2008-11-30

"「人間嫌い」のルール" 中島義道 著

本屋をぶらぶらしていると、あるキーワードが目に留まった。「人間嫌い」という言葉には、潜在意識を呼び起こす何かがあるのだろうか?こういう本は、教育者や宗教家といった、いわゆる善人と呼ばれる人々から批難されるに違いない。おいらには幼い頃、自虐的で鬱病の気があった。その原因はやりたい事が見つけられなかったことにある。高校時代までそれがなかなか認識できなかったが、原因さえ認識できれば楽になれる。大学時代からは自由奔放でそれなりに楽しく生きている。自らの向上心と言い訳しながら会社を転々とし、ついに独立してしまった。要するにわがままなのである。決して社交的にうまく振舞えないわけではない。ただ、いつも疲れる。合う合わない人間もはっきりしている。合わない人間は嫌う前に遠ざける。そう言えば、友人達は押したり引いたりと距離を保つのがうまい連中ばかりである。だから長続きしているのだろう。

著者は還暦を迎え、その10年も前から「人間の半分を降りる」宣言をしたという。親戚や家族との交流を避け、カトリック信者の妻とは離婚できないが、滅多に顔を合わせない。親戚付き合いを絶って叔母の死さえも知らせてこない。そういう生き方が寂しいわけではなく、むしろ歓迎している。著者はかなり重症な「人間嫌い」のようだ。教育では「人は一人では生きていけない」と教える。まったくその通りである。善人たちは協調性がなくては生きる資格がないように脅迫する。そして、徹底的に共感する術を教え演技力を身につけさせる。それが巧みな人間ほどズルい立派な大人になる。その一方で、自らの素朴さを誤魔化せず、思ったままにしか行動できない人々がいる。共感することに疲れる人々がいる。信頼が最も重要であると教えるが、信頼にはエゴイズムが潜む。人間は恩を売ると見返りを望む。社会には、「俺が世話をしてやった」という台詞が氾濫する。「情けは人の為ならず」という諺がある。これを「情けを与えては人のためにならない」と誤った解釈がよくなされるが、人に情けをかければ、回り回って自分の報いになるという意味である。善人たちはいじめに合う人間に、あなたは決して一人ではないと励まし自己満足に浸る。しかし、自殺まで追い詰められた人間は集団から排斥されても一人で生きていけるという確証がほしいのだ。嫌いな人間の前で嘘や媚が正当化され、うまく振舞えば大人であるが、うまく振舞えないと病人扱いされる。「人間嫌い」とは、そうしたことに息苦しさを感じる人々のことである。著者は、思いやりの押し付けを、善意と疑わない鈍感さが嫌いであると語る。協調性を謳う善人に、そうした鈍感な人が多いように感じられる。ただ、人間嫌いは、大多数の人間を嫌っても、大多数の人間から賞賛されたいと願っている。その矛盾性の根底には自己愛が存在する。著者は世間からつまはじきにされてもいいと覚悟して生きていると語る。そして、最初は多くの人に誤解されたが、今では少なからず賛同者がいるという。その中で、互いに縛らず、互いのわがままを尊重する奇妙な関係が形成されていく。人間嫌いでも努力すれば豊かな人間関係が築けると主張し、それをしないのは怠惰だからだという。
また、夏目漱石、永井荷風、芥川龍之介、三島由紀夫などの著名人の人間嫌いぶりを紹介し、人間嫌いの分類学も披露する。こうして見ると、実に多くの天才たちが「人間嫌い」の資質を持っているものだ。
本書を要約するとこういうことであろう。人間嫌いを無理に治す必要はない。そもそも病人ではない。人間嫌いを無理に理解しなくてもいい。どうせ善人たちに理解などできない。ただ、人間嫌いが迫害さえされなければそれでいい。

ベンチャーと称する会社にいると、協調という言葉に胡散臭さを感じている人が多いようだ。むしろ共感とか協調性を主張する人間の方がつまはじきにされる。おいらの経験した所が異常なのかもしれない。もちろん向上心を持っている人もいるが、精神的に安心できる空間を求めている人が多い。どう見ても大企業には合いそうもない連中ばかりであるが、不思議なことに大半が大企業経験者である。会社あげての忘年会やらがあると、それに欠席するでけで査定にひびくというから大組織とは滑稽である。おいらの学生時代は、就職というと、まだ終身雇用の時代で、それだけで人生が決まるように脅されたものだ。その時代に比べれば、今では多様化が進み窮屈さを感じなくなった。しばしば子供っぽい態度しかとれないおいらには、大人の態度が本当に大人なのか?と疑問に思うことがある。人間は経験を重ねると思うような態度がとれなくなる。だんだん臆病になるのも一種の自己防衛である。紳士で冷静な態度を自然にとっているように見える大人に憧れるが、自分にはできない態度だと諦めて自らを曝け出すしかない。大人たちの行動にはおもしろいものがある。典型的なのは、官僚政治の監視役も務まらない政治屋は互いに罵りあっても自らの醜さを省みない。いじめを批判する報道屋は自らのいじめ報道を正当化する。政治屋はまともな政治ができないだろう。報道屋はまともな報道ができないだろう。教育屋はまともな教育ができないだろう。それは、彼らが自らの世界に閉じこもっているからである。といったことを、純米のまろやかさを曝け出す日本酒を飲みながら、ぶつぶつと呟いてしまう本である。

ところで、「人間嫌い」の境界線を考察していると、微妙な人種に出会う。知識馬鹿とでも言おうか。優れた知識を身に付け、常に相手の間違いを指摘する輩がいる。いや!指摘しかできない。いかにも論理的に語り、相手の揚げ足を取るだけで、自らの精神を語ることはない。そうした現象は、討論会などでもよく見かける。何かに憑かれたように、知識を吸収することに専念するが、その知識を、自らの精神で消化しようとはしない。したがって、そのまま知識を披露することしかできない。常に「姑チェック」を怠らず、どんな話題にも獰猛に喰いついてくる。その存在は時には便利である。だが、少々間違った知識はいくらでも修正できるので、大した問題にはならない。むしろ、自らの精神を語れる人間の方がはるかに貴重である。では、知識もなければ精神もない人間はいったいどうなってしまうのだろうか?アル中ハイマー病とはそうした病である。

1. 人間嫌いの生産
幼少時の虐待、過酷ないじめ、あるいは親友からの裏切りなどによって、他人を信頼できなくなる人々がいる。こうしたことは、ちょっとしたきっかけで簡単に克服されるだろう。しかし、そうした境遇にも巡りあえず、一生他人を信頼できず、他人を恐れ、他人を軽蔑しながら生きる人もいる。本書は、それでも豊かな人生になりうると語る。そういう人は、むしろ暴力、残虐、冷酷、卑劣なことに対する感覚が研ぎ澄まされるかもしれない。そもそも普遍的に人間嫌いな人がいるのだろうか?ある人が無性に嫌いでも、世間を気にして表明できないことも多い。自分に対して害を及ぼさないと分かっていても、波長の合わない人間はいる。こうした現象はまだ穏やかであろう。障害者や犯罪者、ホームレスといった社会的弱者として、あからさまに差別される人もいる。理不尽にも社会的に運命付けられ、なぜ自分だけに重荷を課せるのか?といった疑問を持ち自ら絶望の淵に追い詰める。おまけに、その逃避先がカルト宗教だったりする。本書は、こうしたことから脱出する唯一の方法は、他人を普遍的に嫌うことだと語る。特定の人物を嫌わなければ自責の念は消える。そして、自分自身を嫌い、他人から嫌われても耐えられるという。人間の純粋さや誠実さ、それ自体に人間嫌いになる要因はない。必ずズルイ人間が存在するから、人間嫌いになる。彼らは、平気で嘘をつき、権力者に媚を売り、非権力者を足蹴にする。誠実でない人間ほど、自ら誠実ですと訴える。人徳のない人間ほど道徳について説教する。ほとんどの人は、不都合があっても生きる術としてその場をうまく誤魔化すことができる。ほとんどの人が、特定の人が嫌いでも、それを隠して嫌いではないように振舞える。これが大人の態度である。大人の振る舞いは自責の念にさいなまれることはない。それどころか、こうした態度が正しいと信じて、そうした態度が取れない人を批難する。人間嫌いは、まさに彼らによって生産されると語る。

2. 社交的な人間嫌い
善人の中にも、ほとんど嫌いに思われない人がいる。それは、他人を嫌いにならないからであろう。こういう人は、知識などに興味を持つが、固有の人間に興味がない。自分の価値観や人生観はずっと前から確立していて、どんなことに直面しても揺らぐことはない。どんな集団の中でも心地良さそうに分け隔てなく誰とでも付き合う。誰にでも愛想が良く悪口も言わない。物腰は常に紳士的で激しく怒ることもない。悩みを相談されても理解できないし、理解しようともしない。いずれ、その人間を知っていくうちに何も期待しなくなる。こういう人は、あらゆる個人的な問題を自己解決する。誰にも泣き言を言わない。そして、全ての人はそうするべきだと考えている。本書は、こういう人を自ら他人の悩みを見ないようにした結果、本当に見えなくなってしまっていると指摘している。悪口を言わないのは道徳観からではなく関心がないだけであると。誰に批難されようが、罵倒されようが、痛みを感じないと。彼らは、自己防衛のために、他人からは傷つけられない安全な空間を自ら確保している。本書は、こういう人までも人間嫌いの範疇に入れるか?戸惑いを見せる。頭はいいが、人間を見る目が無い人。パスカル風に言えば、「幾何学的精神」は異常に発達しているが、「繊細な精神」は幼児段階に留まっている人。こういう人は人間嫌いとは言わないだろう。人間嫌いというと、気難しく捻くれ者と思われがちである。だが、本書は、如才なく振る舞い、人あたりがよく、社交的な人間嫌いも多いという。他人に無関心な人は、ごく自然にそういう生き方を選んで、自分に絶望することはない。しかし、社交的な人間嫌いは、ちょっと油断すると絶望に陥る。たとえ嫌いな人間であっても、ある程度距離を置けば、その人間の持つ長所については尊敬することだってできる。だが、こちらの世界に深く入ろうとする無神経さには我慢できない。

