2008-03-28

"裁判官の爆笑お言葉集" 長嶺超輝 著

アル中ハイマーは死刑制度に対して反対の立場をとらない。ただ、ここで賛成とはっきり言えないのは、人が人の命を裁けるのか?という一般的な倫理観からではない。執行する人々が気の毒に思うからである。善人と呼ばれる人々の倫理観によって批判にさらされ、正面から向かい合っているのは彼らである。裁判官が極刑を下すにしても重圧がかかる。量刑相場に駆け込むのも仕方がないかもしれない。犯罪者も死刑を承知でやるのだから、判決が下っても止むを得ないという状況を作ることが大切であろう。本書を読んでいると、なんとなくそんなことを考えてしまう。

裁判官というと、出世欲に駆られた凝り固まった官僚という香りがする。アル中ハイマーは裁判所へ行ったことがないから想像するしかない。いや!行ったことあった。しかも呼び出された。本書はそういった先入観を少々和らげてくれる。著者が裁判の傍聴席から目撃した数々の人間模様を紹介している。そこには、嫌味、駄洒落、ブチキレ、諭しのテクニック、時には愛も語り、著者が思わず判事のファンになるような発言もある。また、判決期日を延期してボランティア勧告まで飛び出す。裁判官が考え抜いて選んだ言葉には、個性がうかがえる。裁きっぱなしではなく、法廷での出会いも一つの縁と考え、大切に吟味している裁判官もいる。本書で紹介される裁判官は実名で登場する。彼らは、おそらく裁判官の中でも異端児とされる方々であろう。中には是非出世してもらいたいと思える裁判官もいる。裁判官の評価は、判決や和解を出した数の多さに集約されるという。長々と説諭するぐらいなら、薬物事件の一件でも済ませた方が出世に近づくというわけだ。裁判員制度が始まろうとしている中で、裁判の傍聴風景が少しでも感じ取れるところに、本書の意義がある。また、手軽に読める量で電車の中で読むのにちょうどよいのもありがたい。裁判の傍聴とは、被告の態度と裁判官の言動の双方からして、人間観察におもしろい場所のようだ。

1. 法の仕組み
法の仕組みは、「ある」、「ない」の二項対立の組み合わせであるという。法律の条文に書かれた要件がすべて満たされれば訴えは認められ、ひとつでも要件を満たさなければ訴えは退けられる。何段階にも要件が入り込んで複雑な条文もあるが原理は単純である。むしろ、法というものは単純であるべきであろう。そうでないと違法か合法かの基準がはっきりしなくなる。誰にでも平等で明快な答えを出そうとすれば、きめ細かい配慮には欠け融通がきかない。裁判が無味乾燥な判決文を大量生産し、当事者を置いてきぼりにするのも法の宿命かもしれない。本書は、こうした法律の補完装置として裁判官の役割を浮き彫りにする。裁判官の建前は「法の声のみを語るべき」とされているが、法廷ではしばしば肉声が聞かれるようだ。私情を抑えられず、つい本音がこぼれることもある。それが人情というものである。しかし、中には正当防衛も認められず矛盾を感じる判決もある。被害者であるべき人間が長期の裁判に縛られ、加害者であるべき人間が不起訴処分になる例も多い。また、日本は昔から公事三年と言われ、裁判はとかく時間がかかるという印象がある。特に行政訴訟で差し止めなど滅多に認められない。国を相手どった行政訴訟で住民側が勝訴する確率はわずか3%だそうだ。

2. 極刑
最近の犯罪の残忍さからしても、裁判の判決にはいらいらさせられることもある。おいらは内情を知らずにいい加減に傍観しているだけなので、世論操作に洗脳されているのだろう。それでも、裁判官に対して一つだけ同情することがある。死刑を宣告する重圧である。世間から罵倒されることもある。マスコミは、自らが裁く者とでも自認しているかのように、著名人などを使って世論を煽る。本書は、裁判官が考えられうる手段を駆使して分析している姿も紹介してくれる。いくら極悪人だとしても、人間の命を他人が裁くのに気分が良いわけがない。ただ、残酷な事件が多くなると、その残忍さと量刑相場の板ばさみにもなる。本書は、量刑相場の急激な変化が法の安定を失わせ、特定犯罪の厳罰化は刑罰体系のバランスを崩すと警鐘を鳴らす。事件によっては、あまりに卑劣で心情的に重い刑を宣告したい場合もあるだろう。著者は、裁判官が量刑相場に板ばさみになって軽い刑を宣告する場合、被告人に向けて一段と痛烈な非難を浴びせるような印象を受けると述べている。ただ、裁判官が言葉でバランスを取っても被害者の慰めにはならない。判決の重圧からこんな台詞も飛び出す。
「控訴し、別の裁判所の判断を仰ぐことを勧める」
被害者2人、被害額2千万円の強盗殺人で、相場からして死刑が相当。その時の異例の付言として紹介される。だが、裁判官がこれを言っちゃおしまいだろう。殺意の証明も難しい。犯人が殺意を認めるなど滅多にない。むしろ、殺意を認める人間の方がまともである。少しでも減刑されるならば、どんな演技でもする。相手が死んでも構わないと思えば殺意となるが、こんな行為をすれば相手が死ぬかもしれないという場面でも、充分殺意があると考えて良いと思う。例えば、銃を乱射しておいて殺意はありませんと主張しても通用するとは思えない。しかし、現実にはそれでも過失となることがある。
無期懲役も奇妙な制度である。現実には15年から40年で仮釈放となる。そこで、仮釈放の際、しばしば遺族の意見を聞くようにと付け加えられるらしい。裁判官の被害者への心遣いであるが、そもそも無期ではないのか?それならば、判決に仮釈放の可能性を表す付言が必要であろう。しかし、全国の刑務所は軒並み満室状態で、終身刑の導入どころではないという現実がある。

