「偉大なるロレンツォ」を「君主論」に、ある面で重ね、ある面で反するかのように...
ここでは「すべての道はローマに通ず...」という格言を引いて、「それはフィレンツェを経て...」と付け加えておこう。
尚、齊藤寛海訳版(岩波文庫)を手に取る。
アリストテレスは、最高の政体は君主制で次が貴族制、そして最悪が民主制と愚痴めいたことを弟子たちに漏らした。しかし、君主は野心のために僭主に成り下がり、貴族もまた贈賄の類いにまみれ寡頭化し、民衆とて移り気が激しく暴徒の群れと化す。それでも、比較的ましなのが民主制ということになろうか。
人間の集団性はことのほか手ごわい。権力ってやつは、一部に集中したり、肥大すると、社会の弊害になるものらしい。それは、人間の本質であろうか...
マキャヴェッリは、フィレンツェ史を通して共和国の長所と短所を炙り出し、あるいは、共和国にあるべき君主像をちらつかせ、いずれ出現する近代国家の礎となる権力分立や政教分離といった政治思想へ導くかのように物語る。彼もまた、アリストテレスのように共和国の行く末を案じていたのであろうか。
権力ってやつは、強すぎても、弱すぎても、腐敗するものらしい。しかも、腐敗の伝染力は極めて強い。どんなに優れた政体を取り入れようと、どんなに高尚なイデオロギーを思い描こうと、すぐさま現実に引き戻される。
概して、共和国には破滅を運命づけられた大家があるらしい。メディチ家もそうした家の一つだったのか。絶え間なく繰り広げられる権力抗争の裏で、憎悪、敵意、対立から党派が生まれ、処刑、追放、静粛の横行。貪欲と野心でのし上がる者ども。力ある者が力なき者を足蹴りし、才ある者が才なき者の鼻面を引き回す。これが人の世か...
支配者の命令したいという欲望と民衆の隷従したくないという願望が衝突し、少しでも権力を手中にすると、自己顕示欲を膨らませ、権威主義に陥る。
現代、民主主義や自由主義の対極に権威主義や全体主義が配置される。だが、独裁者を生み出すのは、民衆だ!
自由主義者は全体主義を忌み嫌い、全体主義者は個人を生かすためと称して民衆の結束を強いる。結束が維持できなければ、自由が悪魔と結託し、個人を抹殺にかかる。実は、自由主義と全体主義は表裏一体なのかも...
政治指導者が、いつも市民を監視していなければならないとすれば、なんと滑稽な社会であろう。自由とは、権限を持つ側の論理か、それとも与えられる側の論理か。平等とは、それを主張する者の論理か、それとも発言すら許されない者の論理か。そして、正義とは誰の論理か。
極端なことを言えば、基本的人権以外に権利は必要なのか。どんな聖人君主が命令を下そうとも、それを行うものは愚人。愚人の行動には、模範的な規定と、具体的な条文が必要なようだ。おかげで、法の条文は増すばかり。エントロピーのごとく。これに教皇の権威と戒律が加われば、エントロピーの勢いは増すばかり。政治と宗教の力学原理は、すこぶる似ている。やはり分離した方がよさそうだ...
自由ってやつは、奪うものでもなければ、与えるものでもあるまい。巷には自己責任論が渦巻き、自由主義に内包される責任に耐えられなくなると、権威主義に傾倒していく。民主主義や自由主義にとっての最大の脅威は、権威主義でも全体主義でもなく、それ自身にあるのかも。敵が己自身にあるとすれば、これに対抗できるものは... 基本的人権とは?法のあるべき姿とは?人間足らしめるものとは?と、その原点を問い続ける他はあるまい...
「国々は、大多数の場合、それぞれが変遷していく過程で、秩序のある状態から秩序のない状態へ、それからまた新たに、秩序のない状態から秩序のある状態へと移行する。なぜなら、この世のことに対して、自然は静止することを許さないからである。国々は、最終的な完全さに達したら、もうそれ以上は上昇することがなく、下降するしかない。同様に、下降するとなると、無秩序のせいで最低の状態にまで達するが、必然的にそれ以上は下降することができず、上昇することになる。
...(略)...
武勇は平穏を生み出し、平穏は無為を、無為は無秩序を、無秩序は破滅を生み出し、同様に、破滅からは秩序が、秩序からは武勇が、武勇からは栄光と幸運が生まれるのである。
...(略)...
だから、分別のある人は、教養は武力の後にやってくること、国家や都市では最初は哲人ではなく、武人が生まれるのを観察することになる。」

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