2024-04-28

"MIND パフォーマンス HACKS - 脳と心のユーザーマニュアル" Ron Hale-Evans 著

本書の位置づけは、そのタイトルからして Tom Stafford と Matt Webb の共著 "MIND HACKS" の続編といったところ。
"MIND HACKS" に出会ったのは三年ほど前、コンピュータ認知神経科学者を自称する Tom Stafford に、テクノロジーと物理学に関して仕事と趣味の両面で躍動する Matt Webb とくれば、その人物像からも興味深い書であった。彼らの共著が、脳の働きや仕組みなどを交え、やや理論的であったのに対し、ここではより実践的的な方法を紹介してくれる。
Ron Hale-Evans は、頭脳トレーニングのデータベース "Mentat Wiki"  https://www.ludism.org/mentat/ を立ち上げ、それが本書の生まれるきかけになったという。Mentat という名は、フランク・ハーバートの SF 小説「デューン」に出てくる「メンタート(人間コンピュータ)」に由来するそうな。
尚、夏目大訳版(オライリー・ジャパン)を手に取る。

脳は、誰もが生まれつき具える最も身近なツール。だが、こいつをうまく使いこなせる人は少ない。それは、あまりに身近すぎるということもあろう。自分の脳を操るということは、自我と真っ向から対峙することになる。自我ほど手に負えないヤツはいない。だが、こいつをほんの少しでも操ることができれば、その効果は計り知れない。デルポイの神殿に刻まれる言葉は、ことのほか重い... 汝自身を知れ!

本書は、「記憶」「情報の処理」「創造力」「数学」「意志決定」「コミュニケーション」「明晰さ」「知性の健康」といった章立てから、脳の能力を引き出すテクニックを紹介してくれる、いわば、脳の取扱説明書。

まず、「記憶」は人間が人間たらしめるための根源的な素材となる。カントはア・プリオリな認識概念として時間と空間を挙げたが、この二つの認識もまた記憶によって生じる。ノイマン型コンピュータにしても、記憶装置がなければ機能しない。
では、脳内の記憶力を活性化させるには、どうすればいいだろう。ここでは、事象と数字の結びつけや替え歌などが提示されるが、要するに、何らかの効率的な関連付けで効果が得られるということ。キェルケゴールは... 人間とは精神である。精神とは自己である。自己とは、それ自身に関係する関係の... と、精神の正体をあらゆる総合的な関係で語った。人間の認識なんてものは、すべて関連付けで説明がつくのやもしれん。
したがって、記憶とは、ある種の言語化であり、あらゆる記憶には、こじつけやダジャレが有効となろう。そして、記憶力の活性化では言葉遊びを楽しみたい...

次に、「情報の処理」とは、記憶という素材を活かすための行為と解しておこう。高度な情報社会ともなれば、情報が洪水のように押し寄せてくる。これをすべて記憶し、処理することは不可能。今日では、情報を入手する能力よりも、情報を捨てる能力の方が重要となる。学習は自分の脳に合わせて。そうでないとすぐにオーバーフローしちまう。まずは自分の脳の度量を分析し、把握し、自分に合った学習スタイルを模索すること。そして、未来が過去に埋め尽くされることは避けたい...

「創造力」は、個人の独創性によるところが大きい。人が成し遂げることはすべて創造力に発するし、帰納的な推論も、科学法則や数学の方程式を編み出す時でさえ、ドラマチックな創造力を見る。だが、こうした個人の力さえも、ある程度ハッキングが可能だという。比喩的に考えたり、夢日記をつけたり、自問自答したり、あえて制約を設けることによってアイデアが開けることも。無作為な発想を箇条書きに...
古くから伝わる格言は比喩的な言葉ばかり、だから金言にもなる。アイデアは、まったく無関係なことを関連づけることによって浮かび上がることがある。創造力もまた記憶とその処理の仕方で促せるというわけか。時には虚空を見つめ、瞑想にふけるも良し。そして、自らの変身願望をも利用し、時にはナルシストに...