3. 死刑廃止論
この問題は、よーわからん!その前に終身刑をしっかり執行することである。少なくとも、現状で死刑廃止だけしても仮釈放されるのではおかしい。オウム弁護団の主任弁護士安田好弘氏は、死刑廃止論はいいけど、とにかく時間をかけることと宣言し弁護団全員を了承させたという。本書は引き伸ばし戦略こそ弁護の王道という確信がおありのようでと皮肉る。ただ、やりたくない弁護でも誰かが引き受けなければならない。世間からバッシングにあう事件を担当することは勇気がいる。こうした境遇の弁護ばかりやっているのも同情してしまう。ちなみに、「山口県光市母子殺人事件」で最高裁弁論をドタキャンしたことでも話題になった人でもある。もし、死刑廃止論をこの事件で利用しているとしたら、弁護士失格である。まさか、思想を法廷に持ち込んでいるとは思いたくないが、そうした態度に映ってしまう。死刑制度の是非については人を感情的にする何かがある。おそらく本能と理性がぶつかるからであろう。人間が他人の命を裁くことには疑問が残る。少なくとも執行する立場からは気持ちの良いものではない。死刑にする基準を明確にする必要がある。

4. 中には泣かせる場面
被告人がやたら傍聴席の妻と赤ん坊を気にしている。裁判官が妻と赤ん坊を呼び寄せ、その場で被告人に赤ん坊を抱かせる。そして、二度と犯行に及ばないと誓えるかと迫る。被告人はその場で泣き崩れる。こんな場面は大岡裁きにも思えるが、被告席に家族を招くなどさすがに珍しいケースのようだ。後にその裁判官は取材に、苦笑いしながら次のように答えたという。
「前例もなく勇気のいることだったが、当時は恐いもの知らずだった」
裁判官とは、出世欲の固まった官僚世界でもあるだろうが、どの世界にも異端児はいるものだ。介護疲れの挙句に及んだ心中事件はよく耳にする。運が良いのか悪いのか、片方だけが生き残ると辛い事件になる。こうした介護絡みの事件は今後増えるだろう。悪いのは社会なのか?平和でありながら自殺大国日本という矛盾が見え隠れする。人間は、生きがいを無くすと世の中が地獄に思える。なげやりな考えが他人を巻き添えにすることもある。裁判官の台詞に、こんなものもある。
「早く楽になりたい気持ちはわかる。生き続けることは辛いかもしれない。それでも、地獄をきちんと見て、罪の重さを苦しんでほしい。」

5. メディア用語
法律用語っぽいメディア用語を紹介しているのでメモっておこう。
(1) 「容疑者」は、法律用語では「被疑者」という。
(2) 「被告」
民事裁判で訴えられた人は「被告」であり、刑事裁判では「被告人」と呼ばれる。しかし、報道では刑事裁判でも「被告」と呼ぶため、被告のイメージが悪くなっているようだ。そこで民事で訴えられた側を「相手方」と呼びかえる動きもあるらしい。
(3) 「書類送検」
被疑者を起訴するかの判断を委ねるため、警察官は検察官に捜査情報を送る。報道では、被疑者を逮捕せずに捜査している場合、警察官が事件を検察官に送ることを「書類送検」と呼ぶ。逮捕した被疑者の身柄を一緒に送ることを「身柄送検」と呼ぶ。しかし「送検」とは法律用語にはなく、逮捕していようがなかろうが「検察官送致」というらしい。
(4)「起訴事実」は、法律用語では「公訴事実」という。

2008-03-22

"日本の中世国家" 佐藤進一 著

前記事で網野善彦氏の「異形の王権」を読んでいて、本書を中心に考察している部分があった。なかなかおもしろかったので書店で探してみた。アル中ハイマーのすぐに感化される性格は直らない。

網野氏は、後醍醐天皇の存在が特異な役割を果たしたと考察している。建武の新政が、官司請負制の全面否定、官位相当制と家格の序列の破壊といった体制の全面否定であり、古代以来の議政官会議を解体し、執行機関を全て天皇直轄にした。こうした独裁政治を天皇がやろうとしたのはなぜか?
本書は、その流れを8世紀の律令国家体制までさかのぼり、日本の中世国家の体制を探る。そして、日本の中世国家には二つの体制があったことを物語る。9世紀以降の地方政策の変化と、中央政治機構の改編がいくつもの段階を経て、律令国家が徐々に変質解体していき、ついには王朝国家が生まれる。王朝国家の主柱を官司請負制とするならば、この制度が確立した12世紀前期をもって王朝国家の成立と見ることができる。これが一つ目の中世国家の型である。それから半世紀後、東国に武士政権の鎌倉幕府が誕生した。これが、二つ目の中世国家の型である。この二つの体制において、互いに権力統一への欲求が生じたことは想像に易い。建武の新政は、幕府が倒れた時に乗じた欲求の一つと言える。だが、後醍醐天皇の政権は短命に終わる。本書はこうした流れを精緻に論じている。専門的過ぎてアル中ハイマーには理解の難しい部分もあるが、教科書では味わえないコクのある領域へと導いてくれる。そして、以前からの疑問にたどり付く。天皇家を一王朝と捉えるならば、この時代に滅んでいても何の不思議もない。なぜ存続できたのか?本書では明言されていないが、天皇の象徴的立場の原型がこの時代に隠されていることを示唆している。ただ、本書は王朝国家が実権を失ったところで終えているところがおしい。ちょっとだけ勉強のためにメモっておこう。

1. 律令国家
日本の中世国家の前提は古代国家であり、その最終形態は律令国家体制である。本書は、律令政治を解明するには、天皇権とその行使形態を観察することであると主張する。行使形態とは、太政官の執行権である。太政官は天皇家と直接接触し法を施行する立場にあった。律令制太政官の原型は持統朝に形作られたが、本格的に制定されたのは8世紀初頭の大宝律令である。天皇の詔には必ず太政官が関与する。つまり、天皇、太政官いずれか一方の恣意による発布を防止する仕組みが確立されていた。9世紀になると律令制国家の維持は困難となる。10世紀には新しい王朝国家体制へと変貌する。律令制の危機は、地方の土地支配制度の行き詰まりに見ることができるという。それは、私的な大土地所有に対抗して、皇室領を急激に増大させようとするが、そこに反発が起こる。それを回避するために、荘園整理令を境に地方支配を、太政官から国司に委託する。いわば地方分権である。その結果、公領は減少していき、天皇家の私領を含めて、権門の私領荘園が増大する。

