2007-03-25

"人を動かす" Dale Carnegie 著

「道は開ける」の姉妹書なので、ついでに読んでみた。
タイトル通り"人の心を動かす"秘訣を語ったものである。
本書を読んで、ほとんどおいらと逆の事ばかりである。読み終わって、おいらの人格を否定されたような気分で落ち込むのである。どうやらアル中ハイマーは、人を動かそうなんて思ってはいけない人種のようだ。では、普段ベロンちゃんのアル中ハイマーが、どこかへ落ち込んでいく様をざっと眺めてみよう。

「批判も非難もしない。苦情も言わない。」
人間とは、どんな悪人でも自分を正当化しようとするものである。他人の批判はなんの役にも立たない。自尊心を傷つけられ、反抗心を生むだけである。人を非難することの無益さを理解しなければならない。と語られていく。
おいらは、いつも批判めいたことや愚痴ばかり言っている。一種のストレス解消だ。そして誰も相手にしなくなる。唯一の友は酒である。あれ?もしかして孤独?知らなかった。落ち込みの第一波が押し寄せる。

「率直で誠実な評価を与える」
人を動かす秘訣は、自ら動きたくなる気持ちを起こさせることである。人間の持つ最も根強い衝動は「重要人物たらんとする欲求」である。と語られていく。どんな人間でもお世辞に弱いものである。しかし、お世辞とわかれば逆に嫌われる。人間は自分自身の存在価値を認めてもらいたいと考える。特に歳を重ねるとその傾向は顕著になるようだ。生きてきた以上は当然のことである。重要ポストなどについている人は、決定事項を素通りすることを好まない。なんでも仲介役を買って出たり、忙しくしてないと気がすまない人が多い。そのわりに重要なことをサボったりする。そして、肝心なときに席を外したり、責任を負わないことはよくある。
アル中ハイマーの存在価値は有るか?無いか?という問いには、当然有ると答える。じゃ、賭けをしようと持ちかけられたら、当然無い方に賭ける。おいらは賭けに負けることが大嫌いなのだ。
書いていてなんか虚しい!落ち込みの第二波が押し寄せる。

「名前を覚える」
相手への最低限の礼儀であろう。アル中ハイマーが最も苦手とするところである。久しぶりに会って、その人の細君や子供、趣味などを尋ねると、和むものである。アル中ハイマーには、こうした記憶力がない。しかし、逆に覚えられることはよくある。妙な特徴があるのだろうか?いや普通の紳士である。
いつか、東京駅のホームで偶然、高校時代の知人に会った。声をかけられ、なんとなく顔はわかるのだが名前が思い出せない。とうとう我慢できずに聞いてしまった。最後まで我慢すれば不快な思いをさせずに済んだであろう。アル中ハイマーには決して珍しくない出来事である。あだ名がわかっても、本名を知らないなど、ざらである。友人の結婚式に招待されて、初めて本名を知る。
ただ、夜の社交場で隣に座った女性の名前を覚えるのは天才的である。んー。落ち込んでいいのやら悪いのやら?わけがわからない。落ち込みの第三波のようだ。

おいらは、珍しい名前なので、幼いころから先生にからかわれるのである。学校の先生は多分仲良くなろうとして冗談で言うのだろうが、本人にしてみれば、いじめである。こうした幼い頃の体験は、病的になるか反抗的になってしまう。おいらは天の邪鬼になった。
そうした中、高校時代、物理の先生には感動した。
おいらのクラスは、たまたま珍しい名前の生徒が揃っていた。どの先生も珍しいからとおもしろがっていたにも関わらず、その物理の先生だけは、初対面で全員の名前をフルネームで完璧に読み上げて出席をとった。事前に調べてきたのである。おいらの名前は性が珍しいのと、名は当て字で微妙に読み方が違う。初対面でフルネームで完璧に読まれたのは、これが最初で多分最後であろう。このような気配りのできる先生を嫌う理由がない。以来物理が好きになるのである。まさしく、"人を動かす"秘訣である。ところでその先生の名前なんだっけ?

