2019-09-29

"職業としての政治" Max Weber 著

「職業としての政治」は、1919年、ミュンヘンのある学生団体(自由学生同盟)のために行った公開講演をまとめたものだそうな。第一次大戦の敗北でドイツ全土が騒然たる革命の空気に包まれる中、帝政の崩壊とともに政治の意味するものも変貌していく。各地でレーテ運動が活発化し、どこよりも知識人革命の色彩を帯びていたのがミュンヘンだったという。プロイセンを中心としたドイツ帝国の中でも、ちょいと距離を置く南ドイツのバイエルンの首都。後に、ヒトラーの血なまぐさい運動を誘発した地でもある。
マックス・ヴェーバーにして、やりきれない気分に駆り立てたものとは... 敗戦の事実をあたかも神の審判のように捉える、知識階級の自虐的で独り善がりなロマンティシズムに苛立ったと見える。芸術界に波及したナショナル・ロマンティシズムが、いよいよ政治の世界で目覚める時が。愛は盲目と言うが、冷静な愛国心を身にまとうには修行がいる。ここでは、ヴェーバーのナショナリスト的な側面を垣間見る...
他にも、ヴェーバーが学生諸君に奮起を促した講演では「職業としての学問」という作品があると聞く。無論、こちらに向かう衝動も抑えられそうにない。実際、目の前に控えてやがるし...
尚、ここでは、脇圭平訳版(岩波文庫)を手に取る。

政治とは何か。国家とは何か。ヴェーバーは、そんな素朴な疑問を投げかける。彼は、国家を「正当な物理的暴力行使の独占を実効的に要求する人間共同体」と定義し、政治を権力の配分、維持、変動に対する利害関心としている。
「政治とは、国家相互の間であれ、あるいは国家の枠の中で、つまり国家に含まれた人間集団相互の間でおこなわれる場合であれ、要するに権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である...」

「すべての国家は暴力の上に基礎づけられている。... トロツキーはブレスト=リトフスクでこう喝破したが、この言葉は実際正しい。」
国家の正当性は国民主権を守ることに発し、統治権もまた正当性が担保されなければ、ただの暴力ということになる。
とはいえ、権利とは相手との関係から生じるもの。それが集団と集団の間であれ、個人と個人の間であれ、なんでもかんでも権利を主張すれば、当然ながら衝突することになり、権利にも相対的な制限が必要となる。この制限が、一般論で倫理や道徳と結びつけられるところ。有識者たちは、政治と倫理を結びつけて熱弁をふるう。
また、正当性が担保されるからといって安心もできない。正当性ってやつは、実に多種多様な解釈を招き入れるもので、一筋縄ではいかない。一般的な基準としては、法が役目を果たすことになるが、条文の解釈もまちまちときた。よって、政治行動の正当性は、歴史に委ねられるところがある。
しかしながら、政治行動とは現実の今を生きることであって、のんびりと過去を考察している場合ではない。本書は、政治に倫理を結びつけたユートピア志向への警鐘という見方はできるだろう。要するに、政治はあくまで政治であって、倫理ではない!ってことだ。ヴェーバーの問題提起は、有識者に対して、特に理性人には挑発的なものとなろう。
「政治に関与する者は、権力の中に身をひそめている悪魔の力と手を結ぶ...」

1. 政治心理学
「政治とは何か。これは非常い広い概念で、およそ自主的におこなわれる指導行為なら、すべてその中に含まれる。現にわれわれは、銀行の為替政策とか、国立銀行の手形割引政策だとか、ストライキの際の労組の政策がどうだ、などと言っているし、都市や農村の教育政策、ある団体の理事会の指導政策、いやそればかりか、利口な細君の亭主操縦政策などといった、そんな言い方もできる。」
政治は、なにも政治家の専売特許ではない。人間、二人寄れば争いが起き、三人集まれば派閥ができる... なんて言うが、人間関係あるところに政治的な思惑が生じ、集団あるところに政治屋が蔓延る。これはもう人間社会の掟である。
アリストテレスが... 人間をポリス的動物... と定義したのは実にうまい。ポリス的とは、社会を育むこと、集団生活を営むこと。つまり、人間はみな寂しがり屋ってことだ。
そして、共存は競争を生み、自己の優位性を強調しようと躍起になる。これは、ある種の自己防衛本能の顕れである。人間は、自己存在を確認するために、本能的に世話好きなところがある。自分だけが良い目に会ったり、自分だけが良い事を知っていると思えば、誰かに喋らずにはいられない。宗教心は、押し付けがましいところから始まり、それが使命感へと肥大化させる。教育や指導の動機にも似たところがあり、良く言えば、啓蒙家の資質である。ただし、啓蒙とは恐ろしいもので、使命感によって他人を陶酔させようとしながら、自己陶酔に浸るところがある。
したがって、政治行動の末期症状に、自己陶酔や自己暗示といった心理現象を見て取れる。ヒトラーが自滅したのは、歴史の偶然だけで片付けてよいものやら。民族主義と深く結びついた国家社会主義を掲げる以上、戦争は避けられなかったはずである。これはもうイデオロギー特有の必然性であろう...
「権力追求がひたすら仕事に仕えるのでなく、本筋から外れて、純個人的な自己陶酔の対象となる時、この職業の神聖な精神に対する冒瀆が始まる。」

2. 国家と帰属意識
職業政治家の行動と動機を考察する上で、国家の概念を抜きには語れまい。ナポレオン戦争後、ヨーロッパに秩序を回復させたウィーン体制。これを崩壊させた十九世紀の革命機運、いわゆる「諸国民の春」から近代国家が続々と出現した。
つまり、現在の国家の枠組みが成立して、せいぜい二百年ぐらい。ハプスブルク家の六百五十年やロマノフ王朝の三百年と比べれば、まだまだ若い部類だ。世界は政治哲学をもつにはまだ若すぎる... とは誰の言葉であったか、なかなか的を得ていそうだ。
近代国家の特徴として、かつて国家間の紛争が領土問題に発していたのに対し、これに民族意識としてのアイデンティティが火種として加わったことが挙げられよう。どちらも帰属意識に発することに変わりはない。二百年の歴史を伝統と呼べるほどのものかは別にして、帰属意識として定着すれば、伝統意識を強烈に植え付ける。政治を実践する者にとって、帰属意識の扱いはデリケートな問題となろう。その根底に自己存在という意識があり、まさに国家の概念はここに発する。こうした意識が自己防衛本能を刺激し、集団意識となって国家安全保障の概念と結びついてきた。
ただし、こいつは自己陶酔の根源となる意識でもあり、しばしば愛国心という名で集団的自我を肥大させる。人間ってやつは、本能的に臆病である。臆病でなければ、これほどの文明は発達しなかったであろう。臆病ゆえに恐怖心を煽ることが、政治戦略では絶大な効果を得る。順風満帆な社会では、政治の存在感は極めて薄い。それが政治家にとって幸か不幸か...