「数学」というと身構えしそうだが、ここでは数と戯れるといったニュアンス。人間の多種多様な単純動作の中に、普遍的とも言うべき行為がある。それは、「数を数える」という行為。数には、なにやら心を落ち着かせるものがある。精神病患者や知的障害者などは、心が落ち着かない時に数を数え始めると聞く。ある種の儀式のように。サヴァン症候群のような突飛な能力の持ち主ともなると、数字が風景に見えるらしい。おいらも、デスクトップ上のスキャンカウンタをなんとなく見入ったりする。まさに、万物は数なり!
科学の格言には、何事も理解したければ、そいつをバラバラにして構成要素へ還元せよ!というのがある。数の特性で言えば、因数分解がそれだ!。そして、車のナンバーには、暗号理論で見かける安全素数でも...

また、「意志決定」のプロセスでも数学を利用し、迷った時はあっさりと確率論に委ねる手もあり。悩んで時間を無駄にするぐらいなら、コイン投げで決めるさ!
さらに、「コミュニケーション」では、言語を重要視する。使用する言語は思考に影響を与える。違う言語を使えば、新たな発想が得られるかも。ゆえに、自然言語を学ぶべし!
さらにさらに、オリジナル言語の作成を推進している。これを拡大解釈して、口癖を付け加えておこう。いや、独り言を...
偉人たちの名言に学ぶことも多い。言語作成は、言語特性ばかりでなく、人間の知性や思考法についても、多くを学べる。
ちなみに、be 動詞の多用は、態度や考えが独善的になりやすいのだそうな...

「明晰さ」とは、ちち異質な章立て。曖昧さを排除し、澄んで濁りのないことを意味するような。しかし、ここでは合理的なモノの見方、あるいは、感情に惑わされず、正しく見ることを指している。
怒っていたり、落ち込んでいたり、脅えていると、十分に考えることができず、いろいろなことが頭の中に渦巻いていると、考えることも難しい。知性と感情は、互いに影響し合うことを前提に、自問自答のテクニックを経験主義、論理主義、実用主義の三つのタイプから提示してくれる。何事もポジティブに考えればいいというものではあるまい。現実を見据えた上で自己分析を試みるには、ネガティブ思考も必要である。
主観で物事を考える知的生命体の認知には必ず歪みが生じる。悪い事に目を奪われ、恐怖心に襲われ、レッテルを貼り、過小・過大評価し、一般化をやり過ぎ、せねばならぬ思考に陥る。これを打破するのは、日々修行するしかあるまい。自己催眠や瞑想も、一つの手段。独り言も有効!客観的に自己を見つめることが難しいとなれば、自己インタビューをやってみる。言語は何も人と話をするだけのものではない。
そして、「知性の健康」には、普段から心のケアを... おいらは、ルービックキューブや詰将棋で気分転換!コンピュータゲームも悪くない。脳のオーバクロックが必要な時は糖分を補う。ところで、向精神薬ってどうなんだろう...

2024-04-21

"コミュニケーションとコンピュテーション" 稲垣康善 著

本書は、情報通信と計算技術を支える理論についての教科書である。教科書であるからには、今更感は否めない。
しかしながら、初心に返る意味でも、教科書的な存在は意外と大きい。なにやら忘れかけたものを思い出させてくれるような...

コンピュータ工学における情報と計算は、物理学における物質やエネルギーと同様、基礎概念として君臨している。
それぞれの歴史を紐解けば、クロード・シャノンは情報の内容を問わず、ひたすら情報の量に着目して数学的理論を打ち出した。
アラン・チューリングは計算可能性を追求した抽象的な計算機理論、いわゆる、チューリングマシンを提唱した。
ここでは、通信路モデルと計算機モデルの融合という観点から、コンピュータ工学を物語ってくれる。

「コミュニケーション(通信)とコンピュテーション(計算)は、情報の学問と技術の核心である。」

1. 通信路モデル
まず、あの有名な式を押さえておこう。

  H(X) = -ΣP(x) log P(x)

そう、情報理論のエントロピーだ。この用語は捉えどころが難しく、通信理論においてもカオスのまま。
そして、シャノンの第一基本定理と呼ばれる「情報源符号化定理」と、これに雑音特性を付加したシャノンの第二基本原理と呼ばれる「通信路符号化定理」を経て、より現実な世界へと導かれる。
そこで、根幹となる技術が誤り検出と誤り訂正符号である。今日のデジタルシステムを根幹から支えているのは、この技術と言ってもいいだろう。完璧な誤り訂正システムは存在しない。情報効率を高めようとすれば、尚更。そして、確率論に持ち込まれる。通信媒体や記憶媒体によっては、用いる符号も違う。
ちなみに、本書では扱われないが、リードソロモン符号などはデジタルシステムでよく用いられ、符号化と復号化が複雑な分、訂正能力が高く、バイト単位で処理できるのも記憶媒体と相性がいい。
そして、生成多項式とにらめっこする羽目に... というのが、おいらの仕事の定番である。

