2007-11-30

"SIX NOT-SO-EASY PIECES" Richard P. Feynman 著

先日、「SIX EASY PIECES」と「SIX NOT-SO-EASY PIECES」の二つをお借りした。本書は、ファインマン教授の講義録がCDで収められている。偉大な物理学の講義をオリジナルで聴こうなんて発想は、アル中ハイマーの英語力からは考えられない。そんな英語音痴でも些細な努力はしている。昔は、会社に隠れて英会話学校に通ったこともある。使わなければ元の木阿弥。ちなみに、只今一世風靡中の駅前留学ではない。外人経営のマイナーな学校である。なになに学校ってのは性に合わないのだが、なんとなく先生の人格に惹かれてしまった。ある日、ローカル番組の街頭インタービューで、流暢な日本語で答えているのには驚いた。彼が日本語を話しているのを見たのはそれが最初で最後である。今は、海外ドラマNCISを教材にしている。なぜかって?アビーにいちころなのだ。その前はX-ファイルだった。なぜかって?モルダーにいちころなのだ。歳を取ると字幕を追いかけるのが面倒になる。なかなか良い傾向だ。ようやく英語の周波数が合い始めていると錯覚している。ただ、この波は脳細胞には干渉しない。そもそも酔っ払った脳とはそういうものだ。日本語にしても言語というものは同期しないのである。今宵のアル中ハイマーは、気分良く英語の勉強と称して外人パブへ出かけるのである。

このCDは重厚だ。ノーベル賞学者の偉大な講義を酒の肴にできるとは、なんと贅沢な時間だろう。英語の勉強で文章を追いかけるような無駄は止めよう。不快な思いをするのは大先生に失礼だ。ファインマン調を味わって幸せになろう。
物理学では、追いかけるものは逃げていくという法則がある。それは、ホットな女性はつかまらないことで証明される。
始めてみると意外に文章が拾える。英語のリズムだけでも楽しめるではないか。クールな人物をイメージしていたが、語りが熱い。なかなかの名調子。人間性も伝わる。驚くべきは、語りだけでほとんどの説明がなされることだ。編集してんのか?これは漫談か?式を書くことに命をかける教授とは随分違う。偉人の講義とは思えない親近感もある。バックグランドでチョークが走る。時より発する学生の咳が生々しさを醸し出す。冗談も飛び出す。学生と一緒に笑いたいがタイミングを逸する。悔しい!そこだけリピートだ。いつのまにか目的がすり替わって笑うタイミングを計っている。ドリフの大爆笑やんけ!
物理学では、目的はすり替わるものという法則がある。それは、国のお偉いさんたちの行動が証明している。

何を血迷ったか。not so easyの方から聴き始めた。何を隠そう、こちらだけ聴いて片付けるつもりでいた。こんな難しいものが理解できるわけがない。そう思っていたからである。ベクトルや対称性から相対性理論へ話が及ぶ。当然アインシュタインも登場する。ちなみに、ファインマン先生は「Curved Space」が一番のってるようだ。おっと!聴いてるうちに目の前の空間が曲がってきた。いつのまにか6時間が過ぎている。さすがに、ずっと同じ姿勢ではケツが痛い!

そして翌日、引き続きeasyの方を聴く。んー!録音状態が悪い。昔の政治演説みたいだ。この講義は飛ばそう。次の講義からは状態も悪くない。一安心!物理学の概要の話をしているのだと思うが抽象的でよくわからない。諦めかけていたら、物体のエネルギーで引き戻される。ケプラーも登場して、んー!やっぱり聴き取れない。量子論はかなり怪しい。the uncertainty principleってなんだあ?出たあ!ハイゼンベルグ!不確定性原理やんけ!とうとう止めを刺された!締めくくりは、正確に測量できない世界がある。それでも統計的には把握する手段がある。不確定性原理とはそうした場合に有効な道具だ。とかいったことを哲学的に語ってくれているような気がする。漫談屋が真面目に語っても、冗談にしか聞こえない。偉大な人間が語ると冗談も哲学に聞こえる。人間は、耳を傾ける側の心構えでなんとでも聞こえるものだ。