2. 王朝国家
9世紀に律令制中央機構の改革が行われる。この頃、蔵人所(くろうどどころ)と検非違使(けびいし)が登場する。これは、令制定後に新設された官職と言う意味で呼ばれる令外官の一つである。律令国家では太政官が最高の官庁であり、他のすべての官庁はその下に位置する。それに対して蔵人所と検非違使は、天皇直属の官庁である。この存在意義は、律令制の原則的な枠組を超えて、非常事態に天皇の意向を反映させるためのものである。蔵人所は権力を地方に伸ばし、11世紀には地方の貢納組織まで統轄する。検非違使は治安警察機関であり、全ての警察活動を手中にする。こうした動きは、その他の官庁にも影響を与え、天皇色を見せたり、官庁内に賄賂が横行したり、特定氏族による独占世襲など、官僚システムの腐敗が起きる。こうして、9世紀から11世紀にかけて行われた律令政治機構の改革には、新官庁の出現と旧官庁の統合という現象が現れた。短期的には、天皇直轄官庁の新設と太政官の統轄力の低下により、天皇権を強力にする。長期的には、律令官僚制の崩壊である。この期に、国司を始めとする地方氏族が勢力をつけ、新興領主層である武士集団が東国に政権をつくる。

3. 鎌倉幕府
流人である源頼朝に平家討伐の名分を与えたのが、以仁王(もちひとおう)の令旨である。頼朝は平家の擁する安徳帝を否定する。ここで頼朝の二つの政治行動の選択について言及している。一つは、平家を打倒し、安徳帝を廃して以仁王を帝位に就ける。二つは、以仁王を天皇とした東国に新国家を樹立しようとする板東独立論である。頼朝の意思は板東独立論ではない。王朝が頼朝に下した命は諸国守護である。守護地頭が設置されると、武家が全国的に権力を持つようになる。頼朝が得た守護権は、治安警察業務の独占的請負権である。これは、王朝国家で見られた官司請負権とそう変わりはないが、注目すべきは、部分的な権力ではなく、全国隅々に及んだ点である。当時、この強大な職権を頼朝という特定個人に与えたのである。また、武家社会が主従制を根幹にしていることも重要である。頼朝以外の者は王朝と直接接触できない。その後、征夷大将軍は源氏で占められることになる。徳川家康はこの地位にこだわって源氏を名乗った。ただ、頼朝勢力に反発的な地域には特別な制度をおいている。東北には奥州総奉行、九州には鎮西奉行。これらの地方勢力が後に自立することになる。

4. 執権政治
頼朝の急死から承久の乱までの20年は、鎌倉幕府の危機の連続である。頼家の失脚と暗殺、実朝の暗殺を代表とする数々の継承問題で内部紛争が渦巻く。これも王朝による外部の陰謀と、内部の政治操作が見え隠れする。歌人として有名な実朝の暗殺は、単なる後継者争いではなく、朝廷による陰謀であったという説は何かで読んだ覚えがある。実朝死後、後を継いだ藤原頼経が鎌倉に迎えられたのが幼年2歳。北条家の執権が幕府の実権を握る。将軍派と執権派の抗争が常につきまとい、北条一族の嫡流の争いや豪族間の確執も複雑に絡む。やがて執権派が優勢となる。これは、執権派が早くから政所に目をつけ、介入したことが大きいという。政所は、将軍家の牙城であり、衣食住の調達と管理、将軍直轄領の管理など、将軍家の内廷経済を管轄する巨大機関である。これを抑えられると骨抜きになる。御成敗式目の位置付けも、武士のための法令として一般的に教えられるが、執権の北条泰時が中心となっている点からも、北条家の権力拡大の道具とした側面が強いのではないかと思える。結果的に、北条氏の家系、特に得宗家は幕府要職を合理的に独占しているからである。

5. 建武の新政
建武の新政は二つの改革をしようとした。一つは、国司制度の改革であり、国務私領化の否定である。二つは、中央官庁の再編成であり、特定氏族の請負経営化の否定と独占世襲の否定である。しかし、武家の不満は北条家の独占政治であり、武家政治を否定したわけではない。公家の不満は、後醍醐天皇が皇子を鎌倉幕府打倒の功を理由に征夷大将軍を切望したことや、奥州や東国の人事に対するものである。また、地方の領主層では自立の気風が高まる。そして、建武の新政の発足半年にして、地方の領地支配を奥州幕府、関東幕府に実質委ねた。などなどの要因から後醍醐天皇の政権は短命に終わる。

6. 室町時代の役割
本書は、むすびで室町時代について少しだけ触れている。建武の新政が終わった時に天皇家が滅びてもなんの不思議はない。それを解明するためには室町時代を検討する必要がありそうだ。内政的には、律令政治の名残で、室町幕府が王朝権力を吸収した。天皇家が、王朝支配の牙城である京都の市政権を獲得しても、幕府の首長は将軍で武家の代表である限り、公家貴族層に対する身分支配の名分を得ることができない。外交的には、天皇家を国王と位置付けたのは足利義満の功績だろう。日本は明から見れば従属国である。明帝がいったん従属国の特定人物を国王と認めると、別人が国王の地位を冒すことはできない。明との交易が独占的に与えられるからである。こうして政治と経済の両面から天皇家の存続を許した形であるが、更に検討が必要であろうとむすぶ。実は、その更なる検討内容が本当は読みたかったのである。続編を探しにアマゾンの放浪の旅にでもでるか。

2008-03-16

"異形の王権" 網野善彦 著

本書は、前記事で扱った「日本の歴史をよみなおす(全)」の中でも紹介される。宣伝に乗せられてつい買ってしまった。アル中ハイマーの乗せられやすい性格は直らない。
本書は、前記事と同じく南北朝動乱期を大転換期として捉え、その始まる時期となった後醍醐天皇に焦点を合わせる。「異形の王権」とは、異形の人々を集めて新しい力をよびさました異色の天皇権力の意味である。異形の人々とは非人のことである。乞食、障害や病を持つ者、罪人などは、かつて聖なる者として扱われていた。それも、葬送、処刑、罪を犯した人の住居の破却など、穢れから清める仕事をしていたからである。しかし、この時代を境に非人は差別的様相を呈していく。そして、彼らの反発力を最大限利用し政権として確立したのが「建武の新政」であるという。本書は、こうした背景を後ろ盾にした後醍醐天皇の時代を傍観するとともに、著者独自の考察を加えたものである。中でも庶民の衣裳から社会風潮の変化を考察している点はおもしろい。著者は、歴史学がようやく、民俗学、民具学、宗教学などの諸学に対して開かれた姿勢を見せ始めたと語る。

