2017-05-28

"天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎" 長谷部浩 著

江戸三座の流れを汲む中村座と守田座の家で生を受けたがために、互いに、十八代目中村勘三郎、十代目坂東三津五郎という名を背負った。片や天才坊やと呼ばれた歌舞伎界のサラブレット、片や重厚な脇役道の家柄を継承。光と影ほどの違いはあれど、十字架を背負うがごとく藝術の殉教者となったことに変わりはない。
二人は奇しくも同学年に生まれ、六十を前に逝く。人間五十年... と歌われるが、今の時代にしては早すぎる。弔辞で三津五郎さんは勘三郎さんに語りかける。
「肉体の藝術ってつらいね!」
化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり... 絵画や小説と違って、まさに肉体芸は儚い...

「... 芝居も踊りも持ち味が違い、二十代から八回も演じた『棒しばり』。はじめの頃は、『お前たちのようにバタバタやるもんじゃない、春風が吹くようにフワッとした感じでやるものだ』と、諸先輩から注意を受けましたが、お互いに若く、負けたくないという心から、なかなかそのようにできなかった。それが、お互いに四十を超えた七回目の上演のとき、『やっと先輩たちの言っていた境地の入口に立てた気がするね』と握手をし合ったことを忘れません。長年の経験を経て、お互いに負けたくないという意識から、君には僕がいる。僕には君がいるという幸せと感謝に生まれ変わった瞬間だったように思います。...」

個人的には、長年名乗ってきた、勘九郎さん!八十助さん!と呼ぶ方がしっくりくる。この業界は、出世魚のごとく名を変えていく。ぶり、はまち、元はいなだの出世魚... とも言うが、二人には原点となった舞台があったという。「納涼歌舞伎」がそれである。初心忘るべからず!との世阿弥の言葉を受け継いだものと言えよう...
二月、八月は、ニッパチといって、客が入らない月とも言われるそうな。大立者といわれる役者は八月に休み、格下の役者が怪談物や本水を使った涼しい演目を見せるのが通例だったとか。二人は、この慣例を逆手にとって自分たちが芯を取って実力を養い、人気を集める公演をとうとう手に入れたという。
立役にとって三十代後半は難しい年頃、若旦那やいい脇役ではそろそろ物足らなくなり、かといって、芯を勤めるにはまだ荷が重い。芸風が微妙に変化しつつある中、円熟の下地となったのが、納涼歌舞伎だったという。八十助さんの言葉を借りれば、「八月は歌舞伎がはじめてのお客様にも愉んでいただける演目を考える」のだそうな。気さくに言葉をかけてくれる勘九郎さんの姿が目に浮かぶ... 博多座の襲名披露に来て下さったお客様はいらっしゃいますか?今日はじめて歌舞伎を観られる方はいらっしゃいますか?... こっちだって応えずにはいられない... よっ中村屋!軽い笑いで緊張感をほぐしてくれるのも、地方公演の魅力。八十助さんにしても、あの優しそうな口調でテレビ視聴者に語りかけていたのを思い出す... どうぞお気軽に観に来てくださいね!だからこそ、おいらのようなド素人でも、日本人であるからには一度は歌舞伎というものを鑑賞してみたい、と足が向く。
にもかかわらず、観客の間では、その御召し物では歌舞伎を汚すざんす!などとセレブリティどもが火花を散らす。どうやら和服の流派の争いのようだ。おいらのような門外漢は、そんなやりとりを遠目で観察する。そもそも舞台芸の真髄は滑稽芸、いわば人間観察の投影の場。なるほど、観客の側も滑稽芸を演じずにはいられないというわけか。人生とは、狂言のようなもの。猿の面をかぶれば猿になりきり、武士の面をかぶれば武士になりきり、セレブリティの面をかぶればセレブかぶれにもなれる。あとは、幸運であれば流れに乗じ、不運であれば逆境を糧とし、いかに達者に振る舞うか。いや、いかに優越感に浸れるか。人生とは、まさに滑稽芸のようなものやもしれん...

1. 血統よりも藝統
勘九郎さんは、生まれた時から様々な藝統を受け継ぐべく立場にあったという。伯父初代吉右衛門の得意とした時代物の演目、母方の祖父六代目菊五郎が五代目菊五郎から引き継いだ世話物や踊り、さらに、父方の祖父三代目歌六が上方の出身だったために上方歌舞伎の血も父十七代目が継承していたとか。幅広い歌舞伎狂言の演目を、父十七代目を通して「家の藝」として受け継ぐ宿命を追っていた。
しかしながら、宿命とは権利でもあり、恵まれた家柄ということもできるわけで、これが誇りとなる。江戸時代、幕府から公認された芝居小屋は、中村座、市村座、森田座(のちの守田座)の三座だけ。劇場の座元には所有権と興行権を与えられ、座頭役者を上回る格式を備えていく。
ただ、明治八年の十三代目引退以来、勘三郎の名跡は系譜上のみ数えられただけで、事実上途絶えていたという。中村もしほが十七代目を襲名したことで、江戸最古の座元として十八代目の意識が課せられることに。
一方、八十助さんは坂東流の重責を担ってきた家に生まれた。七代目三津五郎が子に恵まれず、八代目、九代目と養子、義子が続く。八代目は学者肌で、著書のたくさんある知識人。戦後関西で起こった「武智歌舞伎」では、武智鉄二が理論面を、八代目が実践面を担ったという。
また、九代目は、菊五郎劇団を支える脇役として一生を全うしたという。八代目、九代目と渋い脇役の三津五郎が続いたために、十代目は主役を演じる役者になることが期待されたとか。
三津五郎家は踊りの家ともいわれ、坂東流の代表的な舞踏を継承している。「傀儡師」、「寒山拾得」、「喜撰」、「道成寺」、「流星」などがその代表的な演目。だが、八代目、九代目と脇役が続いたために、家の藝と呼べる芝居は数少ないそうな。おれは捨石になってもいい!という父の思いを、八十助さん自身の言葉で語ってくれる。
母の方は、守田座の座元の家という誇りと執念を持っていたという。というのも、七代目三津五郎は十二代目守田勘弥の長男として生まれたが、三津五郎家の養子に入ったという経緯があるそうな。伝統的な脇役の家柄からの脱皮を、息子に託したということか...
しかしながら、こうした重厚な家柄で育っても、やはり若い頃は、テレビドラマや商業演劇の誘惑に負けることはあろう。どんな天才でも、どんな名人でも、目先の欲望に惑わされない人間はいない。ましてや実力を具え、すぐにでも実現できそうな場面で...
「曇りなき天分が、欲によって乱されていると感じていた。人は愛されることを強く望みすぎてはいけない。それは役者にとっても同じことだ。勘九郎は前のめりに生きていた。それは天才がはじめてあじわった苦悩だったのだろう。」