3. 権力と虚栄心
政治を行う者は、その必然性から権力を求める。ヒュームの言葉に... 政治的企画室というのは、権力を握ると、これほど有害なものはないし、権力を持たなければ、これほど滑稽なものもない...いうのがあるが、実にうまい。
権力を、高慢な目的や利己的な目的のための手段として追求するか、優越感を満喫するために追求するか、あるいは使命感のために追求するか、そんなことは知らんよ。目的がどうであれ、政治家を目指すならば、支持者を募る必要がある。少なくとも民主主義社会ではそうだ。大衆からどう見られるか、これは政治家としての重要な資質の一つである。そもそも虚栄心のない人間がいるだろうか。評論家や学者の場合、それが鼻持ちならぬものであっても害は少なくて済むが、政治家の場合、虚栄心の満足が権力と直結するだけに見過ごすわけにはいかない。
政治行動の原動力が権力であるならば、この権力が正当性に裏付けられた暴力であるならば、これに相応しい特別な倫理観を要求せねばなるまい。ヴェーバーは、政治家の特に重要な資質として、情熱、責任感、判断力の三つを挙げている。しかも、この三つを貫く心に、悪魔的な信奉者となることまで要求している。情熱とは権力を味わう充実感、責任感とは政治哲学の信念、判断力とは冷静で客観的な視点で、それぞれのバランスをとることが政治家の資質ということになる。だが、一人の人間の内でさえ、心情倫理と責任倫理を和解させるには、よほどの修行がいる。そして、不倶戴天の敵が卑俗な虚栄心というわけだ...
「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。... どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてくじけない人間。どんな事態に直面しても、それにもかからず!と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への天職を持つ。」

4. 服従と人間装置
権力の正当性を語るならば、服従の正当性も語らねばなるまい。服従の正当性の根拠を問い詰めていけば、三つの純粋型に突き当たる。一つは、永遠の過去が持つ権威、習慣によって神聖化されるような「伝統的支配」の類い。二つは、天与の資質や英雄の啓示など個人に帰依するような「カリスマ的支配」の類い。三つは、法の命令が義務となるような「合法的支配」の類い。三つ目の服従が最も客観的と言えようが、実際は単独の純粋型を見ることは稀で、三つが複雑に絡み合った形で現れる。そして、心理学的に、無意識の服従という型も加えておこうか...
「暴力によって、この地上に絶対的正義を打ち立てようとする者は、部下という人間装置を必要とする。」
服従の原理は、部下や追従者という人間装置なしでは機能しまい。そこには、必ずと言っていいほど見返りの原理が働く。しかも、たいていは復讐、権力、戦利品、俸禄といった欲望の正当化にすぎない。
そもそも人間には、本能的に見返りを求める性癖があり、神の前ですら願い事を唱える。そりゃ、神も沈黙するしかあるまい。なぁーに心配はいらない。代わりに宗教が願い事を叶える、と約束してくれる。死後の世界で...
大衆は、心地よく服従する状態を求めているかに見える。だから、人のせいにし、組織のせいにし、社会のせいにし、それで安穏と生きていられる。いとも簡単に平凡きわまるサラリーマンに堕落してしまうのは、それを心底望んでいるからではあるまいか。服従とは、依存症の政治的状態を言うのやもしれん...

2019-09-22

"実利論 古代インドの帝王学(上/下)" カウティリヤ 著

ナンダ朝を倒し、マウリア朝を建国したチャンドラグプタ大王。彼には、カウティリヤという名宰相がおったそうな。ちょうど中国でいうところの諸葛亮のような知謀家が...
カウティリヤの書として伝えられる大著「アルタシャーストラ(Kauṭilīya-Arthaśāstra)」は、サンスクリット語で「実利の学」という意味。それは、紀元前四世紀のものとされる。ただ、後世に改版を重ねてきたという説もあり、その成立時期については未だ論争が続いているようである。
実際、本書には、学匠や偉人たち、あるいは、従来の諸説に対して、「それは正しくない、とカウティリヤは言う...」 という反論のフレーズがちりばめられ、カウティリヤ自身が書いたというよりは、カウティリヤの言葉をまとめた感が強い。古代の書ともなると、高名な偉人や聖人の名を当てて権威づけることが大いに考えられるわけだが、この際、成立時期や真の著者が誰かなんぞどうでもいい。既に古代インドでは、現代にも通ずる実践的な政治哲学、いや政治技術が語られていたということだ。マックス・ヴェーバーは、著作「職業としての政治」の中で、こう書いているという。
「インドの倫理では、政治の固有法則にもっぱら従うどころか、これをとことんまで強調した - まったく仮借ない - 統治技術の見方が可能となった。本当にラディカルな『マキャヴェリズム』 - 通俗的な意味での - はインドの文献の中では、カウティリヤの『実利論』に典型的に現われている。これに比べればマキャヴェリの『君主論』などたわいのないものである。」

古代インドでは、ダルマ(法)、アルタ(実利)、カーマ(享楽)が人間の三大目的と考えられていたという。カウティリヤは、アルタを中心に据え、他の二つをアルタに従属させる。そして、学問を、哲学、ヴェーダ学、経済学、政治学の四種に定め、その中で哲学を支柱に据える。
「哲学はヴェーダ学における法(善)と非法(悪)とを、経済学における実利と実利に反することとを、政治学における正しい政策と悪しき政策とを、そしてそれらの三学問の強さと弱さを、論理によって追求しつつ、世間の人々を益するものである。それは災禍と繁栄における判断力を確立し、智慧と言葉と行動とを通達せしめる... 
哲学は常に、一切の学問の灯明であり、一切の行動の手段であり、一切の法の拠り所である...」

本書は、こうした学問態度から、国益を徹底的に追求する思考法を披露してくれる。ここで特徴づけられる総合的な目線と合理的な視点は、国家論、王道論、外交論、軍事論、そして諜報論にまで及び、細目に渡って論じられる。
こんな具合に...
城砦都市を建設し、地方を植民して国造りをなす。商工農林に各省庁を設置し、官吏を登用し、中央と地方の行政に漏れなく国家体制を敷く。度量衡を定め、出入国者を監視し、酒類から遊女に至るまで統制下に置く。消費税や遊興税の類いを制度化し、違反者から罰金を徴収して国庫を潤す。同時に、国王は官吏の行動に目を光らせるばかりか、身内や後継者にも監視の目が向けられ、王自ら、民法、民事訴訟法、刑法など、あらゆる裁きの責任者となる。
かくして王道は刑罰権の行使と同義語に...

カウティリヤにとって、アナーキーこそ最も警戒するところ。抽象的な理想主義なんぞくそくらえ!と言わんばかりに、現実の国家元首像を書きまくる。君主といえども欲にまつわる人間の弱さをあぶりだし、王たる者がいかに人間の本性を巧みに利用すべきかを説く。もはや、理想王は策士の権化か...
しかしながら、とことん人間の醜態を暴きながらも、大前提とされる王者の資質が語られる。公明正大で共同体の秩序維持に務めるために、社会福祉のための法を定めるために、弱肉強食の弊を除くために、確固とした王権が必要だと説く。王は国民の安寧を守るために、常に精励努力して実利の実現を追求する。弱者の保護は王の義務であり、そのための秩序や揺るぎない権力が必要である、という論理。
そして、王たる者は、感情を抑え、誘惑を斥け、遊興に耽ず、行動の一切を挙げて国民の守護という最高の義務を自ら課す。最高位にある王は、唯一自己制御可能な特別な存在でなければならないというわけである。ここに、修身斉家治国平天下といった儒教的な政治観が、古代インドにも定着していた様子が伺える。
「しかし、王杖を全く用いぬ場合は、魚の法則(弱肉強食)を生じさせる。即ち、王杖を執る者が存在しない時には、強者が弱者を食らうのである。王杖に保護されれば、弱者も力を得る...
王の幸福は臣民の幸福にあり、王の利益は臣民の利益にある。王にとって、自分自身に好ましいことが利益ではなく、臣民の好ましいことが利益である...
臣民を法により守る王が自己の義務を遂行することは、彼を天国に導く。王が保護せず不正な刑罰を科する場合は、逆の結果となる。」

人間の本務は自己の義務に生きること。では、義務とはなんぞや。
仮に、王のために... とした場合、王は義務に足る人物かが問われる。世襲によって正統性が担保された君主は、たいてい僭主となることは、歴史が示してきた。真の君主が登場しても長続きしないことを。それは独裁制というイデオロギーの持つ特質、いや、人間の本質であろう。
仮に、国家のために... とした場合、国家は義務に足る体制を備えているかが問われる。それが民主制だとしても、政治的にも、経済的にも、施策がうまくいかなくなれば、国家権力は独裁色を強めていく。それでも独裁制よりは、ましか
これは、もう人間の本性の領域。そして、カウティリヤの言葉は、君主よ!しっかりしろ!と励ましているようにも映る...

