2010-03-28

"名画で読み解く ハプスブルク家12の物語" 中野京子 著

前記事の「危険な世界史」にイチコロだったので、著者の作品をもう一冊読んでみることにした。ここでは、名画を鑑賞しながら歴史を眺めるわけだが、肖像画から人間味を暴こうとしたり、血みどろの王朝劇を物語る歴史センスには感服させられる。芸術に疎いアル中ハイマーには絵画の価値はよく分からないのだが、なるほど!歴史物語で武装すれば名画たる所以が見えてくる。ヘタな歴史講義を受けるよりも、はるかにイケてる。中世ヨーロッパ史って、こんなにおもしろかったのかぁ!

学生時代、世界史を学ぶ上で、ハプスブルク家と神聖ローマ帝国の関係には悩まされたものだ。おまけに、数々の王朝を兼任するがために、同一人物でありながら肩書きや名前が異なったりする。カール5世とカルロス1世が同一人物というだけで世界史は嫌になる。カール5世は70以上の肩書きを持っていたという。父フィリップ美公を継いでブルゴーニュ公であり、母方の祖父を継いでスペイン王であり、父方の祖父マクシミリアン1世を継いでドイツ王であり、ローマ王であり、ハンガリー王であり、...もうええっちゅうの!それで、神聖ローマ帝国皇帝としてカール5世、スペイン王としてカルロス1世というわけだ。
そもそも、「神聖」ってなんだ?古代ローマ帝国の幻想でも追いかけていたのか?ヴォルテールは「神聖でもなくローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」と皮肉ったという。それが単なる肩書きであっても、ローマ・カトリック教会から明主としてのお墨付きさえもらえれば、全ヨーロッパの最高位に就ける。改めて宗教力の恐ろしさを感じる。ちなみに、ナチスは、神聖ローマ帝国を第一帝国、ビスマルク時代を第二帝国、ヒトラー独裁を第三帝国と呼んだ。
962年オットー1世以来、ドイツ国王が自動的に神聖ローマ皇帝となっていた。しかし、たった一度のビッグチャンスをものにしたハプスブルク家が650年もの間君臨することになる。そのルーツを遡れば、意外にもオーストリアやドイツではなく、スイスの片田舎の一豪族に過ぎなかったというではないか。列強のパワーバランスから偶然転がり込んだ神聖ローマ皇帝の地位、これには歴史の運命を感じざるをえない。その後、周囲の国々と巧みな婚姻外交によって領土を拡大し、その支配権はヨーロッパはもちろん、ブラジル、メキシコ、カリフォルニア、インドネシアにまで及ぶ。一つの王家でこれだけ多くの国の君主を兼任した例も珍しい。それにしても650年はロマノフ王朝300年や徳川250年と比べても凄い!それだけでも継承問題で陰謀めいたものを感じる。
ハプスブルク家には有名な家訓があるという。
「戦争は他の者にまかせておくがいい、幸いなるかなオーストリアよ、汝は結婚すべし!」
ハプスブルク家の血縁の濃さには異様なものがある。王朝が長く続けば、そのプライドも神聖化し、小国の王侯などは不釣合いとされる。名門の出となると、ハプスブルク家同士の血縁から辿るかのように、叔父と姪、いとこ同士、従兄と実妹などで結婚し、長期政権の過程でますます血縁を濃縮させていく。近親相姦のオンパレード。そもそも、カトリックは近親婚を禁止していたのではなかったか?おまけに、不倫、陰謀、ギロチン、銃殺など血なまぐさい話題に事欠かない。あまりの血の濃さかどうかは知らんが、病弱さや変人も登場し、次々と生まれる子供が夭折するといった事態まで起こる。そして、ついに血縁が途絶えた時に王朝は終焉を迎える。これが世襲の定めなのか?

ハプスブルク家と言えば、オーストリア系という印象が強いが、カール5世が隠居した時にスペイン系とオーストリア系に二分される。本書は、予めその題材でスペイン・ハプスブルク家に偏っていると断っている。それも、オーストリア・ハプスブルク家には名画と呼べるものが少ないのだそうな。女傑マリア・テレジアでさえ、価値のある肖像画が残っていないというから、いささか残念である。
宮廷画家がパトロンに媚びるのも仕方がない。肖像画に表れる威風堂々とした姿にも、過度の美化や理想化が現れる。優れた肖像画家を抱えるかどうかだけでも、後世に残す印象は違ってくる。たとえ無能であっても肖像画に誤魔化されて伝説が生まれることもあれば、たとえ有能であっても伝説が残されなければ偉人にはなれない。中でも心を動かされる肖像画と言えば...これに決まっている。おいらはエリザベート皇后にいちころなのだ!エリザベートの時代は、既に写真があったので誤魔化しようがない。なるほど、写真と比べても大差はない。さすが!ハプスブルク家の絶世の美女と謳われるだけのことはある。
ところで、「ハプスブルク家の顎と下唇」という有名な遺伝があるという。確かに、無名画家による「マクシミリアン一世と家族」という絵を観ると異様だ。カール5世は極端な受け口のせいで歯の噛み合わせが悪く、いつも口を開いたままとまで言われるらしい。この優性遺伝が、血族の結婚を繰り返すことによって、極端に歪んだ形で現れることになろうとは...

1. 転がり込んだ神聖ローマ皇帝の座
13世紀、神聖ローマ帝国は群雄割拠の時代。皇帝は世襲ではなく実力者が選挙で選ばれていた。選帝侯たちは20年も帝位を空白にし先送りしていたという。ちなみに、選帝侯とは選挙権のある諸侯。そこへ、しびれを切らせた教皇が指名する。なるべく無能で言いなりになる人物として選ばれたのがハプスブルク伯ルドルフ。選帝侯たちも脅威にならないので喜んだという。
当時、実力ではボヘミア王オットカル2世がいたが、選帝侯たちにしてみれば目障り。やがて、ルドルフとオットカルとの確執が始まり、マルヒフェルトの戦いで激突してルドルフが勝利する。下馬評ではルドルフ不利だったとか。本書は、騎士の様式に反した卑怯な戦法があったか、桶狭間なみの奇襲攻撃が奏功したに違いないと推察している。ルドルフ1世は信長なみの出世をしたのかもしれない。

2. アルブレヒト・デューラー作「マクシミリアン1世」
ルドルフによって強大化したハプスブルク家は、選帝侯たちに警戒される。そして、皇帝位は他家にわたり、安定的にハプスブルク家の世襲となるのに150年かかったという。
15世紀末、ハプスブルク家の英雄マクシミリアン1世が登場する。彼が「中世最期の騎士」と賛えられるのも、ルドルフのような姑息な戦法ではなく、正々堂々と先頭に立って騎士らしく戦ったからだという。「ドイツ人最初のルネサンス人」とも評され、人文主義者や芸術家を庇護し、自分でも詩作したという。現在のウィーン少年合唱団の基礎を創設したのも彼だそうな。デューラーが描いた肖像画には、既に騎士の面影はなく落ち着いた老人の姿がある。本書は、眼光は鋭く策を企む老獪な政治家の顔と評している。
肖像画には、ラテン語で次のように記される。
「史上最大のマクシミリアン帝は、正義と知恵と寛容において、また特にその高邁さにおいて、他のあらゆる王たちに優っていた。皇帝は1459年3月9日に生まれ、1519年1月12日、59歳9ヶ月と25日で崩御した。この偉大なる王に栄光あれ」
マクシミリアン1世は、婚姻外交によってハプスブルク家を安泰させようとする。息子フィリップ美公はスペイン王女フアナと結婚、娘マルガレーテはスペイン王子ファンと結婚。ここに、たすき掛けの二重結婚というややこしい政略があるが、スペインの政情をよく表している。スペインは長らくイスラムの支配下にあり、15世紀になってようやくカトリック教徒が奪還する。フアナは、アラゴン王フェルナンドと、カスティーリャ女王イサベルの間に生まれた。つまり、王と女王の二重支配体制。だから、ハプスブルク家も二重結婚させたわけだ。ただ、その条件に、どちらかの家系が断絶した場合、残された方が領地を相続するという盟約があったという。そして、スペイン王子は結婚式の半年後に突然死、あまりにもハプスブルク家に都合が良すぎる。続いて、9年後にフィリップ美公が突然死、証拠がないとはいえ陰謀としか言いようがない。そして、マクシミリアンの孫カール5世がスペイン王になる。

3. フランシスコ・プラディーリャ作「狂女フアナ」
フィリップ美公とフアナの父フェルナンドが権力抗争中、フィリップ美公は怪死。そして、フアナは遺体とともにスペインの地をさまよう。その葬儀の様子が描かれるこの絵には、フアナの異様な姿がある。彼女は「フアナ・ラ・ロカ(狂女フアナ)」と呼ばれ、夫の死が信じられないのか?復活するとでも信じているのか?防腐処理した遺体とともに長期間彷徨する。遺体をハプスブルク家に奪われるのを恐れて、移動は夜、しかも迂回や逆戻りとでたらめな進行。描かれる付き添い人たちも、呆れ果てた様子がうかがえ、周囲の人々の表情もなんとなく冷たい。居眠りしている者や背を向けている者など、死者への敬意などまるで感じられず、ただ一人フアナだけが悲しみに耽っている様子。フアナは政治的に活躍したわけでもないのに、イサベル女王よりも人気を博したという。女傑マリア・テレジアより、マリー・アントワネットの方が人気があるのと同じように。
美公というからには美男だったのだろう。二人は熱烈な恋をするが、息子が産まれたあたりから疎遠になったという。フアナは夫の浮気に嫉妬した精神不安定が祟る。呪われた彷徨がいつまでも許されるわけもなく、実権を握った父フェルナンドはフアナを幽閉する。プラディーリャは「幽閉中のフアナ」も描いている。いいお婆ちゃんが暖炉でのんびりしている姿は、歴史の物語を知らないと味わえない。幽閉されたフアナがカール5世というスターを産んだように、幽閉されたゾフィア・ドロテアがフリードリヒ大王を産んだ。歴史は繰り返されるとは、よく言ったものだ。