2. 計算機モデル
まず、有限オートマトンを押さえておこう。論理で構成できれば、言語化や記号化ができる。プログラミングとは、まさに言語化、記号化の世界。
それは、データを記憶領域内でどのように表現し、どのような手順で処理するかを記述すること。そう、アルゴリズムってやつだ。プログラミングでは、このアルゴリズムの設計が基本となる。そして、論理システムは、有限集合のステートマシンで記述できる。
計算可能性では、状態遷移関数が帰納的関数であるかどうかが鍵となる。これこそが、「チャーチ(=チューリング)の定立」ってやつだ。
さて、万能マシンは可能であろうか。それは、多項式時間で計算可能か、そんなアルゴリズムが存在するか、という問題と絡み、さらに停止性問題と絡む。ゴルディアスの結び目のごとく...

「構造ないしは構造物の複雑さを計る尺度がないことは、情報科学とコンピュータ科学の理論的支柱の間の最も基本的なギャップであると考えている。」
... F. P. ブルックス

2024-04-14

"方程式のガロア群" 金重明 著

群、環、体を巡り、線型空間をさまよう。すると、いつしか初心に返る。そういえば学生時代、ブルーバックス教(狂)にのめり込んだものだ。それは、自然科学や科学技術の一般読者向けシリーズ。相対論も、量子論も、マクスウェルの悪魔も、ラプラスの悪魔も、ここに始まった。ガロア群では逆流する格好だが、相手が難攻不落となれば、思考パターンの原点に立ち返ってみるのも悪くない...

数学界に大変革をもたらしたエヴァリスト・ガロア。そんな大数学者も生前は全く評価されず、ひとりの女をめぐる決闘で命を落とす。享年二十歳。彼は、その短い生涯の中で問い続けた。「方程式が代数的に解けるとは、どういうことか」と...
具体的には、冪根の記号 n√x や四則演算の記号で解を記述できるってこと。しかし、そうした記号も定義に過ぎない。

五次以上の方程式に代数的解法がないことは、アーベルが証明した。
それどころが、三次や四次でも解の公式は複雑だし、実践的には、グラフ上でシミュレーションし、X 軸との交点あたりで近似する方が手っ取り早い。近似の概念を許せば、いくらでもやり方は広がる。だが、ガロアは代数的方法にこだわった。真の数学者たる所以か!
従来の数学は、数式を変形しまくり、そこに活路を見い出してきた。ガロアは、数式の操作に限界を感じ、数自体の構造や性質を調べるという新たな視点を与えた。そして、方程式が代数的に解けるための必要十分条件を見い出す...

「方程式が代数的に解けるかどうかは、ガロア群を分析すれば分かる。ガロア群が可換群であれば、その方程式は代数的に解け、可換群でなければ、代数的に解けない。」

数学の世界は、公理に矛盾しなければ、どんな思考も、どんなやり方も許される。この世界を支えているのは、理性による証明のみ。逆に言えば、証明を疎かにした途端に崩壊しちまう。
しかし、すべての証明を理解した上でないとガロア群を味わえないとすれば、数学の落ちこぼれには酷だ。
まず、ガロア群には、体の自己同型群という見方がある。ここでは、そうした形式的な見方をほぐし、具体的な方程式におけるガロア群を紹介してくれる。アクアリウムで生態系でも観察するようにガロアの群れを観察する... というのが本書のコンセプト。だからといって、現実に方程式が与えられた時、ガロア群をどうやって構成するのか?という問題は残されたままだけど...