ところで、本書には、やたらとスパイの話題が登場する。権謀術数では、暗殺や毒薬、怪しげな秘法まで伝授してくれる。男社会では女スパイの活躍の場が広がる、というのは古今東西で共通しているらしい。遊女館を情報アジトとして活用し、遊女長官という役職まで。ただ、「遊女」の定義が現代感覚とは、ちと違うようで、歌、器楽、吟誦、演劇、文学、絵画、琵琶、笛、太鼓、読心術、会話術、マッサージなど、様々な技能や知識を持つ女性とされる。
こいつは、スパイマニュアルか?それでいて、王道の徳目を説く?... ん~、もはや矛盾を通り越して支離滅裂!だが、政治とは、もともと矛盾した世界。いや、人間社会そのものが支離滅裂な世界。だから、実利論として成立するのである。
統治とは、人間を統制すること。それはすなわち、人を動かすこと。政治技術とは人を動かす術であり、そこには脂ぎった処世術も絡んでくる。様々な欲望から共通の利益を見出し、これを実現していくとなれば、功利主義的な思考も見て取れる。
また、国家間の問題はすべて領土に発するとし、必然的に隣国は敵とみなされるが、自己存在を脅かす存在として最も身近な存在こそ人間社会に内在する根深い病魔であろう。
この実利の学には、一古典の生命力を感じずにはいられない...

2019-09-15

"ドイツ参謀本部興亡史" Walter Görlitz 著

「インテリジェンス」という言葉を追いかけ... 追いかけ... いつの間にか「ゲーレン機関」に漂着したかと思えば、今度は「ドイツ参謀本部」を覗き見している。もはやハシゴ癖は収まりそうにない。この用語が、政治の世界、特に軍事用語として広まってきた経緯があるだけに、それも自然の流れであろうか。人間の存在意識を根底から支えるものが生存競争にあるとすれば、人間の知的活動もまたここに発する。その極限状態にあるものが戦争であり、戦争ほど人間の本性を露わにする題材はあるまい。
戦争ってやつは、一人の英雄がやるものではない。集団を組織化し、いかに効率的に行動するかにかかっている。天才軍略家として誉れ高いナポレオンとて、その意味を理解していた。フランス革命によって解き放たれた大衆を軍隊としてまとめあげる方法論として。
ここでは、組織論という観点からインテリジェンスを眺めてみよう。ただし断っておくが、本書には「インテリジェンス」という用語は一切現れない。この酔いどれ天の邪鬼が気ままに関連づけているだけのことである...
尚、守屋純訳版(学研, WW selection)を手に取る。

世界最強の組織と謳われたドイツ参謀本部。これをもってしても、戦争には勝てなかった。良書を読まない人は字が読めないに等しい... とは、かの古代大哲学者の言葉だが、どんなに優れた知識を持っていても、その活用法が分からなければ無知に等しい、ということか。いや、知っていることが精神安定剤となることもあるので、一概には言えまい。
そもそもドイツには、地理的に不利な条件が揃っている。欧州大陸の中央に位置するがために、攻撃性を強めれば、必然的に東西二正面戦争を強いられる。それゆえ予防戦争こそが鍵となり、伝統的に防禦思想が主流であったのは孫子の兵法にも適っている。ヒトラーが出現するまでは... だけど。
対して、イギリスは海を隔てた自然の要害に守られ、後方支援を無限に受けられる立場。アメリカを味方にすれば... だけど。
エーリッヒ・フォン・ファルケンハインが、イギリスが最も強敵と見たのは、まったく正当であろう。陸軍国と海軍国の地理的な差は、長期的な経済戦争では想像以上に大きく、第二次大戦ではこれに制空権が加わる。
ちなみに、「我が闘争」によると、ヒトラーの理想的な同盟相手国は三つということになっている。イギリス、イタリア、日本である。どこかの領土に目をつける度に、その後方から口を出してくる存在は目障りでしょうがない。ヒトラーはイギリスが元凶という考えに憑かれていく。領土拡張と巨大兵器こそが権力者の象徴と言わんばかりに。独裁者の心理学には、まったく付き合いきれん...

さて、参謀本部という組織は、考えうるすべての条件や環境を考慮し、最悪のケースまでも視野に入れながら研究を進める立場。慎重論を唱えようものなら、臆病者や敗北主義者のレッテルを貼られる。人間には、弱みを突かれると、より攻撃性を増す性癖がある。スターリンの粛清も、赤軍将校が自主的に行動しようとしたことへの恐れに発する。支配層の自惚れは、いわば人間社会の法則。
そして、尻拭いは誰がやるか。戦争の最終局面における参謀本部の使命は、いかに戦争を終わらせられる材料を提供できるか、が問われる。暗殺未遂事件に、陸軍参謀本部の面々が深く関わっていたのも偶然ではあるまい。ニュールンベルク国際法廷は、参謀本部を犯罪的組織という訴追については免責したのだった...

「自らあえて決断する将帥には補佐役は要らぬ、部下はただ実行するのみ、というのは、いつの世紀でも、ほとんどあったためしのない第一級の理想である。大抵の場合、一軍の将たる者は補佐役なしに済ませられるものではない。特に正しい判断へと導くことのできる教養と経験をもった複数の人間が共通の結論を導きだせれば、それはまことに結構だ。だが何人そういう人数がいようと、有効なのはひとつしかありえない。軍隊の命令序列では補助の意見も従属せねばならない。... だが最も不幸なことは将帥が他からの統制のもとにあって、毎日、毎時間、自分の構想・計画・意図について総司令部の最高権力者の代理に、あるいは後方の電信によって、申し開きをせねばならぬことである。それでは、いかなる自主性も、迅速な決断も、大胆な敢行も失敗せざるをえない。それが戦争を指揮するうえで必要なはずなのに。」
... ヘルムート・フォン・モルトケ「戦争理論について」

1. 国民戦争
クラウゼヴィッツは、戦争を政治の一手段と位置づけた。戦争は政治の範疇でのみ有効性を持つと。大袈裟に解すれば、政治の範疇でのみ正当化も可能になる。
しかしながら、フリードリヒ大王の戦争からナポレオン戦争を経て、二つの大戦へと邁進していく様を眺めていると、いかに政治が戦争の一手段と位置づけられてきたことか...
その要因の一つに、戦争の長期化があげられる。それは総力戦を意味し、かつて国王と軍隊のものであった戦争は、大衆化と相俟って国民戦争へと変貌していく。いかなる卓越した作戦技能よりも経済的潜在能力が決め手となり、科学技術の質や人材の数、工業生産力、資源の確保、食糧配給、国民の士気などすべての社会的要素が絡んでくる。つまり、前線よりも国内の方が重要だということだ。戦争が大衆化すると、ちょいと愛国心をくすぐるだけで扇動効果も倍増する。もはや政治に属すのやら、戦争に属すのやら。いや、政治も、戦争も、人間社会の一現象に過ぎないということか...
「重要なのは、軍事と戦争における政治と社会の要素を考察することである。軍事機構や戦闘法、そして戦争指導というものは、一般に政治形態や文化・社会の発展段階を反映している。時代や大きく躍動する理念、あるいは政治体制とともに軍事機構や戦争観も変化する。このことはあらゆる民族や国家の歴史にあてはまる。」

