2021-04-25

CATV チューナ交換、BD-V302J から XA401 へ... 長いこと使ってりゃ、いいこともある!

この春、Jcom さんの流れがいい!雨でも降るんじゃない?もう二十年かぁ。長いこと使ってりゃ、いいこともあるってかぁ...


2021年3月...
ネットコースを 320M から 1G へアップしたばかり。今なら工事費無料!に釣られて。ブースタとその電源部の交換、保安器や経路のチェック、信号レベルの調整など、実に丁寧な工事で満足!場末の一軒家で終端特性が功を奏したか、瞬間スピードは 800Mbps を超える。都心だと、こうはいかんらしい...


続いて、4月...
CATV チューナの交換案内で営業マンがやって来た。当初、断るつもりでいた。どうせ、サービス追加のセールスだろうと思い。

ところが、現料金のままで、2台目のチューナ代が千円ほど下がるというではないか。もちろん工事費も無料!1G で月額500円アップしたところに(6ヶ月間は据え置き)、合計金額が下がるとくれば、断る理由がない。


サービス名は、Smart J:COM Box(スマートテレビサービス)から、J:COM LINK になるらしい。

モノは、Pioneer BD-V302J から 住友電工 XA401 へ。

但し、2台目は、BD-V302J のまま。こいつまで交換すると、料金が上がるらしい。


1. 録画方法は二つ
おっと!XA401 に録画用の出力端子がない。今までのアナログ端子はあんまりだったけど、デジタル端子ぐらいあっても。ネアンデルタール人は、カルチャーショックを受けるのだった。

そして、録画方法は二つ。USB HDD へ落とすか、DLNA 対応機器で LAN 録画するか。

我が家の BD レコーダは十年前の代物で、Sony BDZ-E500。一応 DLNA 対応機器だけど... おぉ~、十分使える!

尚、サイトで公開される対応機種表に、BDZ-E500 はない。こいつで OK! なら、たいていの機種はいけそうか...

実は、こいつの内蔵 HDD 500GB が枯渇気味。ちょうど買い替えを考えていたところに、チューナの交換という次第である。


録画予約では、録画機器を BD レコーダへ向けて番組表から選択すれば、電源のオン/オフにかかわらず、自動で開始される。リモコンの録画ボタンで視聴中の番組を録画しようとすると、BD レコーダが電源オフだと怒られる。電源オンなら問題ないが、リモコンとの連携はイマイチか。対象がほとんど映画で、録画ボタンを使ったことないけど...

録画中に操作できるのもありがたい。今の時代では当たり前かもしれんが。マニュアルには、こうある。

「トリプルチューナー搭載により、2番組同時録画中に放送番組を視聴することも可能です。」

但し、LAN 録画中の操作制限は、DLNA 対応機器次第。ちなみに、BDZ-E500 は、2番組同時録画はできない。BD/DVD 再生や外部入力の視聴はできるけど。

ちと気になるのは、LAN 録画や LAN ダビングは、DR モードしか対応していないこと。データ領域が喰われるのは頭が痛い。BD レコーダで録画モードを変更すればいいが、BDZ-E500 は内蔵 HDD 内で変更できない。外へのダビング時ならできるけど。いくらなんでも、今の機器ならできるだろう。おっと、もう買い替え気分に...


2. LAN 録画の接続イメージ
モデムをブリッジモードにしているので、工事屋さんを少々戸惑わせてしまったのは、申し訳ないっす!

回線速度を引き出すために、モデムをシンプルな状態にしたいので。ブリッジというキーワードが通じない工事屋さんも見かけるけど、すぐに納得してくれた。

要するに、ローカル IP アドレスをどこから拾うか、というだけのこと。ルータモードならモデムから直接拾えるし、ブリッジモードなら、それにぶらさがるルータから拾えばいい。

構成は、こんな感じ...


### ルータモードの場合
+- HUMAX HGJ310V3  # JCOM モデム Router mode: dhcp
  +- XA401
  +- BDZ-E500

### ブリッジモードの場合
+- HUMAX HGJ310V3  # JCOM モデム Bridge mode
  +- YAMAHA RTX810 # Router: dhcp
    +- XA401
    +- BDZ-E500

どちらの構成でも、LAN 録画は動作確認済!但し、LAN ダビングは試していない。

3. 4K 視聴は目に毒!
テレビをあまり観ないので気づかなかったけど、4K 番組が増えている。工事屋さんがテストで YouTube の 4K 動画を再生すると、すこぶる画質がええ。4K 対応テレビじゃないのに。対応していると、もっときれい?いかん、買い替え気分が...
尚、4K 番組の録画は、USB HDD だけで、LAN 録画や LAN ダビングには対応していない。うん~、外付の HDD は編集できるのだろうか?ひとコマでも余計なフレームは削りたい。XA401 のマニュアルに編集機能は見当たらない。SeeQVault 対応も期待薄。マニュアルには、用語すら見当たらない。
録画デバイスのメインは、XA401 の外付 HDD にするか、BD レコーダ側にするか、データの移植性も考慮して悩ましい...

