2026-02-01

"世界を数式で想像できれば - アインシュタインが憧れた人々" Robyn Arianrhod 著

言語の威力には、目を見張るものがある。思考やアイデンティティを自己確認するために欠かせないばかりか、世界を品定めするためにも...
まず、目の前の現実をどう見るか、どう意識するか、どう解するか。人は自然言語を通して推論する。日常会話で交わされる自然言語は極めて主観性が強く、暗黙的に共有される知識が渦巻く。これを補完し、確かな知識とする言語とは...
尚、松浦俊輔訳版(青土社)を手に取る。

「数学の言語で世界を想像する。」

ロビン・アリアンロッドは、客観性を帯びた数学という言語が、物理学で重要な役割を演じてきた歴史を物語ってくれる。
科学の主役といえば、やはり物理学であろうか。かつて科学は自然哲学と呼ばれ、古来、哲学者たちは、物理的な存在をめぐって論争を繰り返してきた。地球という存在、人間という存在、自己という存在を問えば、地球中心説、人間中心説、自己中心説を免れない。そこには、重力を介して存在の重みを感じる。

数学は、客観性において他の学問を凌駕する。自然言語との大きな違いは、予測的な扱いにせよ、数量的な扱いにせよ、その精度にある。そして、記述量の効率性ばかりか、無矛盾性を信奉とする。無味乾燥な学問と批判されることもあるが、自己顕示欲の強い人間には自省の念を抱かせるのに欠かせない。そのために、かつての科学者たちは宗教裁判の餌食にもされてきた。ちなみに、数学と無縁な哲学者を、おいらは知らない...

数学という言語の基本文法は、単純な算術の規則に基づいている。主役となる加法や乗法は、一般化され、抽象化され、数学者の関心事は数える対象から数の性質へと向かう。数の体系において、交換法則、結合法則、分配法則などが成り立つかとうかを問う方向へ。
そして、物理的な実体は、算術の対象になりうるか。人間の実存認識は、数の概念との結びつきがすこぶる強いと見える。

人間にとって、物理的な存在には大まかに二つある。目に見える存在と、目に見えない存在とが...
前者は見たまんま!これに、方程式が後ろ盾となれば、説得力を増す。厄介なのは後者だ。いくら方程式が後ろ盾になろうと、世間はなかなか受け入れちゃくれない。
正しく見るとは、どういうことであろう。一つには、ありのままに見るということがある。だが、それだけでは足りない。ありのままに見ようとして、却って解釈を誤ることもしばしば。そればかりか、人間には見たいものを見ようとする性癖があり、見たくないものは見えないのである。現実を結果として追認し、正確に描写することはできても、それで現象を理解したことにはならない。特に目に見えない領域では、物理的な直観よりも数学的な思考が優ることが多い。

科学者たちの豊かな想像力は、無味乾燥な記述にも向けられてきた。目に見える世界は... 星座であったり、惑星であったり、リンゴであったり、これをガリレオやニュートンが...
目に見えない世界は... 電気であったり、原子であったり、量子であったり、これをファラデーやマクスウェルが...
そして、双方に関わる世界では、宇宙全体を思い描いたアインシュタインが...
彼らの想像力に幾何学と代数学の統合を見る。
幾何学的な視点は、ベクトル空間や、これを拡張したテンソル空間に...
代数学的な視点は、三角関数や微分積分学の記述に...

「アインシュタインをして、『ニュートンが理論物理学を創始して以来、われわれの物理的実在の構造のとらえ方が経た最大の変化は、ファラデーとマクスウェルによる電磁現象の研究に発する』と言わしめた。」

「場」の概念は、回転(rot)、発散(div)、勾配(grad)といった幾何学の操作に、微分演算子(∇)といった微積分学の記述が絡み、想像の世界を広げてきた。電磁場を記述するマクスウェル方程式しかり、重力場を記述するアインシュタイン方程式しかり。やはりマクスウェルの想像力には、目を見張るものがある。電気や磁気にも、光のような波の性質を想像させるのだから...

今となっては光も電磁波の一種だが、人間の目に見えるか見えないかの違いは大きい。放射線も電磁波の一種だが、人体への影響は如何ともし難い。物理法則に照らせば同類項でも、周波数が違うだけで人間社会での扱いは雲泥の差ときた。
本書は、かの四つの方程式で記述される電場と磁場の共演(饗宴)を、ウィリアム・ブレイクの四行詩になぞらえる...

 一粒の砂に世界を、
 野の花に天を見るべく、
 手のひらに無限を
 いっときで永遠をつかむ

2026-01-25

"イブの迷宮(上/下)" James Rollins 著

ジェームズ・ロリンズのシグマフォースシリーズに触れるのは、11 作目。このシリーズの作品番号は 0 から数えるので 10 番目ということになる。最初の邦訳版が刊行されたのが、2005年!20年かけてようやく追いついてきたか...
最先端の科学と古代から語り継がれる歴史を融合させる手腕は相変わらず。翻訳者桑田健(竹書房)との相性も相変わらず。そして、徹夜明けのブラックコーヒーも。今日も仕事にならんことも...

