2024-02-25

"向上心" Samuel Smiles 著

天は自ら助くる者を助く... と説く「自助論」に触発され(前記事)、サミュエル・スマイルズをもう一冊。
人の一生とは、その人がつくり上げた思想の世界に他ならないという。そうした世界を持つことが、人生を楽しむってことであろうか...
尚、竹内均訳版(三笠書房)を手に取る。

「気高い思想を伴侶とすれば、人はけっして孤独ではない。」
... フィリップ・シドニー

本書にも、格言めいた言葉が散りばめられる。自分を大きく育てよ!個性を磨け!仕事に人生の活路を見い出せ!自己投資を惜しむな!自分の頭で考え、信念を築け!強い磁力を持った人物に学べ!ありふれた義務を果たせ!などなど叱咤激励の数々。
世界を動かし常に躍動させているのは、精神力だという。あらゆる力を締めくくるのは希望だとか。かのバイロン卿は、こう叫んだそうな...

「希望がなければ、未来はどこにあるというのだ?地獄にしかない。現在はどこにあるかと問うのは愚かしいことだ。われわれはみなそれをよく知っているのだから。過去はどうだ。くじかれた希望だ。ゆえに人間社会で必要なのは、どこにいても希望、希望、希望なのである。」

人生で大切なのは、朗らかさ、包容力、人格、そして人間性こそが... などと並び立てられると、説教を喰らっているようで、自分の人生は生きるに値するか... などと考え込んじまう。「崇高な精神に導かれたエネルギッシュな人格者」という人間像も、こそばゆい。
おまけに、人格形成で重要な要素に「義務」とやらを掲げてやがる。おいらの大っ嫌いな言葉だ!なぜ、この言葉が嫌いかといえば、それは天の邪鬼だから、いや、誰かに押し付けられている感じがするから...
しかしながら、ここで言う義務は、ちと様相が違う。それは、自分で見つけるものであって、誰かに与えられるものではないってことだ。
しかも、どんな人間にも見い出すことができ、また、背負うべきだという。
自分のできることといえば、目の前にあることを地道に懸命にやるだけ。そうした意識を持ち続けることによって、義務とやらが自ずと見えてくるらしい。慣習の力というやつか。
となると、向上心を身につけるには、慣習のあり方を見直し続け、いかに生きるかを問うことになる。
こいつぁ、自分自身を叱咤激励する指南書か。いや、独り善がり論か。ちなみに、副題に「すじ金入りの自分論」とある...

「実際に生きた歳月の長さで人の寿命をはかることはできない。どんな業績を残し、何を考えたかによって生きた長さを考えるべきである。自分と人のために役立つ仕事をすればするほど、考えたり感動したりすることが多ければ多いほど、本当に生きていると言える。」

仕事は、行動力あふれる人格を養うための最良の方法だという。働くことによって、従順さ、自制心、集中力、順応性、根気強さが鍛えられ、実務能力こそが人格を高めると。
仕事に生き甲斐が持てれば、幸せであろう。一つの仕事に通じれば、人生哲学が会得できそうだ。
では、何を仕事とするか。本書は、社会に役立つすべての労働に価値を認めている。家事だって、立派な仕事。有能な主婦は、有能なビジネスウーマンになり得ると。こうした視点は、古代ギリシアの詩人ヘーシオドスの著作「仕事と日」にも通ずるものがある。

「人間の内に秘められた才能は、仕事を通して完成されるのであり、文明は労働の産物と言える。」

試練が人間形成の糧になるというのは、おそらく本当だろう。
では、利便性はどうか。どんどん便利になっていく社会では、人間は退化しちまうってことか。そうかもしれん。大衆は、分かりやすさに群がる。便利なツールに群がる。昆虫が光に集まるように。多様化社会と言いながら、同じ情報に群がる。共有という合言葉で。みんなが知っていることを知らないと、寄ってたかって馬鹿にされ、それを極度に恐れる。自立の道はいずこ?
生物学的にも、視力は衰え、嗅覚は鈍感になり... それで精神は?
人類の進化の歴史は、単調な右肩上がりであったわけではあるまい。進化する時期もあれば、退化する時期もあったはず。啓蒙の時代があれば、愚蒙の時代もあるはず。作用と反作用の力学は、人間精神にも当てはまるであろう。
そして、大局的見地から進化の方向にあるということであろうか。いや、それは進化論的な神話で、実は退化の道を辿っているのやもしれん。こうした古典が未だ輝きを失わないのも、そのためであろうか...

