2021-03-28

ISP 320M から 1G へ... 増速工事よりメンテナンスでスッキリ!

J-com さんからインターネット増速プランの案内がきたのは、2020年4月。320M コースから 1G コースへの。
そして、2021年3月に申し込むと、工事費が無料!という追い打ちが... おいらは、暗示にかかりやすいのだ。
二十年間利用してきて、乗り換える気はないし。今のところ...


正直言って、1G なんて名前に期待していなかった。倍にはなるかなぁ.. ぐらいなもので。案内には「モデム交換工事」とあり、モデムの交換だけで、そんなに改善されるとも思えない。
ところが、二十年前に屋根裏に設置したブースタの交換と信号レベルの調整に、分配器や保安器などすべての経路を丁寧にチェックしてくれた。1G ともなると、モデムの交換だけでは性能が出ないらしい...


実は、ブースタへの電源供給部の接触が不安定で、掃除の時にモップが当たると、接続が遮断したりしていた。基板も浮いているようで、カラカラ音がする。触らなければ問題ないので、数年間放置してきた。何かのついでに... と思っていたところ、今回、ちょうどいい機会になったという次第である。
ブースタ交換にともない、その電源供給部も交換、ついでに古くなった接続部も交換。おかげさまで、懸念材料がすべてクリア!増速よりもメンテナンスで非常に有意義な工事となった。
工事担当者にも恵まれたのだろう。来訪時間がギリギリで、作業時間もちょっとかかったけど、納得!
こんなに大袈裟な増速工事になろうとは、いや、こんなに大々的なメンテナンス作業になろうとは... ありがたや!ありがたや!


さて、速度は?というと... まぁまぁ。
工事屋さんの経験によると、測定値の平均は 500Mbps ~ 650Mbps ぐらいだそうな。うちの測定値は、700Mbps ほどでビックリしていた。環境は、かなり良よさそう。場末の一軒家だし。都心だと、こうはいかんらしい。
J-com はネットが弱点なんですよ!なんて愚痴をこぼしていたが、実は、技術屋さんの本音が聞けるのも貴重だ。企業組織では、営業トークで本音を漏らすと厳しく叱る上司もいるが、向上心ある技術屋さんは技術に対しては素直なもので、その実直さが信頼に繋がる。また工事機会があれば、指名したいぐらい...

参考までに、測定サイトでは、瞬間スピードが 800Mbps を超える模様。上りの 10Mbps はあんまりだったけど、100Mbps にアップして少し救われた。下りのアップよりありがたいかも...


  ピン   ダウンロード速度  アップロード速度
  24 ms  819.95 Mb/s       97.27 Mb/s
  @Home Network Japan
  by https://www.bspeedtest.jp/ (9:00 AM)


新規のモデムは、HUMAX HGJ310V3...
ルータモードとブリッジモードを試すと、ややブリッジモードの方が速い。但し、30Mbps ほどの差で、誤差の範疇か。タイミングによってはルータモードの方が速いかも。とりあえず、シンプルな構成でブリッジモードに...
尚、VPN のスループットがちと目立つようになった。うん~... VPN ルータへの投資が悩ましい...

参考までに、構成は...


  +- HUMAX HGJ310V3           # J-com Modem 1G, Bridge mode
    +- YAMAHA RTX810          # Router 1Gbps/VPN 200Mbps, dhcp/dns
      +- BUFFALO WSR-2533DHPL # WiFi Access Point 1733Mbps(5GHz)
        +- ...
      +- Corega CO-BSW08GTX   # Switching Hub 1000BASE-T
        +- ...
  # LAN ケーブルはすべて CAT6a


30Mbps ぐらいで誤差と言える時代とは...
二十年前は、12M コースだったような。当時は、誤差の量ほども仕事をしていなかったということか。
もっと遡ると、9600 ボーの時代が懐かしい。ギーガギーガ音がかすかに耳に残る。ボーなんて単位を知る人も、いまや少数派のようだ。仕事仲間に余計なことを喋っていると、ボーレートと bps の違いを質問され、物理的な位相変調のイメージをホワイトボードで説明する羽目に。変調イメージは、イーサネットでも無線通信でも基本は同じなので、知っておいて損はないだろう。高速になればなるほど、設計者は物理的なアナログ特性を考慮することになるのだから。
ただ、ネアンデルタール人でも見るような目線を感じるのだった...