3. 人間嫌いのルール
ここで本書で紹介される「人間嫌いのルール」10カ条を羅列しておこう。
(1) なるべくひとりでいる訓練をする
(2) したくないことはなるべくしない
自信を持ったおおらかな自己中心的な人間というのは、だいたい特殊な才能を持ち、それを支える特殊な感受性が社会的に認められた人である。こうした自己中心的な人は、他人の自己中心も尊重する。
(3) したいことは徹底的にする
したい事をして失敗した人は、したい事をしないまま人生を終えるよりもずっと豊かで充実しているだろう。家族や子供のためにとか、勇気がないからとか、才能がないからとか、いくら理由を並べても無駄である。
(4) 自分の信念にどこまでも忠実に生きる
他人を理解することは時間もかかるし努力も必要である。そうしたことに時間を割くのではなく、他人が抱く信念を妨げない。実際問題として、自分と対立する信念の持ち主と時空を共有することは不愉快である。したがって、彼らを尊重し遠ざかっていけばいい。
(5) 自分の感受性を大切にする
(6) 心にもないことは語らない
本心だけを語って生きるのは難しい。本当に信頼している者同士でも通用するか分からない。それでも本書は、それほど親しくない人にも適用してみることを薦める。そして、「心にあることはそのまま言う」ではなく、「心にもないことは語らない」という否定的な意味で捉えれば、人を傷つけるようなことから回避できるという。人は、なぜ心にもないことを言うのだろうか?相手を傷つけないためという良心的な意味もあるが、ほとんど自己防衛のためであろう。
(7) 人がいかに困窮していても、頼まれなければ何もしない
むやみに他人に干渉しないと言い換えてもいい。これは他人の困窮に見て見ぬふりをするという意味ではない。きちんと見た上で、場合によっては手伝うが、拒否されれば何もしないということである。もちろん、他人が生命の危機にあるとかいうレベルではなく、日常的なレベルである。人間は往々にして見返りを求める。社会は恩を忘れないように教える。言い換えれば、恩を計算することを教える。もっと言い換えれば、そうしない人は軽蔑し排斥すべきであると教える。
(8) 非人間嫌いとの接触事故を起こさない
(9) 自分が正しいと思ってはならない
相手が正しくないという感情が混入した人間嫌いは多いという。人間嫌いは、感受性や信念が一般人とずれている人種である。どちらが正しいわけでもない。両者は異なっているだけである。善人たちは、往々にして自分は正しいと信じている。それも愚かなことであるが、だからといって人間嫌いも同様に自分が正しいと思えば、同じ愚かさを共有することになる。
(10) いつでも死ぬ準備をしている

2008-11-23

"戦場の現在(いま)" 加藤健二郎 著

著者は、自ら戦争に強い思い入れを持って戦地へ赴いたと語る。幼少の頃から戦争に興味を持ち、兵士に劣らず専門知識を勉強したが、各地で志願しても視力が低いなどでうまくいかず、仕方なくジャーナリストになったという。そして、15年以上もの間、世界の戦場を渡り歩いた様子を回想する。著者にとって戦争取材は戦場へ向かうための手段に過ぎない。ちなみに、アル中ハイマーは、むかーし防衛大学を受験した。おいらも視力が低いがそれ以上に学力が低い。
戦争取材をする人の多くはジャーナリストやカメラマンである。だが、著者はジャーナリストはやじ馬の香りがするので嫌いだという。いまだにそのイメージは拭いきれずジャーナリストとしての誇りが持てないという。著者は、戦場に突入する時、「特に根拠のない自信」を持たないと弱気になって失敗すると語る。そして、検問や包囲網を潜り抜け、ゲリラと行動を共にし、拷問覚悟で拘束される様子や、列車の中では無理やり現地人と親しそうに大げさに笑ったりして検閲から逃れる様子などが語られる。それも、映画「大脱走」のシーンを重ねながら意外と明るい感じでつづられ、まるで冒険小説のようでもある。生命の危機を体験した人は明るく語れるのだろうか?何事も前向きでないと成功しないということだろうか?苦しい時にこそ明るさが必要なのかもしれない。ちなみに、アル中ハイマーは少し落ち込んでいる自分が好きである。ちょっとMだし。

日本人が戦争体験をすることは非常に難しい。平和ボケし、どっぷりとぬるま湯に浸かった酔っ払いに、こうした体験を綴ってくれるのはありがたい。本書を戦争好きな人間による平和論として読んでいる。それは、実際に戦っている兵士同士の醜さよりも、軍の威厳や政治の思惑あるいはメディア戦争といった外圧によって、対立を煽られている様子を物語るからである。平和論者は戦争を悪魔の代名詞のように叫ぶ。だが、その悪魔を解明しなければ、泥沼へ落ちていく姿にも気づかない。建物を破壊したり人を殺すという意識には全く進歩がないようだ。闘争本能は人間の本質としてある。近代戦争は、ハイテク化する分、被害範囲を狭めることができるかもしれない。しかし、巧みな諜報活動や正当化を装うメディア戦が存在する分、複雑でやっかいである。

近代戦の風景では、ユーゴが空爆に曝された時、首都ベオグラードの雰囲気は呑気なもので、深夜になっても灯火管制がひかれるわけでもなく、日中は商店やカフェバーなどに人々が出入りしていたという。ジャーナリストは、燃える建物や病院の犠牲者など、これぞ戦争!という映像を並べるが、彼らは戦争らしい絵を撮るために各地を駆けずり回っているだけだという。そして、死体袋に入った死体を求めるのではなく、現場に放置された残虐無残な死体を求める。彼らは、軍部や政府の暴走と報道しても、マスコミの暴走とは報道しない。戦況報告を水増ししたところで、大した問題にならないのだろうか?死者が多ければ、被害者意識を煽り国際世論を味方に付けることができる。攻撃側から見れば戦闘効果をアピールできる。そこで問題になるのが、その死者は戦闘員か?民間人か?である。誤爆などは、被害者側の絶好の宣伝材料だ。近代戦争では、死者の数の正確性よりも、プロパガンダ性を重要視する傾向にあるようだ。いつの時代でも、戦争の死者数を低い方へ修正しようとすると批難される。戦争は派手に注目され、歴史のページを飾りやすい。にも関わらず、あまりにも不正確な情報が飛び交うのも皮肉である。歴史として残りやすいから、有利になるように画策される。そもそも歴史文献には、時代の権力者が都合の良いように伝えるという性格がある。これを鵜呑みにして、史実を解明していることを嘆いている歴史学者も少なくない。ましてや戦争資料となると捏造が氾濫し正確な歴史解明は難しい。著者は、戦場写真は証拠を撮るという意識のある人は稀で、芸術性を求める人が多いという。現地住民がいつも命をかけて紛争を求めるとは考え難い。どこの住民でも平和を願うだろう。にも関わらず、軍部や政治屋にメディアが加担して戦争を煽られる様子がうかがえる。著者は、戦闘シーンを求めて駆けずり回った挙句、戦後の光景を眺めると虚しさを感じると語る。そこには、新築住宅が出来上がり、商店が並び、着々と復興する姿がある。これは、現地住民が平和に暮らすことを願っている証でもある。著者は次のように語る。
「戦争について生き生きとしているのは、外国人ジャーナリストだけか」

1. 戦場の光景
銃撃戦の最中、弾をかいくぐる兵士の描写は生々しい。その中で、著者自身の緊張と興奮が伝わる。拳銃の音は映画で見られる撃つ側からの音はほとんどせず、撃たれる側の銃弾の唸る音を伝える。戦地の中でもサラエボなどはホテルで宿泊しながらの取材だから楽だという。それに比べてジャングル戦は過酷で、一に体力、二に体力。先に衰弱した方が注意力と冷静さを失い危機となる。こうした状況下で、著者は日本人の代表という意識を持ったという。実際の検問の厳しさは、地元住民が普通に使っている路線バスなどで移動しないと分からないらしい。タクシーやチャーター車では、外国人ジャーナリストというだけで特別にパスできるからである。また、安全上でもチャーター車を利用すると、目撃者がいない状態となって狙われやすいという。紛争地で犠牲になる日本人は、チャーター車での移動中というケースが多いようだ。

2. チェチェンの爆撃
1994年、チェチェンはロシアからの独立を求めて、第一次チェチェン戦争が始まった。1996年、激しいテロ活動のためにロシアは撤退する。しかし、1999年バサエフ率いるチェチェン共和国は、隣国ダゲスタンを攻撃したため、これにロシアが介入し第二次チェチェン戦争が勃発する。2004年、ロシアでは連続して大規模なテロが発生。バス停爆破、地下鉄駅爆破、旅客機二機の爆破による墜落、北オセチア共和国の小学校占拠人質事件。これらの事件に犯行声明を出したのが、チェチェン独立派の司令官シャミール・パサエフである。彼は、チェチェンの英雄となり、ロシア側からはテロリストとして恐れられた。著者は、このパサエフの部隊に従軍した。この頃の著者は、最前線でのノウハウを身に付けていたが、ロシア語もチェチェン語も勉強せず手抜かりがあったことを反省している。言語に対する手抜きは、近年のジャーナリストに多く見られる傾向らしい。イラク戦争を取材している日本人ジャーナリストでアラビア語を習得している人は極めて少ないという。言語の習得は重要で、現地人と本音で話す機会を得たり、危険を察知する手段でもある。ここでは、圧倒的に優勢なロシア軍に包囲されていた様子を物語る。膠着状態で戦場にしばらく生活していると、敵の射撃音や飛翔音の微妙な違いを聞き分けることで、着弾地点が推定できるようになるという。それは、敵が火砲位置を変えずに射撃しているからであり、砲兵隊としては手抜きである。陸上自衛隊などは、射撃をしたらすぐに移動するのが鉄則である。このような点からも、当時のロシア軍のレベルがそれほど高くないことがうかがえる。また、暗視装置もそれほど充実しておらず、夜間攻撃の数も少なかったという。米国防省が公表した資料によると、毎日の犠牲者が部隊の3%に達すると、戦意喪失につながる危険領域だとされているらしい。こうした戦場心理を統計データと現実とを比べて体験できることが、著者にとっての関心事だという。チェチェンでは、その統計データのぎりぎりのところでの防衛戦だった。やがて、部隊の配置をロシア軍に発見され、包囲からの脱出が始まる。著者は、その脱出部隊のトラックに同乗しロシア軍の側を通過したという。無駄な戦闘は避けたいという心理はロシア軍にもあって、包囲から逃げられたのも、そうした心理が働いたからであろうと語る。強硬派のテロリストとされるバサエフの部隊でも、それほど狂信的な兵士が集まっていたわけでもないという。