まず... ガロア拡大体と Z/nZ の世界が待ち受ける。
ガロア拡大体では、方程式の操作で因数分解を検討し、その方程式の持つ係数体の範囲内で因数分解ができるか、あるいは、係数体の範囲外に体を拡大しなければ因数分解できないか、すなわち、可約か既約か、が問われる。
体とは、四則で閉じた世界。実数体は有理数体の拡大であり、複素数体は実数体の拡大であり、そしてガロア拡大体とは、方程式のすべての解をカバーできるほど拡大した体を言う。
Z/nZ とは、Z は整数で、nZ で割った数。つまり、mod n を問う世界。モジュラ演算が巡回群と相性がいいことは、言うまでもない。それは、演算をすこぶる単純化してくれる性質で、数の性質を見極める時に有効となる。

「ガロアは、方程式を解くとは、係数体をガロア拡大体まで拡大することだ、ということを見抜いた。方程式を代数的に解くとは、係数に四則と累乗根をほどこして解を表現することだった。体の中で四則演算は自由に行える。しかし累乗根を求めるためには、体を拡大しなければならない。つまりポイントは、累乗根を用いて体を拡大するとはどういうことなのかを解明することにある。その鍵を握っているのが、ガロア群なのだ。」

次に... 円周等分方程式で、1 の n 乗根の世界が広がる。
1 の n 乗根とは、xn = 1 の根。これを移項して因数分解すると...

  (xー1)(xn-1 + xn-2 + ... + x2 + x + 1) = 0

それは、xn-1 + xn-2 + ... + x2 + x + 1 = 0 を解くことを意味する。
これが、円周等分方程式ってやつだ。
そして、ユークリッドの時代から語り継がれてきたコンパスと定規による作図問題と結びつける。代数学が幾何学と結びつくと、収まりがいい。

こうした世界を念頭に... 二項方程式のガロア群は Z/pZ (p: 素数)の加法群と同型に、円周等分方程式のガロア群は Z/pZ の乗法群と同型に、一般的な方程式のガロア群はもっと一般化された置換群に... といった具合にガロアの群れを観察していく。

「自我や心が脳の作用であることを疑う人はほとんどいないだろう。しかし脳神経の、物理的、化学的な情報交換が、どのようにして自我の意識へと創発するかについては、何もわかっていない... 数についての謎も同様だ。人類が解明した数は、せいぜい加算無限個にしか過ぎない。人類が解明した数には名前が付いており、あいうえお順でもいいし、abc 順でもいいが、それを一列に並べることができるからだ。しかし数直線上に存在する実数は、非加算無限個ある。... 人類の認識と、実数までの間には、まさに、誰にも渡れぬ深くて暗い河がある。」

2024-04-07

"代数方程式とガロア理論" 中島匠一 著

群、環、体をめぐる旅。それは、線型空間をさまよう旅。そこにどんな御利益があるというのか。それを味わうには資格がいるらしい。ガロア理論に辿り着いたという資格が...
それでも、我武者羅にやっているうちに、薄っすらと見えてくる... ってこともある。御利益とまではいかなくとも、考え方だけでも味わえれば... まずは頭を空っぽにし、抽象数学とやらに触れてみる。
すると、数を計算する学問から、数の性質を味わう学問へ。数学は楽しい。数学の落ちこぼれでも、やはり楽しい。数学は哲学である... というのがおいらの持論である。

「ガロア対応の理論を創造し、それを代数方程式の解法に応用したのがガロアの仕事である。本書では『体の代数拡大に対する』本来のガロア理論だけを紹介してあるが、現代の数学ではガロア対応は単に代数拡大の理論だけにあるものではなく、もっと多くの対象について成り立つことがわかっている。それだけでなく、『(広い意味で)ガロア対応が成り立つこと』が数学における美しさの基準の一つになっているといってよいと思う。その意味でガロア理論は数学の理論の一つの雛形となっており、それが『ガロア理論は一つの思想である』という主張の内容(の一部)である。」

本書は、代数方程式とガロア理論について基本的なことをまとめた入門書。ガロアの動機は、代数方程式の解の公式を求めることに発している。
著者は主張する、「ガロア理論は代数学の華(はな)である」と...

さて、ここで抑えておきたいキーワードは、「代数拡大」「ガロア対応」

代数拡大とは...
ある数の体系が別の数の体系を代数的な性質で飲み込むといった現象をよく見かける。代数的な性質とは、二項演算において、加法や乗法、あるいは、交換法則や結合法則や分配法則が成り立ち、零元や単位元が存在するといったこと。
例えば、有理数体は四則演算において実数体に飲み込まれ、実数体もまた複素数体に飲み込まれる。
この性質を多項式に拡大すると、おいらの思考はたちまち破綻しちまう。そこで、物事を理解したければ、まずバラバラに分解して構成要素に還元せよ!という考えがある。整数を因数分解していけば素数に辿り着く。多項式で同じことをやれば、既約多項式に辿り着く。"Tn - a" といった形で。これを突破口に、代数拡大の理解を試みるのであった...