酔っ払いのことだから、ほとんどを勘違いして聴いていたことだろう。物理の基本法則だから、なんとなく伝わった気になれるのかもしれない。アル中ハイマーには、なんとなくnot so easyの方が周波数が合う。歴史を感じるとアルコール濃度も上がる。さて3度目を聴こう!それにしても、こんな英語の楽しみ方があるのかあ。以上、アル中ハイマーの初体験でした。

2007-11-28

"ソフトウェア開発に役立つマインドマップ" 平鍋健児 著

本書は先月某氏にいただいた。もっと勉強しろ!という意味だろう。その証拠に会うといつも説教される。いや!アル中ハイマーが謝り上戸の上に、説教され上戸なのかもしれない。仕事が落ち着いたところで読んでみることにしよう。今週は雑用週間にしよう。本職が雑用だから代わり映えがしない。

マインドマップとは、キーワードを放射状につないでいく表記および発想法で、トニー・ブザン氏が開発したとされている。アル中ハイマーはこれに近い発想を学生時代からやっていたような気がする。もともと思考の手段でお絵書きする癖がある。それも頭が悪いので、問題意識を全体像の中からイメージできないからである。こうした図解で重要なのは、自分で軌跡を描くことだと思っている。一人でぶつぶつと独り言を言いながら軌跡をたどり、自分自身に説明する。これが記憶を助け、いつでも頭に描けるので風呂の中や、電車の中でも考え事ができる。ただ、酔っ払いの発想だから、学術レベルとは程遠いだろう。

本書は、右脳の得意とするビジュアルな刺激と左脳が得意とする論理的な情報をミックスして配置して一枚の絵にするとある。んー!真新しいものを感じない。具体的な表記は明確にルール化されているのだろう。ルールは、集団で議論するためには必要であるが、そのためにわざわざ教育が必要ならばカルト教団による布教のなにものでもない。まあ、そう畏まらずに大雑把に構えていればいいだろう。特徴は、プレイバック効果、一覧性、速記性、容易性、半構造(構造を柔軟に変更できる)を持つ。また、ブレインストーミングでも役立つとある。まあ、その通りだろう。UMLよりは簡単なので容易に導入できそうだ。
UMLとの融合ツール「JUDE」の試用版が付いている。付録にはテンプレートのおまけ付きである。少しは遊べるが、もうええや!ただ、マインドマップ用に特別なツールが必要なのかは疑問である。本書は、マインドマップの紹介書という位置付けなのだろう。雑誌の記事ぐらいで充分な気がする。これで2,200円かあ。お返しに一杯おごるとしよう。
あれ!なんだっけ?アル中ハイマー病とは、空白行があるだけで記憶細胞が空っぽになる病である。

2007-11-25

"Life Hacks PRESS" 田口元 他6名 著

人生は時間との闘いである。やりたい事は次から次に現れる。少しでも欲を満たすためには、生活効率、仕事効率を上げなければならない。lifehacksとは、こうしたことへの改善術を意味するらしい。アル中ハイマーも酔っ払いなりに優秀な方々の改善術を参考にしてみよう。本書は雑誌感覚で電車などの移動中に読むのにちょうど良い。時間もかからない。これぞlifehacksである。
それにしても、なになにhacksという本が散乱している。hacksという言葉には、技術レベルを高めてくれるような異様な響きがある。そのうちhacks教の教祖が現れるかもしれない。