4. ティツィアーノ・ヴィチェリオ作「カール5世騎馬像」
カール5世の頃、神聖ローマ皇帝は暗黙にハプスブルク家の世襲になりつつあったという。そこに、横槍を入れたのがフランソワ1世で、ローマ教皇と共謀して立候補する。おかげで、カール5世は選帝侯たちを買収するために多額の借金をし、それをスペインの重税でまかなったというから不人気になる。両者の戦いはカール5世が圧勝しフランソワ1世を捕虜にするが、解放した途端にまたもやローマ教皇と結託する。怒ったカール5世はローマを攻める。これが悪名高い「ローマ略奪」である。給料のもらえない傭兵たちは、虐殺、放火、強姦などやりたい放題。ローマ人口を三分の一にまで減らしたと言われる。カール5世は、キリスト教の敵トルコやプロテスタントを相手に戦争で明け暮れた。さすがにこの作品には武人としての威厳がある。本書は、兜から鮮やかな赤い房が揺れる姿は、武田騎馬隊のような勇ましさと評している。
絶対主義の時代に、自ら王位を退くなど考えられないだろう。兄弟や親子ですら殺しあう時代である。しかし、カール5世は珍しく自ら退位して修道院に籠もると表明する。それも母フアナが死んだ翌年である。本書は、ローマ略奪やスペイン人によるインカ帝国滅亡など、カトリック教徒として懺悔の心があったのかもしれないと推察している。スペイン王を息子フェリペ2世に、神聖ローマ帝国を弟フェルディナント1世に平和裡に継承する。ここから、ハプスブルク家は、スペイン系とオーストリア系に二分する。

5. ティツィアーノ・ヴィチェリオ作「軍服姿のフェリペ皇太子」
フェリペ2世が君臨したのは、インカ帝国からの略奪、ネーデルランドの弾圧などの黄金時代で、プロテスタント虐殺、事故死、息子殺しと、流血のイメージが纏わりつく。
彼は、4度結婚して、ポルトガル、イングランド、フランス、オーストリアから妻を迎えている。一度目は、ポルトガル王女で難産で死亡。二度目は、イングランド女王メアリー1世でカール5世の命令で結婚する。イングランドでは、カトリック対プロテスタントの抗争が再燃しており、カトリック化を目論んだもの。メアリーは、プロテスタントの反乱者を数百人血祭りにあげる。これが、「ブラッディ・メアリー」の由来で、おいらが好むカクテルである。フェリペは、子が産めないメアリーを見限る。妻を利用して対フランス戦での資金援助を狙ったもので、彼女の葬儀にも出席していないという。なんと!フェリペは次期王女エリザベス1世に内々で結婚を申し込んでいるというから驚きだ。だが、カトリック教徒とは結婚しないと断られたそうな。三度目は、イギリスに敬遠されたので、変わり身早く仇敵フランスのアンリ2世と講和を結び、その娘エリザベートと結婚する。そもそも、エリザベートは生まれて間もなく、フェリペ2世の息子カルロスと婚約していたというから、息子の婚約者を奪ったことになる。おまけに、9年後にカルロスとエリザベートは間をおかず死去したというから、暗黒説が流れるわけだ。ちなみに、ヴェルディの傑作オペラ「ドン・カルロ」は、相思相愛のカルロスとエリザベートが、老王フェリペに仲を引き裂かれ死に至るという物語。四度目は、従兄と実妹との間にできた娘アナと結婚する。次に、スコットランド女王メアリー・スチュアートに密かに接近するが、そのせいでスチュアートはエリザベスから首を刎ねられる。
「スペインが動けば世界は震える、と言われたが、間違いなくフェリペが動けば血が流れたのである。」
フェリペ2世は、処女王エリザベス1世に対しては歯が立たない。ドレークらの海賊行為はエリザベスの支援によるもの。そこで、スペイン無敵艦隊を差し向けるが、アルマダの海戦で敗れた。彼は、拷問、火炙り、生き埋めと、凄まじい異端審問を行うが、カトリックの権威を固守できずプロテスタントの勢いを止めることはできなかった。ちなみに、モンティ・パイソンのジョークにこんなものがあるらしい。
「どんなにひどい目にあおうと、スペインの異端審問にかけられるよりはマシよ」

6. ディエゴ・ベラスケス作「ラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)」
中央に幼いマルガリータ王女が描かれるこの作品は、ゴア、ピカソ、マネらを魅了した「絵画の中の絵画」と評されるという。フェリペ4世は、最初フランスのアンリ4世の娘と結婚し、息子パルタザール・カルロスと娘マリア・テレサをもうける。しかし、息子は早死に王妃も亡くなる。そして、血の近いマリアナと再婚するが、次々と子供が夭折してマルガリータだけが残る。そこで、問題となるのが後継者。マリア・テレサはルイ14世と婚約していたのでマルガリータしかいない。そこへ、マリアナは遅ればせながらカルロス2世を産む。これがハプスブルク家にとって凶だったという。まだしも、マルガリータが王女になっていた方が、王朝は延命できていただろうと。カルロス2世は「呪われた子」と呼ばれたという。あまりにも濃縮された血によって後継ぎが生まれない。おまけに、見た目からして病人。スペインの財産を、フェリペ3世、フェリペ4世、カルロス2世が食い潰す。しかし、王朝は無能続きだからといって簡単に亡ぶものではない。確実に亡ぶのは後継ぎがいなくなった時。ついに、スペイン・ハプスブルク家は、そういう事態に直面する。オーストリア・ハプスブルク家は、カルロス2世が死ぬのを待ち構えていた。同じくスペインと婚姻関係にあるフランスも虎視眈々と狙っていた。そして、13年間のスペイン継承戦争の後に、王冠を手にしたのはブルボン家である。以降、ハプスブルク家は永久にイベリア半島から撤退することになる。

7. ジュゼッペ・アルチンボルド作「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ2世」
一方、オーストリア・ハプスブルク家では、多民族を束ねる困難が付きまとう。ボヘミアやハンガリーを支配下に治めても、常に独立の機会をうかがっている。オスマン・トルコとの攻防が続き、宗教改革でプロテスタントが目障りでしょうがない。兄カール5世から神聖ローマ帝国を継承したフェルディナント1世はプロテスタントと戦ったが、その息子マクシミリアン2世は信仰の自由を認めた。マクシミリアン2世の妻はカール5世の娘で、こてこてのカトリック教徒なので、夫婦仲が良いはずがない。その反目する両親の子ルドルフ2世は、ハプスブルク家で群を抜いた変わり者だったという。それは、アルチンボルドに描かせた肖像画を観れば一目瞭然。アルチンボルドは、動植物、野菜、果物、魚介類などを緻密に組み合わせて人間の顔に見立てた「合成人面像」で知られる。この作品を肖像画と言っていいのか?分からんが、パロディとしか言いようがない。普通なら処罰されそうな作品だが、わざわざルドルフ2世が依頼したものだという。ちなみに、「ウェルトゥムヌス」とは、季節を司る植物の神のことらしい。「ウェルトゥムヌス」は変身能力を持ち、農民や植木職人や葡萄摘みや兵士や釣り師などに、自在に姿を変えるという。この絵には、洋梨、葡萄、さくらんぼ、桃、林檎、イチゴ、カボチャなどで顔の部位が描かれる。林檎ならば知恵、葡萄ならば喜び、玉ねぎならば不死、百合ならば清浄、といった解釈ができるそうだが、その意味は現在でも完全には解明されていないようだ。ルドルフ2世は、女性嫌いでもないのに、結婚せず世継を残さない。政治にも関心を持たず、城に籠ったオタク。奇人でありながら、最高の教養人だったという。大航海時代を反映して、美術品、異国の動植物、宝飾品、古代遺物、外国の貨幣など、新奇で珍奇なものの収集家で博物学の先駆者だという。当時、天文学と占星術は同列にあり科学と迷信が混在した時代、ルドルフ2世は占星術師としてケプラーを庇護したという。後を継いだ従弟フェルディナント2世は、三十年戦争に導いている。カトリック対プロテスタントの最大にして最後の宗教戦争は、ドイツを荒廃させ、ハプスブルク家はブルボン家に敗れ、フランスの優位性が確定する。この戦争で、ルドルフ2世のコレクションはかなりの部分が破壊され散逸したという。

8. エリザベート・ヴィジェ=ルブラン作「マリー・アントワネットと子どもたち」
「赤字夫人」と呼ばれるマリー・アントワネットは贅沢三昧。おかげで反オーストリア派の格好の餌食となる。女盛りの32歳を描いたこの絵には、王妃の美しさと愛らしい子供達たちの姿がある。だが、当時この絵は人気がなかったらしい。憎まれ役の王妃は優しく家庭的なイメージをアピールして悪評を揉み消そうとしたが、単なるプロパガンダと見なされたという。ただ、アントワネットの表情も虚ろで、あまり幸せそうな印象を与えない。幼児ベッドには無人、ここに寝ているはずの次女が亡くなったばかりで、悲しみの王妃を表しているという。しかし、今更オーストリア女に同情する余地はなかった。その二年後、ルイ16世とアントワネットはギロチンで斬首される。
「ときおり芸術家が、世界を包括するような大きな題材のかわりに、一見小さな素材を取り上げて自らの創作力を証明するように、運命もまた、どうでもいいような主人公をさがしだしてきて、もろい材料からも最高の緊張を生み出せることを、また弱々しく意志薄弱な魂からも偉大な悲劇を展開できることを、わざわざ証明してみせることがある。そのような、はからずも主役を演じさせられることになった悲劇のもっとも美しい例が、マリー・アントワネットである」
...シュテファン・ツヴァイク著...

