2019-06-30

コアも、スレッドも、2倍!2倍!

サブマシンがへたってきた。基板が反ってきたのか、メモリの接触が甘い。SDRAM の端子をアルコールで軽く拭いて挿し直せば復活するが、季節の変わり目にまたぶっ飛ぶ。年に、二、三度の頻度は、サーバマシンとしては許せない。十年無休で働いてもらい、そろそろかぁ... ついでに、おいらもそろそろかぁ...
尚、退役マシンは、DELL Studio XPS 8100。
さて次のマシンは、やはりメーカ品より BTO がいい。部品の選択肢が広がるし、余計なソフトウェアも入っていないし...

1. 今回のテーマは...
まず、CPU は、8 コア、16 スレッドにこだわりたい。ついでに、マルチモニタの増築。今まで、メインマシン + サブマシンを、4画面 + 2画面で構成していたが、これを、6画面 + 2画面へ。
そして、新マシンの構成は...

  CPU            : Intel Core i9 9900K(UHD Graphics 630搭載)
  Mother Board   : ASRock Z390 Extreme4   -> 2画面出力
  Graphics Board : nVidia GeForce RTX2060 -> 4画面出力
  CPU Cooler     : COOLER MASTER MasterLiquid ML240L RGB
  SSD & RAM      : 1TB & 32GB
  Case           : be quiet! DARK BASE 700 BGW23

GPU 搭載の Core i9 を選択。9900K は熱対策をそれなりにやらないとヤバいようで、CPU クーラーをちょっぴり派手に。当初、表示パフォーマンスがいまいちかと思いきや、UHD Graphics 630 のドライバを最新版にすれば、そうでもない。




ぐるぐるマップを眺めると、なかなかの迫力!
ただ、これだけの画面に囲まれると、向こうからも見られている感じがして、なんとも恥ずかしい気分になる。テレビ会議中にポーズをとったりして...
これで、ほぼ理想的な仕事環境が整ったと満足しているが、だからといって能力があがったと勘違いしてはまずい。むしろ贅沢が祟って感覚が鈍るかもしれないし、恵まれれば工夫も怠る。もっと恐ろしいことは、こんな贅沢も三日もすれば慣れちまったってことだ。自己啓発、自己実現、そして自己投資ってやつは、結局は自己陶酔の類いか...

2. まずは実験...
購入前に、現行マシンで構成を試してみた。4画面ではグラフィックボードの 4 ポートで事足りたが、6画面ではマザーボードの 2 ポートを加える。

  CPU            : Intel Core i7-7700(HD Graphics 630搭載)
  Mother Board   : ASRock Z270 Extreme4   -> 2画面出力
  Graphics Board : nVidia GeForce GTX1060 -> 4画面出力

マザーボード側の GPU を活かすために、UEFI で設定変更。

  [IGPU Multi-Monitor] = "Enable"

画面が増えても、負荷はあまり増えていない模様。当初、再起動に問題があったが、UEFI をアップデートしてうまくいった。
それにしても、BIOS レベルでいじるとなると、それなりに緊張が走るものだが、ASRock のマザーボードには、"Internet Flash" なんてものがあって、これをクリックするだけでアップデートしてくれる。拍子抜け!
ちなみに、むかーし、BIOS を壊した経験があり、会社の ROM ライタで焼き直して四苦八苦したのは、もう三十年前の話。パソコンがどんどんプラモデル化するようで、非常にありがたいことなんだけど、まったく緊張感がないのも寂しい気がする。贅沢な愚痴か...
さぁ、実験もうまくいったことだし、新マシンはお気に入りの ASRock をベースに... というのが事の経緯である。

3. 病みつき... be quiet!
PURE BASE 600 の隣に DARK BASE 700 が並ぶと、なかなかの眺め。高さの違いが、ちと気になるけど。
DARK BASE 700 のフロントパネルには、6色のイルミネーション機能が搭載され、単色や点滅などのパターンがスィッチで切り替えられる。後ろの PURE BASE 600 に反射していい感じ。
ちなみに、Core i9 が入っていた BOX(写真右下)は、オブジェに使える...