アル中ハイマーは、昔からつまらない疑問を持っている。
歴史学と、社会学や政治学の違いはなんだろう?過去の事象を扱わずして現代が語れるのだろうか?現在の現象から10年後に起きる事象を予測することは難しい。だが、歴史は繰り返される。歴史学は単に結果論を主張しているに過ぎないのか?歴史の解釈にはいろいろとあって然るべきであろう。にも関わらず歴史学者は、過去の事象に対して結論付けている点があまりにも多すぎるように思える。本書は、多くの疑問の余地を残している。逆にこれぐらいの方が歴史に説得力を感じる。

1. 異形の衣裳
南北朝動乱期、異形の衣裳が爆発的に噴出したという。覆面姿、さまざまな頭巾の着用が流行し、庶民に至るまで多様なスタイルが登場する。女性も覆面や頭巾を付けて男性に混じって旅をするようになる。かぶき者もこの時代から現れる。鎌倉時代まで公家、武家、寺家が懸命に維持しようとしていた服装の禁忌は完全に崩れ去る。こうした文化風潮を「婆娑羅(ばさら)」の風と呼ぶ。本書は、婆娑羅の源流が非人の衣裳であるという。子供に対するイメージの変化も見てとれる。小童は自由で誰にも束縛されない。単に幼くて行動に責任がないというだけでなく、一種の神聖なものがあるという考えは伝統的にあったという。しかし、この時代に非人に近い存在となる。悪党、悪憎、悪童へと転化していく様がうかがえる。身体的条件からは、老人、琵琶法師、盲人も差別されていく。浮浪人、乞食人もしかり。弱者への軽蔑の認識が芽生える時代でもあったことを考察している。

2. 扇の魔力
扇で顔を隠すしぐさや女性が口元を袖口で覆うしぐさは、扇を持ち歩く階層に広く見られる光景である。ただ注目すべきは、こうした事例が大道や河原、寺院や道場の周辺、いわば公界の場で異常な事態を見なければならない場合のしぐさであるという。そのしぐさの意味は、悪霊に通ずる穢れが及ぶのを避ける行為であるのは明らかである。扇には呪力でもあったのだろうか?宗教的意味合いがあるのかもしれない。人間は、別世界の人間になることを願望として持っているのかもしれない。恐いもの見たさもこの心理に通ずるものを感じる。

3. 異形の力
非人騒動といわれた百姓一揆は、非人の衣裳をまとっていた。彼らは、自らを非人と名のってデモをする。非人の魔力とでも言うべきか、権力者に立ち向かう時に異様な威圧感を示したと想像できる。聖なるものの象徴として意識されていたのだろう。俗世間からは規制されない自由なものを、意味しているのかもしれない。しかし、この頃から異類異形は忌み嫌う存在へと意識が変わり、無縁の思想が生まれる。日本人には、どんな罪人であろうと、死んでしまえば罪人扱いしないという独特の風習がある。これも、なんとなく無縁の思想に通ずるものを感じる。こうした風習は外国人には理解されないだろう。おいらには、墓碑にまでも唾を吐きかける行為の方が理解できない。現在の日本でもグローバル化が進んでいるだろうから、そうした行為も見られるようになるのかもしれない。もし、そうなると少し寂しい。

4. 異形の王権
後醍醐天皇の存在が、否定的に捉えるか肯定的に捉えるかは議論の分かれるところだろう。ただ、特異な役割を果たした天皇であることは間違いない。建武の新政は、王朝国家の体制として定着していた官司請負制の全面否定、官位相当制と家格の序列の破壊、職の体系の全面否定であり、古代以来の議政官会議を解体し、執行機関を全て天皇直轄にした。これは、宋朝の君主独裁政治をモデルにしている。目的のためには手段を選ばず、観念的、独裁的、謀略的で、しかも不撓不屈。このあたりは佐藤進一氏の著作「日本の中世国家」を中心に語られる。早々、明日にでも本屋で購入することにしよう。
後醍醐天皇は異類異形といわれた悪党から非人までを軍事力として動員し、内裏の出入りまで許可した。この時代、まだ非人は差別の枠に押し込まれてはいないが、その方向への強い力が働いていただろうと語る。後醍醐天皇は、そうした差別への方向からの反発力を王権に利用したのではないか。また、社会と人間の奥底に潜む力を表に引き出すことによって、その立場を保とうとしたのではないか。などと考察する。こうした行動は後醍醐天皇の直面した危機によるものであるだろう。古代以来、天皇制で直面した最も深刻な危機がこの時代にあった。鎌倉幕府の成立、承久の乱での敗北後、天皇家の支配権は東国には及ばなくなる。蒙古来襲を契機に九州までも幕府の権力下に入る。一般的には、10世紀以降、摂関政治、院政と規定され、天皇不執政の時期と見るのが通説である。ただ、本書は、室町時代や江戸時代と同一視してはならないと主張する。天皇家、貴族、官人諸家の分裂、抗争が深く根付いた時代でもあり、天皇家の支配力が衰え始めたのは後醍醐天皇以降に顕著になったという。後醍醐天皇の行動は、そうした危機感への反発を含んでいたことだろう。そして、権威の誇示をはかったのではないか?と考察している。後醍醐天皇の王権もわずか3年で没落する。しかし、執念とも言うべき南朝を立てて、60年にもわたって南北朝動乱期となる。天皇の確実な権威が失われたと知った武士、商工民、百姓にいたる各層の人々の中から、自治的な一揆、自治都市、自治的な村落が成長してくる。こうした動きは、権力の分散を引き起こし、権力による統合を難しくする。人間関係においても計算高く利害関係が支配する風潮となっていく。こうした背景で貨幣の役割も大きくなる。この時代に、天皇の地位のあり方そのものに本質的変化があったと主張している。天皇の聖なる存在はこの時期に失われ、その復活は明治維新まで待たれることになる。歴史的に見れば、天皇家は単なる一つの王朝というだけで、とっくに滅んでいても不思議はない。神聖的なものとして扱われている意味は律令政治にさかのぼるのだろうが、だからといって存続する理由もない。では天皇制の意義とはなんだろう?権力と象徴の二重構造が日本の歴史を複雑にしているのは間違いないだろう。現在ではその意義も外交上変化しているだろう。歴史的意義とは変化していくものである。

