2022-03-27

"ベクトル解析30講" 志賀浩二 著

軽快なステップを刻む、数学 30 講シリーズ!
なにごとも理解へのプロセスにはリズムが欲しい。なによりも人生にはリズムが重要だ。おいらは数学の落ちこぼれ。でも楽しい...


抽象数学の空間概念は、加法とスカラー積の定義の仕方で、大方説明がつくであろう。その代表がベクトル空間ってやつで、解析学では避けては通れない。
ちなみに、おいらは解析学を近似法を提案してれる分野と解している。複雑な実社会では、明確な解をじっくりと求めるよりも、手っ取り早く近似した方が実用的なことが多い。実際、現象を記述する微分方程式のほとんどが解けないときた。そして、数学屋さんをハーフボトルで釣って便利屋さんに... 毎度申し訳ないっす!


ここでは、冒頭から微分形式の入門という立場が置かれ、いきなり微分形式アレルギーが疼く...
微分形式といえば、複雑な曲面に対して、各点に局所座標を与えたベクトル空間の集合体のようなもの。もっといえば、ベクトル空間を抽象化したテンソル場を貼り合わせたようなもの、などと勝手にイメージしている。そして、必然的に多様体を相手取ることになると...
実際、複雑系を相手取るには、部分をかき集め、それらを貼り合わせて近似する方が実用的に思える。
ベクトル自体は、極めて単純な概念である。異なる二点と一つの方向が一つのベクトルを決め、異なる二つのベクトルが一つの交点を決める。少なくともユークリッド空間では。
ベクトル単体の関係では直角をなすかどうかが問われ、これを空間レベル、すなわち、ベクトルの集合体で眺めると、双対性や直交性が問われる。こうした性質が、データ圧縮や情報処理の効率性、あるいは演算合理性の布石となるから、ベクトル恐るべし!
そして、外積や内積を導入して空間演算の抽象度を上げていき、お馴染みの多項式代数をテンソル代数から外積代数へ導くという筋書きである。


まず、ベクトル空間の任意の元を、テンソル積によって自由に掛け算ができるような空間全体の系を考える。つまりは、テンソル代数 T(V) の導入であるが、この中に適当なイデアル I を見い出し、商代数 T(V)/I を考えながら、外積代数 E(V) を定義するといった具合に...


  E(V) = T(V)/I


代数といっても、いろいろな代数がある。一つの代数系は、ある演算ルールで定義された枠組みを作る。ただそれだけのこと。次元が違えば代数演算の柔軟性も変わり、可換の代数もあれば非可換の代数もある。
例えば、三次元空間の外積ともなると、X x Y = -Y x X のような奇妙なことが起こる。
代数が次元とともに抽象度を上げていく様相は、ユークリッド空間から非ユークリッド空間への飛躍と重なる。ならば、次元に適した代数が求められ、多様体に適した代数が導入されるのも道理である。


また、内積に計量という概念が結びつけられる。ベクトルを空間レベルで論じるには、加法とスカラー積だけでなく、二つのベクトルがなす角、すなわち位相が重要な意味を持つ。内積はまさに位相を規定し、内積が与えられたベクトル空間は、計量をもつことを意味するらしい。
幾何学的な性質では直交性が重要な役割を持ち、演算をすこぶる単純化してくれるが、ベクトル空間では、演算の単純化と同時に計量の合理性が問われることになる。
そして、内積によって基底と双対性の最も整合性のとれた正規直交基底なるものが論じられる。おまけに、リーマン計量が与えられる条件まで言及され...


複雑な空間を、微分可能なベクトル空間の貼り合わせという視点から眺めると、微分可能回数で定義される C1-級, C2-級, ... , C-級へと抽象度を上げていく。おいらが実際に扱うヤツは、ベキ級数展開ができたり、テイラー展開のできるクラスで十分だけど...
そして、このあたりは、やはり外せないと見える。グリーンの公式に、コーシーの積分定理に、ガウスの定理に、ストークスの定理に... そう、電磁気学でおいらを赤点に貶めた奴らだ!