3. 誇張される戦況
バグダッド侵攻で、攻撃ヘリ部隊の強襲を伴うような激戦があったと発表されても、実は戦闘そのものがなかったことや、事実と違う発表がなされることが多いという。戦車を爆破したという発表も、実はエンジントラブルだったという話はよくあるそうだ。こうした傾向は戦況報告ではよくあることで、逃亡する敵を追いかけて進撃したというよりは、激しい抵抗の中で進撃したとする方が、相手の名誉も傷つけず、味方の勇敢さが誇張できる。犠牲者にしても誇張される傾向にある。それだけ損害賠償の対象にもなるし、戦後復興のために世論の同情を引きつけることができる。バグダッド突入作戦で、二千人のイラク兵を殺したと米陸軍第三師団のHPでも発表されたらしい。しかし、これほど大規模な戦闘が行われているのも疑わしいという。その突入の後に残されていたイラク兵の死体は、50体ほどと言われているらしい。実際に死体を回収したイラク人によると、死体は250体ほどで、その多くは状況を知らずに歩いていて射殺された民間人が多く含まれていたという。メディアは、注目を集めるために血みどろの大激戦を期待し戦況を誇張する。そこに、勝者と敗者、軍部の思惑、政治の思惑の利害が一致するという奇妙な構図がある。本書は、次にように語る。
「日本では平和ボケという言葉が使われることが多くなっている。その言葉を借りるなら、負けると分かっている戦争で徹底抗戦するなどと予測する専門家たちこそが、まさに平和ボケしていたのである。」
自爆攻撃を敢行する一部の人々が、人民の意志を代表しているという考えこそ、大きな平和ボケだという。米軍の空爆による近代兵器の威力だけでなく、情報通信システムの脅威を見せ付けたことも、戦意を失わせるのに充分な効果があったことを物語っている。あまりにも一方的過ぎる戦況は、軍事予算を計上し難いということか。

4. メディア戦争
ボスニア・ヘルツエゴビナの紛争では、セルビア人が悪者とされ、ユーゴスラビアは国連から除名された。これは、先日の「ドキュメント 戦争広告代理店」でも記事にした。セルビアは既にメディア戦で負けていた。セルビア当局が何十人かの民間人の死体が発見されたと発表すると、外国人ジャーナリストはアルバニア人か?セルビア人か?と聞く。そして、セルビア人だという答えが返ってくると、記事にならないとして取材希望者がいなくなり、イタリア人記者一人と著者の二人だけになったという。セルビア戦争ではセルビア人の被害を取材してもあまり報道されない。更に、コソボ紛争では、取材すらしないといった状況があったという。本書は、コソボ南西部の町で出会ったアルバニア系の男の言葉を紹介している。
「ジャーナリストなら真実を書けよ。自分の目で見たこと聞いたことだけを書いてくれ。戦争を起こす方向に持っていくような報道は迷惑だからやめてくれ!」
悪者にされるセルビア人だけでなく、アルバニア系の人にも明らかにメディアに対する不信があったという。日本のメディアの偏向報道も酷いものだと常々思っているが、欧米はさすがにスケールが違う。アルバニア系の人々は独立を希望しているが、戦争を望んでいたわけではないという。そして、セルビア人の一方的な虐殺を報じることが、戦争を煽る結果となっていると指摘している。こうなると、軍事産業で利益のある国の思惑が潜んでいるように思われる。アメリカの攻撃を一方的に受ける運命にある勢力に共通して言えることは、既にメディア戦争に負けているということだ。
ところで、セルビアでは、闇商売があまり広がらなかったという。警察が厳しく規制していたのものあるだろうが、「自国が空爆されているときに私腹を肥やすなんてけしからん」という風潮もあるらしい。

5. 日本大使館のエピソード
湾岸戦争の時、イランの動向を調査するために入国した時のエピソードは笑える。と言ったら著者に怒られるかもしれないが。仇敵イラクと戦うのか?イスラムの敵米国と戦うのか?この時点ではまだ誰も予測できない。そこで、著者は軍隊がどこに集結しているかを観察して回る。そして、イラン警察にパスポートを没収され難儀する。ホテルで、私服警官三人がカラシニコフを持って部屋に入ってきて、フィルムなどを没収される。日本大使館に電話したら、「イラン警察はパスポートを取るなんてしません。それは盗賊ですよ。」と、逆に、著者の不注意を責められたという。当時の日本大使館が、イランの危機的情勢をあまりにも理解していないことを呆れている。日本大使館などに電話した自分が愚かだと反省しきりで、二度と日本大使館とは関わりたくないと語る。官僚に危機的状況を説明したところで、こちらのせいにされるのが落ちだ。日本大使館から警察当局に抗議できるものと思ったら、どうやら違うらしい。外交ルートを通じてイラン警察に釈明を求めるが、その外交ルートというのがおもろい。まず、東京の外務省からイランの外務省に事件の釈明を求めて、イランの外務省から警察に釈明させ、その釈明内容をイラン外務省から東京の外務省に伝え、東京からイランの日本大使館に報告するというものらしい。少し外務省を弁護すると、当時に比べれば現在では外務省の動きは格段に素早くなっているという。それも、日本人が拘束される事件などを経験したからであろう。更に、著者とイラン当局のやりとりもおもしろい。著者はスパイ容疑がかかっている。当時アメリカ大使館がイランに存在しなかったので、日本大使館を通じて諜報活動をしていると睨んでいる。そして、著者があっさりと日本大使館から見捨てられた理由を探ろうとする。

6. クルド人
クルド人は国家を持てない悲劇の民族と言われる。彼らはトルコ、イラク、イラン、シリアなどに住んでいる。しかし、クルド人同士の内紛も多く、他国の介入がなくても団結するのは難しいという。湾岸戦争以降も、イラクとトルコのクルド人は内紛を続ける。湾岸戦争でイラクが敗北したことで、クルディスタン自治州が誕生した。そこでも、KDP(クルド民主党)とPUK(クルド愛国同盟)の内紛が収まらない。そして、KDPは、フセインに依頼してイラク軍の派遣を請うというように、各勢力で後ろ盾を確保しようと画策する。クルド人同士で団結するというより、隣のクルド人と戦うために隣国の軍隊を引き入れるといった歴史を持っているという。

7. 見せかけのイン・パ戦争
パキスタンとインドは、カシミール地方の領有を巡って対立する。イギリス領から独立した時、ヒンズー教徒の多いインドと、ムスリムの多いパキスタンに分裂した。カシミール地方は、大多数がムスリムであったが、藩主がヒンズー教徒であったためにインド領となる。そのためにカシミール地方の住民は、パキスタンへ帰属を望む人が多いという。その抵抗をインドが弾圧し、パキスタンはカシミールのムスリムを支援するという構図がある。一次、二次イン・パ戦争を経て、第三次では、パキスタンが敗北し、東パキスタンがバングラデシュとして独立する。現在では、その紛争も沈静化しているようだ。機関銃陣地の視察で、防弾遮蔽に対する気配りや、機関銃の配置具合を見ても、とても両国が戦争しそうな雰囲気はないという。実際に現地の軍人にインタビューしても本音が返ってくるわけがない。そこで、企業経営者たちの意見を聞いてみると、軍部が権限と予算を保持するために、無理やりカシミールの戦争が重要だとアピールしているに過ぎないといった意見が大半だという。世の中にある紛争の火種は、その多くが軍部の権益や政治利用のためのものであろう。火種を用意しておいて、いつでも政治利用できるように確保しておく。そこに、メディアがマッチを持って歩いて回る。これが多くの紛争の正体なのかもしれない。

8. 日本政府の姿勢
対テロ戦争や自衛隊のイラク派遣は、アメリカに追従した日本政府の姿勢である。第一次派遣隊の壮行会で、「米軍が13万人以上の部隊を展開しても、どうにもならないイラクで、500人の自衛隊が役に立つなどと思わない方がいい。イラクに駐屯するのが目的である。」といったスピーチがあったという。プロの自衛官を誤魔化すようなスピーチをしても無駄ということらしい。本当の目的は、国内における自衛隊の地位向上、権限拡大、運用範囲の拡大であると考えている国民も多いだろう。戦争をやりたがる政治屋は、自衛隊で地獄のレンジャー訓練を経験させなければならないといった意見もある。戦争では、命との関係を語られることが多い。しかし、実際は、命だけでなく、重たい装備を持ち歩き、汚い環境で生活し、下痢で苦しむなどの体験をしただけでも、二度と戦争などしたくないと思うはずだという。首相からの命令には、意義を唱えずに服従するのが良い軍人であるとされる。軍が勝手な意志で行動することの危険性は歴史が示している。統帥権の微妙な位置付けが、軍部の暴走を助長したとも言えるだろう。やはり、シビリアン・コントロールが基本である。だが、現場の本音や真実が国家指導者に伝わる可能性が低いという矛盾がある。平和主義を唱える政治家が選挙に勝つことが圧倒的に多いが、平和主義を履き違えているケースも多い。軍事研究をしない政治家による舵取りの危険性はどうやって解消すればいいのか?歴史には平和主義者が戦争へ誘い込んだ例は多い。少なくとも防衛大臣が戦略の素人では話にならない。