原題 "The Bone Labyrinth"...
Bone とは、アダムのものか、イブのものか。いずれにせよ、ホモ・サピエンスの祖先を巡る旅へといざなう。つまりは、人類の知能の起源を辿る旅へ...
意識という現象は、どのように説明できるだろうか。サピエンスは、ラテン語で「賢い」という意味。ヒト属で現存する唯一の種は、地球上で最も支配的な存在となった。言語能力は知能のバロメータとなり、人間が編み出した学術的論理は、生存競争の勝者を正統化する。小才の利く者が集団の中でうまく立ち回り、人が好く、愚直なだけが取り柄の者は踏み台とされる。これが、賢い種の社会か!狡猾な者が勝ち組となる論理は、市場経済や軍事においても実証済みときた。

人類の脳の発達過程は、約二十万年前のホモ・サピエンスの出現まで遡ることができよう。しかし、約五万年前に突然、武器や道具などの創意工夫、芸術や音楽といった嗜好が生まれ、文明なるものが出現した。脳の大きさや形は、それよりずっと昔からほぼ同じだったにもかかわらず。いや、過去一万年の間に脳のサイズは、むしろ 15% ほど縮小しているらしい。人類は、半導体のように集積度を上げ、よりコンパクトで合理的な構造を獲得しようとしているのか。人類学者は、この進化的な突然変異を「大躍進」と呼ぶ...

「知能の物差しとは変わることのできる能力だ。」
... アルバート・アインシュタイン

本書のテーマは、古代に生じた大躍進の原因を探求し、さらに第二の大躍進が生じる可能性を模索しようというもの。それは、なにが人間たらしめるか、を問うことに要約できる。
物語は、ネアンデルタール人やヒト科の亜種との交雑に始まり、遺伝子の組み換え技術に至る。どちらが亜種かは別としても、人間のゲノムにはネアンデルタール人や複数のヒト科絶滅種のゲノムが含まれていることが、科学的に判明しているという。なるほど、乱交パーティ遺伝子は現代人にも組み込まれていると見える。
ちなみに、チベット族が高地でも生活できるのは、デニソワ人という絶滅種の遺伝子のおかげだとか...

「知能とは進化における偶然の産物であって、必ずしも優位とは限らない。」
... アイザック・アシモフ

生物学には、「雑種強勢」という用語がある。それは、二つの異なる種が交わると、生まれた子供はどちらの親の種よりも形質的に強い特徴を持つというもの。例えば、メスの馬とオスのロバの間に生まれるラバは、空間的知能が馬やロバよりも優れているのだとか。
それで、人類とネアンデルタール人との間に、どんな雑種強勢がもたらされたというのか。ネアンデルタール人は、単なる原始的な穴居人ではない。ある研究によると、虫歯の痛み止めに、鎮痛効果のあるサリチル酸を含む植物や天然の抗生物質であるアオカビを口にしたことが報告されているという。食人の習慣があったことも...

遺伝子の良いとこ取りとくれば、生命体そのものがまるで遺伝子の方舟!
DNA の欠片さえあれば、人間はクローンを創るだろう。いつか必ず!生殖細胞レベルでの制御はドーピング問題も意味をなくすだろうし、放射能下でも生きられる遺伝子までも求めるだろう。
古くから人間は、象や猛獣を兵器とし、ネズミのような小動物を病原菌をばらまく兵器に利用してきた。バイオテクノロジーによる軍拡競争は激化するばかりで、はるかに凶暴な種を創り出しては軍事利用するやもしれん。絶滅種を対象とすれば、ジェラシック・ワールドも現実味を帯びる。そして、遠い昔の偉人たちが蘇るとすれば...

人間の好奇心は、ことのほか手ごわい。純粋な好奇心は、いずれ脂ぎった欲望と結びつく。人間は、自ら編み出した技術によって人間自身をどこへ導こうというのか。進化の歴史は、単純な右肩上がりではなさそうだ。何事も進化の過程には、退化の時期も必要なのであろう。自省の意識を植え付けるためにも... 自浄遺伝子を育むためにも...

「ここに眠りしはアダムの骨、人類の父。永遠(とわ)の眠りを妨げることなきよう祈る... さもなくば、世界は終わりを迎えるだろう。」

2026-01-18

人生という名の雑用...

人生とは、それほど大層なものなのか。雑用に負われる日々を思えば、くだらない疑問に憑かれる。
「この世に雑用なんてものはない。雑な仕事があるだけだ!」とは、誰の言葉であったか。自由なんてものは高等過ぎて、いざ与えられても、何をやっていいのか、よう分からん。才ある者は、雑用までも喜びにしちまうのであろう。雑用はなるべくあったほうがいい。なくしちまうと退屈病に襲われ、痩せ細っちまう...