9. トーマス・ローレンス作「ローマ王(ライヒシュタット公)」
ジョージ3世の宮廷画家トーマス・ローレンスは、モデルを実際よりも魅力的に描く達人として、王侯貴族から人気があったという。フランス革命直後、フランツ2世は、「コルシカの成り上がり者」と見下したナポレオンに神聖ローマ皇帝位を放棄させられる。ナポレオンは、愛妻ジョゼフィーヌに子が産めないことで離縁し、新たな王妃として王家の王女を物色していた。そして、フランツ2世の娘マリア・ルイーズに目をつけるが、もはやフランツ2世に逆らう勇気はない。敗戦国の憐れなプリンセス、それだけでもルイーズに人気があってもよさそうなものだが、人受けが悪いという。美人でなかったのもあるが、鈍感さと冷淡さによる無神経さが祟ったようだ。
ナポレオンとの間にできた子ライヒシュタット公は、生まれてすぐにローマ王の称号を得る。その4年後、ナポレオンはエルバ島に流され、母子ともにハプスブルク家に出戻りするが、ライヒシュタット公は憎き敵の実子で邪魔な存在。フランス語を使うことを許されず、宮廷の外へも出られない囚われの身となる。ナポレオン2世と呼ばれた彼は、父ナポレオンを崇拝していたという。

10. フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター作「エリザベート皇后」
フランツ2世亡き後、政治能力がなく、世継を残すのが無理とされる人間が扱いやすいという宰相メッテルニヒの意向で、フェルディナント1世(300年前の先祖と同名)が継ぐ。だが、メッテルニヒへの批難が大きくなり、メッテルニヒは一旦イギリスへ亡命。一緒にフェルディナント1世も退位。その後継者にカール大公で決まるはずが、その妻ゾフィが反対したという。この愚物を皇帝にしたら、ハプスブルク家が滅亡するからと。そして、息子フランツ・ヨーゼフを帝位に就ける。ただ、ゾフィの判断は当たったという。ヨーゼフは、フランス二月革命が飛び火したウィーン三月革命を収束させ、ハンガリー蜂起も鎮圧した。そして、戻ってきたメッテルニヒを政治顧問にして、在位68年の長期政権となる。
ヨーゼフはバイエルン公国の王女ヘレーネと縁組したが、対面の場であろうことか、その妹のシシィことエリザベートに恋をする。その美貌からして無理もない。母ゾフィに従順な彼はこの一度だけ反抗したという。宮廷生活に慣れないエリザベートはハプスブルク家のしきたりに合わず、壮絶な嫁姑戦争が勃発したという。ちなみに、エリザベートの肖像画の美しさは完璧だ!本書は、内面や人生の空虚さを埋めるために、際限なく外見を磨かずにはいられなかった痛々しさを感じると評している。美は偉大である。職場放棄した彼女だったが民衆の人気は揺るがない。しかし、美は時には仇となる。若さを失っていくと、彼女は人前に顔をさらすのを極端に嫌い、当時すでに存在していたパパラッチを避けていたという。そんな時「マイヤーリンク事件」。息子ルドルフは母から引き裂かれゾフィに育てられる。彼は母の愛に飢えていたという。そして、マイヤーリンクの狩猟館で、男爵令嬢とピストル心中。エリザベートは喪服姿で放浪するが、その途中イタリア人アナーキストに暗殺される。その動機は王族なら誰でもよかったというものらしい。
帝国の終焉は間近に迫る。イタリアを失い、プロイセンに敗れ、統一ドイツから排除される。残るは、オーストリア=ハンガリー二重帝国。フランツ・ヨーゼフが後継者に指名したのが、甥フランツ・フェルディナント。しかし、サラエボでセルビア人に暗殺され、第一次大戦の引き金となる。実質上、ハプスブルク家の最後の皇帝がフランツ・ヨーゼフとなる。

11. エドゥアール・マネ作「マクシミリアンの処刑」
フランツ・ヨーゼフの弟マクシミリアンは、兄が幼少期から帝王学を学ぶ影で不満を持っていたという。彼はベルギーの王女シャルロッテと結婚、夫婦ともに野心家でプライドが高かったという。そこへ、ナポレオン3世はメキシコ皇帝にならないかと誘う。ナポレオンの甥ルイ・ボナパルトで、マルクスが、その著書「ルイ・ボナパルトとブリュメール18日」でイカサマ師と蔑んだ人物である。これには母ゾフィが反対する。ナポレオン3世を「嘘つきメフィスト」と信用していないからだ。しかし、マクシミリアン夫婦は皇帝という地位に誘惑されてメキシコへ赴く。既に、メキシコはアメリカの圧力を受けて、イギリスとスペインが撤退しており、フランスだけがなんとか植民地化を諦めないでいる。現地へ到着したマクシミリアンには、ほとんど政治的権限はなかった。しかも、劣勢と見るや、マクシミリアンと義勇兵を残してフランス軍は撤退し、その地で銃殺される。この絵には、その時のナポレオン3世の悪党振りが告発されているという。実際に写真も残っているから逃れようがない。描かれる銃を撃つ兵士たちの軍服は、フランス軍のものに似ている。おまけに、とどめの弾丸を込めている赤い帽子の男はナポレオン3世に似ているという。これは、ナポレオン3世に騙された姿を描く風刺画なのかもしれない。

2010-03-21

"危険な世界史" 中野京子 著

宣伝文句には、「毒が強すぎてクセになる激烈エピソード100」とある。歴史的人物たちのスキャンダル!歴史をこういう角度から眺めてみるのも悪くない。ただ、著者が女性というと、こってりした恋愛もののイメージが強く、歴史ものには合わないような気がして少々躊躇してしまう。
ところが、どうしてどうして!毒舌とユーモアたっぷりの文面は、皮肉と解釈すべきか...どこまでが真実で、どこから冗談なのか?その境界が絶妙!歯切れの良さとリズム!ファンになりそう。

時代は17世紀から19世紀あたり、マリー・アントワネット前後100年を物語る。あらゆるエピソードに、アントワネット生誕何年前とか没後何年と補足される。そして、平気で時代が前後するので、目が回るかと思えばそうでもない。その構成が逆に緊張感をほぐし、ストレス解消にええから不思議だ。いつの時代でも、政界の陰謀や策略はつきものだが、その上に宗教改革以降の思想転換や、科学の進歩といった激動期も重なって話題には事欠かない。18世紀になると、医学界では人体解剖の関心が高まり、絞首刑の死体だけでは不足し、医学用の死体が売買される。無断で墓地から死体を掘り返す「復活屋」が現れたり、騒ぎ立てる遺族のいない浮浪者や売春婦や孤児が狙われ殺人が蔓延る。もはや、需要と供給の関係に憑かれた人間の欲望には限りが無い。本書は、宮廷世界に蔓延る亡霊の類いが、血なまぐさい香りを放ちながら、露骨な権力抗争、愛情の縺れからくる残虐、美徳と悪徳の表裏一体といった人間の本性を暴露する。そして、様々な人物の関わりに運命とも言える偶然性を味あわせてくれる。愛という感情はもっとも素直な分、その原因性から生じる恨みつらみはもっとも醜態を曝け出すというわけか。
人生に影響を与えそうな偶然の出会いや出来事に、運命的なものを感じることがある。まさしく、歴史とは、そうしたものの積み重ねであろう。本書は、「シンクロニシティ(共時性)」という言葉を紹介してくれる。
「いくつかの出来事が偶然に、しかしまるで偶然以外の何かが作用しているかのように、同時に起こること」

ユングは、「因果律とは別の連関で結ばれた心理的並行現象」と定義しているという。たまーに、恥ずかしげもなく「運命の赤い糸」などとロマンチックに語る人を見かけるが、こっちの方が恥ずかしくなる。技術革新が進めば、赤い糸もコードレス化するだろうに。皮肉屋バーナード・ショーは、ある女優から「あなたの頭脳と私の容姿を持ち合わせた子供がで生まれたらステキじゃない?」と暗にプロポーズされ、「私の容姿とおまえさんの頭脳を持った子ができたら、どうんするんだい!」と言い返したという話もあるらしい。
歴史に限らず日常においても、今にして思えば不吉な予兆だったと振り返ることがある。結果的に円満に済めば、ほとんど気づくこともないのだろうが。人間はしばしば不幸を言い当てる。それは幸福の正体を知らないからであろうか。

偉人が吐く言葉には、なんとなく説得力があり意味深長に見えるから不思議だ。「光を、もっと光を!」これはゲーテ臨終の言葉として名高いが、なにも崇高な意味ではなく、単に「寝室が暗いのでカーテンを開けてくれ!」ぐらいの意味だったらしい。後世のゲーテ信奉者が深読みしただけのことかもしれん。
それにしても、歴史上の人物たちの虚像と実像の落差には目を見張るものがある。なるほど、偉人ともなれば演技力も半端ではないというわけか。カメラのない時代、宮廷画家の腕次第で権力者の肖像画の値打ちも変わる。いくら偉大であっても、肖像画が傑作で残されなければ、その威風も伝わらない。逆に、無能な王でも、お抱え画家が天才であれば、威風が残せるというわけか。
「一国を統治する立場になった者は、何を言われてもびくともしない神経をもたないと務まらない。」
そう言えば、ちょっと前に鈍感力を貫いた首相がいた。これも本音であろう。社会を愚痴りながら、無責任を貫く一介の酔っ払いこそが、もっとも幸せに違いない。

1. フランスかぶれの時代
当時、ヨーロッパでは、なにかとヴェルサイユ宮殿に似た宮殿を建てたがり、フランスファッションに憧れるといった風潮が現れたという。各国の王侯たちは、競ってルイ14世の猿真似をし、大王フリードリヒですらパリに憑かれた。ルイ14世を崇めるライプニッツは学術書をラテン語で書いたが、一般書ではフランス語で書いたという。カサノヴァの回想録もフランス語だそうな。フリードリヒ大王からポツダムへ招待されたヴォルテールは、こうもらしたという。
「ここはフランスです。みんなフランス語しか話しません。ドイツ語は兵士と馬のためにあるだけです。」
ドイツ宮廷では、フランス語ができないと出世できなかったという。上流階級でフランス語を話せない人はいなかったが、ドイツ語を話せない人間はいくらでもいたんだとか。ロシアの状況も同じで、片田舎の地主ですら子供にフランス語を習わせたという。ちなみに、貴婦人が母国語で恋を打ち明けたことがないんだとか。
なんとなく日本人の英語コンプレックスと重なる。英語が苦手な親ほど、子供に幼少の頃から英語漬けにしたがるという話を聞いたことがあるが、ほんまかいな?パソコン教育にも似たような状況がある。学校でパソコン教育があるというが、何を教えるんだろう?使うだけならパソコンは道具に過ぎないが、コンピュータ工学でも教えるのか?携帯を使いこなす方が、よっぽど難しいと思うが...昔のそろばん教育のようなものか?ガキに道具を与えておけば数ヶ月で習得する。知人の3歳ぐらいの子は、字も読めないのに勝手に起動してゲームをやった後、きちんとシャットダウンさせるらしい。文字を追いかけるのではなく、感覚的にクリックする場所を覚えるそうな。言語も、文学的に探求するなら別だが、普段は伝達の道具に過ぎない。どうも教育の場は、学問と道具の使い分けを間違っているような気がしてならない。人間は恐れに対して過剰に反応するというわけか。