2. コクーン歌舞伎と平成中村座
伝統芸能のジレンマは、古典に斬新な解釈を打ち出せるか?という問題を抱えている。歌舞伎役者の藝は、いわば神聖化された領域。この領域を再検討し、エンタテイメントとしての演劇を見直す試みが「コクーン歌舞伎」である。回り舞台が常設されていないなど劇場機構に問題があるものの、即興性の舞台は江戸の芝居小屋をイメージしていたようである。芸能は庶民あってのもの、時代に合うものを取り入れ、古典と融合させて新たな解釈を試みながら生き残ってきた。
「歌舞伎はひとつの題材をさまざまなかたちで書き替えていく歴史である。」
尚、串田和美の演出は、歌舞伎用語で「コクーンの型」とも、「串田の型」とも言われる。
勘九郎は敏腕プロデューサーであるばかりか、敬虔な藝術至上主義者の面が同居している。仮説劇場の試みが浅草に居を定めるのではなく、どこへでも歌舞伎専用劇場を用意できる魔法の絨毯となる。
「笑いは演劇にとってもっとも有効な武器である。鑑賞するための伝統藝能であることをいったん投げ捨てて、歌舞伎になじみのない観客を存分に楽しませようとする勘九郎の意図が詰め込まれた舞台だった。」
そして、「東海道四谷怪談」の成功は平成中村座のニューヨーク公演の布石となった。評論家ベン・ブラントレーの劇評がニューヨーク・タイムズ一面に綴られる...
「歌舞伎の伝統に忠実でありながら、それを少しひねったやり方で階級、犯罪、名誉、恥といったテーマを扱い、うねうねと曲がりくねって進むこの物語は、確かに教養マニア向けとういだけではすまない作品といえる...
しかし時間がたつうちに、舞台上の竹格子の後ろにひかえた演奏者たちがかき鳴らす、切迫したように振動し瞑想的に鳴り響く弦の音が役者たちの演技を強調し、彼らの信号的な身振りやしかめた表情の下に、複雑なものが感じられるようになってくる。オープニングで騒々しく始まった滑稽な茶番劇が、いつしか、ドストエフスキーの小説の罪と恐怖の感覚を呼び起こすような、重々しい心理風景に変わっていたのだ。」
勘九郎は、ドストエフスキーと比べられたよ!と鬼の首でも取ったように喜んだそうな。歌舞伎が、現代を生きる演劇として認めれた瞬間であった...
ちなみに、納涼歌舞伎で上演された野田秀樹版「研辰の討たれ」では、こんな台詞を言わせているそうな。
「四十七人もいれば、中には今頃悔やんでいる奴もおりますよ。」

3. 襲名の重み
十七代目勘三郎が残した名言に、こういうものがあるそうな。
「歌舞伎とは、襲名と追善と見つけたり」
実力と人気がともなうから襲名できるのだが、それだけでは足らない。継ぐべく名跡が背負う家の藝の継承者として立っていく決意が求められる。襲名披露の公演では、先人たちの業績を意識し、しかも自分の進むべき道を示すよう考慮される。
三津五郎襲名時には、不思議と人柄までも温厚になる、と語ってくれる。大きく見せようと演じれば、かえって小さくなる。何もせず、自然に大きく見せることだと。賢人には、地位が人をつくると見える。だが、愚人には、地位が人を堕落へいざなう。
「ここには伝承の正しい形が残っている。教える人間が誇りを持ち、教わる人間に尊敬がある。かといって、ひとたび伝えたならば、それを二度目以降は墨守せよとはいわない。自分の自由だ...」

4. 海老蔵襲名時の弁慶代役
海老蔵の父、十二代目市川團十郎は、十九で父の十一代目を亡くしているという。團十郎家は市川宗家といわれ、誇りを高く持ちつつも、親がいないばかりに、こうべを垂れ、苦難を生きてきたことから、人格者として知られるそうな。二代目松緑、六代目歌右衛門、十七代目勘三郎らの指導を受けながら、一人で十代目海老蔵、十二代目團十郎を襲名。
そして、ようやく息子の海老蔵襲名の機会が訪れた矢先、白血病で倒れる。襲名披露公演「勧進帳」での弁慶役は、團十郎。その代役を務めたのが、三津五郎である。まったく稽古なしの代役も驚きだが、円熟期にあることの証である。團十郎は、こんな言葉をよくつぶやいていたそうな。
「日本人として大切なことを伝えたい、それは必ずしも歌舞伎でなくては、とこだわっていた訳ではない。『たまたま自分はこのような少し特殊な環境に生まれ、自分ができるのは歌舞伎を通すこと。日本で培われてきた先人たちの知恵を今こそ見直すべきだ』と常々言っていた。」

5. 踊りの家、三津五郎家の自負
「芝居には、味とか、風(ふう)とか、言いあらわしにくいものが大切だと思います。でも、踊りの場合、それらは後からくるものだと思う。」
踊りは、まずもって身体に叩き込む。極めて人為的でありながら自然と戯れるような極意とは、春風駘蕩がごとし。名人はどんなに曲がった形になっても、お尻の穴から頭の上へ、一本の棒が通っているという。どんなに激しい踊りでも、重心がぶれない、心棒から外れない。まさに、コマとは独楽と書く!
「芝居には、ストーリーがあり、共感して泣けたりとか、感情が外に出てくるものですが、本当にいい踊りを見終わった後って動けない。すごいものを見て、椅子から動けなかったことが何度かありました。芝居を見る感動と、いい踊りを見た時の感動って、種類が違う気がします。」

6. 過激な古典主義者
歌舞伎界には、こんな言葉があるそうな。
「時代に世話あり、世話に時代あり。」
歌舞伎が伝統芸能であるからには、時代物となるは至極当然。だが、どんな時代にも風俗は存在し、義理や人情もあれば、怨みや妬みの類いもあり、愛憎劇も欠かせない。だから人間喜劇として伝えられる。現代の価値観だけで歌舞伎を観ても理解が難しい。歴史を理解するということは、その時代の価値観をも飲み込むこと。そして、現代演劇として成り立たせようと試みたのが、コクーン歌舞伎であり、平成中村座であった。
しかしながら、勘三郎襲名を境に、古典主義者としての一面を露わにしたという。演劇の中心に歌舞伎があるという古き時代を、もう一度取り戻そうと尽力し始めたと。襲名の重責がそうさせたのであろうか。歌舞伎によって現代演劇をも飲み込もうとしたのだろうか。過激すぎた古典主義者だからこそ、古典を超越した創造力に駆り立てられたのやもしれん...