「常に自分を今以上に高めようとしない人間ほど貧しいものはない。」
... 十六世紀の詩人ダニエル

2024-02-18

"自助論" Samuel Smiles 著

神様は冷てぇや。実に冷てぇや。言葉が欲しい時にいつも沈黙し、肝心な時にきまってお留守なさる。神様は臆病者が嫌いと見える。自分の意志で動こうとしないヤツが大っ嫌いと見える。おいらは神様が嫌いだ。バチ当てやがるから...

「天は自ら助くる者を助く」

保護や援助の度が過ぎると、人を無気力にさせ、自立心までも萎えさせる。政府が打ち出す支援策がしばしば失敗するのは、そのためか。そればかりか悪用される始末。一番の良策は、放っておくことかもしれない。
しかしながら、援助の手を差し伸べたおかげで、救われる場合もある。援助が人を救うのか、人を堕落させるのか。いずれにせよ、自らを救おうとする意志が伴わなければ。それこそ自由精神というものか...

本書は、サミュエル・スマイルズが説いた自己啓発書である。
ここには格言めいた言葉が散りばめられ、その言葉を拾っていくだけでも、自分自身を救った気分になれる。気分は重要だ。自ら意志を活性化させるためにも。それで自己責任論に押し潰されては、元も子もない...
成長は、無知の知から始まるという。だがそれは、ソクラテスの時代から唱えられてきたこと。進歩する人は、まずメモと時間の使い方が違うという。まさに独立独歩のツールというわけか。日々のたった十五分の行為の積み重ねが、凡人を大人物に変えるんだとか。そして、最も重要なのが、人格だという。自分の人間性こそが、最も頼りになる財産というわけか。
日々の行為と習慣に才を見い出すとは... 早熟な才人には、その行為に圧倒されちまうが、大器晩成型の人間には落ち着いて学べるところがある。アリストテレスは、こんな言葉を遺してくれた。「人は繰り返し行うことの集大成である。それゆえ優秀さとは、行為でなく、習慣である。」と。
真の雄弁とは、無言の実践を言うらしい...
尚、竹内均訳版(三笠書房)を手に取る。

スマイルズが生きた時代は... 西欧列強国が競って世界支配を目論み、日本は江戸末期から明治維新へと向かう中で国家という意識を強めていく。どこの国も自存自衛の意識を国粋主義へと変貌させ、領土野心を旺盛にさせていく... そんな時代である。
自尊心ってやつは、心の支えになる。だが、度が過ぎて暴走を始めると、これほど手に負えない意識もあるまい。自己を支配できぬ者は、他人の支配にかかる。真の自尊心は、自己抑制との調和において機能するというわけか。
スマイルズが「自助論」を書いたのは、それが時代への警鐘であったと解するのは、行き過ぎであろうか。まずは、そう思わせる言葉を拾ってみよう...

「自助の精神は、人間が真の成長を遂げるための礎である。自助の精神が多くの人々の生活に根づくなら、それは活力にあふれた強い国家を築く原動力ともなるだろう。」

「政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。どんなに高い理想を掲げても国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルにまで引き下げられる。逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でもいつしか国民のレベルにまで引き上げられる。」

「暴君に統治された国民は確かに不幸である。だが、自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間のほうが、はるかに奴隷に近い。」

「人は専制支配下に置かれようとも、個性が生きつづける限り、最悪の事態に陥ることはない。逆に個性を押しつぶしてしまうような政治は、それがいかなる名前で呼ばれようとも、まさしく専制支配に他ならない。」
... ジョン・スチュアート・ミル

本書の言葉には、説教を喰らっているようで耳が痛い。学問に王道なし!と言うが、どこかに近道があるのではという考えは拭いきれず、つい手軽なハウツー本に突っ走る。そんなおいらの性癖は如何ともし難いが、自己修養だと思って、いくつか言葉を拾っておこう。
つまり、拾った言葉の対極に自分があるってことだ。言葉は心を映す鏡... というが、どうやら本当らしい...