本書は、確かな歴史認識の元に天皇制の有り方も考えなければならないと主張する。しかし、天皇制については各方面から政治力が働くため、学校教育はもちろん、評論家が力説しているような意見ではまともな情報を入手するのは難しい。政治家に至っては支持母体に従うだけで耳を傾ける価値もないだろう。冷静に研究がなされた古代史家の文献を読むのが一番であるが、過去の統治権力によって捻じ曲げられた可能性も大きい。もしかしたら、既に裏の政治力でまともな文献は抹殺されているかもしれない。こんな状況で天皇制を世論任せにするのは危険である。一般人が考えられるような土俵つくりが必要であるが、マスコミにその役目が果たせるだろうか?天皇の議論はタブー化された社会でもある。酔っ払いには傍観するしかない。

2008-03-09

"日本の歴史をよみなおす(全)" 網野善彦 著

タイトルの(全)とは、なんだろう?と思ったら、「日本の歴史をよみなおす」と「続、日本の歴史をよみなおす」の2冊をまとめたものらしい。更に文庫本化されている。2倍でコンパクト!アル中ハイマーはなんとなく得した気分で幸せである。

本書が扱う時代は、13世紀から14世紀の南北朝動乱期。この時代は、現在の転換期と同じような大きな変化が起こり、この時代の考察は現在の社会を考える上でも意義深いと語られる。それは、社会や商業の形体、宗教の意識、差別感覚の発達などの変化である。ここで言う差別感覚とは、身分や階級ではなく非人の扱いである。そして、中世の日本社会が本当に農業社会であったのか?日本文化の持つ特有性は、島国であるがゆえの孤立国家により作り出せれたものなのか?という一般の歴史で語られてきたことに疑問を投げかける。歴史家の落とし穴は、もっぱら文献資料を扱うことにあるという。多くの歴史資料が国家制度の影響下にあり、それを率直に受け入れたことによって、多くのゆがんだ歴史像を提供していると指摘する。本書に感銘を受けたのは、民族学や考古学からも考察され、庶民の側から歴史を概観できるところである。日本社会には、建前と本音の二重構造が潜在する。その中で庶民の視点まで掘り下げた本質的な考察が難しいのも事実だろう。これは、歴史学に限らず経済学や社会学などにも言える。中世の日本というと、庶民は貧困に喘いでいたという印象があるが、本書は少々違った印象を与えてくれる。

1. 文字社会
中世における日本人の識字率は世界的に見ても恐ろしく高い。特に女性の識字率が高い。また、平仮名、片仮名、漢字の3種類の文字を使いこなす民族も珍しいだろう。平仮名や片仮名の混ざった文章が登場するのが10世紀頃、13世紀後半までは文書全体の20%ぐらいに仮名文字が混ざっていたが、室町時代の15世紀に入ると60%から70%へ跳ね上がったという。それも片仮名は少数派で平仮名の勢力が強い。公文書など堅苦しいものは片仮名で、読みやすく庶民文化に親しんだのが平仮名という傾向がある。女性が平仮名を多用したことから、女性文字と言わることもある。三島由紀夫著の「文章読本」でも「枕草子」「源氏物語」など、日本文学の源流が女流文学であると述べていたのを思い出す。中世から女性がすぐれた文学を生み出した民族も珍しいだろう。しかし、こうした女流文学が生まれたのは14世紀までだったという。この頃に、女性軽視の社会的意識が生まれたのだろうか?鎌倉、室町時代には、平仮名が男性社会にも普及する。こうした文字が普及した社会とは、何を意味するのだろうか?文字の普及とはその実用性と関係がある。文書が増えれば文章にも品がなくなる。こうして日本語は口語調に変化してきた。インターネット時代では、気軽に記事が公開できる分、言葉も荒れる。現在では、翻訳語の勢力も強い。おいらは翻訳語に犯されて、本筋の日本語を使いこなせない。識字率の高さは、文書を前提とした政治体制をつくる。これは世界の中でも特異な国家だという。政治家が自己主張するのに文書を棒読みする癖は文字社会の伝統かもしれない。行政も文書主義を厳格に実施し、口頭でものが動かない社会となる。ただ、共通認識を明文化できるという長所もある。日本人が語学を勉強する時、文法主義に陥るのも、こうした伝統があるからかもしれない。言葉を知らないと馬鹿にされるが、言葉の持つ意味を本質的に理解しているかは疑わしい。そもそも、全てを言葉で表現できると信じることに限界があるだろう。

2. 商業と金融
和同開珎が鋳造されたのが8世紀始め。当時は、貨幣というより一種の呪術的な意味をもっていたようだ。まだ、社会が貨幣を必要としていない。13世紀の後半から14世紀にかけて貨幣の流通が本格的に始まる。拝金主義もこの頃生まれたという。注目すべきは、流通した銭が、中国の宋銭、元銭、明銭だったという。当時の日本には、銅の産出も活発で鋳造技術もあった。にも関わらず支配者は銭を造ろうとはしなかった。後醍醐天皇が銭を造ろうとしたぐらいで、王朝も幕府もそういう発想を持たなかった。本書は、中世日本が市場社会を受け入れられない体質があったという。物々交換は贈与互酬の関係になり、人のつながりを深く結びつけ、特定の人間同士でしか交流しない。しかし、市場原理は無縁の人間の交流があって盛んになる。物と人も世俗の縁から切れて無縁となる。そう言えば、金融の場で利息という発想も不思議である。金融の起源を遡ると「出挙」に帰着する。出挙は稲作と結びついており、最初に獲れた初穂は神に捧げられ、神聖な蔵に貯蔵される。そして翌年、神聖な種籾として農民に貸し出される。収穫期が来ると、借りた種籾に若干の神へのお礼を付けて蔵に戻す。これが利息の始まりだという。金融行為そのものが神聖なものだったのである。こうした金融行為がしだいに、現代の感覚でも理解できる世俗的な性格を持ち始めたのが14世紀頃だという。