ちょっと面を食らったのが、DARK BASE 700 には、フロントパネルに光学ドライブを据え付けるスペースがない。前面がすっきりして、ええ感じなんだけど、最近のケースって、そういう傾向にあるのだろうか。
そういえば、光学ドライブはあまり使わないばかりか、いざ使う時でも、OS の入れ替えか、レスキューか、あるいは、ディスク廃棄時に物理フォーマットするぐらいなもの。おいらの用途では、USB で外付けする方が理に適っている。ノートパソコンにも使えるし。
ちなみに、退役マシンを物理フォーマットしようとしたら、ようやくドライブが壊れていることに気づく有り様。

4. イルミネーションなヤツら...
箱の中で、密かにイルミネーションに励むヤツらがいる。ASRock が静かに点滅し、COOLER MASTERがド派手に...
マザーボードには、"ASRock Polychrome RGB Utility" とやらが装備され、UEFI で速度やイルミネーションパターンが設定できる。Breathing, Cycling, Random など。音楽と同期させるのもなかなか。
ちなみに、MasterLiquid シリーズの RGB コントローラが見当たらず、箱の中を探し回ってしまった。電源周辺のカバーを外して、ようやく見つかる。それにしても、こいつはコントローラに見えない。単なる接続部品にしか...

5. シャットダウンもどきには...
イルミネーション機能はなかなか楽しめる。しかし、シャットダウンしても光りっぱなしでは鬱陶しい。てなわけで、マザーボードの ACPI(電源管理)をいじる。
ちなみに、Win 7 のシャットダウンはスリープ状態が S5 だが、Win 10 のシャットダウンもどきはスリープ状態が S4 である。
ASRock のマザーボードは、UEFI で 以下の Deep Sleep モードを選択できる。

  [Deep Sleep] = "Enabled in S4-S5"

ちなみに、CentOS 7(サブマシンを Linux 化)は以下で OK!

  [Deep Sleep] = "Enabled in S5"

しかしこれは、Win10 が登場した時から気になっている仕様である。きちんとシャットダウンできない!?Win 8 あたりから、そうなっているらしいが、少なくともデスクトップでは余計である。人間の行動パターンからして、機械が異常状態に陥れば、それをリセットしたいと考えるだろう。その手段の第一候補がパソコンの場合、シャットダウンということになる。そんな時にシャットダウンが当てにならないとすれば、人間の方が異常状態に陥りそうである。
巷では「ハイブリッドシャットダウン」などと呼ばれているらしいが、おいらは「シャットダウンもどき」と呼んでいる。OS 側でも、高速スタートアップを無効にするなど細かく設定できそうだが、マシンが異常状態に陥っている時でも、そんなものを当てにしていいものなのか。なにしろ、知らず知らずのうちに、マシンが勝手に目を覚ましそうな仕様なのだ。どうせなら、おいらが深い眠りについている間に、仕事も勝手に片付けておいてよ...

