2011-03-27

"論語" 孔子 著

前記事の新渡戸稲造著「武士道」には、その精神の淵源に孔子との共通点を見出していた。ついでに、これも読み返しておくか。げげ!こいつまでカビってやがる...
同じ本でも読む時期によって、こうも景色が違って見えるものか。学生時代は教説的な印象が強く、その意味するものを必死に追いかけていたような気がする。ところが今読むと、語彙が音律として流れるとともに癒される。そして、まったく強制的なものを感じない。爽やかな風にあたりながら草木が揺れるのを感じ、ぼんやりと純米酒を味わかのごとく、そんな自然と戯れるような書だったとは知らなんだ。それでも、時折説教される気分になるのは、昔とあまり変わっていない。道徳と無縁の人間には仕方がないか。歳を重ねれば、足が臭くなり、口が臭くなり、酒の席で醜態を演じながら、精神が腐っていくのを感じる。だからこそ、自然で風狂的な言葉を欲するのかもしれない。
論語といえば、儒教の経典として古くさい道徳主義を連想する人も少なくなかろう。「老人には安心され、友人には信じられ、若者には慕われたい」という平凡な願いが込められているだけなのだが。そして、「道理があるからといって必ず報われると思うのでは道理から外れている」といったことを教えている。どんなに優れた書物に出会っても、受け入れるだけの心の準備がなければ素通りしてしまう。20年後に読み返せば、更に違った景色を見せてくれるに違いない。

論語は、古代中国の大古典「四書」の一つで、孔子の言葉や弟子たちの問答を、彼の死後に編纂された言行録である。その言葉が断片的なだけに、ちょっとした時間に気軽に読みつなぐことができる。偉大な言葉や教えを残したからといって、そのぬくもりや笑い声をいつまでもとどめておくことは難しい。だが、その光景を想像してみると、なんとなく懐かしめいたものを感じる。論語には、そうした弟子たちの思いが込められる。
ところで、孔子の解釈は様々であろう。封建制度や官僚体制を広めた根源として悪評に曝されることも珍しくない。だが、それは本末転倒であろう。
「(法制禁令などの小手先の)政治で導き、刑罰で統制していくなら、人民は法網をすりぬけて恥ずかしいとも思わないが、道徳で導き、礼で統制していくなら、道徳的な羞恥心を持ってそのうえに正しくなる。」
確かに、孔子の唱える「礼」は一種の不文法で、封建制度や官僚体制と矛盾するわけではない。そして、それが硬直化した時に腐敗的な精神が蔓延する。新渡戸稲造は、武士道精神とよく調和するとしながら、偽物の礼があることも指摘している。
本書は、礼は仁をともなって、はじめて効力を発揮するものだとしている。ただし、仁が最高とも言っていない。学問すれば智者になれるとは限らない。智者だから仁の持ち主になれるとも限らない。誠実だけでも足りない。仁とは、実践するに非常に難しいもののようだ。また、仁があっても、弁の立たないことで損をすることもあろう。実にもったいない。だが、真に仁があるならば、なにも弁が立つ必要はないという。
「君子は自分に才能のないことを気にして、人が自分を知ってくれないことなど気にかけない。」
また、どんな儀礼も、心の合理性から生じたものとし、その意味を知らずに盲従することを嫌っている。恥とは、儀礼を知らないことではなく、儀礼が意図することを実践できないこととしている。
「知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ。」
人間社会とは奇妙なもので、本来、心の道理に基づいて設けられた制度も、時が経つにつれ独り歩きを始める。やがて、人々は道理を忘れ、制度に従うことあるいは反発することのみに躍起になる。どうしてそのような決まりになっているのか?と疑問を持ち続けることが「考える」ということであろうか。もっと言うならば、道理とは真理に基づくものであろうし、それを探究し続けることが「学問する」ということであろうか。
「学んでも考えなければ、はっきりしない。考えても学ばなければ、危険である。」
孔子の思想は、たまたまその時代の政治体制と結びついただけのことで、同じく民主政治や専制政治にも矛盾しない。それは、もっと抽象度の高い自然学、あるいは宇宙論に近いもののように映る。
歴史的に偉大な思想というものは、ほとんど言いがかりのような批判を受けてきた。目立つだけに愚人たちの餌食にされやすい。あらゆる言葉は、状況や用い方の違いでいかようにも濫用できる。おまけに、偉大な思想家たちは慎重に抽象的に語るもんだから、様々な解釈の余地を残す。軽々しく言葉を用いないのは、実践が言葉に追いつけないことを恥じていたのかもしれない。

1. 孔子という人物
紀元前551年、孔子は魯国で生まれ70有余年を生きた。それは、キリスト生誕の約500年前で、釈迦とほぼ同時期に当たる。孔子というのは尊称で本名は「孔丘(こうきゅう)」。頭の頂きがへこんでいたことから「丘」と名付けられたという説もある。身長は9尺6寸(当時の換算で約2メートル)で、「長人」と呼ばれたという。
彼が生きた時代は、統一王朝の周が衰え数十ヵ国に分裂した春秋時代、各地で政変が相次いだ。聡明な者が批判好きな輩の餌食となり、博学の者が噂好きな輩のために危険に曝される。政治をする者の中にただ一人賢人がいても、多数の愚人によって治められるのが世の常。禍は言葉より生じ、賢人が生きるには息苦しい社会であったのだろう。しかし、偉大な思想は、乱れきった時代でこそ、その反発エネルギーとして育まれる。
孔子は、権勢を目の前にして政治のあり方を議論し、現実を直視しながら実践的な教育を目指したと思われる。彼は、魯国で大司寇の地位まで出世した。大司寇とは司法大臣のようなもの。後に、政変が起こって魯の実権を握った陽貨(陽虎)に誘われたが、その人間性を嫌って弟子たちとともに国外へ巡遊の旅に出る。いつも沈着冷静で、誇りに満ち、穏やかでいられれば、その人物に憧れてしまう。孔子とはそういう人物だったのだろう。
ちなみに、背が高く才があるとなれば、女にモテる。衛国に立ち寄った時、君主霊公の南子(なんし)夫人に目をつけられた逸話が、迷惑そうに綴られる。南子夫人は淫乱で愛人は数知れず。彼女に会いに行ったことが、孔子が色を好んだと噂され批判材料とされる。孔子は、弟子の子路(しろ)から南子に会ったことを問い詰められる。
「私の行いが道理から外れていれば、天が私を見捨てるだろう。」