1. lifehacks
おいらのTo Doリストにはいつまでも居座る奴らがいる。それだけで憂鬱な気分になる。優秀な方々でも同じ現象が起こるらしい。少し安心するのである。本書は、このやっかいな奴らを片付ける提案をしてくれる。結局、心理的対策しかないようだ。
また、突然発生する細切れな時間を有効に使う方法を提案してくれる。細切れな時間が発生する要因は、メール、電話、メッセンジャー、通勤時間などである。おいらは携帯電話と携帯メールは最優先である。もしかしたら夜のお誘いかもしれないからだ。最近は、メッセンジャーは止めている。メールにもうんざりさせられることが多い。細切れな時間を有効に使うには、頭の切り替えが難しい。アル中ハイマーには苦手である。昔は、本書に書かれているようなことを実践していた。少しでも余裕を持ちたいから、隙間の時間になんでも押し込んでいた。そんな時、笑うセールスマンに出会った。今となっては「喪黒福造」の名刺が懐かしい。細切れな時間には、周りの景色を眺めたり音を味わったりと和める瞬間がある。知的労働にはリラックスすることが重要である。忙し過ぎると見えるものも見えなくなる。何事も長続きさせることが難しい。肩のこることは嫌いである。常に自然体を心がけたい。通勤時間は仕事とプライベートを区別する貴重な時間であると考えていた頃もあった。しかし、効率性が優った。通勤してようが寝てようが、仕事が頭から離れない。問題を抱えていれば尚更だ。おいらは風呂に入っている時が集中できる。知的労働に残業時間など計算できない。そして、いつのまにか仕事とプライベートに境界をつくる必要はないと考えるようになった。仕事の効率化ができても、プライベートをだらだらと過ごしていては、無駄は解消されない。どちらも貴重な時間である。仕事から学ぶものもあれば、プライベートから学ぶものもある。どちらも同じ人生の時間軸にある。そのうち、また考え方が変わるだろう。気まぐれとは、不確定性原理の中にある。

2. GTD
GTDは、David Allen氏の著作「Getting Things Done」の頭文字をとった仕事術である。特徴は、手法や機能性だけではなく、感情面に配慮していることである。方法論というものは心理的影響を無視したものが多いが、これは興味が持てそうだと直感的に思う。ある企業にいた時は、プロジェクト管理ですらツールを強制されたものである。おいらは、何を管理するにしてもテキストベースが楽である。アプリケーションやツールに依存する手法は嫌いである。自由に無理なく実践できるというのがいいのだ。
GTDの大まかな流れは、やるべき事を管理し、それらの具体的なアクションを定義し、定期的にレビューする。定期的なレビューは、仕事のできる人の最も重要な習慣だという。ここでいうレビューとは、自分で監視機能を装備することである。スケジューリングの意味合いもありそうだ。なるほど、参考になるかもしれない。おいらは、レビューというと社内会議を思い出してしまう。会議ほど嫌いなものはない。奇妙な会議を経験しすぎると、奇妙な固定概念がしみついてしまう。おいらの場合、意識改革から始めなければならない。

3. マインドマップ
マインドマップとは、思考の記録ツール、図解のことだそうな。トニー・ブザン氏が提唱した図解表現技法の一つで、右脳と左脳を同時に活性化させるという。アル中ハイマーは図を書くのが好きである。会議中にスケッチする。というより、頭が悪いので論理的に逐次記載されたものが理解できないだけのことである。ドキュメントなど、解かり易さや、全体を見渡すのに、図解は良い手法である。しかし、厳密性を表現するには論理的な記述も必要である。そのバランスが難しい。昔から悩んでいるテーマである。本書では、単語を散りばめて関連付けていく図などを紹介してくれるが、見かけだけでは似たようなことをやっているような気がする。ただ、アル中ハイマーのレベルとは違って科学的に深いことをやっているに違いない。FreeMindも紹介してくれる。ただ、専用ツールを使うようなことなのか?図をスケッチする時には、手が動く軌道も重要であり、芸術的な要素を含んでいる。手の動きが脳を働かせるリズムでもあると思っている。まあそう言わずに、喰わず嫌いではいけない。ツールでも使って遊んでみよう。修正も簡単だしおもしろそうだ。

仕事をする時に難しいのは取っ掛かりと精神の持続である。
何が嫌かって一歩を踏み出すのが面倒なのだ。アル中ハイマーは半端な不精ではない。プログラムを書き始めて一旦集中すると、禅の世界へ導いてくれる。こうした状態では本能に任せればいい。美味い酒を飲んでいる時の幸福感は本能のままだ。そういえば、アル中ハイマーは脳が働かず、口が勝手に喋っていることがしばしばある。きっと他人が喋っているに違いない。翌日、目が覚めると仕事は終わっていたことがよくある。酔っ払うと二重に見えたりするが、それは錯覚ではない。美味い酒には、人員をコピーして人手不足を解消する魔力があるのだ。ただ、魔法がとけると自分のやったことを覚えていない。そりゃそうだ、だってコピーがやってるんだから。

