2007-10-28

"世界史の流れ" Leopold von Ranke 著

ある歴史小説を読んでいるとランケに触れられていた。なんとなく昔の記憶が蘇る。ランケの「世界史」が未完に終わったという話を知ったのは学生時代である。当時、ランケの全集に挑戦しようと大学の図書館をあさったものだが、思うように見つけられなかった。その頃を思い出してアマゾンを放浪する。岩波文庫の「世界史概観」あたりが中古で出ている。んー!いまいち酔えない。実は他にも探している歴史古典がある。アル中ハイマーが読みたい本はロングテールの法則にも従わないようだ。とりあえず本書でも読んでみよう。

時代は、フランス革命、ナポレオンを経て、君主制から共和制、そして人民主権へと流れる。1854年バイエルンの国王マクシミリアン2世は、ランケに世界史の連続講義を依頼する。国王にとっては、ヨーロッパで革命の気運が高まる中、君主制の危機に迫られてのことだろう。本書はその19回におよぶ講義録で、古代ローマからその時代までのヨーロッパ史を展望する歴史叙述である。キリスト教やイスラム教が生まれてヨーロッパで宗派が確立した時代でもある。本書を概観すると、ヨーロッパの歴史は宗教に基づいた歴史でもあることがうかがえる。著者は、ヨーロッパ諸国はキリスト教諸民族を一体化した一つの国家として考えられるべきであると主張している。なんとなくEU統合を予感させるような発言である。

著者は、世界史を講義するにあたって、どこまでさかのぼるべきか?という考えを大切に扱っている。要するに歴史から何を学び、現在をどう生きるかをテーマとしなければ意味がない。まず、時代の価値を考察する上での哲学から述べられる。歴史の講義はこうでなくてはいけない。そして、当時、影響が強かった古代ローマ帝国までさかのぼることへの意義が語られる。古代史はローマへ流れ込み、近代史はローマから流れ出ると評している。全ての道はローマへ通ずるというわけか。
学校教育にも歴史科目があるが、決まって石器時代やら猿人までさかのぼる。歴史から何を学ばせるかという課題は、教える側の腕の見せどころでもあろう。にも関わらず、受験に追われ必ず現代はおろそかにされる。全てを概観すれば中身が薄れるのは当然である。歴史は次から次に生まれてくる。現代人はますます苦悩が増える。ついには歴史をつまらないものにする。

講義は、精神の進歩における哲学から始まる。精神の進歩は個人では限界がある。人の寿命は短い。より高い精神を求めるならば、人類として受け継がなけらばならない。ただ、悲観的な話もある。著者は、人間の精神は常に進歩するわけではなく、精神の向上は歴史では説明がつかないと主張する。繁栄を極めた後に野蛮に立ち戻った例も多い。歴史は個々の時代で、その固有の価値を認めるべきだと語られる。
哲学では、プラトンやアリストテレスを凌駕した例を知らない。政治学では、基本原理は古代人によって示されている。歴史も同じで、トゥキュディデスより偉大な歴史家はいないと述べている。しかし、古代人よりも豊かな経験から、いろいろな試みができるのは確かである。歴史からは「進歩」という概念は否定されるべきであるという主張には、説得力がある。
では、歴史の復習を兼ねて泡立ちのよさそうなところを章立てて見よう。なぜかって?そこに泡立ちのいいビールがあるから!

1. ローマ帝国の評価
ローマ帝国はアレクサンドロス大王やその後継者たちによって建設されたギリシャ的、マケドニア的、東方的帝国である。その中でも東方主義の最も重要な諸要素をとり入れた帝国であると評している。東方とは、宗教上の対立が見られるユダヤ人とエジプト人、あるいはアッシリアやバビロニアと接している諸国である。東方では宗教上は対立していたが、政治的には一致してギリシャを敵と見なしていた。ペルシャは巨大な王国として君臨し、その支配を免れたのは遠方のカルタゴ人ぐらいなものである。ローマ人はユダヤ人と対立したが、ユダヤ人の中から世界宗教の理念が出現する。ユダヤ人は神を唯一性という理念を保持したが、それよりもむしろ一つの国民的な神とみなしたキリスト教が現れた。キリスト教はローマ帝国を席巻する。キリスト教を世界的言語で広め、世界宗教の地位に押し上げたローマの功績は大きい。しかし、本書は、世界的にローマの政治、法律などが広まったのは、二つの民族の侵入によるところが大きく、むしろ征服された後に開花していると述べている。民族の侵入とはゲルマン民族の移動と、アラビア人の侵入である。