2. 弟子の逸話
弟子の中でも、顔回(がんかい)を理想に近い徳の持ち主と評している。若くして死んだから、特に惜しんだのかもしれない。
「賢明だなあ顔回は。一椀の飯に一椀の汁で、むさくるしい路地に住んでいる。普通の人なら、その貧苦に耐えられないのに、回は相変わらず道を楽しんで勉強している。」
君子は苦境に立っても決意が変わらないが、小人は苦境から逃れるためになんでもする。苦境は君子と小人を分けるというが、どんなに頑強な決意があろうとも、喰わねば挫けるのが道理というものだろうけど。
本書には記載されないが、子路(しろ)の入門時の逸話が好きだ。ちなみに、このネタをどこから仕入れたかはまったく記憶がない。
...乱暴者の子路は、孔子のインチキ学者振りに腹を立てて、問答をしにやってきた。
子路「学問がなんの役に立つというのか?南山の竹は生まれつき真っ直ぐだ。それを矢にすれば分厚い犀革でも突き通す。」
孔子「人間は持って生まれた時にすべてが決まるということか?」
子路「だから、力の強い者には学問なんて必要ない!」
孔子「君の言うとおり南山の竹は真っ直ぐだ。だが、鏃(やじり)を付け、矢羽を付け、真っ直ぐ飛ぶようになった。鏃や矢羽を考えた人がいたんだ。学問とはそういうことではないか?」
子路「私も鏃や矢羽を考える人間になれるでしょうか?」
...と帰依していったとさ。

3. なんといっても好きな言葉はコレだ!
「子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみした)がう。七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。」
...口語訳は...
「十五歳で学問を志し、三十歳で独立精神を持ち、四十歳であれこれと迷わず、五十歳で天命をわきまえ、六十歳で人の言葉を素直に聞き入れ、七十歳で思うままに振る舞って、それで道を外れないようになる。」
まさしく人生戦略を物語った言葉である。ここには、聖人として完成したい!という願いが込められる。そして、人間が安住できる場所は墓にしかないと聞こえてくる。
なぜ15歳から始まるかというと、その歳で母親を亡くし、生きるために何かを必要としたのかもしれない。そして、身分が低いことを思い知らされ、学問を志すしかないと悟ったのかもしれない。
「教えありて類なし」
当時、学ぶことができたのは貴族だけであった。孔子は私塾を開く。誰でも教育によって良くなるとし、階級を問わず広く弟子を受け入れ、その数は三千人を超えたと言われる。その精神は福沢諭吉に通ずるものがあるが、二千年以上も先んじているとは...平等とは、すべてが平等に分け与えられるという意味ではない。学ぶことの前では貧富や身分の差別はないということである。

4. 訓示群と哲学的矛盾
本書の訓示には、多くの矛盾を見つけることができる。それは精神領域を語る哲学書に見られる普通の現象である。例えば、人と広く親しみなさい!としながら、劣った者を友人にするな!とか、目上の考えを尊重せよ!としながら、誤った考えはすぐに改めよ!とか、伝統を重んぜよ!としながら、新しきものに目を向けよ!とか、仁を積極的に説きながら、仁の正体は分からないと本音をもらしたり...あるいは、礼を尽くすことと諂うことや、誠実と馬鹿正直を区別する。
これらを統合すると、従順でありながら柔軟な態度、消極的でありながら積極的な行動、受動的でありながら能動的な思考、質朴と装飾、こうしたもののバランス感覚を大切にせよ!ということであろう。そして、「中庸の原理」あるいは「節度の概念」のようなものが浮かび上がってくる。
ここには、ひたすら実践的な教訓が羅列されるだけで、大層な理想などは見当たらない。その思考体系を統合し、理解しようとすればするほど、分からなくなっていくような気がする。自信を持っていた知識も、より深く学べば自信を失っていく。学ぶということは、次から次に分からないことを増やすことなのかもしれない。そして、分からないことが許容範囲を超えると、やがて心地よくなり矛盾と戯れるようになれるのだろうか?逆に、矛盾しないことが気持ち悪くなるのかもしれない。そんな境地に達してみたいものだ。
道を極めるとは、永遠に思考を続ける覚悟を決めることであろうか。しかし、道を志しても能力の足りない者は、自然に途中でやめることになる。それは、自ら見切りをつけるのとちょっと違う。道半ばにして断念せざるをえないのが寿命というやつだ。自我を凌駕する道は、自然に絶えるしかあるまい。

5. ちょっと気に入ったフレーズをメモっておく
「先生が言われた、学んでは適当な時期におさらいする、いかにも心嬉しいことよ(そのたびに理解が深まるのだから)。友達が遠いところからも訪ねて来る、いかにも楽しいことよ(同じ道について語りあえるのだから)。人が分かってくれなくとも気にかけない。いかにも君子だね(凡人にはできないことだから)。」

「子貢(しこう)が言った、貧乏であっても諂わず、金持ちであっても威張らないというのは、いかがでしょうか?
先生は答えられた、よろしい。だが、貧乏であっても道義を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好むというのには及ばない。」

「知っているということは好むには及ばない。好むというのは楽しむには及ばない。」

「人に仕えることもできないのに、どうして神霊に仕えられよう。...生もわからないのに、どうして死がわかろう。」

「子貢(しこう)が政治のことをおたずねした。
先生は言われた、食糧を十分にして軍備を十分にして、人民に信を持たせることだ。
子貢が、どうしてもやむをえず捨てるなら、この三つの中でどれを先に捨てますか?というと、先生は、軍備を捨てる、と言われた。どうしてもやむをえずに捨てるなら、あと二つの中でどれを先にしますか?というと、食糧を捨てる。昔からだれにも死はある。人民は信がなければ安定しない。と言われた。」

「君子には仕えやすいが、喜ばせるのはむつかしい。道義によって喜ばせるのでなければ喜ばないし、人を使うときには、長所に応じた使いかたをするからだ。
小人には仕えにくいが、喜ばせるのはやさしい。喜ばせるのに道義によらなくても喜ぶし、人を使うときには、何でもさせようとするからだ。」

「自分のことばに恥を知らないようでは、それを実行するのはむつかしい。」

「話しあうべきなのに話あわないと、相手の人をとり逃がす。話しあうべきでないのに話しあうと、言葉を無駄にする。智の人は人をとり逃がすこともなければ、また言葉を無駄にすることもない。」

「国を治め家を治める者は、人民の少ないことを心配しないで公平でないことを心配し、貧しいことを心配しないで安定しないことを心配する。」
人々が多いということは、その国に魅力があることとし、教育を普及することができるとしている。

「生まれついてのもの知りは一番上だ。学んで知るのはその次だ。ゆきづまって学ぶ人はまたその次だ。ゆきづまっても学ぼうとしないのは、最も下等だ。」

「君子には九つの思うことがある。
見るときにははっきり見たいと思い、聞くときには細かく聞きとりたいと思い、顔つきには穏やかでありたいと思い、姿にはうやうやしくありたいと思い、言葉には誠実でありたいと思い、仕事には慎重でありたいと思い、疑わしいことには問うことを思い、怒りには後の面倒を思い、利得を前にしたときは道義を思う。」

「仁を好んでも学問を好まないと、その害として情に溺れて愚かになる。
智を好んでも学問を好まないと、その害としてとりとめがなくなる。
信を好んでも学問を好まないと、その害として盲信に陥って人を損なう。
まっ直ぐなのを好んでも学問を好まないと、その害として窮屈になる。
勇を好んでも学問を好まないと、その害として乱暴になる。
剛強を好んでも学問を好まないと、その害として気違いざだになる。」
仁徳などの六徳もよいが、学問に磨きをかけないと、愚かであり続けると...