2. マリー・アントワネットと不吉な予兆
マリア・アントーニアが7歳の時、ただ一度ハプスブルク宮廷で6歳のモーツァルトに会っているという。二人の派手な生活と借金まみれ、その最期も共同墓地に埋葬されるなど似たような人生がある。マリアは、ルイ16世との政略結婚でアントワネットと改名。「赤字夫人」と言われる浪費家の彼女は、国家財政を崩壊させて処刑された。彼女には、結婚の悲劇を予感させるような出来事がいくつかあったという。オーストリアからフランスに贈られたゴブラン織の絵が、ギリシャ神話の王女メディアという最悪のテーマ。ちなみに、メディアは裏切った夫との間の子供を殺し、夫の新婦も殺したとされる。この贈り物の背景には、無神経なお役所仕事があったという。その証人がゲーテで著書「詩と真実」に詳しく記されるという。また、結婚契約書にサインする時、インクを落として染みができたり、式典の花火が晴天から突然雷鳴轟く大嵐となって中止になったという。
その100年後、ハプスブルク家150年で最高の美女と謳われたシシーことエリザベートの結婚式の時も、馬車から降りようとした瞬間、彼女の頭を飾っていたティアラが転がり落ちたという。これも、不幸な結婚生活と暗殺を暗示していたのか?
更に、オーストリア大公フランツ・フェルディナントは、狩猟で白いアルプスカモシカを撃った。「神の使いなので殺した人間は一年以内に死ぬ」という周囲の忠告を無視して。そして翌年、サラエボでセルビア人青年に暗殺されて、第一次大戦の引き金となった。

3. どんな病気にも瀉血
マリー・アントワネットは出産の時、部屋の蒸し暑さとストレスに耐えかねて失神したという。その時、侍医が脚の血管から血を抜き、しばらくして王妃の意識が戻ったので人々は安堵したという。これが、人類最古の治療法の一つと言われる瀉血療法である。長らくヨーロッパでは、病気になると血が腐敗するので人為的に体外へ出せばいいという考えがあった。この療法は中世で占星術と結びつき、瀉血カレンダーまでもが出回ったという。そして、外科医の前身である床屋が瀉血を受け持ったという。聴診器を発明した病理学者ラエネクは、肺結核の喀血を防ぐのに瀉血を推奨したことでも知られるそうな。瀉血の方法では、切開して静脈から血を抜く方法だけではなく、ヒルも使われた。現在でも、血行を助けるためにヒルを使う例を聞いたことがある。ちなみに、アル中ハイマーは、たまーに血を抜くと新たな血が生成されて循環がよくなるような気がする。なので、年に2、3回献血しているのだが、単に看護婦さんから血を抜かれるのを喜ぶMという噂もある。

4. 太陽王ルイ14世のコンプレックス
ルイ14世は4歳で即位し、ヨーロッパ史上最長の72年間フランスに君臨した。ただ、身長160センチそこそこ。ハイヒールを履いたり、17歳からかつらを付けて偉丈夫ぶりを演じる。おまけに、羽飾りの帽子までかぶる。寝る時もかつらを取る姿を臣下には見せなかったという。本書は、「太陽王にしてこのコンプレックス!」と賛える!

5. ナポレオンに翻弄された人々
ナポレオンが王よりも偉大な人民の皇帝となった時、交響曲三番に取り組んでいたベートーヴェンは、次のように吐き捨てたという。
「彼もだたの人間に過ぎなかった。これからは己の野心のため、全ての人権を踏みにじり、専制君主となろう」
そして、「ボナパルト」という題名を消して、「シンフォニア・エロイカ(英雄交響曲)」と名付けた。ナポレオンは、政略的に親族たちを王侯貴族に取り立てた。マルクスは著書「ルイ・ボナパルトとブリュメール18日」で、ナポレオンの甥を英雄の猿真似と評した。ナポレオンがエルバ島を脱出しパリへ進軍中との報は、全ヨーロッパを震撼させる。新聞も態度を一変させ、「コルシカの怪物」と罵っていたのが、「皇帝陛下パリへご帰還」と英雄に仕立てる。ルイ18世も慌てふためいて亡命。そこに、ジャン=ピエール・コルトーという彫刻家を紹介している。彼は、アカデミー・ド・フランスからナポレオンの全身像の制作を依頼されたが、途中で失脚したので、ルイ18世像に変更させられる。そこへ、ナポレオンの脱出騒ぎ。コルトーは、またまたナポレオン像の続きを命じられる。しかし、百日天下に終わってセント・ヘレナへ流刑となり、またまたルイ18世像に方向転換。いい加減にせい!と言ったかどうかは知らんが、大サロンに設置されたルイ18世像の出来はあまりよろしくないとの評判だそうな。

6. フリードリヒ大王の大ファン
フリードリヒは、各国の王侯たちの憧れでもあった。小国プロイセンを短期間で強国に押し上げ、軍事的外交手腕を見せつける。その一方で、詩作、作曲、演奏、哲学を書すなど精神的魅力もあり、啓蒙的専制君主のリーダー的存在である。オーストリア継承戦争でマリア・テレジアは大王を憎むが、なんとその息子ヨーゼフ2世は大王に憧れたという。ちなみに、テレジアの大王に対する恨みはカール6世の残した詔書からきているようだ。それは、豊臣秀吉が、我が子可愛さに五大老五奉行に繰り返し誓詞を書かせたのと同じで、詔書を無視して大王がオーストリアに軍事行動をしかけたわけだ。ただ、不倶戴天の仇になる前、テレジアと大王は政略結婚させられそうになったことがあるという。テレジアはハプスブルク家では珍しく恋愛結婚した。だが、もし実現していれば、ナポレオンの出る幕はなかったかもしれないと仄めかす。
ここで、もっと強烈な大王ファンを紹介している。ピョートル3世が即位した時、ロシアとプロイセンは七年戦争の真っ最中。前エリザヴェータ女帝が、フランスのポンパドゥール夫人と、オーストリアのマリア・テレジアと組んで三方から攻める。本書は、女性ばかりの攻撃なので、「ペチコート作戦」と呼んでいる。ところが、ピョートル3世は大王の肖像画に跪いたり、プロイセン式軍服を着るなど熱烈な崇拝者。彼は、エリザヴェータ女帝が崩御すると、プロイセンと講和を結び、軍事援助を申し出る始末。大王が敗戦濃く自殺を覚悟した時、ピョートル3世による援助は奇跡としか言いようがない。大王は「ツァーリ(ロシア皇帝)は神のごときお人です」と礼状を書いたという。人生最大のピンチを乗り切ったフリードリヒは、ますます国を強化して名声を轟かせる。一方、ピョートル3世は、この間抜けな皇帝では国の行く末が危ういと見て奥方に暗殺される。その奥方こそ!エカテリーナ女帝という巡りあわせ。

7. だんだんよくなるプロイセン遺伝子
「売り家と唐様で書く三代目」という川柳がある。初代で苦労して財産を残しても、三代目にもなると没落して家を売りに渡し、その売り家札の筆跡は中国風で洒落ているという意味。つまり、遊芸にふけって、商いの道をないがしろにする人を皮肉ったもの。歴史においても三代目が体制の鍵を握るとはよく言われる。本書は、世代が進むごとに出来がよくなる珍しいケースを紹介している。初代のフリードリヒ1世は、ブランデンブルク選帝侯の地位には満足できず、ハプスブルク家からプロイセン王という名目だけの地位を買った。無能な彼はそれで満足して贅沢三昧、ルイ14世の宮廷生活を猿真似して終わる。こうした父を眺めながら息子フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、一変して質実剛健を旗印にし「軍人王」と呼ばれる。しかし、音楽や文学といった教養を無意味と切り捨てた。質素、倹約、粗野な父にうんざりした息子フリードリヒ2世は、文武両道を具えた偉大な啓蒙君主フリードリヒ大王となる。こうしてみると、反面教師という遺伝子が受け継がれているようだ。

8. ピョートル大帝は分裂病か?
ロマノフ王朝五代目ピョートル大帝は、織田信長をスケールアップしたような独裁者にして改革者だという。領土拡大戦争と反対派弾圧で血みどろの政策、それと同時に近代化を推進したことでも知られる。彼は、ヨーロッパから多くの学者を招き、その中に数学のベルヌーイ一族や巨匠オイラーもいた。その一方で、正妻を修道院へ閉じ込めたり、息子に死刑を言い渡すなど分裂的な振る舞いもある。ヨーロッパの外遊では、一兵卒ミハイロフとして偽名で変装して一行に紛れたという。だが、身長2メートルもあるので誰が見てもバレバレ!歓迎する側も困惑して影武者にも挨拶するという気の遣いよう。彼は、「双子座生まれの二重人格者」と呼ばれるらしい。当時、太陽王ルイ14世を真似る王侯が多い中、その変人振りが逆に魅力があったと評されるという。

9. エカテリーナ2世の細い細い運命
ゾフィは、細い血縁を辿って、大ロシア帝国皇太子妃へと導かれたという。ピョートル大帝が急死し、権力抗争の中で、次々に5人の皇帝が即位する。まず、ピョートル大帝の後妻エカテリーナ1世、次いでピョートル大帝の先妻の孫、異母兄の娘、異母兄の曾孫、後妻の娘エリザヴェータと続く。そして、エリザヴェータに子がなかったために、姉の息子である甥を後継者に指名。ついでに、妃候補に甥の父方の遠縁にあるゾフィが選ばれる。ゾフィは美貌を誇る女帝の試験を受け、美しくないという理由で気に入られたという。彼女はエカテリーナと改名させられ、遊び惚ける夫を尻目に勉学に励み、女帝から嫌われぬように目立たぬように振舞い、密かに野心を育み貴族や軍隊を味方につけたという。そして、女帝が亡くなり夫が即位すると、愛人を妻にしてエカテリーナを排除すると知って先制して夫を殺す。ちなみに、その死は脳卒中と公表されたという。こうして、ロシア人の血縁ではない新女帝が、34年間に渡って君臨することになる。しかも、ロシア歴代皇帝のうちで畏敬をもって「大帝」と呼ばれるのは、ピョートル大帝とエカテリーナ2世の二人だけだという。

10. 不人気ナンバーワンのジョージ1世
国民の不人気ナンバーワンのイギリス国王と言えば、ジョージ1世だそうな。彼は、絶世の美女と名高い妻ゾフィア・ドロテアを北ドイツの古城に32年間も幽閉したという。かつて、ジョージ1世の母は天然痘で顔が醜くなったという理由で、ドロテアの父から婚約破棄されていた。おまけに、ジョージ1世はマザコンという噂もあるから、昼メロにでてきそうな設定だ。寂しいドロテアはスウェーデン貴族ケーニヒスマルク伯爵と駆け落ちの約束をする。だが、伯爵は行方不明となり、後に死体で発見される。そして、ドロテアは飼い殺しの運命となる。国民がろくに英語の話せない新王を嫌ったのは、この王妃への酷い仕打ちが最大の理由だという。ちなみに、ドロテアの娘は同名でフリードリヒ・ヴェルヘルム1世と政略結婚させられる。そして、二人の男子を産むが、次々と早死にし、三男だけは乳母まかせにせず自ら育てる。その子は母親譲りのフランスかぶれのため、父親から軟弱者と罵られたという。その子が、偉大なるフリードリヒ大王である。
ところで、神聖ローマ帝国ハノーヴァ選帝侯ゲオルク、このドイツ人がイギリス国王ジョージ1世となったのは、前王女アンに世継がなかったからだそうな。母方がイギリス王室の遠縁にあるのと、本人がプロテスタントということでの即位ということらしい。だが、アンは17回か18回か妊娠しているという。これほど死産流産を繰り返した原因は不明のようだ。アンは「ブランデーおばちゃん」と渾名されるほど酒好きだったという。アル中が祟って、身長が低いうえに激太りのため、なんと!棺は正方形だったとか。ほんまかいな?

