2024-03-17

"FACTFULNESS" Hans Rosling, Ola Rosling, Anna Rosling Roennlund 著

TED talk でハンス・ロスリング氏を見かけたのは、十年ぐらい前になろうか。彼が亡くなって、五年が過ぎたというのも不思議な感じ。今でも生き生きとした講演が観覧できるのだから...

産業革命で最も偉大な発明は何か?それは、洗濯機だ!この発明こそが、退屈な時間を知的な読書の時間に変貌させた魔法だ!と豪語したコミカル調が蘇る。
少子化問題で子供をどんどん産みなさい!と触れ回り、経済政策では消費を煽るばかりの政治家や有識者を尻目に、世界規模の人口増殖の方に問題意識を向ければ、マルサスの人口論を読まずにはいられない。経済学では、古びてしまったとされる理論を。いまや産んじまえば、なんとかなるって時代でもあるまい。ハンスは、貧困層の生活水準を引き上げることが人口増加の抑制につながる、と唱えるのであった...
尚、上杉周作、関美和訳版(日経BP社)を手に取る。

"FACTFULNESS" とは、ハンスの言葉で、データや事実に基づいて世界を読み解く習慣を言うらしい。本書の共著者でもある息子オーラ、妻アンナと共にギャップマインダー財団を設立。Gapminder は、統計情報を五次元で視覚化するツールとして知られ、ここでは国別に、所得、健康、寿命、人口の関係が示される。
こうして眺めていると、国の有り様が多種多様に富み、先進国と途上国で区別する国際機関や各国政府の要人たちの言葉が空虚に感じられる。先進国という呼称に固執する国もあれば、都合よく使い分ける国もあったり、あるいは、貧困国とされながらも最優先される必需品がスマホだったり。
本書は、10 の思い込みを提示してくれる。"FACTFULNESS" とは、これらの克服から見い出せるものらしい...

  1. 分断本能... 世界は分断されているという思い込み
  2. ネガティブ本能... 世界はどんどん悪くなっているという思い込み
  3. 直線本能... 世界の人口はひたすら増え続けているという思い込み
  4. 恐怖本能... 危険でないことを、恐ろしいと考えてしまう思い込み
  5. 過大視本能... 眼の前の数字が一番重要だという思い込み
  6. パターン化本能... ひとつの例がすべてに当てはまるという思い込み
  7. 宿命本能... すべてはあらかじめ決まっているという思い込み
  8. 単純化本能... 世界はひとつの切り口で理解できるという思い込み
  9. 犯人探し本能... 誰かを責めれば、物事は解決するという思い込み
  10. 焦り本能... いますぐ手を打たないと大変なことになるという思い込み

しかも、賢い人ほどハマりやすいという。問題は、知識のアップデート。変化の激しい時代では、すぐに知識が廃れていく。勉強は学生の本分!などと言われるが、社会人だからこそ、経験を積めば積むほど、その必要性を感じる。
古い知識が役に立たないということではない。古い知識に新たな知識を重ね、その知識に至るプロセスも新旧で重ねれば、より強力となろう。重要なのは、学ぶ習慣である。マハトマ・ガンディーは、こんな言葉を遺してくれた。「明日死ぬと思って生きよ。不老不死だと思って学べ。」と。
そして、学ぶ習慣を支えてくれるのが、好奇心だ。様々な角度から学べば、いろんな面白味が見えてくる。多くの偉人たちが、読書批判をやりながら、熱心な読書家であったことも頷ける...

「なによりも、謙虚さと好奇心を持つことを子供たちに教えよう。謙虚であるということは、本能を抑えて事実を正しく見ることがどれほど難しいかに気づくことだ。自分の知識が限られていることを認めることだ。堂々と知りません!と言えることだ。新しい事実を発見したら、喜んで意見を変えられることだ。謙虚になると、心が楽になる。何もかも知っていなくちゃならないというプレッシャーがなくなるし、いつも自分の意見を弁護しなければと感じなくていい。好奇心があるということは、新しい情報を積極的に探し、受け入れるということだ。自分の考えに合わない事実を大切にし、その裏にある意味を理解しようと務めることだ。答えを間違っても恥とは思わず、間違いをきっかけに興味を持つことだ。... 好奇心を持つと心がワクワクする。好奇心があれば、いつも何か面白いことを発見し続ける。」

ただ、これら 10 の思い込みは、進化の過程で必要であったのではなかろうか。問題は、どれも感情を煽り、ちと行き過ぎるところにある。
人は何事も、善悪、白黒、勝ち組と負け組... などと、二項対立で捉えがち。おまけに、自分自身を優位なグループに属させ、ある種の優越主義に浸る。人はなんでも悪く考える傾向があり、隣の芝は青く見えるもの。進化の過程は右肩上がりに見えるもので、直線的に上昇するものと捉えがちだが、そのおかげで希望が持てる。
だが、実際には退化の時代もあったはず。そうでないと、自省というものが働かない。
そして、現在は、進化の時代か、退化の時代か、そんなことは知らんよ。
恐怖心は、人間の心理操作でもってこい。だが、恐怖と危険はまったく違う。恐ろしいと思うことはリスクがあるように見えるだけで、危険なことには確実にリスクが内包されている。ジャーナリズムは、分断意識を刺激し、恐怖心を煽って、注目を浴びようとする。
ソーシャルメディアだって、負けじと犯人探しに躍起だ。政治屋は手頃なスケープゴートに責任転嫁とくれば、大衆は、今すぐ手を打たないと大変なことになると焦る。
しかも、こんな複雑怪奇な人間社会を、ひとつの切り口で理解した気になれれば、すべての思考をたった一つでパターン化しちまう。こうした心理傾向は、いわば人間の本能である。
そして、これらの思い込みを克服できれば幸せになれるかも分からん。それで、ハンスさんは楽観主義者のレッテルを貼られたそうな...

「わたしは、楽観主義者ではない。楽観主義者というと世間知らずのイメージがあるが、わたしはいたって真面目な可能主義者だ。可能主義者とは、根拠のない希望を持たず、根拠のない不安を持たず、いかなる時もドラマチックすぎる世界の見方を持たない人のことを言う。ちなみに、可能主義者はわたしの造語だ。」

また、アフリカ連合主催の講演で、辛辣なツッコミを喰らった場面は、なんとも印象的である。しかも、穏やかな口調なだけに、なおさら辛辣に...