2019-06-23

"20世紀音楽" Hans Heinz Stuckenschmidt 著

音楽評論家として名高いハンス・ハインツ・シュトゥッケンシュミット。だがここでは、音響哲学者と呼んでおこう。音階やオクターヴといった音楽理論は、ピュタゴラスの時代から数学的に論じられてきた側面がある。音楽は、帰納的なものか、演繹的なものか、と。確かに、ポリフォニーには数学的な原理が見て取れる。
しかし、だ。音を楽しんでこその音楽。心を虜にする音の響きを、数学が支配する客観性の領域に押しとどめるのはもったいない。それは共通主観というものか。あるいは、もっと形而の上にある普遍性というものか。シュトゥッケンシュミットは、数学と反数学の狭間から論じようと試みる。人間には、多くの出来事を同時に感知し追求する能力があり、この能力は訓練によって磨かれる。しかも、こうした感性は帰納的にも演繹的にも発展させられる。数学の美に対称性という概念があるが、音楽にもシンメトリーな美を感じる。生を崇めれば死も崇められ、より高められた苦悩の形式は、生を敵視する衝動までも思い描く。
ただ、既成概念を崩壊させていく中で、シンメトリーを無視した律動構造までもが現れると、人類は本当に対称性という概念を凌駕したのか、と問いたくなる。変革の時代というのは、その機運が強まれば強まるほど、古い観念を否定するだけでなく、すべてを抹殺にかかるところがある。論理学でいうところの全否定ってやつが働くのだ。20世紀とは、自由の暴走の時代であったのか。いずれにせよ、21世紀、22世紀へと移りゆくにつれ、深淵な20世紀論が語られていくであろう...
「19世紀後半のあらゆる芸術には、ロマン派の苦悶が重くのしかかっている。エクトル・ベルリオーズやバイロン卿のパトスと世界苦は、リヒャルト・ヴァーグナーの哲学では、救済の理念のなかに避難所を見いだす、一種の苦難崇拝にまで高められいてる。芸術はずっと前から表現のまったく主観的な手段となり、感情の横溢は古来の形式の限界をふみこえてしまっていた。この意味で、ヴァーグナーは、単に無限なるものを志向するロマンティックな努力をした偉大な理論家というだけでなく、芸術のうえでは絶対に犯してはいけない法則などはもうないと考える世界像を最初につくりあげた人だった。」

本書は、芸術の歩みを社会動向の投影と見て、歴史的洞察で味付けしてくれる。情緒的なものを表現する芸術は、原理的に、本能的に、形式とやらに反抗し、ある形式が支配的な力を持つと、その逆を行く預言者が出現する。モーツァルトには、すべての法則に逆らうかのような旋律が出てくる。
しかし、法則を正しく理解しなければ、正しく逆らうことはできまい。芸術家たちは、模倣に明け暮れながら独自性を目覚めさせていくかに見える。ラファエロしかり、シェイクスピアしかり。健全な懐疑主義を放棄すれば盲目となるばかり。彼らは、そうなることを極端に恐れ、義務や使命にまで高めていくかに見える。偉大な模倣者とでも言おうか。
ここでは、ヴァーグナー信奉者が反ヴァーグナーを目覚めさせていく様子が伺える。その流れはドビュッシーを通じて強まっていったという。形式上のタブーの崩壊では、十二音技法の創始者と目されるシェーンベルクを論じている。シェーンベルクの音楽はなぜ分かりにくいか... 協和音と不協和音の区別が消え... シンメトリーを無視したリズム... などと。十二の音が短い空間に相次いで登場し、しかも同じ音の反復は最小限に抑えられる。それは構成上の必然性からくるのか、あるいは直観が命ずるのか。シェーンベルクは国家社会主義の民族政策によって生存を脅かされた一人で、特に自由という概念に敏感だったと見える。保守派のブラームス党と革新派のヴァーグナー党との対立の余韻が残る時代、新たな自由という風潮をもたらしながらも、そこに孕む危険性を真っ先に感じ取ったのもシェーンベルク自身だったという。ストラヴェンスキーの技法は、彼の技法につながるものだとか。電子音楽の成し遂げた総合的音楽の可能性もまた、シェーンベルクに帰着するという。
新たな秩序が、変化の挙げ句に伝統的な形式に流し込もうという試みに回帰する、ということがある。たまには密教的な抒情詩に立ち返ってみるのも悪くない。どんな学問分野でも技術に凝りすぎると、本質的なものを見失う。そして、この新たな秩序を救ったのもシェーンベルクであったのか...

