2026-04-26

"詳解 Terraform" Yevgeniy Brikman 著

近年、DevOps という用語を耳にする。
だが、ソフトウェアの開発やアップデートと並行して運用する考え方は、ずっと前からある。オンラインが当たり前な環境では、ネットワーク整備のための一時停止が致命的なダメージにもなりうる。決済システムや認証システム、SaaS や各種サーバなど、些細なメンテナンスの度に停止するわけにはいかない。こうした状況下で、より効率よく運用するには...
尚、松浦隼人訳版(オライリー・ジャパン)を手に取る。

「午前 3 時のアラート対応をやったことがあるなら、この本はあなたのためにあります。」

もう三十年ぐらい前になろうか。会社のルータを自宅からリモートで設定し、しくじっては深夜に車を走らせた記憶が蘇る。そもそも、ネットワークの設定をネットワーク経由でやるところに自己言及の罠がある。
本書は、ソフトウェアプロジェクトの時間見積もりは不正確なことで有名で、ホフスタッターの法則を計算に入れても、予測以上に時間がかかるものとしている。
ちなみに、ホフスタッターの法則とは、ダグラス・ホフスタッターの著作「ゲーデル、エッシャー、バッハ - あるいは不思議の環」の中で唱えられた自己言及に関する格言、いや、皮肉か...

さて、DevOps ムーブメントには、文化(Culture)、自動化(Automation)、計測(Measurement)、共有(Share)という四つのコアバリューがあるという。頭文字をとって CAMS とも呼ばれるとか。
本書は、この中の自動化に注目し、Infrastructure as Code(IaC)という考え方を提示する。そして、プログラミング言語の視点から、宣言型言語に焦点を当てる。
例えば、ルータを制御するためのコマンド群は、特化した宣言的な記述ができるが、柔軟性に欠く。複数のサーバや複数のアカウント、さらに複数のインフラを統合管理するのに手続き型言語を用いれば、コードが複雑化し、メンテナンスの手間も増大する。
コンパクトで分かりやすく記述でき、言語らしい振る舞いをする言語となると、その選択肢の一つが Terraform というのである。言語的な興味から、ちと試すことに...
ちなみに、コマンド群は、手続き型言語のコードをマクロ化してきた資産に似たところがある...

Terraform は、HashiCorp 社が提供するオープンソースツールで、Go 言語で書かれている。プロバイダや仮想化プラットフォームへ API コールする仕掛けとして。例えば、AWS, Azure, Google Cloud, DigitalOcean, OpenStack, VMware などを相手に...
また、宣言型言語でありながら、count, for_each, for, create_before_destroy、ビルトイン関数が実装され、柔軟性と表現の豊かさを与えるという。
但し、IaC は通常のコーディングとは違うトレードオフがあるとか。特にロック、分離、ステートについてよく考えよ!と注意を促している。ちょっとでもしくじると、その影響は広範に及び、大規模なシステムダウンに... 御用心!

さらに、複数のプロバイダを相手取るのに、Docker や Kubernetes の入門にも触れてくれる。
Docker は、アプリケーションの実行環境を構築、配布、実行するためのプラットフォームで、コンテナ型の仮想化技術を活用する。
Kubernetes は、コンテナ管理ツールで、アプリケーションのデプロイや管理を自動化する。

「自動テストのないインフラコードは、壊れている。」

1. 設定ファイルの集合体
プロバイダとは、各種インフラに対応したインスタンス生成のための宣言とでもしておこうか。その実装イメージは、設定ファイルの集合体といった様相で、宣言型らしくコンパクトな記述。

  module "name" {
    source = ...
    [CONFIG ...]
  }

  provider "name" {
    reigion = ...
    alias = ...
  }

2.インスタンス生成の大まかな手順
  1. 設定ファイルを HCL(Hashicorp Configuration Language)で書き、terraform init コマンドを実行。
  2. terraform plan コマンドで、実行する前に内容を確認。
  3. terraform apply コマンドで、実際にインスタンスの生成、更新。

3. インスタンスの依存グラフ
インスタンスの依存関係では、terraform graph コマンドが紹介される。グラフ記述言語 DOT で出力され、愛用してきた Graphviz とも連携できそう。