「子貢(しこう)はおたずねした。君子でもやはり憎むことがありましょうか?
先生は言われた。憎むことがある。他人の悪いところを言いたてる者を憎み、下位に居りながら上の人をけなす者を憎み、勇ましいばかりで礼儀のない者を憎み、きっぱりしているが道理の分からない者を憎む。
賜(子貢)よ、お前にも憎むことがあるか?
他人の意をかすめ取ってそれを智だとしている者を憎みますし、傲慢でいてそれを勇だとしている者を憎みますし、他人の隠し事を暴き立ててそれをまっ直ぐなことだとしている者を憎みます。」

「天命が分からないようでは君子とはいえない。心が落ちつかないで、利害に動かされる。礼が分からないようでは立ってはいけない。動作がでたらめになる。言葉が分からないようでは人を知ることができない。うかうかと騙される。」

2011-03-20

"武士道" 新渡戸稲造 著

大震災で被災者の忍耐強さを見ていると、日本人の誇りに通ずるような書を読み返したくなる。本書に出会ったのは学生時代であろうか。本棚の奥から引っ張り出すと...げげ!カビってやがる...
新渡戸稲造の「武士道」は、内村鑑三の「代表的日本人」や岡倉天心の「茶の本」と並んで、日本人が英語で書いて日本の文化と思想を欧米に紹介した代表作である。本書は矢内原忠雄氏による翻訳版。
ちなみに、ルーズベルト大統領も読んだらしい。文化人類学者ルース・ベネディクトが、この書に影響を受けたことは想像に易い。彼女が記した日本人文化論とも言うべき著書「菊と刀」には、あちこちに類似性を見つけることができる。

武士道は、騎士道とよく比較される。どちらも武徳を示すだけに留まらないという点で、非常に似通っている。違いといえば、精神の後ろ盾に宗教があるかないかであろうか。騎士道精神は、キリスト教の信仰が土台となって道徳観や倫理観を構築している。対して、武士道精神は、武士道自体が道徳観や倫理観を構築している。教義的には、孔子や孟子を土台にしているかに思える。しかし、本書は、もともと日本には慣習的な土壌があって、孔子や孟子はそれを具体的に説明したに過ぎないと指摘している。鎌倉時代から武士階級を中心とした封建制度で育まれてきた精神が、孔子や孟子の教えと調和しやすい関係にあったということらしい。その中心となる仁義の教えは、武士の保守的な思想によく適応し、青少年の教科書となった。実際には、中国との政治体制がまったく違うので、日本流に加工された。マルクスは、「資本論」における封建制の社会的政治的諸制度の研究で、封建制の活きた形はただ日本にのみ見られると語ったという。
更に、武士道精神は、武士階級にとどまらず民衆にまで広がり、階級を超えて受け継がれてきた。武士道の紳士的行儀作法は、英語のgentleman(ジェントルマン)、独語のGemuth(ゲミュート)、仏語のgentilhomme(ジャンティオム)と近いように思えるが、それぞれの微妙な味加減は民族の特徴を表していると言えよう。
ちなみに、数理論理学者レイモンド・スマリヤンは著書「タオは笑っている」の中で、「禅とは、中国のタオとインドの仏教を混ぜ合わせ、日本人がこしょうと塩で味付けしたようなものだ。」と語っていた。

本書は、ベルギーの法学大家ド・ラヴレー氏の歓待を受けた時、「宗教なしで、どうして道徳教育を授けるのですか?」と繰り返し質問されたエピソードから始まる。欧米の価値観では、道徳観や倫理観を身に付けるには宗教教育に頼るのが当然と考え、無宗教を蔑む風潮がいまだに残る。著者は、旅行中にしばしば侮辱を受けたのだろう。本書には、その悔しい思いが滲み出ている。
宗教心は論理的に精査して疑心が生じると脆く、成文法は条文の論理的矛盾が暴かれると効力を失う。人間の尊厳を宗教的戒律に頼れば、宗教間で優位性を争うことになろう。なにも宗教に頼らなくても、信仰心は構築できるし、生き方を見出すことはできるはず。本書は、日本人の道徳観念の根源が武士道にあるとことを見出す。しかし、武士道の観念は、数人の有名な武士や学者によって伝えられる僅かな格言があるに過ぎないという。
「不言不文であるだけ、実行によって一層力強き効力を認められているのである。」
ここには、美と力が調和した様々な美徳的性質が紹介されるが、同時に偽物があることも指摘される。武士道精神にまだ活気があったのは、日露戦争までという意見をよく耳にする。しかし、本書は長い徳川泰平の世に既に廃れていったことを指摘している。明治維新は英雄伝説で語られることが多いが、それは本当だろうか?革新派の中に、佐久間象山、吉田松陰、横井小楠、坂本龍馬といった錚々たる人物がいたことは見逃せない。彼らの視野は広く見識も高い。なのに、維新とほぼ同時に処刑や暗殺で姿を消したのは偶然ではなかろう。残るべき人物が残らず、残るべきでない人物が残るのが、政界の論理というものであろうか。そもそも、将軍徳川慶喜は大政奉還を奏上して江戸城を無血開城し、幕府側の中心である会津藩も要職を辞している。倒幕派も幕府派も外国からの軍事圧力に対して、藩の枠組みを超えた国家軍の創設の必要性を認めていた。にもかかわらず、薩長連合はその勢力を完全に葬り去る必要があったのか?尊王攘夷の意味とはなんだったのか?このあたりの文献もいずれ漁ってみたい。
武士道の仁義とは、正義が前提されてはじめて機能するものであって、けして仲良しグループを結成するための論理ではない。政治屋たちが、国家や国民に対する正義を疎かにしながら、党派の結束を固めるのとは意味が違う。
「義しき道理より以上もしくは以下に持ちゆかれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼のもとにあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう。」
この書は、多くの外国人が日本という国を理解するために用いたことであろう。その余韻はいまだに残っているように思われる。そして、今では日本人こそが読むべきかもしれない。

1. 道徳的体系とその淵源
運命に任せる平静な感覚、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面しても沈着冷静、生を卑しみ死を親しむ心、こうした精神が仏教から影響を受けていることは想像に易い。仏教というよりは、禅の教えに近いかもしれない。禅とは、「言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力を意味する」という。
その根本思想には、自然的で絶対的な存在に対して、自己を調和させようとする意志のようなものがある。神道の神学には「原罪」の教義がないという。逆に、本来的に人の心は善にして神のごくと清浄なることを信じるという。だから、神託が告げられる聖所が至るところに設けられ、神の代理人と称する者が多く現れるのであろうか?人間は生まれつき善か?悪か?という論争は、いまだ決着を見ない。それは極めて慣習的な領域にある。まぁ、好みもあろう。「美しい民族」や「美しい国家」などと掲げれば、その民族的優位性という信仰が暴走する。宗教的な癒し系の言葉ほど、暴走しやすく厄介なものはない。そこで「節度」という概念が重要な役割を果たす。武士道の道徳的教訓の源泉は、孔子に見られる。ただし、君臣、父子、夫婦、長幼、朋友の五倫の道は、経書が中国から輸入される以前から、民族的本能として認められるという。孔子を知的に知っているに過ぎない者は、「論語読みの論語知らず」と嘲笑される。
「知識はこれを学ぶ者の心に同化せられ、その品性に現れる時においてのみ、真に知識になる」
これはソクラテスの教義に近い。また、王陽明が具体的に説明しているそうな。神の国や神の義といったものは、西洋と東洋の双方に見られる現象であり、王陽明の著述の中にも新約聖書との類似点が多いという。日本人の民族特性は、王陽明の哲学に適していたという。