自由を重んじる芸術精神は、純粋な個人の能力だけでなく、社会的抑圧の反発から生じるところがある。19世紀に栄華を極めた王侯貴族の芸術は、20世紀になると市民的な芸術へと解放され、宗教観にも世俗的な使命が与えられた。19世紀の芸術の中でブルジョア芸術が育まれ、20世紀に開花したという見方もできるだろう。
その影で、二つの大戦を経験するという暗い時代。ファシズムやスターリン主義を旺盛にし、非寛容な政治的作品が溢れる中、芸術活動は警察国家の非人道への抗議という形で現れる。戦争レクイエムを奏で...
芸術家たちが真に芸術に没頭していくと、自然に政治的な思惑から解放され、人類の普遍性に訴えようとするものなのか。音楽家だけでなく、文学者にしても、美術家にしても。こうした衝動は、宗教弾圧の時代にも起こった。ユングが言う集団的無意識ってやつが働くのか...
「自由の状態というものは耐えがたい。この悲しい真理は社会生活ばかりでなく、精神の全領域にも妥当する。どんな法則も存在しないか、あるいは認識されないために、あらゆる可能性が開かれているような状態におかれると、芸術的創造はかえって困難になる。もろもろの形式は感情の裁量に任され、形態と無形態とのあいだにはっきりした境界がひかれなくなる。」

古くから哲学は、パトスとロゴス、感情と理性、主観と客観といった対立を論じてきた。音楽を理論づける上でも、同じような論争を見かける。ただ、理性の擁護者の方が楽であろう。客観的な法則を引き合いに出せば済むし。感情の擁護者は、得体の知れない精神という実体を主観的に唱えるしかない。
音響学的に問えば、騒音と音色を分けるものとは何か?という問題にぶつかり、音響スペクトルを分析しても物理的に区別することは難しい。絶対音感の持ち主ともなると、楽器の奏でる美しい音でも組み合わせによっては騒音に感じると聞く。こうした感覚は、音響現象が極めて生理的なものであることを示している。
ライプニッツは、モナド論の中で「予定調和」なる根本原理を唱えた。肉体と魂は、あたかも協調して振る舞っているかに見えるが、実は肉体は魂があたかも存在せぬかのごとく振る舞い、魂もまた肉体が存在せぬかのごとく振る舞う、といったことを。確かに、人間精神の本質は無意識の側にありそうだ。
一方で、サイバネティックスのように、人間自体が複雑な伝達系や情報システムにほかならないという見方もある。確かに、人間という存在は機械仕掛けのオートマトンに過ぎないのかもしれない。
音楽の構成要素を、音高、音の長さ、音量、音色、そして、音空間などで定義して音の素材を解明したところで、精神の中で総合体として生じる実体をどう説明するか。それは、人間精神の実体が解明されるまで先送りされるであろう。もし仮に、それを AI が解明したとしても、AI は人間なんぞに答えを教えてくれはしないだろう。思考の鈍臭い構造物に付き合っている暇はないと...

2019-06-16

"詩人の運命 - ディラン・トマスの肖像" John Malcolm Brinnin 著

短い時間に魂を燃え尽くして逝った人たちがいる。アルチュール・ランボー、ジョン・キーツ、ハート・クレインらが... 日本にも石川啄木、生田春月、中原中也らが... そして、ディラン・トマスである。
詩人というものは、つくられるものではなく、生まれ出るものらしい。何がこのような人種を創出させるのか。果てしない探求によって虚無感を自ら駆り立て、自我との対決から自己を破滅させる。この型の人間は、自ら破滅できる人々を引き寄せるかに見える。言葉への要求が高すぎると、そうさせるのか。朗読旅行へ出かけては交流会を催し、聴衆の愚鈍な質問にも愛想よく答え、モラリストを演じきる。お寺さんの法話会のごとく。説教好きのなせる業か。ソーシャルネットワークでは、いちいちコメントに反応するだけで気を狂わせるものだが、詩人ともなると、世界の救世主となることを期待する輩を相手にしなければならない。俗人と接触すればするほど、創作意欲を減退させていくとは。詩人にとって、朗読会の開催は義務なのか。書くだけでは不十分なのか。詩人が散文に救いを求めたって、いいじゃないか。芸術家が啓蒙家になる必要はあるまい。人間喜劇をわざわざ悲劇で演じることもあるまい...
「如何なる詩人も、自らの詩のなかにのみ生きることは出来ない。又その詩のみで生きることも出来ない。」