「話上手とは、聞き手にまわることである」
おいらは、人の話をじっくり聞ける人や穏やかに話せる人に憧れる。落ち着いて品が高そうに見えるからである。おいらは、ほとんど人の話を聞いていない。自分で喋っているからである。言いたいことは、つい言ってしまう性格なのだ。これはマズイ!
第何波だっけ?波に揺られて酔ってきた。いや君に酔ってんだよ!

「相手の身になる」
相手の自尊心を傷つけずに説得するなど至難の業である。
ガリレオ曰く「人にものを教えることはできない。みずから気づく手助けができるだけだ」
自分の誤りを直ちにこころよく認めるなど、なかなかできないだろう。おいらは自分で楽しもうとすることしか考えない。それで他人も楽しめればOKである。おいらは、自分ならどう思うかと置き換えることぐらいしかできない。他人のことを理解することなど難しくてできないと半ば諦めている。
航空家で作家のサンテグジュペリの言葉を引用している。
「相手の自己評価を傷つけ、自己嫌悪におちいらせることを言ったり、したりする権利は私にはない。大切なことは相手を私がどう評価するかではなく、相手が自分自身をどう評価するかである。相手の人間としての尊厳を傷つけることは犯罪なのだ」
おいらは犯罪者なのだ。どこまでも落ち込んでやる。波乗りは気持ちええのだ。

本書の要約を見つけた。
「相手の自尊心を尊重しなければならない。批判によって人間の能力はしぼみ、励ましによって花開く。」
本書では、当り前のことが並べられている気がするのだが、分かっているつもりでも実践できていないことはよくあることだ。おいらは気が短いので、なかなかできないことが語られていて頭が痛くなってきた。ちょっと飲み過ぎたようだ。
「自分のことだけしか考えない人間は教養のない人間である。たとえ、どれだけ教育を受けても教養が身につかない人間である。」
おっと言葉まで突き刺さる。おいらは随分相手を傷つけてきたことだろう。よく友人に注意される。アル中ハイマーは無神経人間で通っている。実は、照れ屋だから酔っている振りをしているのだ。いや、本当に酔ってるのかもしれない。もはや波と共に神経がどっかへ行ってしまったようだ。

結局、どこに落ち込んだのだろう?アル中ハイマーは酒に落ちるのである。
ちなみに、「酒に落ちると書いて"お洒落"と言う。」とは、某バーの記念パーティーのマスターの台詞である。おいらは、なるほどと感動した。しかし、感動して損した。お洒落は酒ではない。横棒が一本ない。
そして甲高い声で叫ぶのだ。この詐欺野郎ー!

2007-03-18

"道は開ける" Dale Carnegie 著

アル中ハイマーには、あまり縁の無い本にぶつかってしまった。本書のテーマは「悩み」である。
「人間の悩みについて、どうやって対処したかの実証記録である。欠点は無知ではなく無為である。古来の根本原理を再述し、現代風に書き直した。」
と前書きされている。なぜこんな本を読んでいるのだろう?昔でも思い出しながら、ちょいと潜在意識を覗いてみよう。

大抵の悩みは未来に対する恐れからくるとある。
未来の重荷まで今日背負うと、どんな強人でもつまずくだろう。真の心の平和は、最悪の事柄をそのまま受け入れることにより得られる。そして、もはや失うものがなくなる。開き直るのである。人々が怒り、混乱し、人生を台無しにするのは、最悪の事態を受けれようとしないからである。逃避から、うつ病の犠牲者となる。
ということが語られていく。

おいらは子供の頃から学校嫌いで出席日数もギリギリで義務教育を卒業している。小学6年生ぐらいから高校2年生ぐらいまで続いた。悩みというよりは学校に行くのが面倒だったのである。普通の登校拒否とも違うと先生が言っていた。先生が居なくても教科書を読めばええじゃんって思っていたし、時間の無駄だと思っているなど、ただのひねくれ者だったようだ。
周りは体が弱いと思っていたようだ。そう思われるのは都合が良かった。けっして体が人一倍弱いわけではない。強いわけでもない。ただ意思が弱かった。
興味もないものに意思を持つことの方が難しい。しかし当時は、そうした無気力状態に落ち込んでいた。当時から、悩みとはなんぞやという事について考え伏せていた。アル中ハイマーにもこうした暗黒時代があったことを誰も信じてくれない。