4. ステートファイル
Terraform は、インフラの構築情報を Terrafotm ステートファイルに記録するという。JSON フォーマットで...
また、ステートファイルの保存場所として、バックエンドという機能があるという。ローカルファイルとして扱うローカルバックエンドと、共有ストレージとして扱うリモートバックエンドが。共有するからには、ロックや暗号化にも対応。

5. workspace
すべてのステートファイルを一箇所で管理することも可能だが、一つのミスが全体に及ぶリスクは計り知れない。ステートを分離する方法としては、ファイルレイアウトを分離することが考えられるが、ある程度計画的にやる必要があろう。手っ取り早くやる方法としては、ワークスペースを利用する事例が紹介される。
terraform workspace コマンドで、開発ステージと本番ステージを分離したり...

2026-04-19

"マルチパラダイムデザイン" James O. Coplien 著

ソフトウェア開発の歴史を振り返ると、数学的記号や機械語の羅列に始まり、マクロやサブルーチンによる構造化を経て、オブジェクト指向やドメイン駆動といった方法論を編み出してきた。今や、アジャイルという考え方まで定着し、その流れは、ますます哲学的になっていくかに見える。これに伴いプログラミング言語も進化し、言語自体が一つのパラダイムを、いや、一つの哲学を成すような。パラダイムとは、考え方の枠組みであり、一つの世界観。いずれも、柔軟性、拡張性、分かりやすさを追求してきた結果でもある...

「アインシュタインの言葉を言い換えて引用すれば、可能なかぎり作りやすく、しかしそれ以下にならないように...」

巷では何事も、それに至るプロセスよりも、結果を重視する傾向がある。しかしながら、複雑で多様化していく世界では、結果を出すにも困難が増大していく。特定の結果に目を奪われ、設計ストレスも限界へ。人間社会とは、まったくエントロピーな世界だ。
そして、文化やプロセスに目が向き、なぜそうなっているのか?どうあるべきか?と、その意義を問わずにはいられない。仕事の意味と目的が確立されれば、自由と信頼が得られ、満足度も上がる。自己満足で終わることもあるにせよ。こうした思考プロセスが、パラダイムを生み出す原動力となるのであろう...

ジェームズ・O・コプリンは、一つのパラダイムだけでは対処できない状況にあることを告げ、オブジェクト指向が「優れた設計手法」と同義語になっている危険性を指摘している。
マルチパラダイムとは世界観の融合ではあるが、手っ取り早く、良いとこ取りに走ることも。それはそれで調和すればいいが...
ますますカオス化し、答えの見つからない世界では、多種多様な手法を組み合わせるバランス感覚が求められる。ソフトウェア工学は、抽象原理に後押しされ、ますます哲学へ導かれていくかに見える。いや、あらゆる研究分野が...
尚、平鍋健児 + 金澤典子 + 羽生田栄一訳版(ピアソン・エデュケーション)を手に取る。

「どのようにカテゴリ化を行っているかを理解することは、我々がどのように考え、どのように役割を果たしているかを理解するための核心となる部分であり、それゆえに我々を人間としているものが何であるかを理解するための核心ともなる。そして、カテゴリが共通の特性により定義されるという考え方は、カテゴリとは何かといった場合の日常的な定義であるだけでなく、学問的にも基本的な理論として扱われてきた。我々が 2000 年以上にわたって馴れ親しんできた考え方である。」
... George Lakoff

本書は、「ファミリ」「共通性」「可変性」といった語をキーワードに掲げる。
プログラミング言語の特徴に、クラス化やパラメータ化、柔軟性や拡張性といったものがある。それは、自然言語とて同じ。人間の論理的思考は、なんらかの意味合いを表す記号群に支えられ、人類の進化にこうした言語現象を重ねることができよう。それは、複雑で多様な世界を認識するためのプロセスであり、言語の優れた特性は、曖昧かつ不明瞭なものまでも記述し、不明確で不確実な状況に応じて判断を下すために機能する。こうした抽象原理こそが言語機能の本質やもしれん...