2021-03-21

"人間の条件" Hannah Arendt 著

人間である条件とはなんであろう。こんなことを自分に問えば、人間失格の烙印を押されちまう。ハンナ・アーレントも、随分と酷なことを...


しかし彼女は、これを問わずにはいられない時代を生きた。家は上層中産階級のドイツ系ユダヤ人。両親は知的職業の社会主義者。ただ、彼女自身は伝統的な宗教儀式から離れ、いわゆる若い世代に属していたようである。

マールブルク大学でハイデガーやブルトマンに学び、フライブルク大学ではフッサールに師事し、ハイデルベルク大学ではヤスパースに... そんな彼女にして、政治活動家へ向かわせた条件とは...

社会主義ユダヤ人の娘という立場は、ナチズムが猛威をふるう時代では特別な意味があったことだろう。パリへ亡命するも、フランス敗北とともに強制収容所へ。なんとかアメリカ政府が発行したビザを手に入れ、難を逃れるも...

市場経済が世界恐慌で醜態を晒し、民衆が自由主義世界に幻滅する中、隣の芝生は青い... と言うが、よその世界が良く見えるもので、社会主義がもてはやされたのも、そうした流れがある。

ハンナの場合、労働に価値を求める点ではマルクス主義的。だが、労働と仕事を区別する点では反マルクス主義的。隷属的な労働と職人的な仕事とでは、人間として意味するものがまったく違う。それは、21世紀の現在でも問われていること。なにやらヘーシオドス風の原点回帰を思わせるような... ルネサンス風の精神回帰を思わせるような...

しかしながら、人間ってやつは、知能があるゆえに、理性を纏うがゆえに、自己破壊への衝動を抑えきれない。その意味では、シュンペーター風の自業自得論にも通ずるような...

尚、志水速雄訳版(中央公論社)を手に取る。


ハンナの危機意識には、三つのものが見て取れる。

一つは、ナチズムとスターリニズムの台頭。巨大な暴力が世界を全体主義へと向かわせる。彼女の言葉には、革命の時代が来たと鼓舞するレーニンのような高揚感は見られない。

二つは、画一化した大衆社会。労働が大量消費と結びつき、世界を食い尽くしていく。芸術作品ですら保存の対象から消費の対象へ。

三つは、世界に蔓延していく疎外という精神現象。科学や生産技術の高度化が、人間というものを見失わせる。核兵器や人工衛星などの開発で、地球に拘束されない宇宙的な立場を確立し、ますます人間優越主義を旺盛にしていく。

「共通世界の条件のもとで、リアリティを保証するのは、世界を構成する人びとのすべての共通の本性ではなく、むしろなによりもまず、立場の相違やそれに伴う多様な遠近法の相違にもかかわらず、すべての人がいつも同一の対象に係わっているという事実である。しかし、対象が同一であるということがもはや認められないとき、あるいは、大衆社会に不自然な画一主義が現われるとき、共通世界はどうなるだろうか...」


自己をしっかりと見つめなければ、社会像も曖昧になっていく。現実をしっかりと見据えなければ、理想像も空想化していく。それは、相対的な認識能力しか持ち合わせない知的生命体の宿命である。ハンナの目には、20世紀に出現した大衆社会が、私的領域も、公的領域も消滅した世界に映ったようである。確かに、大衆(体臭)は臭い!「人間の条件」とは、人間の危機を物語った書というわけか...

生きるために人間は、実に多くの人工物を編み出してきた。組織、生産、技術、知識... そして、労働と。古代都市国家の時代、労働は奴隷のものであった。労働の力学法則ってやつは、文明がどんなに高度化しても、あまり変わらんようだ。いや、高度化するほど顕著になるのかも...

ただ、彼女の言う「仕事」という概念は、古代から受け継がれる「哲学する」という行為の延長上にあるような。仕事とは、金儲けだけのものではあるまい。喰うためだけの手段でもあるまい。ボランティアだって、立派な仕事。自己を見つめるための手段とするなら、いくらでも仕事は見つけられる。これぞ、私的領域というものか。

個人が仕事をすれば、何らかの関係を持つことになり、その先に、公的領域までも開けてくる。人がなんらかの活動をすれば、その反作用として同時に受難者となる。それが、活動の力学法則というものか。

この際、関係の対象が、物理的なものか、仮想的なものか、そんなことはどうでもいい。仕事とは、人間であるための手段というわけか...