2017-05-21

"シンボリック・マネジャー" T. Deal & A. Kennedy 著

本棚を眺めていると、なんとなく懐かしい用語に目が留まる。こいつに出会ったのは、二十年くらい前になろうか...
80年代から90年代にかけて日本社会がバブルを謳歌していた頃、アメリカの産業はことごとく日本の製造業に脅かされ、日本に学べ!といった書が数多く出版された。しかしながら、ハーバード大学教授のテレンス・ディールとマッキンゼー社のアラン・ケネディは、こうした論調に苦言を呈す。日本の経営方式を真似ても、根本的な解決策になるとは思わないと。また、MBA分析、ポートフォリオ理論、費用曲線などを駆使する経営方式を弄しても、解決できるとは思わないと...
常に生き残ってきた企業には、近代経営学だけでは説明のつかない何かがある。同じ方法論を用いながらも、片やマンモス企業に成長すれば、片や早々に消え去る。企業とは、本来、人間による人間のための組織であるはず。そこには、きちんとした理念や価値観がある。巷では、社風と呼ばれるやつだ。本書は、より抽象度の高い「企業文化」という言葉を用いている。人が集まれば、集団の気質や個性が育まれ、それなりに理念や価値観なるものが生じてくるもので、その共通意識は文化となって現れる。健全な文化は集団の中で強い意志となり、企業体は精神的な総体となって強力となる。当時のアメリカにも、こうした企業精神を持つ偉大な企業が存在した。NCR, GE, IBM, P&G, 3M, Xerox など。その創設時の考えや方法を見直してみてはどうだろう、というのが本書の主旨である。
そして21世紀、経営陣の浅はかな行動によって危機的状況に追い込まれる企業の多い昨今、今度はこの書が日本企業に苦言を呈しているように映る...
「人が企業を動かしていることを忘れてはならない。そして、文化がいかにして人びとを結びつけ、日々の生活に意味と目的を与えているかについて、先人の教訓を学びなおさなければならない。」

なぜ働くのか?と聞けば、ほとんどの人が、お金を得るため、食うため、生活のため、と答えるだろう。だが、文化が非常に強く浸透した企業体では、心の奥底にある動機は、それだけにとどまらない。文化は強かろうが、弱かろうが、組織全体になんらかの影響を及ぼす。従業員たちの関心事は、どんな決定が下されるか?どんな人物が昇進するか?といったことから、好みの服装やスポーツや芸能にまで至り、互いの人間性にも少なからず影響を与え合う。それが、哲学的な意識や普遍的な価値観のレベルで影響し合うとしたら、どうであろう。仕事そのものが自己を高める手段となり、自己実現へと導くとしたら、どうであろう。「シンボリック・マネジャー」とは、そのような企業文化を体現する象徴的管理者のことを言う。本書は、組織の構造や戦略は、実体よりも象徴にあるという見方を示し、合理的管理者との対比から語ってくれる。
今日、MBAの取得などに躍起になる風潮がある。金儲けに直結する知識に群がるのは、いつの時代でも同じ。そもそも企業とは利潤を求める場所であり、こうした傾向が、経済的合理性という観点を与えてくれるのも確かだ。しかしながら、精神的合理性という観点からは、どうであろう。本書は、なにも合理的管理者を否定しようというのではなない。むしろ、企業の象徴的存在が別の役割を担おうというわけである。それは、独裁者のようなアクの強い管理者のことではなく、そうした頑固なタイプとは反対の人物。人間性を見抜き、育て、使い分ける手腕の持ち主。自ら英雄になろうとするよりも英雄を育てようとするタイプ。人を知るための忍耐力を人一倍具え、感受性が豊かでデリカシーに富むような、すなわち人間通の、人間観察の、人間の達人のような人間である。どうやら、カリスマ性だけでも勤まらないようである。野心家よりも淡々とした人物の方が相応しいのかもしれない。状況が変わって機能を必要としなくなれば、素早く身を引くような。管理者の立場に未練がないような。それだけ軽い存在だということを自分に言い聞かせているような。高尚な哲学者のような。
... などと書き並べれば、おいらにはまったく無縁の性格ではないか!と、二十年経った今も落ち込むのであった...

1. 文化は確実な投資物件!
社員が、互いに領分を侵すことなく、同じ方向に進めるのは、何の力によるものだろう。一つの答えは、不文律と相互理解、もう一つの可能性は、権限の分散だという。中央集権化した権限、形式化された手続き、厳格な階級制度などに強く依存することなく、自律と管理が調和した組織である。こうした傾向を文化と呼ぶからには、宗教めいたところも多分にある。ただし、盲信とはちと違う。信念にしても、理念にしても、どこか自発的な要素から発しており、しかも、自然に溶け込んでおり、強要的なものがまったく感じられない。
活気のあるチームでは、共有哲学を隠喩したような合言葉が生まれるのを、よく見かける。その合言葉が、目先の仕事、くだらない仕事を排除し、本当の意味で合理性をもたらす。そのような意識が組織全体に根付いていれば、危機的状況に陥っても少々無理がきくし、根付いていなければ、従業員は報酬額ばかりを口にしては、さっさと逃げ出すだろう。
どんな組織でも、重要な問題を解決し、利益に大きく貢献した英雄がもてはやされる。ただ、文化を根付かせ、本当の意味で持続的に貢献している真の英雄は、縁の下の力持ちの方かもしれない。しかも、そうした人物ほど表立って評価されないものである。
理念が隅々にまで行き届いた企業には、非公式でまったく形式張っていない伝達機構が存在するという。成文化されていないのが特徴で、柔軟性を持ちながらもルールは厳格だとか。共有された意識が厳格と言うべきであろうか。本書は、これを「文化のネットーワーク」と呼び、その役割分担を、語り役、聖職者、耳打ち役、スパイ、秘密結社、うわさ屋などの性格から解き明かそうとする。彼らは、悪知恵の働く連中から政治利用されやすい立場でもある。しかし、共有する哲学的意識を重視すると同時に、互いの自由意志を尊重するので、組織系統を越えた存在であろうとする。会社が理念から外れようとすれば、こうした連中が歯止めとなろう。シンボリック・マネジャーとは、文化のネットワークの成員を熟知し、彼らの活用法をよく心得ており、しかも真の英雄として暗躍し、言動そのものが経営理念を体現するような人物というわけか。ただし、企業文化を正式な声明書として記せば、聖書さながらのぎこちないものとなろう。文化の押し付けは、しばしば逆効果となることに留意したい...