「真の人格者は自尊心に厚く、何よりも自らの品性に重きを置く。しかも、他人に見える品性より、自分にしか見えない品性を大切にする。それは、心の中の鏡に自分が正しく映ることを望んでいるからだ。さらに、人格者は自分を尊ぶのと同じ理由で他の人々をも敬う。彼にとっては、人間性とは神聖にして犯すべからざるものだ。そしてこのような考え方から、礼節や寛容、思いやりや慈悲の心が生まれてくる。」

「どんなに高尚な学問を追求する際にも、常識や集中力、勤勉、忍耐のような平凡な資質がいちばん役に立つ。そこには天賦の才など必要とされないかもしれない。たとえ天才であろうと、このような当たり前の資質を決して軽んじたりはしない。」

「人間は、読書ではなく労働によって自己を完成させる。つまり、人間を向上させるのは文学ではなく生活であり、学問ではなく行動であり、そして伝記ではなくその人の人間性なのである。そうはいっても、すぐれた人物の伝記には確かに学ぶところが多く、生きていく指針として、また心を奮い立たせる糧として役立つ。」

「人間の進歩の速度は実にゆっくりしている。偉大な成果は、決して一瞬のうちに得られるものではない。そのため、一歩ずつでも着実に人生を歩んでいくことができれば、それを本望と思わなければならない。『いかにして待つかを知ること、これこそ成功の最大の要諦である』と、フランスの哲学者メストルも語っている。」

「人間の知識は、小さな事実の蓄積に他ならない。幾世代にもわたって、人間はこまごました知識を積み重ねてきた。そうした知識や経験の断片が集まって、やがては巨大なピラミッドを築き上げる。」

「真の謙虚さとは自分の長所を正当に評価することであり、長所をすべて否定することとは違う。」

「金持ちが必ずしも寛大ではないのと同じように、立派な図書館があり、それを自由に利用できるからといって、それで学識が高まるわけではない。立派な施設の有無にかかわらず、先達と同じように注意深くものごとを観察し、ねばり強く努力していく以外に、知恵と理解力を獲得する道はない。」

「依存心と独立心、つまり、他人をあてにすることと自分に頼ること... この二つは一見矛盾したもののように思える。だが、両者は手を携えて進んでいかねばならない。」
... ウィリアム・ワーズワース

「最短の近道はたいていの場合、いちばん悪い道だ。だから最善の道を通りたければ、多少なりとも回り道をしなくてはならない。」
... フランシス・ベーコン

「心の中にいくら美徳の絵を描いても、現実に美徳の習慣が身につくわけではない。むしろ心はコチコチに固まり、しだいに不感症となるだろう。」
... バトラー主教

2024-02-11

"LIFE SHIFT - 100年時代の人生戦略" Lynda Gratton & Andrew Scott 著

時間という物理量が、誰にでも平等に与えられているかは知らん。が、人生が長くなれば、それだけ考える時間も長くなる。鼓動や脳波の周波数に個人差があれば、時間の速さや感じ方も違うであろう。夭逝した偉人たちは、素早く時代を駆け抜けていった。天才とは、早世するものなのか。あまりに研ぎ澄まされた才能ゆえに、自ら寿命を縮めてしまうのか...
長く生きれば、それだけ充実した人生が送れるわけではない。いや、むしろ苦悩を長引かせるだけかも。人生ってやつは、長かろうが、短かろうが、有意義に生きることは難しい。百年時代ともなると、人生計画も思い通りにはいくまい。先が見通せないだけに、不確実性に対する心構えが問題となる。だがそれでも、ぶれない根本の哲学は持っておきたい。
ちなみに、おいらの座右の銘は、今はこれ!ちょくちょく変わるのだけど...

"Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever."
「明日死ぬと思って生きよ。不老不死だと思って学べ。」
... マハトマ・ガンディー

さて、本書のテーマは、長寿という贈り物を、どうやって謳歌するか...
人生が長くなれば、まず、お金の問題が気になる。老後に必要な資金は... などとファイナンシャルプランナーが算出すれば、年金も心もとなく、社会全体に重苦しい空気が...
本書は問いかける。意識がお金の問題に偏りすぎてはいないか... 他にも同じくらい大事なことがあるのでは... と。そして、従来の人生観を「教育、仕事、引退」の 3 ステージで区分し、もっと多くのステージを模索すること。さらに、マルチステージに挑戦することを奨励している。第二の人生という言葉もあるが、第二と言わず、第三でも、第四でも... しかも、マルチタスクで... おまけに、年齢や世代を超えて、今すぐやってみよう!というわけだ。
尚、池村千秋訳版(東洋経済新報社)を手に取る。

「アイデンティティ、選択、リスクは、長い人生の生き方を考えるうえで中核的な要素になるだろう。人生が長くなれば、経験する変化も多くなる。人生で経験するステージが多くなれば、選択の機会も増える。変化と選択の機会が増えるなら、人生の出発点はそれほど重要でなくなる。そのような時代に生きるあなたは、年長世代とは異なる視点で自分のアイデンティティについて考えなくてはならない。人生が長くなるほど、アイデンティティは人生の出発点で与えられたものではなく、主体的に築きうるものになっていく。」

人生の道のりで、どんなステージを思い描くかは人それぞれ。スキルアップのステージ、旅で視野を広げるステージ、大学に行って再教育を受けるステージ、稼いで貯蓄を潤すステージ、ビジネスを立ち上げ野心に燃えるステージ、そして独りになって人生を見つめるステージ... と。どのステージに身を置こうと、自分を見失わないこと。いや、自分自身を知ること、もっともっと自分というものを知ること。それは、ソクラテスの時代から唱えられてきた難題である。人生が長くなれば、自分自身と向き合う時間も長くなる。いろんなステージを経験すれば、自分というものが、より確かなものになるやもしれん。いや、誇大妄想に駆り立てられるやも。
金融資産のポートフォリオよりも、人生のポートフォリオだ。スキルのポートフォリオに、仕事のポートフォリオに、シナリオのポートフォリオに、無論リスクヘッジも欠かせない。いよいよ、真の多様化時代の到来か...
しかしながら、人生を主体的に生きることは難しい。凡庸な人間には過酷だ。ただし、主体的に生きている気分になることは、そう難しくない。凡庸なだけに...

本書は、「自己効力感」「自己主体感」の両方を持つことを説く。自己効力感とは、自分ならできるという認識。自己主体感とは、自ら取り組むという認識。どちらも、今もてはやされる自己肯定感に結びつく。ただ、人間ってやつは、相対的な認識能力しか持ち合わせておらず、自己肯定感を他人否定で支えるのでは本末転倒。時には、論理的な悲観論も欠かせない。何事も、野心的すぎても、保守的すぎても、うまくいかない。
冒険心は若さの特権ではないが、歳を重ねれば、どうしてもリスクを恐れる。物事を知れば知るほど臆病になりがち。特に、お金のギャンブルは避けたい。
そこで、無形資産の重要性を説く。知的財産なら、いくらでも挑戦できそうだ。安全志向も、挑戦志向も、捨てがたいとなれば、どう使い分けるか。これも人生戦略のうち。
資産は、なにも金融資産だけではない。知識資産に、スキル資産に、人間関係資産に、活力意欲資産に、変身願望資産に... 自分の持ち分でどう組み立てるか。人生戦略では、有形資産よりも無形資産の方が重要なのやもしれん...

現代は技術革新によって利便性が高まり、ますます時間の使い方を考えさせられる。人間が本来やるべきこととは何か。高齢者医療や年金ばかり見ていると人間の本分を見失う。単に機械に頼り、依存症を患うのでは、人間までも失いかねない。
では、人間と機械との違いとはなんであろう。いま、人間を凌ぐ勢いで進化を続ける AI。こいつに対抗できる能力が人間にあるとすれば、それはなんであろう。物理化学者マイケル・ポランニーは、こんなことを主張したという。

「人は言葉で表現できる以上のことを知っている。」

AI は獲得した知識のすべてを言語化、あるいは記号化する。だが、人間は言葉にできない多くのことを潜在的に、あるいは無意識的に知っている。このあたりに、人間と機械の境界があるのやもしれん。
しかし、人間が言葉にできない知識まで言語化する能力を、AI が会得しちまったらどうだろう。進化した AI は人間に命ずるやもしれん。人間どもを排除せよ!と。人間が得意とする排外主義は人間自身へ向かう。生きる権利を主張するなら、死ぬ権利を主張してもいい。裏社会に暗躍する安楽死ビジネスは盛況となり、尊厳死という価値観が見直されていく。しかも、AI の管理下で...