11. 「着衣のマハ」と「裸のマハ」
スペイン史上最悪の王妃マリア・ルイサは、恋人マヌエル・ゴドイを見初めると、夫カルロス4世公認の不倫相手にしたという。しかも、宰相の地位まで与えるが、ゴドイは次々と愛人をつくる。当時、スペインは激しいカトリック国で裸の絵はご法度であったが、ゴドイは隠し持っていたという。ナポレオンの侵攻で家宅捜索された時に発見された有名なゴアの「マハ」の二枚の絵は、ゴドイの愛人がモデルだったとか。普段は「着衣のマハ」が飾られ、回転させると「裸のマハ」になる仕掛けだそうな。この裸体画が問題となって異端審問に問われるが、王妃とともに国外逃亡する。

12. 第九の呪い
ベートーヴェンが第九を完成させた時、ウィーンではロッシーニのイタリア・オペラが流行っていた。新聞も、モーツァルトやベートヴェンはもう古いと評したという。機嫌を悪くしたベートーヴェンは、第九はプロイセン王に献呈し、初演はベルリンで行うと宣言。慌てたウィーンの貴族たちは、初演の名誉をウィーンの都に与えてくれるように署名運動したという。ベートーヴェンは了承したが、自分で指揮すると言い張る。だが、彼の難聴は完全に聞こえなくなっていた。そこで、二人の指揮者で演奏することで妥協する。楽団員はもう一人の指揮者の指示に従い、ベートーヴェンの指揮は無視され、どんどん曲と動作は離れていったという。その演奏後、彼は三年足らずで世を去る。以来、大作曲家は交響曲を九作書くと死ぬという「第九の呪い」が囁かれるようになったという。なるほど、ブルックナー、ドボルザーク、ヴォーン・ウィリアムズなど、呪われた作曲家は多い。マーラーは、第九交響曲を交響曲と呼ばず「大地の歌」と名付けたが、十番目の交響曲を作曲中に病死。シベリウスは第八を書き終えた段階で楽譜を焼き捨て、そのお陰で長生きしたという。

13. さまようハイドンの頭蓋骨
ハイドンがコンサートツアーに出かける時、モーツァルトが「英語もできないのに大丈夫ですか?」と心配すると、彼は「わたしには音楽という共通語がある」と答えたというエピソードは知られる。彼の交響曲集「ザロモン・セット」の第六番ニ長調は「奇蹟」と呼ばれるという。イギリス公演中、聴衆がハイドンの指揮ぶりを間近で見たくて椅子を勝手に前へずらすと、突然巨大なシャンデリアが落下した。もし、椅子を移動していなければ大惨事になっていた。そこから「奇蹟」と呼ばれるらしい。幸運に恵まれたハイドンだが、頭蓋骨は不幸な彷徨をしたという。死後11年目に別の墓地へ埋葬しなおすことになって、棺を開けると頭蓋骨が消えていた。当時、骨相学が流行っていて、犯人は頭蓋骨研究者で、見せびらかすために居間に飾っていたという。その後、人手を転々とし、150年近くも頭蓋骨だけさまよい続け、ようやく墓場に戻されたという。ところで、戻された頭蓋骨は本物かいな?DNA鑑定なんて時代じゃないだろうに。

14. 早すぎる埋葬
キリスト教は基本的に土葬である。そこで、奇妙な現象を紹介してくれる。埋葬場所を移すために掘り返すと、遺体の腐敗が遅かったり、棺の中で遺体の位置が変わっていたりと。また、顔を恐怖に歪ませ、爪が血まみれだったこともあるという。つまり、埋められた後に蘇生して、苦しんで死んだ様子がうかがえるわけだ。こうした現象が、吸血鬼伝説を盛り上げる。エドガー・アラン・ポーは、小説「早すぎる埋葬」で、「まだ生きているうちに埋葬されるのは、疑いもなくこの世の人間の運命のもっとも恐ろしいもの」と記したそうな。サディズムで知られるサド侯爵は、この早すぎる死を恐れ、晩年ホテルのベッドで「死んでいるように見えますが、死んではいません」というメモを置いたという。ジョージ・ワシントンも「絶対三日間は墓に入れないでほしい」と秘書に残したという。現在では、棺に本人の愛用した携帯を添えるという話も聞く。電波が届けばなんとかなりそうだが、火葬だったら...?

15. 疑わしいルソーの名声
ナポレオンをはじめルソーの自然崇拝や文明批判に影響を受けた偉人は多い。ルソーは著書「エミール」で全人的教育論を展開している。ところが、この本が出版された二年後、匿名のスクープが出回ったという。彼には愛人がいて5人の子供を産ませたが、名前すら与えず孤児院に捨てたという。これは、ルソーの論敵ヴォルテールが流布したとされるらしい。当時の孤児院は、赤ん坊の場合、初年で三分の二が死んだというから殺すのと大差ない。彼は「告白」で弁明しているという。「エミール」には、「父親としての義務を果たせない者は、父親になってはいけない」とか、「貧困も仕事も、子どもを養育しない理由にはならない」などとほざいているらしい。捨て子が珍しくない時代とはいえ、ルソーの名声があまり傷ついていないのはどういうわけか?だから、酔っ払った天邪鬼は、極端な理想なんぞを掲げる教育者や道徳家という人種をイカサマ師と呼ぶわけだ。

16. 人間公衆トイレ
当時のパリは、トイレの臭いでいちころだったらしい。法律で規制しても、排水の問題で川の汚染は深刻だったという。死体解剖の後、ばらばらにしてトイレに流したりもしたそうな。パリは1830年まで公衆トイレがなく、ロンドンは更に遅れて1852年まで公衆トイレがなかったという。ところで、貴婦人たちは舞踏会でどうやってたんだろう?庭先で...
バケツをもって道端に立つ「人間公衆トイレ」といった仕事まであったというから、パリの優雅なイメージが一遍に吹っ飛ぶ。このあたりは酒を飲みながらは読めない。シラフだともっと強烈かも!

17. カストラート
大浪費芸術が華やかな時代、カストラートと呼ばれる去勢歌手たちが活躍した。アラブや中国の宦官たちとは違って政治的に去勢したのではなく、オペラのためだけに去勢手術を受ける。去勢することによって男性ホルモンの分泌を抑制し、変声期による声帯の成長を人為的に妨げ、少年のままの美しい声を維持するわけだ。ただ、手術の失敗で死ぬケースもある。性(せい)を捨てて声(せい)を取る、まさに命がけの芸術というわけか。したがって、カストラートのなり手は下級階層出身者ばかりだったという。

18. エスカリーナ2世に拝謁した日本人
一介の船頭で大黒屋光太夫という人が、ロシアの宮廷に行った記録が残っているそうな。船員16人とともに江戸へ向かう途中、暴風雨でアリューシャン列島の孤島に流される。彼らは、イルクーツクまで帰国許可書をもらいに行くが、日本語教師にさせられて嘆願書は揉み消される。年月が経って生き残ったのは3人。埒があかないので女帝へ直訴。その苦労話を聞いたエスカリーナは、憐れに思い帰国の手配をした。ところが、日本へ帰国するとそのまま幽閉されたという。本書は、貴重な体験をした人物を生かそうとしない幕府の無能さを嘆いている。そういえば、イラクで人質になって無事に解放されても、自己責任という言葉を浴びせ掛け、世論の餌食になった人達がいた。彼らも独自の人脈や貴重な情報を持っていただろうに、その体験だけでも外務省筋と仲良くなっても良さそうなものだが...その後どうなったのやら...

19. イメージだけが一人歩きするナイチンゲール
ナイチンゲールは、経済白書や保険関係の統計資料を研究し、統計学の草分けとも評されるという。彼女は、舌鋒鋭く誰にも容赦がないので、「足るを知らず怒れる者」との異名をとったという。ただ、彼女は生前から既に伝説的な存在だったそうな。ヴィクトリア朝時代、まだ働く女性が軽蔑される中、意志を貫いて療養所の監督職を得た。その直後、クリミア戦争が勃発。寄付金と個人財産を使って、38人の看護婦をひきつれてトルコへ向かう。新聞は「白衣の天使」ともてはやす。しかし、実際に看護婦をしていたのは、ほんの短期間だったという。高い知力と政治力を駆使して本当に活躍をするのは、それから先のことだそうな。

2010-03-14

"ルイ・ボナパルトとブリュメール18日[初版]" Karl Marx 著

「歴史は二度繰り返す。最初は悲劇として、二度目は喜劇として。」
とは、よく耳にする言葉である。その源泉がこんなところにあろうとは!立ち読みしていて、偶然出会えたことに感激している。本書が「資本論」と並んでカール・マルクスの歴史的名著であることを、今日知った。

「ブリュメール18日」とは、ナポレオンの起したクーデターである。しかし、ここではその甥ルイ・ボナパルトが起したクーデターを題材にしている。それは、クーデターに至るまでのフランス第二共和制を物語るドキュメンタリーといったところか。ちなみに、ブリュメールはフランス革命暦の霧月のこと。
マルクスは、この小規模なクーデターを英雄の偉業の猿真似と皮肉る。そして、ボナパルトをナポレオンの甥という名声だけで権力を掌握した人物と評している。ボナパルトは、ルンペンプロレタリアートを支持基盤として、皇帝ナポレオン三世となって独裁を確立した。ルンペンプロレタリアートとは、労働者階級でも下級の小作農や貧困層のことで、いわば階級をなしていない階級である。本書は、底辺層から巻き起こる滑稽な世論が独裁者を後押しするという民主主義の弱点を露呈する。これは、甥の事業を英雄の偉業と重ねたパロディと言っていい。マルクスは、ボナパルトをナポレオンの仮面を付けてナポレオンを演じた道化人、あるいはイカサマ師と蔑む。
それにしても、本書に登場する政党名から団体名が、どこぞの国の政治情勢とほとんど一致し、今現在を物語っているかのように錯覚するのはどういうわけか。偉大な歴史は繰り返さなくても、くだらない歴史は繰り返すのか?