2007-11-18

"高校数学でわかるシュレディンガー方程式" 竹内淳 著

本書は、前々記事、前記事に続き、「高校数学でわかる!」という呪文の三つ目の罠である。高校まで数学が得意だったと錯覚していたアル中ハイマーは、このブルーバックスの企画にいちころである。

前書きに、量子論でやさしさを追求した本は、シュレディンガー方程式に触れられないのが普通であるという。一方、シュレディンガー方程式を解説する本では、難し過ぎる傾向があるとも述べている。どうやらこの分野では、シュレディンガー方程式までたどり着ける人は限られるようだ。本書は、シュレディンガー方程式をマスターしないと量子力学を理解したことにはならないと主張し、この方程式をやさしく解説することに挑戦している。ちなみに、アル中ハイマーは量子論を専攻したわけではない。通りすがりのずぶの素人である。それでも、シュレディンガーの名前ぐらいは聞いたことがある。波動関数という言葉の響きには、強烈なウォッカ気分にさせる魔力がある。本書は、こんな酔っ払いでも、なかなか読ませる量子力学の入門書である。ただ、アル中ハイマーには、不確定性原理の意義や、シュレディンガー方程式の本質まではいまいち迫りきれない。とうとう三冊目にして、本当に呪文の罠に落ちてしまった。お陰様で、この分野に少々興味を持ってしまうのである。これからは「量子論」というキーワードを検索キーに加えておこう。

1. 量子力学の幕開け
プロイセン国の宰相ビスマルクの時代、ドイツが急速に工業化を進める。「鉄は国家なり」と言われ、近代国家が生まれた時代である。良質の鉄を作るために、溶鉱炉の温度を正確に把握する必要があった。科学者は分光器を発明する。鉄に光をあてると反射した光は、温度によってスペクトルの形が変わる。こうして光を使って物質を解析する時代が始まった。
20世紀初頭、ほとんどの科学的問題は解決済みと考え、たとえ解決していなくても、ニュートン力学とマクスウェルの電磁気学を駆使すれば解けると信じていた。そうした時代にプランクが登場する。光エネルギーは、振動数の定数(プランク定数)倍であるという理論を唱える。この理論では、波長が短くなるとエネルギーが強くなるので、赤、オレンジ、緑、青、紫の順にエネルギーが大きくなることを意味する。ちなみに、紫より波長の短い紫外線は、遺伝子に影響する大きさで、正常な細胞をガン化させることもある。後に、プランクは、光のエネルギーは振動数の定数倍だけでなく、更にその整数倍をとることに気づく。この式が量子力学の幕開けとなる。

2. アインシュタインの登場
光が波なのか粒子なのかという論争はニュートンの時代からある。ニュートンは粒子説を唱え、ホイヘンスは波動説を唱える。20世紀初頭、ヤングの干渉実験で波動説が有力となる。更に、マクスウェルが、光は電磁波の一種であると主張し後押しする。そんな時代にアインシュタインは再び粒子説を持ち出した。粒子説は光電効果を説明できる。金属に光をあてて電子を取り出す現象である。波長の短い(振動数の大きい)光をあてると飛び出す電子のエネルギーは大きくなる。照射する光を強くすると飛び出す電子の数が増えるが、一つ一つの電子のエネルギーは変わらない。現在、光は粒子と波の二つの性質があるとされている。ド・ブロイは、電子もこの二重性をもつと提唱した。現在ではこれも実証されている。電子が波の性質を持つとすると、波を表現する方程式が存在するのではないかと考えたのがシュレディンガーである。

