2022-01-30

"善の研究" 西田幾多郎 著

善...
こいつを語るには、決まりが悪い。脂ぎった天の邪鬼な心には、後ろめたささえ感じる。いいことをして、それが人のためになったり、社会の役に立ったりすると、清々しい気持ちにもなるが、むしろ反発しちまう。まったく、汚れちまった悲しみに... といった心境である。
西田幾多郎は、若かりし日の考えを惜しみなく披露してくれる。善とは、人格の実現のことを言うらしい...


「善とは自己の内面的要求を満足する者をいふので、自己の最大なる要求とは意識の根本的統一力即ち人格の要求であるから、之を満足すること即ち人格の実現といふのが絶対的善である。」


本書には、「統一力」という用語がちりばめられる。思惟、意思、判断... こうした認識現象は、すべて統一力の作用だというのである。実在とは、意識活動であり、意識活動とは、主観の統一力の働きによって成り立つものらしい。その背後にあるのは、自己の存在意識。自己の奥底から込み上げる防衛本能が、そうさせるのか。無数の自由電子の集合体である精神なるものが、ある種の秩序を形成する。喜び、怒り、悲しみといった感情の表れも、ある種の統合的な精神状態。自我の克服とは、内面に生じる複合的作用を統一する力を言うのであろうか。おいらは、この統一力なるものを、調和させる感性、バランスさせるセンス、均衡させる能力... などと解している。
ところで、意識統一なるものは、自覚できるものなのだろうか。自我ですら手に負えないというのに。まったく哲学者ってやつは、凡人にあまりに高尚なものを要請してきやがる...


統一力ってやつは、極めて主観的な能力であろう。ただ、主観に閉じ籠もっていても、その能力は引き出せまい。客観との協調によってしか。それは、相対的な認識能力しか持ち合わせない知的生命体の宿命であろう。主観の統一に客観の統一、そして双方の統一... これが理性ってやつか。
しかしながら、様々な矛盾に遭遇すれば、統一よりも分裂の方が楽になれる。精神分裂症も、ある種の自己防衛本能が働いているのだろう。無理やり統一して息苦しくなるぐらいなら、矛盾はそのままにしておきたい。おいらは理性ってやつが、大の苦手ときた。
そもそも、認識能力の根底にあるものとは、なんであろう。西田幾多郎は「純粋経験」なるものを持ち出す。それは、心理的色彩をもっているらしいが、主観というよりは客観との調和、いや、主客を超越した概念とでもいおうか。なにやらプラトン風のイデア論を彷彿させる...


「経験するといふのは事実其儘(そのまま)に知るの意である。全く自己の細工を棄てゝ、事実に従うて知るのである。純粋といふのは、普通に経験といつて居る者も其実は何等かの思想を交へて居るから、毫も思慮分別を加へない、真に経験其儘の状態をいふのである。」


西田幾多郎は、宗教のあるべき姿についても言及している。宗教とは神との関係、あるいは神との関係を求めてのもの。ただ、神に見返りを求めるなど、真の宗教心とはいえまい。宗教は自己の安心、自我の平穏のためにあるということさえ誤っているのかもしれん。その意味で、宗教は真理的であり、極めて哲学的なような気がする。
宗教ってやつは、愛を最高善に掲げるが、元来、愛とは統一を求める情念を言うらしい。自己統一の要求が自愛であり、自他統一の要求が他愛であるという。神の作用が万物の統一作用であるなら、神の他愛はその自愛となる。そして、神の御前で主客の統一を見るのであろうか。となると、現存する宗教は、実に宗教らしくない!ということになる...


「宗教的要求は自己に対する要求である。自己の生命に就いての要求である。我々の自己がその相対的にして有限なることを覚知すると共に、絶対無限の力に合一して之に由りて永遠の真生命を得んと欲するの要求である。パウロが既にわれ生けるにあらず基督我にありて生けるなりといつた様に、肉的生命の凡てを十字架に釘付け了りて独り神に由りて生きんとするの情である。真正の宗教は自己の交換、生命の革新を求めるのである。... {略)... かくして宗教的要求は、人心の最深最大なる要求である。」

2022-01-23

スタートページの模様替え...