2. ダミー定理と行動心理学
むかーし「ダミー定理」という用語を耳にした。それは、80対20の法則のように、真に活動を牽引しているのは少数派にあるという見方である。この定理によると、n人のグループにおいて、k人がダミーで、n に対する k の比率は 2/3 とされる。どんなグループでも、2/3 はダミーというわけだ。経済学者や統計学者は、こうした考えがお好きなようである。世の中にそんなに大勢のダミーが存在するのだろうか?自分でも意識できないような隠れた役割というものはないのだろうか?
しかしながら、こうした法則を持ち出さない限り、企業社会で高額の報酬を平然ともらっている連中が大勢いる事実を、説明できない。そして、有能な経営者がダミー定理を活用する事例が紹介される。例えば、三菱系の会長は、日本社会の終身雇用問題についてインタビューを受けた時のエピソードがある。中間管理職の職務遂行能力が低下してきたらどうするのか?終身雇用を建前としてどのように扱うのか?との問いに、会長は即座にこう答えたそうな。
「その問題については大いに研究しています。まず、彼の成績をあげるために何かうつ手はないかどうか、状況を調べます。しかし、彼の成績不振の原因がどうしても掴めない場合には、昇進させます。なぜなら、72.4 パーセントの確率で、昇進させるとたちまち成績があがるからです。」
組織内において、自分がダミー的な存在ではないか?という不安は、誰にでもあるだろう。昇進すれば、そのような不安を払拭でき、ダミー的な振る舞いを捨てるというわけだ。ある種の行動心理学である。
逆に、ピーターの法則というものも耳にする。人は能力の限界まで昇進し、そこでキャリアが行き詰まるという見方である。こちらの方が正論に見えるが、現実社会は実に多くのダミー的な存在によって成り立っている。そのダミー的な存在から真に評価すべき人物を知っているのは、管理者よりむしろサブカルチャーに身を置く連中であって、経営陣からはなかなか見えないものである。となれば、このような社会学の法則を利用するのも一つの手かもしれない。
ちなみに、ナポレオンは、ただの記章で価値のないレジオンドヌール勲章を復活させたことで、評論家たちの痛烈な非難を浴びた時に、こう反論したそうな。
「部下は、言葉ではなく、金ピカの飾りで導くものだ。」
実に皮肉に満ちた言葉ではあるが、見事に人間の本質を言い当てている。もちろん功績は認められるべきであって、認めることがさらなる偉大な動機となろうが、正当な評価がなされない組織では、むしろ文化を破壊することになろう...

3. IBMの餌づけエピソード
個性主義が行き過ぎても、はたまた画一的過ぎても、会社の活気は失われる。業界体質から、無法者を歓迎する会社もあれば、能力よりも秩序を重んじる会社もある。遊び心を奨励する会社があったり、野心や独立心を旺盛にさせる会社があったり、あるいは、少しでも集団意識から逸脱すると、けしからん!と叱られる会社があったり、企業風土というものは実に様々だ。GEで重役になれるような人物が、Xeroxでは失脚するということも、その逆もありうる。雁字搦めに規則で縛られたいM君もいれば、儀礼儀式にうるさく、官僚的な命令を下すことを好むS氏もいる。だからこそ、会社を選ぶ時は、看板や報酬に惑わされることなく、自分に合った企業風土を見つけたいものである。
ところで、アメリカ流のジョークには感服させられる。副社長の退任劇では、副社長のテーブルや椅子を彼の面前で火焙りにしたり、偉いぞ賞!でかした賞!あるいは、今週の殉教者賞など。IBM創始者の息子トーマス・ワトソン・ジュニアは、こう語ったそうな。
「餌づけされた鴨はもうどうこへも行こうとはしません。企業は野生の鴨を必要としていると確信します。IBMでは、彼らを餌づけしないように心がけています。」
すると、透かさず社員がこう返したという。
「野生の鴨でも隊列を組んで飛びます!」
この抗言は、たちまち教訓の一部に組み込まれたとさ...

4. 日本株式会社
日本企業の成功の大きな理由の一つは、国全体として、一つの非常に強い、緊密な文化を維持していることだと指摘している。個々の企業がそれぞれに強い文化を持つだけでなく、企業、銀行、政府との連繋をも含めた一つの文化を形成している。
例えば、ソニーが初めてニューヨーク支社を創設すると、これに続け!と日本電気や日立製作所などの営業マンたちが密かに集まって祝杯をあげた、などのエピソードはいまだに語り継がれる。ひと昔前、総合商社が世界各地の情報を集める重要な役割を担っていた。いわば産業界の諜報機関として。言い換えれば、政府系のシンクタンクは当てにならないってことだ。長い間、国家レベルの諜報機関が存在しないことは、我が国の弱点されてきた。外交能力の乏しい国家が経済大国にまでのし上がったのは、奇跡と言わざるをえない。
「日本株式会社とは実に企業文化の概念を全国規模に拡大したものである。」
しかしながら、成功してきた大企業でも、やはり官僚主義は蔓延する。時代にそぐわない惰性的な会計処理を見直すこともできなければ、粉飾決算として明るみになり、スキャンダル沙汰となる。社員全員で苦しみを分かち合おうってか?汚染水を川に垂れ流しするような行為に、従業員が反発しないようでは先行きは暗い。皮相的な儀礼や形式だけが継承され、企業精神ってやつはどこへやら?忘年会に欠席するヤツは査定するぞ!などと豪語する取締役がいる。集まることが団結力だと思っているようなマネジャーがいる。飲みニュケーションを優先させる空気の中で、サッカーの代表チームの試合を優先する人がいてもいいではないか。なによりも自発性、自主性が重んじられるべきであって、強迫しなければ参加を促せないとすれば、どこか間違っている。
一方で、アメリカでは、国家レベルで日本社会のように意識を一方向に向けることはできないだろう。それでも成功の陰には、個々の会社で効率的で、持続可能な文化が強い推進力として働いている。そうした意識傾向は、日本式だとか、アメリカ式だとかで区別できるものではなく、人間学の問題である。すべては、従業員にヤル気をおこさせることができるか、それを継続させることができるかにかかっている。個性や多様性が結束した時のパワーは、より計り知れないものとなろう...

2017-05-14

"失語症と言語学" Roman Jakobson 著

「失語症による損傷は、幼児の習得順序を逆に再現する。... 言語の障害のされ方はでたらめではなく、一定の法則に従っているということ、そして言語学の技術と方法論とを首尾一貫して適用していくことをしないかぎり、言語の退行現象の基底にある法則を見出すことはおそらくできないだろう。」

言語学者ロマーン・ヤーコブソンは、心理学、神経学、病理学などとも協調する学際的な立場をとり、精神科医との連携が欠かせないと強く主張する。彼が語尾を強める背景には、フロイト学派への牽制がある。当時のフロイト学派は、言葉が理解できなくなったり、話すことができなくなったりする症状を、まだ病理の方面からでしか捉えていなかったようである。進化への道と退化への道は、互いに逆ベクトルの関係にあると言えばもっともらしい。そして今、人類は進化の過程にあるのか、はたまた...