3. シュレディンガー方程式
古典力学では物体の位置が時間とともに変化していく様子をニュートン方程式で解析することで物体の運動を表す。しかし、ミクロの世界、つまり量子力学では、位置ではなく波動関数を使う。波動関数は雲のような空間に広がった分布関数のようなもので、無限に発散するような関数は取れないし、物体が存在しない場合は0でなければならないなどの制約がある。シュレディンガー方程式は、この波動関数が時間とともに変化していく法則を示す。つまり、電子が原子の中にどのように分布するかを知るためには、シュレディンガー方程式を解けば良いというのである。ちなみに、「量子」という言葉は、量が変化する際の最小単位であって、その値が飛び飛びに変化するという特徴が語源となっているらしい。
ここで、ハイゼンベルクの不確定性原理について触れられる。このあたりはアル中ハイマーには頭が痛い。不確定性原理では、位置と運動量や、時間とエネルギーは同時には正確に測定できないというものだ。物理学の世界では不確定性の要因も多いだろう。というよりどんな世界にも不確定性はつきまとうものだ。ただ、ハイゼンベルグはこの不確定性そのものが本質であると唱えている。ニュートン力学では、位置と運動量の両方の情報がないと物体の運動は正確には計算できない。よって、この不確定性原理は論争の的となる。この主張に強く反対した一人にアインシュタインがいる。アインシュタインの「神がサイコロを振るはずがない」という言葉は、不確定性の対極にある。アインシュタインは不確定性の影響を受けない実験を次々に提案する。その都度、ハイゼンベルクは不備を見つけ出し、量子力学の世界では不確定性から免れないことを明らかにする。現在においても不確定性をくちがえす物理法則を見出した科学者はいない。不確定性原理は、波をいくつか足し合わせるとパルスになるという数学的性質にもつながると語られる。これは、なんとなくフーリエ変換を暗示しているようだ。おかげで少し理解できる範囲に取り戻せる。パルスの時間幅を短くするとエネルギーは大きくなるというのは、実は不確定性原理を表しているという。短い時間を測定しようとすれば、不確定性原理によってエネルギーの分解能が悪くなる。
んー!やっぱり、不確定性原理は、アル中ハイマーにはスピリタス級である。短いパルスの時間幅でウォッカすると、エネルギー効率は最大化され悪酔い度は96%まで高められる。

2007-11-11

"高校数学でわかるマクスウェル方程式" 竹内淳 著

本書は、前記事に続く二つ目の呪文の罠である。ブルーバックスの企画もなかなか憎い。高校まで数学が得意だったと錯覚していたアル中ハイマーには、「高校数学でわかる!」という言葉にいちころである。本書でも、高校物理と大学物理には断層があると語ってくれるあたりは、少しは慰めになる。幼少の頃、小学館だったか?科学実験を体験できる雑誌があった。おもしろく遊んでいた記憶がなんとなく甦る。なぜかそうした懐かしい感覚で読んでいる。

電気磁気学は電子工学を専攻すると必須科目である。赤点を取った嫌な記憶も甦る。なんとか丸暗記で誤魔化したものである。以来、マクスウェルという言葉の響きには、どんな酒でも学生時代に飲んだレッドの味わいに染める魔力が潜む。そんなアル中ハイマーでも、本書の世界に入るとレッドな気分をホワイトな気分にさせてくれる。なによりも法則の意味合いを大事にしているところがうれしい。そこには、
「電気磁気学の法則 = マクスウェルの4つの法則 + ローレンツ力」
が記される。これぞ学生時代に出会いたかった入門書である。
もっと早く出会いたかった本は、なぜか昔出会った女性を思い出させる。一人の女性がいるとそこには磁場が発生する。そこには引力あるいは斥力がある。この微力な磁場を強力にするには、男性が回りを囲めばいい。これがソレノイドである。目をつけた女性の視線は直進性が高い。これも一種の電磁波である。電磁波は永遠に進み続ける。これでアル中ハイマーはいちころである。これが「夜の社交場の法則」というものである。

生物の神経で情報伝達に電気信号も使われていることは20世紀になって明らかになった。例えば心電図は心臓で生じる電気を拾ったものである。ところで、電磁波をあびると女の子が生まれるという説は本当だろうか?昔ある企業に所属していた頃、テレビ設計者の子供は女の子が多いという話を聞いた。言うまでもないが、当時のテレビはブラウン管である。確かに先輩たちを見るとその傾向はあった。電磁波はXY染色体に影響でも与えるのだろうか?実験室には、股間用の防磁グッズがあったのを思い出す。ただ、Hが下手だと女の子が生まれるという説もある。こちらの方が説得力を感じたものだ。