なにを始めるにしても、気分の問題は大きい。一日の始まりとなれば、尚更。そこで、マンネリ化してきたスタートページの模様替えというわけである...

思えば、スタートページの乗り換えで、おいらの移り気は激しい。愛ある G さんに、M な Ya さんに、Ne ちゃんとバイブに、愛ある苦労人と...
iGoogle, My Yahoo!, Netvibes, iChrome... ダジャレ好きは、もはや老害だ!

そして今、chrome の拡張機能 ProductivityTab(PT) を愛用している。もう何年になるだろう。カスタム css で彩りながら。当初、"transparent" 属性がうまく機能せず、PRO 版じゃないとダメかなぁ... と思ってきたが、今試すと Free 版でも問題ない。
なので、「グラデーション効果 + 半透明効果」で気分転換といこう!




バックグラウンドには、GIF animation を採用し、渦巻く大銀河で光沢効果を演出。アイコンや背景などのコンテンツは、なるべくローカル側に配置する。オンライン環境が当たり前の昨今、だからこそ、依存しないようオフラインでもそこそこの見映えに。電子機器への依存は仕方がないにして、せめてもの足掻きである。
尚、PT は、ローカルファイルへの参照がデフォルトで拒否されている。これを許可するには、拡張機能の管理より、"ファイルの URL へのアクセスを許可する" を設定。

ちなみに、環境は...
  Chrome 64bit Ver. 97.0.4692.99 (Official Build)
  ProductivityTab — Custom Homepage Dashboard Ver. 3.0.45.5

カスタム css は... おまけ!
尚、!important 宣言はあまり使いたくなかったのだけど...
body{background-attachment:fixed;}
.widget{
  margin-bottom:0px !important;
  background-color:transparent !important;
}
.menu-button:hover{background-color:#D23F31 !important;}
.menu-button{background-color:#008b8b !important;}
.add-widget-link{color:#008b8b;}
.tab-nav button{background-color:#40e0d0;}
.tab-nav button:hover{background-color:#D23F31;}
header{
  background: linear-gradient(to left top, rgba(0,255,255,0.8), rgba(47,79,79,0.8));
  height:36px;
  display:flex; justify-content:center; align-items:center;
}
.item:hover{background-color:#40e0d0 !important;}
.items{background: linear-gradient(to left top, rgba(224,255,255,0.8), rgba(32,178,170,0.8));}
iframe{background: linear-gradient(to left top, rgba(224,255,255,0.8), rgba(32,178,170,0.8));}

2022-01-16

関係の関係に、その関係する関係の関係に狂う... 未練は男の甲斐性よ!

キェルケゴールは、「人間とは精神である。精神とは自己である...」と言い放った。では、自己とは何か?彼によると、自己とは自己自身にまつわるあらゆる関係を言うらしい。それは、自己自身を問うのではなく、自己と関係するものの中から自己を見い出すということ。自分探しの旅で、自己に直接問いかけても答えは見つからない。自己の関係に問い、その関係する関係に問い、さらに関係の関係に... 狂ったか、キェルケゴール!
尚、Kernel Panic! の元凶は、依存関係地獄にある...


考えてみれば、宇宙空間に存在するあらゆる物体は分子構造を持つ。それは、原子と原子の関係によって存在するってことだ。素粒子ってやつが、どこまで素なのかは知らんが、単体で静かに存在することが苦手と見える。人間の精神にしても、物理的には単なる自由電子の塊でしか説明がつかない。こんなちっぽけな塊に意志があるぐらいだから、巨大な宇宙という塊に意志があっても不思議はあるまい。それが、神の意志ってやつかは知らんが...


まさに、人間社会は関係によって成り立つ。関係とは、なにも人と人との関係だけではない。知識との関係、感覚との関係、意識との関係... そして、すべての関連性がデータベース化される時代。まったく面識のない、見知らぬ人から多くを学べる時代。むしろ、人間同士の関係は、ちょいとばかり距離を置く方がいい。そして、自己とも距離を置き、自己の重荷を軽くする。すでに、「自己責任」という言葉は、お前が悪い!という意味で使われているし...