2. 戦争と平和
ラスキンは最も平和を愛した人物だそうだが、同時に戦争の価値を信じていたという。その言葉は印象的だ。
「戦争はあらゆる技術の基礎であると私の言う時、それは同時に人間のあらゆる高き徳と能力の基礎でもあることを意味しているのである。この発見は私にとりて頗る奇異であり、かつ頗る怖ろしいのであるが、しかしそれがまったく否定し難き事実であることを私は知った。簡単に言えば、すべての偉大なる国民は、彼らの言の真理と思想の力とを戦争において学んだこと、戦争において涵養せられ平和によって浪費せられたこと、戦争によって教えられ平和によって欺かれたこと、戦争によって訓練せられ平和によって裏切られたこと、要するに戦争の中に生まれ平和の中に死んだのであることを、私は見だしたのである」
平和主義者は戦争を悪魔だと叫ぶ。その通りであろう。だが、戦争から育まれた正義や道徳の認識がある。平和は戦争によって育まれ、平和ボケによって自殺するのかもしれない。

3. 義
「義」は武士の掟の中で最も厳格なる教訓であるという。だが、「義」ほど説明の難しい概念はない。武士にとって卑劣なる行為や、歪曲した振る舞いほど忌むべきものはない。
林子平はこれを「決断力」と定義したという。つまり、「死すべき時に死し、討つべき時に討つ」けして猶予ならない心だと。真木和泉は、「節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」と言ったという。孟子は、「仁は人の心なり、義は人の路なり」と言った。「義理」の本来の意味は義務にほかならないという。だが、義務だけで命をかけることはない。正義の道理がともなう。
「義士」と呼ばれるもので、有名なのは忠臣蔵であろうか。主君に対する無条件の義理立てには、欧米人にとって理解の難しいものであろう。生まれつき階級を運命と捉えるならば、諦めの精神にも通じ、消極的な思考は怠惰と解釈される。だが、主君への屈服は慣習への屈服ではない。誇りと権威がなければ義理は生じない。忠臣蔵の仇討精神には、公儀の裁きに対して誤りを認めさせるという正義の道理が込められる。つまり、積極的な思考なのだ。
「勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。」

4. 仁
愛情、同情、寛容、憐憫は古来最高の徳とされ、王者の徳とされた。慈悲は王冠よりも善く王者に似合うという。孔子も孟子も、治める者の最高の必要条件を仁としている。封建制の政治は武断主義に陥りやすい。そこで、最悪の種類の専制から民衆を救うものが仁とされたという。
ただ、徳と絶対権力は調和しないようにも思える。歴史的に、慈悲的な専制君主が長続きした例はあまりない。どんなに君主が立派であっても、その血筋で継承されていくうちに必ず腐敗をともなってきた。
「最も剛毅なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである」とは、普遍的に真理であるという。このあたりに「武士の情け」の原理がありそうだ。武士道では、愛は盲目的な衝動ではなく、正義に対するものだという。そして、弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に適した徳として賞賛されたという。
「敗れたる者を安んじ、傲(たか)ぶる者を挫き、平和の道を立つること -- これぞ汝が業(わざ)。」
伊達正宗は、無差別な愛に溺れることなく、正義と道義によって戒めるように説いた。
「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」
フリードリヒ大王は、「王は国家の第一の召使いである」と言ったが、偶然にも同時期に上杉鷹山が同一の宣言をしたという。ビスマルクは、「絶対政治の第一要件は、治者が無私正直にして義務感強く、精力と内心の謙遜をもつことである」としたという。また、ジュネーヴ条約に基づいた赤十字活動も、武士道精神に通ずるもがあると指摘している。
「戦闘の恐怖と真唯中において哀憐の情を喚起することを、ヨーロッパではキリスト教がなした。それを日本では、音楽ならびに文学の嗜好が果たしたのである。優雅の感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。しかし他人の感情を尊敬することから生ずる謙譲、慇懃の心は礼の根本をなす。」
こうして見ると、武士道的観念は世界中で見られる。これが普遍的真理だとすれば、この精神の質で民族的優位性を議論しても仕方があるまい。

5. 礼
伊達正宗曰く、「礼に過ぐれば諂いとなる。」
礼は、社会的地位に対する正当なる尊敬を意味するのであって、肩書きや金権的差別を表わすものではない。虚礼というやつは、孔子も指摘している。
「信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。」
社会には、有閑階級の産物や象徴とされるような形式ぶった儀礼が多く、礼儀作法を教える人が精神的意味を知らない人が多いと指摘している。だから、礼儀に対して懐疑的に思う人も少なくないわけか。おいらもその一人で、企業組織などで見られる形式ばった儀礼が大嫌いな反社会分子である。そんな無礼な泥酔者でも、外国で国家掲揚や国歌斉唱など敬意を払うべき時に、日本人が無礼な態度をとるという話を聞くと頭が痛い。
武士道には、厳格なる礼儀の尊守の中に含まれる道徳的訓練があるという。礼儀作法は、茶道などの芸術によって高められてきた。茶道そのものは精神的性質とはなんら関わりがないが、それが礼儀と結びついた時に精神修行の場を提供するという。皮相的な慣習としての礼が精神に結びついた時に、はじめて武士道が宿る。
ところで、物を贈る時の礼では、国民性の違いを見せる。アメリカ人は、「これは善い物です。善いものでなければ贈りません。善き物以外の物を贈るのは侮辱だから」といった感じで物品に気持ちをこめる。対して日本人は、「君は善い方です。いかなる善き物も君にふさわしくありません。だから、好意の記として受け取って下さい。」といった感じで行為に心をこめる。どちらにも合理性はあろう。ただ、武士道には経済的観念が欠けていると指摘している。行動に対する金銭的な報酬を求めるという商人的感覚を教えない。だが、経済には信用という概念がある。欧米社会では、キリスト教的な神との契約精神が会計義務とよく結びついているように映る。武士道にも誠の精神があり、それが堺商人の精神と結びついて経済活動を支えてきたのだろう。