1. 歴史を振り返る
日本では、平賀源内が1751年オランダから幕府に献上された静電気発生装置「エレキテル」に興味を持ったことから始まる。これは、ガラス管と金属の摩擦によって帯電する単純な装置である。アメリカの政治家フランクリンも1746年にこの装置に興味を持つ。彼は雷が電気であることを発見する。雷の巨大なエネルギーに対して、電気を溜めることができる最大の入れ物は地球(アース)である。この時、彼が電気のプラスとマイナスを決めた。
この2つの微力を測定したのがクーロンである。互いの電荷が増えれば増えるほどクーロン力は増し、その力は距離の2乗に反比例する。これは、万有引力の、互いの質量が大きいほど引力は増し、その力は距離の2乗に反比例する関係に似ている。違いは、電荷はプラスとマイナスに帯電するため、引力と斥力ができるところである。クーロンは、更に磁石を使って磁界においても法則が成り立つことを発見している。クーロン力と万有引力の類似性から、多くの科学者は二つの法則を統一しようと試みたが、現在に至るまで誰も成功していないようだ。
クーロン力と万有引力はいずれも離れたものの間で働く力であり、遠隔作用である。ファラデーは、音が空気を通じて伝わるように、クーロン力も媒体が伝える近接作用として捉える。この媒体がエーテルである。当時、エーテルは全宇宙に充満していると唱える科学者が多かった。エーテルの存在を確かめる実験に挑んだのが、マイケルソンとモーリーである。結局エーテルは存在せず、真空中でも電気や磁気の力が伝わるという遠隔作用説に戻ったようだ。しかし、ヘルツによる電磁波の実験は近接作用説に基づく学説になったという。そこで、クーロン力を伝えるのは空間そのものであるという解釈に到達する。その場に電荷があれば、その周りの空間には電界が存在するということである。
歴史は、電荷、磁界、電流、力の重要な関係に辿り着く。アンペールの磁界と電流の関係がそれである。磁界の方向に右手を置くと親指の方向に電流が流れる。電流の回りに右回りの磁界が発生する。拡張した解釈がビオ・バザールの法則で、コイルに発生する磁力を示している。ファラデーは磁界と力の変化によって電流が生まれる電磁誘導に成功する。この法則で電池に頼らなくても電流を生み出すことが可能になる。人類は、力学エネルギーを電気エネルギーに変換することに成功したのである。

2. マクスウェルの法則
この時点では、まだ電磁気学としての全体像は明らかになっていない。電磁気学を体系化する役割を果たしたのがマクスウェルである。彼は、ファラデーやアンペールらが明らかにした電場や磁場の関係を数学的に表すことに取り組み、1864年に20個ほどの式にまとめた。後年、絞りに絞って4つの式にまとめられる。

(第1式: クーロン力を表す式 = ガウスの法則)
クーロンの法則はガウスの法則と等価である。「点電荷のまわりの電界の強さが、表面積に反比例して減少する性質」を自然に認識できる点でガウスの法則を採用しているのだそうだ。ガウスの法則の数学的証明なんて悪酔いするだけである。本書でその証明を割愛しているのは正解である。ただ、ガウスの法則のありがたみは感じさせてくれる。それはコンデンサーの例で示している。平面状の電極に電荷が一様に分布している場合、電極からいくら離れても電界の強さは同じである。これは、平面状に広がった照明と光の強さの関係に例えて語られる。

(第2式: 電磁誘導の法則を表す式)
電磁誘導の法則は、磁束が時間変化すると、そのまわりに磁界が生じることを示す。

(第3式: 磁石のN極とS極は必ずペアで存在する)
N極は磁束線の吐き出し口で、S極は吸い込み口として働くので、必ずペアで存在する。しかし、単極の磁石が存在しないという物理的確証は、実は無いのだそうだ。

(第4式: 電磁石を表すアンペールの法則)
ソレノイド内部の磁界の強さはコイルの巻き数が大きいか、電流が大きい場合に強くなる。これは、電流によって電線のまわりに磁界が生じることを示している。マクスウェルは更に、電流が流れるまわりだけでなく、電極の間の電界の強さが変化すると、そのまわりに磁界が発生するところまで拡張している。例えばコンデンサーでは電荷が蓄えているだけで電流が流れない。それでも磁界は発生する。