理想の言葉とは、意味と音調が完全に調和しているものを言うのであろう。それは、自己の度量で受け入れられる分には精神安定剤となるが、その度量を越えた途端に吐き気を催す。詩が分かりにくいのは、なにも読者を困らせようというわけではあるまい。芸術は抽象性とすこぶる相性がいい。普遍性に訴えると言葉を曖昧にさせる。崇高な言葉は概して曖昧に見える。
しかし世間は、あまりにも具体的な言葉を求めすぎる。明快さを求めすぎる。それゆえ疲れる。そして、神を信じない者が神を称える詩を読むことに意義を求めようとは...
ディランの浪費癖は酒のせいらしいが、酒で紛らわし... 愛に溺れ... この放蕩ぶりはなにも詩人の専売特許ではあるまい。死を思わずして詩が書けるのか。生とのギャップがそうさせるのか。いや、詩とは、死そのものの体現なのか。ウェールズ訛りの断末魔には、BGM にストラヴェンスキーの「放蕩児の遍歴」がよくあう...
「ぼくは自分の中に、野獣と天使と狂人を持っている。そしてぼくの究明は彼らの行為に関り合い、ぼくの問題は彼らの征服と勝利、また転落と異変であり、ぼくの努力は彼らの自己表現である。」

「誰が この迷路のなかで
 この潮の満引と 鱗の小路のなかで
 月がふくらませた貝殻のなかで 身をまるめ
 魚類の家と地獄の上に畳まれた
 倒れた町の船の帆へ逃れるのか
 神の緑の神話にひれ伏そうともしないで?
 塩の写真を 風景の悲しみをひろげよ
 神の描いた油絵のなかで愛せよ
 更に人間から鯨までを映し出せ
 緑の子供が 聖杯のように
 ベールと尾びれと火と渦まきを通して
 時を 画布の小路の上に見ることが出来るように...」

「誇り高くして死ねず 破れ盲いて彼は死んだ
 暗黒の道で。そして顔もそむけなかった
 冷く優しき男は埋葬した誇りで勇敢であった
 あの暗黒の日に。ああ 永遠に
 彼よ朗々と生きよ 遂に臨終の時に
 山を横切り草の下に恋し そこに生きよ
 長い群の中で若く 迷うことも
 静まることもなく あの死の遅き日々には...」

2019-06-09

"中原中也詩集" 大岡昇平 編

ソクラテスの言葉に「良い本を読まない人は字が読めないに等しい。」というのがあるが、そんな心持ちにさせられる領域が確かにある。孔子の言葉に「三十而立、四十不惑、五十知命...」というのがあるが、半世紀も生きて、ようやくこのようなものが読めるようになろうとは...
この書に出会えたのは、音楽評論家吉田秀和氏が、音楽以外のものを... と書いた著作「ソロモンの歌」の中で見かけたおかげ。BGM のような書とでも言おうか、これは救われる。宇宙論では詠嘆調を奏で、堕落論では道化調を奏で、この臨終感ときたら、この黄昏感ときたら、この無力感ときたら... すべての表象をセピア色に変えちまう。人間はこの自然の中で生きている。いや、この自然の中でしか生きられない。そんな当たり前のことを、さりげなく啓示できる人がいる。この手の人種は、啓蒙家としての使命感のようなものに取り憑かれるのであろうか。いや、むしろ自然体だからこそ響くものがあるのだろう。ベートーヴェンをベトちゃんと親しみをもって呼ぶのは、詩人の盲目感を聴覚障害を患った音楽家の絶望感に重ねて見るからであろうか...
今宵は、キューバ葉巻を吹かし、照明を紅葉色に演出。BGM は「月光ソナタ」といこう。この演出にはグレンリベット18年がよくあう...

「もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。」... ソロモン

人生観や世界観を表現する手段として、詩を選ぶ人たちがいる。淋しさを知らねば、詩人にもなれまい。自己破滅型の人間でなければ、自己を創造することもできまい。彼らは、孤独愛好家という趣向(酒肴)をよく心得ているようだ。芸術家たちは自我との対立から偉大な創造物に辿り着き、真理の探求者たちは自問することによって学問の道を切り開く。
中原中也という人は、十七歳の頃から本格的な詩作活動を始めたそうな。死の前年に書いた「詩的履歴書」には、こう宣言されるという。
「人間が不幸になつたのは、最初の反省が不可なかつたのだ。その最初の反省が人間を政治的動物にした。(略) 私とは、つまり、そのなるにはなつちまつたことを、決して咎めはしない悲嘆者なんだ。」
この詩人は三十という若さで逝く。まさに三十而立か...

「盲目の秋...
 風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

 その間(かん)、小さな紅(くれなゐ)の花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。

 風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

 もう永遠に帰らないことを思つて
  酷白(こくはく)な嘆息するのも幾たびであらう...

 私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

 それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)へ、
  去りゆく女が最後にくれる笑(ゑま)ひのやうに、

 厳かで、ゆたかで、それでゐて佗しく、
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る...

    あゝ、胸に残る...

 風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

 これがどうならうと、あれがどうならうと、
 そんなことはどうでもいいのだ。

 これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
 そんなことはなほさらどうだつていいのだ。

 人には自恃があればよい!
 その余はすべてなるまゝだ...

 自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
 ただそれだけが人の行ひを罪としない。...」

詩人とは、よほど辛い職業と見える。狂気しなければ到達しえない境地がある。彼らの生き様は滑稽ですらある。いや、あえて道化を演じているのか。活動の出発点は、自我を追い詰めることから始めるしかない。その挙げ句に、人生を自我に乗っ取られる。自己を救おうとすれば、逃避の道しか残されていないというのか。空想に縋るしかないというのか。それで、自ら人生を縮めていくのか...

「なんにも書かなかつたら
 みんな書いたことになった

 覚悟を定めてみれば、
 此の世は平明なものだった

 夕陽に向って、
 野原に立ってゐた。

 まぶしくなると、
 また歩み出した。

 何をくよくよ、
 川端やなぎ、だ...」

既成概念に反発する精神活動は、いつの時代にも見られるが、芸術家には欠かせない資質である。二十世紀初頭にも、ダダイズムという芸術活動が現れた。「ダダイストは永遠性を望むが故にダダ詩を書きはせぬ」という主張もあるが、中原中也もまたそんな一人であろうか。ダダ思想を謳歌し、自我を目覚めさせよ!と自ら鼓舞するかのように。この矛盾感がたまらん...

「南無 ダダ
 足駄なく、傘なく
  青春は、降り込められて、

 水溜り、泡(あぶく)は
  のがれ、のがれゆく。

 人よ、人生は、騒然たる沛雨(はいう)に似てゐる...」

「幾時代かがありまして
  茶色い戦争がありました

 幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

 幾時代かがありまして
  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
   今夜此処での一と殷盛り...」

「歴史に...
 明知が群集の時間の中に丁度よく浮かんで流れるのには
 二つの方法がある。
 一は大抵の奴が実施してゐるディレッタンティズム、
 一は良心が自ら煉獄を通過すること。