2. 民族進入によるローマ文化の広がり
ゲルマン人については、世襲的忠誠の原理を評価している。主従関係こそローマに見られない強固な団結力であるからである。ゲルマン民族の移動は、最初のはずみはゴート族から生じる。黒海沿岸でフン族と紛争を起こす。フン族は東ゴート王を倒し、西ゴートを圧迫する。西ゴートはローマ帝国に避難所を求め、ローマはこれを拒まなかった。西ゴートは、ローマ属州が提供した食糧と引き換えに小児や家畜を取り上げられて紛争を起こす。そして、ローマ皇帝ヴァレンスは殺され、ゴート族が勝利する。この大混乱の間に、ゲルマン諸族はそれぞれなんらかの運動を開始する。ゲルマン民族の侵入によりローマ帝国は破壊されたが、属州民はなんらかの形で平和裡に征服者と結びつき新しい諸国民が生まれた。ゲルマン民族の侵入は、東方から完全に分離し近世ヨーロッパの原形を成す。
アラビア人の侵入については、イスラム教徒の影響を物語る。6世紀に、ユダヤ教やキリスト教、その他の宗教にも親しもうとしない一派が生まれた。マホメット率いるイスラム教である。彼らは、東ローマとペルシャの両方と戦いを続ける。東方では、イスラム教に屈従するのが原則で、イスラム信仰を公言しない者は国政にも軍事にも参与できない。西方では教会と国家が国民化されるが、東方では国家も教会も人民の低層にまで及ばない。東方の発展に対して西方が優勢になったのは、この点が大きいと考察している。東方も栄華をみせたが西方の発展は実質的である。キリスト教の活動は比較的低階層の人々においている。これが近世ヨーロッパと、トルコを含む中東の二つの基本社会の枠組みである。

3. 皇帝と教皇の争い
カノッサの屈辱は、神聖ローマ皇帝、と言っても強固なドイツから選ばれているので、ドイツ皇帝とローマ教皇の意地の張り合いである。結局皇帝側が頭を下げるのだが、イギリスにおいても、教会と皇帝の間で似たような覇権争いが起こり、教会側が勝利している。ヨーロッパ各国で教会側の覇権が強い時代となる。11世紀になると西欧キリスト教の指導者は皇帝ではなく教皇であった。かつてイスラム教が侵略勢力として登場し、ローマ帝国の領土を席巻したことを思い浮かべて、侵略された地域を奪還しようという考えが生じる。これが十字軍である。十字軍の意義は、西欧の諸帝国の東方に対する偉大な共同事業であると考察している。エルサレムを征服し一連のキリスト教公国が建設されると、教皇の権力を著しく増大させた。しかし、二次、三次と十字軍は全アジアに一致して抵抗されたため、パレスティナは再び失われる。十字軍の失敗は、むしろ教皇たちにとって好ましい結果だったのかもしれない。というのも、引き続きヨーロッパを動かす理由を持ちつづけることができるからである。15世紀から17世紀にかけて、大航海時代に入るが、いずれも宗教的に制覇しようとしたもので、いずれイスラム教の地を挟み撃ちにでもしようと企んだものである。ゲルマン風西方宗教と、アラビア風東方宗教の争いの歴史である。その中で皇帝と教皇の覇権争いは、西方キリスト教の内部紛争である。ヨーロッパの歴史は、政治や宗教の歴史であり、歴史的にみても政教分離とは程遠いもの思える。

