2020-01-26

時間に翻弄され... 自我に翻弄され... あとは、なんとかなら~わ主義

自然界において、時間に方向性があるかどうかは知らん。が、少なくとも人間界においては、時間の矢は絶対的な法則として君臨してやがる。あの大科学者は言った、「エントロピーはすべての科学にとって第一の法則である。」と...
エントロピーといえば、たいていの物理学の教科書で、ただ「増大する」とだけ記される。覆水盆に返らず... 喰っちまったラーメンの末路は排泄物... 空けちまったボトルにおとといおいで... といった格言は、すべてこの法則の支配下にある。それは、時間の方向性に幽閉された世界。あらゆる物体が空間に対して様々な方向へ移動できるというのに、人間の認識だけが一方向性に支配されるとは、神もケチなことをなさる。
人間にとって、最も手に負えない認識が「自我」ってやつだ。こいつが精神病を患わせる。自我は時間の産物であろうか。ならば、時間から解放されれば、自我も解放されるだろうか。否、時間が自我の産物であろうか。ならば、無我の境地へ導けば、時間の概念から解放されるだろうか。自我(じが)と時間(じかん)には、同じ音律を感じる...

「私たちは時間を抹殺することを運命づけられている。こうして、少しずつ死んでいくのだ。」... オクタビオ・パース

どんな事柄でも、究めようとすれば哲学者になれるというが、時間を究めるのは絶望的ときた。ただ、人間ってやつは、何かに束縛されたり、制約を受けることによって、そこに価値を見い出す能力を持っている。束縛がなければ、自由にも価値を見い出せないし、苦難に遭遇しなければ、幸福を見つけることもできない。
そして、時間の矢に幽閉されるからこそ、見い出せる価値がある。いくらでもやり直せるなら学ぶ必要もないし、時には取り返しがつかないということが救ってくれる。あとは、時間が解決してくれるさ...
人間の認識が、すべて自我の産物で、時間の産物であるとしたら、人生なんてものはすべてが独り善がり... これですべてが片付けられれば、この世は極楽よ。天国と地獄があるなら、まさにこの世がそれだ。生き甲斐を見つけられれば天国、見つけられなければ地獄...
いくら独り善がりとはいえ、人間はひとりで生きては行けない。何かに依存しなければ生きては行けない。では、何に依存しながら生きて行くか?これが問われる。自我に目覚めれば、独学に突っ走るのもいい。やはり独学は楽しい。自分のペースで好きなように寄り道ができる。愛人と学べるなら最高!目的はただ一つ、自由を謳歌することだ。この道が天国行きか、地獄行きかは知らん。ましてや知性や理性を会得しようなどという野心はない。そして、世間知らずで終わるだろう。知りたくもないが...
独学の苦労は、ルネサンスの時代とは比べ物になるまい。高度な情報社会では、食欲旺盛なだけ知識を得ることができる。快楽人として、享楽人として、欲情と好奇心を存分に解放できる道はますます開けている。もちろん女性への欲情も修行のうち。ちなみに、恋愛すると頭が悪くなるわ!と夜の社交場のお嬢に諭された。馬鹿は死んでも治らんと...

「私も青春のことを懐かしみ、若い人を羨むことがあるが、しかし、もう一度若くなって世の中を渡ってこなければならぬと思うと、何よりも先に煩わしい思いがする。」... 正宗白鳥

時間の矢に一度捕まっちまえば、あとはやり続けるだけ。そして、継続することに価値を見出す。「継続は力なり」というが、それは、組織や人間関係といった日常の決まりきった枠組みに安住することではあるまい。好きなことをやる... という切り口から、人生戦略を再検討してみるのもいい。ついでに、仕事という用語を再定義してみるのもいい。自由に生きるとは、そういうことかもしれん。
流行り廃りに振り回される人生なんてつまらない。本も買えないほど困窮してはたまらないが、カネや名声を追いかけて生きるより、好きなことを追いかけて生きる方がいい。カネにならなくても、仕事はいくらでも見つけられる。そのためにも、年収に惑わされず、最低限の生活を心得て...
おいらの金銭感覚は、かなり保守的だ。それは投資行動にも反映されている。保守的とは、綿密に調査して行動することであって、その場に安住して行動しないということではない。生活は貧相でも、気持ちはデラックスにいきたいものだ。なにもかも商業主義に奔走するご時世で、自由の砦をやすやすと明け渡すわけにはいかない。貧乏暇なし!個人事業主は年中無休!まだまだ分からないことだらけ、やりたいことがやまほどある。らしくない生き方は、もう御免だ。そして、これからも足掻き続けるだろう。それが死ぬ瞬間まで継続できれば幸せかもしれぬ。あとは、なんとかならーわ...