2. 軍略家たちの哲学
ドイツ参謀本部には、偉大な軍略家たちの思想哲学の融合が見て取れる。まず、参謀本部制度の生みの親と呼ばれる二人。偉大な啓蒙家シャルンホルストが「政治的将校」という軍人モデルを提示すれば、無名を心得たグナイゼナウは「参謀将校は無名であるべし」という鉄則を提示した。
ちなみに、クラウゼヴィッツがシャルンホルストのヨハネであるとすれば、グナイゼナウは自分のことをシャルンホルストのただのペテロと書いたとか。
戦争が政治の手段である以上、軍人にも政治的な視野が求めれる。今日の軍人は、第二次大戦当時の帝国軍人とは違い、外交的感覚にも敏感でなければならない。戦いの優位性だけを考えるなら大量破壊兵器を用いれば済む話だが、それで国家の権威が失墜するとすれば何のための戦争か。二人の始祖の思想哲学は、現代感覚にこそ適合しそうである。
しかし、この理想主義の時代は、産業革命や技術革新とともに変貌を遂げる。戦略や戦術が高度化すると、大モルトケは軍事スペシャリストの育成に努めた。軍事学は、兵站算術から脱皮して数学的戦争体系へ。
どんな学問分野であれ、高度化が進むほど専門性を強めていくものだが、歴代参謀総長たちの人間像を追っていくと、伝統と革新の間で揺れ動き、教養学派と専門学派が対立しながらも、うまく融合しながら発展していく様子がうかがえる。
学識の広い政治的将校としては、小モルトケ、ハンス・フォン・ゼークト、ルードヴィッヒ・ベック、フランツ・ハルダーといった名を見かけ、技術革新と専門性に目を向けた学派としては、シュリーフェン、ツァイツラー、グデーリアンといった名を見かけ、人材は実に豊富で多彩。
彼らには、どんなに優秀な参謀本部といえども、統帥の代わりをすることはできない、という考えが浸透しており、ここに、統帥権の扱い、あるいは、後のシビリアン・コントロールの概念が暗示されているように映る。
ちょいと異色なタイプでは、塹壕戦で膠着状態に陥った時に登場したヒンデンブルクは、大モルトケとシュリーフェンから最高の評価を受けていたが、すでに高齢だった。にっちもさっちもいかない状況になると、年寄の出番がくるのは世の常。しかも、偶像化されて大統領に。
さらに、あらゆることに首をつっこみ、政治的陰謀に身を投じたアルフレート・フォン・ヴァルダーゼーや、政治に介入し、一時的にせよヒトラーと手を結んだルーデンドルフといった面々も見かける。
尚、ベックほどの人物でも、暗殺未遂事件の首謀者というイメージが強く、シャルンホルスト流の「政治的将校」というモデルが、皮肉な形で体現されることに...
そして、ドイツ参謀本部が残した組織哲学が真の意味で体現されるのは、ゲーレン機関を経てずっと後ということになろうか... いやいや、まだまだ先のことであろうか...

3. 東西どちらを優先すべきか
これは、ドイツ参謀本部が慢性的に抱えている問題である。大モルトケによると、それは東だという。確かに、広大なロシアには潜在的な脅威がある。
一方、シュリーフェンは西部戦線における短期決戦プランを提示した。さっさと西を片付けて、東に戦力を集中させようと。だが、これは外交と衝突する。中立を宣言したベルギーに対して大義名分が立たない。シュリーフェン・プランは、あくまでも二正面戦争は避けられないという悪夢を想定したもので、実行しなければならない代物でもないらしい。そこに、フランス軍もロードリンゲンへの進撃を準備していることが判明。第17号作戦である。マンシュタインは、より実行性の高いプランを提示した。装甲部隊の機動力でアルデンヌの森林地帯から国境沿いを進撃し、ベルギーを迂回する作戦である。だが、陽動部隊をオランダから北フランスへ展開すれば、結局は外交と衝突する。ベルギーの中立宣言は、スイスのものとは外交的にも、地理的にも意味が違う。
こうした作戦計画の立案工程には、戦略に従属する外交か、外交に従属する戦略か、という問題が提起されている。
ちなみに、当初、ロンメルの精鋭部隊は東部戦線に配備される予定だったという。だが、ムッソリーニの要請で北アフリカへ。ムッソリーニは同盟国としての頼りなさを露呈し、バルカン作戦のためにバルバロッサ作戦は一ヶ月以上延期された。冬将軍の到来までに決着をつけなければ、長期戦を覚悟しなければならないが、そんな目算はヒトラーにはまったくない。それどころか、前線では自国軍の監視役としてゲシュタポが目を光らせている。おまけに、ロシア人にスターリン粛清の解放軍として歓迎されたドイツ軍は、すぐ後に続いた親衛隊によって憎悪を増幅させていったとさ。東やら、西やら、という前に誰が敵で誰が味方なのやら...

2019-09-08

"諜報・工作 ラインハルト・ゲーレン回顧録" Reinhard Gehlen 著

「インテリジェンス」という用語を追いかけ... 追いかけ... いつの間にかこんなところに漂着している。この言葉は、知識が後ろ盾になった語であることに違いはないにせよ、軍事用語として広まってきた経緯がある。クラウゼヴィッツ流に言えば、軍事も政治の一手段。インテリジェンス機関は、政府の補助機関として発達してきた。国家安全保障を担う機関として。その活動は、諜報という性格を帯びている。
スパイの歴史が古代に、あるいは神話の時代に遡るにせよ、諜報機関として設立され、組織として本格的に機能し始めたのは二つの大戦から。近代戦争は国家総力戦の様相を呈し、国力を測るには、経済力、工業力、科学技術力、人口、エネルギー資源、地理、あるいは国民の性格や士気、イデオロギーなどあらゆる要素が絡んでくる。もし、戦争をやるなら正義の御旗が必要不可欠。特に、民主主義国家にとっては。民主主義の特徴として、いや、危険性として、国民感情を外交に反映させる傾向がある。先に攻撃を仕掛けて大戦果を上げても、末代までの恥となっては愚の骨頂。それゆえ、犠牲を最小限に抑えつつ、先にやらせるといった戦略が古くからある。先手必勝とは、先に備えるという意味で必勝となる。したがって、平時でこそ重要... 戦時では遅い... ということになる。これこそ、政治方面におけるインテリジェンスの意味することだと理解してきた。本書に、インテリジェンスという語は見当たらないが、こうした経緯に沿ってその発端を垣間見る...
「秘密情報任務の本質は、すべてを知る必要を別にすれば、歴史的潮流をフォローし、それを将来に投影する能力である。」

「ゲーレン機関」... インテリジェンス関連の書に触れれば、たいていこの名に遭遇する。東西冷戦時代の裏の立役者... BND(ドイツ連邦情報局)の前身... ヨーロッパでは CIA 以上に知られた組織で、その存在を誰もが知っていた。しかし、こいつがどこにあり、どこに所属しているかを知る者は限られている。資金源はどこか、本当に西ドイツの組織なのか、と疑われるほどに。ラインハルト・ゲーレンは、「顔のない男」と呼ばれた。ロンドンのタブロイド紙「デイリー・エクスプレス」に記事が躍る...
「ヒトラーの将軍、いまドルのためにスパイとなる!」