 なにものの前にも良心は抂(ま)げらるべきでない! 
 女・子供のだって、乞食のだって。

 歴史は時間を空間よりも少しづつ勝たせつゝある? 
 おゝ、念力よ!現れよ。」

気難しい作品に癒やされるようになったら、歳をとった証であろう。意識は、ちょいとばかりうつろなぐらいがいい。ちょいとばかり曖昧なぐらいいい。騒々しい社会に慣れちまったら、特にそうだ。具体的すぎる社会は疲れる。
突然、なにかに目覚める瞬間がある。今まで何とも思っていなかった事柄に感動すれば、目の前の幸せに気づいていなかったことを嘆かずにはいられない。この感覚、この喜びは、死ぬ瞬間まで忘れないでいたいものだが、そうもいくまい。そして、脂ぎった魂が救いを求めるとすれば、こういうものになろうか...

「汚れつちまつた悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れつちまつた悲しみに
 今日も風さえ吹きすぎる

 汚れつちまつた悲しみは
 たとへば狐の革衣
 汚れつちまつた悲しみは
 小雪のかかつてちぢこまる

 汚れつちまつた悲しみは
 なにのぞむなくねがふなく
 汚れつちまつた悲しみは
 倦怠のうちに死を夢む

 汚れつちまつた悲しみに
 いたいたしくも怖気づき
 汚れつちまつた悲しみに
 なすところもなく日が暮れる...」

2019-06-02

"永井荷風研究" 中村真一郎 編

アヴァンギャルドに立って、タンブールを鳴らす... かつて、そんな作家がいたそうな。これほど社会と調和しない作家も珍しい。それは、老愁ただよう追悼歌のような小説「濹東綺譚」に見て取れる。浪漫派の詩人バイロンやキーツらは南欧の明るい風土に逃れたが、荷風は故国からの逃避を空想しながらも、そうはしない。この現実嫌悪者にして不適合な社会に引き止めたものとはなんであったのか。
それは皮肉にも、あれだけ毛嫌いした文壇からの讃美であったという。自然主義陣営からも反自然主義陣営からも拍手喝采。自分が意識しなくても、世間から無責任に先鋒役を与えられることがある。鷗外には啓蒙家としての自覚があったように見えるが、荷風にはそれが見えない。空虚と倦怠の人生物語こそ彼の作風。
「今の世にも一人位小生の如きものあるもさして害にはなるまじ萬事楽天的に暮し居候」

荷風は富裕で教養豊かな家庭の生まれ。一族は枢密顧問官や大使や大学教授や牧師として名を成した家柄だという。鹿鳴館時代の典型のような家庭、いやゆるハイカラさん。恵まれながらも親に歯向かい、親類からは道徳上の罪人と見られる。この青年を反逆たらしめたものとはなんであったのか。
それは、自然主義作家として知られるゾラとの出会いに始まったそうな。明治維新後の急激な近代化の波。ここには、父と子の思想的な世代間対立が見られる。子が芸術家のような不安定な職業を選ぼうものなら、形式を重んじる父はこれに反対。荷風は、アメリカで暮らし、フランスに渡り、西洋の伝統と哲学を肌で感じると、西洋かぶれしていく日本社会に嫌悪感を覚えたと見える。寺田透は、こう書いている。
「荷風の小説の中には、腕力権勢富貴に対する慢性的敵視がある。徒党を厭ひ自分ひとりの好みを貫かうとする心情の誇示がある。ひかげの花に対する不楡の興味がある。卑小なもの、繊弱なもの、亡び人とするものの運命に寄せる常習的詠嘆がある。歓楽の謳歌と悲哀の愛撫がある。過去の燗熟に対する絶えざる懐古がある。これらは正しく昨日まで戦時禁制品であった。たしかに僕らはさういふものに飢えていた。」