ガロア対応とは...
体を代数拡大する過程で、中間体というものが考えられる。集合論でいえば、部分集合のようなもの。これにガロア拡大を仮定してガロア群を考えると、これにも部分群が現れる。
すると、体の中間体とガロア群の部分群の間に、一対一の対応が見られるという。
すべての有限群は、ガロア群に含まれるというのか。少なくとも、その可能性があるというのか。うん~... 人を見たら泥棒と思え!というが、群を見たらガロア群と思え!というわけか。抽象レベルの高すぎる数学は、魔術と見分けがつかない...

「G を任意の有限群とする。このとき、Gal(L/K) = G をみたすガロア拡大 L/K が存在する。」

2024-04-01

リンゴの力学... 存在の重さは何グラム?

なぁ~に、四月馬鹿のたわごとよ...

リンゴを食すは、邪心の表れか...
ある説によると、アダムとイブが口にした禁断の果実はリンゴであったとか。真相は知らんが、どうやら旧約聖書の翻訳時に生じた解釈のようだ。つまり、禁断の... を表すラテン語の "malus" は、形容詞では「邪悪な」となるが、名詞では「リンゴ」となるらしい。
神様がダジャレ好きなら親しみやすい...

リンゴの力学に何を見る...
リンゴをかじると、歯ぐきから血が出る輩がいれば、リンゴが落ちると、万有引力の法則を見る御仁もいる。かのニュートン卿によると、地球上の重力はすべての物体に平等に働くことになっている。
しかし、重力が平等に働いても、重みはそれぞれ。巷では、なにごとも重みがある方が価値が高いとされる。名誉の重みに、権威の重みに、責任の重みに、金の重みに... 愛の重みと。価値関数ってやつは、なんであれ重みに大きく反応しやがる。そして何よりも、存在の重みだ。物理学では、重力を通して質量ってやつが幅を利かせ、こいつほど自己存在を意識させる物理量はあるまい。

人間は自分の存在感を強調する余り、他人より大きな重みを求めてやまない。
影では、女性諸君は体重計の上で軽い存在を演じておきながら、鏡の前での念入りな厚化粧もひび割れしては、お肌の曲がり角も曲がりきれない。
男性諸君はというと、普段は常識や形式を重んじる理性者どもが、夜の社交場でちょいワルオヤジを演じてやがる。不良ぶるのがモテる秘訣と言わんばかりに。これが右曲がりのダンディズムってやつか。
女性諸君も、男性諸君も、人生のコーナーをやや攻めすぎていると見える。

かつて人類は、宇宙観を力で語り、エネルギーで語り、そして今、情報で語ろうとしている。自己主張の旺盛な現代社会では、存在感の可視化がそのまま精神上の問題となる。自己肯定とは、自己の正当化というわけだ。
健全な懐疑心の持ち主は、まず自分自身の存在感を疑うであろう。自己否定に陥っても愉快でいられるなら、それこそ真理の力学というもの。
心のサイズは分からなくても、心臓のサイズなら分かる。大きさは握りこぶしぐらいで、重さは約 200 から 300 グラム。
ちなみに、行きつけの寿司屋の大将は、怪しげな笑みを浮かべて... 心を握ります!などと囁く。気色わるぅ~...

リンゴを食せば、自由が得られるか...
リンゴを食せば、糖分が摂取でき、自由エネルギーを得る。自由エネルギーとは、原子のランダム運動によって生じるエネルギーではなく、なんらかのエントロピーに関連づけられた法則的で秩序あるエネルギーだ。つまり、物理学は、秩序から自由が得られると告げている。
糖分に含まれた自由エネルギーは肉体の中で運動エネルギーに変換され、身体も熱くなる。まさに、自由への情熱は熱い!自由への渇望が、アダムとイブをリンゴへと向かわせたのかは知らんが...

すべての物体が同時に落下するって本当?
義務教育では、真空ではすべての物体は同時に落下する... なんて教わるが、天の邪鬼には、どうもピンとこない。重いヤツの方が速く落ちる... とする方が収まりがいい。その証拠に、アルコール濃度の重い方が撃沈するのも速い。そして、自己存在の重さはスピリタスといきたい!

なぁ~に、四月馬鹿のたわごとよ...