原題 "The Service: The Memoirs of General Reinhard Gehlen..."
「サービス」という言葉は商業用語として馴染んでいるが、ちょいと辞書を引いてみると... 奉仕、役に立つこと、助け、尽力、骨折り、功労、勲功... あるいは、公共事業、軍務、兵役などの意味が見つかる。シークレット・サービスが、大統領や首相など要人の警備という意味で使われるので、まったく違和感がないにせよ、一つの言葉には実に幅広い意味が含まれていることを改めて感じさせられる。まさに言葉の裏を読む世界!分かりやすさい言葉ばかり追いかけていると、思考停止状態に陥ると言わんばかりに...
現代の政治家たちが、現実に起こりつつある事柄にわずかな認識しか持っておらず、こんなことも想定できなかったのか?と驚かされることがある。わざと演じているのかは知らんが、誰にも知られずに影で世界を観察し、地道に分析している人たちがいる。大衆がソーシャルメディアで炎上合戦をやっている間に、彼らは社会を深く潜って真の情報戦を繰り広げている。本当の意味で世界を動かし、無知な大衆が幸せでいられるのも、名も無い彼らのおかげであろう。そして、シュリーフェン元帥の金言が輝きを増す...
「参謀本部将校は名前を持たない。」

1. 機関誕生秘話の背景
まず、ゲーレン機関誕生の背景に、第二次大戦中に既に始まっていたイデオロギー対立を無視するわけにはいかない。ルーズベルト大統領の腹心の友だったウィリアム・C・ブリット大使は、「ルーズベルが悪魔を追い出すために魔王の力を借りたこと、アメリカは今こそ本当の危機に直面しているということを確信しながら死んでいった。」と書いているという。ただしブリットは、「この事実が民主主義国において一般に浸透するまでには五年はかかるだろう。」と付言したとか。
ソ連も、西側に大規模な情報網を張り巡らせ、巧みな情報戦を繰り広げていた。首都ベルリンへの到達競争は、戦利品と戦後の主導権をめぐって激化する。戦利品とは、科学技術や機密書類といった物的なものだけでなく、優秀な人材の確保も含まれる。ソ連が米英に先んじてベルリンを陥落させたのも、偶然ではあるまい。1945年末、ソ連軍のペルシア侵攻によって動揺させられたにもかかわらず、世論が認識するには朝鮮戦争まで待つことに...
ゲーレンが米軍に投降した時、尋問にあたった将校の多くが「ドイツ軍 = ナチ」という図式しか頭になかったようである。陸軍参謀本部東方外国軍課の課長ゲーレンを米軍が確保したことは、ソ連にとって脅威となる。なにしろ東側共産圏に広大なスパイ網を構築した張本人だ。無論ソ連もゲーレンの行方を追っていて、西側にはソ連のご機嫌をうかがって、明け渡すべきだと主張する呑気な将校もいたという。
確かに外から見ると、陸軍参謀本部の位置づけはなかなか微妙だが、内から見るとヒトラーの機関と一線を画す。そもそも戦争目的からして違う。劣等人種論に憑かれたヒトラーは民族絶滅を目的としていたが、陸軍参謀本部は現実的な政治的解決を模索していたという。面従腹背の姿勢で知られるカナーリス率いる諜報機関アプヴェーアが、防波堤になっていたという見方もできそうか。本書は、カナーリス提督を信念の人、高潔な人と評し、提督の組織との協力時代から学んだ教訓が語られる。

2. 参謀本部と暗殺未遂事件
ヒトラー暗殺未遂事件に陸軍参謀本部の面々が関わっていた意味は大きい。ゲーレン自身は陰謀に加担していないというが、それは本当らしい。ただ、その情報すら知らなかったと言えば、さすがに嘘になろう。
ゲーレンの上司には、フランツ・ハルダー、クルト・ツァイツラー、ハインツ・グデーリアンという面々が連なり、彼らが、いかに男らしく夢想家の決定を覆そうとしたかを物語っている。ハルダー将軍は、こう言い放ったとか。
「とにかくヒトラーが私を追い出すまで、反論し続けてやる。彼はもう理性の声には一切耳をかそうとしない...」
自主的に判断し、行動することは、軍法会議もの。ヒトラー批判と見做されて。見事な官僚体質を助長する論理である。
使い古された軍人の掟に、命令は絶対服従!といったものがあるが、情報機関ではほとんど役に立たない。組織の末端で行動する情報員は独自の判断力がなければ話にならず、ヒトラー崇拝とは真逆の行動原理が求められる。
ヒトラー暗殺計画の妨害に、西側が噛んでいたという説も否定はできまい。チャーチルにとって、暴走オヤジの方が戦争は確かにやりやすい。いや、ゲーリングの方がましか。ん~、微妙だ。いやいや、ヒムラーだったらもっと悲惨だったか。ん~、実に微妙だ。いずれにせよ、政治の駆け引きってやつは、なかなか思惑通りにはならないもので、逆効果となるケースも多い。
バルバロッサ作戦の初期段階では、ドイツ軍はスターリンからの解放軍として歓迎されたという。こうした友好的な様子は、電撃戦で名を馳せたグデーリアン将軍の回想録にも見て取れる。しかし、ソ連民衆の好意も、後から乗り込んできた親衛隊によって憎悪に変貌させてしまう。ゲーレンは、独ソ提携の「ロシア民族解放プラン」を提示している。ドイツ参謀本部は、まさにそうした視点からソ連という広大な領土を分析していたという。スターリンを後ろから援護したのは、実はヒトラーだったというわけか。相手の文化までも抹殺にかかる検閲の狂気ぶりが貴重な情報源を断つとは、なんとも皮肉である。
そういえば、ある会津人の記録で、蒋介石が似たようなことを大日本帝国に対して警告していたのを思い出す。対立関係にあった国民党と共産党の双方から憎悪を買ってしまったと...
現在でも、「国家 = 民族」あるいは「国家 = イデオロギー」という図式しか描けない政治屋どもを見かけるが、戦略上、誰を敵にまわし、誰を味方にするかは死活問題である。
そして現在、グローバリズムが浸透し、各国で意識や価値観の二極化が進む。情報入手の機会が平等化していくと意識格差を助長するとは、なんとも矛盾した話だが、意欲のある人はますます意欲的に知識を求め、意欲のない人はますます置いていかれるという構図は、今に始まったことではあるまい。それは、金儲けの機会が平等化すると、金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏になっていくのと似ている...

3. 紳士協定
ドイツ新政府がまだ樹立していない時期、OSS(米国戦略諜報局)のアレン・ウェルシュ・ダレスと紳士協定を結んだ様子を物語ってくれる。アメリカにとっては実にうまい話。ドイツ参謀本部の対ソ連諜報機関をそっくりそのまま取り込むことができるのだから。ただし、紳士協定というからには口約束のレベル。メモを残しているのかは知らんが、互いの信頼関係を示している。いや、ゲーレンには選択肢が他になかったのだろう...
内容は、ざっと六項目。
  1. 現存する勢力を利用して秘密のドイツ情報機関を設立し、従来行ってきたのと同様、東の情報収集を継続。
  2. アメリカの傘下ではなく、あくまでも協力的な立場。
  3. 完全にドイツ人の指導の下で、ドイツに新政府が樹立するまでアメリカの下で任務を受ける。
  4. アメリカから財政援助を受け、その代わりにアメリカに情報提供する。
  5. 新政府が樹立してドイツが主権を回復した時、同機関を存続するかどうかは新政府が決定する。
  6. アメリカとドイツの利益が食い違う立場に立たされたと考えた場合、同機関はドイツの利益を第一に考える。
ダレスは、後にCIA長官となる人物。CIA の基盤は、ゲーレンによって確立されたという見方もできそうである。