グリーンの公式を一つ眺めると...
閉領域 D において、2変数関数 P(x,y), Q(x,y) を C1-級と仮定する。
それは、∂P/∂x, ∂P/∂y, ∂Q/∂x, ∂Q/∂y がすべて連続であることを意味し、境界曲線 C との間に以下の関係が成り立つ。


D (   ∂Q
∂x
 -  ∂P
∂y
) dxdy =  C  (Pdx + Qdy)

これは、面積 D の積分が、周 C の積分と等価であることを示している。
例えば、湖の面積を求めるには、湖の周囲に沿って積分すれば、おおよその値が得られるという寸法よ。
注目したいのは、変数をそれぞれ偏微分して、それを足し合わせるというシンプルな形をしていることである。それは、C-級の関数を仮定したとしても、偏微分する順番に関係なく表されることを予感させる。
となれば、現象を解析する上で、まず、いかに適確な変数を抽出することができるかが鍵となる。変数が抽出できたからといって、微分方程式が解けるわけではないけど...
そして、こうした考えの抽象度を上げていけば、コーシーの積分定理、ガウスの定理、ストークスの定理が見えてくる。つまり、ずっと忌み嫌ってきた奴らは、貼り合わせの積分法であり、現実的な近似法を与えてくれるような風景が...
単純な見方といえばそうなのだが、学生時代には見えなかった風景である。おいらにとっては、微分可能かということより、局所座標を貼り合わせていかに近似するかの方に興味があるが、結局は同じ事というわけか。講義のリズムのおかげで、微分形式アレルギーも少し弱まりつつある今日このごろであった...

2022-03-20

"複素数30講" 志賀浩二 著

何事も、理解へのプロセスにはリズムが肝要である。対象が難解であれば、尚更。この数学 30 講シリーズは、30 ものステップで軽快なリズムを奏でる。おいらの物事を理解したかどうかの基準に、脳内の思考空間にマッピングできるか... といった感覚があるが、まさに本書は、複素数という複雑な演算体系が幾何学的なイメージで、すっと頭の中に入ってくる。そして、アカデメイアの門に刻まれた文句を想い起こす。幾何学を知らぬ者、くぐるべからず!
ちなみに、おいらは数学屋ではない。単なる数学の落ちこぼれだ。応用数学は、しっかり赤点とったし...


さて複素数とは、なんぞや。それは、実数と虚数が混在する世界。実数とは、いわば実世界の数。
では虚数とは、なんぞや。imaginary number というぐらいだから、単なる想像物か。実存を正確に記述するには、このような仮想的なものに頼らざるを得ないのか...
これと似たような立場に、マイナスの数がある。今日、当たり前のように使われるが、財産がマイナスってどんな状態?実存がマイナス?それは、貨幣のような仮想的な交換価値を前提して、初めて成り立つ概念と言えよう。借金、売掛、債権... こうしたものが財産権のもとで機能するのも、価値換算できる基軸があるからだ。家計の赤字で悩むのも、マイナス換算できるお金という代替価値がなければ説明できないだろう。
マイナスという数が登場した時代、庶民にはなかなか受け入れられなかったであろう。物々交換の時代に、マイナスという数はイメージしずらい。人類は、窮屈な人間社会を生きやすくするために、負債をいくらでも抱えられる仮想的な仕組みを作り上げてきたというわけだ。投資に支えられる経済循環とは、まさにそれであり、資本主義が成り立つのも、まさにそれだ。


そして、虚数である。こいつが庶民に受け入れられるには相当な時間を要するであろう。虚数との出会いは、-1 の平方根に見る。平方根とは、二乗すると元の値に等しくなる数。マイナスの平方根はマイナスと出会えば互いに打ち消し合って実世界に姿を現すが、出会えなければ虚世界に幽閉されたまま。虚数の単位は、i = √-1 で表記され、こんなものは算術のご都合主義から編み出された裏技にも映る。


ところが、だ!
この空想的な数の体系が、一旦、実世界と関係をもつと、たちまち強力な道具となる。カオス世界で生じる複雑な現象を記述するには、「微分方程式 + 複素数」という組み合わせが実に都合よく、電子工学や電磁気学、あるいは量子力学では絶対に欠かせない。
但し、複素数を単純な現象に用いれば、却って厄介になるので要注意!単純な現象とは、一回きりしか微分できない関数で記述できるような...