「図とか表はよくできましたし、話も上手だったけど、ビジョンがないわね!極度の貧困がなくなるって話ね。そこが始まりなのに、先生の話はそこで終わってましたね。極度の貧困がなくなれば、アフリカ人は満足だと思ってらっしゃる?普通に貧しいくらいがちょうどいいとでも?講演の結びで、先生はご自分のお孫さんがアフリカ観光に来て、これから建設予定の新幹線に乗る日を夢見てるっておっしゃいましたね。そんなのがビジョンだなんて言えます?古臭いヨーロッパ人の考えそうなことですよ。... (略) ... 私の夢はその逆で... アフリカ人たちが観光客としてヨーロッパに歓迎される存在になる。難民として嫌がられるんじゃなくてね。それが、ビジョンというものよ。」

2024-03-10

"饒舌について 他五篇" プルタルコス 著

プルタルコスといえば、その大作に「対比列伝」がある。ToDo リストにずっと居座ってるヤツの一つ。ちょうど、澤田謙の編纂版「プリューターク英雄伝」でお茶を濁したところ(前記事)。
だが実は、「モラリア(倫理論集)」ってヤツもある。邦訳版で全 14 巻にも及ぶ大作で、エッセーの起源ともされるそうな。ついでに、こいつもお茶を濁すとしよう。だからといって、どちらも ToDo リストから抹殺できずにいる。未練は男の甲斐性よ!

本書は、その大作の中から「いかに敵から利益を得るか」、「饒舌について」、「知りたがりについて」、「弱気について」、「人から憎まれずに自分をほめること」、「借金をしてはならぬこと」の六篇をつまんでくれる。ソーシャルメディアでも見かけそうな題目が並び、現代病の根源を拾い集めたような...
尚、柳沼重剛訳版(岩波文庫)を手に取る。

1. 最高の敵は己の中に...
敵があってこそ得られる利益がある。愚者は友人関係すらぶち壊しちまうが、賢者は敵対関係までもうまく利用するらしい。目を光らせる者がいて、修正される振る舞いもあれば、他人を観察することによって、自分の長所や短所が見えてくることだってある。人に騙されて高い授業料を払い、それで賢くなることも...
虚栄心は人間の本能的な性癖の一つだが、そんな悪癖までも利用しちまう人たちがいる。樽犬先生(ディオゲネス)ともなれば、祖国から追放され、財産を没収され、そんな不遇を閑暇と哲学の道へ転じた。賢者とは、なんと抜け目のないヤツらだ。
愚者は、成功よりも失敗に学ぶことが多い。ならば、友よりも敵に学ぶことが多いのやもしれん。恋愛よりも失恋に学ぶことが多いのやもしれん。結婚よりも離婚に学ぶことが多いのやもしれん。
わざわざ自ら失敗を招く必要もあるまいが、愚者は自ら体験してみないと分からない。そして、自分は悪くない!と、なんでも他のせいにできる性分は、ある意味幸せである。
おまけに、敵意が生じれば、憎しみとともに妬みが生じ、他人の不幸を喜ぶ気持ちまでも芽生えさせる。「嫉妬は憎悪よりも、和解がより困難である。」とは、ラ・ロシュフーコーの言葉。嫉妬こそが最も厄介な敵やもしれん。今こそ、嫉妬を感じないようにする修行を...

2. 沈黙不能症
ソーシャルメディアに誹謗中傷の嵐が荒れ狂う時代では、沈黙の仕方も難しい。論争では、言葉で勝利することが第一の目的となり、真理なんぞ二の次三の次。ソフィストたちが育んできた弁論術の伝統は、いまやプレゼン技術として受け継がれる。ただ、技術がいくら進歩しようとも、古くから伝わる訓戒は変わらない。見た目より中身だ!言葉より実行だ!と...
お喋り屋が欲望を満たすのは、すこぶる難しい。人に聞いてくれ!と言いながら、自分は聞く耳持たず。他人に目を光らせておいて、自分自身には目を背ける。
それでも、お喋り屋が周囲を黙らすという意味では、人に沈黙を教えている。そればかりか、言葉の不毛を教えている。
酒呑みが、黙っていられるもんか!それで酒呑みに説教されてりゃ、世話ない...

「哲学が饒舌の治療を引き受けるとなると、これは厄介でむずかしい。用いられる薬は言葉だが、言葉は聞かれてこそ効き目があるのに、おしゃべりな人間は決して人の言うことには耳をかさず、のべつしゃべってばかりいるからである。そして、この他人の言葉に耳をかさないというのが、沈黙不能症という病気の最初の兆候である。」

3. 弱気の正体は依存症か...
弱気で他人の奴隷になるか、自己賛美で自己愛の奴隷になるか、借金でお金の奴隷になるか、いずれも似たり寄ったり。
しかし、人間ってやつは何かに依存せねば生きてはゆけぬ。アリストテレスは、人間を「ポリス的動物」と定義した。ポリスとは単に社会を営むだけでなく、最高善を求める共同体というような哲学的な意味も含まれているが、ほとんどの人間が社会に依存しながら生きている。社会制度がどんなに不完全であっても、その制度に文句を垂れようとも、その仕組みに依存せずには生きては行けぬ。自己責任なんぞクソ喰らえ!自立なんぞ悪魔にでも喰わしちまえ!それでミイラ取りがミイラに...
依存症に打ち負かされた弱気は、多くの不遇を呼び寄せる。不評の煙を逃れようとも、逃げ方が下手なもんだから、却って炎上よ。断ると気まずいかなぁ... という気持ちに憑かれ、無茶な要求までも引き受け、後の祭りよ。ノーが言えないのは、本当に相手への気遣いか。却って揉め事を増幅させてはいないか。
しかしながら、弱気がすべて悪いとは言えまい。無防備な強気よりはましかも。不当な要求で、厚かましく要求してくる連中は、断固として拒否!恥知らずを思い知らせてやれ!思慮分別に欠ける人間から憎まれるのは本望よ!

ゼノン曰く、「何だと、愚か者めが。その友人とやらは、お前に対して不当不正な所業に及んでいるのだから、お前を恐れてもいなければ、お前に対して恥ずかしいとも思ってはおらぬ。しかるにお前は、正義のためにそやつに刃向かう勇気がないのか!」

2024-03-03

"プリューターク英雄伝" プリューターク 著 & 澤田謙 編

死ぬまでに読んでおきたい!
そんな大作が、ToDo リストを賑わす。プリュータークの「対比列伝」も、そうした一冊。
だが、人生は短い。永遠に到達できない境地があるのも止む無し。だとしても、無闇矢鱈と足掻いてみるのも悪くない...