「人は繰り返し行うことの集大成である。それゆえ優秀さとは、行為でなく、習慣である。」... アリストテレス

2020-01-19

過去に狂い... 未来に狂い... そして、現在に狂う...

「現実は夢を壊すことがある。だったら、夢が現実をふち壊したっていいではないか。」... ジョージ・ムーア

人間の認識能力ってやつは、時間を平等に扱わない。過去、現在、未来で抽象化し、実に都合よく解釈してみせる。未来に悲観すれば過去の思い出に縋り、過去に絶望すれば未来に根拠のない希望を抱く。そして現在はというと、幻滅しては現実逃避を試み、いつも幻を追っかけてやがる。どうりで人間社会は仮想世界へ驀進するわけだ。時間の矢は常に無情。過去は片時も休まず未来を抹殺し続ける。責任を持てなければ未来を覗くのにも勇気がいるし、行いを悔いたところで、おとといおいで!と神が嘲笑う。
そして気づかされる。できることと言えば、現在を精一杯生きることぐらいなものだと...

「愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る。」... ナポレオン

人間ってやつは、時間の連続性に身を置かないと心が落ち着かないと見える。精神病患者の多くは、精神内時間の連続性が失われることに原因があると聞く。癲癇病患者は、痙攣のさなか時間が停止したような崇高なひとときを味わうことができるそうな。この病が、古くから「聖なる病」や「悪魔の呪い」などと呼ばれる所以である。離人症患者は、自己を失い、存在感を失い、放心状態となって時間を感じなくなるそうな。このような精神がテレポートするかのような現象は、時間の呪縛から逃れたいという欲求から生じるのであろうか。精神内時間ってやつは、数学のように離散性と連続性をうまく使い分けているようだ。
精神正常者とされる人々だって負けちゃいない。曖昧な記憶を無理やりにでも認識空間の時間軸に押し込め、辛うじて連続性を保ってやがる。埋め尽くせない時間の隙間には誤った記憶までこしらえ、しまいには言い訳をする。記憶にごじゃいません!と...

「人生をもう一度やり直せるとしても、同じ間違いをするでしょうね。ただし、もっと早いうちに...」... タリューラ・パンクヘッド

では、未来に思いを巡らせてみては、どうであろう。十年後の自分を想像しても、そうなったためしがない。おそらく十年後も、想像のつかない世界を生きていることだろう。いくら未来に備えても、そうはならないってことだ。だからといって備えないわけにはいかない。臆病心を紛らわすために...
知的生命体が精神という能力を獲得してしまうと、正常も異常もたいして違いがなくなると見える。実現不可能な夢想から自己分裂を引き起こし、緻密な将来設計から逸脱すれば自分自身が許せないときた。精神を獲得するということは、精神病を患うということか。ならば、少しばかり精神異常を自覚できる方がいい。そういえば、人間とは精神である... と定義した実存主義者がいた。「人間とは精神である。精神とは自己である。自己とは自己自身が関係するところの関係である。すなわち関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている。」と...
なんだこの難解な単語の羅列は???狂ったかキェルケゴール!なるほど、狂人が演じられれば、幸せというわけか...

人の一生とは、狂言のようなもの。猿の面をかぶれば猿に、武士の面をかぶれば武士に、エリートの仮面をかぶればエリートに、サラリーマンの仮面をかぶればサラリーマンになりきる。セレブリティの面をかぶればセレブかぶれにもなれる。あとは、幸運であれば流れに乗じ、不運であれば逆境を糧とし、いかに達者に振る舞うか。人生とは滑稽芸なのやもしれん...

「私は『奇人は貴人』だと考えているから、漫画にも大勢の奇人変人を描いています。こうした人たちには、好奇心の塊のような、我が道を狂信的なまでに追求している人が多い。つまり、誰が何と言おうと、強い気持ちで、我がままに自分の楽しみを追い求めているのです。だから幸せなのです。さあ、あなたも奇人変人になりなさい。」... 水木しげる

2020-01-12

苦しかった記憶は懐かしい...