大人どもは、いつも文句を垂れる。具体的に示せ!と。誰かに当たる性癖は依存症の表れ。政治家に当たってはお前のやり方が悪いと憤慨し、道徳家に当たっては空想論もいい加減にしろと糾弾し、教育家に当たってはお前のしつけが悪いと誹謗中傷を喰らわせ、芸術家に当たっては人類を救え!などとふっかける。

巷にはハウツー本が溢れ、ノウハウセミナーはいつも大盛況。恋愛レシピから幸福術、あるいは人生攻略法に至るまで。移り気の激しい凡人は、洪水のごとく押し寄せる流行りの知識に右往左往するばかり。仕舞には消化不良でゲロを吐き、もっと分かりやすくしろ!と文句を垂れる。

一方、才能豊かな連中ときたら、哲学者の曖昧な言葉を金言にしてやがる。何をヒントにするかは自由と言わんばかりに...
これほど無意識の領域が広大だというのに、なにゆえ自由なんてものが信じられるのか。真の自由なんぞ、この世にありゃしない。あるのは自己満足感だけだ。人生に意味や目的があるのかは知らん。それを求めてやまないのは人生に意味があると信じ、自己存在感を噛み締めたいだけだ。自分の人生が無駄ではないと...

真理を求めるのは、それがないと生きられないからではない。盲目感に耐えられないだけだ。正義感に操られては非難癖がつき、倫理感に憑かれては意地悪癖がつき、理性や知性までもうっぷん晴らしの手先となる。自由に生きるよりも、人のせいにし、社会のせいにし、神のせいにしながら生きる方がはるかに楽ってもんよ。

すべては自己の正当化!凡庸な、いや凡庸未満の酔いどれ天の邪鬼ごときが、自由が欲しい!と大声で叫んでいる間も、才能豊かな連中は静かに自由を謳歌してやがる。どう足掻いても奴隷に成り下がるのであれば、そこから逃げだすさ。どうせ人生なんてものは、雑用よ!

2026-01-11

自己肯定には嘘が欠かせない... 自己責任にも逃げ道がなくっちゃ...

巷では、自己肯定感ってやつがもてはやされる。自己肯定に縋らないと生きて行けないのなら、人生は辛い。実際、こんな感覚は他人否定によって支えられている。
巷では、自己責任論が渦巻く。自己に責任を持てる人間がどれほどいるというのか。既に、こんな言葉はお前が悪いという意味で使われている。

自己を知るには勇気がいる。自ら演じた醜態を遠近法で眺め、羞恥心と距離を置けば、どちらが本当の自分やら。自己肯定感に嘘は欠かせない。自己陶酔に自己泥酔、自己欺瞞に自己肥大、おまけに、自己嫌悪に自己否定とくれば、自我を失うのも容易い。これで自己責任論を免れ、めでたしめでたし!

自己責任ってなんだ。本当に自分に課したものなのか。自己を見つめずして、自己責任もあるまい。それは、何かに依存している自分を受け入れてこそ成り立つ。自己責任を明確にするために、説明責任を自己に課す。そんなことをしても、精神の縄張りを確認するだけ。そう片意地はらんと、自己責任にも逃げ道がなくっちゃ...

誰もが参加できる自由な形態にも、自己責任論が渦巻く。メーリングリストで「コーディング規約に従っていないので修正するように...」などと指摘された日にゃ... 指摘する側が自発的なら、指摘される側も自発的なだけに恥ずかしい思いをする。誰もが自由に参加できる!というのは、実はハードルが高い。実は、権威主義的な監視よりも民主主義的な抑圧の方が、はるかに厳しいのやもしれん。分散型リポジトリとは、自己責任型を言うのか。
確かに、自由な活動は自己肯定感をそそる。これを自己責任で背負うなら、ここにも逃げ道がなくっちゃ...

2026-01-04

すべては神のせい!神様はズボラでなくっちゃ...

不運な境遇を神のせいにすれば、救われるだろうか。重い病を神のせいにするのと運命論で片付けるのとでは、どちらが楽になれるだろうか...

一方で、幸運な出来事には、誰はばかることなく自分の力だ!と断言できる。なんとおめでたいことか。しかし、そうでも考えないと、生きてゆくのは難しい。やはり人間には、神が必要なようだ。しかも、沈黙しておられる。なんて都合のよい存在であろう。神の声が聞こえると主張する者にとっても、神を信じない者にとっても...
神という存在は、迷い心から生じるのか。いや、迷い心を鎮めてくれるものなら、なんでもあり。悪魔の囁きにも耳を傾け、無神論者にもなるさ...