そこで、本書だ!
翻訳者澤田謙が独自の視点で人物像を掘り起こし、編纂して魅せる。
「対比列伝」というからには、古代のギリシアとローマで著名な人物を、一人ずつ対比しながら物語るという趣向(酒肴)。それぞれ二十名以上、計五十名ほどの英傑が記される。優れた人物の優れた行為には、一種の張り合いのようなものを感じる。自分もこうありあたいと...
しかも、時代を超えた対比となると、人物の特徴がより鮮明になる。長所だけでなく、短所も露わになり、より親しみが感じられる。

しかしながら、ここでは対比にこだわらず、自由奔放な書きっぷり!
「大王アレキサンダー」、「英傑シーザー」、「高士ブルータス」、「哲人プラトン」、「智謀テミストクレス」、「怪傑アルキビアデス」、「義人ペロピダス」、「雄弁デモステネス」、「大豪ハンニバル」、「賢者シセロ」と十名ばかりを炙り出し...
しかも、ハンニバルやプラトンは、対比列伝では一章をなしていないが、ここでは章に昇格させ、他の人物についても、かなり加筆したと宣言している。歴史学者箕作元八の著作「西洋史新話」を参考にしたと... そして、そちらの書にも興味がわくが、絶版のようだ。うん~、惜しい!
ブルータスの二大演説に至っては、対比列伝には骨格が記されるだけだそうだが、ここではシェークスピア風の戯曲で捲し立てる。
それで原書はというと、歴史書というより物語性に富んだ伝記小説風のようで、その性格は継承しているらしい。

例えば...
アレキサンダーの大王たる逸話は、知っていても、やはり読み入ってしまう。
ダイオゼネス(ディオゲネス)との問答では... 樽犬先生、何をご所望か?じゃ、そこをどいてくれ。日が陰るでなぁ...
「我もしアレキサンダーたらずんば、願わくばダイオゼネスたらん哉じゃ。」
「ゴルディアムの結び目 - この紐を解くものは、天下に王たるべし。」に挑んでは... 颯ッと佩剣を抜き放ち、紫電一閃!結び目を両断する。波斯(ペルシア)を平らげると、大王はこう言い放ったとさ...
「敵に克つよりも、己に克つこそは、王者たるに適わしきこと。王者の光栄は、そこのところにあるのだ!」

プラトン物語は、ソクラテスに看取られている。
「雅典(アテネ)の神々を礼拝せず、自分の創った新たな神を拝する。濫りに新説を流布し、世の青年を惑わす。」これが、ソクラテスの罪状。道徳を説き、真理を叫び、法に従うことを説いた賢者は、今、脱獄の勧めを拒否して法の裁きに身を委ね、毒杯を仰ぐ。
その意志を次いだプラトンは、学園アカデマス(アカデメイア)を開講し、青年たちを導いた。これが、今日のアカデミーである。プラトンは、哲学者こそ統治者の資質としながら、自らは教師に甘んじたとさ...

ハンニバル物語には、人を動かすリーダーシップ論を学ぶ。
電光石火のごとくアルプス越えを果たせば、「カルタゴは怖るるに足りないが、ハンニバルは怖れねばならないぞ!」
この豪傑に、ローマはアルキメデスの知恵で反撃す、「予に支点を与えよ。然らば地球を動かさん!」

... こうした物語を多くの作家が読み、また創作の糧にしたことだろうことは、想像に容易い。

ところで、英雄ってやつは、どんな時代に出現するのであろうか...
大衆は、強烈な指導力を持つ政治家の出現を待ち望む。そして、選挙運動を冷めた目で眺めては嘆く。そんな人物は見当たらないと...
大衆は、移り気が激しい。いざ、豪腕な政策を施せば、それを嫌い、今日の英雄は一夜にして独裁者呼ばわれ。
しかも、大衆は盲目で、自信満々な語り手を信用する。こうしたことが、民主主義の最大の弱点なのであろう。
したがって、政治家は、弁論術を求めてやまない。支持を得るために、その技術を磨く。現代風に言えば、プレゼン技術。もちろん、その根底に政治哲学が重視されるべきだが、何事も手っ取り早く手段や方法に群がるのが人間社会というもの。効果的な人心掌握術があれば、そこに群がる。重要なのは真理ではない。真理っぽく装うことだ。大事業を成すには、真理では足らぬ。正義でも足らぬ。権勢や利運をも味方につけなければ。
ただ、いつの時代でも、どこの国でも、絶えないのは大勇を妬む小勇がある。民主主義社会では、善良な政府の存在よりも、善良なマスメディアの存在の方が本質的なのかもしれん...

「大衆時代なればこそ、世は英雄を待望するのである。猫の顔ほどの希臘(ギリシア)の小天地に、偉人傑士雲のごとく現われたのは、いわゆる希臘の自由なる民主主義時代であった。羅馬(ローマ)の民衆が、世界統一を夢みはじめたとき、シーザーが起ってその大衆の呼び声にこたえた。仏蘭西(フランス)革命の怒濤のごとき大衆の波に乗ったのが、一世の風雲児ナポレオンであった。ながい封建の桎梏が自然に腐れ緩んで、百姓町人の手足に自由が訪れたとき、西郷南洲は錦の御旗を東海道に押し立てたのだ。真の英雄は、自由なる民衆時代にあらずんば、現われるものではない。」
... 澤田謙

では、対比列伝に倣って、古代のギリシアとローマを対比しながら眺めてみよう...

まず、古代ギリシア時代は、アテネとスパルタの争覇戦であった。しかも両国の性格は、人情風俗習慣に至るまで正反対。アテネは文化を重んじる民主主義、スパルタは武断を誇る国家主義。デモステネスのような雄弁家を輩出したのも、アテネのお国柄を表している。もはや覇王フィリッポスに対抗できるのは、執政官にあらず、将軍にあらず、ただ一人の雄弁家であったとさ。
テミストクレスは、雅典(アテネ)の未来は海上にあり!とし、海軍を創設。積極的な海外貿易で国力を強化していく。政変で専制政治に傾くと、直ちにこれを打倒するアルキビアデスのような怪傑が出現する。
対するスパルタは、他国と交われば衰弱な風土に汚染されるとし、海外との交流を拒否する。アテネは個人財産を重んじ、スパルタは金銭を卑しみ、自ずと両国で法の在り方も異なる。見事なほどの対称性をなす都市国家と言うべきか。

これに、第三勢力としてテーベが割って入るといった構図。
ペロピダスは、異郷アテネに亡命するも、ひそかに二大強国の隙き間から、新興国テーベの樹立を画策する。それでも、外敵による危機が迫ると、ギリシア全土で惜しみなく結束できる関係が保たれている。

一方、古代ローマ時代は、策謀と奸計で賑わす。
ローマ皇帝という絶大な権力者がいながら、元老院という諮問機関が併設され、その意味では、アテネとスパルタが融合したような。いや、ローマは群衆が動かす国家だ。それ故、大っぴらに事を運べない。
シーザーが慕った高徳な人物ですら、正義感が強すぎる故に私情を捨て... ブルータス、汝もか!
このブルータスこそは、専制政治を打ち破って平民政治を打ち建てた、古ブルータス家の子孫であったという。策略家カシアスは、ブルータスの純粋な使命感を操って、暗殺計画の一党に引き入れ、事を為す。
そんなローマを遠くエジプトから視線を送る女王は、シーザーを悩殺し、アントニーを弄殺。だが三度目の正直か、オクタヴィアスを艶殺せんとして成らず。クレオパトラの鼻が一分低かったら、世界の歴史は違っていたろう... とパスカルに言わしめた妖艶無比なる美女の運命は、自ら毒蛇の餌食に...