2008-11-16

"ドキュメント 戦争広告代理店" 高木徹 著

本屋をぶらぶらしていると、なんとなくタイトルに惹かれた。本書は、NHKスペシャルで放送されたドキュメンタリー番組「民族浄化 - ユーゴ・情報戦の内幕」に、番組で紹介しきれなかった記事や、その後の情報を加え、国際紛争の仕組まれたPR戦争の実態を記したものである。この番組は観た覚えがある。その中で紹介される民族浄化のCMには、嫌悪感を抱いたものだ。そこには、血筋を清めるためのレイプなどの残虐行為がある。

民主主義の下で軍事行動を起こすには、正義の旗印を掲げることが絶対条件である。そうでなければ世論を納得させられない。逆に言うと、なんでも正義の口実をでっちあげればいい。本書は、メディア戦略に左右される民主主義の恐ろしさを露呈している。今日では、インターネットなどの高度な情報手段が発達し、あらゆる情報が簡単に入手できるようになった。これは、国際世論を扇動するための政治戦略の道具となる。巧みな情報操作とは、デマを流布すことではない。重大な事実を過小評価させ、些細な事実を誇張することである。これは報道にもよく見られる傾向であり、当人が意識しているかに関わらず、情報が捻じ曲げられる。言論の自由を叫ぶメディアが、自由な言論を迫害する現象もある。その結果、世論に煽られて正義と悪が入れ替わる可能性だってある。民主主義 + 情報化社会には、それを助長する危険性をはらんでいる。優れた情報戦略やPR戦略を具えた組織が、経済活動や軍事活動を有利にさせるのは、民主主義の宿命なのかもしれない。W.リップマンは、その著書「世論」の中で、ジャーナリズムの本質は人間の理性にかかっていると悲観的な結論で締めくくった。現実に、国際紛争や経済活動の中で陰の仕掛人が暗躍しているが、PRのうまい方が勝つというのも幼稚な社会に見える。軍事戦略やマーケッティングのみならず、規格化競争しかり、討論会しかり。世の中が便利になればなるほど人々は横着をし、情報を得るにしても手軽な手段に走りがちになる。それも仕方がないだろう。多くの知識を得る機会が増えて、その恩恵を受ける場合も多い。ただ、それをプロの情報屋がやっては、本質から遠ざかる傾向となる。人類には、時代の流れをものにした者が勝利してきた歴史がある。人間社会では、優れた方が必ず勝利するという原理は機能しないようだ。

ここで扱われる題材は、90年代に起きたボスニア紛争である。紛争後、ボスニア・ヘルツエゴビナの首都サラエボでは、世界からの援助によって資金や人材が流れ込む。その一方で、セルビア・モンテネグロの首都ベオグラードでは、NATO軍の空爆でトマホークの直撃を受けたままの瓦礫の山で放置される。同じ旧ユーゴスラビアでありながら、なぜこのような違いが現れるのか?本書は、それがまさしくボスニアが情報戦争に勝利した証であると語る。ボスニア紛争は、冷戦構造の終結と共に起こった民族紛争の中でも最大級のものである。著者は、この紛争が実際にはどういったものなのか?誰が加害者で誰が被害者なのか?それを客観的に述べられる人物は世界中どこを探しても居ないという。分かっているのは、この紛争で失われた命は数十万人、その後のコソボ紛争やNATO空爆によって更なる犠牲者を生んだという事実だけである。冷戦構造の終結後、西側諸国は民族紛争でどちらに味方していいのかを判断するのが難しい。国際世論はどちらにでも傾く可能性がある。そこで重要な役割を果たすのが巧みなPR戦略である。本書は、そのPR戦略で活躍したアメリカの民間企業とアメリカ国務省の姿を物語る。国際世論は、セルビア人を悪とし、モスレム人を悲劇の主人公とした。その手段は、「民族浄化」と「強制収容所」という二つのbuzzwordによってもたらされた。国連も、世論に従いユーゴスラビア連邦を追放した。しかし、著者は、セルビア人だけが悪とされる論調に疑問を投げかける。セルビア人だけでなく、モスレム人にも、クロアチア人にも責任があると主張する。世論が一方的になったのは、国際的に関心のなかったボスニア紛争に、最初の段階でイメージを定着させたことにあるという。本書の主題は、この差が生じた原因に迫ろうとする。それは、PRのプロを雇ったモスレム人と、雇えなかったセルビア人との差である。実際に、旧ユーゴ戦犯法廷ではモスレム人も収容所をつくり、人権侵害を行ったとして逮捕者が出ている。戦場からネットを通じて、国際世論を誘導する手段には倫理上の疑問が残る。だからといって情報を規制すれば、権力によって情報を支配されてしまう。情報の検証も必要である。湾岸戦争のように少女の証言による「やらせ」などは批難されるべきである。紛争はいつもどこかで起こっていて、ますますPR企業は繁盛しそうだ。本書は、紛争に介入するPR企業は「情報の死の商人」であると語る。

本書で恐ろしく感じるのは、アメリカのPR企業のレベルの高さだけでなく、彼らは民間であるがために、どこの国とも契約する可能性があるということである。政権が交代する度に、高級官僚は総入れ替えとなり、民間と政府の間を行き来しているというのも、日本では考えられない光景である。アメリカの柔軟さは、国際紛争のPR活動で成功した者が望めば、国務省入りすることもあり得るということだ。本書は、そうした懐の深さが、国際政治のPR戦略を立案するためには絶対に必要であると語る。日本では、大学を卒業したら外務省に入り、一生その中で生きていくのが大半である。最近では、多少の人材を民間から登用することもあるが、量、質ともに話にならない。著者は、硬直しきった官僚の人事制度を根本的に変革しない限り、日本の国際的地位は下がると断言している。こうしたPR戦略は、民間企業で起こるスキャンダル問題でも当てはまる。不祥事や事故などの事態で、多くの企業がメディア対応の失策によって社会から葬り去られている。発展途上国の成長によって、いずれ日本は経済的な優位性を失うだろう。そして、国際世論の奪い合いといった舞台に引きずり出される。日本の政治家や官僚は、世論に訴えるよりも、相変わらず有力者に接近するという手法を繰り返す。コネ社会という伝統がそうした行為を根付かせているのだろう。日本は、ナチスと同盟したファシズム国家であったという過去の看板を背負っている。現代感覚からすると、なんとも馬鹿馬鹿しい発想であるが、PR戦略はどんなことでも材料にして攻撃を仕掛ける。こうした時代の流れは、好まずとも押し寄せるであろう。

1. ボスニア紛争
指導者チトーの下、40年間続いたユーゴスラビア連邦は、六つの連邦で構成される多民族国家である。チトーの死と冷戦構造の崩壊は、民族独立の気運を蘇らせた。まず、最も西に位置するスロベニアが独立。次にクロアチアが独立。これに対して連邦政府は軍事力で独立を阻止する。当時の政府は、セルビア共和国の大統領ミロシェビッチらに牛耳られていた。その構図は、ユーゴスラビア体制を維持しようとするセルビア人と各民族との対立である。ここで注目すべきは、ボスニア紛争は他の独立とは事情が違っている点である。スロベニア共和国は、その大半がスロベニア人で占められる。クロアチア共和国もクロアチア人で占められる。しかし、ボスニア・ヘルツエゴビナは、最大民族モスレム人でも四割を占める程度で、三割のセルビア人、二割のクロアチア人といった具合である。モスレム人は、中世に征服したオスマントルコの影響によってキリスト教からイスラム教に改宗した人々の末裔だという。当時のボスニア・ヘルツエゴビナは、モスレム人による政府である。ボスニア紛争は、モスレム人とセルビア人の対決である。

2. PR企業ルーダー・フィン社のジム・ハーフ氏
物語は、1992年、ボスニア・ヘルツエゴビナの外相ハリス・シライジッチがアメリカを訪問するところから始まる。彼は人権活動家や国務省の要人と会い、アメリカを味方につけようとするがうまくいかない。アメリカの中東介入が素早いのは、その関心事が石油だからである。バルカン半島の紛争は、所詮ヨーロッパの裏庭の揉め事でしかない。また、バルカン半島はパルチザンの伝統を持つので、地上戦ともなれば泥沼化しそうである。アメリカに限らず軍事介入は避けたいところだろう。アメリカ政府を味方につけるためには、まずアメリカ世論を動かすことだ。世論の後ろ盾無しで予算を付けることは、政府としては自殺行為である。そこで登場するのが、アメリカの大手PR企業ルーダー・フィン社の幹部ジム・ハーフ氏である。通常の顧客は民間企業であるが、ハーフ氏の得意分野は国家そのものを顧客とし国益を追求することだという。彼は、1991年にクロアチアと契約しバルカンの文化や歴史を研究し、クロアチア独立戦争に正当性をアピールした経験があるという。民族紛争を小国の内部紛争で終わらせるかどうかは、国際問題にできるかどうかにかかる。ハーフ氏の手法は様々な点で関心させられる。人間は、外部から窮地に追い込まれると、それを訴える時には、どうしてもその経緯を感情的に説明したくなるものである。だが、ハーフ氏はそれはタブーだという。そうした前提を説明している間に視聴者はチャンネルを変えてしまうからである。歴史的経緯などはどうでもよく、その瞬間に起きている悲劇を訴えないと効果はない。物事を一言で印象付けることができればその効果は絶大である。そこで登場させるのがキャッチコピーである。頭が良い人ほど一言で物事を判断できるだろうが、おいらにはゆっくり観察する時間を与えてくれないと理解できないので、歴史的背景などを説明してくれる方がありがたい。情報化が進む分、頭が悪いぐらいがちょうどよいのかもしれない。