6. 名誉と腹切
「名誉の感覚は人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。」
羞恥の感覚は、人間の道徳的自覚の最も早い兆候だという。「笑われるぞ!」、「恥ずかしくないか!」とは、説教の言葉としてよく用いられる。そこには、異常に体面を気にする体質がある。大義のための憤怒は義憤となる。だが、その裏腹に虚栄心が働くことも見逃せない。肩書きや権力に憑かれて、脂ぎった欲望に走る例も珍しくない。
また、武士道では、名誉と名声の下では、命さえも廉価と考えられた。
「名誉の失われし時は死こそ救いなれ、死は恥辱よりの確実なる避け所」
腹切は、罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖い、なによりも自己の誠実を証明する方法だったという。法律上の刑罰として命じらる時には、荘重なる儀式とされた。けして宗教的な儀式ではない。
本書は、腹切を「洗練された自殺」と表現している。ただし、死を崇めているわけではない。武士にとって、死を急いだり死に媚びるのも、等しく卑怯だとしている。戦場では最後の最後まで命をかけ、災禍困難に対しては耐え抜く。逃亡の意味での死は卑怯とされた。切腹は、命を粗末にする野蛮な行為ではなく、名誉を前提とした最も尊い儀式作法であった。感情の極度の冷静と態度の沈着さ、潔さがなければ、けしてできる行為ではない。これこそ武士の美徳であった。命よりも大切な価値観があるから、命の危険に曝されても平静でいられるのだろう。「命が最も重い!」という価値観が強過ぎると、「名誉ある生」の地位を押し下げ、他人を犠牲にしてまでも生き延びようとする意思が働く。これが、平和ボケの正体であろうか?

2011-03-19

大震災

津波の映像に目を疑った。北関東方面の知人には連絡がついてとりあえず安堵している。
それにしても、東北地方の方々の落ち着き振りには頭が下がる。彼らは笑顔さえ見せてくれる。目の奥に見せる涙が痛々しい。ちょっとしたことで狼狽えるおいらには、けして真似できるものではない。むしろ、こちらが勇気づけられるとは...何か忘れかけているものを思い出させてくれるような気がする。
その一方で、首都圏では買占めに走るなどの状況があると友人が嘆いていた。九州ですら若干の買い占め行為が見られた。せめて被災地への物資の流れを邪魔しないようにしたい。

1. 募金と献血
この大震災は、九州にも多少なりと影響を及ぼしている。取引先の多くが関東方面ということで休業状態の企業もあれば、逆に生産をフル稼働させる企業もある。また、地元の給水車や医療チームが派遣されたり、オムツや毛布などの物資が役所に続々と集まっている。佐賀県にいたっては、被災者の受け入れを3万人規模で準備すると発表した。
さて、無力な人間ができることといえば、とりあえず義援金と献血ぐらいであろうか。気分的に自粛気味だが、あまり自粛し過ぎても復興機運の妨げになる。被災地以外で不安を拡散させることは避けたい。
ただ、街の混雑の中で、10メートルおきに募金箱を持った子供が大声で叫べば、すべての箱にお金を入れないと白い目で見られる。支援活動は子供の教育のためにも良いのだが、気の弱そうなお年寄りがボッタクられていた。募金活動の混乱は募金詐欺の出現を手助けすることにもなる。ある程度の統制は必要だろう。やはり役所に持っていくのが確実であろうか。被災者のためというより自分の不安を解消するための行為は、善意の強制という空気を漂わせる。
また、血液不足が報じられると、献血ルームに長蛇の列ができる。血液の保存期間はせいぜい4,5日であろうに。どれだけの血液が廃棄されるかが心配だ。
(全血の保存期間は21日間、血小板の保存期間は4日間。 - 4/7追加、コメント参照)
しかも、再度献血できるまでに、3、4か月待たなければならない。それでも、現場ではせっかく善意で訪れた人に、ちょっと待ってくれとも言いにくい。瞬間的な確保よりも、継続的な確保の方がはるかに重要であろう。報道はそこをもっと強調してもいいのではないか。
尚、BC9のサイトでは血液のストック状況が公開されている。だが、東北方面ではサイトの更新もままならないだろうから、不足と見るべきなのだろうか?善意で人が集まり過ぎても、逆に混乱を招くだろうし。んー...献血マニアはちょっと我慢して、今は普段献血をしない方々にお任せしよう。
ちなみに、看護婦さんによると、普段B型は献血する人が多く、不足するのは珍しいそうな。変わり者が多いからですかねぇ~などとよく言われる。失敬な!そういえば、大学時代の友人は8割がB型だ。類は友を呼ぶというわけか。いや、同じ穴のムジナだ。

2. 原発報道と自衛隊頼み
いくら遠くから見守っているとはいえ、原発の問題などもあって落ち着かない。何もできないことがそれに輪をかける。これだけ広範に被害が及んだのだから、悲惨な避難所に地元の国会議員や元気のいい一年生議員を派遣して、連絡を密にするなどできないものかと素人なりに思ったりもする。特に原発から30km範囲が政府や専門家の言うように安全ならば、彼らが行くだけでも安心感を与えるだろう。報道されないだけで実際には行動しているのかもしれないけど。いや、かえって邪魔なのか?
また、これだけ報道陣が殺到して、邪魔をしているケースはないのだろうか?マスコミはいつも現場を批判しながら正義感振るが、自分自身に対する批判は絶対に報じない。マスコミを批判できるメディアはネットにしかないのか?緊急会見では、大量の資料を配布しているようだが、記者の数を制限してもいいのではないか?などと思ったりもする。どうせ、どこの放送局も似たような報道しかしないのだから、放送を自粛するだけでも電力がだいぶ助かるだろうに。太平洋戦争時代、民衆は大本営発表に騙されたが、現在は大本営の乱立がいっそう深刻にさせる。
更に、危機的混乱がシステム障害を誘発したり、記者クラブの体質が明るみになったりなど、官僚的な組織やマニュアル人間が次々に暴かれていくようにも映る。
報道番組では、専門家の楽観主義とド素人のコメンテータが煽る不安とのギャップが埋められない。感情論ばかり先行し、ついに専門家からも「祈っています!」と発言する始末。情報を伝えたいという必死な気持ちも分からなくはないが。どんな分野でも専門家というものは、専門用語を熟知していても、専門的意義を意外と理解していなかったりする。そんなことは、自分の専門を自問してみれば分かる。
その点、某元国営放送を誉めるわけではないが、専門の解説員を置いて専門家との連携が見られる。緊急時の情報統制には、少数精鋭が効力を発揮するだろう。それで、どこまで情報が開示されるかは別の問題だけど...
どんなに政治家や専門家が語ったところで、結局!輸送から原発まで自衛隊頼みという現実を思い知らされる。放水にどれだけの効果があったかは疑問だが、少なくとも光を与えてくれた。
それにしても、発電所が安全対策のための外部電源を失うとは。あらゆる安全設計で最も神経質になることは、システムの自己矛盾に陥ることである。まさに、その事例が安全基準の最高レベルであるはず!のところで展開されている。