「悩みに対する戦略を知らないものは若死にする」とある。神経症入院患者は、無力感、欲求不満、不安、苦悩、恐怖、絶望が原因である。プラトン曰く。「医師の犯かしている最大の過失は、心を治療せずに肉体を治療することだ」
おいらは、最近よく健康診断にひっかかる。つい気まぐれで3年ほど前病院へ行った。たまには看護婦さんを眺めるのも精神衛生に良いと思ったからである。すると、脳梗塞!即入院!今では毎月検診を受けているが健康過ぎて困っている。事業の成功と健康を引き換えにするなら、おいらは健康をとっていると言えよう。
生活習慣といえば、眠くなれば寝て、自然と朝4時過ぎに目が覚める。朝は散歩、昼寝を1時間、夜は0時過ぎに寝る。仕事の気分転換にバイクで海岸線まで走り、風にあたり、煙草を一服。夜は大人の社交場へと消えていく。
事業者の"負け犬の遠吠え"とは、"健康を勝ち得た!"と叫ぶことである。

「悩み解消法は、事実を把握、分析、そして、決断、実行」とある。悩みの大半は、判断の根拠となる知識が十分でないのに、あえて判断を下そうとするから生じるとある。
人間は、思考する努力を省きたいために、あらゆる方便に頼ろうとするのだろう。自分を正当化し好都合な事実や、抱いている偏見を正当化する事実だけを望む。しかも、自分の悩みを他人に強いる人までいる。おいらは現実から逃避する手段として、仕事とは別に計画を練ったり、思索にふけったりする。そうすると、悩んでる場合ではないということに気づかされる。こうした行為は、いままで避けていた分野でも自然と興味が湧くから不思議である。興味がないことに対して無力であることは、学生時代に証明済みなので無理なテーマを掘り起こすことはない。ただ、いろいろと目が移り本業がだんだん馬鹿らしくなるから困ったものである。今では本業が何だかわからない。アル中ハイマー本領発揮である。
ここで、アル中ハイマーの持論を上げよう。
・生きるとは、死までの暇つぶしである。
・生きがいとは、死の恐怖から逃れる手段である。
・多忙とは、神経疾患への麻酔薬である。
・哲学とは、暇人の学問である。
・暇とは、不安と葛藤する勇気を養う時間である。
・天国と地獄があるなら、まさしくこの世である。
 生きがいがあれば天国。生きがいが無ければ地獄。
ほんの少し悩みを分析すれば、このような言葉を思いつくことは容易である。しかし、誰かの思想をコピーしているものもあるかもしれない。自分の考えだと自信を持っていても無意識に感化されてることはよくある。そもそもアル中ハイマーに自意識があるかは分析不能である。

「物事があるがままに受け止めよ!」避けられない運命があると語られている。人間、努力すればなんとかなるという人がいる。学校教育とはそうしたものである。絶対的に支配される何かが存在し、それを受け入れる心構えがあってエゴから解放される。おいらには身近に先天的知的障害者がいる。少々わがままで、深夜に踊りだしたりするので、鬱陶しいこともある。昔はあまり人前に見せたくないなど、くだらない気配りをすることもあった。今では慣れたせいか、他の人には体験できない境遇にあることを感謝している。

悩みを完全に克服する方法として、神に祈ることを上げている。宗教に頼るのが手っ取り早いのだろう。カントも「信仰が必要ならば神を受け入れれば良い」と言っている。カリスマなんたらというのがマスコミに取り上げられるのも仕方のないことかもしれない。おいらは無宗教なので信じるものがない。また、苦悩を正面から受け止めるほどの度量も持ち合わせない。よって屁理屈で武装するのである。