4. リモコンの感触がイマイチか...
ボタンの反応がイマイチ!特に、時間をおいて押すと鈍い。マニュアルには、こうある。
「J:COM LINK のリモコンは Bluetooth 接続リモコンです。電池の消耗を防ぐため、無操作状態が一定時間続くと、スリープモードになります。いずれかのリモコンボタンを押すことで、スリープモードが解除されます。スリープモード解除には、数秒かかる場合があります。」

そういえば、BD-V302J には赤外線モードがあった。電池の減りが少ないよ!って、工事屋さんが裏技を教えてくれたっけ。XA401 にもひょっとしたら... おぉ~、ググったら見つかった。
但し、赤外線モードは指向性が悪く、距離も短いし、遮断物があれば反応しない。Bluetooth モードは、あさっての方向でも反応するし、部屋の外からでも反応することがある。それは、赤外線と電波の特性の違いである。
ただ、赤外線モードにしたからといって、あまり改善された感じがしない。少しは反応がよくなった気もするけど。
また、タイムアウト設定も気になる。地デジ、BS、4KBS は、1秒に設定され、CATV は、3秒に設定されていた。工事の作業マニュアルがそうなっているのだろう。3秒は長いが、1秒では3桁入力で、おいらの指がついていかない。間をとって、2秒ってところか。ん~、少しはましになった気もする。ちなみに、0秒に設定することもできる。選局入力方式が、3桁入力になっていたので、ワンタッチ選局にして、3桁入力ボタンを使うという手はどうか。
うん~、リモコンの感触を自分好みにするには、ちょいとコツがいる。そのうち慣れていくんだろうけど...

一つ気になり始めると、ほかの粗も見えてくる。ボタンの作りも貧弱で、長押しでもしようものなら、すぐにバカになりそう。ボタンの反応が鈍いと、つい強く押してしまうのが人間の行動心理。なるべくソフトに押すよう心掛けよう。
また、番組表の表示や録画リストの表示などで画面を切り替える時、視聴中の音声が途切れて空白の時間を感じる。
ボタンの作りも、画面の切り替わり方も、一昔前の家電品ではよく見かけたけど。操作性にはリズムが欲しい!

2021-04-18

"暗い時代の人々" Hannah Arendt 著

小惑星の名にもなったハンナ・アーレントは、ドイツ生まれのユダヤ系女性。彼女が「暗い時代」と呼ぶのは、全体主義が世界を覆った20世紀前半である。資本主義が自由市場において醜態を晒せば、人々は全体主義へ傾倒していく。政界は党派ではなく徒党を組み、文壇は流派ではなく流行を追い、市場は生産ではなく仲介に走り、あらゆる場所で政治的な騒乱の力学が作用する。あくびの出そうなつまらぬことで大騒ぎをやらかす日々。大衆社会ってやつは、こうした全体主義的な風潮から生じたという。

ハンナは嘆く。公的な領域に光が失われ、もはや私的な領域までも失ってしまったと。相対的な認識能力しか持ち合わせない知的生命体が、公共性を欠くと自己を見失い、孤立すれば、理性も見えなくなる。集団の中に多様な価値観が共存するということは、自己を見つめるためにも有意義なことなのだろう...

「人間は人間であることで十分だ!」


ここで紹介してくれるのは、知る人ぞ知るややマイナーな人々。彼らは多様性に富み、世代も違えば、職業や信念も違い、一つの例外を除いて互いに知り合うこともなかった。見い出せる共通点といえば、同じ時代を生き、ヒトラーやスターリンから逃れ、一時的にマルクス主義に身を寄せながらも、やがて自分自身を取り戻していく、といったところ。政治の騒乱と道徳の退廃に満ちていながら、科学と芸術では驚異的な発展を遂げた時代を分かち合うかのように。類は友を呼ぶ... というが、直接触れ合うことがなくても、互いに共感し、影響し合うことはできる。評伝という媒体を通して...