3. 流通業者と贅沢認識
普段あらゆる産業のコストダウンで、末端の流通業者が喘いでいる。しかし、その彼らが命をつないでくれる。宅配業者に、いつもおつりが発生しないようにピッタリ金額を用意していると、顔見知りになってちょっと愚痴を漏らしてくれる。代金引換などで万札を平気で出されて、おつりがないと客に怒鳴られることも少なくないという。おつりが足らない時は自腹を切るそうな。末端の配達員が負担するのも疑問だ。最近はコンビニ決済で代金引換を利用することもなくなったけど...そんなことを思い浮かべる。
この震災は、あらゆる贅沢に慣れきった体質を見直すのに良い機会を与えてくれる。それで湯水のようにエネルギーを消費する体質を改め、真の意味でエコ意識が高まるだろうか?政府も皮相的な政策から脱却できるだろうか?九州でも節電の気運が拡がりつつあり、夜の街も幾分暗めである。ただ、日本人の傾向は、周辺の雰囲気に反応しやい分、すぐに冷めるところがある。アル中ハイマー病ともなれば、記憶を留めることも難しい。
そんな認識のために...それにしても犠牲が大き過ぎた。いや、全貌が見えてくるのはこれからか...

2011-03-13

"フランドルの冬" 加賀乙彦 著

「フランドルの冬」は、福西英三氏の著書「洋酒うんちく百科」に、コニャックを飲みながら読む小説として紹介される。感化されやすいアル中ハイマーは、この本のためにポールジローを仕入れるのであった。しかし、この迫力ある作品が絶版であるのは惜しい!ということで、図書館をあさってみた。
奥付には「筑摩書房、1967年8月8日」とある。初版であろうか。殺風景なハードカバーには汚れやシミが目立ち、本文(ほんもん)は絶妙に薄茶色に色褪せている。この年季のはいった風貌に、些細な演出を加えてみる。少し光を絞り込んで...少し孤独感を漂わせながら...目のために悪かろうが知ったこっちゃない。ちょっぴり焦げ臭い古書と熟成ブランデーのコラボレーション...今宵は、中世のフランス貴族にでもなった気分である。

著者の本名は、小木貞孝(こぎさだたか)というらしい。精神科医で、病院や刑務所に勤めたのちにフランスへ留学、そして帰国...とある。この作品は処女作だそうな。文学とは無縁な人間がフランスから帰国して唐突に長篇小説に挑んだという。その心境を「精神病院と刑務所ぐらいしか知らぬ一人の無謀な医者の冒険」と回想している。そして、第二回太宰治賞に本書の第一章の部分を投稿してみたところ、候補作として雑誌「展望」に掲載されたそうな。出版の話が出た時、それが長篇の一部に過ぎないことを告白すると、ならば完成品を出版しようということになったという。

舞台は、北フランスのフランドル地方にある精神病院。そこで働く日本人医師の物語。いきなり精神病棟らしい異様な光景が臨場感を煽る。病院の南の塀の外側には、廃墟となった寂しそうな場所がある。
「噂によれば戦争中、ここでナチ親衛隊が村のユダヤ人を虐殺して以来誰も住まなくなった...うしろは、フランドル地方特有の鬱蒼たる巨木の森がある...」
狂人や自殺者と向かい合う日々、治療と研究のどちらを優先すべきかと葛藤する医師の倫理観、おまけに異邦人としての孤独感、こうした苦悩を癒してくれるのは一杯のコニャック。人生とは、運命付けられた環境の中で無期懲役を勤める囚人のように生きることであろうか...医師が精神の歪みまでを矯正できるなどと考えるのは妄想であろうか...などと、ぼんやりと考えてしまう。
せっかくの親切が相手に嫌がられると、逆ギレすることがある。もうやってあげないと吐き捨てたりと。誰かの役に立ちたいとか、社会の役に立ちたいといった感情は、単なる自我意識の強調であろうか。誰かに頼られると気分のいいものだが、やり過ぎると有難迷惑主義に陥る。ここに思想スパムの原理がある。本当に相手のためにと考えるならば、見返りを期待することはないし、自分の存在を強調することもないだろう。こうした純粋な行為は人間にとって最も難しい領域にあるように映る。
「現代こそは、死の世紀だ。自殺者と狂人が、つまり異常者だけが時代の真実の承認となりうる。それは実に独特で愉快で茶番めいた世紀なのだがね.....」
社会を肯定する側には、教育者や宗教家といった理想論を掲げる有識者と呼ばれる人々がいる。彼らは、社会は画一的な価値観でしか形成できないと信じ、狂人や自殺者を無理やり矯正しようとする。刑務所の看守のようにいつも目を光らせながら、他人よりも有利だと信じる側に置いて、安心したいと願っている。もし、異常者がいなくなったら、真っ先に困るのが自らを正常だと信じる人々であろう。
少なくとも、自殺者を人生の敗北者などと呼ぶ気にはなれない。人生には、精一杯生きるか、精一杯死ぬかの二択しかないのだから。世の中が狂っていれば、精神が狂うのも当然である。

精神科医が精神病になることもあろう。精神科医が分裂病になったりするのは、裁判官が凶悪犯罪を犯すようなものか。ただ、裁判官は自らの犯罪を自覚できるが、分裂病が厄介なのは病識がないことらしい。したがって、強制入院させるしかないという。暴力的に取り抑えて監禁するぐらいのことをしなければならないと。
そうなると、自分自身が精神病ではないと言い切れるのか?自分の手が震えたりするのは精神病かもしれない。いや、アル中という噂もある。
ちなみに、おいらの業界には鬱病になる人が多いようだ。バリバリに仕事ができて真面目な人ほど。神経質そうに見えても仕事がいい加減な人にあまり見られないのは、とこかに精神的にいい加減なところがあるということか?だとすれば、おいらには縁がなさそうだ。
知人の奥さんが鬱病を患うケースもある。お見舞いついでに旦那の土産に酒を持参すると、奥さんがその場で飲み始める始末、「明るい鬱病」と呼ばれ周りを和ませていた。アル中も精神病の一種というわけか。おいらにも縁がありそうだ。