「どんな活動においても、行為者がまず最初に意図することは、自分の姿を明らかにすることである。これは止むを得ず活動する場合でも、自分の意志から進んで活動する場合でも同じである。どんな行為者でも、行為している限り、その行為に喜びを感じるのはそのためである。というのも、存在するものは、すべて、あるがままの自分を望むからである。さらに、活動においては、行為者であることはいくらか拡張されるから、喜びは必然的にそれに従う... だから、活動が隠された自己を明らかにしないなら、いかなるものも活動しないだろう。」
... ダンテ


ところで、人間に生物的な存在以上のものがあるのだろうか。自然界の一員であることを忘れちまった生命体に。それを放棄しちまった存在に...

宇宙に存在するあらゆる有機体は熱機関として働く。人間だって、喰って排泄するだけの存在。エネルギーをやりとりするからには、物質同士で何らかの関係を持つことになる。

しかも、同族同士で結びつこうとする性質があり、周期表に並ぶ原子族同士でも分子構造を持たずにはいられない。物質がなんらかの関係を持とうとするのは、万有引力の法則がそうさせるのだろうか...

人間社会でも、この同族の性質は保たれたまま。アリストテレス風にいえば、人間は社会的存在ということになるが、同時に集団依存症を患い、生まれつき奴隷説は未だ健在ときた。孤独を忌み嫌うのは、物質の特性であろうか...

人間目的なるものを知っている人間が、この世にいるのかは知らん。神とやらに与えられた使命があるのかも知らん。ただ、そう思い込むことは簡単だ。思い込みは、経験から生じる。経験が人を賢くするのか、愚かにするのか。いずれにせよ、経験は人と共有できる。自分自身が経験しなくても、他人の経験から学ぶこともできる。

人工知能ともなると、大量の経験データを瞬時にダウンロードできる。データがなければ、バカすぎるほどの判断力しか示せないヤツが、大量にデータをダウンロードした瞬間から、人間を超えた能力を発揮しちまう。コンピュータ科学が唱えるデータ共有とは、夢と希望に満ちた概念かは知らんが、実に恐ろしい。失敗したデータから学ぶことを忠実に実行する人工知能。対して、失敗を恐れすぎるほどに恐れる人間、あるいは、失敗なんぞとっくに忘れちまう人間。人間であるかどうかの境界面は、このあたりにあるのだろうか。

コンピュータが人間に近づけば近づくほど、人間は自分自身に問わずにはいられない。人間とは何者か?人間の役割とは何か?そして、人間であるとはどういうことか?と...


「どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、堪えられる。」
... イサク・ディネセン

2021-03-14

"MIND HACKS - 実験で知る脳と心のシステム" Tom Stafford & Matt Webb 著

オライリー君の Hacks シリーズの中でも、ちょいと異質感あり。自分の心をハッキングし、自分の人生をハッキングする。自分探しの旅に終わりはないのか...

ちなみに、行付けの寿司屋の大将が言っていた。心を握ります!って。気色わるぅ...


本物語では、基本的な脳の構造から、視覚や聴覚などの感覚系、運動や推論といった思考系、そして、これらの機能が連携する様子を観察しながら記憶の果たす役割が考察され、さらに、人間関係における脳の働きが論じられる。

脳には、各部位に違う機能が備わっていることが、科学的に判明している。だが、どのように備わっているかは不明のまま。よく見かける論説では、「論理の左脳」、「直感の右脳」といった類いのものだが、そう単純ではない。部位に機能的な傾向はあっても、独立して機能するものでもない。脳の損傷によって失われた機能を、別の部位が補うといった症例もある。脳内の複雑なネットワークによる協調と補完は、まさに神秘!創造主は神だ!と信じるのも無理はない。

おまけに、脳が司令する意思には、二つのものある。意識した意思と、意識してない意思とが。しかも、その境界も曖昧ときた。意識した意思が言語化すれば、おそらくそれは自分自身の意思であろう。では、意識していない意思は、誰の意思か?聖職者が答えてくれる。それは神のお告げ... と。俗人も負けじと答える。それは悪魔のささやき... と。

脳というブラックボックスには、自我とは別に暗躍するヤツらも住み着いていそうだ。脳を操る黒幕どもが。それが、深層心理ってやつかは知らん。もしかして脳ってやつは、神と悪魔の共同作業でこしらえたものということはないのか。神と悪魔は、表裏一体ということはないのか。主観と客観の関係のような。ヤツらは、グルってことはないのか。やはり人間は人間らしく、ヤツら双方と距離を置き、中庸を生きるのが収まりがいい...