「過去が伝統として伝えられるかぎり、それは権威を持つ。権威が歴史的に現われる限り、それは伝統となる。」


尚、本書には、ゴットホルト・エフライム・レッシング、ローザ・ルクセンブルク、アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリ(ローマ教皇ヨハネス23世)、カール・ヤスパース、アイザック・ディネセン(カレン・ブリクセン)、ヘルマン・ブロッホ、ヴァルター・ベンヤミン、ベルトルト・ブレヒト、ワルデマール・グリアン、ランダル・ジャレルの十名の評伝が収録され、安部斉訳版(河出書房新社)を手に取る。


冒頭を飾る論文「暗い時代の人間性」では、レッシング考が語られる。それは、1959年、ハンブルクで行われたレッシング賞の受賞演説で用いられたものだそうな。ハンブルクといえば、ハンザ同盟でも知られる自由の象徴のような街。この場で、賞や公的名誉の意義、自由という言葉の重みと自立的思考が知識の酵母となること、真理への思いと対話の可能性といったものが熱く語られる。十人の中でレッシングだけが18世紀の人。ハンナはこの人物を師と仰ぎ、彼の言葉を借りて言論の抑圧と偏見へ挑戦状を叩きつける...


"Jeder sage, was ihm Wahrheit dünkt, und die Wahrheit selbst sei Gott empföhlen!"
... Gotthold Ephraim Lessing
「各人は自分が真理と思うことを語ろう、そして真理それ自体は神にゆだねよう!」


ところで、この手の書に触れると、いつも思うことがある。それは、「ユダヤ人」という言葉の定義が一筋縄ではいかないってことだ。ユダヤ教を信仰する人々というのでは説明が弱く、その子孫までも対象となる広範な意味を含んでいる。人種の枠組みを超えたような。ハンナの場合、伝統的な宗教儀式から解き放たれた新たな時代の人間ということになろうか。

とはいえ、キリスト教徒にしても、カトリックやこれに反発するプロテスタントの枠組みを超え、宇宙論的な解釈で独自に信仰する人も少なくない。仏教徒にしても、信仰形式の多様化が進み、無神論者にしても既存の宗教に属さないだけで、なんらかの信仰や信念を持っており、いまや、人種や宗教で区別する意味すら薄れている。

本書に登場する人々は、本人がユダヤ人であったり、妻がユダヤ人であったり、あるいはその子孫であったり、はたまた異教徒の立場から憐憫の情をかけたりと、なんらかの形でユダヤ人との関わりを持っているが、それも偶然ではあるまい。特に、この暗い時代では苦難を強いられたグループに属していただけに。

これを偏りと見るかどうかは別にしても、歴史的にはやや控え目な存在に着目するハンナのセンスは、見事に歴史を掘り起こしてくれる。こういう人々こそが、真の意味で歴史を作ってきたのであろう。そして、歴史を作ってきた人物も、詩をこしらえてきた人物も、音楽を奏でてきた人物も、ただ引用されるために、そこにいてくれる...

「物語の語り手が物語に... 忠実であるとき、そこでは、終には沈黙が語るであろう。物語が裏切られるところでは、沈黙は空虚でしかない。しかし、私たち忠実なるものは、最後の言葉を語り終えたとき、沈黙の声を聞くであろう。」

2021-04-11

"過去と未来の間 - 政治思想への 8 試論" Hannah Arendt 著

おいらは、政治ってやつが嫌いだ!大っ嫌いだ!真理の探求者が、なにゆえこんなものを...
西洋の歴史には、ソクラテスの時代から受け継がれてきた「政治哲学」というものがある。プラトンは哲学者が統治する国家を理想像として描き、アリストテレスは倫理上の観点から政治学という学問分野を創設した。東洋史にも、諸子百家の面々が名を連ね、孔子や孟子といった偉大な哲学者たちが政治を論じてきた経緯がある。
しかしながら、如何ともしがたい理論と現実のギャップ。統治する側がどんなに賢人であろうと、統治される側の圧倒的多数は愚人。やがて、マキャヴェッリやホッブズが唱えた近代的な政治理論に取って代わり、いまや、ロックやモンテスキューが唱えた権力分立論で落ち着いている。
いつの時代も、政治は倫理や道徳の限界をつきつける。毒を以て毒を制すの原理に縋るしかないってことを。その証拠に、21世紀の現代でも、何か揉めるごとに第三者会議を設置しては、民衆の非難を避けようと躍起だ。とかく善意の第三者ってやつが、一番の曲者だったりするのだが...
人間というちっぽけな存在は、無限の過去と無限の未来の間に薄っすらと立ち現れるのみ。過去と未来が交差する場でしか、真理と現実が干渉する場でしか、その存在意義を見いだせないでいる...


