2024-05-12

"世界をつくった 6 つの革命の物語 - 新・人類進化史" Steven Johnson 著

よく見かける世界史では、四大文明の出現、三大宗教の確立、ローマ帝国の興亡、大航海時代、フランス革命、産業革命、二つの世界大戦といった事象が主題とされる。
しかしここでは、ガラス、冷却、録音、清潔な水、機械仕掛けの時計、電球の光といった発明を切り口に世界史を物語ってくれる。
歴史を学べば、英雄伝や重大事件とされる事象に注目しがちだが、真に歴史を育み、真に文明を開花させてきたのは、名も無い人々が日常生活で営んできた改良や改善といった努力の積み重ねなのであろう...
尚、大田直子訳版(朝日新聞出版)を手に取る。

「アイデアは科学からしたたり落ち、商業の流れに入り、先が読みにくい芸術と哲学の渦にはまる。しかしときには、あえて上流へ、芸術的な想像からハードサイエンスへと進むこともある。」

スティーブン・ジョンソンは、「ハチドリ効果」と呼称する不思議な影響の連鎖を主題に掲げる。それは、カオス理論で見かけるバタフライ効果とも似てそうだが、原理は根本的に違うらしい。
バタフライ効果は、例えば、カリフォルニアで蝶の羽がはためくと、その影響が回りまわって大西洋上でハリケーンを起こすというもので、無関係と思われる不可知な因果連鎖をともなう。
対して、ハチドリの場合、骨格構造では不可能なはずが、羽を回転させながら打ち下ろす時だけでなく引き上げる時にも揚力を得て、蜜を取り出す時に空中にとどまることができ、そこに食への執念のようなものを見る。しかも、花蜜を生産する機能を具えた顕花植物がなければ、成し遂げられない共進化と言えよう。
したがって、バタフライ効果が結果的に受動的な相互作用を引き起こすのに対し、ハチドリ効果はもっと積極的で意志をも感じるような相互作用ということになろうか。
実際、ある分野のアイデアがまったく違う分野のヒントとなって、相互に画期的なイノベーションをもたらすことがある。あるいは、情報共有が何十倍、何百倍と増えていくだけで、予想だにしない無秩序な変化の大波が生じることだってある。ささやかなアイデアが、世界を変える新たなチャンスを切り開くことだってありうるのだ。歴史とは、ちょっとしたことが無数に集まり、それらが複雑に絡み合った結果と言うことができよう。
しかしながら、そこに生じる相乗効果が、悪魔のお告げのように機能することもしばしば。人間の集団性は恐ろしい。そこには個々の意志とはまったく別の意志が生気し、おまけに集団暴走を始める。御用心!

「先進世界の人々の大半は、水道水を飲んで 48 時間後にコレラで死ぬことをまったく心配しないということが、どれだけすごいかをわざわざ考えたりしない。エアコンのおかげで、50 年前には耐えられなかった気候のなかで快適に暮らしている人がたくさんいる。私たちの生活は、大勢の先人のアイデアと創造性によって魔力を与えられたさまざまなものに囲まれ、支えられている。発明家や愛好家や改良家が、人工光やきれいな飲料水をつくる問題に堅実に取り組んできたおかげで、私たちは現在そのようなぜいたく品をためらうことなく、そもそもぜいたく品だと考えることさえなく、利用することができている。」

また、著者が「ロングズーム」と呼称するアプローチを紹介してくれる。新たなイノベーションは、近視眼的には地政学的な影響を受け、流通や情報の中心地に集まる傾向がある。だが、大局的に眺めると、国家や国民性といった枠組みにとらわれることもあるまい。ましてや、このグローバルの時代に...

「これは私がほかでロングズームの歴史と呼んでいるアプローチだ。鼓膜を震わす音波の振動から大衆の政治連動にいたるまで、さまざまなスケールで同時に検討することによって、歴史の変化を説明しようとする試みである。歴史の物語を個人または国のスケールで統一するほうが直感的に理解しやすいが、根本的にその境界内にとどめるのは正確でない。歴史は原子のレベルで、地球上の気象変動のレベルで、そのあいだのあらゆるレベルで起こる。物語を正しく理解しようとするなら、そのような異なるレベルすべてを公平に評価できるような解釈のアプローチが必要なのだ。」

1. ガラス職人が世界の見方を変え...
二酸化ケイ素化合物には、興味深い化学特性がある。今日、ガラスと呼ばれる物質である。融点は、260度以上。およそ 2600 万年前、リビアの砂漠で旅人が、その破片につまずいて発見されたとさ。
二酸化ケイ素のアクセサリーは、ツタンカーメンの埋葬室でも発見された。そして、ガラス職人の工夫から望遠鏡や顕微鏡の発明につながり、世界の見方を変えることに。
いまや、インターネットはガラスで編まれている。今日のデータは、光ファイバーケーブルを張り巡らせ、光を集約することによって伝送されている...

2. かき氷を我が家で食べられる幸せを噛み締めて...
冷却技術は、温暖化気候でより重要視される。いや、沸騰化気候か。自然界の冷たさといえば、まず氷だ。こいつの驚くべき能力は、周囲の大気から熱を引き出すところにある。そして今、瞬間冷凍技術のおかげで、果物、野菜、肉類が美味しく保存される。そして、精子バングが冷凍庫に保存され、人体までも瞬間冷凍されるであろう。北極と南極の氷がもてばいいが...

3. 古代洞窟は天然のサラウンドシステム...
音の拡声、拡散が、音空間を形成し、精神空間に影響を与える。それを最初に味わったのはネアンデルタール人かもしれない。人類は、音波を記録する技術をもって音響という概念を創出した。フォノトグラフは、音波を視覚化して音響空間の設計を進化させる。録音技術は、S/N 比と葛藤の日々。そして、デジタル音源を手に入れた時、完璧なコピー音源になりうるか、少なくとも劣化を抑制することができるようになった。潜水艦などの軍事技術や医療機器に欠かせない音響システム。海中ソナーに、身体エコーに... そして、命を救う音に、命を終わらせる音に...