ところで、思考する知的生命体が、思い込みってやつを排除することができるだろうか。精神などという得体の知れないものに取り憑かれながら。主観に支配されれば、客観への憧れを妄想にまで膨らませ、科学する衝動を抑えきれない。

ちなみに、客観的に語ると宣言した有識者どもの主張が、客観的だったためしはない。無い物ねだりというやつか。

脳ってやつが、いかに幻想や錯覚を見せていることか。自我の安定を図るために。

巷では、感情を抑えるのが大人の態度とされる。だが逆に、これを存分に解き放ち、本音に耳を傾ける方が合理的ということはないだろうか。怒りも、悲しみも、憎しみも、喜びも... 感情のすべてを利用し、愚痴までも存分に吐き出して言語化する。小説家とは、そういう類いの人種では。内にあるものすべてを曝け出し、恥を忍んでまで表現力の限界に挑む。芸術家とはそういう類いの人種では。人がどうであれ、そんなことは気にもかけず、素直に自分の本心に従って行動する。これぞ自由精神の体現。Mind Hacks... とは、そういうことだと解している。

無意識の領域は、ことのほか広大だ。考えや記憶を植え付けるには、いろんな裏技がありそうだ。思い込みにも情緒あり。脳には、脳の持ち主ですら知らない人生があるのやもしれん...


1. レクリエーション神経科学

この手の研究は、「認知神経科学」という分野に属すそうな。「認知心理学」という用語なら見かける。情報処理的な観点から、知覚や記憶、言語操作や意思決定といった心理プロセスを研究する分野である。これに、脳科学を融合したような...

脳を一つのブラックボックスに見立て、外部から様々な情報や刺激を与え、反応の仕方や反応時間の変化を観察する。EEG(脳電図)、PET(陽電子放射断層撮影法)、fMRI(機能的磁気共鳴映像法)、TMS(経頭蓋磁気刺激法)といった手法を駆使し、脳の各部位の活動を可視化する。

すると、「人間は脳の 10% しか使っていない」などという神話も崩れていく。10% しか使っていないなら、90% はいらないってか。ただ、この手の神話は、人間の可能性とやらを夢見させてくれる。希望めいた可能性は、人の心を動かすが、同時に危険でもある。絶望と背中合わせで。それで、心に平穏がもたらされるのなら、これも精神的合理性というものか。合理性という概念も、ちょいと角度を変えて眺めると、多様な合理性が見えてくる。

本書は、一般人にも実践できる数々の思考実験の冒険へといざなう。尚、「マインド・ワイド・オープン - 自らの脳を覗く」の著者スティーブン・ジョンソンは、これを「レクリエーション神経科学」と呼んでいるという...


2. 複雑な脳のリレー構造と多重人格性

中枢神経系を眺めるだけでも、複雑なリレー構造が見て取れる。

まず、脊髄の二つの神経、感覚の情報を受取るレセプターと筋肉や分泌腺を機能させるエフェクター。脊髄のニューロンの束が脳に到達する脳幹。さらに、後脳、小脳、中脳、大脳へ。

後脳は、主に、呼吸、心臓の鼓動、血液供給量の調整を担い、自動的に働く。小脳は、学習や運動の制御で重要な役割を担う。

ちなみに、小脳は最も古い脳とされ、進化において最初に獲得したとも言われるそうな。

中脳は、後脳と前脳を中継し、人間の場合は小さくなっているが、コウモリなど中脳が非常に発達している動物もいるという。

大脳は、右半球と左半球に分かれ、さらに前頭葉と後頭葉に分かれて四つの葉で構成される。これらを覆う大脳皮質には様々な機能が部位的に埋め込まれ、人間が人間らしくいられるのは、この大脳のおかげである。

そして、無数の神経から発せられる大量の情報をニューロンが電気信号で伝達し、脳が活発になると血流も著しく増加する。脳の中では、絶えず電子の嵐が吹き荒れているわけだ。

ひとりの人間の身体は一つだから人格も一つと見てしまいがちだが、脳の複雑なメカニズムを眺めると、二重人格、いや、多重人格の方が自然な姿に見えてくる。脳疾患とこれにまつわる精神病とは、進化の過程を今まさに実践している状態を言うのかもしれん...