シセロ(キケロ)ほどの人物までも、時代の餌食に... 
クレオパトラの鼻とは反対に、シセロの鼻は豌豆(シセル)に似ていたので豌豆氏と渾名されたそうな。この賢者にして、二大欠点が暴かれる。
一つは、余りに己の功績を、自ら称賛し過ぎたこと。彼の文書には、自賛の言辞で満ち満ちていたという。
二つは、弁舌にまかせて、あまりに皮肉や毒舌を弄したこと。元老院といわず、人民会といわず、裁判廷といわず、人を見下すような...
いずれも悪意はなさそうだが、没落を早めるには、惜しみて余りある。そして、ローマを追われながらも、共和制が独裁制に変貌していく様を憂う。
オクタヴィアスはシセロの信望を利用して統領になるが、アントニーのシセロ暗殺計画に屈っする。皮肉なことに、アントニーはオクタヴィアスに攻められ、エジプトで非業の死を遂げることに。オクタヴィアスはというと、シセロの子を抜擢し、共に統領ならしめたとさ...

2024-02-25

"向上心" Samuel Smiles 著

天は自ら助くる者を助く... と説く「自助論」に触発され(前記事)、サミュエル・スマイルズをもう一冊。
人の一生とは、その人がつくり上げた思想の世界に他ならないという。そうした世界を持つことが、人生を楽しむってことであろうか...
尚、竹内均訳版(三笠書房)を手に取る。

「気高い思想を伴侶とすれば、人はけっして孤独ではない。」
... フィリップ・シドニー

本書にも、格言めいた言葉が散りばめられる。自分を大きく育てよ!個性を磨け!仕事に人生の活路を見い出せ!自己投資を惜しむな!自分の頭で考え、信念を築け!強い磁力を持った人物に学べ!ありふれた義務を果たせ!などなど叱咤激励の数々。
世界を動かし常に躍動させているのは、精神力だという。あらゆる力を締めくくるのは希望だとか。かのバイロン卿は、こう叫んだそうな...

「希望がなければ、未来はどこにあるというのだ?地獄にしかない。現在はどこにあるかと問うのは愚かしいことだ。われわれはみなそれをよく知っているのだから。過去はどうだ。くじかれた希望だ。ゆえに人間社会で必要なのは、どこにいても希望、希望、希望なのである。」

人生で大切なのは、朗らかさ、包容力、人格、そして人間性こそが... などと並び立てられると、説教を喰らっているようで、自分の人生は生きるに値するか... などと考え込んじまう。「崇高な精神に導かれたエネルギッシュな人格者」という人間像も、こそばゆい。
おまけに、人格形成で重要な要素に「義務」とやらを掲げてやがる。おいらの大っ嫌いな言葉だ!なぜ、この言葉が嫌いかといえば、それは天の邪鬼だから、いや、誰かに押し付けられている感じがするから...
しかしながら、ここで言う義務は、ちと様相が違う。それは、自分で見つけるものであって、誰かに与えられるものではないってことだ。
しかも、どんな人間にも見い出すことができ、また、背負うべきだという。
自分のできることといえば、目の前にあることを地道に懸命にやるだけ。そうした意識を持ち続けることによって、義務とやらが自ずと見えてくるらしい。慣習の力というやつか。
となると、向上心を身につけるには、慣習のあり方を見直し続け、いかに生きるかを問うことになる。
こいつぁ、自分自身を叱咤激励する指南書か。いや、独り善がり論か。ちなみに、副題に「すじ金入りの自分論」とある...

「実際に生きた歳月の長さで人の寿命をはかることはできない。どんな業績を残し、何を考えたかによって生きた長さを考えるべきである。自分と人のために役立つ仕事をすればするほど、考えたり感動したりすることが多ければ多いほど、本当に生きていると言える。」

仕事は、行動力あふれる人格を養うための最良の方法だという。働くことによって、従順さ、自制心、集中力、順応性、根気強さが鍛えられ、実務能力こそが人格を高めると。
仕事に生き甲斐が持てれば、幸せであろう。一つの仕事に通じれば、人生哲学が会得できそうだ。
では、何を仕事とするか。本書は、社会に役立つすべての労働に価値を認めている。家事だって、立派な仕事。有能な主婦は、有能なビジネスウーマンになり得ると。こうした視点は、古代ギリシアの詩人ヘーシオドスの著作「仕事と日」にも通ずるものがある。

「人間の内に秘められた才能は、仕事を通して完成されるのであり、文明は労働の産物と言える。」

試練が人間形成の糧になるというのは、おそらく本当だろう。
では、利便性はどうか。どんどん便利になっていく社会では、人間は退化しちまうってことか。そうかもしれん。大衆は、分かりやすさに群がる。便利なツールに群がる。昆虫が光に集まるように。多様化社会と言いながら、同じ情報に群がる。共有という合言葉で。みんなが知っていることを知らないと、寄ってたかって馬鹿にされ、それを極度に恐れる。自立の道はいずこ?
生物学的にも、視力は衰え、嗅覚は鈍感になり... それで精神は?
人類の進化の歴史は、単調な右肩上がりであったわけではあるまい。進化する時期もあれば、退化する時期もあったはず。啓蒙の時代があれば、愚蒙の時代もあるはず。作用と反作用の力学は、人間精神にも当てはまるであろう。
そして、大局的見地から進化の方向にあるということであろうか。いや、それは進化論的な神話で、実は退化の道を辿っているのやもしれん。こうした古典が未だ輝きを失わないのも、そのためであろうか...

「常に自分を今以上に高めようとしない人間ほど貧しいものはない。」
... 十六世紀の詩人ダニエル

2024-02-18

"自助論" Samuel Smiles 著

神様は冷てぇや。実に冷てぇや。言葉が欲しい時にいつも沈黙し、肝心な時にきまってお留守なさる。神様は臆病者が嫌いと見える。自分の意志で動こうとしないヤツが大っ嫌いと見える。おいらは神様が嫌いだ。バチ当てやがるから...