記憶とはなにか... 心の拠り所か...
過去から学び、未来に備えても、大抵そうはならない。十年後の自分の姿を思い描いたところで、そうなったためしがない。これからの十年も、思いも寄らない世界を生きていることだろう。縋れるような過去の栄光もなければ、明るい未来も想像できない。
では、過去から見い出せるものとは何か。それが、自信ってやつか。十年、二十年、三十年... と生きてきたことは紛れもない事実。この時間の流れが自信というおぼろげな意識を育む。数々の失敗を重ねたにせよ、それが却って支えとなる。若いうちは、自信に縋らないと生きることも難しい。そして、あらゆることに好奇心を持ち、経験を積もうと意欲を掻き立てる。
だが、歳を重ねていくうちに、自信が却って邪魔をするようになる。自信ってやつが物事を抽象化し、まだ経験の不十分な事柄までも熟知したかのように思い込み、思考を硬直化させる。そして、昔は良かった... などと老人病を発症していくのである。

「人生とは、解のある問題ではない。経験の積み続く現実である。」... キェルケゴール

経験を積めば、それなりに記憶の領域が広がっていく。記憶の種類も様々。楽しかった記憶、苦しかった記憶、懐かしい記憶、忘れ去りたい記憶などなど、印象や心象という形で記録される。印象というからには、真実を歪めた形で刻まれることもしばしば。この記憶領域では、誤り訂正符号はあまり機能しない。
コンピュータの基本的な数学モデルにチューリングマシンってやつがある。その構造は、記憶装置、記憶データの出し入れ機構、有限オートマトンの状態遷移といった機能で構成される。まさに人間の脳内記憶モデル!脳の中では、記憶データそのものが有機体のごとく状態を遷移させ、様々な心象を映し出す。記憶とは、之即ち時間。人間の認識とは、時間の流れを言うのであろう。記憶ってやつが時間の連続性に幽閉されているから、過去の離散的なスナップショットに救いを求めるのであろうか。懐古的な情景をセピア色に染めて...

「我々人間は泣きながら生まれ、ぶつぶつと不平を言いながら生き、そして、落胆のうちに死んでゆく。」... トマス・フラー

それにしても、心象ってやつは、不思議な現象だ。奇っ怪と言うべきか、素直に情景を見せてくれない。これに記憶が結びつくと妄想を掻き立て、さらに時間が立つと誇大妄想に仕立て上げる。記憶が、自己の防衛本能として機能することは確かであろう。学ぶための題材としてだけでなく、精神安定剤という働きもある。
時には精神分裂を引き起こし、時にはゲシュタルト崩壊を引き起こし、記憶を分裂・崩壊させることによって救われる。現代人の悩みは根深い。現代の大人たちは子供たちに挫折を教えようとしない。いや、大人たち自身が挫折を知らないまま大人になってしまったのか。失敗しない生き方を選べば、しくじればおしまいという切迫感に襲われる。
この酔いどれ天の邪鬼の場合、苦しかった情景が楽しい感覚と関連づけられて、懐かしい記憶に変調されているときた。長い間もがき苦しんできたことが、ほんの一瞬の喜びと強く結びついて、なんとなく心地よい感覚で記憶されている。苦しかったからこそ懐かしい!この感覚は天の邪鬼な性癖のおかげであろうか。おまけに、もがき苦しんだ情景を、具体的に、明確に思い浮かべることが、すこぶる楽しいときた。M だし...
そして、こうした心象風景が今を熱くしてくれる。若いうちは苦難を正面から受け止め、しっかりと記憶に留めなければなるまいが、中年を過ぎたら愉快に怠ける癖をつけたいものだ。人生まだまだ... ここからが始まりだ!

「苦難を笑う術を身につけなければ、齢を重ねるうちに笑うネタがなくなる。」... エドガー・W・ハウ

2020-01-05

好きなことをやって生きていくのは苦しい...