3. 鎌倉新仏教と非人
この時代に鎌倉新仏教という新しい宗派が登場する。本書は、海外でキリスト教が果たした役割を鎌倉新仏教が果たしたのではないかと考察している。贈与互酬を基本とする社会で、神仏との特異なつながりをもつ場、無縁の場を提供したのが鎌倉新仏教であるという。寺社の修造のための寄付金集めが神聖的に行われたのは想像がつく。鎌倉新仏教系の寺院が、祠堂銭を元に金融活動を行い、それで寺院を運営していた。しかし、16世紀に入るとキリスト教を含む新興宗教は大弾圧される。織田信長、豊臣秀吉、江戸幕府によって、宗教は独自の力を持つことができなかった。日本の支配者は、政治に対する宗教の影響の恐ろしさを認識していた。こうした宗教弾圧は、差別意識にも影響を与えたという。非人とは、なんらかの理由で平民の共同体の中に住めなくなった人である。そこには障害や病を持つ者、身寄りの無い者など、広義では犯罪人で放免になった者や川原者も含む。「身分外の身分」という位置付けが一般的なようだ。しかし、本書は職能民の面をもっていると語る。ただ、この主張は学界では市民権を得ていないらしい。なんとなく著者の愚痴が聞こえてきそうである。仕事は、葬送、処刑、罪を犯した人の住居の破却などで、「穢れから清める」という意味がある。よって、穢れを清める力をもっている神聖な側面もあるという。彼らは乞食になったりする。乞食は仏教では世を捨てた人の修行の一つで、乞食に物を施すことは、仏に対する功徳であると考える。乞食は仏の化身でもある。彼らには、職能から神仏に直属するという誇りもあったという。しかし、13世紀後半の文献「天狗草紙」では、非人を「穢多」という言葉で表し、明らかな差別語を用いる動きが現れた。この時代に、穢れに対する差別と、非人への救済という思想のぶつかり合いが始まった様がうかがえる。この頃、遊女も非人と同じ扱いを受けるようになる。浄土宗や一向宗、時宗にせよ、日蓮宗にせよ、また禅宗や律宗にせよ、いわゆる鎌倉新仏教は、悪人、非人、女性、穢れの問題に、正面から取り組もうとした。しかし、世俗の権力によって徹底的に弾圧される。そして、日本社会では、被差別部落、ヤクザ、遊女、博奕打に対する差別が定着していくことになると考察している。

4. 女性の身分
宣教師ルイス・フロイスが残したものにこんなものがあるらしい。
「日本の女性は処女を重んじない。夫婦の財産は別で時には妻が夫に高利で貸し付ける。離婚も不名誉ではなく再婚に支障を来たさない。夫に断らないで何日でも自由に外出できる。」
これには著者も驚いたようだ。日本の女性に対する偏見ではないのか?中世ヨーロッパの女性の地位が非常に低いことに比べれば、日本の女性は比較的強い立場に写ったというのが本当のところではないだろうか。しかし、本書はもう少し突っ込んだ考察を進める。明治維新頃の離婚率の高さから、江戸時代の離婚率の高さを推測できるという。幕府の法制から、離婚権は夫側にあったというのも実態とは違う可能性を指摘する。というのも、日本は極度に建前を気にする社会だからである。本書は、女性の貞操観はかなり後に確立されたのではないかと推測している。女性の識字率の高さから見ても教育レベルの高さが想像できる。「三くだり半」という言葉は、伝統的に使われた可能性もあるだろう。案外フリーセックスの時代だったのかもしれない。鎌倉時代では、御家人の名主に女性がなっている例も多いという。通説では女性がかなり虐げられていたことになっているが、女流文学が高度に発展していることとは、少々矛盾を感じる。著者は、こうした通説にはまだまだ研究の余地が残されていると述べている。日野富子は将軍の奥方でありながら、大名たちに多額の金を貸し、財を蓄積したと非難される。これも氷山の一角であり、彼女だけを悪女にするわけにはいかないだろうと語る。しかし、14世紀頃から女性の地位も失墜していったという。

5. 日本と天皇
天皇の称号が定着したのは推古天皇からと言われていたが、最近では律令の規定により持統天皇からというのが古代史家の間でも通説のようだ。日本という国名も、遣唐使の時から使われているようで、ほぼ同じ時期に確立したと思われる。ということは、聖徳太子は日本人じゃないのか?「日本」とは王朝でも地名でもない。「ひのもと」は中国からみて日の出の方向で、中国を意識した名称である。律令制が天命思想を前提としているのに対して、日本では独特の解釈がなされたという。天皇には、律令制の皇帝としての存在と神聖な王としての存在がある。家元制度や職能別の世襲制が固まっていき、その頂点に天皇家という世襲制がある。南北朝動乱時、天皇が権力を失いながらも、なぜ生き延びたのか?天皇家が一つの王朝であるならば、滅亡すれば別の王朝が誕生するだけのことである。日本には、無理やり天皇家を存続させて、権力だけ持ち回りしてきた歴史がある。神になろうとした織田信長がもう少し長生きしていたら、天皇家は滅ぼされていたかもしれない。この権力と象徴という二重構造が日本の歴史を複雑なものにしているように思える。歴史的にも、南北朝のどちらが本流かという議論がなされてきた。そこには政治支配者の思惑も絡む。万世一系というのも疑わしい。徳川家康だって源氏を名乗った。系譜をめぐった論争は、皇室への冒涜と批難され抹殺された歴史家も多いことだろう。