「天は自ら助くる者を助く」

保護や援助の度が過ぎると、人を無気力にさせ、自立心までも萎えさせる。政府が打ち出す支援策がしばしば失敗するのは、そのためか。そればかりか悪用される始末。一番の良策は、放っておくことかもしれない。
しかしながら、援助の手を差し伸べたおかげで、救われる場合もある。援助が人を救うのか、人を堕落させるのか。いずれにせよ、自らを救おうとする意志が伴わなければ。それこそ自由精神というものか...

本書は、サミュエル・スマイルズが説いた自己啓発書である。
ここには格言めいた言葉が散りばめられ、その言葉を拾っていくだけでも、自分自身を救った気分になれる。気分は重要だ。自ら意志を活性化させるためにも。それで自己責任論に押し潰されては、元も子もない...
成長は、無知の知から始まるという。だがそれは、ソクラテスの時代から唱えられてきたこと。進歩する人は、まずメモと時間の使い方が違うという。まさに独立独歩のツールというわけか。日々のたった十五分の行為の積み重ねが、凡人を大人物に変えるんだとか。そして、最も重要なのが、人格だという。自分の人間性こそが、最も頼りになる財産というわけか。
日々の行為と習慣に才を見い出すとは... 早熟な才人には、その行為に圧倒されちまうが、大器晩成型の人間には落ち着いて学べるところがある。アリストテレスは、こんな言葉を遺してくれた。「人は繰り返し行うことの集大成である。それゆえ優秀さとは、行為でなく、習慣である。」と。
真の雄弁とは、無言の実践を言うらしい...
尚、竹内均訳版(三笠書房)を手に取る。

スマイルズが生きた時代は... 西欧列強国が競って世界支配を目論み、日本は江戸末期から明治維新へと向かう中で国家という意識を強めていく。どこの国も自存自衛の意識を国粋主義へと変貌させ、領土野心を旺盛にさせていく... そんな時代である。
自尊心ってやつは、心の支えになる。だが、度が過ぎて暴走を始めると、これほど手に負えない意識もあるまい。自己を支配できぬ者は、他人の支配にかかる。真の自尊心は、自己抑制との調和において機能するというわけか。
スマイルズが「自助論」を書いたのは、それが時代への警鐘であったと解するのは、行き過ぎであろうか。まずは、そう思わせる言葉を拾ってみよう...

「自助の精神は、人間が真の成長を遂げるための礎である。自助の精神が多くの人々の生活に根づくなら、それは活力にあふれた強い国家を築く原動力ともなるだろう。」

「政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。どんなに高い理想を掲げても国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルにまで引き下げられる。逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でもいつしか国民のレベルにまで引き上げられる。」

「暴君に統治された国民は確かに不幸である。だが、自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間のほうが、はるかに奴隷に近い。」

「人は専制支配下に置かれようとも、個性が生きつづける限り、最悪の事態に陥ることはない。逆に個性を押しつぶしてしまうような政治は、それがいかなる名前で呼ばれようとも、まさしく専制支配に他ならない。」
... ジョン・スチュアート・ミル

本書の言葉には、説教を喰らっているようで耳が痛い。学問に王道なし!と言うが、どこかに近道があるのではという考えは拭いきれず、つい手軽なハウツー本に突っ走る。そんなおいらの性癖は如何ともし難いが、自己修養だと思って、いくつか言葉を拾っておこう。
つまり、拾った言葉の対極に自分があるってことだ。言葉は心を映す鏡... というが、どうやら本当らしい...

「真の人格者は自尊心に厚く、何よりも自らの品性に重きを置く。しかも、他人に見える品性より、自分にしか見えない品性を大切にする。それは、心の中の鏡に自分が正しく映ることを望んでいるからだ。さらに、人格者は自分を尊ぶのと同じ理由で他の人々をも敬う。彼にとっては、人間性とは神聖にして犯すべからざるものだ。そしてこのような考え方から、礼節や寛容、思いやりや慈悲の心が生まれてくる。」

「どんなに高尚な学問を追求する際にも、常識や集中力、勤勉、忍耐のような平凡な資質がいちばん役に立つ。そこには天賦の才など必要とされないかもしれない。たとえ天才であろうと、このような当たり前の資質を決して軽んじたりはしない。」

「人間は、読書ではなく労働によって自己を完成させる。つまり、人間を向上させるのは文学ではなく生活であり、学問ではなく行動であり、そして伝記ではなくその人の人間性なのである。そうはいっても、すぐれた人物の伝記には確かに学ぶところが多く、生きていく指針として、また心を奮い立たせる糧として役立つ。」

「人間の進歩の速度は実にゆっくりしている。偉大な成果は、決して一瞬のうちに得られるものではない。そのため、一歩ずつでも着実に人生を歩んでいくことができれば、それを本望と思わなければならない。『いかにして待つかを知ること、これこそ成功の最大の要諦である』と、フランスの哲学者メストルも語っている。」

「人間の知識は、小さな事実の蓄積に他ならない。幾世代にもわたって、人間はこまごました知識を積み重ねてきた。そうした知識や経験の断片が集まって、やがては巨大なピラミッドを築き上げる。」

「真の謙虚さとは自分の長所を正当に評価することであり、長所をすべて否定することとは違う。」

「金持ちが必ずしも寛大ではないのと同じように、立派な図書館があり、それを自由に利用できるからといって、それで学識が高まるわけではない。立派な施設の有無にかかわらず、先達と同じように注意深くものごとを観察し、ねばり強く努力していく以外に、知恵と理解力を獲得する道はない。」

「依存心と独立心、つまり、他人をあてにすることと自分に頼ること... この二つは一見矛盾したもののように思える。だが、両者は手を携えて進んでいかねばならない。」
... ウィリアム・ワーズワース

「最短の近道はたいていの場合、いちばん悪い道だ。だから最善の道を通りたければ、多少なりとも回り道をしなくてはならない。」
... フランシス・ベーコン

「心の中にいくら美徳の絵を描いても、現実に美徳の習慣が身につくわけではない。むしろ心はコチコチに固まり、しだいに不感症となるだろう。」
... バトラー主教

2024-02-11

"LIFE SHIFT - 100年時代の人生戦略" Lynda Gratton & Andrew Scott 著

時間という物理量が、誰にでも平等に与えられているかは知らん。が、人生が長くなれば、それだけ考える時間も長くなる。鼓動や脳波の周波数に個人差があれば、時間の速さや感じ方も違うであろう。夭逝した偉人たちは、素早く時代を駆け抜けていった。天才とは、早世するものなのか。あまりに研ぎ澄まされた才能ゆえに、自ら寿命を縮めてしまうのか...
長く生きれば、それだけ充実した人生が送れるわけではない。いや、むしろ苦悩を長引かせるだけかも。人生ってやつは、長かろうが、短かろうが、有意義に生きることは難しい。百年時代ともなると、人生計画も思い通りにはいくまい。先が見通せないだけに、不確実性に対する心構えが問題となる。だがそれでも、ぶれない根本の哲学は持っておきたい。
ちなみに、おいらの座右の銘は、今はこれ!ちょくちょく変わるのだけど...

"Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever."
「明日死ぬと思って生きよ。不老不死だと思って学べ。」
... マハトマ・ガンディー

さて、本書のテーマは、長寿という贈り物を、どうやって謳歌するか...
人生が長くなれば、まず、お金の問題が気になる。老後に必要な資金は... などとファイナンシャルプランナーが算出すれば、年金も心もとなく、社会全体に重苦しい空気が...
本書は問いかける。意識がお金の問題に偏りすぎてはいないか... 他にも同じくらい大事なことがあるのでは... と。そして、従来の人生観を「教育、仕事、引退」の 3 ステージで区分し、もっと多くのステージを模索すること。さらに、マルチステージに挑戦することを奨励している。第二の人生という言葉もあるが、第二と言わず、第三でも、第四でも... しかも、マルチタスクで... おまけに、年齢や世代を超えて、今すぐやってみよう!というわけだ。
尚、池村千秋訳版(東洋経済新報社)を手に取る。

「アイデンティティ、選択、リスクは、長い人生の生き方を考えるうえで中核的な要素になるだろう。人生が長くなれば、経験する変化も多くなる。人生で経験するステージが多くなれば、選択の機会も増える。変化と選択の機会が増えるなら、人生の出発点はそれほど重要でなくなる。そのような時代に生きるあなたは、年長世代とは異なる視点で自分のアイデンティティについて考えなくてはならない。人生が長くなるほど、アイデンティティは人生の出発点で与えられたものではなく、主体的に築きうるものになっていく。」

人生の道のりで、どんなステージを思い描くかは人それぞれ。スキルアップのステージ、旅で視野を広げるステージ、大学に行って再教育を受けるステージ、稼いで貯蓄を潤すステージ、ビジネスを立ち上げ野心に燃えるステージ、そして独りになって人生を見つめるステージ... と。どのステージに身を置こうと、自分を見失わないこと。いや、自分自身を知ること、もっともっと自分というものを知ること。それは、ソクラテスの時代から唱えられてきた難題である。人生が長くなれば、自分自身と向き合う時間も長くなる。いろんなステージを経験すれば、自分というものが、より確かなものになるやもしれん。いや、誇大妄想に駆り立てられるやも。
金融資産のポートフォリオよりも、人生のポートフォリオだ。スキルのポートフォリオに、仕事のポートフォリオに、シナリオのポートフォリオに、無論リスクヘッジも欠かせない。いよいよ、真の多様化時代の到来か...
しかしながら、人生を主体的に生きることは難しい。凡庸な人間には過酷だ。ただし、主体的に生きている気分になることは、そう難しくない。凡庸なだけに...

本書は、「自己効力感」「自己主体感」の両方を持つことを説く。自己効力感とは、自分ならできるという認識。自己主体感とは、自ら取り組むという認識。どちらも、今もてはやされる自己肯定感に結びつく。ただ、人間ってやつは、相対的な認識能力しか持ち合わせておらず、自己肯定感を他人否定で支えるのでは本末転倒。時には、論理的な悲観論も欠かせない。何事も、野心的すぎても、保守的すぎても、うまくいかない。
冒険心は若さの特権ではないが、歳を重ねれば、どうしてもリスクを恐れる。物事を知れば知るほど臆病になりがち。特に、お金のギャンブルは避けたい。
そこで、無形資産の重要性を説く。知的財産なら、いくらでも挑戦できそうだ。安全志向も、挑戦志向も、捨てがたいとなれば、どう使い分けるか。これも人生戦略のうち。
資産は、なにも金融資産だけではない。知識資産に、スキル資産に、人間関係資産に、活力意欲資産に、変身願望資産に... 自分の持ち分でどう組み立てるか。人生戦略では、有形資産よりも無形資産の方が重要なのやもしれん...

現代は技術革新によって利便性が高まり、ますます時間の使い方を考えさせられる。人間が本来やるべきこととは何か。高齢者医療や年金ばかり見ていると人間の本分を見失う。単に機械に頼り、依存症を患うのでは、人間までも失いかねない。
では、人間と機械との違いとはなんであろう。いま、人間を凌ぐ勢いで進化を続ける AI。こいつに対抗できる能力が人間にあるとすれば、それはなんであろう。物理化学者マイケル・ポランニーは、こんなことを主張したという。

「人は言葉で表現できる以上のことを知っている。」

AI は獲得した知識のすべてを言語化、あるいは記号化する。だが、人間は言葉にできない多くのことを潜在的に、あるいは無意識的に知っている。このあたりに、人間と機械の境界があるのやもしれん。
しかし、人間が言葉にできない知識まで言語化する能力を、AI が会得しちまったらどうだろう。進化した AI は人間に命ずるやもしれん。人間どもを排除せよ!と。人間が得意とする排外主義は人間自身へ向かう。生きる権利を主張するなら、死ぬ権利を主張してもいい。裏社会に暗躍する安楽死ビジネスは盛況となり、尊厳死という価値観が見直されていく。しかも、AI の管理下で...

ついでに、おまけ... いや、愚痴か...
長い人生では、経験したくないステージにも遭遇する。本書からは、ちょいと断線するが、高齢化社会における現実的なステージを一つ付け加えておこう。
仕事と家事の両立で苦労している人も少なくなかろうが、長寿化が進めば、さらに介護との両立も必要となる。まさに、おいらが直面している問題だ。しょんべんまみれで御飯を作り、ウンコまみれでキーボードを叩く。このマルチステージは、かなり手ごわい。仕事が自由に選べる立場として独立し、個人事業主となったが、まさか、介護との両立で機能しようとは。プロジェクトマネジメントの経験が、介護マネジメントにも役立っているとは、なんとも皮肉である。長く生きていれば、どんな経験が役立つか分からない。無駄なステージも、無駄ではなくなるかもしれない。家事を一つのステージとするなら、介護も一つのステージ。そして、三世代分の面倒を見なきゃならん時代の到来か。合理的な家族構成は、むしろ多世帯の方にあるのかも。人間嫌いには辛いが...