宇宙の摂理は完全かもしれないが、人間が知りうる摂理は不完全ときた!
古代の哲学者たちは、そのことに思いを馳せ、人間は人間自身を知りうるか?と問い続けた。プラトンが、人間は羽のない二本足の動物である... と定義した時、それで人間の正体を確信したわけではあるまい。アリストテレスが、人間は社会的動物である... と定義した時、それで人間社会の実体を確信したわけではあるまい。パスカルが、人間は考える葦である... と定義した時、それで人間の存在意義を確信したわけではあるまい。言葉でうまく説明できないからといって、それをまったく知りえないということにもなるまいが...

デモクリトスが、原子論を唱えた時、そこに実存と空虚の対立を見る。存在認識とは、虚像との対置において成り立つものであろうか。精神や魂も、理性や真理も、徳や正義も、そして、神も...
神が不敬虔者を罰するなら、神にも悪意があるに違いない。神が不完全なら、人間にとっても親近感がわくし、信じる気にもなれる。神様はズボラでなくっちゃ!

2025-12-28

"有閑階級の理論" Thorstein Veblen 著

有閑階級とは、なんとも挑発的な用語だ。こっちときたら、貧乏暇なし!嫉み、妬みの類いは、ことのほか根深い。
アカデメイアやリュケイオンに学園が創設された時代、哲学のできる身分は生活にゆとりのある家柄であった。王族や貴族の時代、その階級に属すだけで社会的に威信をまとうことができた。21世紀の今、やはり裕福な家庭の方が教育費をかけられ、まったく羨ましい限り。それで賢くなれるかは知らんが...

資本主義社会では、金は天下の回りもの!なる言葉が大手を振る。巷には様々な所得形態に溢れ、生産の対価、卸売や流通の対価、取引手数料、不動産賃貸、広告収入、金利所得、配当金、年金、あるいは派生的な金融アルゴリズムに身を委ねるなど、ますます多様化が進む。不労所得という用語もあるが、労働の概念そのものが変化し、生産性と非生産性の境界も曖昧になっていく。直接的生産と間接的生産といった方が、当を得ているであろうか。経済の繁栄は、資本の循環こそ源泉。血液の流れのごとく。それで、浪費を正当化できるかは知らんが...

ソースティン・ヴェブレンは、「衒示的閑暇」「衒示的消費」という用語を持ち出す。衒示的とは、顕示的、誇示的といった意味らしい。つまり、見せびらかしの閑暇や見栄っぱりな消費である。
自己顕示欲は、ことのほか手ごわい。資本家階級は生活のための労働を免れ、学問やスポーツやレジャーに御執心。哲学を論じ、宗教を論じ、政治を論じ、軍事を論じ、愛国心を旺盛にしていく。近代化とは、そうした時代であろうか。社会的な威信をまとうために高価な商品を買い漁り、物財や儀式に神聖なるものを求め、並外れた富の所有や浪費によって名声を得ようとする。
ヴェブレンは、こうした有閑階級に対して反感を匂わせながらも、近代社会の経済的要因の一つとしての意義を論じて魅せる。有閑階級は、所有の意識とも強く結びついてきたという。有閑階級と奴隷階級の始まりは、鶏が先か卵が先かの関係にも似たり。いずれにせよ、私有財産制は、人間が人間を所有するという意識に始まったとさ...
尚、小原敬士訳版(岩波文庫)を手に取る。

「閑暇が、名声の手段としていちはやく優越したことは、高貴な職業と下賤な職業との古代の区別にさかのぼることができる。閑暇が名誉あることであって、至上命令となったのは、ひとつには、それが下賤な労働からの免除を示すからである。高貴な階級と下賤な階級との古い社会分化は、りっぱな職業と下賤な職業との上下の差別にもとづく。」

初期の財産意識は、戦利品に見ることができるという。征服欲は領土に留まらず、文化を征服し、人間を征服する。ここに奴隷制の原点を見る想い。
戦争をやるのが男どもなら、征服地の女は戦利品扱い。やがて戦争に勝つことが集団社会の誇りとなり、優越主義や民族主義を旺盛にしていく。ここに帝国主義の原点を見る想い。
人口密度が高まり、掠奪集団が一つの固定した産業共同体に成長していくと、財産権を支配する権威が増大していく。

やがて法が整備され、力で財産を掠奪することも不可能となり、行儀作法や礼儀作法を重んじる上流階級は、確固たる地位へ押し上げられていく。有閑階級が概して保守的なのも道理である。そして、下流階級がそれに憧れ、模倣するようになる。
自尊心と呼ぶところの自己満足感が、人からの尊敬を集めることを基礎とするなら御の字!だが、知性も、理性も、世間体の対象というのが本音であろう。
哲学とは、暇人の学問か。閑暇を得て、ディオゲネス哲学にでも耽り、犬のように気ままに生きたいものだ。しかし現実は、集団社会に尻尾を振り、社会制度に縋りながら生きている。人間の集団依存症は、ことのほか手ごわい...