インターネットやソーシャルメディアといったものが、情報を入手する手段を隅々に行き渡らせ、知識を得る機会を均等化させる。だが逆に、意欲のある人はますます意欲的になり、受け身の人はますます流されやすくなり、意識格差はますます拡大していく。それは、貧乏人はますます貧乏に、金持ちはより金持ちに... の原理に似ている。
関係を迫る社会が孤独感を異様に煽り、繋がりを煽る風潮が独りで居ることを必要以上に恐れさせる。なにごとも恐怖を植え付ければ、人間はそれに群がる。光に群がる虫どものように...
但し、孤独感ってやつは、集団の中にこそある...


仮想的に関係を結び付けられた空間には、無言の自己主張が渦巻き、無言の競争がひしめく。電話でひつこく勧誘し、誇大広告を巻き散らかす宣伝戦略は、いまや逆効果。おかげで、真摯な活動にも詐欺の目が向けられる。
自己肯定感がもてはやされる社会では他人否定が心の支えになり、関係の肥大化が孤独愛好家を増殖させる。騒々しい社会では、逆に、本当に人々を感動させ、本当に意味を考えさせるような、静かな存在が求められる。
それを牽引してくれるのが、音楽や映像の分野であろうか。つまりは、芸術性。偉大な芸術は、そこに存在するだけで鑑賞者に心地よい沈黙を与えてくれる。
その一方で、芸術家たるもの狂気しなければ、才能を発揮することができない。音楽家が狂えば、聴衆もつられて狂う。小説家が狂えば、読者も負けじと狂う。熱愛も、憎悪も、すべては関係から生じる狂気。人間ってやつは、人間との関係によって狂うものらしい...


そして、重要な関係の一つに、時間との関係がある。過去から現在へつながる時間軸に、自己の居場所を求める。精神病とは、心理学的には精神内時間の連続性が失われた状態を言うらしい。記憶の断絶は恐ろしい。それは、今まで生きてきた証を放棄するに等しい。過去に執着するのは、無駄な人生ではなかったと信じたいがため。関係とは未練か。夜の社交場ともなると、未練は男の甲斐性よ!などという口説き文句も飛び出す。
しかしながら、すべてを断ち切ることができれば、どんなに自由であろう。精神病とは、自由の究極な状態を言うのやもしれん...

2022-01-09

仕事場に理想郷を求めて自己陶酔... 酔わなきゃ、やっとられん!

仕事や学習のスタイルは、十人十色。視覚や聴覚を刺激するタイプに、嗅覚や味覚を刺激するタイプに、運動と連動させるタイプに、読み書きを重視するタイプに... と。思考空間とは、五感を総動員する場!とでもしておこうか...


おいらの場合、聴覚と嗅覚に運動を連動させる。思考を促そうとする場に、BGM は欠かせない。そして、お香を焚き、外の景色を眺めながらベランダを歩き回る。なので、仕事場である自宅は、2階のベランダを広めに設計してある。ベランダには何も置かず、殺風景なままがいい。その解放感が、思考を解放する。
ちなみに、1階は完全介護ルーム化で合理化を図る。
解放感といえば、フル思考を促すためにフルチンでいたいが、同居人がいるとそうもいかない。オンライン会議が割り込めば、やはりそうもいかない。思考がドン詰まれば、公園までお散歩(逍遥)。リュケイオンの歩廊とまではいかないものの、気分に浸ろうと...


とはいえ、完全に集中し、一旦、思考空間の中に入っちまえば、外部環境はほとんど気にならない。仕事場の整備は、あくまでもフロー状態へ導く工夫の一つ。
オフィスチェアにも気を使う。長時間キーボードを叩く場面では、姿勢だけでなく、腕や指のポジショニングも重要。なので、オフィスチェアにバケットシートは理に適っていると思う。思考の合理性は、精神空間を適切な環境に同化させることによって促すことができよう。
但し、この場に、動画は禁物!... と考えてきたが、なんとなく物足りなさを感じる今日このごろ。YouTube から、4K/8K の風景動画を垂れ流しつつ、Wuauquikuna の素朴な調べに、なにやら忘れかけているものを思い出させてくれるような、そんな感覚に見舞われる。
さらに、The Piano Guys の解放的な演出に癒やされ、Peter Bence vs. Peter Buka の魅惑的な着想に翻弄され、Simply Three にシンプルに生きようと意欲を掻き立てられ、裸足で熱唱するパワフルな Adele に生きる力を注入され... 思考のリズムを触発するはずの空間が、仕事場の概念すらぶっ飛んじまう有り様。