進化の過程を自然に体現する赤児という生き物は、驚異的な学習能力を発揮しやがる。言葉を覚えるというのは、かなり高度な努力が要求されるはず。なのに、おぎゃー!としか発っせないガキどもが、たった数ヶ月でクーイングから喃語へ進化し始め、やがて身振りとともに言葉もどきを発声するようになり、数年もすれば大人が理解できる言葉を操る。大人どもが外国語を習得するのに、十年かけても苦労が絶えないというのに...
幼児と大人の違いとは、なんであろう。まず知識ゼロからのスタートは、学び方に偏見がないということがあろう。金儲けのため... 地位を得るため... といった脂ぎった欲望を知る由もない。子供の純真な好奇心ほど旺盛なものはない。意味的な価値観を獲得する初期の段階では、余計な知識もなければ雑念もなく、なんでも素直に受け入れられる度量がある。
対して、大人どもときたら他人の論調を受け入れがたいところがあって、説明に困った時には、それは常識だ!と一言で片付ける。知識や技術に理解のない大人の見解は、こんな事に何の意味があるのか?こんなものが何の役に立つのか?といった類いで、芸術作品に対しても、作者はいったい何が言いたいのか?などと最低な感想をもらす。英語の学習法に対してはもっと顕著で、聴き流すだけ... といったキャッチフレーズにこぞって群らがる。インプットが少ない幼児が言葉遅れの傾向を示すのも確かで、日本語と英語の音声周波数帯が違うのも間違いなく、それなりに説得力のある文句ではある。ただ、与えられる情報量に処理能力がついていけなければ、却って害になる。鍵となるのは、音声周波数が言語脳と結びつくかどうかであって、言語脳が形成される前に単なる音として耳が慣らされてしまえば本末転倒。
結局、大人どもの意識には、楽して得をしたい!努力の見返りが欲しい!といった最小労力の原理が働くというだけのこと。そういえば、むかーし睡眠学習というメソッドがもてはやされた。大人はみな面倒臭さがり屋よ。おまけに、経験を積み、歳を重ねていくと、意識改革までも難しくなる。知識の見直しは、過去の否定になりかねない。大人どもは自己肯定を意識するあまり過去に縋り、餓鬼どもは前世の悪行をものともしないのである...

ところで、失語症の対極に、お喋り症候群とも言える病がある。お笑い芸人なら、口から生まれた!などと冗談も通じよう。会話が達者ならば、それはむしろ才能だ。しかしながら、独りぼっちでグラスに向かって話しかけているとしたら... 氷を人差し指で回しながら、君って冷たいね!ってな具合に... アル中ハイマー病患者にとっては、こちらの方が由々しき問題だ!独り言の意義とは、なんであろう。言葉を発することが精神安定剤となることがある。知識を膨らませるために、話し手と聞き手の共同作業を独りで演じきれるとしたら、高度な精神状態とも言えよう。
孤独と相性のいい芸術は、いわば独り善がりの世界。最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は騒動のうちになされる... とは、トーマス・エジソンの言葉だ。まさに哲学は自問自答を根幹に置き、自己否定に陥ってもなお心が平穏であることを要請してくる。それは自立への意志であり、自由への意志である。
言葉を武器とする小説家のような人種は、最初から精神病棟の入り口に立たされているようなもの。失語症が言葉や文脈の関係を断ち切ることによって生じるとすれば、これまた関係性からの自立、すなわち、依存症からの脱却とも言える。自立や自由への思いが強い人ほど、危険性が高いということか。自立と孤独とを混同してはならなるまい。
「自律には価値があるが、孤立は常に有害である。」
人間が精神的ダメージを受けやすい状況は、概して恐怖心との関連性が強い。精神を活性化させるには、ヨガ、瞑想、禅、茶道、華道といった外来的方法もあるが、自我が無意識に自己解決を試みるとしたら、どんな方法をとるだろうか。失語症も、独り言も、自我が試みるマインドフルネスの一種であろうか。無意識というからには自己の制御不能な領域から発するわけで、すでに自我は別の人格へ移行しているのかもしれない。
したがって、本ブログが「アル中ハイマーの独り言」と題しているからには、けして本心ではない!と語尾を強めて言い訳しておこう...

1. 恐るべしガキ!恐るべし模倣者!
周りに人がいようが、いまいが、赤子は泣く。人に振り向いてもらいたいという欲求は、泣けば相手をしてくれるという経験を重ねていくうちに後から目覚めていく。周囲との関係から存在を意識するようになると、やがて自分の居場所というものを追求するようになり、言葉は自己存在との関係から発達していく。乳幼児は喃語の時期に、多種多様な音を発する。舌打音、口蓋化子音、円唇化子音、半閉鎖音、歯擦音、口蓋垂音など。だが、単語を習得する段階になると、これらの音をほとんど消失してしまう。
ここで興味深いのは、言語習得の努力によって、軟口蓋音、歯擦音、流音などを意味論的な価値と結びつけて、再度、獲得しなおすという指摘である。つまり、知識の獲得によって、音声的豊饒から音声的制限へ移行するというのである。
言語機能の発達によって、感嘆詞や擬音語は主役の座からおろされる。幼児語が自己の中で再認識された時、音素の意味論的な傾向が言語記号と結びつき、音素の選択肢が制限される。無意識的な自由から意識的な制限への移行... とでも言おうか。知識がなければ、理性も知性も育まれない。理性や知性を獲得すれば、自ら自由を制限する力を持つようになる。言語習得の法則も、これに従うらしい。子供には、まず喋ることを教え、次に黙ることを教えよ... とは誰の言葉であったか。
幼児の学び方は、単純明快!それは大人たちの物真似から始まる。そもそも人間の創造性とは、何らかの影響によってもたらされる結果であって、いわば模倣を原理としている。ダ・ヴィンチにしても、ミケランジェロにしても、ラファエロにしても、修行時代、多くの模写に励んだ結果、自然に独創性が生じるのを待った。完全な無から創造できるのは、神ぐらいなものか。幼児の模倣は、知識を無意識に借用しつつ創造するのであって、猿真似とはちと違うようである。模倣を超越した次元で、原型から創造的逸脱を要求するような。そこに模倣の対象を選ぼうとする意志はない。書を選び、師を選び、弟子入りしたり、帰依したりするのは大人の意志だ。知識を都合よく選択によって狭め、常識と非常識を篩いにかけ、偏狭にあるのはむしろ大人の方か...
「一言にして言えば、幼児は自ら模倣されつつある模倣者なのである。」