4. ルターの本質
現代においても、カトリック派とプロテスタント派は、国連決議などで意見が対立するのをよく見かける。プロテスタントの源流を作ったのはルターであるが、その本質を語ってくれる。カトリックの教権の基礎をなす教説、すなわち教皇の決定や宗教会議の決議には直接神の考えが現れるという教説に反対していただけで、教権は聖書に基づくべきであると主張したにすぎない。ルターは聖書を重んじただけであり、なにも伝統に反対したわけではない。もちろん新しい宗教を興そうとしたわけでもない。教皇組織の横暴な振る舞いに対して聖書に立ち返り、改革しようとしたものである。また、聖書を現実化しようとしたのでもなく、聖書に反するものを除こうとしただけである。最初から一つの教会を樹立しようとしたものではないと語られる。
カトリック教会は横暴さは科学にも向けられる。科学者も一つの異端教徒とでも考えたのだろう。天動説を否定したガリレオは処刑された。

5. 列強の登場
17、18世紀になると宗教の争いから哲学や自然科学へと進展する。精神は神学から離れる傾向をとる。自由で制約を受けない立場で物事の本質を研究する時代がくる。スペイン無敵艦隊は、カトリックの発展と振興を主目的としていた。その意図が失敗に終わって次第に崩壊する。その頃オランダが通商貿易によって台頭する。通商や産業はスペイン人にとって性に合わない。この頃スペインを屈服させたフランスが列強となる。フランスは、かつてヨーロッパにない君主制を発展させる。ルイ13世が君主制の確立者である。ルイ14世は、全ヨーロッパにわたって侵略をほしいままにした。彼はフランスの堅固な国境を作ろうとし、優れた実務家でもあり、その功績は大きい。自制というのは何人も抵抗することのできないような絶対的独裁権力にとっては危険な存在である。ルイ14世はこの自制を問題にもせず自らの利害の欲するままに行動した。著者は、以下のように評している。
「もしルイ14世にして、度を過ごすことがなかったならば、あらゆる時代の最大の偉人の一人として仰がれたであろう。」
この頃は、5つの列強が肩を並べた時代でもある。カトリック的君主制の原理に立つフランス。ゲルマン的、海上的な、また議会制の原理に立つイギリス。スラブ、ビザンツ的原理に立ち、物質的な面で西欧文化を摂取しようとしたロシア。カトリック的、君主的、ドイツ的原理に立つオーストリア。ドイツ的、プロテスタント的、軍事的、官僚的原理に立つプロイセン。

6. 改革の時代から立憲政治へ
君主制から共和制に移り変わるころ、権力は下から生じるべきものという意識が高まる。世襲的権利から大衆から生まれる権利への転換期であり、アメリカ独立戦争やフランス革命として育てられる。フランス革命時に、反対派はことごとく処刑される。意見の合わないものも処刑する。まさしく恐怖政治である。人民主権は一見耳に優しい響きであるが、実体は少数派を弾劾するなど、人間の本質である残虐な集団心理が働いた結果である。そして、一度大幅に振れた振り子は元に戻ろうとする。ナポレオンの登場で君主制の復活を見る。彼は王政復古など考えもせず自ら皇帝となる。ナポレオンの失脚後、ヨーロッパで君主制と民主制の対立しない国はなくなった。君主制と民主制、上からの世襲的傾向と下からの自治的傾向、これら二つの原理を結びつける努力が始まる。こうして生まれたのが立憲政治である。この頃、ブルボン家が立てた旧憲法では秩序を維持することはできなかった。

ランケは、人民主権のみを主流的傾向として捉えるべきではないと主張する。君主制と人民主権の二つの原理の緊張感にこそ、これからの政治の傾向があると見なしている。君主は人民権を育て、人民の主張が君主の意識を高める。そこには、政治と宗教の関わりもある。民主主義の発達のみが、人間の精神を高めるものではない。時代が後になれば道徳的に程度の高い人間が増えるということは必ずしも認められない。現世代が前世紀よりも知性の高い人の数が多いとは思わないと語る。
最後にランケの言葉をメモっておこう。
「人は、歴史に過去を裁き、未来の益になるよう同時代人を教え導くという任務を負わせた。しかし、本書の試みはそのような高尚な任務を引き受けるものではなく、ただ、事実は本来どうであったかを示そうとしたに過ぎない。」
感情論に支配された歴史には、どんな重大事項であれ色あせてしまう。水のような原酒にこそ味わい深いものがある。ただ、アル中ハイマーはこれに「熟成」という概念を加えたい。