4. 予防戦争の哲学
どんな仕事であれ、究めようとする者は哲学者になるものだと思っているが、ゲーレンにもその姿勢が見て取れる。本書には、クラウゼヴィッツの名を所々で見かけ、ドイツ参謀本部に戦争論哲学が浸透していたことが伺える。フリードリヒ大王に始まり、シャルンホルストやモルトケを経て、プロイセン軍人魂が受け継がれていることも。
また、孫子を引用し、戦わずして勝つ... 敵を知り己を知れば百戦殆うからず... という思想哲学こそが情報の要、ひいては予防戦争の要としている。

「未来に関する知識は神からも悪魔からも獲得できない。また比較や測量や計算によっても手にはいらない。敵に関する知識は人間的な機関を通じてのみ獲得される...
使われるスパイの種類には五つある。生まれつきのスパイに心内のスパイ。向こう側から寝返ってきたスパイ、死のスパイに生のスパイ。五種類のスパイ全部が使われるにしても、彼らの秘密のやり方はだれにも決してわからないだろう。それをわれわれは神聖な秘密と呼ぶ。それは主人たる者の、計り知れない価値のある所有物だ。主人たる者はスパイ活動を個人的に統制しなければならない。寝返ってきたスパイは敵に関する最善の知識をもたらす。故に彼らはとくに丁重に扱え。」
... 孫子「兵法論」

5. イデオロギー論争
本書のイデオロギーに関する記述は、共感できない点もあるが、なかなか興味深い。
「イデオロギーは、観念論的あるいはブルジョア的考え方で構成される場合は誤った信念であり、弁証法的唯物論とプロレタリアの考えを反映するとき正しい信念となる。二つの基準が正しい思考方法と誤りのそれを区別する。哲学的要素(唯物論と観念論との差異)と階級上の要素(すなわち階級の差異)である。その意味で、マルクス・レーニン主義は科学的イデオロギーと非科学的イデオロギーの間に一線を画すことによって、現実の経験を真実と虚偽とを区別する基準にしようとする機会をわれわれから一時的にせよ奪うのである。社会に関して政治的に中立である知識はすべて、現実を表面的にしか把握されないとされ、イデオロギー的に誤りとして排斥される。」
ところで、共産とは、共に生産すると書く。なんと響きのいいこと。ソ連が崩壊し、イデオロギーの時代は終わっただろうか。まさか!
資本主義は自由主義との両輪で機能してきた。ケインズ風に言えば、経済が恐慌のような危機的状態でない限り、市場への政府の介入を極力小さくするということ。自由主義陣営は、共産主義が存在するおかげで、自由の尊さを測ることができたとも言える。その有り難味が見えなくなると、国家資本主義へと暴走を始める。この潮流は大衆の愛国心によって支えられ、大衆を煽る諜報戦略もまたイデオロギーキャンペーンから愛国心キャンペーンへと移行していく。愛国心とは、人間の存在意識を基礎づける帰属意識の象徴のようなもので、こいつをちょいと擽れば、集団意識で縛ることができる。しかも、無意識で。この原理を達人レベルで操ったのが、ゲッペルス文学博士だ。人間社会には、神の恩恵と同時に若干の悪魔の同居が必要なようである。でなければ、神の存在の有難味も忘れてしまう...
「共存とは、基本的に競争とうい性格があるにもかかわらず、共産主義者たちがことのほか望む状態である。」

2019-09-01

"情報戦と女性スパイ インテリジェンス秘史" 上田篤盛 著

「今は石油だが、10~15年もたたぬうちに、食糧やプルトニウムが不足するかも。その時、人々は我々に何を望むと?人々に問うのか?暖房がつかず、車も動かない。食糧不足で飢えに苦しんでいる。そんなとき人々はこう思う。黙って確保してくれ!」
... 映画「コンドル」より

本書は、第一次世界大戦から冷戦時代に渡る重大スパイ事件と、それに関わった女性たちの活躍を物語る。タイトルが示すとおり、女性スパイという切り口からインテリジェンスを語ってはいるが、歴史上の重要人物の行動指針や、その背景なども網羅される。
また、スパイ人名録、各国の諜報機関集、スパイ用語集、スパイ教訓集、情報戦史年表も付録され、スパイ事典という性格を帯びている。なるほど、情報戦という観点から歴史を眺めてみるのも、なかなかの酒肴(趣向)。実に多くの女性が影で世界を動かしてきたことを見て取れる。
ただ、どんな戦略や戦術を用いるにせよ、相手の特徴を厳密に分析した上で対処することに変わりはなく、ましてや男も女もあるまい。スパイ業界には、第一級のフェミニズムが根付いているようである...

「インテリジェンス」という用語は、個人的には人間の思考プロセスと深く結びつく印象があるが、実際は、政治と結びついて広まってきた経緯がある。もっといえば、政治の裏舞台、すなわち諜報、防諜、秘密工作などと結びついて。興味を引くには、やはりスリルとサスペンスが欲しい。そして、おいらの天の邪鬼な性癖が懐疑心を旺盛にさせていく。歴史とは、氷山の一角を記述したにすぎないのではないか... と。
知らぬが仏... ということが、この世には実に多い。とはいえ臆病ゆえに知りたいという欲求を抑えられない。面倒くさがり屋にとって新聞やテレビのニュースでお茶を濁すことが、いかに幸せか...
「スパイ」という用語は、忌み嫌われがちだ。こっそり覗き見するなどは、卑劣というわけである。似たような用語に「ハッキング」という語があり、不正侵入といった悪いイメージがつきまとう。
しかしながら、"lifehack" という用語を広義に捉えると、人生を自分の力でハッキングする... といった意味になり、組織に癒着した人生を自分の手に取り戻そうという意識も働く。コンピュータ工学の指南書では、なになに hack という題目をよく見かけ、ツールを徹底的に使いこなす... 技術を自分のものにする... といった意味が込められる。そして、スパイという用語をインテリジェンスを通して眺めていると、hack という意味が重なって見えてくる...

人間は臆病である。それを自覚できれるから事前に備えようとする。自覚できなければ備えようとはしないだろう。自覚できなければ学ぼうとはしないだろう。孫子の奥義には、その教訓が刻まれている。戦わずして勝つ!
事に備えるには、まず知ること。知るには、まず観ること。科学は現象を的確に観察するところから始まり、ここに人間の思考原理の源泉がある。インテリジェンスの世界でも、情報が基礎となる。情報がなければ、感情的推測の域を出ない。そして、的確な分析が要となる。
しかしながら、的確に... というのがなかなか手強い。分かりやすさを求めすぎると、言葉の裏が読めなくなる。分かりやすさに流される傾向は、アピールしたものの勝ちという風潮につながる。演説の達人が勝つ!それは、ヒトラーが証明して見せた。所詮、言ったもん勝ち!皮相的な言葉ばかりを追いかければ、自分で思考することを怠る。いや、自分で思考できなくなる。その方が楽やもしれんが...