3. 民族浄化
ボスニア紛争が他の紛争と違っているのは、「民族浄化」を謳っている点である。PRビジネスとは、メッセージのマーケッティングでもある。いかにミロシェビッチが残虐行為をしているかを宣伝することが仕事である。アメリカという国は、民主主義や人権という価値観に敏感に反応する。「民族浄化」というキャッチコピーには、欧米人にとってナチスの迫害を思い浮かべるものがあり、見事に大戦のトラウマをついたものである。日本人のおいらでも、この言葉にはインパクトを感じる。ハーフ氏は、セルビア人 = ナチスというイメージを見事に作り上げた。ただ、ホロコーストやナチスという直接の表現は避けている。残虐の規模からすれば比べようもなく、下手するとユダヤ人への冒涜となる可能性があるからである。「民族浄化」という言葉は、バルカン半島には以前からある言葉らしい。第二次大戦時に、セルビア人とクロアチア人の紛争で使われたという。当時、クロアチアにはナチスの傀儡政権があった。多民族が混在する中、無理やり「クロアチア人の純血国家」とする政策をとり、「セルビア人狩り」をした。これは、セルビア人の六人に一人が殺されるという凄まじい残虐であったという。この言葉は、戦後チトー政権の元で封印されたが、うってつけの言葉である。アメリカ国務省もこの言葉に目をつける。ミロシェビッチを、サダム・フセインやカダフィと同じように、残虐者という印象を与えるのに都合が良い。その一方で、歴史的には、イギリスもフランスもセルビアに親近感があった。第二次大戦でナチスの傀儡政権に、死力を尽くしたのはセルビア人である。よって、当初ヨーロッパとの歩調は合わなかったが、「民族浄化」という宣伝文句が後押しをする。アメリカでは、連日ボスニアの話題がマスコミを賑わす。アメリカ人の中には、ボスニアで親を失った子供を養子に迎えたいという申し出まであったという。アメリカの国民性は、こうした苦難に直面している人々を見ると、奉仕の精神を見せるところがある。この点は素晴らしいが、それを逆手に取る連中がいつも付きまとう。実際に、モスレム人だけが被害者なのかということに疑問を持っている知識人も多かったという。しかし、世論の風向きからして発言するには勇気がいる空気が流れていた。

4. 強制収容所
「民族浄化」がナチスを直接言及しなかったのに対して、「強制収容所」はナチスのイメージそのものである。セルビア人がモスレム人を収容しているというスクープをしたのは、ニューヨークのタブロイ紙ニューズデイだという。以前から、強制収容所らしきものがあるという噂が渦巻いていたが、その情報を具体化させた。確かに収容所はあったが、それほど残虐なものだったかは疑われたまま、セルビア人による報道規制などの状況から想像して記事にされたという。その後も十分な証拠に裏付けされたものかどうかは判断できないらしい。しかし、その記事を書いたガットマンという記者は自信満々だったという。彼はピューリッツァー賞に輝いた。ある情報では、ボスニア・ヘルツエゴビナで若い記者が事実を捻じ曲げた情報を、メディア本社に送っていたという証言もあるらしい。ニューズディはタブロイド版の地方新聞に過ぎないので、それだけでは世間を賑わすことにはならない。この記事にハーフ氏が目をつけ、このイメージが大手メディアに浸透していく。強制収容所の衝撃は、国連と議会を刺激する。こうして、セルビア人が加害者でモスレム人が被害者という構図が出来上がったという。

5. 国連軍のマッケンジー将軍
国連軍サラエボ司令官のマッケンジー将軍は、カナダ軍の名声を高めた英雄として凱旋した。将軍は軍歴の大半を国連平和維持活動に捧げた人物として紹介される。彼はハーフ氏から警戒されていたという。悪いのはセルビア人だけではないと発言したからである。現場の将軍の発言には説得力がある。そもそも国連は中立でなければならない。マッケンジー将軍は、紛争に介入することではなく、監視する役割を十分に認識していたという。将軍は後に中立であることにこだわり続けたと述べている。実際に、セルビア人による残虐行為の情報には、根拠のないものも多かったらしい。例えば、動物園のライオンの檻に、モスレム人の赤ちゃんが餌として投げ込まれているとかいう話が、真面目に大新聞にも掲載されたという。大砲をわざと病院の脇に設置するなどといったことを双方ともやっている。国際世論を惹き付けるための行為は互いに卑劣で、被害者になるように仕組んでいると将軍は証言している。国際世論を敵に回したセルビア人からすると西側の記者は敵である。期待に応えて侮辱的なゼスチャーもするだろう。これが更に悪いイメージとして報道される。メディアは、決まってわざと感情を煽り、人間性をカメラの前に曝け出そうとする。こうした挑発的な態度でメディアを敵にして墓穴を掘った著名人も多い。マッケンジー将軍にとって不運だったのは、任務を終えた頃、ちょうど強制収容所説が大ブレークしたことであるという。国連本部での記者会見でも、その質問が浴びせられたが将軍は一度も見ていないと発言した。これはハーフ氏にとっては死活問題になりかねない。強制収容所説がでっち上げとなり、敵のPR戦略の材料にされかねない。将軍の発言はカナダ政府への抗議となった。上院での公聴会では、議員たちが詰問調の質問を浴びせかける。地元カナダの論調も英雄扱いから、疑念の目で見られる。ただ不思議なのが、マッケンジー将軍が帰国した、そのタイミングで強制収容所説が湧き上がったことである。まさしくPR戦略の餌食にされたのかもしれない。将軍は様々な中傷を受けたという。将軍自身がサラエボの収容所でモスレム人の女性をレイプしたといった話まで飛び出す。国連軍の将軍として派遣されたからには、双方の政府が接触してくるだろう。セルビア人と面会した事実もあるに違いない。そうしたこともPR戦略では材料にされる。こうして、将軍は人生を狂わされ軍を去ったという。

2008-11-09

"武装解除" 伊勢崎賢治 著

本屋を散歩していると、ある言葉に目が留まった。「職業: 紛争屋」アル中ハイマーはこの宣伝文句にいちころである。著者は、アフリカのシエラレオネという最貧困国とも言うべき国で国連NGOとして活動し、東ティモールでは県知事を務め、アフガニスタンでは日本のODAに参加した経験を持つ。紛争を目の当たりにした立場からの論議は、視野の狭いアル中ハイマーに新たな角度を与えてくれる。人類の歴史には、平和主義者が戦争を呼び込んできた例が多い。また、本当の意味での平和を願っているのは軍人であると主張する偉大な軍略家も少なくない。実際に軍事の現場を見た人間でないと、真の平和論は語れないのかもしれない。人間社会はおもしろいもので、経済学者が経済危機を引き起こし、政治家が悪しき政治を招き、道徳家が道徳を乱すといった現象がある。

ここで言う「紛争屋」とは、国連が乗り出す紛争処理を渡り歩いている連中のことである。世界で紛争が起こると国連安保理が乗り出し、PKOなどの国連ミッションが生まれる。紛争処理の現場はものすごい速さで動くため、多くの人が招集され各国代表も殺気立つ。紛争国に権益がある国にとっては、ここで政治力を発揮できないと外交力のない国と見なされる。こうした短期決戦の場では、幹部ポストの人間は自分の息のかかった人物を集める。これは縁故主義ではあるが、人間関係を新たに構築する暇はない。したがって、紛争処理の現場では顔見知りの人間と出会う機会が多くなるという。

本書は、平和を支える治安装置の意義に、日本のメディアは嗅覚が麻痺していると語る。国際援助では、留置場、刑務所などの体制系インフラは、小学校や病院などの癒し系インフラに比べ、興味を引きにくい。メディアが好む映像もその傾向にあり、日本の論調もその流れに乗る。統一国家が形成される中でもっとも重要なのは治安である。本書は、小学校よりも刑務所の方が大事だということを、日本国民も認識すべきだと訴える。海外の軍事行動を監視するのは官ではなく民であって、民意を創るジャナーリズムが有効である場合が多いという。ジャーナリズムの眼が愚かな政治判断の抑止にもなる。しかし、日本のジャーナリズムは大本営化していると嘆いている。各社が大挙して護送船団のように押しかけ同質の報道を続ける。イラクにおいても、自衛隊の広報が流した情報をあたかも自ら取材したかのように流す。戦場報道に限らず政治報道においても、その癒着体質は報道内容からも見てとれる。

本書は、日本政府の援助は政治的な条件をつけることを知らないと嘆く。それを内政干渉と見なし避けてきた伝統がある。しかし、平和を願って出される血税の使い道を監視するのは当り前である。軍事行動に独自判断を許すわけにはいかない。そこで、軍隊には最良のパートナーが必要となる。平和目的の軍隊はシビリアンコントロールが原則である。自衛隊の海外派兵が、どこの国策にも影響されない中立なパートナーによってコントロールされることが望ましい。国連は完全に機能していないにしても、米国よりは公正に思える。平和への理念は、政治や外交を超越した世界であり、各国の利害関係を優先するものではない。しかし、各国は一つの外交手段として権益を主張する。そもそも、そんなに貧しい国に、カラシニコフが大量に出回るとはどういうことか?巨大な武器生産国が、国連の常任理事国を占めているのも、紛争屋にはやるせないだろう。今日、一国の内戦という事態を、国際社会が見過ごすことはない。国際社会は民主主義の構築を求める。そのために莫大な予算が飛び交う。たとえ民主主義が自然発生的に起こらなくても、非民主的だという理由で、その手段が侵略であっても、無理やりにでも誘導する。そして、紛争屋も繁盛する。