6. 百姓は農民?
封建社会では農業が生産の中心で百姓は農民である。これは日本人の社会観であろう。これは仕方がないことで、学校の教科書がそのように表現している。ある統計情報では秋田藩の人口は76.4%が農民である。しかし、別の資料では百姓が76.4%となっているものを紹介してくれる。他は武士と町人となっているから、ほとんど生産は農業だけということになる。しかし、実際の百姓は、農業はもちろん、製塩、製炭、山林、鉱山、廻船、金融など様々な産業が含まれる。歴史教科書には、水呑百姓は田畑が持てない貧乏な農民と記している。しかし、これは田畑が持てないのではなく、持つ必要のない百姓ということらしい。むしろ比較的豊かで別の産業を営んでいた石高のない人々である。しかも非農業民は少数派ではない。おもしろいことに、「百姓」という言葉はマスメディアの世界では差別語であり、記事には使えないそうだ。中国や韓国では百姓を普通の人と訳すらしい。確かに文字からして農民とする方がおかしい。租税制度そのものが水田を基盤にしているというのも誤解を招く。制度上の用語も農業主義的なものが多い。本書は、田畑を中心とした見方は、歴史を捻じ曲げると指摘する。おいらの認識も年貢というと米しか思いつかない。こうした教育が、土地に対する思い入れの強い民族に仕立てられるのかもしれない。ちなみに、おいらの国語辞典には百姓は農民。おまけに田舎の蔑称とも書いている。もはや国語辞典も信用できないのか?

本書を読み終わって、現在においても日本人が農業を軽視する傾向にあるのは、この時代に源流があるのではないかと思ってしまう。現在の食料自給自足率を極端に下げる傾向は、この時代からの名残とも言えなくもない。また、日本人が宗教への意識が低いのも、その源流が過去の大規模な宗教弾圧にあるのかもしれない。この時代は、銭貨の流通も活発になり、金融業も活発化し、信用経済が芽を出す。土木建築に資本が動き、資本主義的にもなりつつある。大規模な飢饉が起き始めたのも13世紀頃。ずっと昔にも小規模な飢饉が起きているが、この時代から大規模化していると指摘する。これも非農業化にともなう現象と捉えている。課税も土地に対する租税だけでなく、商工業者に対する課税も始まり税収も多様化する。こうした流れは、明治維新で台頭してきた、薩摩、長州、土佐、肥前など海上貿易の盛んだった藩へと受け継がれる。封建社会とは、領主による農民の支配が、基本構造であることを学校で教えられた。しかし、産業が多様化している中で、百姓、つまり一般の人々が、それほど隷属的に従うだろうか?百姓は、多様な社会を築き高度な知恵を持っていたことが想像できる。などなど、通説とは違った歴史が概観できるところがおもしろい。

2008-03-02

"近代ヤクザ肯定論" 宮崎学 著

前記事の「反転」では、元検事さんの本を読んだ。今度は、裏社会の立場の本を読んでみるのもおもしろそうだ。本書に興味を持ったのは著者の経歴である。父は伏見のヤクザ寺村組の親分。早大在学中は日本共産党のゲバルト部隊に属したとある。なんとなくド迫力の香りがする。ただ、意外なことに、社会学的に考察している点はおもしろい。歴史の面からも、日露戦争後、ブルジョアとプロレタリアの棲み分けがはっきりしていた時代から、戦後急速に民主化が進んだ時代を経て、バブルに至るまでを底辺社会の視点から概観できる。

戦後の名だたるヤクザは、被差別部落や在日コリアン、その他に島の出身者が多いという。瀬戸内の島々、奄美、沖縄、済州島など。また、教育レベルの低い者や障害者もいる。社会的弱者が生き延びるためには群れるしかない。こうした背景でヤクザの存在意義が語られる。中でも山口組は利益社会型としての先駆者であったという。三代目組長田岡一雄氏は、ヤクザが博奕で食っていく時代は終わったと断言し、組員が正業を持ち一般社会の中に入るべきであると説いている。また、柳川組の谷川康太郎氏の言葉は印象的である。
「何が善で何が悪だといえるのは、まだ余裕のある人間だ。ドストエフスキーの"罪と罰"なんて所詮インテリの精神的遊戯だ。そんなことで飢えた人間は満たされない。」
そこには、ヤクザしかなれない人がいる。麻薬密売でしか生きていけない人がいる。任侠や愛国とか言う前にそういう現実がある。彼らは右翼団体や政治団体とは一線を画す。本書の目的は、こうした世界があることを伝えることであると語る。そして、そこにヤクザという選択肢があったことに文句がつけられるだろうか?と問いかける。

アル中ハイマーには、善悪を超えた領域など想像もできない。ただ、ヤクザは、前科、出身、国籍、経歴をいっさい問わない唯一の集団なのかもしれない。そういえば、小学生の頃、同級生にヤクザの息子がいた。少々喧嘩早いところもあったが、まったく違和感がなく結構いい奴だったので一緒に遊んだりもした。中学生になる頃、既に上級生の子分を10人ほど引き連れていた。本人は以前のように気軽に話しかけてくるが、遠い存在であることを認識させられた。おいらはすぐに転校したから、あれからどうしているか知らない。当時住んでいた公団の横にヤクザの幹部か、あるいは組長の豪邸があった。同級生とは苗字が違うが親戚とか言っていたような気がする。その名も梶原さん。まさか本書に登場する人物とは関係ないだろうなあ。その豪邸には大勢の組員が出入りしていたが、お行儀の良い人達であった。ただ、大きなドーベルマンが数匹飼われていて近寄りがたかった。優しそうなおじさんが、よく背中の刺青を見せてくれたことに、幼少ながら面白がっていたのを思い出す。今思うと恐ろしい地域に住んでいたものだ。先日も発砲事件のニュースが流れていた。

1. 労働力供給業と芸能興行
海運業は、貨物取扱量の変動が季節的にも日々においても激しい。船会社や荷主は、経営コストを下げるために港湾運送業を直営にせず、下請業者にリスクを背負わせる。下請業者も、大手業者に直属して大口取引を独占したり、雇用する労働者を最小限に抑えたりして、リスクに対抗する。直属関係は縄張りを生み、荒らす者には暴力的な手段が取られる。労働者を最小限に抑えるために、日雇い労働者や臨時労働者で雇用調整する。いきなり船が入ってきた時は、即座に労働力を供給する必要もある。過酷な労働に人員を集めるには、前歴を問わず、荒くれ者や流れ者が多く、強い統率力なしでは運営できない。いつでも労働力をプールするには、底辺社会、裏社会とのルートをもつことが有利となる。これぞヤクザの真骨頂である。港湾荷役から労働供給者として独立したものの一つに山口組があった。日本の経済成長とともに、ヤクザは労働組織から必要に応じて自然発生したのである。また、吉本興業の用心棒をした関係からも芸能界にもつながる。大阪相撲の興行権も獲得する。芸能プロダクションが地方興行権を得るには、その縄張りにお伺いをたてなければならない。芸能人につきものの数々のトラブルを揉み消す役目もある。興行権といえばプロレス界もその典型である。興行権を手にすれば、芸能界も牛耳れるという構図である。山口組は労働力供給業と芸能興行の二つの事業で成長していく。