1. フランス人と日本人
北フランスのサンヴナン精神病院に主人公コバヤシは内勤医として赴任する。グループに属すものの、しばらく融け込めず、親しい友人もなく図書室通いに没頭する。彼は、西洋人がよく言う日本人特有の神秘的な微笑を浮かべる。東洋的な平ぺったい顔が無表情に映るのだろうか?
「この男は外国人なんだ。内勤医が嫌になればさっさと帰国すればいい。いつでも逃亡可能な特権的状態にいる...のっぺりとした皮膚の内側がくせものだ。おれを軽蔑していやがる...」
などと、告げ口される。あからさまな人種差別があるわけではない。だが、教会に行く習慣がなければ、無神論者と蔑まれる。西欧ではキリストの磔刑像(カルヴェール)が珍しくないが、異教徒にとっては気味が悪いだけの幼稚な彫刻でしかない。
外国人という枠組みは、縄張り意識を説明するのに都合がいい。だが、同じ国民だからといって、本当に共通意識で理解し合っていると言えるのか?その答えを見つけるには、自分が他の誰かを理解しているかを問うてみればいい。なるほど、みんな外国人みたいなものか。
フランス人は珍妙な条件法を使って詭弁のようなことを論じるという。対して、日本人は論理的に論じるのが苦手だとよく指摘される。屁理屈と感情論の対決が、いがみ合いを強調する。
特に、フランス人はプライドが高いと言われる。そういえば、「ナポレオン言行録」では、フランス軍の特徴を見事に捉えていた。
「フランスの兵隊は他の国の兵隊よりも統率が難しい。それは機械ではなく分別ある連中だからである。フランスの兵隊が議論好きなのは、頭がいいからである。彼らは作戦計画と機動演習とを議論する。そして、作戦行動を是認し、指揮官を尊敬していれば、どんなことでもできる。だが、その逆の時は失敗する。退却の術はフランス軍には難しい。敗北は隊長の信頼を失い、命令に反抗する。ロシアや、プロイセンや、ドイツの兵隊は、義務観念から持ち場を守るが、フランスの兵隊は名誉観念から持ち場を守る。前者は敗戦に無関心だが、後者は敗戦に屈辱を感じる。国民的栄光と戦友の尊敬よりも、生命を大切にする者はフランス軍の一員になるべきではない。」
南アフリカW杯でフランスチームが崩壊したのも、これが原因か?

2. 医学の倫理
「どこの国でも医学界には二つの流派がある。一つは理論派で実験室での研究や基礎的な問題に取り組む人々である。理論派は、悪くすると医学本来の目標である病気の治療を忘れてしまったり、堕落して本の虫となりさがる。」
学者病というやつか。理論と実践のバランスは、あらゆる学問で議論されるところであろう。
ここでは「治療こそ学問上の損失」という意見まで登場する。稀な症状は研究材料にもってこいというわけだ。このまま治療しても助からない。絶望的で患者の家族も了解している。ならば、余計な治療をして、貴重な精密検査の結果を狂わせることはない。しかも、責任は上が取ると言っている。だが、医者として治療を放棄し、研究を優先するかどうかは道義上の問題である。医学研究とは、この葛藤と対峙することであろうか。
職場には自己の科学精神に忠実な医者がいる。尿と血液と脊髄液の生化学的検査のみを、無慈悲な熱心さで実行する。主人公は、その医者が、患者の皮を剥ぎ、頭蓋骨にノコギリを入れ、熱心に観察する姿を思い浮かべる。だが、そうした冷徹さが同居しなければ、医学の進歩はありえないだろう。客観性とはある種の冷徹さでもある。人間がやることだから、医療ミスがないはずがない。むしろ、医学の進歩のためにはある程度必要であろう。
しかし、すべては政治的に覆い隠され、当人たちにとって不都合は闇に葬られる。それが現実である。最も建設的でないのは医療情報の隠蔽であろうか。報道屋は正義感たっぷりに医療ミスを叩くが、そう単純なものではない。かえって実態を覆い隠そうという思考を助長させ、逆に正義感によって情報公開する者は社会から抹殺される。したがって、政治感覚の旺盛な世界では、あくどい奴ほど出世する。

3. 医学史
医学界は、ヒポクラテス以来、数多くの医療ミスを積み重ねてきたことだろう。古代ギリシャや古代ローマの時代では、狂人は悪魔とされた。外科手術は、理髪店で行われたり、悪魔祓いの僧侶によって処理された。錬金術と並んでデモノロジー(鬼神論)が登場し、人々は神を愛すると同じくらい悪魔を恐れる。
当初、悪魔でさえ寛大に扱われ、呪文がかけられ、修道院は庇護を与えたという。しかし、中世に宗教裁判の制度ができたあたりから大量処刑が始まる。特にルネサンスや科学振興の時代に、盛んに処刑された。15世紀、2人のドミニコ派の僧侶、シュプレンガーとクレーマーの「魔女の槌」という法皇公認の書物こそ、中世の鬼神論とルネサンスの科学精神の見事な化合物だという。この書物が宗教裁判の教典になると、人間がどんなに狂おうとも、それは自由意志で悪魔に服従すると解釈される。だから、狂人は自己責任から逃れられない。狂人は、霊魂が堕落した淫らな意志が肉体に宿るとして、霊魂を解放するには肉体を焼かなければならないと考えられた。宗教裁判で火刑に処すことが、、狂人を悪魔から救う慈悲深い判決で、最も人道的な処置というわけだ。この残酷な思想は、三百年に渡って続く。
人道主義も時代によって、随分と解釈が違うものだ。となると、現代の人道主義は本当に人道的なのだろうか?数百年もすれば、中世の思想と同列に扱われるかもしれない。人類は、永遠に盲目の価値観でしか生きられないというわけか。

4. 旅の恥はかき捨て!
いずれ帰国すると分かっていれば、大胆に楽しむことができる。
「今交際している人々はすべてフランス人として記憶の片隅に押し込められるだろう。旅行者の特権で楽しむべきである。何事も旅行者の貪欲な目で見、研究し、祖国の人々への語り草にすべきである。」
と、恋愛に対して冷静に語りながら、一方で恋に落ちたやるせない気持ちと葛藤する。そのままフランスに残って、その女性と暮らすこともできただろうに。その衝動を抑えた理由は何か?外国人という意識がどこかにあり、いずれ文化の壁に遭遇すると思ったのか?いや、妊娠させた現実や罪悪感からの逃避か?

5. 狂人と自殺者
入院して30年にもなる患者の描写が印象的だ。
「蝋人形のような硬い表情...愛も憎しみも苦しみも知らない...老婆となった今も、均一で単調で空虚な永遠があるばかり...感情鈍磨し、すべてに無関心...しかし、与えられた仕事はする。
彼女の病歴は、30年間まったく同じ記述である。担当医は、書くことに飽いてしまうほどに。同じ生活の、空虚の繰り返し、一生、死ぬまで...彼女は存在している。しかし、死んでいる、そして幸福なのだ。」
これには、生き甲斐とは何か?を考えさせられる。いつも刺激を受けながら充実感に浸ることで安住する人々がいる。その一方で、平凡な日々を繰り返しながら平穏に生きることで安住する人々がいる。生き甲斐を見つけたと信じながら自己陶酔することも、一種の麻薬のようなものであろうか。ならば、麻薬で完全に感覚を麻痺させ廃人になりきることも、幸せなのかもしれない。自己陶酔に陥って勘違いをしている人ほど幸せということか。アル中ハイマー病患者のように。
自己を冷静に見つめ、客観的に観察することができれば、空虚を感じざるをえない。そこに不幸が始まる。
「現代のように人間が、実にうんざりするほどの物体や生物や他人の組み立てた牢獄にがんじがらめになって平均化されている時代には、狂人と自殺者こそは、英雄です。彼らは牢獄を拡大したり破壊したりできる。」
そもそも、複雑な精神をまともに相手にしながら、幸せになろうなどと考えることに無理があるのかもしれない。人間は、精神を獲得した時点から精神病から免れることができないのかもしれない。精神を科学的に解明しようとすれば、つまりは精神の客観性を追求すれば、そこに単純化の方法を模索することになろう。天才たちに自殺する例が多いのは、死ぬことが最も単純だと悟ったからであろうか?凡庸な規定に満足できず、そこから脱しようとした時に狂気が顕わになる。哲学者が規定するア・プリオリな認識からさえも逃れ、真の自由を行使しようとすれば、狂気に憑かれるしかあるまい。これも一種の憧れであろうか?