無論、理想的な仕事場を得たからといって、能力が上がるはずもなく、むしろ劣悪な環境でひらめくことも多々ある。介護モードともなれば、炊事や掃除が良い気分転換になり、買い物が良い運動になり、思考のリズムを作る。料理は結構好きだったりして、お料理教室に通いたいぐらい。ただ、お風呂の掃除だけは、どうもリズムが合わん。
そして、つくづく思う。介護とは、ひとことで言えば、ウンコ掃除!人間ってやつは、摂取して排泄するだけの存在か... と。それ以外は、可もなく不可もなく、何かに集中している時がもっとも幸せ... と。
考えてみれば、宇宙空間に存在するすべての物体は熱機関として機能している。少なくとも分子構造を持つ物体は、何らかのエネルギーを吸収し、交換エネルギーを放出しながら存在している。人間とて例外ではなく、喰ったら出すだけのこと。仕事をやるにしても、何らかのエネルギーを放出しており、これを生き甲斐にできれば幸せになれそうだ。幸せになる必要があるかどうかは知らんが...


仕事場に理想郷を求めるのは、所詮、自己満足の世界。いや、自己陶酔の。集中した状態とは、自己の中に入り込んだ状態で、すこぶる心地よい。それは、泥酔状態と何が違うのだろう。夜の社交場までも仕事場と化し、君に酔ってんだよ!なんてセリフも飛び出す。仕事に酔おうが... 誰に酔おうが... 人生ってやつは、まったく酔わなきゃ、やっとられん!


「幸福になる必要なんかないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、幸福が僕の中に棲みはじめた。」
... アンドレ・ジッド

2022-01-02

時を刻む新たな相棒を加え、人生をシンプルに刻む...

Simple is the best...
エンジニアなら、この呪文の偉大さを味わったことがあろう。
なんの因果か、人生をシンプルに刻もうと頭を丸坊主にしちまった。かなり薄めで、周りはビックリした様子。実は、行付けの理髪店で、スキンヘッドにして!ってお願いしたら、メンテが大変だからやめた方がええよ!って言われた。近頃、ファッションボーズというものがあるという。それでも、ほんまに切っちゃうよ!って念を押されたけど、いまさら髪型にこだわることもあるまい。
介護モードを軽減するためにも、自分の身には手間をかけたくないし、このぐらいの気分転換も悪くない。介護は大変なストレスだけど、人間観察や身体の使い方、将来への備えなどの勉強にもなる。
そして、外出時はたいてい着物。簡単な着方を教わっているので着衣は三分もあれば。おかげで、お寺さんですか?と声を掛けられることも... サングラスをかけると近寄りがたいとも...
ちなみに、女が前髪を切ると、過去を断ち切る、新境地、あるいは覚悟、なんて意味があるらしい。男が坊主になると、すべてを捨て去る、猛省、ってなるらしいが、おいらの場合、悪いことをしたわけではない。いや、そんな記憶がない。もともとアル中ハイマー病だし、単に頭をシンプルにしただけのことよ...


時を刻むのもシンプルに...
SKAGEN SKW6106 をずっと愛用してきた。北欧デンマーク発の時計ブランドである。なかなかのお気に入りだけど、クロノグラフは使わないし、インダイヤルの日付調整も、ちと面倒。なので、余計な機能を取っ払ったタイプも欲しい。
そこで、北欧デンマーク発に南欧イタリア風味を加えてみるのはどうか... ってなもん。庶民のささやかな贅沢を満喫しつつ。
モノは、KLASSE14 Volare Vintage Gold VO18VG004M で、ヴィンテージ感がなかなか。おまけに、交換用の黒革ベルト(TiCTAC別注)が付属され、スプリング感のあるレバーで簡単に付け替えられる。おかげで、時を刻むパターンが、その日の気分で三つになり、ヒップフラスコで乾杯!