3. 左脳か、右脳か

一般的に、左脳は言語認識、分析推論、論理的思考などの役割を担い、右脳は身体感覚、空間認識、芸術性、創造性などの役割を担うとされる。

人間のタイプでも、左脳型と右脳型で分類されるのをよく見かける。左脳型は言語力や計算力に優れ、右脳型はひらめきやイメージに優れるとされたり、あるいは、前者は真面目で几帳面、後者は楽観的でマイペースと言われたり。

右脳と左脳は、常に情報交換しながら協調しあい、補完しあっているのは確かであろう。しかし、それだけだろうか。反目しあったり、邪魔をしあったりすることはないのだろうか。何事も関係を持つということは、そういうことであろう。精神分裂症の境界面は、このあたりにありそうな...

では、左脳と右脳の連携を、外部からコントロールすることは可能であろうか。脳というブラックボックスに対して、入力と出力の関係から考察してみる。

そういえば、脳の処理傾向を、指の組み方、腕の組み方、足の組み方といった、さりげない癖で診断する方法を見かける。指の組み方は脳の入力側で、つまり、物事を直感的に捉えるか、論理的に捉えるか。右の親指が上になると、論理的に捉える傾向にあるらしい。腕の組み方は脳の出力側で、つまり、物事を直感的に処理するか、論理的に処理するか。右腕が上になると、論理的に処理する傾向にあるらしい。足の組み方も、性格診断で用いられたりする。右足が上になる人は常識行動タイプで、左足が上になる人は大胆行動タイプとか。

こうした傾向は、犯罪心理学や営業心理学にも用いられる。対面した人の手足の動きを観察しながら。利き手が、右か、左かでも、脳の半球説で論じられるのを見かける。

さて、入力側と出力側で左脳派と右脳派を区別するだけでも、四つのパターンができる。物事を直感的に捉えて論理的に処理したり、物事を論理的に捉えて直感的に処理したりもするわけだ。直感だけに支配される脳も味気ないが、論理だけに支配される脳も面白味がない。

そこで仕事中に、脳内の思考回路を操作しようと、腕や足を組み替えて、すべての組み合わせを試すのだが... うん~... うまくコントロールできているかよう分からん。結局、人間の最も人間らしい行動は、気まぐれだ!という考えに落ち着いちまった。ちなみに、ダンディズムってやつは、右曲がりで演じるらしい...


4. 視覚の罠

視覚系は大きな謎である。物体の形や色を見分けるだけでなく、奥行きや運動までも感知し、身に降りかかる危険かどうかまで瞬時に判別する。目の網膜に当たった光だけを頼りに、あらゆる脳内組織が連携した結果として見える世界。それは真実の世界であろうか。

例えば、生まれつきの盲人が、青年になって手術を受けて視覚を獲得した際、映像は見えるようになっても、それが自分自身とどう関係するか、それが危険な状況にあるのか、といった判断がまったくできず、却って情報処理が負担になって精神病を患ってしまうという症例もある。

今、目で見ている映像は、経験的に関連性をもたせた結果ということか。つまり、脳が映像を作っていると。人間にとって、見たまんまというほど説得力のあるものはない。

となれば、視覚が正常な人ほど、映像で洗脳することも容易いということか。だから、深く考えようとする時には本能的に目を閉じるのだろうか...

現代社会は映像情報に溢れ、アニメーション効果も絶大である。4K に 8K と解像度は格段に上げっても、フレームレートは変わらない。NTSC 方式であれば、毎秒 30 フレームのコマ送り。人間の目は、このフレームレートで十分すぎるほど誤魔化すことができるというわけか。

高度な認識能力を持つ宇宙人は、こんなノイズだらけの映像を見ている生命体を不可解に眺めているかもしれない。だから、遠くから観察しながらも、近寄ろうとしないのかは知らんが...