2011-03-06

"宮沢賢治詩集" 谷川徹三 編

何を血迷ったか!宮沢賢治を手にしている。この手の文学は、義務教育で説教じみたイメージを徹底的に叩きこまれた。
ところが、今読むとまったく教説的なものを感じない。対極にある存在と調和しながら、人生の指針と糧にする世界とでも言おうか、むしろ風狂的な自然哲学といった感がある。この歳になって、やっと義務教育を素直に受け入れられる心の準備が整ったというのか?いや、天邪鬼な人格が変わるわけがない。ということは、精神が泥酔しただけのことか。優等生たちがこういう作品を早くから味わえるとは、羨ましい限りだ。つまらない先入観を残したままでは、再びそれに接する機会をも失いかねない。気まぐれに感謝しよう。
そんな宮沢オンチでも、好きな言葉が一つだけある。それは「永久の未完成、これ完成なり」である。

本書は、岩波文庫版で詩群146編が収録される。この時代の作品にありがちな、平仮名とカタカナのコラボレーション、そして、思いっきり読み辛い旧仮名遣いに旧漢字。視覚的な配慮をそのまま残したのであろうか、それはそれで情緒があっていい。しかも、奇妙な外来語や西洋語を交えながら呪文と化す。これが日本語か?岩手弁から派生した原生言語か?そこには宮沢言語なるものが形成される。文の一つ一つを眺めると、ちょっと語調の整った普通の文章が連なり、突然、想像だにしない要素が紛れ込む。奇妙な単語が目立つのは、詩の中に入りきれないものを無理やり押し込んだ印象すらある。詩らしくない詩と言おうか、詩を超越した詩と言おうか、いや!詩であるよりも遥かに詩である。天才にしか分からない体系の破壊からは、破壊を超越した芸術が顕わになる。しかも、鑑賞者が抱く疑心すら黙らせてしまう。
当時、新しい詩の体系を提示しながら、その独創的な評価は没後に高まったという。宮沢賢治自身は、詩集「春と修羅」の詩「序」の中で、これらを詩とは呼ばす「心象スケッチ」と呼んでいる。

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これらは二十二ヶ月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
明暗交替のひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
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宮沢賢治は、大正デモクラシーの自由主義が高まった時代を生きた。急速に近代化する影で、農村部では窮乏に喘ぎ、馬や牛が売られる前に娘が売られたと聞く。庶民の政治への不信感が募る中、軍部の台頭を許し泥沼の戦争へと向かった。
本書にも、そうした社会風潮への批判が随所に見られる。これは東北農民の代弁なのか?労働者の代弁なのか?そして、「おれはひとりの修羅なのだ!」と叫びながら、まるで法華経に救済を求めるかのように、毘沙門天への思いが呪文のように唱えられる。その一方で、野や山や川を描写しながら自然と戯れ、厳しい冬、穏やかな早春など東北の季節を見事に歌い上げる。一般的な詩の題材としては、こちらの方がしっくりとするのだろうが、天の邪鬼には、社会批判や奇妙な呪文ばかりに目がいく。
心に映る万象は宇宙論に通ずるものがあり、実践的哲学、科学的表現、自然学的思考、仏教的精神、あるいは、自戒の語あり、童話のような詩句ありと、その多彩な言語群は学識の広さを見せつける。「モナド」という言葉まで登場するが、ライプニッツを意識しているのか?アリストテレス的な宇宙観を意識しているのか?
しばしば、括弧でくくったト書のような文を付して臨場感を煽り、字間による視覚効果にもこだわる。突然調子の変化で戸惑うこともたびたび、それが退屈しなくていい。日常の取るに足らない光景を、さりげなく芸術にしてしまい、おまけに戦地の司令官の命令までも詩にしてしまう。
そして、最後の最後に、あの有名な「雨ニモマケズ...」で直接的な描写で完結し、安心感を与えてくれる。ここに掲載される詩群は、立体的な観点から一つの体系と見なすことができそうだ。

1. 自然に身を委ねる風狂ぶり!
「蠕虫舞手(アンネリダテンツエーリン)」の異質な言葉遊びは笑える。

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8γe6α(エイト ガムマア イー スィックス アルフア)
ことにもアラベスクの飾り文字
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これは化学式か?はたまた暗号か?5つの文字をなぞって何度も繰り返す。蠕動する虫の動きを文字の形で表現しているのだが、もはや詩という枠組みでは説明できない。

2. 絶望か?ニヒリズムか?
「白菜畑」の中身は、その題目から意外性を感じる。

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盗まれた白菜の根へ
一つ一つ萓穂(かやぼ)を挿して
それが無抵抗主義なのか

水いろをして
エンタシスある柱の列の
その残された推古時代の礎に
一つに一つ萓穂が立てば
盗人(ぬすびと)がこゝを通るたび
初冬の風になびき日にひかつて
たしかにそれを嘲弄する
さうしてそれが無抵抗思想
東洋主義の勝利なのか
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3. 呪文の度が過ぎると、そこは異次元だった!
「祭日」の呪文は、もはや宇宙人の感覚だ。

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アナロナビクナビ 睡(ねむ)たく桐咲きて
峡(かひ)に瘧(おこり)の やまひつたはる

ナビクナビアリナリ 赤き幡(はた)もちて
草の峠を 越ゆる母たち

ナリトナリアナロ 御堂のうすあかり
毘沙門像に 味噌たてまつる

アナロナビクナビ 踏まるる天(あま)の邪鬼(じゃき)
四方につつどり 鳴きどよむなり
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ちなみに、法華経の言葉に、こんなものがあるらしい。
「阿犂 那犂 菟那犂 阿那蘆 那履 拘那履」(アリ ナリ トナリ アナロ ナビ クナビ)
なるほど、この六語を組み合わせると、奇妙な呪文ができるというわけか。ほとんど記号学の世界だ。

4. 宇宙人の詩の中にも人間の詩があった!
最後の方に収録される詩群「肺炎詩篇」「手帳より」でストレートな表現に出会うと、なぜかホッとする。尚、宮沢賢治は肺炎で亡くなったそうな。「病相」という詩では刻々と衰えていく様子を描写する。「眼にて言ふ」という詩は、出血の様子からもうダメだ!という心境を眼で訴えているのか?それとも周りの空気から察知したのか?

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わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです
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「雨ニモマケズ...」は、「手帳より」に掲載されるが、メモとして書き留めたものだろうか?最後にこの詩に出会うと、やっと安心して眠れるのであった。

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雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
 ~
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
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