ファミリとは、グループ化やカテゴリ化の抽象度を上げた概念といったところであろうか。共通性はファミリの肝となる特性で、可変性はファミリの柔軟性や拡張性と結びつけることができよう。
また、アプリケーションやドメインという限定されたエリアから、ソリューションという広範な領域へ目を向けることを要請している。
実際、まったく異なる分野からアイデアを拝借して問題解決の糸口とすることも多々ある。他業界で成功しているコンセプトがヒントとなって新たな事業を生み出すことも。
対象が経験や知識から遠くにあれば、その関連性に気づくことは難しく、複雑な事象に潜む本質的な構造を見抜くには、より抽象化した洞察力が求められる。

ところで、システム構築で、気を使うものの一つに例外処理ってやつがある。それが設計思想に適合すれば問題ないが、コア部を崩壊させてしまうことがあり、システムの致命的な欠陥にもなりやすい。人間でもパニックに陥る要因の一つに想定外ってやつがあるが、まさにそれだ。
どんな原理にも、どんな思想にも、そして、どんなパラダイムにも、矛盾がつきまとう。こうした状況に対応するものとして、本書では「負の可変性」という語を見つける。マルチパラダイムデザインは、こうした状況下で強力なメカニズムを提供するとしている。
ただ、事例がイマイチか...
通信システムにおいて、メッセージがボディを持つと定義した場合、ボディを持たない特殊メッセージの実装例が紹介され、分かりやすいといえば、そうだけど。要するに、C++ という言語の抽象を超えた抽象として...

2026-04-12

"〆切本 2" 左右社編集部 編

〆切にまつわるアンソロジー... 第二弾!
この手の企画は、愚痴を誘う。愉快!愉快!
愚痴も文才が書けば文学となり、釣られて読み手も本音をぶちまける。愉快!愉快!
〆切とは、責任か、義務か。そんなものが不平等条約で課せられた日にゃ。猿に邪魔されても〆切はやってくるとさ...

「義務の遂行とは、並たいていの事では無い。けれども、やらなければならぬ。なぜ生きてゐるか。なぜ文章を書くか。いまの私にとつて、それは義務の遂行の為であります、と答へるより他は無い。金の為に書いてゐるのでは無いやうだ。快楽の為に生きてゐるのでも無いやうだ。先日も、野道をひとりで歩きながら、ふと考えた。愛といふのも、結局は義務の遂行のことでは無いのか。」
... 太宰治

締切りをめぐる攻防は、まさにデッドライン!宿場に監禁されてりゃ、M じゃねぇとやっとられん。戦時でも、平時でも、上役の決まり文句は同じときたぁ... 死守せよ!

「日本の国内では、敗戦後日本人が平凡で疲れた頭脳で考えだした『平和ファシズム』『民主主義ファシズム』『自然保護ファシズム』『差別反対ファシズム』が横行し、そうした傾向は、批判する者がマイノリティーであると見るや、マジョリティーの暴力を以って圧し潰し、発言さえ封じてしまうという、まるで現象的には戦争中と、さも似た様相を示していた。」
... 團伊玖磨

そもそも、芸術作品に〆切なんてものがあるのか。いや、〆切にも効用がある。期限をもうけることによって、具体的な目標が定まる。だからといって、ギチギチに詰め込めばアイデアも浮かばんよ。
どんな文才にも、どうしても書けないということがあるらしい。編集者は、書けない人間に書かせようとする。だがそれは、人間を否定するようなもの。書き手も負けじと、言い訳のためのアイデアを絞り出す。まるで狐と狸の化かし合い!結局、人間社会なんてものは、いつも、どこでも、化かし合いよ...

「期限の長き未来を言うときにはたいそうなることを企つるようなれども、その期限ようやく近くして今月今日と迫るに従いて、明らかにその企ての次第を述ぶること能わざるは、畢竟ことを企つるに当たりて時日の長短を勘定に入れざるより生ずる不都合なり。」
... 福沢諭吉

約束を守らない!というのと、間に合わない!というのは、同義であろうか。それは、人間失格を意味するのだろうか。書く自由ってなんだ。それは、書けない時の不自由を悟るためのものか。人間社会は恐ろしい。なにがしら約束めいたものを交わすだけで、契約成立ときた。そればかりか、そこに優劣関係が生じる。人はみな、あらゆる場面で優越主義者を演じようと必死!世間を渡り歩くとは、そういうことやもしれん...