人間の視覚系は、物体の動きに対して補間機能が自動的に働く。人間の心にとって、連続性はよほど落ち着くと見える。逆に、ノイズがない純真な世界は、心が落ち着かないのかもしれない。だとなると、ノイズにも一定の価値がありそうだ。人間ってやつは、真実が見えすぎると思い上がる性癖を持っている。真理を見る目を持つには、盲目の方がよさそうだ。

本書は、視覚を誤魔化す実験として、ブルフリッヒ効果、隠し絵、蛇の回転などを紹介してくれる。

ブルフリッヒ効果は、片目に着色ガラスを付けるなどして、左右の目に入る光量の差を大きくすると、直線運動する振り子が楕円運動しているように見える、といった現象のこと。視覚の認知機能は、アンバランスなサングラスがあれば、簡単にハンキングできるとさ。

隠し絵は、トリックアートの類いで認知心理学でもよく見かける。有名なものでは、「妻と義母」、「ルビンの壺」など。ここでは、「アヒルにもウサギにも見える絵」が紹介される。ただ、これらのダブルイメージは、同時に見ることができない。脳が、イメージに文脈を与えているということか。人間の脳は、二つの文脈を同時に解する能力に欠けるのか。ここでいう文脈とは、脳内で形成される一つの物語であり、思い込みと解することもできそうだ。

蛇の回転は、静止画像なのに、じっと見つめていると、なぜか動いて見えるというヤツ。その画像は「蛇の回転」でググれば、わんさとひっかかる。静止しているのに動いているというのも、思い込みの類いか。

となると、映像情報によって思考を促す、いや、思考しているように思い込ませることもできそうだ。

おいらの場合、仕事場でデスクトップ環境にも凝る。マルチモニタを 8 面に拡張し、背景、色彩、動画などの素材を組み合わせて。周波数スペクトルをアニメーションさせるだけでも癒やされたりするし、三角関数の動きにも何か感じるものがある。ピュタゴラス教団の信仰も、この感覚に似たものがあったに違いない。ただ、素材が調和しないと、逆に集中力が乱れる。視覚系と聴覚系の連携にも気を使う。視覚に調和しない BGM は、思考を邪魔する。

そんなこんなで、普段から思考を高めようとしているわけだが、効果があるかはよう分からん。それでも、気分よく仕事ができる。これこそ気分屋の思い込みであろう...


5. 思い込みにも情緒あり

思い込みは、どこから生じるのか。おそらく、心を持つ人間は、こいつから逃れることはできまい。人間は、あらゆる情報に因果関係を持たせようとする意識が働く。そして、多くの関連情報をひとまとめにし、総合的に捉えたり、構造的に理解しようとする。いわゆる、「ゲシュタルト原理」ってやつだ。学問とは、そうした立場であり、物事を理解する上での自然な感覚とも言えよう。

精神的には、物事を抽象化し、ひとまとめにして、それで分かった気になれる性質はありがたい。ただ勢い余って、無関係なものまで無理やり因果関係を与えようとする性癖も共存する。無関係にも程度があろうが、宇宙に存在するものが完全に無関係とも言えないか。なんでも関係性を持たせたいと思うのは、外界との関係を断つことを恐れているからかは知らん...

さて、思い込みという心理現象も、様々な関係性の意識から生じるような気がする。理解の過程には、思い込みがつきもの。天動説や地動説も、その類い。変化を嫌う現状維持バイアスが心理的に働くことも、現実から目を逸らす要因となる。真理の色は、ステレオタイプに簡単に染められるのである。

また、その日の心理状態によって、見えることがあれば、見えないこともある。見たことがないものを、見たことがあると思うことも。疲れている時に偽りの真実を見せるなど。デジャヴも、その類い。逆に、見慣れたものに未知なものを感じることも。脳のデータベースには、偽造の記憶で溢れていそうだ。いや、心ってやつが、記憶を取り出すときに捏造するのかも...

人間の脳には、情報の捉え方でも、一人称視点と三人称視点で都合よく使い分ける能力が備わっている。幸運に巡り合うと自分の努力を褒めたり、不運に見舞われると神のせいにしたり、まったくおめでたい。

ところで、コーヒーの味は、カップで変わるという。バーの薄暗いセピア色の雰囲気が、ピート香を引き立てるのも確かだ。こうした感覚は、コーヒーとカップが関係を持った瞬間に生じる。人間の脳は、様々な要素の関係性から物事を認識しているのは確かであろう。こうしてみると、思い込みという感覚も奥が深い。

しかしながら、世間は、思い込みを低級扱いする。特に、学問の世界では。思い込みを排除するのに、関係性を断つことも一理ある。

とはいえ、学問の場では、現象の原因、つまりは、関係性を追求しようとする態度を重視する。人間ってやつは、多くの関係性を持ちたいという欲求に飢えていそうだ。それでいて、思い込みを馬鹿にするとは。矛盾の最大の原因は、心を持つことか...