90年代初頭、ソ連をはじめとする共産主義体制が崩壊し、マルクス主義は葬り去られたかに思われた。ところが、近年マルクスが見直される動きがある。当時、共産主義や社会主義の存在が、民主主義や自由主義の暴走を防ぐ役割を担っていたと見ることもできるかもしれない。だとすれば、いまやその抑制を自己解決に求めるしかない。そこで、マルクスが注目されるのだろうか?歴史的にみて社会主義という言葉はあまり良い印象を与えない。平等という名の元で合法的に搾取が行われ、自由を迫害するイメージがある。単に労働者の自由を訴えただけで、反体制論者や政治犯として裁かれるといったことは、多くの国々で経験している。未だに、社会主義的な政策を「アカ」と叫び、共産主義化するのではないかという懸念が根強くある。
一方、資本主義経済は、資本をフィードバックしながら、その反復原理によって自己増殖するシステムである。言い換えれば、投資循環が経済の生命線と言えよう。物を作り続け、革新的精神を休ませることは許されない。そう、まさしく自転車操業システムを強迫観念まで押し上げている。いや、資本主義に限らず、人間が生きること自体が、自転車操業に象徴されるのかもしれない。本来、人間にとって必要なものは物品である。なのに、貨幣という流通のための代替物が発明されてから、存在を無へ、無を存在へと価値観を変えた。まさしく資本主義は空虚な証券価値によって構成される。証券価値は、巨大インフレによって瞬時に百倍にも千倍にも暴落させた例がある。人間社会は、存在の社会から無形化社会へと歩みを続け、更に技術革新によって証券すら電子化され、ますます仮想化へと突き進むかのように映る。人間は、幻想化の過程で無形化の本質へ迫り、ついには精神の虚しさを悟るのであろうか?
マルクスは「資本論」で、貨幣で構成される幻想システムを解明しようと試みた。「資本論」が経済の観点から空虚に迫ったと解するならば、「ルイ・ボナパルトとブリュメール18日」は、政治の観点から空虚に迫ったと解することができそうだ。マキャヴェリは「君主論」で、君主は善人である必要はないが、善人に見えなければならないと述べたという。現実に、改革派と自称する輩が、狂人的な保護主義者だったりする。政治家が、自ら歴史上の偉人になぞらえ、行動を美化する滑稽な姿をよく見かける。彼らは、歴史ロマンを夢見ながら幻想を追いかけているわけか。

本書には、初版でありながら、最後に「第二版への序文」という珍しい項がある。そこには、「たんに誤植を訂正し、いまではもう理解できない当てこすりを削除するだけにしておいた」と記される。第二版では、かなりの形容が削られニュアンスも違うらしい。その簡潔ぶりは、かえって奇怪な解釈を生むかもしれないという。初版の方が、文学性があり毒舌も効いていてストレス解消に良さそうだ。

1. 歴史は二度繰り返す
この冒頭からの書き出しは有名だそうな。
「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えることを忘れた。一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として、と。ダントンの代わりにコシディエール、ロベスピエールの代わりにルイ・ブラン、1793~95年のモンターニュ派の代わりに1848~51年のモンターニュ派、小男の伍長と彼の元帥たちの円卓騎士団の代わりに、借金を抱えた中尉たちを手当たり次第にかき集めて引き連れたロンドンの警官!天才のブリュメール18日の代わりに白痴のブリュメール18日!そしてブリュメール18日の第二版が出版された状況も、これと同じ戯画である。」
ヘーゲルが指摘したのは、国家の大変革が二度繰り返された時、民衆はそれを正しいものと認めるといった話である。それは、ナポレオンの二度の敗北、ブルボン王朝の二度の追放と重ねながら、一度目は偶然でも、二度目は確かな現実になるという主張である。本書は、更に加えて、一度目の悲劇と二度目の喜劇で、偉大な出来事と滑稽な出来事を関連付ける。

2. 第一期: 二月革命の時代(1848.2.24 ~)
ルイ=フィリップ国王が失脚すると、政府自身が臨時政府であると宣言した。この宣言は、決定したものがすべて暫定的に過ぎないと自称しているようなもので、無責任と言えよう。既成権益は解体されないまま暫定政府にとどまり、金融貴族の独占的支配は打倒されない。となれば、暴動が起こり、共和制に移行するのは必然と思われた。だが、その共和制が様々な立場で都合よく解釈される。プロレタリアートは社会的共和制を訴え、ブルジョワジーは市民的共和制を訴えた。しかし、パリのプロレタリアートは、ユートピア的な馬鹿げた思いつきしかなかったので、市民的共和制が勝利したという。ただ、当時の市民的共和制は、市民活動を意味しているのではないようだ。既存権益を打破するという名目で市民活動を煽り、結果的に権限を横取りして、市民にはなんの恩恵もないというわけか。

3. 第二期: 共和制、憲法制定国民議会の時代(1848.5.4 ~ 1849.5.28)
憲法制定国民議会の時代は、共和派のブルジャア的分派の支配と解体の歴史であるという。この分派は、ルイ=フィリップの君主時代から共和派野党として政界に公認されていた。たとえ思想が違っていても共通利害によって結びつくのが政治というものか。彼らは数の和を強調するが、あの政党と結びついたがために、逆に支持しない人が多数現れることを考えられない。排他的なブルジョア共和制は、社会主義的思想を排除しようと画策したが、排他思想は長くは続かない。それは、共和制憲法とパリの戒厳令に要約される。この時期、様々な自由が制定されたという。個人の自由、出版の自由、言論の自由、結社の自由、集会の自由、学問の自由、宗教の自由などなど。これらの自由は、フランス市民の無条件の権利として宣言される。ただし、その条文の傍注には「公共の安全」によって制限するとある。これがくせ者で、警察権限は絶対という条件を装った罠であったという。傍注付きで起草するのは、官僚派の得意とするところで、どんなに魅力的な条文であっても、抜け道によって国家権力をいくらでも拡大できる。現在においても、立派な人権規定がありながら事実上反古にしている国がある。条文法あるいは制定法至上主義に陥ると、抜け道をすべて塞ぐために別の条文で穴埋めしなければならず、結局、条文が無限に起草されることになる。憲法の本質は慣習法にあるとは、よく耳にする。アメリカ合衆国憲法は、あらゆる独裁者の出現を拒むように考案されたが、その論理的弱点を数学者ゲーデルが指摘した。条文だけで道徳を規定できるほど、人間精神は単純な構造をしていない。
憲法の投票の間、ブルジョア共和派の軍人カヴェニャックがパリで戒厳令を維持し、反対派は裁判なしでことごとく流刑に処される。だが、大統領にルイ・ボナパルトが選出されると、カヴェニャックと憲法制定議会の独裁を終結させ、ブルジョア共和派は没落する。

4. 第三期: 立憲共和制、立法国民議会の時代(1849.5.28 ~ 1851.12)
第一次フランス革命期は、立憲派のジロンド派、ジャコバン派の支配が続いた。どの党派も革命からは遠い立場であったため、同盟軍によってギロチンへ送られ、革命の気運を急速に高めた。
しかし、1848年の革命は、それとは逆の現象だという。プロレタリアの党は、小市民的民主派の付録のようなもので、民主党はブルジョア共和派に寄りかかる。ブルジョア共和派は、かろうじて足元が固まったかと思ったら、すぐさま秩序党の肩にもたれる。秩序党は、肩をすぼめてブルジョア共和派を引っくり返し、武力権力の肩にしがみつく。あらゆる党派が、寄りかかったり背後から襲ったりと滑稽な姿を曝け出す。本書は、既に革命は後戻りしていたと指摘している。社会=民主党の本来の性格は、資本と賃金労働の二つを対立させるのではなく、調和させるために民主的=共和制を要求するものだったという。これは、民主的方法を前提とする。そして、小市民は、原理的に利己的な階級利害を貫徹するような視野の狭い連中ではないと指摘している。むしろ、自分たちの解放は普遍的な条件によって救済されると考える知的な人々であると。だが、民主党ほど自分の力量を過大評価する党はないし、軽々しく状況を見誤る党もないと皮肉っている。ボナパルトは、自らの王政復古欲を陰謀によって合法的に実現する。その背後で金融貴族が活躍したのは想像に易い。ボナパルトは、普通選挙権の復活を唱え、大ブルジョワジーを味方につけた。やがて、秩序党は解体され、国民議会は腐敗し力を失う。

5. 国民投票と代表制の弱点
国民議会が選挙民を制限するのに対して、ボナパルトは普通選挙権を復活させ、国民からの人気を得た。ヒトラーにしても、幾度も国民投票に訴え合法的に独裁者になった。独裁は、国民投票という民主主義の象徴とも言うべきシステムから忍び寄るわけか。そこには、腐敗した共和制と国民議会に幻滅した世論が、幻想に憑かれるように過去の英雄を崇めて、その血筋を支持する様子が語られる。民衆は、政治にうんざりすると強烈な指導力のある政治家の登場を願う。おまけに、マスコミが奇妙に煽り、大した事でもないのに誇張して英雄を仕立てる。世論の暴走は政治不信が高まった時に起こりやすく、救世主を求めるかのように滑稽な世論が巻き起こる。ボナパルトは、まさしく社会の底辺層であるルンペンプロレタリアートの支持を得て政権を握った。独裁形態は、自由主義とは矛盾するが、民主主義とは矛盾しないのかもしれない。