それにしても、女は怖い!
男は自分より賢い女を敬遠しがち。特に、結婚相手では。どうやら自己防衛本能が働くらしい。ヴィクトル・ユーゴーはうまいことを言った、「女を美しくするのは神であり、女を魅惑的にするのは悪魔である。」と。
スパイ戦というと、男の世界というイメージが先行しがちだが、女でなければやれないこと、女の方が有利なことが実に多い。男性優位社会ともなると、却って女性の活躍の場が広がるとは、なんとも皮肉である。暗殺では女性の方が要人に近づきやすい... 独身者よりも夫婦の方が地域社会に溶け込みやすく潜伏しやすい... 妊婦は怪しまれにくい... 等々。
忍耐強さでも、一枚も二枚も上手か!
ゲシュタポの厳しい拷問で口を割る男性スパイが続出する中、最後まで秘密を守り、殉職した女性スパイが大勢いた。彼女らをスパイ活動に駆り立てるものとは何か。スリルを求めてのことか。男どもを魅了する快感か。政治的な使命感か。スパイ活動そのものが麻薬のようなものか。
素人女性が知らず知らずのうちに工作員に仕立てられるかと思えば、マイスター級の女性工作員がイケメンにコロッとひっかかる。そして、病死?事故死?自殺?
リヒャルト・ゾルゲは、「女性はスパイ活動に絶対に向かない!」と言い放ったそうな。だがこの発言は、官憲の調査の手が愛人に及ばないよう配慮したものと見る者も多い。敵を知り己を知れば百戦危うからず... との格言には、ある種の精神安定剤的な効用がある。知ることによって無用な恐怖心を排除するという。
しかしながら、男にとって女は永遠の謎。その証拠に、単純な甘い罠に引っかかり続ける。最高機密事項をピロートークで語り合う夜のクラブ活動では、いつもハニートラップの餌食よ...

1. 二番目に古い職業
「スパイは二番目に古い職業」と言われるそうな。一番目は言うまでもあるまい。それは、紀元前13世紀、旧約聖書の「ラハブの物語」に由来するそうな。モーゼによってカナン攻城を命じられたヨシュアは、イスラエル軍を率いてジェリコの城下に迫り、二人のスパイを先遣する。ジェリコにはラハブという娼婦がおったそうな。ラハブは二人を匿って、官憲からの逃亡を手助けしたとさ。だから一番目は、最初のスパイを助けた娼婦ということになる...

2. チャーチルの策略家ぶり
チャーチルは、チェンバレンと違って秘密工作、欺瞞工作、コマンド襲撃、ゲリラ作戦といった水面下の活動を好んだという。その策略家ぶりは、あの有名な二つの欺瞞作戦に見て取れる。
まずは、ミンスミート作戦...
正体不明の死体をイギリス軍将校に偽装して機密書類を携行させ、運搬途中で航空事故に遭遇したように見せかけ、偽情報を掴ませた。上陸地点のシチリア島からドイツ軍の目を逸し、バルカン半島に向けさせたのである。
そして、ダブルクロス作戦...
ドイツ軍のスパイを二重スパイとして活用し、偽情報を流して連合国の計画を誤認させようと仕組む。この作戦を仕切ったのは、MI5 が組織した「二十委員会」。二十はローマ数字で "XX"、すなわちダブルクロス。
暗号機エニグマ解読プロジェクト「ウルトラ」は、アラン・チューリングが活躍したことでも有名である。しかし、いくら正確に解読しても、その情報を素直に活用すれば、解読された可能性を敵に知らせるようなもの。そう思わせないために、たまにはやられなければならない。切り札ってやつは、出すタイミングが難しいのである。そこでイギリス軍は、決定的な被害を受けない程度に作戦上のミスを意図的にやる。
例えば、1942年8月、カナダ師団を中心とする約五千人の兵士が、ノルマンディー海岸に上陸して多数の死者を出したという。ヒトラーはイギリスに潜入させたスパイの情報によって待ち構えていたのである。だがそれも、チャーチルが一枚上手だったようだ。既にドイツ側のスパイを二重スパイとして獲得していたというのである。オーバーロード作戦への布石が、二年も前から...
チャーチルは、アメリカを参戦に仕向けるためにも女性スパイを放っている。イギリスは、開戦当初から人員不足を補うために、情報機関で女性を大量に採用している。そして、水面下の情報戦においては、名もない人々が最大の働きをしてきたということであろう。第二次大戦は、ブレッチリー・パークとチャーチルの策略家ぶりの勝利!というのは、ちと言い過ぎであろうか...

3. 赤いオーケストラ
「赤いオーケストラ(ローテ・カペレ)」と呼ばれるソ連がヨーロッパに展開したスパイ網がある。当時ソ連は、無線送信員をピアニスト、通信機をジュークボックスと呼んでいたという。
ちなみに、ドイツ内部の反体制分子は「黒いオーケストラ」と呼ばれる。いずれも、ゲシュタポが名付け親か。
ヒトラーの側近の情報が筒抜けってか。マルティン・ボルマンあたりの情報が...
となると、バルバロッサ作戦は、本当に奇襲だったのだろうか?ドイツ軍の電撃作戦に為す術がなかったとも、スターリンが独ソ不可侵条約を信じていたとも言われる。
しかし、実際は少し違うようだ。各地に展開されるソ連諜報網は、ドイツ侵攻の可能性をモスクワに送信していたという。予測していても、為す術がないことに変わりはないか。そもそもスターリンが、インテリジェンスに信頼を置いていなかったようである。ドイツがよもや二面作戦を遂行することはないという根拠のない自信を深め、ヒトラーはイギリスを破ってからソ連に向かうと信じていたとか。チャーチルからの警告はソ連を巻き込むための挑発であると。要するに、希望的観測ってやつだ。イギリスの警告に対しては、ミュンヘン会談に招かれなかったことを根に持っていたようである。
どんなに優秀なインテリジェンスを備えても、活用できなければ無に等しい。政策決定者には選択権がある。活用するか、無視するか。そして、インテリジェンス機関は親分の顔色をうかがいながら発言するようになる。これはもう人間の根源的な問題である。独裁者に限らず、イエスマンに囲まれると心地よいものである。

4. ヴェノナ文書
ヴェノナとは、第二次大戦末期から冷戦時代にかけて、米国の NSA と英国の GCHQ が合同で行ったソ連の KGB や GRU に対する通信解読工作で、その内容は、1995年に公開された。
この文書は、日本が対米戦争を決意させた「ハル・ノート」に、ソ連が一枚噛んでいることを明らかにしたという。原案作成に関与した財務省次官ハリー・デクスター・ホワイトという人物は、ソ連のスパイだったとか。ソ連がドイツと日本の挟み撃ちに合うのを避けたかったことは想像に易い。アメリカの対日圧力、日本と中国国民党の軍事衝突、南進政策、いずれもソ連から遠ざける意味では理に適っている。秘密工作を仕掛けなくても、その流れは同じだったかもしれないが、ソ連による対日秘密工作説を排除することはできない。
ヤルタ会談にも、ソ連のスパイが深く潜入していたことを明らかにしたという。ルーズベルト大統領にともなって会談に参加した政府高官がソ連のスパイであったと。その男は、アルジャー・ヒス。サンフランシスコ会議事務総長や国連総会アメリカ首席顧問などを歴任し、ルーズベルトの片腕として活躍した人物である。彼は収監されるものの、事実無根だとして回想録を書き、当時はアメリカの世論を味方につけたという。しかし、彼もまた...
このようにヴェノナ文書は、ルーズベルト政権の相当数の高級官僚がソ連側に籠絡されていたことを明らかにしている。
さらに、アメリカの核開発関連にもソ連のスパイが潜り込んでいたことを明らかにしたという。アメリカやカナダにおけるソ連スパイ団の総帥は、伝説的スパイ、ルドルフ・イヴァノヴィチ・アベル大佐。
ちなみに、マンハッタン計画にはニールス・ボーアやエンリコ・フェルミといった大科学者が名を連ねるが、あの女優グレタ・ガルボが、ボーア博士をナチス支配下のデンマークから逃がすエピソードも紹介される。ハリウッドの大女優が一役買っていたとは...
また、ローゼンバーグ事件は、「電気椅子に消えた夫婦のスパイ事件」として知られる。ローゼンバーグ夫妻は、物的証拠がないとして無実を訴えた。マスコミも冤罪事件として報じ、世間の同情をさそい、死刑中止を求める嘆願の声が集まった。それでも死刑は執行された。当時、アメリカではマッカーシー旋風が巻き起こり、赤狩りの犠牲になったとまで言われた。獄中から幼い息子に宛てた「愛は死をこえて - ローゼンバーグの手紙」という書は、前々から読んでみたいと思っている。しかし、ヴェノナ文書は、夫ジュリアスがソ連のスパイだったことを明らかにしたという。妻エセルの方は、どこまで関与していたか、死刑に値するのか、など疑わしい点もあるようだけど...
そして、ジョルジュ・コワリという男が、マンハッタン計画の秘密情報を盗み出し、ソ連に原爆をもたらした最大の立役者だという。ロシア大統領プーチンは、「彼のお陰でわが国の核開発期間は劇的に短縮された」と貢献を称えたとか。
ヴェノナ文書は、世界屈指の米国防諜機関をもってしても、摘発できないことが多くあることを暴露している。そして今後も、このような機密文書が公開され、過去の真相が暴かれていくのであろう。いつの時代も、情報に踊らされる一般人... という構図は同じか。