本書は、自衛隊の平和利用のための具体的な方法も提起している。軍事力を持つ自衛隊の存在に、憲法との矛盾を感じている人も多いだろう。日本には、憲法に関する根本の議論を避けてきた経緯がある。ここを避けて自衛隊の海外派兵を既成事実化する。安全な場所への派兵という言い訳ならば、民間を派遣すればいい。後方支援という言葉も意味をなさない。何よりも気の毒なのが、実際に活動する自衛隊である。本書は、自衛隊の一つの貢献方法として、国際軍事監視団に参加することを提案している。平和憲法を掲げる日本にとってうってつけの役割にも見えるが、あっさり却下されたという。監視団は、武装勢力の中に入って双方の武器使用の監視を行うわけだから、危険地域に入り込むことになる。それも優れた軍事知識がある部隊でないと務まらない。たとえ危険地域に入っても、他国が護衛するのであれば、護衛する側も納得できないだろう。せっかくの派兵も迷惑ということにもなりかねない。また、本書は、憲法はそのままでODA大綱に反映する形で現実性を持たせることができないかと模索する。ただ、その議論にも少々無理があるように思える。読んでいると、著者は改憲論者であるかのように思えるのだが、最後に護憲論者であることを告白している。それも、今の政治議論の元で生まれる改憲案が、現実的なものになるだろうかと疑問を投げかける。むしろ、もっと悪しきものになる恐れがある。少なくとも現状の憲法は、愚かな政治判断のブレーキになっている部分もある。政治家は永田町の論理に長けた政治屋であって、あまりにも社会の論理に疎い。この悲観的意見には、現場で煮え湯を飲まされた人間の気持ちが伝わる。

そう言えば「憲法9条を世界遺産に」といった意見も聞く。おそらく冗談で言っているのだろう。日本国憲法が世界で唯一の平和憲法という主張は、日本は最高の民族であるといった神話と大して変わらない。西洋には、聖書の時代から神との契約条項を策定したきた慣習がある。日本人は、国民と国家権力の間で結ばれる契約条項である憲法をまとめるのが、比較的苦手なのかもしれない。グローバル化が進む中で、ビジネス業界では条文による契約が定着しているものの、日本人の慣習として定着しているとは思えない。それは、契約条項をろくに読まず、保険契約を結んでしまうような行動にも現れる。そもそも、理念を条文によって完璧に制御できるのか?世界に誇れるだけのオリジナル性があるのか?第一次大戦後、国際連盟は「侵略戦争は国際犯罪」とした。その後の、ケロッグ=プリアン条約では、戦争放棄と国際紛争の禁止を明確に規定している。そこで論争となるのが、自衛のための戦争を否定できるかである。アメリカでは自衛戦争は許されるとしたが、日本では未だに決着を見ない。そもそも、「自衛」という言葉が抽象的であって、兵器が革新化すれば「侵略」の概念も異なり世論をいかようにも操作できる。ケロッグ=プリアン条約が戦争を止めることができなかったのは、歴史的事実である。憲法9条はケロッグ=プリアン条約の延長上にあるように思える。
アメリカ合衆国憲法は、あらゆる独裁者の出現を拒むように考慮されている。だが、その論理的弱点を指摘した数学者がいる。これは、暗に条文を完全な論理で表すことはできないことを示しているのではないだろうか?これは、ドキュメントを作成したことがある人なら分かるだろう。規格の策定、組織の規定、契約書、仕様書などあらゆる文書において、人間の思考を完璧に表し尽くしたものなど存在しない。広範にカバーしようとすれば、極めて抽象的なものとなる。抽象的な表現は異なる解釈を生む。あらゆる条文はこのジレンマに陥る。イデオロギーや条文を完璧だと信じると、もはや人間は脳死状態に陥る。人間の生産物である憲法を普遍原理とすることは、人間を神に崇めるのと同じではないのか?思想や条文を生きたものにするためには、常に検証され続けなければならない。現在の政治権力が三権分立によってバランスされていると信じる者は少数派であろう。そうなると、権力の暴走を抑える最後の砦が憲法ということになる。だが、もやは憲法が機能していると信じる者も少ないだろう。憲法で「国民の生命と財産を守る」と謳いながら、拉致被害者を見捨ててきた政府は立派な憲法違反を犯している。にも関わらず、政治犯として裁かれた政治家を知らない。「憲法よ!お前は既に死んでいる!」こうした状況で、どんなに立派な憲法を草案しても、運営理念がなければ意義を無くす。どうせなら自衛隊を完全に国連に委ね、日本政府から独立させるのが手っ取り早い。自衛隊は、憲法にすらその存在を否定されている。自分の職業が憲法違反だと言われたら、酔っ払うしかないではないか。大人たちはこうした矛盾をどう説明するのか?確かに世の中は矛盾で成り立っている。せめて憲法ぐらいは筋を通す努力をしてもいいのではないか。

1. 米国のダブルスタンダード
9.11が人類の悲劇と言われているが、自業自得という冷ややかな目で見ている人も少なくない。その被害者が3000人ほど。しかし、シエラレオネでは、殺人よりも惨いとされる手足を切断された子供達は数千人、内戦で犠牲になったのは5万人から50万人とも言われるらしい。犠牲者の数だけで語るのも不謹慎であるが、なぜ世界的な悲劇と叫ばれるのか?こうした疑問は、犠牲者を目の当たりにするアフリカ人は一般的に持っているという。オサマ・ビン・ラディンを米国の副大統領にすると武装解除されるだろうというブラックジョークまで飛び出す。シエラレオネで、大虐殺の首謀者フォディ・サンコゥを副大統領に祭り上げたのは米国である。おまけに、その郎党に恩赦を与えた。さすがに国連も副大統領にするのは躊躇したらしいが、強い反対をしたわけではない。泥沼化した内戦を収拾させる苦渋の選択ということだろうか?その理屈からすると、米国がオサマ・ビン・ラディンを許し、和解することは可能ということになる。タリバンも同様、米国の傀儡であるカルザイ政権にタリバンを恩赦させ、アフガン選挙にタリバンを一政党として参加させるのは難しいことではないと皮肉る。シエラレオネでは、恩赦を受けた反政府軍のゲリラたちは、日々被害者と同じように暮らすという。家族が殺され手足を切り取った連中が恩赦を受けて、法的にも罪状を問われない。そうした連中を目の前にして被害者はどういう気持ちでいるだろうか?日本には、復讐の連鎖になるから暴力では何も解決できないという風潮がある。日本の社会も捨てたもんじゃない。しかし、被害者は和解を承諾したわけではない。復讐する気力もないほどに絶望を受け入れたのだ。そこには和解という暴力がある。国際世論は、被害者だけに寛容さを求めるべきなのだろうか?この問い掛けには、感情移入させられるものがある。

2. DDR: Disarmament、Demobilization & Reintegration
DDRとは、武装解除、動員解除、復員事業の順に治安回復を行うプロセスである。軍事組織というよりは盗賊集団と言った方がいいかもしれないが、そうした民兵集団にも命令系統はある。動員解除は下っ端の組織から段階的に行うことで上官に最後まで責任を追わせるというやり方が、政治的に有効であるという。そして、動員された貧困層が再動員されないように、復員事業で一般社会へ再統合する。復員事業では職業訓練を行うが、疲弊しきっている国で職業が見つかるはずもない。むしろ貧困層への再統合となるだろう。人を殺しても恩赦され、国際社会が特別な恩恵までくれるとなると残虐行為は繰り返されるだろう。シエラレオネの場合は、前線に繰り出されたのは少年兵だったという。
復員事業は期限を決めて、一般大衆が寛容さを保っている間に集中的に行わなければならないという。首謀者たちの政治的野心は絶えない。蜂起の口実は、一党独裁や政治腐敗を理由にした革命である。これに、一般市民までもが拍手喝采する。その革命が、子供達の手足を切り落とすまでの大虐殺になるとは誰もが予想だにしない。これは、失業問題を解決したヒトラーを一時的に支持した社会と似ている。
民主主義へのプロセスでは、紛争後の初めての選挙をどうやるかが焦点となるという。このあたりはいつも疑問に思うのだが、民主主義と選挙を同列にした偏った思想があるように思える。理念と手段を同列にしてはならない。多数決は民主主義の運営を効率化する手段であって民主主義の本質ではない。民族の歴史を無視して、その国民が有権者としての認識がなくても、無理やり教育して選挙をやる。教育は慣習として根付かなければ効力を失う。民主主義を異なる意見を持つ政治フループの闘争とするならば、それを武器でやるのが紛争である。民主主義とは、過激派が武装解除して政治家になるだけのことかもしれん。武装解除させるためには、平和維持活動する立場からすると、中立性を示さなければならない。反政府ゲリラとも交渉する必要がある。おまけに、武装解除後の報復措置はなし、民主主義国家への政治参加も保証しなければ、武装解除に応じない。なんとも矛盾した立場である。賄賂がまかり通る腐れきった行政、部族や宗教価値でしか政治理念を見出せない政治家のエゴイズム、主権とは名ばかりの無政府状態、こうした状況が内戦へと導く。それでも国連は、この主権を建前にしなければならない。武装解除といっても単なる武器回収ではない。選挙で、元反政府ゲリラが大敗すると、その後の動向を監視する必要がある。当然、停戦合意違反も起こる。ほとんどの場合、ちょっかいを出すのは親政府側なのだそうだ。国連が主権政府寄りだと高をくくって、驕りが目立ちお行儀が悪いという。