2007-10-21

"ゲルマーニア" タキトゥス 著

歴史の叙述というのは、アル中ハイマーが昔から好む分野である。岩波文庫の古代叙述はなるべく読みたいと思っているが、絶版などで入手の難しいものもある。中古品ではべら棒な値がついているものもある。酒と同じで熟成されると価値は上がるようだ。本書は、ゲルマン民族の大移動が現在のヨーロッパの原形を成したという意味で、昔から注目していた。ただ、古文風で読みづらい印象があるのでいまいち踏み込めないでいる。それも読書の秋にまかせて読んでみることにする。ところが、印象とは随分違って簡潔な表現で読みやすい。むしろ、本文よりも注釈の方がやや複雑で読み辛い。覚悟して挑んだが拍子抜けである。

タキトゥスは古代ローマの歴史家である。
本書には、ローマ側から観察した北方地方ゲルマーニアの報告書風の感がある。ゲルマン民族の野蛮性を暴くと同時に強力な敵として一目置いており、いずれローマの災いとなることを予感しているかのようである。素朴なゲルマーニアと対比して腐敗したローマを嘆いているようでもある。ローマの軍隊は厳しい軍律に基づくが、ゲルマーニアの軍隊は人格的世襲的な忠誠の原理を基盤としている。主従関係こそローマには見られない強固な団結力であると評している。帝政ローマが、繰り返しライン川を東へ渡り、ゲルマーニア侵攻を試みたのも、この地の平定が必要に迫られたいた様がうかがえる。
そして歴史は、ローマ帝国を滅ぼすことになるゲルマン民族の大移動を見ることになる。

ゲルマーニアというと単にドイツ系種族をイメージしてしまう。しかし、本書ではその限りではない。ここで叙述しているゲルマーニアの領域は厳密に規定されていない。その定義は、ゲルマン語を使用し、ゲルマン風の習俗を持ち、しかも自立的でローマの主権に従っていない民族である。その住地は、今のフランス地域に住んでいたケルト族から小アジアまでも含まれ、その解釈は幅広い。もともと移動性に富む彼らの住地を規定することはできないようだ。あまりに多い諸族の存在に地図を眺めるだけでもアル中ハイマーはベロンベロンに酔ってしまう。

1. 容姿
アル中ハイマーには、ゲルマン民族は勤勉で誇り高く容姿も整っているという印象がある。本書は、異民族との通婚による汚染を蒙らず、身体の外形が同じ純粋な種族と述べている。鋭い空色の眼、ブロンドの頭髪、堂々とした体格で、労働には忍耐がなく、渇きと暑熱には少しも堪えることができないという。勤勉なイメージとは異なるようだ。ただ、寒気と飢餓には、その気候と風土のためによく訓化されているという。ローマ人からみて容姿に憧れている様もうかがえる。

2. 経済
金銀に対してそれほど執着をもっていない。牛の数が唯一にして最も貴重とする財産であると分析している。それでも、ローマ帝国の近くに住んでいる人々は金銀の価値をわきまえているなど交易もあったことがうかがえる。

3. 統帥
王を立てるには門地をもってし、将領を選ぶには勇気をもってすると述べられる。王には無限の権力はなく、将領も権威よりは自ら模範となる人物でこそ人を率いることができるという。規律のある集団であることがうかがえる。そして高度な政治理念を有すると評している。勇気を重んじ、戦死を恐れるのは恥辱であり、戦列を退いて生を全うすることを恥辱と考える。よって、永い平和で英気を喪失している場合、進んで戦争を行うために部族を求めて出かける。アングロサクソン系もゲルマン人がグレートブリテン島に渡ったのが源流のようだ。このあたりはローマにとっての脅威を物語っている。強壮にして好戦的であるが、平和時には、生活を女性や老人に任せ自ら怠惰を求め無為に過ごすという。この性質を不思議な矛盾であるとも評している。