2024-02-04

"シュルレアリスム宣言・溶ける魚" André Breton 著

シュルレアリスムって、なんぞや?
それは現実か、幻想か。アンドレ・ブルトンは、こう定義する。

「シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象(オートマティスム)であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。」

尚、本書には、自動記述による物語集「溶ける魚」が併収され、巖谷國士訳版(岩波文庫)を手に取る。

「シュルレアリスム宣言」は当初、32 もの小話が群れる「溶ける魚」の序文として書かれたものらしい。こうした作風を「自動記述」と呼ぶそうな。なんじゃそりゃ?
自動記述といえば、機会学習のような自動化を思い浮かべる。AI が勝手に文章を書いてくれるような。
だがここでは、むしろ逆で人間が思いのままに書くといったイメージ。自己集中できる場に身を置き、最大限に受容力を高め、自分の天分や才能、あるいは他人のそういったものに囚われず、文学的な思考を一切排除し、ただ書きまくる。その結果、生じる文章とは...

「いとしい想像力よ、私がおまえのなかでなによりも愛しているのは、おまえが容赦しないということなのだ。」

言うなれば、人間もまた、物理的に決まった分子構造をもつ機会仕掛けのオートマタのようなもの。そこから生じる文章とは、偉大なる気まぐれのなせる技!とでもしておこうか。
それは、芸術家が持つ資質でもあろうし、数多の詩人や作家、あるいは、哲学者にも見受けられる。自由精神こそが、古くから人々を熱狂に包み、芸術家を奮い立たせてきた狂気の源。
そして、映画のあるシーンを思い浮かべる...

「とにかく書くんだ。考えるな!考えるのは後だ!ハートで書く。単調なタイプのリズムでページからページへと。自分の言葉が浮かび始めたらタイプする。」
... 映画「小説家を見つけたら」より

「溶ける魚」という題目も、なかなか洒落ている...
自己とは、自分の思考の中で溶けていくものらしい。風景も、出来事も、溶けていく。想像も、希望も、記憶とともに溶けていく。溶けて限りなく透けた世界に、読み手も溶けていく。書き手も、読み手も、同じ世界に飢えた幻想共同体よ。そして、おいらもホットな女性に溶けていく。
夢想する自己も、幻想する自己も、現実の自己であることに変わりはない。この厄介な自己とどう向き合うか、それこそ自由裁量。ただし、悪用せぬよう...

「私自身にきいてみたまえ、この序文の、くねくねと蛇行する、頭がへんになりそうな文章を書いてこざるをえなかった本人に...」

2024-01-28

"過激にして愛嬌あり -「滑稽新聞」と宮武外骨" 吉野孝雄 著

型破りな人間!とは、こういう人を言うのであろう。外骨というペンネームからして世間をなめてんのか。いや、どうやら本名らしい。ほんでもって、トンチ絵図で明治天皇を骸骨になぞらえ、大日本帝国憲法に擬した「頓智研法」なんて出版した日にゃ... 牢獄行き!
おまけに、クソで書いた「法律」という文字で、今にも臭ってきそうな「糞法」をお見舞いする。
そして、敢えて問う、役人か悪人か... と。この人物は懲りていない。懲りるどころか、獄中でエネルギーを蓄えてやがる。奴は、次なる獲物を虎視眈々と狙っている。覚悟しておけ、役人ども!
二百三高地で苦戦が伝えられる中、いま日本は、国を挙げて露軍と戦争の真っ最中でござる。滑稽新聞社は、社を挙げて賂軍との闘いに日夜明け暮れ候...

こんなことを、21世紀の今やるとどうであろう。政界や財界に忖度しまくるマスゴミ連中を見てりゃ、時代は大して変わっとらんか。
宮武外骨の編纂哲学に、滑稽文学の真髄を見る思い。彼は、「上片贅六」をもじって「贅六主義」と称し、六つの贅沢をもって滑稽文学とす。六つの贅沢とは、理想主義に、進歩主義に、実利主義に、楽天主義に、遊び主義に、金儲け主義と、これまた胡椒が効いて... ヘーックション!

「抑(そもそ)も余輩の本誌を発行するや、只(ただ)人をして笑はしめんと欲するにあらず、余輩には抱負あり本領あり希望あり目的あり、随つて本誌の主義とする所豈に夫れ小ならんや、今若し之を哲学上よりいへば本誌は即ち理想主義と称すべく政治上よりいへば進歩主義、経済上よりいへば実理主義、宗教上よりいへば楽天主義を持し、更に進んで編輯上よりいへば遊び主義にして、発行上よりいへば金儲主義なり、余輩は此の六主義を執らんがために本誌を発行するに至りしなり、以上の六主義之を滑稽文学上よりいへば即ち贅六主義にして贅六文学の語是より起る...」

地方権力の末端から始めた腐敗への攻撃は、次第に権力の中枢に迫っていく。それも意図的にやったわけではないらしい。末端権力をほじくっているうちに、自然と権力の中核に迷い込んでしまったとか。
当局は、そんな危険な新聞を野放しにはできない。だが、処罰して封じ込めようとすれば、ますます記事の餌食に。裁判で侮辱罪を主張するにしても、何をやったかが検証され、自らの非を国民の眼に晒すことになる。
有罪か無罪か、そんなことは知ったこっちゃない。聞屋は、権力が不当に処罰するのを、ただ待っていればいいとさ。そして、監視の眼にも皮肉で応酬!

「尾行か、ご苦労だね... 吾輩は悪官吏どもを筆誅するが、君達が恐れる社会主義者や共産主義者じゃあないよ。吾輩が共産主義者になると、吐き出すほうが多いから絶対損をする。しかし、君達が共産主義者になったら、いまの月給よりよけいな分けまえにありつけるのじゃあないかね...」

滑稽新聞は、癇癪と色気が売りものだという。「肝癪を経とし色気を緯とす」
これを、検事が「肝癪は破壊主義であり、色気は淫猥奨励である」などと聖人君子ヅラで主張すれば、これに喰って掛かる。

「怒りは人間の最も基本的な感情のひとつであり、色気は少々理屈っぽくいえば、生命を生む源泉である。それがいけないというなら、もう人間をやめるしかない。」

冗談が単なる冗談で終わらず、過激にして滑稽!洒落の中に鋭い諷刺を極めた滑稽新聞も、自殺即ち、自ら廃刊することによって終わりを告げる。それは、権力に殺されたのではなく、自ら死を選んだところにユーモアと自負があるとさ...

「人は死すべき時に死な々ければ死に勝る恥があると云うが、特種の有機体たる新聞雑誌も亦(また)人と同じく死すべき時に死な々ければ死に勝る恥がある。」

2024-01-21

マルチモニタに睨まれて... 十面楚歌!?

マルチモニタ環境に病みつき... 四面楚歌、八面楚歌ときて、十面楚歌!?

モニタってやつは、向こうから一方的に光を放ち、こちらは受け身でそれを見る。だから、出力装置なのである。
しかしながら、十面にも囲まれると、向こうから見張られているようで奇妙な気分。入力と出力の役割が曖昧になっていく。
もはやモニタを並べて監視している場合ではない。今こそ自己監視の主導権を取り戻さねば...