1. 幾何学操作で演算を単純化
演算を単純化する裏技では、例えば、指数関数的に増大する現象を乗法や加法に引き戻してくれる「対数」ってヤツがある。複素数を用いるメリットもまた、演算を単純化してくれることにある。
実数を、数直線上にマッピングされる一次元空間とするなら、虚数軸を付加して二次元空間にマッピングしたのが複素平面、いわゆるガウス平面である。この二次元空間が、幾何学的な演算作用をもたらしてくれるから、摩訶不思議!
例えば、i を掛けるという演算は、原点を中心に 90 度回転させることを意味し、i2 = -1 は 180°の回転、すなわち逆位相となる。i(愛)ってやつは、二重に掛けると裏目に出るという寸法よ。
ちなみに、巷では、これを「二股かける」という。それで、一筋の愛を貫くのは夢想家で、二股をかけるのが現実主義者ということになるらしい。
ここで重要視される物理量が「位相」ってやつで、演算を単位円内に幽閉するという見方もできよう。ベクトルやノルムに看取られた幾何学演算とでも言おうか、電子スピンや角運動量といった力学現象との相性を感じさせる。複素指数関数と三角関数との関係を記述したオイラーの公式は、まさにそれだ。


「複素数は、平面の回転や相似写像と密接に結びついており微分可能な関数 -- 正則関数 -- は、このような幾何学的な働きの中に、ある平均的な挙動と微細な内在的性質との関連を示してくる。ここにみえる複素数の世界は、ただ単にイデアの世界に漂っているわけではなく、確かに現実の相の1つを実現している。」


2. リーマン球面へのマッピング
複素平面は、原点を中心に回転しても、まったく均質的な様相を保つ。となれば、平面よりも球面の方が相性がよさそうだ。そこで、リーマン球面をガウス平面に絡めて考察してくれる。しかも、一次関数のみで対応づけるというやり方で。
但し、北極点だけは対応する複素数がなく、無限遠点となる。
なるほど、リーマン球面は、ガウス平面の拡張版という見方もできそうだ。となると、平面にこだわらず、立体、いや、多次元ではどうであろう。数学ってやつは、仮想的に次元を増やしていくのが、お得意ときた。
しかしながら、次元を増やしても、四則演算が自由に行えるか、また、回転や相似写像などの幾何学操作も自由に行えるか、と問えば、本書は否定的である。
そういえば、複素数を拡張した体系に、「四元数」ってやつがあるが、乗法の可換則が成り立たない。人間の認識能力では、二次元空間までが最も適しているということか。いや、まだまだ研究途上なのかも...


3. 微分可能という概念の幾何学的見方
物理現象を解析する上で、重要な概念の一つに「線型性」ってやつがある。微分可能と密接に関わる概念だ。本書では、ガウス平面の視点から微分可能かどうかについて考察してくれる。正則関数の平面的展開とでも言おうか...
微分可能かという問い掛けは、解析学では重要な問題であり、おいらが最も関わりを持つのが近似の考え方である。複雑な現象に対して、まず、適合する冪級数を探り、テイラー展開などで近似するという思考プロセスを繰り返し、その先に、あの美しいオイラーの等式に思いを馳せる... といった具合に。
実数の世界での微分は、直線による近づき方が問題となるが、複素数の世界では、平面においてあらゆる方向からの近づき方が問題となり、とても一回きりの微分では収束しそうにない。
そこで、二次元空間の各点でテイラー展開ができるような関数を想定することに。テイラー展開の幾何学的マッピングとでも言おうか。複素解析の思考イメージは、こんな感じ...


「複素数の意味で微分可能ということは、関数が1点の近くで、水が広がっていくような状況になっていることだ。」

2022-03-13

"E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」" David Bodanis 著

E=mc2...
歌姫マライア・キャリーは、この方程式の名を掲げたアルバムをリリースした。彼女のイニシャル "MC" に因んで...


これほど、世間に知れ渡った物理方程式は他にあるまい。だが、その真の意味を知る者は少ない。そもそも、方程式ってやつは、自然法則を記述するだけの無味乾燥な存在。それが一旦、様々な物理現象や社会現象に関係するとなれば、多くの解釈を呼ぶ。人間ってやつは、なにごとにも意味を与えないと落ち着かないと見える。やがて、発見者の思惟とはまったく関係のない領域で、方程式自体が独り歩きを始める。有機体のごとく...