4. 住居
都市を作らない。住居が互いに密接することを好まない。泉、野、林がその心に適うままに、散り散りに分かれて住居を営むとある。ドイツの地名で泉 -born、川 -bach、野 -feld、林、森 -waldを末尾に持つものが多く残っているのは、この特徴からもうかがえると注釈されている。建造技術が発達していない点も指摘している。家屋のまわりに空地をめぐらすのは、敵襲による兵火の災害を小さくするためでもある。常に他部族の襲来を前提としており、密集型のローマとは反対の光景が語られる。

5. 女性の地位
女性の地位は意外と高い。また、貞操感は強く夫を一人と決めて未亡人でさえ再婚は珍しいという。人口の巨大さにも関わらず姦通は極めて少ない。その処罰もたちどころに執行され夫に一任される。一旦貞操を破ると、鞭を打って村中追いまわそうが、髪を切って裸にしようが、無惨な行為がなされる。
奴隷への扱いも、鞭打ったり、鎖でつながれるなどはごく稀であると語る。奴隷については、様々な能力から評価をランクされるなど合理的な様子もうかがえる。

アル中ハイマーが、こうした歴史叙述を好むのは、現在の情景に照らし合わせながら読めるところである。これは、人間の道徳観や価値観が古代から進歩していないからであると考えていた時期もあった。しかし、古代の残虐さや傲慢さがそのまま現在の価値観と比較できるはずもない。いくら女性の地位が高いとか自由な精神とか語られたとしても奴隷制の時代である。
しかし、文章だけ読むと現在においても違和感がないのはなぜだろう?
そもそも人間扱いされていない種族や奴隷は残虐に扱われるのが当たり前で記述すらされないだろう。人間は相手をどの位置付けにするかで態度も豹変する。相手を人間ではないと認めれば残虐な態度も平気でとることは歴史が示している。民族間紛争や宗教紛争も、自分の種族、自分の宗派が優れているという認識が根底にある。自分よりも見下したいとか、自分を持ち上げたいという意識は人間の本質なのだろうか?向上心や努力というものは、人を見下すための行為なのか?自分を人の風上に置きたいと思う意識とはなんだろう?
身分の上下関係にしても、時代によって相対的には大して変わっていないかもしれない。おいらが言う身分の上下関係とは、税を徴収する側とされる側である。そうとでも考えないと、現在においても、不平等な予算、不適切な資金流用、不透明な会計システムがまかり通ることへの説明がつかない。
人間の過剰なエリート意識とは、見下せる人間の存在を意識することなのだろうか?どんな立派な理念が語られた時代であっても、記述すらされない非道徳なタブーな世界が存在する。30世紀あたりには、人間の価値観は20世紀前後まで進歩しない時代であり、社会堕落と道徳観もない野蛮な時代として語られているかもしれない。
おっと!小さな哲学という酒には、自問自答上戸というわけのわからん酒癖を宿らせる呪術力がある。

2007-10-14

"文章読本" 三島由紀夫 著

アル中ハイマーには文学センスが全くない。それも幼少の頃から諦めている。特に日本文学は、句読点すらつけない!妙なカタカタ表現!と難しいテクニックを披露してくれる。意地悪されているような気分にすらなる。海外ものばかり読むと翻訳語に毒されていく。もはや、なにが日本語かもわからない。アル中ハイマーとはそうした病である。それでも、読書の秋だ!たまには日本文学を嗜むぐらいのことをしてもいい。と思っていると、ある系譜を思い出す。