では、すべての人間が有閑階級に昇華すれば、平和な社会になるだろうか。労苦のすべてをロボットに委ねれば、誰もが有閑階級に身を置くことができるだろうか。
一方で、別の力学が働く。生産性の欲求という力が。クリエイティブな職業に就き、活動的に生きたいという人は大勢いる。社会のために役立ちたいと考える人も少なくない。こういう人々に尊敬の目が集まるのも事実。こうした意識に、本書は「制作本能」という用語を当てる。
自己の存在意義を求めるのは、いわば人間の本能。かくして、有閑階級が人間性を高めるのか、堕落させるのか。人間が人間を所有するという意識に問題があるとするなら、すべての人間を AI の前で奴隷化しちまえば、人類が夢見てきた真の平等社会が実現できるだろうか...

「かつておこなわれたあらゆる機械的な発明が、人間の日常の労働を軽減させたかどうかは、いまにいたるまで疑問である。」
... J. S. ミル

2025-12-21

"シンメトリーの地図帳" Marcus du Sautoy 著

数学をミステリー仕立てに...
本書は、シンメトリーという幾何学的性質を群論と結びつけて物語ってくれる。群論とは、数学界で最もミステリーな存在とでも言おうか。定義そのものは、そう難しくはない。結合法則が成り立ち、単位元が存在し、逆元が存在する。ただそれだけのこと。だが、この単純さ故に自然数の深遠さを告げている。しかも、こいつが幾何学の美の象徴たるシンメトリーと密接に関係するというのだから、むしろ群論の地図帳というべきか。
シンメトリーの要素は、図形を決定づける辺の数や面の数といった集合で表され、これらの数の演算と変数で組み立てられる方程式が絡む。つまり、方程式の解をめぐる問題でもある。辺の数が素数の正多角形のシンメトリー群という視点は、素数からゼータ関数へ、さらに楕円曲線へと導かれる。なるほど、群論とは、シンメトリーな言語であったか...
尚、冨永星訳版(新潮社)を手に取る。

自然界は、多種多様なシンメトリーに看取られている。雨粒や雪の結晶から素粒子まで。それはエネルギー効率が良いからであろうか。巻き貝はフィボナッチ数に現れる黄金比に従って殻を成長させていく。ミツバチは、六角形のクレマチスの花や放射状花弁が並ぶデイジーやヒマワリといった回転シンメトリーに惹かれ、マルハナバチは、ランやフォックスグローブやマメ科の植物といった左右対称の鏡映シンメトリーに惹かれる。ハチの目が、こうした幾何学を識別できるほどに進化したのは、そこに滋養エネルギーを感じとるからであろうか。
人間もまた、美術や建築、あるいは異性に対してシンメトリーな幾何学美に惹かれる。カノンは、その定義からして並進シンメトリーの一例。バッハの対位法には対称性が渦巻き、ゴールドベルク変奏曲がシンメトリーを奏でる。
周りを意識する生物には、常に不安がつきまとう。この不安から逃れるために法則めいた安定した存在が求められる。シンメトリーな居心地とは、そうした類いであろうか。生命体が厳しい環境で生き抜くには、自然界に点在するシンメトリーを見分ける能力が必要なのかも...

「自然のなかのシンメトリーは、いわば言語なのだ。動物や植物はシンメトリーを使って、遺伝的な優位から栄養に関する情報まで、実に多様なメッセージを伝えることができる。シンメトリーは、なんらかの意味があるという印であり、ごく基本的な... いや、ほとんど原始的といってもいい... コミュニケーション形態なのである。」

ところで、シンメトリーとはなんぞや。幾何学的な美的感覚の内にあることは確かだ。これを知りたければ、その構造を分解し、幾何学的な元素として分類していく。まずは、バラバラにして構成要素に還元せよ!人間の美に対する還元主義は旺盛と見える。自然数を素数で因数分解するように、シンメトリーの素数なるものを探求する。
しかしながら、シンメトリーの分類定理ができたとしても、化学の周期表のようにはいくまい。容易に化合物を作ったりはできないのだから。
そこで本書は、「...表」ではなく「アトラス(地図帳)」という語を用いてシンメトリー群のマッピングを試みる。アトラスとは、ギリシア神話の巨人神になぞらえてのことであろうか。正多角形にまとわりつく有限回転群から、ガロア群、リー群、マシュー群を辿り、196883 次元空間にして数論のモンスターが姿を現す。自然は偉大だが、自然数もまた偉大と言わねばなるまい...

2025-12-14

"ものぐさ数学のすすめ" 森毅 著

これは、数学の本ではない。数学が主題でもない。数学者が、ものぐさな態度で綴る随筆集である。随筆には、それを寄せ集めると、一つの生態系のようなものが生じる。しかも、達人が書くと、一冊の哲学書を成す。尤も、数学は哲学である... というのがおいらの持論。やっぱり、これは数学の本やもしれん...