これは、アルベルト・アインシュタインという人物の伝記物語ではない。方程式の伝記物語である。GPS やテレビなどの情報機器、腫瘍の検知に用いられる PET スキャナなどの医療機器、あるいは、原爆開発競争を巡る戦争秘話を通して、世界一有名な方程式に込められた尽きぬ意味を探る。ファラデー、ポアンカレ、ラザフォード、フェルミ、ハイゼンベルク、オッペンハイマーらの人間模様を交えて...
尚、伊藤文英, 高橋知子, 吉田三知世訳版(ハヤカワ文庫)を手に取る。


この方程式は、極めて単純なことを告げている。エネルギーと質量は等価であると...
物質は、自らの運動のしやすさを決定づける性質を持っている。質量と呼ばれるやつが、それだ。
では、エネルギーとは何であろう。ニュートンの運動方程式は、「力」という概念を質量と加速度の積で記述される。エネルギーが質量と関係するからには、力との結びつきを感じずにはいられない。
だが、アリストテレスの運動論以来、力の作用をめぐる議論は迷走を続け、インペトゥス、モーメント、トルク、フォースなどの様々な用語が乱立してきた。
21世紀の今、天動説という発想に感動すれば馬鹿にもされようが、そんなことよりも古代人の発想力への敬服は、広大な地面が球体であることを受け入れたことである。それは、球面上に存在する物体の位置関係では上下の感覚がぶっ飛ぶことを意味し、中心点に引きつける重力の概念を考えざるを得ない。重力とは、まさに重さの力。自己主張の強い人間社会において、存在の重さを計る最も重要な物理量だ。体重計の前では存在の軽さを演じたりしてるけど...
そして、20世紀初頭、この得体の知れない力の概念は、エネルギーというの名のもとで具体的に質量で記述されたとさ。しかも、光速の 2 乗との積で...


c2 という巨大な数が掛けられた贅沢なエネルギーの正体とは...
相対性理論によると、光は天空までも曲げてしまう力が秘められているらしい。光には奇妙な性質がある。常に物質の運動を先んじ、本体から逃げるように放出し続ける。ニュートン力学でも、物体の運動エネルギーは質量と速度の 2 乗の積で記述され、何か運動する要素を 2 乗すれば、なんらかの力が得られそうな予感が...
たった一粒の原子核ですら、光速の 2 乗という途轍もない数値を掛ければ、核分裂を引き起こすような衝撃が。例えば、ウラン 235 に中性子を衝突させたり、プルトニウム 240 を放射性崩壊させたり...
となれば、科学者たちの興味そっちのけで、政治屋どもが群がる。宇宙を支配する法則よりも、人間社会を支配する道具に...
物質を解明するとは、内包されたエネルギーの解放を意味するのか。善悪はそれを用いる者の心の中にある!とはよく耳にする科学者の弁明だが、それは詭弁であろうか。すべては、アインシュタインが悪い?いや、いずれ誰かが導いたであろう。
方程式という言葉の響きは、よほど心地よいと見える。権威ある学者が太鼓判を押せば、そこに人々が群がり、こいつに無限の期待をかけ、自己を暗示にかけちまう。だがそれは、迷信と何が違うのだろう...


本書の逸話では、ナチスの原爆研究で水が大きな役割を果たしたことは興味深い。
水とは、H2O のこと。中性子線を原子核に衝突させようとすると、たいていはかすりもせず、向こうへ飛んでいってしまう。中性子線の速度が速すぎるために。そこで、水をぶつけることによって減速させる裏技を、フェルミが発見したという。厳密に言えば、水素である。水素は重い方がいい。高速の中性子線を減速させるには、重水がうってつけというわけだ。ナチスの重水工場は、ノルウェーのオスロから曲がりくねった 90 マイルほど行った所、ヴェモルクの山奥の峡谷にあったという。その妨害工作は映画にもなり、レジスタンスと科学者の葛藤が思い浮かぶ。
アインシュタインは、ナチスの研究成果を察知して、ルーズベルト大統領に進言したという。ロスアラモスの地が妨害工作の餌食になることはなかった。地勢的な優位もあったが、いずれにせよ科学者は倫理にもとる選択を迫られる。物理学の新たな発見が、最初に軍事利用される運命にあるとは。これが、人間の編み出した政治というものか。
愛国心を掲げる政治屋は多い。が、祖国への忠誠と権力者への服従とでは、まるで意味が違う。自己を支配できない者が他人を支配しようとする。これが人間というものか。だとすれば、政治の力学とは、毒を以て毒を制すしかない、ということか...

2022-03-06

"量子が変える情報の宇宙" Hans Christian von Baeyer 著

原題 "INFORMATION : The New Language of Science..."