悩みを予防する方法に休息が良いとある。精神分析医に言わせると疲労の大部分は精神的、情緒的態度に起因するのだそうだ。半時間の昼寝など。筋肉をリラックスさせると自然と悩みを忘れられるそうだ。おいらは、1時間昼寝をすることが多い。眠い時だけで無理に寝ようとはしない。元々不眠症に悩んでいた時期があり、睡眠薬を処方してもらっている。しかし、眠くない時に寝る方が疲れる。眠ろうとする焦りが逆にストレスになる。
おいらは睡眠薬を飲んで睡魔と闘う遊びをおぼえた。眠くなった時にどこまで起きていられるかという遊びである。そして、いつのまにか意識をなくす。目が覚めた時は別世界である。本当に記憶が飛ぶ。麻薬ってこんな感じなんだろうか?病み付きである。こうして10年ぐらい不眠症を楽しんでいる。最近はよく眠れるのでおもしろくない。
尚、ここでいう睡眠薬とは酒ではない。本当に薬局で扱っている薬だ。ほんまだって!最近、真実を語っても信じてもらえない。これがアル中ハイマーの悩みである。

前半は、悩みの根源や分析について語られていて意外とおもしろく読めた。しかし、後半は、前向きに陽気でなどと一般的な決り文句が続くので少々退屈してしまう。本書を選択した読者は悩み悩んで辿り着いた人だろうから、それでちょうど良いのかもしれない。
おいらは悩むのもいいことだと思っている。前向き過ぎるのも問題である。少々心配事があるぐらいでちょうど良い。そうでないと理性のバランスが保てない。
アル中ハイマー・ツェッペリン曰く。「ジンとベルモットのバランスを保つことが悩みを取り払い、天国への階段は開ける。」

2007-03-11

"決断力" 羽生善治 著

3/2 将棋のA級順位戦の最終戦が一斉に行われた。
某国営放送が「将棋界の一番長い日」と題するこの日は、毎年仕事をせずに観戦することにしている。恒例ではあるが、またまた感動させられるのである。

やはり一番の注目カードは、佐藤棋聖 vs 久保八段だろう。佐藤棋聖は連続勝し越し記録がかかっている。久保八段は降級がかかっている。
おいらは、いきなり序盤から驚かされた。戦形は相振り飛車。後手番の佐藤棋聖は9一玉へ一直線で穴熊に入る。これを見て久保八段は8筋に振った飛車先の歩を交換する。そして、久保八段が8五飛と引いた瞬間。おいらは、ええっ?っと思わず声を発した。
この飛車が2筋に回ったら、角頭を防ぐには3三に飛車を浮くしかない。これは自分の角道も塞いで、飛車も動けない状況になる。だからといって8筋に歩を垂らされるのも辛い。どちらを防ぐのか?玉に近い8筋を優先して2筋は飛車を浮いて防いだ。久保八段の角道に飛車があたるのは覚悟の上だ。
佐藤棋聖が指した9一玉のタイミングは、もしかしてチョンボ?まさかA級棋士が序盤の序盤に?おいらなら、やる気をなくして投了しそうな場面である。
プロ棋士によっては、攻めさせるための誘いの手だったと解説している人もいる。それにしても、8五飛のタイミングで佐藤棋聖が長考するのは妙である。しかし、後に佐藤棋聖が優勢と思わせる場面もあるから、やはり誘っていたのかもしれない。その後、繰り出す手が不可解?勝負手?実は、形勢が苦しいとみての思い切りだったのではないか?気持ちは佐藤棋聖を応援していたが最後は投了。いつのまにか勝敗などどうでも良いと思っているのである。
真相は不明であるが、おいらには到底計り知れないレベルで感動するのである。達人がやるとポカも妙手になるのだろうか?この真相を解説したサイトを現在も探索中である。将棋チャンネルの中川七段の解説で、実は最後の最後に大逆転の妙手もあったと知って、またまた感動するのである。

すっかり気分が盛り上がってしまったアル中ハイマーは朝一番で書店に走った。将棋関係で心理面などを解説した本が読みたくて探していると、本書を見つけるのである。

将棋は一見ロジックの世界のようであるが、本書は冒頭からメンタル面の重要性が語られている。
まあ、数学の世界に似ているのだとは思うのだが、フィールズ賞の小平先生の数学は高度に感覚的な学問であることを「数覚」と言ったことを持ち出している。
定跡を研究すれば、60手、70手ぐらいまで正確に指すことができるが、知識を知恵に昇華させないと勝てない。情報化社会では新手の研究は報われない。著作権はない。だからといって諦めては流される人生になる。こういう時代だからこそ、自分なりのスタイル、信念が重要である。
経験と机上の研究とは深みが違う。経験を積むことによりネガティブになるが、このマイナス面に打ち勝つ理性を同時に成長させないと経験を生かすのは難しい。
といったことが語られていく。
棋士は、数学と同じで複雑系を定跡という形で体系化しようと努力しているが、結局、ぎりぎりの勝負で力を発揮できる決め手は大局観と感性のバランスであるということのようだ。