4. 清潔さは文明の尺度...
シャワーや入浴が健康に良いとされたのは、19 世紀だそうな。患者の処置前に手を洗うことを提案した医師が非難される時代であったとさ。
人間は、喰って排泄する動物である。どんなに賢くなろうとも、どんなに進化しようとも、この熱機関としての工程は変えられない。そして、食物の確保と、排泄物の処理は、街づくりの根幹であり、水道と下水道の整備は、文明社会で最も重要視すべきものとなる。塩素革命では、適量の塩素剤を加えることによって、水から効果的に細菌を除去することを知るに至る...

5. 人類はますます時間に幽閉されていく...
農業労働はだいたいの時刻が分かれば、それで事足りたが、産業労働には厳密な時間管理が必要となる。生産工程にも、労働時間にも。給料が時給で支払われるシステムでは、人間が巧みに時間管理されるようになった。航空業では、国際標準時間を必要とする。ますます人類は、正確な時間を刻む機械を求めてやまない。
石英の特定の結晶、水晶に圧力をかけると安定した振動が得られる。この原理を利用したのがクォーツだ。CPU のマスタークロックには、たいてい水晶振動子が用いられる。クォーツの精度がマイクロ秒であるのに対し、原子時計の精度はナノ秒。セシウム 133 原子が...
さらに、放射性炭素の崩壊は、百年ないし千年の精度で時を刻む。炭素 14 は、5000年毎に、カチッ!カリウム 40 は、13億年毎に、カチッ!

「一万年ものあいだ時を刻む時計があったら、どんな世代単位の問題や計画を提起するだろう?もし時計が一万年動きつづけるのなら、私たちの文明もそうなるようにするべきではないのか?私たち個人が死んだあともずっと時計が動きつづけるなら、将来世代がやりとげることになるプロジェクトを試みてもいいのでは?さらに大きな疑問は、ウイルス学者のジョナス・ソークがかつて問いかけたとおりだ。『われわれはよい祖先になっているのか?』」
... ロング・ナウの役員ケヴィン・ケリー
"The Clock of the Long Now" https://longnow.org/clock/

6. 人工光で盲目は治るか...
信頼できる電流源、その電流を近隣一帯に分配するシステム、個々の電球を配線網につなぐメカニズム、そして、どれだけ電気を使ったかを測定するメータ。これらが揃って安定した生活源が確保される。電球の発明によって、暗闇でも目が見えるようになったのはありがたい。だからといって、精神の盲目は解消されたであろうか。人類は何を見ようと、光を欲するのか。そして、この電流源に税金を支払うシステムを強要されようとは...

「もし隠れているものに対する直感的な知覚を持ちたければ、その場合、少し道に迷う必要がある。」

2024-05-05

"音楽は絶望に寄り添う - ショスタコーヴィチはなぜ人の心を救うのか" Stephen Johnson 著

「音楽なしでは人生を誤る。」... フリードリヒ・ニーチェ

ショスタコーヴィチには救われる。BGM に彼の楽曲を流すだけで孤独が癒やされ、絶望を少しばかり希望に変えてくれる。抑圧した国家体制の下で曲を書き続けたのは、彼自身を救おうとしたのであろうか...
しかし、希望は危険だ。儚い希望は絶望をより確固たるものにする。だとしても、歴史の重々しさを奏でる悲しい物語は、心の痛みを和らげてくれる。ナチス包囲網にあってはレニングラード交響曲で市民を勇気づけ、ソ連共産体制に対しては交響曲第五番で反骨精神を露わに。生きてゆくために意味を与える音楽をもって、スターリンの神格化なんぞクソ喰らえ!

「音楽は、暗いドラマと純粋な歓喜、苦悩と恍惚、燃える怒りと冷たい怒り、哀愁とはじける陽気、そして、最も微妙なニュアンスと、言葉や絵画や彫刻では表現できない感情の相互作用をあらわすことができる。」
... ドミートリイ・ショスタコーヴィチ

弦楽四重奏曲第八番は、彼自身のレクイエムであったのか...
ファシズム批判を掲げながら自己肯定感を強調し、自らのイニシャルを刻み込む。DSCH 形式がそれだ。
共産党に入党したのは、カモフラージュであったのか...
反体制派が生きてゆくには自虐的な手段も厭わず、スターリン思想を引用しては、まったく説得力のない手段で持ち上げもする。皮肉交じりで、矛盾だらけ。しかし、自由を信条とする芸術家が粛清の時代を生きてゆくには、矛盾をも味方につけなければ...

「ショスタコーヴィチの交響曲第四番は、ほぼその全体を通して、ひたひたと迫る破滅を回避するために、時として必死に努力している様子が彷彿させられる。そして、最後まであと 10 分位のところで、彼がとうとう降伏するのだ。」

原題 "How Shostakovich changed my mind"
著者スティーブン・ジョンソンは、双極性障害(そううつ病)で苦しんだ音楽プロデューサーだそうな。彼は、自ら精神を破綻させることも厭わない音楽家魂に共鳴して、この本を書いたのであろうか。そもそも自由世界なんてものが幻想なのやもしれん。そして、人間が生きてゆくには幻想も必要なのであろう...
尚、吉成真由美訳版(河出書房新社)を手に取る。

「もし音楽が私をこのような気持ちにさせるのなら、私はどうして役立たずで、卑劣で、取るに足らない、耳を傾けるに値しない存在などであろうか...」