日本文学に「文章読本」という書物の系譜があることを知ったのは何年前だろう?偶然にも、中条省平氏の「文章読本」を読んで思い出した。
「文章読本」とは、著名な作家が自ら名文と評した文章を集めて解説をほどこしたものである。戦前の谷崎潤一郎に始まり、菊池寛、川端康成、伊藤整、三島由紀夫、中村真一郎、丸谷才一、井上ひさし、向井敏と名を連ねる。中条氏は、近代日本に口語体を提供できたのは、明治維新以後の小説家の貢献であると述べている。現代の口語文が、日本古来の文章体と輸入された西欧語の文脈とが互いに融合した結果であることは容易に想像がつく。日本語の伝統が蝕まれる時代に、文章とはいかにあるべきかという問題意識を持ちつづけた作家たちの苦悩がうかがえそうである。とは言っても、さすがにこの系譜を全部追っていく元気はない。気が向いた時にでも一つ一つ読んでいければそれでいい。谷崎潤一郎氏に始まるものは「いかに書くか」を説いているらしい。そこにはプロの真髄が凝縮していると想像している。対して、三島由紀夫氏は「いかに読むか」という視点に立っているらしい。素人に、なまじな文学の書き方など伝授するにはおよばないと考えたのだろう。アル中ハイマーが小説を書くことなどありえない。読者の立場から三島氏を読んでみることにしよう。

本書は、日本語文章史の概観を巡ってくれる。
日本文学の特質は女性的文学と言っていいようだ。平仮名で綴られた平安朝の文学は、ほとんどが女流であることからもうかがえる。平安朝時代には、漢字が男文字で、平仮名が女文字と言われていたようだ。
通念では、女性は感情と情念が豊かで、男性は論理と理知を重んじる傾向があると言われる。日本の歴史からして、論理と理知は外来思想に頼ることが多く、純粋な伝統文学という観点からは女性の文化であるという。日本人が論理的思考に弱いと言われるのは、こうした背景があるからかもしれない。政治や外交戦術で意義主張を叫ぶわりには決定的な論理の裏付けがない。数字を出せば証明できると勘違いしている人もいる。数字の信憑性は論理で武装しなければ説明できない。感情論に持ち込みやすい分、世論扇動しやすい国民性なのかもしれない。逆に、季節の移り変わりを情緒的に楽しんだり、五七調の韻律を楽しむ特質があると言える。言語の持つ特性はその民族の特性を表現する。
日本人は外国文学や外国文化の概念が一つ一つそのまま日本語に移管できるという幻想を抱いているという。日本ほど翻訳の盛んな国はないだろう。これも感性に自信がある表れかもしれない。いまや翻訳文の乱立で、どこまでが本来の日本語の文章かを区別することは難しい。アル中ハイマーは翻訳本を読むことが多い。日本文学が読み辛いと思うのは、既に翻訳調に毒されていると言える。ある小説はおもしろいという感想は持てても、この文章はすばらしいという感想を持つことはあまりない。文章を味わう習慣が無いということが認識できたことはありがたいが、ちょっと寂しい。

文章表現で難しいのはリアリティの追求ではないだろうか。
その技術として修飾語の使い方や、比喩などがあると思っている。これが技術論文や専門文献ならば、厳密性が要求されるので意識することはない。本書は、良い文章とはどんなものかを、森鴎外の知的文体と、泉鏡花の感覚的文体を対比して語る。
「明瞭な文体、論理的な文体、物事を指し示す修飾のない文体、ちょうど水のように見える文体にひそんでいる詩には、実は全体的な知覚がひそむ。」
現代風の修飾をベタベタと貼った文体は悪い文章であると言っている。では、その対極にある比喩や隠喩は否定されるべきものなのか?これも伝統的手法に思えるし、韻律の効果、文字の凸凹による視覚効果もまた文学的テクニックに思える。本書は、そうした文体を批判しているわけではない。
「物事を直接指し示すよりも、物事の漂わす情緒や、事物のまわりに漂う雰囲気を取り出して見えるのに秀でている。流れを持続し、その流れに読者を巻き込む性質がある。」
こうした技術は文学的伝統を感じるとも言っている。くどくど過ぎる文体も悪いのだが、うまく芸術の域に達するバランスもある。それぞれの立場は、文学者によって意見が分かれるところだろう。形容詞は最も古びやすいものと言われている。森鴎外の文章が古びないのは形容詞を節約している効果であろう。しかし、形容詞は文学の華でもあり、比喩的表現と親しい関係にある。こうした手法は文学的価値を高める効果もあるので一概には否定できないだろう。