また「決断とリスクはワンセット」などで、ビジネスの世界にも少々踏み込んだ場面もある。
「物事を進めようとする時、まだ、その時期ではない。環境が整っていない。とリスクばかり強調する人がいるが、逆説的に言えば、整っていない環境は良い環境だとも言える。日本は同質社会ということもあって、このバランスが悪いと思う。リスクを負わない人がいる一方でリスクばかり負わされる人がいる。決断を下さない人に減点がないから決断を下せる人が生まれてこないのではないか。自己責任という言葉を最近よく耳にするが、リスクを背負って決断を下す人が育たないと、社会も企業も現状の打破にはつながらないだろう。」
同じ発言でも、ある分野でトップを極めた人間の言葉は重い。アル中ハイマーが同じことを言っても、飲み屋の姉ちゃんからハイハイでおしまいなのである。

将棋というと、アル中ハイマーはずっと疑問に思っていることがある。
先手と後手どちらが有利か?である。プロ棋戦の勝率をみると圧倒的に先手が良い。数学的にも選択幅が多い分、先手が有利なような気もしないでもない。しかし、内容を見ると後手番が戦形を試している節もある。プロ棋士は後手が不利と最初から意識しているからかもしれない。こうした心理が数字を助長しているようにも思える。
本書では、カーネギーメロン大学の金出先生の
「将棋の指し手の可能性は10の30乗ぐらいあり、地球上の空気に含まれる分子の数より多い。アボガドロ数に達する数にはコンピュータも答えられない。」
を持ち出して、プロでも将棋のことは意外とわかっていないということも語っている。
実際、戦いが始まると、仕掛ける側は予め駒損を覚悟しなければならない。極めつけは、最近有効な戦法とされている「一手損角換わり」である。後手から仕掛けると2手遅れることになる。わざわざ一手損戦法が使われるから、更に疑問が深まるのである。
また、谷川 vs 羽生の対戦成績だけをみると、著者から見て先手番よりも後手番の方が勝率が良い。これが、佐藤戦、森内戦となると、明らかに先手番の勝率が良い。本書では谷川九段に対する特別な思いが伝わる。
「谷川先生とは200局はいきたい。他の人と比較しても、谷川さんと私との対局は一番多いものとならなければならないと思っている。谷川さんとは対局を離れるとほとんど会話をしないが、最も理解しあい信頼できると自負している。」
と語っている。この二人の対戦成績には重みが伝わるのである。

先手と後手という意味で語られているとしたら、本書ではこの部分が一番近いような気がする。相手に手を渡すことの難しさと重要性が語られている。
「できるだけ可能性を広げて、マイナスにならないようにうまく手を渡す。相手に自由にやってもらい、その返し技をかけることが重要である。この選択は気持ちに余裕がないとできない。それなりに対応できる自信、手応えがあって手を渡せる。確固たるものではないが、好調な時ほど、そうしたものである。」
ここだけ読むと後手番が気楽なようにも思える。素人でも先に仕掛けると手を作る難しさがあるが、受けに回ると気楽な面もある。もし、勝ち負けしか意識しない将棋の神様が二人いて対戦すると、ずっと駒がぶつからないような気がするのである。