2. 利益社会型としてのイノベーション
労働現場で、親方・子方関係が支配していた時代があった。企業は現場の管理を直接できなかった。ところが高度成長期になると、技術革新による生産の合理化が進み、企業が現場の労働者をも直接掌握できるようなる。これを牽引したのが自動車産業である。代表的なものがフォード・システムである。自動車産業は購入部品など下請依存の高い産業であり、自社の系列化により下請企業群を直接従わせる。その延長上に日産のOES(Order Entry System)やトヨタのカンバン方式がある。変動的な人件費も同一規格にパッケージ化される。こうした流れは、様々な産業へと波及する。山口組が支配していた神戸湾の港湾荷役では、ベルトコンベヤー、クレーン、フォークリフトを導入する。下請業者がこうした機械に設備投資すると採算が合わない。そこでリース業者が生まれる。港湾においてはコンテナ化も進む。こうなるとヤクザが支配していた臨時の労働者供給が必要とされない。ヤクザの残された道は、企業化するか退散するかしかない。これは親方・子方制が解体されることを意味する。このような時期に山口組は土建業に進出し、タクシー業、生コンクリート運輸業などと関わりを持つ。一般企業にとって、トラブル処理は、ヤクザの使い道として重宝される。ゼネコンで雇われた多くの中に荒くれ者や流れ者が含まれるのは普通であり、彼らのトラブルを親会社が処理していてはコストがかかる。むしろ、お守り料としてヤクザに裏金を還流した方が安上がりである。また、企業社会の負のサービス業として民事介入暴力で活動する。総会屋、会社ゴロ、金融者、整理屋、示談屋、取立屋、パクリ屋、サルベージ屋、アパート屋などで、紛争介入の手数料を稼ぐ。こうした利益社会に順応していったヤクザは山口組だけだったという。

3. 同和利権の誕生
行政の行動様式は、事なかれ主義の官僚体質が支配的である。名指しで糾弾されたり、デモや街宣車から、管理能力を問われると震え上がる。彼らは、差別糾弾という看板を掲げて強面のヤクザが乗り込んでくると迎合的になる。これが解放運動や同和団体と称するヤクザとの癒着を生み、同和利権が誕生することになったという。同和対策の関係官庁は、自治省(現在の総務省)である。当時、この中央官庁から都道府県に副知事として下っていき、その後知事となるケースも多い。そういう人物に同和対策室経験者が非常に多いという。暴露本では、同和関係の大物政治家を実名で紹介しているものもある。いわゆるエセ同和である。

4. 権力の手先と反権力の闘争集団
国家権力の正統性を普遍化するには、暴力の独占と法の支配が必然である。ただ、実際はそこまで徹底することはできない。経済活動に閉塞感が生まれるのもよくない。資本主義には、ある程度ヤクザが存立できる余地が残されていたようだ。国家権力からみて一元的な管理の下に従っているヤクザは存続が認められ、逆らうものは潰される。民主化運動や冷戦構造の中で沸き起こった共産主義者による武装闘争においてもヤクザは活躍する。戦後の警察力だけでは統治できない混沌とした時代には、地方の隅々まで把握したヤクザの存在は大きかった。政治思想に感化されたヤクザもいる。右翼団体や共産主義の中にも存在する。政治介入すれば、国家権力が脅しにかかる。あまり締め付けるとヤクザも反抗する。国家権力とヤクザの互いの脅し合いでバランスされる。こうした時代に、山口組は、政治色の弱いヤクザであったことが、うまく共存できた理由の一つであると語る。暴力団全国一斉取締キャンペーンで警視庁が本腰を上げた時、数々のヤクザ組織が潰されたが、山口組は潰れなかった。これは、水面下で兵庫県警と山口組が癒着しているからであるという。ただ、それだけではない。田岡氏は従来型の山口組は解体するつもりであったという。そもそも全国制覇の進展で山口組は大きくなり過ぎた。大組織になると愚か者も出てくる。少数精鋭にしなければならないと語っていたらしい。少数精鋭で経営効率を向上させ、一時的に縮小しても、更に巨大化して発展する企業も多い。山口組もその一例となる。警察のキャンペーンは、資金源を断ちヤクザを産業から放逐した。しかし、中小ヤクザを壊滅させただけで、むしろ寡占化を促進させた結果になったという。バブル期においても経済の裏側でヤクザが活躍したことは容易に想像がつく。大企業や金融機関が、ヤクザを存分に利用して巨利を得ようとしなければ、バブルは起きなかったかもしれないとさえ語る。政官財の中枢を担うパワーエリート達が陰の財テクに励む。そうしたダーティな部分にヤクザは入り込む。どちらもヤクザであることに違いはない。

5. ヤクザの存在意義
警察の頂上作戦によってヤクザは解体されていった。ヤクザの人員減少は警察も胸を張る。しかし、ヤクザを辞めた人間はいったいどこへ行ったのだろう?結局、社会の隙間に潜り込んでしまい、以前とは区別がつかないところで犯罪をする。むしろ犯罪は巧妙となり、悪戯な詐欺行為が散乱する。統制が取れていたヤクザ組織とどちらが良かったのだろうか?答えを出すのは難しい。人間社会が複雑化する限り、ある確率で犯罪は存在し続けるだろう。下層社会が拡大すれば尚更である。現在では格差社会と言われている。フリーター化、人材派遣化していく様も近代ヤクザの傾向であるという。表向きクリーンでも、その実態はヤクザである企業はますます増える。更に、グローバル化の波も押し寄せる。資本や労働が有利な方向へと移動しやすくなり、経済国境もなくなる。日本にも世界レベルの格差社会が到来するかもしれない。そうなると、新ヤクザ構想もグローバル化するのだろうか?