6. 独り言の効能

人類の進化を論じる時、ほとんどの科学者が言語の獲得を重要視する。まさに文化は、言語によって語られる。記号も図形もある種の言語、そして、美術作品も、建築物も、音楽も、はたまた、暗号も、方程式も... ある種の言語化。

しかし言語ってやつは、人と話をしたり、情報を伝達したりするだけのものではない。自分自身で思考するためにも欠かせない。言語は、様々な種類の情報を関連づけ、思考を促してくれる。他人に説明しているつもりでも、実は、自分自身に言い聞かせているということもよくある。

となると、独り言も、心のハッキングで利用できそうだ。自問や自省の役割は大きい。歴史を遡ると、多くの自省の名著にでくわす。啓蒙時代にあってはルソーの「告白」、ルネサンス時代にあってはチェッリーニの「自伝」、ローマ帝国時代にあってはアウレリウスの「自省録」、紀元前に遡ると、司馬遷の「史記」の末尾に「太史公自序」なるものが添えられる。いまだ人類は、人間自身を語り尽くせていないということか。偉人たちですら、独り言が不十分だったと見える...

2021-03-07

"Beautiful Security" Andy Oram & John Viega 編

 "Beautiful Code", "Beautiful Architecture" に続く、オライリー君の Beautiful シリーズ第三弾。

但し、ここでは美しさの光景が、ちと違う。悪を知らなければ、善を知ることもできない。醜いものを認識できなければ、美しいものを認識することもできない。それは、相対的な認識能力しか持ち合わせない知的生命体の宿命だ。どんな技術に美しさを感じるか、それも十人十色。エレガントな善人もいれば、華麗な悪党もいる。侵入の手口が鮮やかならば、それをさりげなく葬り去るのも鮮やか。美しさをめぐる善と悪の饗宴とでも言おうか...

ここでは、セキュリティの第一線で攻防を繰り広げる 19人 + 1人(日本語版)の達人が、善悪の両面から体験談を語ってくれる。美しさの定義もいろいろあろうが、要件の一つに、善と悪のバランスを挙げておこう。

そして今、本書を犯罪心理学の書として眺めている。まずは悪を知ること、自己の中に潜む悪をも...


「人間という存在を稀有な存在たらしめているのは、他者の経験から学習する能力を持っているからであるが、人間とは面白いことに明らかにその能力を発揮したがらない存在でもある。」

... ダグラス・アダムス


現場百遍ともいう...

事件捜査で使われる用語だが、まずは痕跡や経路を追うこと。セキュリテイの基本は、まずログ・システムの構築ということになろうか。システム設計者であれば、美しいログとまで言わなくとも、できるだけ有用なログを残すよう常に心掛けていることだろう。

彼らは、システムの設計思想にも敏感なはず。システム自体に内包する論理的矛盾が、新たなバグを呼び込みやすくし、外部攻撃を支援する可能性を高める。そのために、システムの状態を詳細にモニタせずにはいられまい。科学の基本姿勢である観察哲学を適用しようと。

ピーター・ドラッカーも、こんな言葉を遺してくれた...


"If you can't measure it, you can't manage it."

「測定できないものは管理出来ない。」


基本的な機能の実装も重要だが、こと悪の道では例外処理により気を配ることになる。ユーザは設計者の想定どおりには行動してくれない。犯罪者なら尚更。どこかに隙がないかと自動化した反復攻撃を仕掛けてくる。プログラミングの利便性は、犯罪者にとっても利便性をもたらす。


設計者だって人間...

設計者は、しばしば商業主義的な命令に屈する。日々、くだらない要求仕様を強要されれば、無力感に襲われ、疑問を持つ気力も失う。本書は、こうした姿勢に「学習性無力感」「確認バイアス」といった心理学的用語を当てる。

設計者の意欲に対して、品質を落とすような命令は危険すぎる。変革や改善にも悲観的な意識を与え、向上心までも頓挫させ兼ねない。設計開発の現場では、後方互換性のためにセキュリティを犠牲にする事例も珍しくない。哲学的な目標を見失い、人生の目標を見失い、それで給料が安泰とは... 優秀な人材が逃げていくのも致し方あるまい。

設計に穴があれば、運営にも穴がある。ルータなどの通信機器では、内側に向けられた既知のサービスやプロトコル以外は、たいていブロックするよう設定されている。well-known 系ポート以外は。だが、外側へ向けられたコネクションはほとんど遮断しないよう設定されている。利便性を考慮してのことだが、そのために、ファイアウォールの内側から見れば、default でたいていのウェブサイトにアクセスできるようになっている。侵入はブロックし、発信はオープンという思想だが、なにもシステムに侵入しなくてもデータは盗み出せる。ユーザに喋らせればいいのだ。しかも、無意識に。それは、インテリジェンス工作における諜報心理学と基本的な原理は同じ。近年、メーカに忍び寄る政治的圧力が目立ち、セキュリティは高度な政治問題になっている。今日の設計者は、犯罪心理学の側面からもテストや検証を考慮する必要があろう...