ちょうど先日、王将戦第六局(羽生 vs 佐藤)があった。
先手番の羽生はあっさりと千日手にして指し直しとなった。指し直し局は後手番で熱戦の末負けた。本当に先手番が有利ならば、もうちょっと工夫してもいいのではないかと思って観ていた。過去の対戦からの流れもあるのだろう。このような駆け引きは奥が深くて理解できない。また、いままでに勝ったことが無い手順をわざわざタイトル戦で採用して負けてる場面もある。佐藤棋聖も同じように、不利と言われている戦形をわざわざ採用して、やっぱり負けてる場面もある。これらの行動は理解不能であるが、逆に魅了されていくのである。
本書にこうした行動に対する答えがあった。
「自分の熟知した戦法ばかり採用していると、長い目で見ると必ず現在のポジションを失う。最近では相振り飛車を使う。プロの間ではあまり使われない戦形である。いままでに千局以上対局してきたが、十局も指していない戦形だ。相手は熟知しているエキスパートだ。経験がほとんどないからあえなく撃沈である。それは先行投資のための授業料を払ったと思っている。勝ちを優先することは、企業で言えば目先の利益を優先することである。」
大一番では安全な手法をとりがちになるのは当り前であろう。著者もそう述べている。しかし、確実という気持ちに逃げると、逆に勝ち続けることが難しくなるという。なるほど、納得である。負けるとわかっていても、あえて挑戦しているように思えたのは間違ってはいなかったのだ。
アル中ハイマーの眼力も捨てたもんじゃない。こうして自分に酔っていくのである。いや!アルコールに酔ってるのかもしれない。もはや何に酔ってるかわからない。アル中ハイマーとはそうした病気である。

結局、先手と後手はどちらが有利か?という問いに対する答えは見つからなかった。しかし、アル中ハイマーは断言できるのだ。先手で酔った方が幸せだということを。

2007-03-04

"ハッカーのたのしみ" Henry S. Warren, Jr 著

たまには真面目にプログラムの本を読むのも悪くない。本書は、いかにエレガントにコーディングするかがテーマである。マシン動作をイメージしたアセンブラレベルの話もあり、ハードウェア的要素もある。よって、ディジタル回路も気まぐれで設計するおいらには良書と言えるのである。

いきなりデータのビット操作から始まるが、目から鱗が落ちるのである。
演算回路でいつも悩まされるのが、符号付/符号なし演算、ビット操作など、いかにコンパクトにするかである。本書は、ビット操作やワード操作といったレベルから要素技術が紹介されているので、いろいろなアルゴリズムで使えそうである。
おいらは単純で頭が悪いので、できるだけわかりやすく記述しようとする。正確には自分にとってわかりやすくである。よって、冗長したコードとなり実行時間を犠牲にする。ゴリゴリとコンパクトに仕上げるのが苦手なのである。
こうした冗長プログラムもハードウェアの進化により時代が解決してくれている。とうとう、おいらの時代がきたぜ!と思っているうちに、今や高機能化、大規模化についていけない。どちらにせよ馬鹿は馬鹿なりに世界をみつけるのである。

除算の項の締めくくりにこんなフレーズがある。
「割り算ほど可愛くない演算を思い描くことは決してないだろう。答えを推測してから掛け算で確かめなければならない演算、我々が大きな犠牲を払っている演算、毎日は繰り返し無駄に過ぎた割り算のコードは多くの場合ぞっとするほど難しく、longの割り算は身の毛もよだつ。証明は脳に過負荷をかけることがあり、切り上げと切り捨てで狂気に追いやられるかもしれない。割り算の良いコードはクヌース級の英雄を魅了するが、神でさえ0で割ることができない!」
まったくだ。ディジタル回路で除算の実装で狂気に震えたことがある。こんな仕様を考えた奴は誰だ!と、いつも愚痴るのである。アル中ハイマーは、こんな面倒な仕事から逃避するのである。

平方根では、こんなフレーズがある。
「おお、捕らえ所のない平方根、それは確実に計算できるに違いない。けれど可能な最善の方法は、2のべき乗を用いてニュートン法を繰り返すであろう!」
おいらは、平方根にしても三角関数にしても、面倒なものはテーブルで逃げることばかり考える。そして、数値を組み合わせて近似する。最大限の手抜きしか考えない。たまにはエレガントにプログラムできないといけないと反省するのである。

本書を全部理解するのは生涯かけても無理だろう。アル中ハイマーは自分の馬鹿さ加減に飲むしかない。腹いせにヒルベルト曲線でも作って遊ぶしかないのである。