ここで、文学を嗜むのも酒を嗜むのも似ていることに気づかされる。
限りなく水に近い純粋な原酒もあれば、分量が絶妙で混じりあったカクテルもある。文章に酔うにしても、いろいろな酔い方がある。熟成した香り、カストリの癖、スイートからドライまで、低級な悪酔いもあれば、高級過ぎて酔っているかもわからないものなど。また、人にはいろいろな酔い方がある。気持ち悪くなる者、笑い上戸、泣き上戸、説教も始まる。ちなみにアル中ハイマーは謝り上戸である。初対面の人にさえも。よほどの悪戯を働いているのだろう。酔っ払いの潜在意識を覗くことなどできない。
本書は、評論も立派な文学作品であると語る。気軽にブログを書いているアル中ハイマーには頭が痛い。古い格言に「文は人なり」というのがあるが、これは真理だと語られる。文章が人となりを表す。酔っ払って誤魔化す文章も人となりというものである。

2007-10-07

"鴎外随筆集" 森鴎外 著

10月はいつもよりハッスルする月である。それもアル中ハイマーの誕生日という大イベントがあるからだ。それにしても不思議である。通常誕生日というものは祝ってもらうものではないのか?なぜか出費が多い月でもある。金の切れ目が縁の切れ目ということか?アル中ハイマーは悲しい男の性と奮闘する運命にある。
夜の社交場へ行く時は、いつも「鴎外通り」を通る。お気に入りの隠れ家がこの辺りに集中しているからだ。昨夜飲み歩いていてふと思う。森鴎外を記事にしないのは失礼な話ではないか。記事にする方が迷惑だと知りつつも無理やりこじつける。というのも読書の秋はやはり文学作品に浸りたい。せっかく秋らしくなってきたのだ。全く文学センスのないアル中ハイマーは、こうした動機でもないと文学作品など読もうはずもない。中でも明治の文豪となると旧文章体にイライラさせられるのでまず読むことがない。それでも「舞姫」は学生時代に読んでいる。明治の文豪に手を出すのはそれ以来だろう。20年以上?そう思うと力んで純米酒のピッチも上がる。

本書には、随筆18作品が収められている。
その中で1899年, 1900年に書かれたものが4つほどあるが、古い文章体で読むのが辛い。これぞ芸術の域というものなのだろう。他の作品は、1910年前後のもので現代風の口語体に近く普通に読める。これにはいささか驚かされる。口語調が急速に庶民化した時代ということだろう。そこには社会風刺や論評が綴られるが、現在にそのまま置き換えられる主張がなされることに感動してしまう。言わんとすることに余分な飾り付けをしない明瞭な文章であることが息の長いものにしているのだろう。鴎外流は写実主義と言う評価がなされているが、そう簡単には片付けられない。アプローチは語学的、哲学的、社会的、心理的などあらゆる方面から知的で、ひとことで言ってかっこええ!明治の文豪がこんなにおもしろく読めるとは思ってもみなかった。もしかしたら、アル中ハイマーの中に文学センスが育ちつつあるのかも?と錯覚してしまう。一冊読んだだけで、酔っ払いの勢い恐るべし!今宵の純米酒は一味違う。

1. 近代化する礼儀
近代化の中で礼儀に対する形式と意義の乖離を嘆いている。葬礼を例にあげて、神葬もあり、仏葬もあり、キリスト教の葬式もある。それはそれで自由信仰だから良いのだが、人それぞれの信仰ではなく事に応じて選択されている様を嘆いている。
「人生のあらゆる形式は、その初め生じた時に意義がある。礼をして荘重ならしむるものはその意義である。」
日本人のおもしろいのは、普段信仰心すらないのに葬式になると突然信仰心が現れる。重病に喘いでいる人に、インフォームド・コンセントなんて言っても、日本人には理解が難しい。命が最も重要!死んだらお終い!と強調されれば、自分の命が最も重要で他人の命は二の次、三の次となる。そのようなエゴから不治の病を告知すれば、される側とする側で互いに惨さを助長する。また、子供の教育にお寺さんが説教すれば、きっと良い話を語ってくれるだろう。こういう役割を医療機関や教育機関が担うだけでなく、お寺さんにも加わってもらえばきっと癒してくれるような言葉をかけてくれるはずだ。お寺さんが、なまもの(生きた人)は扱いません!では、もはや火葬仏教、葬式仏教である。
どんな世界でも、伝統を重んじると称して形式にこだわる風習を良く見かける。喪服一つにしても大正時代は旅立ちの衣装として白装束を着ていたではないか。伝統とは、受け継がれた道徳観や倫理観を表現するものであり、意味もわからず従う形式ではないと、アル中ハイマーが発言したところで酔っ払いの戯言でしかない。