2. 言語の対称性と非可逆性
物理学では対称性の理論が重宝される。しかも、完全な法則ではなく、対称性の破れってやつがつきまとう。人間もまた、物理学の法則に従っているのかは知らんが、だいたいにおいて対立的な関係を好み、しかも、どこか適度の自由を求めている。体系が不完全であるがゆえに進化の余地を残し、自由度と柔軟性によって秩序と無秩序までも調和させるのである。言語体系の変遷は、国語の法則などで強制できるものではない。不完全な人間にとって、完全な法則よりも法則たらんとすることが、心の休まる存在となろう...
幼児の場合、最初に鼻音と口腔音の対立が生じるという。やがて言語の最小体系に、母音と子音の対立が現れる。相対的な認識能力しか持ち合わせない知的生命体にとって、物事は区別によって認識され、二項対立によって構築されていく。それは極めて離散的な、デジタルな世界であり、シャノンの情報理論にも通ずる。自己存在を心地よいものとするには、自己優位説を唱えるのが手っ取り早く、人間が差別好きというのも頷けよう。
また、世界のあらゆる言語にある共時態には、非可逆連帯関係の法則が見出せるという。例えば、幼児の音韻体系では、軟口蓋と硬口蓋子音の習得は、唇音と歯音の習得を前提にするケースがあるとか。タタール語では、軟・硬口蓋子音を欠き、多くの言語でも軟口蓋や硬口蓋鼻音を欠くケースがあり、その場合でも唇音と歯音を欠くとか。世界諸言語で、軟・硬口蓋子音の存在には唇音と歯音が同時に存在するが、その逆は成り立たないそうな。摩擦音の習得にも閉鎖音を前提にするという。摩擦音が完全に欠けた言語は存在しても、閉鎖音のない言語は存在しないのだそうな。
ちと話は違うが、日本語でも反対語が見当たらないことがある。慣習的に反対語を必要としなかったのか。そんな時は否定文を用いればいい。論理学には、いざという時に全否定という裏ワザもある。言語体系が完全であれば、言い訳の隙も与えず、精神病から逃れる道も閉ざされよう。非可逆の法則は、人間にとって拠り所になっているのやもしれん...

3. 母音と子音
人間の身体は、息を吐く物理的構造に鼻と口の二本の管を具える。かくして最初に、塞いだ管と開いた管の対立が生じたという。口腔閉鎖音や鼻閉鎖音など。次に、一本の管と二本の管の対立が生じる。母音と子音がそれで、前者は鼻の管を塞ぎ、後者は鼻の管を開く。母音はそのままでも、子音は複雑に分化していく。多くの共存を望むならば、選択肢を増やして分岐を多様化させるのは、ダーウィンの法則がごとし。
ところで、日本語の特徴は、母音を強く発し、鼻の管を塞いだ音が強調される傾向にある。言葉を学ぶ時は書くことを基調とし、文字がそのまま発生記号の役割を持つ。
対して、英語の特徴は、子音を強調する傾向があり、おのずと発声周波数帯が違ってくる。それは、言葉を学ぶ時に喋ることを基調としているからであろう。
日本語の五十音に対してアルファベットは26文字と少ないが、発音記号を含めれば音素的にはむしろ多彩である。西洋人の中には、言葉は喋れても文字が書けないという人が意外に多いと聞く。日本人は、だいたいどちらもできる。こうした違いは、コミュニケーションの仕方にも現れる。日本人は発音に無頓着なところがあり、よく外国人から、口の動きがはっきりせず、もごもごしていると指摘される。それは、英語の L と R が区別できないことにも現れている。日本語には、音素的にカタカタで柔軟に対応できる仕組みがあるとはいえ、厳密な発声法は表記できないのである。
さて、幼児の言語習得では、最初の母音対立は、最初の子音対立より後だという。それゆえ、子音が既に弁別的機能を満たしているにもかかわらず、他方で、一つの母音が子音の変種のような素材でしかないような段階があるとか。
また、音素的価値と記号的価値はどちらが原始的かは、失語症にも現れるようである。精神科医の観察から、言語障害では、第一に鼻母音が消失傾向にあり、同時に流音の対立も消失しやすいという。第二次母音は第一次母音より消失しやすく、摩擦音や半閉鎖音は閉鎖音へ変わり、軟口蓋子音は口腔前方子音より先に失われるという。そして、唇音と母音の A が、破壊に対抗する最後の音素だそうな。
老人が口から名詞がとっさに出てこなくて、あれ、これ、それ、などと代名詞に頼ろうとするのも、外国人との会話で、大袈裟なジェスチャーに頼るのも、とっさに言葉が出ずに、えー、んー、などと発声してリズムをとるのも、ある種の失語症に見えてくる...

4. 失語症タイプを区別する二分法
病理学的には、言葉が理解できない感覚性失語症と、言葉は理解できるが話すことができない運動性失語症とに分類されるが、ここでは、言語学的に六つの失語症タイプを紹介してくれる。言葉が理解できなければ黙るしかなく、理解できても口から言葉が出てこなければ、やはり黙るしかない。結局、同じことと言えばそうなのだが、治療法となるとやはり複雑である。ヤーコブソンは、失語症タイプの基礎に三つの二分法を置く。

第一の二分法... 符号化障害 対 解読障害
符号化障害では、構成要素が正常でも文脈で障害を起こし、逆に解読障害では、文脈が正常でも構成要素に障害を起こすという。前者は、結合や近接性における障害で、後者は選択や類同性における障害であると。
文脈が組み立てられなければ、統辞的な関係が崩壊し、支離滅裂となる。一方で、単語が貧困化すれば、選択の余地をなくし、文体までも貧素になる。ただ、二重否定のような構文は、正常者であっても理解が難しいし、難解な哲学書が誰でも理解ができるとは思えないし、誰でもどこか符号化障害や解読障害のようなものを抱えているのであろう...