5. 起きなくてもよかった戦争とオオカミ少年症候群
フォークランド戦争は、後に「起きなくてもよかった戦争」と呼ばれたという。それは、政府が情勢判断ミスで抑止対応をとらなかったことにより、無駄な損害を出したという批判である。アルゼンチンの英国大使館は、再三にわたって警告を発していたという。
では、なぜイギリスは奇襲を予測できなかったのか?ここでは、二つの要因を挙げている。
一つは、アルゼンチン政権が一枚岩ではないことを見落とし、政治的意図を見誤ったというもの。英国外務省はアルゼンチン外務省の意図を正しく見積もってはいたが、見積もるべき対象のガルチェリ大統領らの意図を読んでいなかったという。
二つは、オオカミ少年症候群である。英国大使が、いつも警告情報を発し続けたというもの。これは、兆候と警告という問題だと指摘している。兆候を見落として警告を怠れば、批判に晒される。だから、警告する側はなんでもかんでも警告を発するようになる。いわば、責任逃れ的な官僚体質だ。意志決定者が、またかよ!ってなるのも道理である。
ちなみに、批判の構図にも見て取れる。評論家がいつも批判ばかりしていると、老害と見なされる。姑チェックの類いだ。それで、有識者や道徳者たちが、いつも憤慨しているのかは知らん...

6. 自己防衛のために...
「ケンブリッジ・ファイブ」と呼ばれるソ連の放った五人組もなかなか巧妙だが、これは古典的な方法論である。有名大学に入学させて、エリートを扇動するといったやり方である。
ちなみに、この五人組はホモセクシャルだったとか。当時、イギリスでは同性愛は罪とされ、アラン・チューリングも告発された。タブーの共有がより強い絆をつくるらしい。
尚、イギリスでは、スパイは紳士の職業とされ、ケンブリッジやオックスフォードなどの一流大学卒に占められるそうな。工作員にとって正義に身を包んだエリートほど挑発しやすい、というのはありそうな話だ。政治家に限らず有識者や知識人たちもターゲットとなり、彼らに吹聴させれば効果は絶大である。
こうした秘密工作が日常茶飯事であることも確かであろう。主要都市の地方議会に二世議員や三世議員を送り込むといったやり方も露骨にある。ヒューミント(人的工作)では、影響力のある人物なら誰でも利用し、小説家やミュージシャンなどもターゲットとなる。無論、人間だけでなく携帯端末や商品などもターゲットになりうるし、AI 時代ともなると、シギントやイミントなどとの境界も曖昧になっていく。
だからといって、こうした秘密工作が効果があるとは限らないし、むしろ逆効果となる場合もある。人間ってやつは、思考を押し付けられ、それを強く感じると、本能的に反発するところがある。混沌とした現代社会では、政治家や策略家の思惑はしばしば外れる。国内の経済問題に向けられる国民の不満を対外政策によって緩和しようとするのも政治家の常套手段だが、そんなことは大衆の多くが気づいているだろう。
ところで、アジアの歌姫テレサ・テンにも、スパイ説が囁かれた。だが本書は、そうした議論は無意味だと指摘している。スパイ活動は、誰でも協力者として利用するのが常道。本人は協力者となっていることにも気づかない。そもそも人間の意志ってやつは、その正体を掴むのが難しい。本人でさえ。扇動者にとって、思考しない者が思考しているつもりで同意している状態ほど都合のよいものはない。おいら自身も、誰かに扇動されていない!とは言い切れないし、無意識に片棒を担いでいるかもしれない。それがどんな棒かも分からず。そして、インテリジェンスは、国家防衛にとどまらず、自己防衛においても重要となろう...

7. オシントと地道な活動
諜報機関が使用する情報の 90% は、公開情報(オシント)から得られるという。少々意外だが、情報活動の中心は一般情報の分析にあるようだ。CIA、SIS、KGB などの活動を眺めていると派手な秘密工作に目がいくが、それも分析部門の地道な活動に支えられている。新聞雑誌の論評や政治指導者の公式発言などを丹念に積み上げ、過去との比較から何らかの変化や兆候を見出し、政策決定者のニーズに照らして解釈をつける。このような地道な情報分析が重要だという。
また、分析は知的でアカデミックなものだけにとどまらない。スパイの浸透合戦、暗号解読、秘密工作など、諜報、防諜、秘密工作のオンパレード。インテリジェンスに関する知識や現実感覚がなければ、偽情報に踊らされ、誤った分析結果を招く。
水面下で継続されるスパイ活動の研究は、すでに表面化した歴史の研究に頼るのが効果的だという。ただし、教訓は十人十色。これを通じて、どんな教訓を得るかは自己に問うしかない。自己顕示欲が強いと客観的な目を失う。自己抑制と客観的な目... これが至難の業!
さらに、休眠スパイもいる。本国から指令がくるまで、潜入先で善良な市民として過ごす。潜入ルートだけ確保して、指令が来ないまま生涯を終えることだってある。こいうタイプのスパイを発見することは至難の業!
「スパイ事件が起こるたびに、判で押したように『とてもスパイに見えなかった』という声が聞かれる。これは、まったくばかげている。"スパイらしいスパイ" などどこにもいない。本物のスパイは、アベル大佐やクローガー夫妻のように、善良な市民として社会秩序を守り、ひっそり生活しているものである。」

8. スパイ天国と裏切りの心理
日本に渡って在日韓国人になりすまし、韓国に合法的に潜入するという手法を確立したとされる北朝鮮の女性スパイが紹介される。自分に似た格好の人物を探し、その人間になりすます。本人はとっくに韓国に帰国しているのに偽装して日本に長期滞在する、といった具合に。韓国でのスパイ同士の接触は危険が大きいため、日本での接触が活用されるらしい。スパイ天国か。
ただ、工作員が逮捕後にあっさりと寝返るケースは、意外と多い。国内で吹聴された敵国の情勢から現実が大幅に乖離していると、騙された感を強く持つだろう。そこで、経済的繁栄ぶりなどを工作員に見せると、組織の締め付けと粛清の恐怖に怯えている自己を見つめ直し、自由で魅力的な社会に憧れて西側に亡命する、といった具合に。
この手のパターンは人間の根源的な問題であり、たいてい隠そうとする側がボロを出す。
「つまり、我が方が魅力ある国家および組織を運営することが、究極的なイデオロギー浸透の防波堤になるのである。」