とはいえ、人間の本性を観察するのに、これほどうってつけの場もあるまい。政治のキーワードとなる自由と正義、権威と理性、責任と義務といったものが、いかに利用され、いかに有効な動機となりうるか。言葉の本当の意味なんてどうでもいい。言葉で威厳をまとうことができれば、それで十分。それゆえ、政治屋ってやつは、集団が形成されるあらゆるところに出没するのであって、その性質は政治家の専売特許ではない。こいつを観察するには、集団から距離を置く必要があろりそうだ。
ここでは、ハンナ・アーレントが八つの遠近法を提示してくれる。「伝統と近代」、「歴史と概念」、「権威とは何か」、「自由とは何か」、「教育の危機」、「文化の危機」、「真理と政治」、「宇宙空間の征服と人間の身の丈」という試論をもって...

彼女は、古代ギリシアから受け継がれる形而上学の枠組みから人間の存在と人間の条件を問い、アリストテレスが定義した「人間はポリス的動物である」という切り口からコミュニケーションのあり方、教育のあり方を現実世界に照らしながら、政治と哲学の狭間でもがき続ける。「政治哲学」とは、なんと矛盾に満ちた用語であろう... と。
尚、引田隆也、齋藤純一訳版(みすず書房)を手に取る。

「プラトンが理解していたような政治哲学のこうした失敗は、西洋の哲学や形而上学の歴史の端緒から存在する。また、ヘーゲルや歴史哲学が哲学に課した務め、すなわち近代世界を今日あるものに作り上げた出来事や歴史的現実を概念的に理解し把握する役目を、やはり哲学が果たせないのが明らかになったときにも、実存主義は生じなかった。だが、古来の形而上学の問いが無意味であること、つまり近代人の精神や思考の伝統をもってしては、直面しているアポリアに解答を与えるのはもとより、適切で有意味な問いを掲げることすらできぬ世界に住んでいるのに近代人が気づいたとき、事態は絶望的となった。」


本書には、真理と政治の矛盾はもちろん、権威主義に対する険悪な態度も目につく。ハンナは、ナチズムが旺盛な時代を生きたユダヤ人女性。大衆社会が暴力と結びつく光景を目の当たりにし、権威の根源というものを考えずにはいられなかったのだろう。権威がもたらす秩序は、ある種のヒエラルキーをなす。ピラミッドのメッセージは、権威の象徴であったのかは知らんが...
権威は服従を要求し、暴力もまた服従を要求する。しかし、権威は威圧と相反し、暴力は威圧と相性がいい。権威ってやつは威厳をまとうものであって、強制力が発揮されると、たちまち喪失してしまう。権威は権威主義とも、似ても似つかない。伝統的な慣習や宗教が権威主義に昇華した形態もあるが、権威主義という用語にはたいてい悪い意味が込められる。特に、自由主義社会では...
しかしながら、自由主義ってやつは、その名にもかかわらず、自由の概念を政治の領域から締め出すことに一役買ってきた。政治の存在理由を問えば、多くの人は答えるであろう。民衆の自由のため!と。
だが政治では、なによりも生命の維持とその利害の保全が優先される。生命が危機にさらされる局面では、すべての行為は必然性の支配下におかれ、自由の制限こそが政治の意味となる。最大限に自由を尊重するなら、政治は安全保障に制限されるべきで、小さな政府が望ましいが、経済が不安定な局面では、社会福祉の充実を求め、民衆は大きな政府を望む。いつの時代も、民衆は強力な指導力を持った政治家の出現を望んできた。だがそれは、自由とは矛盾する。
では、真理は自由の方にあるのか、制限の方にあるのか。歴史を振り返れば、どんなに残虐な独裁者であっても、民衆の自由意志を完全に無視することはできなかった。自由に制限があるように、圧政にも制限があるのだろう。
自由主義と保守主義は、世論が激しく対立する中で生まれた。両者は、理論的にも、イデオロギー的にも、対立する相手がいなくなれば、互いに存在意義までも失ってしまう。サディズムとマゾヒズムも、そんな関係なのであろう...

「真理を語ることを職業とする者に驚くほど顕著な暴政的傾向は、性格的な欠陥というよりも、むしろ常日頃から一種の強迫の下で生活しているための緊張から惹き起こされるのであろう。」


人は、真理に魅了されるのではなく、真理めいたものに魅惑される。真理ってやつは、愚人には見えぬものなのか。人は嘘をつく。自らの行為を正当化するために。嘘を語る者が行為の人なら、真理を語る者は行為の人でないというのか。神は愚人には冷たい。真理ってやつをなかなか見せてくれやしない。芸術家も愚人には冷たい。何かが見えるまで高みに登ってこいとそそのかしておきながら、平気で挫折感を喰らわす。いまやプレゼン能力が問われ、やってます感を演出することが支持率につながる政治の世界。真理が無力だとすれば、真理はいったいどんなリアリティを持つというのか...