3. ローレンツ力
マクスウェルの方程式が完成した時点では、電子が発見されていなかった。何かがプラスからマイナスに流れると解釈しているために、「電流はプラスからマイナスに流れる」と表現する。その後、J.J.トムソンがブラウン管で電子を発見する。実際は、マイナスの電荷(電子)がマイナスからプラスに流れる。ここで、磁界の中にある電荷に働く力。ローレンツ力が重要になる。これで、電流を駆動するための力、電圧、つまり起電力の説明ができる。著者は、これをマクスウェルの方程式に加えないのは謎だと主張している。電磁波の方程式が、時間軸に対して三角関数で表現されるのは、微分しても積分しても三角関数に戻る。つまり、永遠に波である。電界と磁界が互いに一方を生じながら無限に伝播することを意味する。この仮定は、電荷や電流や磁極が存在しないとしての話である。電磁波の速度は、光の速度と同じで30万km/sである。マクスウェルは光も電磁波の一種と考えた。目に見えるかどうかは単に波長の違いである。現在もこれが通説で、電気から光を取り出す技術は進化している。発光ダイオードや半導体レーザーがそれである。

4. おまけ、国際会議における日本人
西洋では、哲学者ソクラテス以来、議論して真理に近づくという伝統がある。よって、発表よりも質疑応答を大切にする。一方、日本人は発表を丁寧にして質疑応答が苦手というのが多い。これは、日本人が海外で評価されにくい理由の一つであると語る。また、誉められない特徴として発表態度にあるだろう。欧米人が聴衆に向かって発表するのに対し、日本人は背中を向けてスクリーンに向かって発表する。これは、伝統的態度と言えるだろう。政治指導者が紙を読み上げて討論している姿からもうかがえる。学校教育の影響もあるだろう。聴衆の前で意見を披露する訓練を受けていない。また、議論には言論の自由が必要不可欠であるとも語る。科学者が自身の主張によって不利益を被った例は多い。宗教的あるいは政治的弾圧を受けてきた。ソクラテスでさえ死刑になっている。欧米諸国にはこうした苦い経験がある。現在においても、変わった意見を発言すると討論番組やマスコミによって血祭りに上げられる。特に日本人どうしの議論は、感情的になりやすい傾向がある。科学的議論であってもいつのまにか人格対人格の闘いになっている場合が少なくない。もう一つ重要なものに発想の自由がある。特に日本人は自由の概念を忘れがちだという。「科学の大きな役割の一つは、人間の思考から迷信を取り除き、合理的に問題を解決する思考方法を与えることである。」と締めくくる。

2007-11-04

"高校数学でわかる半導体の原理" 竹内淳 著

アル中ハイマーは高校まで数学が得意だと錯覚していた。ところが、大学であっさりと挫折してしまう。以来数学は嫌いだ。「高校数学でわかる!」なんて、ブルーバックスもなかなか憎い企画である。酔っ払いは、三度もこの呪文の罠に嵌ってしまう。

おいらは半導体業界との付き合いがある。ちょうど先月から仕事が迷い込んできた。独立する前は、この業界にお世話になっていたこともあり、その流れで今でも年に一、ニ度ほど関わることがある。主な業務は、回路設計と検証環境の構築である。今、検証環境を作り終わって一息ついたところである。あれ?今月末完了って見積もったような?いや!まだ夜の社交場からのアクセスをテストしていない。それも、ほど酔い気分という暗号語はセキュリティレベルの調整が難しい。テスト中、うちの酔っ払いマシンは「君に酔ってるぜ!」とかぬかす始末。やはり月末までかかりそうだ。
アル中ハイマーは元来ハード屋なので、ハードボイルドに生きることをモットーにしている。しかし、昔から雑用係になることが多いため、多少コミカルな態度をとる。これもハードに生きる人間の隠蓑で、世を欺くための演技である。