第二の二分法... 制約 対 崩解
第一の二分法から薄められた型があるという。符号化障害の中の動的失語タイプと、解読障害の中の意味性失語タイプである。符号化障害にともない、視覚像をもった夢が抑制されるという症状もあるそうな。符号信号から視覚信号へ変換される際の崩解という見方もできそうか。
正常な言語では語類と統辞機能との間に区別があるが、意味性失語症ではこの二重性が失われるという。操る語が制約されると、言いたいことが制約され、精神までも制約を受ける。単語がある文脈に固定されて、言葉がやけに形式的になるのも、ある種の制約と言えよう。制約と崩解は、対立関係というよりは表裏一体に見えてくる。動的失語は静的文脈に支配され、自ら自由を束縛にかかる。意味性失語は統辞規則を単純化し、自己を窮屈にする。そうなると、義務的規則も考えものだ。礼儀作法で多用される決まり文句や書式の慣習化は、便利でありながら思考を低下させかねない...

第三のニ分法... 連続(継時性) 対 共起(同時性)
言語系が破壊されれば、単語と単語、文と文における、連続性か、同時性か、のどちらかが障害されているのだろう。もっと言うなら、精神病のほとんどは、なんらかの時間的関係性を失った状態なのだろう。自己防衛本能が、都合の悪い関係性を自動的に断ち切ってくれることは、ありがたいことではあるが...
中でも興味深い病状に、求心性失語と健忘性失語を紹介してくれる。求心性失語は、同時的結合における符号化障害で、健忘性失語は、継起的選択における解読障害だという。前者は、言語の音連続における共起的構成要素の配列のみが関与する近接性障害で、後者は、純粋な類同性に基づいた文法的連続体のみが関与する類同性障害であるとか。求心性失語は弁別素性の近接性における障害で、健忘症失語は語配列の類同姓における障害ということらしい。
同音異義語や類音異義語を弁別するには、文脈から判断しなければならず、これらを多用するのにも高度な技術が要求される。音素的に調和する詩文的な技巧にも、連続性と同時性が多分に関与する。文面に語呂合わせが出現するのは、高度な精神状態の表れであろうか。となると、音律的な駄洒落も高度な技術の一つと言えよう。酒に酔うと駄洒落がでやすくなるのも、この手の障害であろうか。ちなみに、あるバーテンダーは「酒に落ちる」と書いて「お洒落!」などと能書きを垂れていたが、棒が一本足らんよ!

2017-05-07

"家飲み&外飲みがもっと楽しくなるカクテルの話" 佐藤喜代八 監修

音楽鑑賞にアルコール成分が欠かせないように、アルコールをやる時には、BGM が絶対に欠かせない。どちらが主役かって?どちらでもいいではないか。トスカニーニが軽快なコスモポリタンを引き立てれば、フルトヴェングラーが濃厚なアブジンスキーを演出してやがる。それはアプロディテ的な女神の誘いか、それともファウスト的な悪魔の囁きか。マスターに「コスモポリタンのフローズンって作れないの?」と挑発すると、これがフローズン版の別名「コスモポリちゃんです!」とすぐに応じてくる。客の方はというと、既に「アブちゃん好きー」状態でチャイコフスキーとの区別もつかないときた。さらに、スピリタスで追い打ちをかければ、96% の人格が崩壊する。これは、天国への道か?地獄への道か?どちらの道を行こうが、本人が気づかなければ、しらふでも同じことではないか...

バーには、大人のこだわりが満ち満ちている。バックバーは、バーテンダーの鏡!と言われ、ボトル群の背景がバーテンダーの後ろ盾となって、君に酒の味が分かるのかい?と挑戦状を叩きつけてくる。店の雰囲気はオーセンティックに演出され、生け花やお香といったささやかな演出もあり。そうなると、客だって勝負せずにはいられない。必死に予備知識を身につけてスマートにオーダーしようと。ホットな女性を連れていれば尚更だ... などと息巻いていたのは、二十年くらい前であろうか。くつろぐための場所で、なぜこうも緊張感を煽るのか。
しかし今では、オーダーせずとも、「これ飲んでみて下さい!」と勝手に出され、注文の仕方がまったく分からなくなっちまった。ある種の自動化システム!人間ってやつは、贅沢に慣らされると思考が停止する。いや、カウンターでは余計なことを考えず、人生について考えよ!と導いているに違いない...

かつて錬金術師たちは、蒸留してできる強いエキスを、ゲール語で Uisge-beatha(ウィシュケ・ベーハ)と呼び、これが訛ってウィスキーと呼ばれるようになったと伝えられる。そう、「生命の水」って意味だ。こいつを飲み干すことによって幸せになれるなら、まさに魔術!
はたまた、ワインから蒸留の過程を経て、これにキリスト教が結びつくと、ラテン語で spirit と呼ばれた。そう、「聖霊」って意味だ。蒸留技術とは、実に恐ろしい。腐った液体を昇華させ、聖者の血とさせるのだから。蒸留崇拝はジン、ウォッカ、テキーラ、ラムへと受け継がれ、いまや世界四大スピリッツとして君臨している。
さらに恐ろしいことに、アルコール濃度に比例して口元の筋肉までも操られ、真実の血清と化す。俗に言うレディキラー・カクテルってやつを企てたところで、自白させられるのはこっちの方だ。そして、マダムキラーはマダムにやられる。
パンチの強いレディたちにも御用心!ピンクレディ、ホワイトレディ、パッシモレディが妖精のごとく色鮮やかに誘惑してきても、半分以上はドライジンだ。ローズカクテルにも、棘があると分かっちゃいるが、つい手が出る。血塗られた女ブラディメアリーときたら、トマト風味が優しく、心地よい眠りへといざなう。身ぐるみ剥がされぬように...
いくら飲みやすく、柔らかく、ブレンド、ビルド、ステア、シェークと技を駆使したところで、脳内に分泌されるアルコール成分は足し算とはならない。掛け算か、いやもっと強烈な冪演算か、いずれにせよ廃人への道をまっしぐら。
そして、女性に向かって、君に酔ってんだよ!とピロートークを仕掛けても、心の中では、氷に向かって話しかける。君って冷たいね!と。ウィリアム・ジェームズという人は、うまいことを言う... 人生は生きるに値するか?それはひとえに肝臓にかかっている... と。

1. カクテルの定義
カクテルの定義は、「ベースに何らかの材料をまぜたミックス・ドリンク」だそうな。そして、ソーダー割りも、水割りも、カクテルの一種だという。チューハイとサワーの違いもよく分からんが、焼酎を炭酸で割れば、これもカクテルの一種ということになる。ノンアルコールも何かを混ぜれば、これもカクテルか。風邪っぽい時に卵酒を飲んだりするが、これもカクテルか。
この定義からすると、カクテルという用語はともかく、その始まりはかなり古いことになる。古代ギリシャ・ローマでは、ワインは濃縮して保存したために、飲む時には水で割る習慣があったという。古代エジプトでは、水で薄めるだけでなく、ビールにハチミツやナツメヤシなどを加えて新たな風味を加えたという。中国の唐では、ワインに馬の乳を混ぜて発酵させた乳酸飲料が飲まれたという。中世ヨーロッパでは、ワインにスパイス、砂糖、シナモンなどを混ぜて飲んだとか。
製氷機が誕生したのは1870年頃、ミュンヘン工業大学のカール・フォン・リンデ教授によって発明されたと伝えられる。バーで氷が利用できるようになったのは19世紀頃で、冷たい飲み物としての本格的なカクテルは、それからということになる。
また、コロンブスが発見したのは新大陸だけじゃない。新大陸から持ち込まれたものは、トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、トマト、カカオ、煙草、ブドウ(ラプスカ系)、パイナップル、バニラ、トウガラシなどで、酒の飲み方に大きく影響を与えた品々である。
ところで、ノンアルコールでもバーで飲めば、不思議と酔えるらしい。いや、何か盛られているに違いない。その証拠に、毒を盛ってくれ!とバーテンダーに目で訴えている旦那を見かけた...