こうしてみると、「自然主義」という用語もなかなか手強い。真理を描こうとすれば、美化を否定することもしばしば。世間の言う理性ってやつは本当に真理なのか。正義ってやつは本当に真理なのか。主張した者の勝ちだとすれば、文化は退廃している証。健全な懐疑心を持ち続けることは難しい。真の自然主義者ならば、わざわざ自分が自然主義だと主張したりはしないのではないか。すでに、勝手に、静かに、自然を謳歌しているのではないか。むしろ、何かに抑圧されているから大声で訴え、憤慨するのではないか。酔いどれ天の邪鬼が大声で自由が欲しいと叫んでいる間に、才能豊かな連中は静かに自由を謳歌してやがる。
人間嫌いでなければ、人間観察もままなるまい。力まず率直に人間を曝け出し、自ら自分を不幸にするパラドックスに放り込む勇気。小説家たらしめる論理への目覚め。社会に席のない個人主義は、矛盾を越えて自己啓発、自己完結、自己実現を旺盛にしていき、なすがままに孤独へ導く。いかに絶望哲学を学び、これに同感しても、人間はなかなか絶望しないものである。個人は絶望しても、人類は絶望せず繁殖を続ける。現世に絶望しても来世への希望は捨てきれない幸せな性癖の持ち主。
荷風にとっての誠実とは、自己に対して論理的に生きること、自己の文学理論を忠実に敢行すること、それが不幸へ導こうが悔いることはない。こうした作家のアウトローぶりに、どことなく惹かれのも、読み手もまたなんらかの抑圧の中で生きているからであろう。自然主義が自由主義とすこぶる相性がいいのは確かだ。福田恆存は、こう書いている。
「自然主義の文芸理論は、あるがまゝの人間の描写であり、醜悪と俗臭との完膚なきまでの剔抉ではありましたものゝ、それは所詮、自己完成をめざす道程においてであり、その目標を背景として作者の誠実をば読みとるといふのが、これら自然主義作品の正当な読書法なのであります。」

ところで、明治以降の近代文学を眺める時、東京出身と地方出身の差異を感じる。荷風は東京生まれで、ほとんどの作品が東京を舞台とし、東京人を十分すぎるほどに意識している。昭和初期、荷風は現代文学の代表者として、逍遥、鷗外、紅葉、露伴、四迷、漱石の六人を挙げたという。鷗外以外は、江戸っ子気風。
とはいえ、東京人にも、下町育ちと山ノ手育ちに分けて観察することができるそうな。下町を町人的とすれば、山ノ手は武士的、前者が庶民的とすれば、後者は貴族的... といった具合に。下町は社交的な気風があり、山ノ手は孤立した知識人を育てがちだとか。荷風は山ノ手風の典型というわけか。谷崎潤一郎や芥川龍之介などは下町風に分類できるのかは分からないが、荷風とはやはり人間の型が違うようである。
近代小説は、その発生期において市民のものであったという。西欧において、近代小説を生んだのはイギリスの市民階級だとか。日本で小説が最初に現れたのは、江戸の町人階級だとか。小説は、市民を主人公とし、市民の生活や感情を描き、市民がそれを愉しんで読む芸術であった。それは、貴族的な文芸に比べて社会的なものであったとか。小説という形式は、己れ一人の魂を歌う孤独で隠者的な詩人であるよりは、一般人と悲喜を共にする日常生活を物語に仕組み、これに民衆は慰められる。詩を崇高な救済とするならば、小説は雑居な救済とでも言おうか。話好き、噂好きの社交芸術という見方もできなくはない。したがって、小説は多様性とすこぶる相性がいい。
となれば、山ノ手風の孤独愛好家たる荷風にとっての小説は、反対の態度となりそうである。ただ、多様性と相性がいいのなら、なんでもあり。社交的だろうが、反社交的であろうが、一向に構わない。一見、矛盾しそうな論理だが、多様性は矛盾をも飲み込み、矛盾をも心地よいものとする。
そして荷風は、戦時中、抑圧された時期に多くの執筆をしたため、戦後、その反動で解き放たれたとさ...