神様と悪魔は、仲良し小好し。地獄を見ないと、天国を見せてくれそうにない。自由に生きるということは、最も厳しい生き方なのかもしれない。言い訳なんぞできやしない。人のせいにし、会社のせいにし、社会のせいにし、それで生きてゆけるなら、どんなに楽であろう。仕舞いに、神のせいすれば、神も本望であろうに...
好きなことを仕事にできれば幸せになれそうなものだが、そうは問屋が卸さない。好きなことと楽しいことでは、ちと違う。いや、真逆なことすらある。本当に好きなことを見つけるには苦難がつきまとう。にがい思いをし、いやな思いをし、それでもなお、やらずにいられないとしたら、それは本当に好きなことかもしれない。それゆえ、悩んだり、迷ったり、落ち込んだり、惨めな失敗もしてみないことには、好きなことがなんなのか、見えてこない。それは、相対的な認識能力しか持ち合わせない知的生命体の宿命であろう。
ひとたび好きな仕事を見つけたとしても、点数競争に追われ、金儲けの手段とし、出来高レースに明け暮れるとすれば、それは、本当に好きなことを仕事にしていることになるのだろうか。もはや、脂ぎった大人の欲望を捨て去り、純真な子供の好奇心を取り戻すのは至難の業。おいらは幸運に恵まれたようだ。技術屋の世界が愉快ときた。忙しいという状態が楽しいときた。M だし...
ほんの一瞬にせよ、達成感ってやつに救われる。本当に好きなことは、やはり苦々しさと一緒にやってくるらしい。その証拠に、リリース驀進後の脱力感に浸って味わう夜明けのブラックコーヒーは格別だ!

「仕事はこの世で最高のものだ。だから、少しは明日のためにとっておこうではないか。」... ドン・ヘロルド

とはいえ、この意欲を持続させるのは難しい。好きこそ物の上手なれ... と言うが、そうは問屋が卸さない。好きなことをやることの最大の利点は、それを思考し、夢中になると、別世界へ導いてくれること。突然、精神のフロー状態なるものが訪れ、無我の境地へといざなってくれる。時空を超えた心地良さとでも言おうか、これほどのエクスタシーを他に知らない。この境地に達するには、リラックスすることも肝要だが、ストレスも絶対に欠かせない。
あの大哲学者は言った、「我思う、故に我あり」と。しかしながら、我(が)を意識することによって生じる苦しみがある。自己存在を確認することによって生じる苦しみがある。自意識ってやつが、所有という概念を目覚めさせる。おいらのお金、おいらの土地などと。自意識は義務感とも結びつく。私の仕事、私の地位などと。これに拍車がかかると、縄張り意識を旺盛にさせる。俺の会社、俺の町などと。その対象は人間にも向けられる。オレの女、アタイの彼氏などと。周りの景色が我を基点に流れ始めると、やがて気づく。自我ほど手に負えないものはない... と。

「人間は自分の望みに従って人生を送ろうとするが、人生は必然に従って流れていく。」... ジーン・トゥーマー

ならば、自我を無にできれば、楽になれるだろうか。好きな職種に出会えたのはありがたいが、好きなことをして食べていくのは大変だ!長い人生、いい時もあれば悪い時もある。いい時は誰でもうまくやれる。悪い時こそ人の値打ちがでる。どんなに好きなことでも、それをやり続けるのは苦しい。いや、好きなことだからこそ苦しいのかもしれない。忙しさに追われている時はなんとか頑張れる。危険なのは急激に止まった時だ。急にがっくりくると、そこから抜け出すのは至難の業。この精神状態は、一度貧乏に陥るとなかなか抜け出せない世の中の仕組みに似ている。まるでブラックホール!
そんな時、好きなことをやっていくという意志が心の拠り所となる。時には、辞めようかとも思う。だが、好きなことをやって生きている自分に同情して、自己愛に浸ったところで仕方がない。自分自身を軽蔑したところで、やはり軽蔑者として自己を可愛がってやがる。
近道を行けば、すぐに息切れする。好奇心のアンテナを張っていれば、道草や寄り道をやらずにはいられない。視野を広げ、知識を蓄積していくには、回り道こそ王道!春風にでも揺られるように思考の散歩を楽しむ。これぞ春風駘蕩の極意というものか...
人生のスランプに陥れば、その状況を素直に受け入れ、存分に苦しんでみることだ。何かを見失っていないか?と自己に問い、じっくりと足掻いてみることだ。苦しい時に自然体でいられるのも、好きなことをやって生きていることの証。生きることの意味や価値を問うと、狂いそうになる。ならば、素直に狂ってみることだ。そして、気づくだろう。のんびりと精一杯生きる!これ以上に何ができようか... と。

「運命は、志あるものを導き、志なきものをひきずってゆく。」... セネカ