ハードな世界も言語による設計が進み、随分ソフトになったものである。20年前、アル中ハイマーが社会人になった頃、まだまだアナログ全盛で増幅回路が分からないと馬鹿にされたものである。おいらはオペアンプなどのリニアICに逃げ込んでものだ。物理数学の苦手な人間には辛い分野である。その頃CPUが流行だした。プログラマブルデバイスも登場しベテランの技術者を混乱させていた。大した知識ではないのだが、論理式やアセンブラ言語に拒否反応を起こしている。こうした背景もあって、おいらはディジタルへ逃げたのである。しかし、いまや論理だけでは対応できない。線形数学の中に放り込まれている。アル中ハイマーは、いつまでも数学に追いまわさる運命にあるのか。

デバイスの話も苦手であるが、完全に避けていたわけではない。昔、Behzad Razavi著の「アナログCMOS集積回路の設計」を読んだ時は、それなりに理解したつもりである。ただ、いつもながらリフレッシュサイクルが追いついていかない。ある産学連携の企画で、アカデミック価格で開催されたアナログ回路の講義をこっそり受講したりもしていた。こうした企画は貧乏人にはありがたい。無駄な努力を面白半分にやっていたものである。本書は、そうした時代を懐かしく思い出させてくれる。そこには、半導体の基礎知識、ショットキーとPN接合、トランジスタ開発のドラマが語られる。高校数学でもなかなか難しいレベルもある。どうせアル中ハイマーの能力では厳密に理解することなどできない。しかし、その難しい部分でさえなんとなく理解した気分にさせてくれる。なかなか気持ち良く酔える味わい深い再入門書である。

本書は大半が科学の話であるが、トランジスタの発明については、そのいきさつにも触れている。ちょっとメモっておこう。
トランジスタは、PN接合を組み合わせることにより電気信号を増幅できる素子である。AT&Tベル研究所のウォルター・ブラッテン、ジョン・バーディーン、ウィリアム・ショックレーらのグループにより発明が報告される。
リーダーのショックレーは有能な研究者であったが人格的に問題があったという。自分自身の能力に自信をもっていて協調性を欠いていたらしい。優秀な人材には時々見かけるパターンである。
ショックレーが目指したものは、電界効果トランジスタのタイプ。半導体の両端に2つの電極を付け、中間にもう1つの電極を付けて、中間の電極に電圧をかけることにより両端に電流の経路を作るといったものである。当時は、この経路ではなかなか増幅作用が得られなかった。これをバーディーンとブラッテンが実験により克服する。半導体もシリコンからゲルマニウムを採用する。ゲルマニウムとプラスチックの三角形の頂点を押し付けられることから点接触型トランジスタと呼ばれる。1947年、真空を使わずに固体だけで増幅装置を実現したのである。
尚、バーディーンは、この実験にはショックレーの貢献はないと語っている。トランジスタの発明が公表されたのは1948年。ベル研究所はチームワークの勝利であると公表。記者会見ではショックレーが質問に答えたので発明の中心人物として映った。その後、特許論争でショックレーと二人の間に溝ができた。点接触型トランジスタは製造が難しく、量産しても不良の山を作る。力学的にも壊れやすいなどの欠点を持っていた。
ショックレーは、トランジスタの開発を主導してきた自負心の一方で、点接触型トランジスタの実験には関わっていない後ろめたさがあったのかもしれない。休暇を返上し、わずか1ヶ月後に接合型(バイポーラ)トランジスタを発明した。バーディーンとブラッテンは、特許からみても増幅作用がなぜ起こるかの明確なイメージを持っていなかったという。一方、ショックレーは、P型からN型、そしてP型へと戻る電流の経路から増幅作用が得られるという本質を見抜いていた。
1955年ショックレー半導体研究所が設立される。これが後年のシリコン・バレーの起源となる。順調にスタートしたかに見えたショックレー半導体研究所も、間もなく部下との対立が始まる。その中の、ゴードン・ムーアとロバート・ノイスはインテル社を設立する。ノイスは集積回路の発明者としても有名である。ムーアはムーアの法則を提唱した人である。ムーアは、ショックレーは半導体の中の電子の動きを直感的に把握する優れた能力を持っていたが、人を動かすのは下手だった。と評している。
ショックレー研究所は、やがて経営に行き詰まるが、シリコン・バレーという米国半導体の中核を生み出した貢献は大きいと語られる。