さて、システムのグレードアップに伴い、モニタを二画面追加することに。おかげで、仕事環境は理想的!
とはいえ、いくら理想的な環境を手に入れたところで能力が上がるわけもなく、三日もすれば馴れちまい、贅沢病が疼くばかり。結局は、自己満足の世界か。いや、自己陶酔の...




左 8 画面が 1st マシン。右縦 2 画面が 2nd マシン。
モニタの接続と配置は、上部と下部で 二つのグラフィックボードに振り分け、こんな感じ...




前回は静音重視であったが、今回は冷却重視!
まず、ケースは、NZXT を採用し、ファンは前面に三つ、上部に三つ、後部に一つ、合計七つを配置。

GPU は、前回、GeForce RTX 2060 四画面 + UHD Graphics 630 二画面という構成で、性能が UHD に引っ張られる感があった。今回、GeForce RTX 4060 二枚挿しで、スッキリ八画面!二枚ともなると消費電力も気になるところ。TDP = 115W に抑えて。ゲームをやるわけではないが、画像処理アルゴリズムの検証をやったりするので、このぐらいの性能は欲しい。

マザーボードは、ASRock 好き!RealtTek の Audio Codec 搭載が、我が家のオーディオシステムと相性がいい。
てなわけで、新マシンの構成は...

  Case    : NZXT H7 Flow Black
  M/B     : ASRock Z790 Steel Legend WiFi
  CPU     : Intel core i9-13900K
  GPU     : nVidia GeForce RTX 4060 8GB x2
  RAM     : 64GB Crucial CT16G48C4OU5 x4
  Strage  : SSD 2TB Crucial CT2000PSSSD8JP(NVMe)
  OS      : MS Windows 11 Pro
  Monitor : JAPANNEXT JN-IPS315UHDR-HSP 3840x2160 x2 # 新規追加(中央)
            PHILIPS 234E5EDSB/11        1920x1080 x6

そして、旧マシンを 2nd へ...

  Case    : be quiet! DARK BASE 700 BGW23
  M/B     : ASRock Z390 Extreme 4
  CPU     : Intel core i9-9900K
  GPU     : nVidia GeForce RTX 2060 6GB
  RAM     : 32GB
  Strage  : SSD 1TB Crucial CT1000MX500SSD4
  OS      : CentOS Stream 9
  Monitor : PHILIPS 234E5EDSB/11 1920x1080
            PHILIPS 224E5DSB/11  1920x1080




手前に NZXT、奥に be quiet!... 大きさもマッチ!

1. Windows 11 について...
MS アカウントは必須???まず、こいつをどうするか。UNIX ライクに root アカウントのような位置づけにしようかと思ったが、どうもしっくりこない。いや、まったくの異物!ローカルアカウントに管理者権限を与えておけば、大抵間に合う。Windows 10 では完全に抹殺したが、やっぱり必要な時がありそうな...

おいらにとって Windows 11 へアップしたメリットは、Explorer にタブ機能が搭載されたこと、ぐらいかなぁ...
仰々しいスタートメニューがおとなしくなり、ウィジットが独立したのはいい感じ。しかし、表示位置がタスクバーに引っ張られては、マルチモニタ環境では面白くない。すべてのモニタにタスクバーを表示する気にもなれず...
ちなみに、Windows 10 で解像度の違うモニタを接続すると、その境界でマウスの移動がつっかえたりする。その点、Windows 11 には「ディスプレイ間でカーソルを簡単に移動させる」という設定があって、これをオンにすると、スムーズに移動できる。ありがたや!ありがたや!

Windows 10 で動作したアプリはたいてい OK!
但し、メモリ整合性で違反するものがあり、セキュリティを緩くすれば動作する。これを OK! と言っていいのかな???

モニタの拡大縮小率は、2K 画面は 100%(推奨)、4K 画面は 150%(推奨)をそのまま。推奨は当てにならんかぁ...
解像度の違うモニタ間でアプリを移動させると、ものによってはウィンドウサイズが奇妙な大きさに変化する。特に動画や画像処理系のアプリで。表示するモニタを決めておけば、いいのだけど。
また、4K と 2K の混在で不規則な配置ということもあり、アプリによっては表示領域外にウィンドウが配置されて見えない場合がある。当初、機能が制限されるのかと思いきや、GPU のメモリにはしっかりとマッピングされているようだ。一旦、シングルモニタ環境ですべての機能を出現させてメインモニタにしっかりと配置し、それからマルチモニタ環境に戻せば問題なし。マルチウィンドウで構成されるアプリは注意!
これに気づくのに、10 分ぐらい悩んでしまった。空間認識力を養わねば...

2. CentOS Stream について...
2nd マシンはサーバー的な位置づけで、CentOS 7 を愛用してきた。8 へのアップグレードを計画していたところ、ショッキングなニュースが飛び込んできたのは周知の通り。この際、乗り換えることに...
むかーし愛用していたということもあり、Fedora 39 を試したところ、随分と様変わりし戸惑う。マルチモニタ環境が少々不安定なのは相変わらずか。
なので、CentOS Stream 9 を試すことに。やはり、こちらの方が安定感がある。しかし、Rocky Linux の方が良さそう。なにしろ、CentOS Stream のために、Rocky Linux のコミュニティを参考にしている有り様。おいらは移り気が激しい。千鳥足でハシゴか...

2024-01-14

リアリティ依存症...

Real と Reality では似ているようで微妙に違う。
Real は、まさに現実。Reality はリアルっぽい、いや、むしろ仮想現実に近い。
人間にとって、現実ほど居心地の悪いものはないが、仮想現実となると、すこぶる居心地が良いと見える。

この世に合目的なんてものが存在するのかは知らん。学問がそれを求めて深化させていけば、専門化が進むは必定。だがそれで専門バカを量産し、縦割り知識が充満するのでは本末転倒!
しかしながら、現実に目的を求めたところで詮無きこと。それでも、人生に意味を求めずにはいられないのが人間の性(さが)。
果敢ない人生を未練がましく生きることこそ、人間の甲斐性というものか。
現代人は、自らの人生を連想で埋め尽くそうともがき、仮想空間にのめり込んでいく。それは、現実に幻滅したからか...

精神の実体が自由電子の集合体なのかは知らん。が、この塊を魂と呼ぶなら、魂ってやつは、真実よりも真実っぽいものに、本物よりも本物っぽいものに引き寄せられる性質があると見える。それは、精神そのものが、リアルよりもリアリティな存在だからであろう。類は友を呼ぶってやつか。
そして大衆は、リアルから遠ざかり、リアリティに群がる。現実から現実性へ、実存から実存性へ。それで幸せなら結構な話じゃないか!