「少なくとも、難しくても楽しめることが、あってよい。たとえばファインマンの『物理学』、内容は高度だし、難しすぎてようわからんことが至るところにあるのに、全体としてなにやら楽しく読める。難しくってわからんのは、まあしゃあない。わからんでも面白く、苦労せずに楽しめる、せめて数学もそうなってほしい。」

太平洋戦争中からシラケっぱなし、イジケっぱなしの数学教授が物申す。シラケるのは、巷に正義の士がはびこるから。忠君愛国少年やら正義愛国青年やらが叱咤してくれば、シラケてでもないと身が持たない。それで、非国民呼ばわれ...
今の時代とて、集団的熱狂にうんざりする人は少なくない。冷めた批判精神こそが時代を切り開く原動力となってきたのも確か。天の邪鬼には、たまらん...

人生そのものは、深刻なもの。自殺を考えなくて済めば結構なことだが、考えたからといって異常でもあるまい。自殺は、たいてい些細なきっかけで阻止できる。まずは冷めた目で自己を見つめること。人は冷笑に救われることが多い。
人生には向上心が重要であることも確か。だが、それだけでは足りない。下を向いて学ぶことも必要だ。一つの方向にしか目が向いていないと、人生の視野も狭くなる。シラケたり、イジケたりするのも、その方法論というわけか。
人生ってやつは、道化になりきってこそ、その本質が見えてくるようである...

ちなみに、たいていの数学者は、計算が苦手だそうな。だから、計算をあまり必要としない抽象数学へ向かうのだとか。
QED... という決まり文句で納得する数学者も少ないそうな。定理の証明手続きと、それを自分のものにして納得するのとでは、まるで次元が違うという。
とはいえ、自分を納得させるために、こだわりの哲学を実践するのは、ことのほか難しい。やはり人間には、分かった気になることも必要だ。こだわりの呪縛から自らを解き放つために...

さて、著者は「森一刀斎」と号して、正義論、文化論、教育論、読書論、自殺論、大学論などをぶちまける。ちょいと気に入ったところを拾っておこう...

「その頃の教訓として、あらゆる暴力の中で、もっとも恐ろしいのが、正義の名のもとの暴力であったことだけは忘れない。不良少年の暴力よりは、教師の暴力の方が悪い。ヤクザの暴力よりは、警察の暴力の方が悪い。暴徒の暴力よりは軍隊の暴力の方が悪い。暴力には、正義よりは、血の臭いがふさわしい。血のけがれを正義の幻想で洗い流すことだけは許さない。これ、かつての弱虫ダメ人間からの告発。」
... 「ダメな人間のバラード」より

「いつか、ルネサンス期の大学について論じあっていて、医師に牧師に弁護士それに教師は詐欺師の仲間、と言っていたら、師と士はどう違うかというのに、師の方は欺されたい人間を欺す商売で、士の方は欺されたくない人間を欺す商売だ、という卓抜な学説が生まれた。いまは医師と弁護士と教師が代議士に出世する時代である。」
... 「文化のエコロジー」より

「怒りや嘆きより、人間にとって根源的なものは、むしろ笑いのはずだ。秩序とは、笑いによってだけ攻撃可能なのであって、人民の怒りなどといった代物が革命的帝国主義へ行きついた歴史を、あまりにも多く見てしまったではないか。当節、怒りの攻撃性が有効などと、きみはまだ信じているのか。」
... 「楽屋の思想」より

「大学へ入ってまず心得ねばならぬことは、教師の言うことを聞かないことである。もっともこれは古典的な逆説で、そう言っているのが当の大学教師なのだから世話がない。しかしながら、少しまともなことはたいてい、逆説によってしか語ることができないものでもあるのだ。『読書案内』なんてのもそうしたもので『大学生として読むべき本』なんてのがそもそも矛盾した概念で、『読むべき本』などを他人に教えてもらったりしないのが、大学生というものではないか。」
...「反読書案内」より

「あとで迷いをなくすには、先に迷っておくものだ。はじめに迷わずに進んで、最後の段階で迷いだすのが一番つまらん。」
... 「森一刀斎の受験道場」より

「専門というなら、最低の条件は自律だ。ライセンスなんかの問題ではない。医者の専門性は診断を自分ですることで、裁判官の専門性は判決を自分ですることだ。判断をまわりにお伺いをたてる教師に、専門性を言う資格はない。自分の判断で教育するのが、教師の専門性である。」
... 「教育養成大学を志望するきみたちに」より

2025-12-07

"電気革命" David Bodanis 著

電気とは何か。それを見た者はいない。だが、その存在を感じることはできる。物体が帯びる電磁場、あるいは、それを取り巻くエネルギー場を通して...
電気が走る... という表現もある。それは気配のようなものか。それは魂のようなものか。人間の意思を自由電子の集合体とするなら、そうかもしれん。
ところで、電流と電圧の違いとは、なんであろう。それは、しびれるか、しびれないかの違いさ...