6. 帝政復古のパロディ
ブルジョワジーは議会的共和制の中で享楽をつくすが、「共和国万歳!」と叫ぶ王政派によって葬られた。ブルジョワジーはプロレタリアートの支配に逆らったが、ボナパルトを首領とするルンペンプロレタリアートに支配され、秩序維持を名分とした国家権力によって弾圧された。プロレタリアートは社会主義の勝利!と叫ぶが、それはボナパルトの勝利であって、いわばプロレタリアートを利用した独裁の勝利である。独裁を揺るぎない体制とするには、その手先機関を強化する必要がある。巨大な官僚組織に強力な軍事組織を持つ国家機構は、ナポレオンが完成させたものだ。ただ、ナポレオン治下での官僚制は、ブルジョワジー階級に用意された統治手段に過ぎなかった。ルイ=フィリップ治下でも、官僚制は支配の道具でしかなかった。ところが、ボナパルト治下では、秘密警察的な性格を帯びたという。ナポレオンの軍隊は、分割地農民の名誉を代表するもので、外国からの圧力に対抗する愛国心と所有意識の理念的形態であった。しかし、ボナパルト治下でのフランス農民は、国内の執政官と租税徴収官の敵であったという。本書は、大衆の愚かさがブルジョワジーをボナパルトに売り渡したと指摘する。むしろ、ブルジョワジーとプロレタリアートが協力して、独裁を食い止めるべきだったと。

7. ボナパルトの本性
本書は、ボナパルト一派を、国民に費用を負担させ自らに慈善を施すという意味で「慈善協会」と呼んでいる。ボナパルトは、合法的に恐喝まがいなことをして、大衆的形態で個人的な利益を得たという。
「年老いた、ずるがしこい放蕩児である彼は、諸民族の歴史的生活とその国事行為を最も卑俗な意味での喜劇として、大げさな衣裳や言葉やポーズがきわめてけちくさい下劣な行為を覆い隠すのに役立つ仮面舞踏会として、理解している。」
演壇や新聞は弾圧され、ボナパルト批判で攻撃するジャーナリストたちは、ブルジョア陪審員たちに調達不可能な罰金刑や、恥知らずの懲役刑を宣告したことは全ヨーロッパを驚かせたという。
「執行権力の自立性は、自らを正当化するのに、その首長がもはや天才を必要とせず、その軍隊がもはや栄誉を必要とせず、その官僚制がもはや道徳的権威を必要としない場合に、あからさまに際立つ。」
国家機構が強化された体制では、もはや酔っ払った政治家で充分というわけか。ボナパルトは、最も人口の多い階級である分割地農民を代表しており、ボナパルト家は農民である。すなわち、ブルボン王朝の土地所有王朝とは違って人民大衆の王朝である。しかし、これは農民から皇帝復活を騙し取った結果であって、革命的農民ではなく保守的農民を代表していたという。農地を解放するのではなく、むしろ既得農地を守り、古い秩序で守られる農民の代表だったというわけか。彼は、軍隊で農民狩りをし、農民の大量投獄と流刑を行った。これにフランスの半分にわたる農民が蜂起する。
本書は、ナポレオンの代役となるために小規模であるがクーデターを実行する必要に迫られたと分析している。ちなみに、ナポレオンはアレクサンドロスを思い起こしたが、ボナパルトはバッカスを思い起こしたという。アレクサンドロスは英雄だが、バッカスはローマ神話のワイン神である。

2010-03-07

"パンセ" Blaise Pascal 著

ブレーズ・パスカルといえば、理系の人間には「パスカルの原理」や「パスカルの定理」の方が馴染みがある。だが、本書に登場する「人間は考える葦である」という言葉や、「クレオパトラの鼻」の一節は広く知れ渡り、多くの書物で引用される。よって、ずーっと前から一度は読んでみたいと思っていたが、いかんせん大作だ。ようやく気が向いてくれたのはありがたい。彼の才能はあらゆる方面に向けられるため、その本業が何かは知らない。ただ、偉大な科学者や数学者が哲学や神学に目覚めた例は多い。天才たちは、自然科学や論理学に限界を感じ、ついには哲学や神学に踏み込まないと説明できない領域があることを悟るのであろうか?
「パンセ」とは、一般的に「思想」と訳されるようだが、ここでは「宗教よりの哲学」とでも言っておこうか。本書を読めば、パスカルが純真なキリスト信者であることが分かる。だが、ここに顕れるのは単純な宗教心ではなく、論理的に信仰しているように思える。単なる宗教を崇めるだけの書ならば読む気にもなれないが、随所に皮肉が込められるのがいい。したがって、本書をキリスト哲学と解釈している。
「哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである。」

本書は、「神なき人間」としての生来の人間の姿を考察するところから始まり、悪徳から生じる醜さと、考えることの偉大さという二重性から精神の矛盾を指摘する。この二重性は、人間性と神性という霊感で説明される。そして、矛盾の原因は人間の罪にあり、罪から解放し幸福を導くものはキリスト教に他ならないと結論付ける。そこには、キリスト教の弁証法的な考察が展開される。また、イエスをメシアと崇めながら、キリスト教の運営については批判的な言葉が随所に鏤められる。真のキリスト信者は少ないだとか、信者の多くは迷信に頼っているとか、宗教裁判を「堕落した無知」と嘆く。なるほど、キリスト教徒とイエス信者では意味が違うというわけか。
「キリスト教をほんとうだと信じることによってまちがうよりも、まちがった上で、キリスト教がほんとうであることを発見するほうが、ずっと恐ろしいだろう。」
おそらく、あのヘブライ人は噂されるほどの偉大な人物だったに違いない。だが、偉大な思想を伝承するのは凡庸な人々であり、崇高過ぎる思想は都合の良い解釈で歪められる。司祭たちは、自らの存在意義を強調するように解釈するだろう。罪人たちは、改心すれば全てを水に流してくれると解釈するだろう。伝統や思想を思考することなく、ただ従うのであればカルト化するしかない。となれば、聖書を単なる読み物として出版し、解釈を一般の読者に委ねた方がいい。聖書を宗教書としてではなく哲学書として読むならば、悪くないかもしれない。宗教は遠くから眺めるぐらいでちょうどいい。近づき過ぎれば、盲目となって狂乱してしまう。
キリスト教の根幹が、本書の言う人間性と神性の共存だとするならば、それほど悪い信仰だとは思えない。ただ、宗教に頼らなくても、自己の人間性と同時に、何か崇高な神からのお告げのような、良心の呼びかけのようなものを感じることがある。経験だけでは説明のつかない「良心の呵責」と言おうか。これを霊感と言うのかは知らん。あらゆる宗教の創始は素晴らしかったに違いない。だから、少なからず信者がいる。だが、崇拝の度が過ぎれば脳死状態に陥る。まさか、偉大な神が「人間に思考を止めろ!」とは教えないだろう。そのように解釈する人は少ないだろうが、そのように実践している人は多い。ならば、最初から精神なんて機能を与えなければいいものを。神は残酷だ!ならば、宗教として崇めるのではなく、生き方として示す程度にすればいいものを。人間にとって重要なのは生き方である。宗教や哲学は、生き方の参考にする手段に過ぎない。

無限の空間と永遠の沈黙が人間を恐れさせる。人間は、無限の存在をなんとなく感じても、その正体を知らない。無限という数字が存在しても、その正体が偶数なのか奇数なのかも知らない。有限と無限の境界線を定義できても、そこに何があるかを知らない。したがって、人間が神の正体を知らなくても、神の存在を信じても不思議ではない。たとえ無神論者であっても、なんとなく神のような、到底敵わない絶対的な真理のような存在を感じる。それにしても、神の代理人と称する人間の数の多さには驚くべきものがある。宗教を信じるも信じないも、人生の賭けというわけか。
「人は良心によって悪をするときほど、十全にまた愉快にそれをすることはない。」

1. パンセのいきさつ
「パンセ」は、パスカルの言葉の断片集である。その経緯をたどると複雑な事情があるようだ。彼の死後(1662年)、発見された文集はあまりにも未完成なために出版が断念されたという。初版が出版されたのは死後7, 8年も経った後、これがポール・ロワヤル版と呼ばれる。ちなみに、この編者の名は不明らしい。
そして、1842年に哲学者ヴィクトール・クーザンが原稿と大きく違うことを指摘し、1844年に原稿に忠実な版がフォジェールによって公刊されたという。なるほど、なんとなく熟成ワインの香りがするわけだ。「パンセ・ド・フォジェール」なーんて極上のワインがあってもよさそうなものだ。
その後、1897年のブランシュヴィック版が多数派になったという。ちなみに、この版が初心者にはとっつき易いらしい。本書もこの版を主体にしているという。
更に、戦後ラフュマが唱えた版など、多くの研究者によって改訂され続けたそうな。

2. 普遍的な人
社会では、専門家という看板を揚げなければ、その分野では相手にされない。人々は、なにかと代名詞を欲しがり、名刺にはややこしい肩書きを付ける。しかし、普遍的な人は看板などまっぴらだという。
「人は普遍的であるとともに、すべてのことについて知りうるすべてを知ることができない以上は、すべてのことについて少し知らなければならない。なぜなら、すべてのことについて何かを知るのは、一つのものについてすべて知るよりずっと美しいからである。このような普遍性こそ、最も美しい。」
そもそも、専門家ってなんだ?あらゆる学問が人間精神にかかわるのであれば、すべての人が専門家になりうるはず。そして、その方面に好奇心を持った人が専門家となるのが自然であろう。一つの専門分野を徹底的に探求したところで、その分野を悟るところまでは到達できないだろう。その領域で精神の悟りのような境地に達することができるのは、一部の天才たちに与えられた幸せであろう。どうせ悟れないなら、広範に学問してみるのも悪い選択ではない。いずれにせよ、生き方の好みの違いであろうか。

3. 想像力と誤謬
想像力は、誤りと偽りの主で、いつもずるいと決まっていないだけに一層ずるい奴だという。そして、理性を脱線させるものが想像力であって、理性が想像力に完全に勝つことはできないという。また、識者は自信を持って議論するが、真に分別のある人は恐る恐る議論すると指摘している。確かに、想像力には賢さと愚かさが同居する。想像力は誤謬へ導くための欺瞞的能力を持っている。法律家は客観的判断力の持ち主と自認する。その想像力はますます理性に自信を持たせ、より一層の判断力の持ち主と自負する。だから、一般的に常識とされる「見直し」という態度がとれない。エリートの自信とは恐ろしいものがある。古い考えが誤謬へ導くとは限らない。逆に、新しい考えの魅力によって誤謬へ導くこともある。人間は、慢性的に誤謬の原理という病を患っている。したがって、世界一公平無私な人間であっても、自らの事件の裁判官になることは許されないはずだ。しかし、政治家たちは自ら立法権を持つ。しかも、議員たちは論争で相手を罵り合う。そこにある矛盾は共存できるかもしれないのに、無理やり排他論理に従う。おまけに、彼らは「平行線の原理」に憑かれながら「先送りの法則」を見出す。
エピクテトス曰く、「われわれは、人に頭が痛いでしょうと言われても怒らないのに、われわれが推理を誤っているとか、選択を誤っていると言われると怒るのは、なぜだろうか?」
人間が悪徳や欠陥を持つことは悪であろうが、それが人間の持つ属性ならば受け入れるしかない。だが、それを認めようとしないがために、更なる欺瞞で覆い隠す。真実を語る人を憎み、自分に有利に働きかける人を好む。おまけに、自分の本性とは掛け離れた欺いたところを評価されたいと欲する。これが自己愛というものか?
「びっこの人が、われわれをいらいらさせないのに、びっこの精神を持った人が、われわれをいらいらさせるのは、どういうわけだろう。それは、びっこの人は、われわれがまっすぐ歩いていることを認めるが、びっこの精神の持ち主は、びっこをひいているのは、われわれのほうだと言うからである。そうでなければ、われわれは、同情こそすれ、腹を立てたりなどしないだろう。」