ユーザはというと...

ウィルス対策ソフトなどのセキュリティツールが、システムの安全を確保してくれると信じているユーザは多い。ファイアウォールのみならず、IDS(不正侵入検知システム)や IPS(不正侵入防止システム)を設置すれば、もう安心!と...

巷では、セキュリティ・アラートはオオカミ少年化し、アップデート神話まで蔓延る。ソフトウェアを最新版に保っていれば、もう安心!と...

確かに、セキュリティ面から即座にアップデートし、常に最新版に保つ方がいい。だがそのために、システムに深刻な不具合をもたらすことも珍しくない。そして、WUuu... と重低音で唸らずにはいられない。

尚、WUuu... は、Windows Update.... の略。ユーザを飼いならすことにかけては、SM 教はお見事!脆弱性を理由に、あらゆるソフトウェアの不具合に対してパッチを当てることを、ルーチンワーク化してしまったのだから。これに、なんの疑問も持たないとすれば、見事な洗脳ぶり...


パスワードを一つとっても...

ソフトウェア業界は、パスワードの管理でユーザにかなりのストレスを強いている。一般ユーザにとってのパスワードは、解読しにくいことよりも、忘れてしまう方がはるかに問題である。覚えやすく強度のあるパスワードを作ることは、自己責任!ってか。

パスワードは、常に辞書攻撃に晒されている。秘密主義が崩壊した昨今、あの L0phtCrack にしても裏をかかれる可能性がある。パスワードのクラッキングでは、ユーザがパスワードを作る傾向を分析したデータベースがある。

では、生体認証ってやつは安全だろうか。バイオテクノロジーとの融合は、なんとなく期待感を持たせてくれる。犯罪捜査ドラマでも見かける、指紋、声紋、顔、掌形、口唇、網膜... あるいは、歩行、体臭、耳介、血管、汗線、DNA... さらに、キーストロークや指の動作のリズム、身体の重心、人格... などあらゆる行動パターンが認証の素材に。おまけに、マルチモーダルで高精度化とくれば、鍵サーバの在り方までも問われる。

しかしながら、いくら最新技術でデータベース化を試みても、技術は模倣される運命にある。3D プリンタの時代では、個人のモックを作ることも簡単だ。認証だけなら、なにもクローンまでこしらえる必要はない。量子暗号システムがいくら強力でも、やはり量子コンピューティングで対抗される。技術の進歩は、一般ユーザだけでなく、犯罪者にとっても恩恵となり、結局はイタチごっこに引き戻される。それが、人間社会というものか...


ハニートラップ攻防戦...

インテリジェンス工作には、セキュリティとも密接なシギントという通信や電磁波を傍受する諜報活動がある。ただ、ハニートラップの方が、最も古典的で、より効果的な諜報活動となろう。結局は、人間を操る方が手っ取り早い。それも無意識に。シギントに対してヒューミントと呼ばれるやつだが、こんな視点も推理小説の読みすぎであろうか...

実際、セキュリティ業界にも、ハニー的な手法をよく見かける。ハニーポットがそれだ。わざと無防備なシステムを設置して、逆にウィルスの感染源を追うという発想である。つまり、おとり捜査。

ハニークライアントや P2P クローラーも同じ類い。ハニークライアントは、わざとウィルスに感染させたシステムで、別のウィルス情報を収集する。P2P クローラーは、ファイル共有ソフトで感染を広げるウイルス情報を収集する。

能ある鷹は爪を隠す... というが、馬鹿を装っているシステムほど恐ろしいものはない。実は、大々的に安全性を謳って、世間に認知されているシステムの方が危険なのでは?

例えば、マスコミも触れ回る二段階認証って、本当に安全なの?有識者どもがこぞって、二段階認証も知らんのか!といった空気を振りまいて。人間社会ってやつは、結局は洗脳の世界というわけか...