本書は、雷に電気の種を見たフランクリン、電気の力場に居場所を求めたファラデー、愛の告白のために電話を発明したベル、電磁波の放射に遠隔作用を見たヘルツ、電子の振る舞いに万能機械を夢見たチューリング、物質の結晶格子に電気特性を見たショックレー、そして、彼らの発明や技術が軍事と結びついてきた背景を物語る。
また、電気の基本単位アンペア、ボルト、ワットに名を冠する電気屋さんたちの逸話も見逃せない...
尚、吉田三知世訳版(新潮文庫)を手に取る。

電気革命において、最も社会貢献した技術とは何か?と問えば、トランジスタを挙げる人は少なくない。つまり、半導体素子を。この発明がデジタル社会の幕開けを告げた。主役に躍り出た物質はシリコン。この結晶格子が持つバンドギャップを利用すれば、電子を流したり、止めたりすることができる。原子レベルでオンオフ制御ができれば、チューリングが夢見た超高速の論理スイッチも実装できる。しかも、この結晶を組み合わせることによって、ほぼ無限の多段等価回路が形成され、高密度化への道が開ける。そして、ムーアの法則を呼び込むことに...

それにしても、電気とは摩訶不思議な存在である。力場に存在する正の電荷と負の電荷は同じ数だけ存在し、両者はよく釣り合い、普段は無であるかのように振る舞う。電荷の効果が生じるのは、そのバランスが崩れた時。この「場」を研究したのがファラデーなら、場の中で伝搬する「電磁波」を研究したのがヘルツである。

宇宙には、電磁波が満ちている。光も電磁波の一種だが、これを伝搬するための媒体は存在するのだろうか。宇宙空間には、何かが充満しているのだろうか。マクスウェルは、エーテル説を信じて電磁理論を展開したが、エーテルが存在しなくても成り立つことで苦悩したと伝えられる。それは、エーテルの存在を否定したのではなく、あってもなくてもいいってことか。かつて物理学は、エーテルの存在を否定したが、今ではダークマターの存在が囁かれている。それはエーテル代替説か。宇宙を説明するには、従来の物質とは違う概念が必要なようである。
電磁波は、人体にも満ちている。自己複製能力を備える生命体もまた電荷で形成され、細胞や神経伝達系、DNA までも電磁場に包まれる。人間は電子の振る舞いによって思考し、気分までも動かされる。そして、この電気特性がそのまま医療技術に投影される。

電気を取り巻く力場の研究では、ファラデーが電磁場の基礎理論を確立し、マクスウェルがあの四つの方程式のもとで電磁気学という一分野を確立した。
電気というものの存在が初めて唱えられた時、こんなものがなんの役に立つのかと馬鹿にされたことだろう。ファラデーは、いずれ税金がかけられるだろう... と言ったとか、言わなかったとか。そして、現代社会の利便性は電気によってもたらされる。
だが、どんな利便性も、そのまま社会的リスクとなる。価値交換の利便性は、そのまま犯罪の利便性に。善と悪は共存し、すべてはイタチごっこ!これが人間社会というもの。
最先端の科学技術には、まずもって軍事利用されるという皮肉な歴史がある。その相殺のために人間は神を必要とするのか。但し、神もまたサイコロを振るらしい...

今や、電気のない社会を想像することはできず、ムーアの法則のごとく電気依存を加速させていく。なんにせよ過度の依存症は恐ろしい。いずれ、太陽フレアが大規模で発生したり、小天体の接近で地球の電磁場が削られたりして、かつてない大停電を経験することになるのか。二百年以上かけて築き上げてきた電子社会も、一夜にして崩壊する日が来るのやもしれん...

2025-11-30

"バナッハ - タルスキの密室" 瀬山士郎 著

数学の本をミステリー仕立てとは、なかなかの趣向(酒肴)。定理に至るプロセスは推理過程そのもの。数学とミステリーは、すこぶる相性がよいと見える。
登場人物は、推理小説ではお馴染みのシャーロック・ホームズと、その記録係ジョン・ワトスン。ここでは、バナッハ - タルスキの定理をホームズ探偵譚で物語ってくれる。
見ることと観察することは、はっきりと違うのだよ... ワトスン君!

これは、錬金術に惑わされる人々の物語である。人間の欲望本能がそうさせちまうのか。かのニュートン卿は錬金術の研究に没頭したと伝えられる。「自然哲学の数学的原理」を書した人物までも...
人類は、実に多くの仮想的な価値を編み出してきた。市場取引で貨幣の倍増を目論むのも、ポイントを貯めて貨幣と見なすのも、ネット社会に出現した分散型通貨も錬金術の類い。いや、貨幣そのものが仮想的な存在。いやいや、資本主義経済そのものが価値を自然増殖させちまうシステム。したがって、人間社会にインフレ現象はつきもの...