「政治哲学は、政治に対する哲学者の態度を示す。すなわち政治哲学の伝統は、哲学者がいったんは政治に背を向けながらも、自らの尺度を人間の事柄に押しつけようと政治に立ち戻ったとき始まった。その終焉は、哲学者が政治のうちに哲学を実現しようと哲学に背を向けたとき到来した。これこそマルクスの企てであった...」

2021-04-01

賢者たちの結婚談義...

今日、四月一日...
小雨降りしきる中、しとしとぴっちゃん気分でお決まりの古本屋を逍遙していると、本棚の奥で、なにやら「談義の幕」が開いた様子。
それは、ソクラテスの言葉に発した。
「とにかく結婚しなさい。良妻を得れば幸せになれるし、悪妻を得れば哲学者になれる。」と...
そして、クサンティッペは思いっきり偉大な悪妻を演じきり、夫を思いっきり偉大な哲学者に仕立て上げたとさ。よっ、良妻賢母!


「歳をとったら女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する。これは愛情じゃありません。生きる知恵です。」
... 永六輔


まず、キェルケゴールが口火を切った。
「結婚だって!?君は結婚しなかったことを悔やむだろう。そして結婚すればやはり悔やむだろう。」と...
ヘンリー・ルイス・メンケンは断じた。
「真の幸せ者は結婚した女と独身の男だけよ!」と...
フランシス・ロッドマンは独り酒瓶に向かってぼやいている。
「結婚とは、花屋に払っていた勘定が、乾物屋に回っていく過程のことよ。」と...
釣られて、シリル・コノリーが愚痴る。
「孤独に対する恐怖は、結婚による束縛に対する恐怖よりもはるかに大きいので、俺達はつい結婚しちまうんだ。」と...
ラ・ロシュフコーは自ら慰めている。
「よい結婚はあるが、楽しい結婚はない。」と...
モンテーニュは閉塞感を漂わせている。
「結婚は鳥カゴに似ている。外にいる鳥は必死に入ろうとし、中にいる鳥は必死に逃げ出そうとする。」と...
エルバート・ハバードは教育論まで持ち出す。
「女を教育してやろうと思って結婚する男も、また、男をよくしてやろうと思って結婚する女も、共に同じ間違いの犠牲者になる。」と...
ベンジャミン・フランクリンは、彼らに助言を与えている。
「結婚前は両眼をぱっちり開けてよくみるがよい。しかし、結婚後は片眼を閉じたほうがよい。」と...
ソーントン・ワイルダーも応酬に加わる。
「結婚生活の最良の部分は喧嘩である。あとはただ可もなく不可もない。」と...
そしてついに、バルザックは悟ったのだった。
「あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。」と...


結婚に関する名言は枚挙にいとまがない。これほど所有の概念と強く結びつくものがあろうか。所有とは、支配欲の源泉。結婚(けっこん)と血痕(けっこん)が同じ音律なのは、偶然ではなさそうだ。運命の糸が血の色というのも...
談義の締めくくりに、サマセット・モームが所見を述べた。
「結婚はすばらしいことだが、結婚という習慣をつけたことはミステイクだと思う。」と...
そしてついに、寡黙なニーチェが重い口を開いた。
「偉大な哲学者たちの誰が結婚したというのか!?ヘラクレイトス、プラトン、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、カント、ショーペンハウアー... 彼らは結婚しなかったではないか。のみならず、彼らが結婚する姿を想像することすらできない。結婚した哲学者は喜劇ものよ。これは私の教条だ。そして、ソクラテスのあの例外はどうかと言えば... 意地の悪いソクラテスのことだ。わざわざこの教条を証明するために、反語的に結婚したらしい。」と...


おやおや!なぜか?この場にアリストテレスの姿が見当たらない。友より真理を愛した彼なら、なんと答えるだろう。Philosophia... 哲学の語源は、「知を愛する」ということ。哲学者ときたら、これほど貪欲な人種が他にあろうか。金や名声なんぞでは満たされない。愛情や憐憫なんぞでも満たされない。もっと高次な、もっと高尚な、もっと崇高なものを貪り... そして、真理という幻想に憑かれ、疲れ果て、死んでいったとさ。


そして、劇作家ビバリーニコルズのピロートークで「談義の幕」は閉じた。
「結婚... 第一章は詩で書かれ、残りの章は散文で書かれた一冊の本。」


今日、四月一日。酔いどれ天の邪鬼は、賢者たちに屁理屈屋の末路を見たのだった...