ついでに、おまけ... いや、愚痴か...
長い人生では、経験したくないステージにも遭遇する。本書からは、ちょいと断線するが、高齢化社会における現実的なステージを一つ付け加えておこう。
仕事と家事の両立で苦労している人も少なくなかろうが、長寿化が進めば、さらに介護との両立も必要となる。まさに、おいらが直面している問題だ。しょんべんまみれで御飯を作り、ウンコまみれでキーボードを叩く。このマルチステージは、かなり手ごわい。仕事が自由に選べる立場として独立し、個人事業主となったが、まさか、介護との両立で機能しようとは。プロジェクトマネジメントの経験が、介護マネジメントにも役立っているとは、なんとも皮肉である。長く生きていれば、どんな経験が役立つか分からない。無駄なステージも、無駄ではなくなるかもしれない。家事を一つのステージとするなら、介護も一つのステージ。そして、三世代分の面倒を見なきゃならん時代の到来か。合理的な家族構成は、むしろ多世帯の方にあるのかも。人間嫌いには辛いが...

2024-02-04

"シュルレアリスム宣言・溶ける魚" André Breton 著

シュルレアリスムって、なんぞや?
それは現実か、幻想か。アンドレ・ブルトンは、こう定義する。

「シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象(オートマティスム)であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。」

尚、本書には、自動記述による物語集「溶ける魚」が併収され、巖谷國士訳版(岩波文庫)を手に取る。

「シュルレアリスム宣言」は当初、32 もの小話が群れる「溶ける魚」の序文として書かれたものらしい。こうした作風を「自動記述」と呼ぶそうな。なんじゃそりゃ?
自動記述といえば、機会学習のような自動化を思い浮かべる。AI が勝手に文章を書いてくれるような。
だがここでは、むしろ逆で人間が思いのままに書くといったイメージ。自己集中できる場に身を置き、最大限に受容力を高め、自分の天分や才能、あるいは他人のそういったものに囚われず、文学的な思考を一切排除し、ただ書きまくる。その結果、生じる文章とは...

「いとしい想像力よ、私がおまえのなかでなによりも愛しているのは、おまえが容赦しないということなのだ。」

言うなれば、人間もまた、物理的に決まった分子構造をもつ機会仕掛けのオートマタのようなもの。そこから生じる文章とは、偉大なる気まぐれのなせる技!とでもしておこうか。
それは、芸術家が持つ資質でもあろうし、数多の詩人や作家、あるいは、哲学者にも見受けられる。自由精神こそが、古くから人々を熱狂に包み、芸術家を奮い立たせてきた狂気の源。
そして、映画のあるシーンを思い浮かべる...

「とにかく書くんだ。考えるな!考えるのは後だ!ハートで書く。単調なタイプのリズムでページからページへと。自分の言葉が浮かび始めたらタイプする。」
... 映画「小説家を見つけたら」より

「溶ける魚」という題目も、なかなか洒落ている...
自己とは、自分の思考の中で溶けていくものらしい。風景も、出来事も、溶けていく。想像も、希望も、記憶とともに溶けていく。溶けて限りなく透けた世界に、読み手も溶けていく。書き手も、読み手も、同じ世界に飢えた幻想共同体よ。そして、おいらもホットな女性に溶けていく。
夢想する自己も、幻想する自己も、現実の自己であることに変わりはない。この厄介な自己とどう向き合うか、それこそ自由裁量。ただし、悪用せぬよう...

「私自身にきいてみたまえ、この序文の、くねくねと蛇行する、頭がへんになりそうな文章を書いてこざるをえなかった本人に...」