3. アフガニスタン
アフガニスタンの歴史は、中央と地方勢力の間で様々に変化する力関係に、隣接国をはじめとする外国の介入もあり常に混乱した状態にある。そこには、ロシアと英国の利権争い、英国が決めたアフガニスタンとパキスタンの国境、イスラム原理主義を含めた反対勢力の弾圧、といったクーデターや権力抗争の歴史が続く。1979年、アフガニスタンの革命を救うという名目でソ連が介入すると、パキスタンやイランに逃れた難民は、ムジャヒディン(聖戦の戦士)となり、ソ連軍から奪回するジハード(聖戦)を誓う。彼らはCIAから援助や訓練を受けて勢力を拡大する。その中にオサマ・ビン・ラディンも加わったとされる。内部紛争の中で新勢力のタリバンも出現する。当初米国はタリバンに好意的であったが、オサマ・ビン・ラディンを匿っていることが明らかになると一転して反タリバンの立場をとる。米英は、タリバン、アルカイダ掃討作戦を決行しカブールを占拠する。著者が足を踏み入れた2002年頃、アフガニスタンの首都カブール周辺では、多くの軍閥が蔓延っていたという。カルザイ大統領は暫定政権の中で軍閥の非軍事化を宣言した。独立で武装する集団は全て違法であるが、カブールから一歩出ると群雄割拠の状態にある。アフガニスタンでの国連ミッションは、DDRの順番がRDDになったという。つまり、武装解除の前に復員事業を行ったというのだ。これは、民族性、政治グループと軍閥間のパワーバランスを考慮したものであるが、著者はこのアプローチは奇妙であると語る。泥沼化した戦争の責任を負っている米国は、作戦の多国籍化を謀る。この構図はイラク戦争と同じである。しかし、国連は米国が始めた戦争だからという理由で、復興の主導権を握らず意識的に影を薄くする。結局タリバンやアルカイダの脅威は米連合軍には任せられず、逆に軍閥が強化されてたという。アフガン社会で自称兵士を募ったら、成人男子の全員が手を挙げかねないお国柄なのだそうだ。ここでの復員事業は、川口順子外相がアフガン訪問の時に、日本主導で行うことになっていたという。復員事業は、日本も戦後で経験しているので、もっとも貢献できる分野であるという乗りで日本政府が手を挙げたらしい。本書は、この日本の主導権獲得は浅はかであると指摘する。日本のマスコミも、Rを先にやれば、DDは自然とついてくるという論調が支配的だったという。だが、現場はDDが完了するまで、復員業務はできないと突っぱねたという。副大統領に解体すべき軍閥の元帥がついていて、率先して武装解除をさせない。こうした政治に疎い軍人が重要ポストについている。そこで、国防省の首脳陣改革が行われない限り、日本の血税はびた一文も使わないと、脅迫に近いロビー活動を行ったという。新国軍建設と国防省建設の責任国は米国である。表面的な人事で頓挫していた国防省改革を、日本のDDR援助を人質にしたことで動き出した様子を語る。この日本のこだわりは、戦後のODAの歴史上初めての直接的な内政干渉だという。この内政干渉で経済的な格差を利用し、著者たちは地元新聞からも叩かれ、テロの標的になることも覚悟したという。外交で物申すことはそれなりにリスクも背負う。日本のODAが国防軍の中立にこだわったとは意外である。

4. 世界初の国連軍事監視団
日本の血税が特定の武装勢力の増強につながれば、日本国民や日本国憲法に対する背信行為となる。日本の支援が中立なものであるかを監査するシステムも必要である。これを著者たちは国連に求めたが、反応が薄かったという。外交交渉で相手のコミットメントを引き出すには、まず「俺がこれをやるから、お前はこれをやれ!」といったような外交カードが必要であるという。しかし、日本は軍事に関しては外交カードがない。日本主導のDDRだけに外務省を通じて自衛隊にこの監視役を依頼したという。だが、外国軍を相手取るより、外務省を相手取る方が難しい交渉なのだそうだ。非武装で武装地域に入るのだから、マスコミからも叩かれるであろうし、そうした反応も想像がつく。本書は、日本の政治家は自衛隊の最も有効な魅力的な役割にも気づかないと嘆く。よって、日本の現役自衛官を国際監視団の顔にするのは諦め、退役自衛官に期待する。そして、地雷処理で実績のあるNGOに委託したという。米国は自らの兵力を温存し民兵組織が貢献していると宣伝し、武装解除をさせない口実を広めたという。彼らに武力供与しているのは米国である。これを米国は否定しているが、著者は監視団長の立場を利用して現場の兵器庫から確認しているという。ここでのネックは米国も一枚岩ではないということだ。戦争プロセスの米国防省と、平和プロセスの米大使館と民政担当の米軍の立場が共存する。そして、武装解除、動員解除が進んでいる一方で、米軍に動員される現実がある。著者たちは、米国軍に特定の軍閥と手を切るように働きかけたという。

2008-11-02

"ガウディ 芸術的・宗教的ヴィジョン" R.Descharnes & C.Prevost 著

古本屋を放浪していると、掘り出し物を見つけた。定価15,244円(本体14,800円)、どうやら消費税3%の時代のようだ。重さ約2kg、その重量感からも迫力がある。中古にしては状態もいい。んー!10,000円、貧乏人には辛いが、ここは奮発しておこう。秋という季節はなぜか感傷的にしやがる。こうした時に芸術に浸るのも悪くない。芸術に長けた人は、優れた作品を観ただけで、そのヴィジョンを見抜くことができるのだろう。しかし、芸術オンチには詳細な解説でもないと味わうことすらできない。本書はそうした人間にうってつけだ。アル中ハイマーは芸術なんぞに全く縁のない人間であるが、いつのまにか購入している。もはや精神の泥酔は留まるところを知らない。ちなみに、酔っ払うと謝り上戸になると聞いていたが...とりあえず、鏡の向こうの赤い顔をした住人がなにやら話しかけてくるので、謝っておこう。

本書は、ロベール・デシャルヌの文章とクロヴィス・プレヴォーの写真によって構成され、その主題は「サグラダ・ファミリア聖堂」である。そこには、真の芸術家によるリアリズムの追求がある。その思想には何かに憑かれたような神秘主義の世界があり、命がけのモデルを使った非人道的な姿には芥川龍之介の「地獄変」を思わせるものがある。ガウディ曰く、「私は人が死んでいくのを見れば見るほどますます霊魂不滅を信じる。」
本書はかなり宗教色が強い。それも、ローマカトリック教に絶対的信仰を持ち、作品を創造主への敬意として表すからであろう。そこには、禁欲的で奉仕的な世界がある。本書は、ガウディを理解したければ、まずカタルニャ精神、すなわち並外れた自尊心と誇張の情熱を理解する必要があると語る。また、地中海の光を神聖な精神に位置付けている様子がうかがえる。地中海には幻想的なものを感じさせる何かがあるのだろうか?この地を題材にした芸術家も多く、中でも作家ポール・ヴァレリーの短編を思い浮かべる。古代ギリシャを始め地中海を中心に文明が栄えたのも偶然ではないのかもしれない。
個人的には、あまり神秘主義や宗教色の強い作品には拒否反応を起こす。宗教というやつは、勝手に信仰して大人しくする分には、ひょっとしたら素晴らしいものに映るかもしれないが、考えを押し付け、おまけに染め上げようとするから大嫌いである。と言いながら、実は聖書を持っている。むかーし、ある女性からサイン入りでもらったが、一度も開いたことがない。今、探してみると、本棚の一番奥に思いっきり埃をかぶっているのが見つかった。しかも、圧力で少し変形している。こういうのを処分すると罰が当たるんだろうなあ。神様とは、酔っ払いにとってはやっかいな存在である。
本書にしても、キリスト教への信仰心がない人間には、その価値はあまり理解できないのだろう。それでも歴史的観点から興味がある。また、自然主義、写実主義という意味では、宗教抜きでも十分に味わえる。さて、今宵はシェリーといきたいところだが、個人的には濃厚なブランデーがピッタリと嵌る。

著者デシャルヌは、サルバドール・ダリ研究者としても知られるらしい。ダリはガウディの叙情的建築を弁護したという。ダリは「五感の建築」と題して、次のように記したという。
「現代のガウディ称賛者たち、すなわち、五感によって彼の作品に近づくことをしなかった者たちは、ガウディの精神に対して、破廉恥にも五つの重大な裏切りを犯した。」
ダリは、新しい天才が出現しない限り、サグラダ・ファミリアは完成しないだろうと述べたという。天分なしに、合理的な役所仕事的な方法で仕上げるならば、ガウディを裏切ることになると。たとえ未完成でも、巨大な虫歯のような姿であっても、可能性に満ちたまま残すほうがましであると。本書は、ダリが最も偉大な哲学者と考えるフランセスク・プジョルスという人物のエッセイ「ガウディの芸術的、宗教的ヴィジョン」を使って、偉大な建築家を提示したいという意向から生まれたという。

アントニ・ガウディは、サグラダ・ファミリアの建築監督を引き受け、生涯をその建築に捧げた。そして、この聖堂でヒューマニティ全体を表現しようとする。ガウディにとって建築とは、他の芸術を支配する空間を組織することと考えた。彼は、自ら画家、音楽家、彫刻家、家具師、金物製造師、都市計画家になる。建築はあらゆる芸術の総合であり、建築家のみが総合的芸術作品を完成することができるという。ガウティの建築は、数々の料理が一度に同じ皿に盛られる食事に似ているといった感じで喩えられるらしい。頑丈な胃袋だけが、ご馳走を消化できるというわけだ。彼は見た目を楽しませるような装飾を好まない。空間を組織するとは、構造に物質性を失わせて生命を与えることで、構造を精神化することである。そこには、カタロニャ精神とも言える熱狂振りがうかがえる。