2. 東洋と西洋の調和
ある学者が、日本人はアーリア人種であると論断したものがある。こんな軽率な事を言っていいのかと呆れているくだりはおもしろい。ちょうど東洋文化と西洋文化が衝突して渦巻いた時代がうかがえる。著者自身がドイツ留学の経験からか、作品にもドイツ色が見え隠れする。東洋と西洋それぞれの文化に長けた学者は多いが、二つを調和した学者が必要であると力説している。
「東洋学者に従えば保守になりすぎる。西洋学者に従えば急激になる。」
二次大戦前からドイツ一色に突き進んだ時代があった。今では親米色が濃い。一つの国一色に突き進む傾向は危険な香りがする。グローバル化とは一つ国に肩入れして突き進む政策ではないだろう。

3. 嘲を帯びた義憤
ある国民にはある言葉が欠けている。それはある感情が欠けているためであるという。その例は感動ものである。アル中ハイマーは「当流比較言語学」と題したこの随筆が一番のお気に入りだ。
ドイツ人は「Sittliche Entrustung」という言葉を使うらしい。訳すと道徳的(Sittliche)憤怒(Entrustung)となるのだが、嘲を帯びた意味で使うという。これを鴎外流では「義憤」という言葉にあてている。例えば、ある議員に不祥事沙汰があると、必ず「けしからん」と捲くしたてる連中がいる。この「けしからん」が「義憤」である。日本人はよく義憤で世間を賑わす。しかし、人の事言えるほど道徳心がおありか?言えないのに言っているとしたら嘲笑されるだけである。こうした意味の言葉をドイツ人は持っているが、日本人には欠けている。日本人はそんな感情は当り前に持っており、道徳上の裁判官になる資格を持っているのだろうと皮肉っている。当時は、新聞の社説や雑報に「けしからん」という文字が乱れ飛んだ光景を絶妙に表現している。
国民には欠けた感情の言葉が存在しないという話では、ある映画のシーンを思い出す。映画「誇り高き戦場」で、アメリカ人捕虜がドイツ人将校に向かって、ドイツ人は相手に苦痛を与えることによって性的快感を味わうと皮肉る。その将校は、サディズムの語源はフランスでありドイツ語にはないと反論する。日本語では加虐性愛とか訳すようだが、いまいち表現しきれていないような気がする。ちなみに、おいらはMである。

4. 芸術主義
鴎外自身、芸術に主義というものは本来ない。芸術そのものが一つの大なる主義であると述べている。その中に、思うがままに書いてきた様子がうかがえる。言うならば自然主義ということなのだろう。この時代には新しい風潮が流れ始めている様子も伝わる。個人主義への論説では、芸術そのものは個人的であって、個人主義が家族や社会を破壊するものではない。利己主義は倫理上排斥しなければならないが、個人主義という広い名の下に排斥するのは乱暴であると主張している。あらゆる概念を破壊して、自我ばかり残すものを個人主義と名づけるという社会風潮を批判している。
「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄えるはずがない。」
いつの時代でもこのような風潮はある。いろいろと枝分かれする思想を一つの言葉で一緒くたにする手法は、世論を扇動する側にとって処理が簡単である。

本書のような、自然体で説得力を感じる文章を読むとある映画のシーンを思い出す。映画「小説家を見つけたら」で文章の書き方を伝授する場面がある。
「とにかく書くんだ。考えるな!考えるのは後だ!ハートで書く。単調なタイプのリズムでページからページへと。自分の言葉が浮かび始めたらタイプする。」
という台詞を吐きながらショーンコネリーがタイプライタをリズミカルに叩く。アル中ハイマーはこの前後5分ぐらいのシーンが好きである。