「単純なものにほど人は騙されやすい。これは奇術の常識さ!」

ホームズは、犯罪組織のボス、モリアーティ教授とライヘンバッハの滝で最後の対決をし、それから三年もの間、失踪する。死亡説も囁かれたが...

1. 最初の偽錬金術師事件
最初に登場する錬金術師は、ホームズの失踪と同時に現れたシャイロット・ヘルメスという男。そこの奥さん!ちょいと、見て見て見て!ここに取りい出したるは、賢者の石の粉末!これをニュートン卿の霊に導かれて手に入れたのよ。どうやって手に入れたか?って。それは営業秘密ね!この粉末を使って、過去の錬金術師がやろうとしたように鉛を金に変えることはできないよ。だけど、目の前にある金を増やすことはできちゃう!
そして、不器用な手付きで、正方形の金の延べ板を適当に切って長方形に並び替えると、なんと面積が増えちゃった。

  8 x 8 = 64 を 5 x 13 = 65 に並び替え、1 マス分、増えている。

まさに、幾何学的トリック!不器用ってところが、本当っぽく見せるのよ...
これを「ボヤイ - ケルヴィンの定理」で反証する。

「平明図形 A をいくつか切って並び替えて平面図形 B ができるための必要十分条件は、A と B の面積が等しいことである。」

これを三次元に拡張したのがヒルベルト 23 問題の三番目のヤツ。ここで、その反証に用いられた「デーンの定理」を持ち出す。

「正四面体を切ってどんなに並び替えても立方体にはならない。つまり、同じ体積の正四面体と立方体は分割合同ではない。」

この分割合同を球体に適用すると「バナッハ - タルスキの定理」が強烈に匂い立つ。

それはさておき、ヘルメスに金をだまし取られたのは、モリアーティ教授にかかわる悪徳貴族ばかりだったとか。ホームズは失踪から帰還するも、ヘルメスは行方をくらまし、取り逃す。ヘルメスが世間を騒がした時期とホームズが失踪した時期が重なるのは、単なる偶然か?ワトスンは、この事件の真相を記録する勇気がなかったとさ...

2. 次に、偽降霊術師の密室事件
自称降霊術師の両手には手錠がかけられ、手錠は窓の手すりに鎖でくくりつけられている。部屋には死体と降霊術師しかいない。まさに密室!事件解決に、殺された男の霊を呼び出して事情を聞こうと...
確かに手錠は外せない。だが、くくられた鎖との関係から紐解くことができる。手錠は閉空間をなし、鎖も閉空間をなすが、これらを両手という開空間で結びつければ... またもや幾何学的トリック!
ホームズは「ライデマイスター移動」という結び目の定理を持ち出し、トポロジーを絡めるが、ちと大袈裟な。知恵の輪か、あやとりの類いでは...

3. 最後に、本物の偽錬金術師事件... 本当に本物?
大学の研究室で日系数学者の森屋氏が不可解な事故死を遂げた。直径が 2 メートルもある岩で圧死したという。この巨大な岩を外から部屋へ持ち込む方法は皆無。一度家をぶっ壊せば話は別だが。つまり、巨大な岩は最初から部屋にあったことになる。
ここで、取りい出したるは「バナッハ - タルスキの定理」。この定理には、二つのバージョンがある。拡大バージョンと複製バージョンとが...
前者は「球面を分解して組み立て直すと、大きさの違う球体を作ることができる」と告げ、後者は「一つの球面を分解して組み立て直すと、二つの球面を作ることができる」と告げる。
こうした現象は、球面に実存する各点を集合として捉え、これらが群と絡まった時に生じる。それは、無限のなせる仕業か...
群とは、一言で言えば、ある演算の対象となる数の体系。球面を適当に回転すると、回転群ができる。回転の仕方は軸の取り方次第で、それこそ無限にある。

「球面から可算集合を取り除いた残りの球面と元の球面とは分解合同になる。」

カントールが集合論を編み出したのは、無限を手懐けるためだったのか。なにしろ、直線上の点の数と平面上の点の数が同じだというのだから尋常ではない。無限集合から選ばれしものを一つの集合と見なした時、その選ばれしものの正体は... 「選択公理」ってやつが、大きさや数量といった概念を崩壊させちまうのか...
人間の思考に無限が絡むと、実存主義なんぞ自己崩壊しちまう。無限とは、得体の知れない存在という意味では、魂のごとく。
群は恐ろしい。群れは恐ろしい。それは人間社会とて同じこと。どんな良い事でも、人間が集まり過ぎると碌な事がない。群衆には、個々の意志とはまったく別の意志が働く。群衆という一つの個体が生まれたかのように。そして、この集団力学はことのほか強大だ。これも、ある種の群論であろうか...

それはさておき、森屋教授は密室でバナッハ - タルスキ分解を実践して見せたというのか。実は、森屋というのはモリアーティ教授の変名であったとか。なんと強引なオチ!数学の定理と駄洒落は、すこぶる相性がよいと見える...