1. ガウディの死
本書は、いきなりガウディの死の場面から始まる。そこには、キリスト教的な貧者を代表した姿がある。また、その幻想的な文章には文学的な価値もある。あまり簡略化すると作品のイメージを壊しそうだが、あえて要約しておこう。
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春も終わりに近いある夕方、一人の老人がランブラス通りの群集から離れていった。彼は、毎晩、いつもするように祈りの言葉を捧げるためにサン・フェリペ・ネリ聖堂へと向かう。この日は普段よりも精神的夢想に耽っていた。貧者の大聖堂が完成し落成式を待つばかりであった。ラス・コルテス・カタルーニェス通りを横切ろうとした時、足が縺れて電車の前に転ぶ。意識不明で助け起こされるが、浮浪者と間違えられ、そのまま歩道の端に放置された。その姿は、苦行者で乞食のようであった。その夜遅くにようやく身元が確認される。この老人こそガウディその人であった。彼は三日後に息を引き取る。
...
これを「厳粛な貧者の栄光ある死」と表現している。

2. カタルニャ精神
ガウディは、海に特別な思いがあるようだ。海は、空間の三次元を総合する要素を表すもので、幾何学的本質があると捉えた。彼は、ジャーナリストとの会話の中で次のように述べたという。
「マドリッドがスペインの首都であるのは残念なことだ。フェリペ二世は、セビリアかバレンシアに宮廷を置けばよかったのだ。バルセロナと言っていないことに注意していただきたい!すべての偉業は海の上で成し遂げられてきた。海は人類の最も驚くべき企てに参加してきたし、これからも参加するはずである。」
ガウディは、建築の勉強のために21歳でバルセロナに来た。以後、短期の旅行は別としてバルセロナを去ることがない。一定の場所にこれほど集中して作品をもつ建築家も稀である。世界をかけめぐることがなく、世界を一転させた芸術家というところに凄みを感じる。神秘主義者であるガウディは、精神を広めるためには、布教者となって海外を回る必要のないことを知っていたという。彼は、カタルニャ人であることを誇りにし、この地のために精魂を使い果たした。

3. 超自然主義
ガウディは、その場所の地理的条件、気候的条件にあった直線や曲線の体系を造ろうとした。自然条件を満たされなければ、重苦しい感じを与えるからである。この点で、パリのオペラ座ほど見事に失敗した例はないと批難する。オペラ座は、世界中から集められた大理石を使いながら、見掛け倒しの方法で奇怪に誤って建てられたもので、誰も満足できない異国趣味の家具や彫刻でいっぱいだという。ガウディは想像を越えた要素を建築と合体させる。筋肉、骨、種子、花、木、泡、渦巻、氷、煙、雲などなど、あげると切りがない。例えば、制作物の要素には、固有の色ばかりでなく独自の音を所有すると考える。空気はそれらを伝播する媒体であって、地中海の光だけを再現するだけでは不十分だというのである。そこで、時間による大気の流れ、湿度、温度、気候変化を研究し、鐘の黄昏時に鳴らす音を再現しようとする。四方八方から風が吹き込む塔を作り、その塔は羅針盤のように風の方向を教える。そこには、一日中途切れることのない音が現れるという。まさしく超自然主義とも言うべき独創性がここにある。作家ジョゼップ・プラは、ガウディのヴィジョンを次のように要約したという。
「自然の中に直線が表れるのは稀である。自然は数学ではない。だが、規則的なスタイルは精神を満足させる。無秩序でないものに人間は満足感を得る。だからといって、人間を満足させるように努めるだけが能ではない。」

4. サグラダ・ファミリア
ガウディは、当初の計画であるフランシスコ・ビリャ-ルの構想を改良するところから着想したという。それは、当時あらゆる宗教的建造物に企てられたネオ・ゴシック様式に則ったものを見直すことである。当時、既に物質主義的風潮があり、彼はこの風潮に危険性を感じていたという。そして、伝統的ゴシック様式は死んだ様式であり、まず力学的構造にしなければならないと主張した。その死の要因は、支える要素と支えられる要素の不連続性にあるという。ゴシック様式は、不連続な部分を装飾で隠そうとする。これは、偽りの便宜的解決法であると指摘する。ガウディは、設計図を完成させず、詳細に書き留めることを嫌い、大雑把な見取り図しか示さなかった。このような場当たり的な仕事に、批判的だった人も少なくなかった。彼は、数学的あるいは物理的な考察の上で、模型を作り実験を繰り返す。幾本の細紐で、穹窿や円屋根の形、力線の網、それらを支える支柱の傾斜をつくり、全体の放物線を描く。そして、荷重を計算しアーチの曲率を求め、穹窿の力学的問題を連続する要素として解決する。身廊の放物線状の構造では、解決に10年も要したという。無限の母線から生み出される双曲面、螺旋面、放物面は、直感的に無限を思わせるものがある。放物線は、精神の絶頂を神へ導くと考える。双曲面は、あらゆる方向に回折する光を表す。螺旋面は、運動、生命、精神的エネルギーを表す。双曲放物面は、三位一体の完全な表現であるという。ダリは、人体の他の部分よりも骨格にこそ最大の美的長所があると考えたらしい。ガウディも、骨組に重要性を認め、次のように述べたという。
「建造物の輪郭は、もっぱらその構造によっている。しかもこれらの構造は正しい必要がある。したがって、われわれは絶対に直観に忠実であるべきなのだ。直観はわれわれが知らないことを知っており、ひとつの線が適切なものであるかどうか、自然法則にかなっているかどうかを直接あかしてくれる。」
人間は聖堂を造ってきたが、それを住居とすることはなかった。ガウディは、聖堂を人の住める空間にし、この聖堂の正面玄関を全人類が通るように希望したという。昼の太陽に照らされた栄光のファザード、あるいは生命のファザードと呼ばれる正面ファザードは福音を表す。それは、天地創造、人類の起源と進化、生命、死、地獄、煉獄、最後の審判、贖罪を想起させる。聖堂の内外に、写実主義をもって新旧聖書のメッセージを刻みこむ。聖堂内部の配置は、典礼の規則に厳密に則り宗教的祭式に合わせるよう研究されているという。サグラダ・ファミリアは、聖書と同じように貧者の書物がイメージされている。

5. インテリア構想
ガウディの計画には、家具調度の構想も含まれている。建築家にとってインテリア整備を他人に任せるのは、一貫性を欠くという信念があるらしい。ここでも、自然との調和を重視した鋭い感覚が見られる。構造を骸骨に、量感を生命器官に、装飾を皮膚に対応させ、人間の解剖学が現れる。椅子の構造で、ある逸話が残っているという。それは、スペイン内乱の時、爆弾の炸裂で壊れた椅子は、構造的によく研究されたもので、壊れ方一つにしても正確な壊れ方をするので、復元するのが容易だったという。自然構造に忠実であれば、壊れ方にも自然法則が現れるというのか?これにはカタルニャ風の誇張も感じられる。インテリア構想では、人体的で生物学的な要素が細部に渡って観ることができる。椅子の着想では、足を組むと座り心地が悪いばかりでなく、居たたまれなくなるように、わざとデザインする。これは、神前で信徒たちがきちんとした態度を保たざるをえないように考慮したものである。人間の欲求は、感受性と同様、生理的な必要性にも左右されるが、その生理的追求にも迫力がある。

6. 超写実主義の彫刻
ガウディは、完全に経験主義的な方法をとる。彼にとって、ごくわずかな不正確な線、小さな姿勢の誤りが、真実に対する虚偽であり、単なる過失であるばかりか、宗教上の罪となる。彫刻家カルラス・マニ製作のブロンズの十字架のキリスト像は、写真で観ても、瀕死の肉体の痛々しさが伝わる。これはリアリズムの追求のためにモデルを使って、ガウディ流を忠実に再現したものだという。彫像技術では、生きた人間から直接鋳型をとる方法を用いる。この時代、人間から直接鋳型をとるとモデルが死ぬ事故もあったという。高い熱と強い圧力が、致命的な窒息を惹き起こすのである。もちろん批難もされる。ロダンも「青銅時代」という作品で、モデルのベルギー兵士から直接鋳型をとって批難されたという。本書に掲載されるキリストや聖母など、数々のモデルの写真は生々しい。聖母のモデルは石工の妹の老嬢、ユダのモデルには仕事場の番人、ローマ兵士は居酒屋の給仕。ガウディには、民族の姿を別の人間で置き換える独特の感覚があったという。例えば、ギリシャ人のタイプはアンプルダンの人、フェニキア人のタイプはイビサ原住民といった具合。こうしたエゴイズムで対象人物のモデルを見出す。そこには、まさしく人体実験の光景がある。本書も、これには神秘的霊感としてしか説明できないという。聖ヨゼフが選ばれた逸話にはこんなものがある。ある日、石工がボロボロになった穴だらけで、藁が飛び出した哀れな布団に寝ているのを見つけた。壁には聖人の版画が掛けてある。妻は跪いて聖母に賛歌を捧げて治癒を祈っている。この懸命な夫婦を見て「聖ヨゼフを手にいれた!」と叫んだという。

7. アメリカン・ホテル
ガウディがスペイン以外で建設を決意した唯一の建物に、アメリカン・ホテルがあるというから驚きだ。ニューヨークで企画されたこの建物は、最も知られていないものとして紹介される。その高さは310メートル、当時、巨大主義の時代でもあった。パリのエッフェル塔は垂直方向の巨大主義、ロンドンのクリスタル・パレスやパリの機械館は水平方向の巨大主義。ニューヨークでも摩天楼の競争が激化していた。この計画は、エンパイヤ・ステートビルよりも先んじているが、ニューヨーク行きが突然取り消されたために計画倒れとなっている。その理由は不明らしい。本書はその計画のデッサンを紹介してくれる。そこには、サグラダ・ファミリアから得られた実験的研究の帰結が表れるという。ガウディがこの巨大化競争に参加していたというから二重の驚きである。