かつて人類は、宇宙観を力で語り、エネルギーで語り、そして今、情報で語ろうとしている。物理量では、重力を通して質量ってやつが幅を利かせ、これほど自己存在を強烈に意識させるパラメータはあるまい。
自己主張の旺盛な現代社会において、存在感の可視化はそのまま精神上の問題となる。体重計の上でいくら軽い存在を演じようとも、存在感では重みを求めてやまない。そして今、情報媒体における露出量が存在感に重みを与える。
一方で、騒々しい集団に埋もれながらも、存在の自由を静かに謳歌できる人たちがいる。情報の本質に希少性というものがあるが、彼らこそ密かに希少価値を高めるのやもしれん...


Big Question !
これは、科学界に古くからある神託めいた問い掛けである。宇宙はいかにして誕生したか?人類とは何者か?そして、どこから来、どこへ行くのか?... といった類いの。それは、存在の意味を求めてきた旅と言おうか。いや、解釈をめぐる旅と言おうか...
物理学の研究対象は、天文学から、運動力学、電磁気学、量子力学へと巨大な空間から微小な空間へ迫り、宇宙を構成する物質の根源を探求してやまない。
理解できなければ、それをバラバラにして構成要素へ還元せよ!
人間の理解力には、還元主義的な思考が備わっており、しかもそれは、認識能力との折り合いにおいてなされる。
認識できるものすべてに意味を与えようとは、人間の性癖にも困ったものである。それは、自己存在に意味を与えるための布石か。そもそも、科学者や哲学者が追い求めてきた実在なんてものは、人間認識の産物に過ぎないのやもしれん...
尚、水谷淳訳版(日経BP出版センター)を手に取る。


「物理だけを扱う物理理論は、物理さえも説明できない。私が信じるに、宇宙を理解しようとすれば、同時に人間も理解しなければならない。物理世界は深い意味で人間と結びついている。」
... ジョン・アーチボルト・ウィーラー


情報ってやつは、意味を与えて価値が生まれる。では、何が意味を与えるのか?
人間が、意味ある生き方をするのは難しい。ましてや自分自身で自己に意味を与えるとなると、自己満足から自己陶酔へ、自己肥大から自己欺瞞へ導きかねない。
そもそも、何事も意味を与えないと理解できないものであろうか。情報理論の父クロード・シャノンは、情報という用語の意味を問わず、ひたすら情報の量に着目して、これを定量化する数式を編み出した。対数の底が 2 であることは、Yes か No か、表か裏か... といった二択配列と関係することを暗示し、情報の基本構造がデジタル的であることを示している。
情報量と 2 の冪乗数は、すこぶる相性がいい。0 が認識できるということは、1 をも認識できることを意味する。善を認識すれば、悪をも認識せざるをえない。すべての認識は二項対立の関係から同時に生じ、こうした特性は、相対的な認識能力しか発揮できない知的生命体の限界であろう。
エントロピーを定式化したボツルマンにしても、合理的な通信符号を発明したモールスにしても、情報自体の意味は問わなかった。ただ、統計学を変革したベイズのような実用的な感性が、情報の事象に対して主観確率なる視点を与えている。
情報は扱い手によって、意味を与える。それが人間であろうが、機械であろうが。実際、情報はただ右から左に流れていくだけにもかかわらず、ある種の有機体のように振る舞い、人々に多大な影響を与える。


情報の意味を問わず、情報の量を問う。これは、人間にとって何を意味するのだろうか?Big Question に加えたい問い掛けである。
そして、それは(IT)、BIT からなるのか?いや、QUBIT からなるのか?量子への問い掛けが、宇宙解明への道となるのか?と。人間ごときが、生と死を同時に体現する量子の多重人格症に問い掛けたところで、精神分裂症を患うのが関の山であろうけど...


「情報という概念が過去数百年をかけて徐々に姿を現してきた様子は、同時に抽象的な量であるエネルギーが十九世紀半ばに誕生した様子とは、著しく異なっている。エネルギーは、二十年という短い期間に、考案され、定義が与えられ、物理学の基礎として確立し、そしてあらゆる科学の礎となった。我々は、情報が何ものかを知らないのと同様に、エネルギーが何ものであるかも知らないが、それでもそれを、新しい厳密な科学的概念として正確な数学的用語で記述し、また商品として測定し、売買し、規制し、課税することができる。情報もまた売買や規制の対象になりつつあるが、それ自体はエネルギーとは大きく異なり、また主観性の趣を呈しているがゆえに、定義するのもエネルギーよりはるかに難しい。」