4. 気を紛らわす
人間を楽しませるのは、戦いであって勝利ではないという。すべての探求や賭け事までもが、終わった途端にうんざりし、支配欲は支配してしまうと萎える。討論とは、意見を戦わせたいだけであって、結論を求めているのではないのかもしれない。何かに熱中するのも、人生というギャンブルをするのも、単に気を紛らわしているだけかもしれない。人間は、騒ぎを好み揉め事を好む。他人の不幸に関心を持ち、自分の境遇の気を紛らわせる。批評するのも気の紛らわしにちょうどよい。人間は永遠に評論家であり続けるであろう。たとえ、不幸に見舞われても、それが気を紛らわしてくれるならば、その瞬間だけ幸福を感じられるのかもしれない。逆に、どんなに幸福であっても倦怠感が募り、気を紛らわすことができなければ虚しくもなる。
権力者は、朝から忙しく多くの人に面会し、自分というものを考える余裕がないという。そして、ただ他人がやってくるだけで自分の存在を実感し、その地位であることに喜びを感じることの他に何があろうか、と皮肉る。どんな権威も、その真偽は別にして、ただ自分を経由するだけで満足する。単に存在感を誇示できればそれでいい。人間は、自分の愚かな姿を知らない方が幸せであろう。世間体ばかり気にしながら生きるのも、気を紛らわす手段である。では、気を紛らわすことを排除した時、そこに何が残るのだろうか?あまりの退屈さに精神は消耗するのであろう。

5. クレオパトラの鼻
「人間のむなしさを十分に知ろうと思うなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めてみるだけでいい。」
ここで、クレオパトラの鼻がもっと短かったら歴史が変わっただろうというフレーズが登場する。もっとも、これは精神の虚しさを恋愛の原因に求める例え話であって、真面目に歴史を語っているわけではない。恋愛の原因が何かは分からないが、その恐るべき結果は全世界を揺るがす戦争をも引き起こすというわけか。
「人間は死と不幸と無知とを癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことについて考えないことにした。」

6. 正義と無知
「自然法というものは疑いなく存在する。しかし、このみごとな腐敗した理性は、すべてを腐敗させてしまった。何ものも、もはやわれわれのものではない。われわれのものと呼ぶものは、人工的なものである。元老院の決議と人民投票とによって、罪が犯される。われわれは、昔は悪徳によって苦しんだが、今は法律によって苦しんでいる。」
誤りを正すという類の法律ほど、誤りだらけのものはないという。そして、法律が正しいという理由だけで法律に服従する者は、精神の内に正義を持たず、法律の本質に服従しているのではないと指摘している。なるほど、法律を持ち出して正義を唱える者は、もはや理性感情を失っているわけか。それで、政治家は法律を持ち出して言い訳に徹するわけか。
「世の中で最も不合理なことが、人間がどうかしているために、最も合理的なこととなる。」
人間は笑うべきものであり不正であるから、人間が作った法律が合理的となり公正になるという。政治指導者に最も有徳で有能な人物を選ぼうとすれば、たちまち罵りあいとなる。理性的な人間ほど、自らをわきまえ、自己主張を宣伝することはしないだろう。したがって、政治報道はR-18指定するがよかろう。
「流行が好みを作るように、また正義をも作る。」
社会の秩序を守るためには、権力に従わなければならない。したがって、正しいものに力を与える必要がある。だが、人間は、正義がなんたるかを見極められずに、多数決という実践的で巧妙な手段を編み出した。力の正当化は多数派に支配される。しかも、高度な情報化社会には、ほんの小さな正義っぽい意見を増幅する力がある。ただ、世論が大衆の叡智となることもあるから、一方向からの観察だけでは決定できない。本書は、真理が自然的な純粋な無知のうちにあるという。無知の結集が叡智となりうるのか?なるほど、思い上がった知識を、抑制できる唯一の方法は、無知を悟った時であろう。こうなると、無知を馬鹿にはできない。もしかすると、無知が真理に近づく最高の方法なのかもしれない。
「多数主義は最善の道である。それはあらわであり、服従する力を持っているから。とはいえ、これは最も無能な人々の意見である。...人は、守らざるを得ないことを正義と呼ぶ。」

7. 人間は考える葦である
「理性は主人よりもずっと高圧的にわれわれに命令する。なぜなら、後者に服従しなければ不幸であるが、前者に服従しなければ、ばかであるから。」
人間は、ひとくきの葦に過ぎず、自然の中で最も弱いものであるという。しかし、それは考える葦である。人間は考えることによって偉大にもなれるし、考えることに道徳の原理があるという。そして、立てつづけの雄弁さが退屈させるように、偉大さを感じるにはそこから離れる必要があるという。人間は考えることによって尊厳が得られることもあれば、愚かな行為を招くこともある。自らの尊厳を守るために、自殺という矛盾を犯すことすらある。世間では、極度の才知は狂乱者と批難される。だが、中庸を良しとするのは、多数者が編み出した概念であるという。多数者が凡庸な人間を好むのは、そこに仲間意識があるからで、単なる才能への僻みなのか?自分よりも劣っていると認識した人間に優しいのは、自己の優位性に満足するからか?人間社会には、運命とも言うべき不平等が付きまとう。だが、それが最高の圧制にまで高められるところに虚しさがある。精神には偉大さと惨めさが共存する。この二面性は、並外れた思い上がりから絶望にまで及び、どちらに偏っても精神病を患うから困ったものだ。
「あることについての真理が知られていない場合、人間の精神を固定させる共通の誤りがあるのはよいことである。...なぜなら人間のおもな病は、自分の知りえないことについての落ち着かない好奇心だからである。こんな無益な好奇心のなかにいるよりも、誤りのなかにいるほうが、まだ、ましである。」

8. キリスト教の解釈
「自分の悲惨を知らずに神を知ることは、高慢を生み出す。神を知らずに自分の悲惨を知ることは、絶望を生み出す。」
信仰には、理性と習慣と霊感の三つの手段があるという。キリスト教は霊感を排除する信仰を受け入れないという。それは、理性と習慣を排除するのではなく、理性と習慣が霊感に謙ることを教えているという。ここで言う霊感とは、自然原理のような偉大な宇宙原理のような存在であろうか?だが、現実には、理性と習慣を排除して、ひたすら霊感に頼る輩が多いようだ。しかも、その霊感を幻想と錯覚し、外的なものに助けを期待する迷信と化す。これこそ、人間の高慢ではないのか?
本書は、キリスト教批判者の誤解を解こうとする。それは、一人の偉大な神を崇拝することではなく、自己の二つの性質「人間性」と「神性」を結びつけるものだという。
「二種の人々がいるだけである。一は、自分を罪びとだと思っている義人、他は、自分を義人だと思っている罪びと。」
この二重性を知るところに神の憐れみが現れるというのが、キリスト教の根本原理だという。しかし、キリスト教を崇めている連中が、本当にそう解釈しているのだろうか?邪悪な人間は、ご都合主義によって、なんでも救いを求めれば助けてくれると信じるであろう。世界に絶対的な価値観を提示できる宗教があれば、こんなにも多くの宗教は存在しないはずだ。どの宗教を信じようが勝手であるが、異教徒を罵ることが宗教の本質とは思えない。ならば、その中間にある無宗教が良さそうだが、彼らは無宗教者ですら異教徒扱いする。所詮、その宗教に所属しないと分かち合えない理屈がある。宗教の矛盾は、知恵と愚かさが共存していることに気づかないことであろう。酔っ払った天邪鬼は、宗教のように「信じろ!」と言われれば疑うし、哲学のように能書きを並べれば「ほんまか?」と思考を試みる。そして、完璧な論理性を主張すれば、そこに矛盾性を探さずにはいられない。
「奇跡を信ぜよ!...人が真の奇跡を信じないのは、愛が欠けているからである。」
その通りかもしれない。酔っ払いには愛が欠けている。愛が何たるかも知らない。だが、世の中には、愛を語りながら愛の欠けた凡庸な人々で溢れかえっている。となると、キリスト教は凡庸な人々を救済できないということになりはしないか?どうりで、アル中ハイマーには宗教など理解できないわけだ。

9. 論争の原理
「信仰は互いに矛盾しているように見える多くの真理を含んでいる。...これらの矛盾のみなもとは、イエス・キリストにおける神人両性の結合である。...信仰と道徳とについて、相容れないように見えながら実は一つの驚くべき秩序においてことごとく共存するきわめて多くの真理がある。」
論争は、排他論理を前提としているように映るが、単に相手の真理を批難しているだけのことかもしれん。平和主義者は、戦争を完全に否定するが、戦争状態を知らなければ、真の平和を説くことはできない。遠い場所で起こる戦争を安心して眺めながら、平和論議はお盛んだ。戦争を国と国の喧嘩と解釈するならば、喧嘩は至る処に存在する。人間社会は、平和ボケと戦争狂気を繰り返す運命にあるのかもしれない。矛盾と排他論理を混同すると、奇妙なことが起こる。人間は、矛盾に対して激しく目くじらを立てる。矛盾という真理から、わざわざ遠ざかろうとするかのように。人間は、精神の持つ矛盾を弱点と解釈するのだろうか?もし、矛盾を長所と解釈すれば、人間はどういう反応を示すのだろうか?まぁ!酒でも飲もうや!となるかもしれない。
「僕は主人のすることを知らない。主人が彼に用事だけを言いつけて、目的を示さないからだ。そして、これこそ僕が盲目的に従い、しばしば目的にそむくゆえんである。しかし、イエス・キリストは、われわれに目的を示された。だのに、あなたがたはその目的を破壊している。」