2. カクテルという名の由来
cocktail とは、雄鶏の尻尾という意味。本書は、この由来について四つの説を紹介してくれる。いずれもアメリカ大陸で生まれた説か。

「樹の枝説」
場所は、メキシコのカンペチェという港町。イギリスの船員たちが酒場で飲まされたのは、ラムやブランデーにいろいろなものを混ぜた飲み物だったという。当時のイギリスでは、酒はストレートで飲むのが当たり前だったとか。そこで、カウンターの中で木製のスティックで混ぜている少年に、それは何?と船員が聞くと、少年はスティックのことを聞かれたと勘違いして、スペイン語で「コーラ・デ・ガジョ(雄鶏の尻尾)」と答えたという。木の皮を剥いでつくったスティックが雄鶏の尻尾に似ていたとさ...

「鶏尾説」
独立戦争の頃、酒場の女店主が反独立軍の大地主宅に侵入し、自慢の雄鶏を盗みだしたという。雄鶏を調理して、オリジナルのさまざまな酒をまぜてつくって、ふるまい、美しい尾は酒の瓶にさして飾ったとか。これが、女店主のオリジナルドリンクとなったとさ...

「コクチェ説」
ニューオリンズにあるフランス人店主の薬局で、薬草酒とコニャックをまぜたコクチェが売られていたという。やがて、コクチェが「複数の酒をまぜたもの」の総称となり、アメリカ風に訛ったという。もとはフランス人がつくった薬草酒だとさ...

「闘鶏説」
自慢の闘鶏を盗まれた田舎町の旅館の店主。父を気遣った美しい娘は、闘鶏を見つけたものと結婚すると発表したという。眉目秀麗な兵士が闘鶏を持って現れた祝いに、自宅にある酒をまぜてふるまったとか。その闘鶏の美しい尾を称えた祝酒だったとさ...

3. 禁酒法とタイアップ
悪法と呼ばれた禁酒法は、なぜ成立したのか?プロテスタントの牧師や女性信者は、反移民、反カトリック運動として禁酒運動をやったという。ヨーロッパ系移民が、酔っ払っては暴力や犯罪を起こしていたとか。酒好きのアイルランド系移民にカトリック教徒が多いことも影響したようである。そして、1920年の選挙で女性参政権が認められ、賛成派多数で成立。
しかしながら、道徳によって厳しく処罰するほど、人間ってやつは、より巧妙な手口を編み出す。必要悪を完全に禁止すれば、アングラ界が活況となるは必定。麻薬のごとくマフィアの主力ビジネスとなり、取締官との癒着、買収が横行。地下へもぐった酒場では所場代や用心棒代を請求。おまけに粗悪な密造酒が出回り、美味く飲むための技術が進化し、腕のいいバーテンダーが引っ張り凧となる。合法的に飲むには、禁酒法施行前に大量に買い込んだ酒を飲むか、処方された薬として飲むか、国外へ行くか。そして、アメリカの禁酒法時代にバーテンダーの輪が世界に広がったとさ...

4. 世界最古のアルコール
世界最古のアルコールは、ブドウを発酵させて醸造されたという。つまり、ワインだ。誕生の歴史は明らかではないそうだが、紀元前二千年頃に成立した最古の文献「ギルガメッシュ叙事詩」の粘土板には、こう彫られているという。
「ノアは船大工たちに牛や羊を殺して与え、赤葡萄ジュース、酒、油、白葡萄酒を飲ませて、方舟をつくらせた...」
また、紀元前四千年のメソポタミア文明初期の遺跡から、ブドウを搾る石臼が発見されているという。ただし、古代のワインは、神に捧げる供え物という意味が強かったようである。
やがて、「パンはわが肉、ワインはわが血」というキリストの言葉がヨーロッパ各地に広まり、王侯貴族や修道院が、神の気を引こうと競ってワインの品質を向上させてきた。さらに植民地時代に、宣教師の派遣で、アメリカ、アフリカ、オーストラリアなどにもワイン作りが広まった。

5. ラムと奴隷制度
ラムの歴史には、悲しい奴隷制度の影がつきまとう。ラムの故郷はカリブ海の西インド諸島で、その誕生はサトウキビが持ち込まれたことがきっかけだったという。ラム誕生には、スペイン探検家が蒸留技術を西インド諸島に伝えたという説と、蒸留技術を持ったイギリス移民がつくり始めたという説の二つがあるとか。
現地人の「酔って興奮した(ランバリオン)」という状態を表す言葉が語源になったというのが通説だそうな。ヨーロッパ、西インド諸島、アフリカという大西洋における三角貿易の発展は、奴隷制度の産物ということもできよう。
尚、行付けのバーでは、ラムの良さを教えてもらい、よくストレートで頂いている。おらいはラムちゃんの奴隷だっちゃ...

6. テキーラの厳しい基準
このメキシコの酒は、偶然の産物のようである。18世紀のスペイン統治時代、ハリスコ州テキーラ村に近いアマチタリヤ山で大きな山火事があったという。焼け跡には、たくさんのマゲイ(竜舌蘭の一種)が黒焦げて、甘い香りを漂わせていたとか。村人が何気なく潰して舐めてみると、甘くて美味しいことから、やがて蒸留して誕生したと言われる。
1902年、植物学者ウェーバーが最適な竜舌蘭の品種を特定し、「アガベ・アスール・テキラーナ」と命名したという。メキシコには竜舌蘭が約400種類も生育しているが、テキーラ村を中心とする特定地域で栽培される、この品種を使った蒸留酒だけが「テキーラ」と名乗ることができるそうな。公認生産番号が与えられ、製造方法もハリスコ州の政府機関に厳重に管理されているという。