「結局、人はほとんどの状況において『約束』などしていないのであり、約束という言葉がオトナ社会の日常で持ち出される時はすべて『都合と立場の悪くなった人の切り札』として持ち出されている... 逆に『できない約束はしない』という言葉をやたら自信を持って言う人もいる。どんなに甘酸っぱい状況でも、『できない約束はしない主義なの』と下らない主義を持っている人もいる。こういう人が一番約束の意味を知らない。」
... リリー・フランキー

おまけに、仕事効率とリソース配分を定式化して魅せる学者までいる。
仕事効率 u(t) は、リソース配分の分布関数 r(t) で決まるとさ。そして、時間 0 から T における仕事量の最大化は...

  Maximaize W = T
0
u(r(t))dt

「集中力を上げるのは大変である。人は、集中力を上げることをできるだけ節約する傾向があるようにも思える。しかし、忘れてはならないのは、創造的な仕事は、集中しなければ進まないことである。... 追い込まれなくても集中力を上げるために自分なりの方策を編み出していくことは、研究者が健康で文化的な最低限度の生活(日本国憲法)を送る上で、欠くことのできないスキルではないだろうか。」
... 松尾豊

2026-04-05

"〆切本" 左右社編集部 編

〆切ひしめく日常。リリース日が近づくと、きまって管理役が声を荒げる... 死守せよ!
すべては約束事に始まり、不平等契約もなんのその。いわれのない義務を背負わされ、仮病にも縋る。責任に考えを巡らすと前にも進めず、鬱病ぎみな人が精神科にかかって本当に鬱病になっちまうようなもの。おまけに、ぼんやりとした不安が暗示をかけてくる。ほんとに死んじまった方が楽になれるやもしれん... と。

「人生とは、〆切である!」

古くは人間五十年と詠われ、今や人生百年時代と言われる。倍になっても尚、時間は無常だ。短い人生を有意義にしようと思っても、好きなことを商売にして生きていくことは難しい。いくら好きでも嫌気が差すこともしばしば。好きが苦悩になろうとは... 原因は、金か、人間関係か。いや、生きること自体が苦悩やもしれん。それでも取り憑かれたように熱中できるのは、やはり才能か。それが、好きなことをして生きていくための資質か。仕事がなくなることへの恐怖心は抑えがたいはずだが...

「あとの一週間で猫をかたづけるんです。いざとなればいや応なしにやつゝけます。... 夏目金之助。」

本書は、書き手たちの〆切にまつわるエピソード集。いや、「しめきり症例集」だそうな。〆切哲学をぶちまける書き手たちに、それが病的であるが故に読み手は勇気づけられる。パンツのゴムのように延びる〆切。それでもボツにならない文壇メカニズムとは... 作家が愚痴を漏らせば、編集屋も負けじと本音をこぼす。書けない時に書かせようとする作家殺しがいれば、〆切が過ぎて、ようやく書き始めるツワモノまで...

「向田邦子は遅筆だった。遅筆にも二種類あって、ギリギリまで書かないが書きだせば早いという人と、原稿用紙に向って呻吟するタイプとがある。彼女は前者だったと思われるが、締切日を過ぎてから書きだすというのだから恐れいってしまう。... 山口瞳」

他の症例には... 掲載するからには編集側にも責任の半分があると責任論を掲げる編集屋、「手塚おそ虫」と陰口をたたかれる漫画家、「缶詰体質」を称し、おいしい缶詰のされ方を処方してはマゾヒスト論を展開するコラムニスト、締切が守れないと言いつつも、「締切の効能」を論じる学者、「書かないことの不安、書くことの不幸」をつぶやく小説家、「自由という名の不自由」を噛みしめる作家... などなど。そして、この病の潜伏期間方程式を提示する小説家まで...

  S =   G2 × N × I × M
 H 

S は病原体の潜伏期間、G は原稿の枚数、N は締切までの残り日数、I は患者の意気込み、M は完成時の報酬。ここで鍵を握るのは、H だという。編集者の原稿取り立て術の巧拙で、潜伏期間も短くなるとさ...

「どの業者に対しても、とにかく『先生、先生』とおだてておいて、陰では呼び捨てている編集者がいるものだ。そいういう編集者にかぎって、誰それに『書かせる』という言い方をする。... 川本三郎」

2026-04-01

男と女の不平等物語...

人間社会とは、真実と虚偽のぶつかり合いの世界。真実ばかり追い求める社会では、堂々と冗談の言える日が貴重となる。だが、エイプリルフール禁止令が発動される昨今、虚偽が渦巻く社会では、冗談の言える日に本音をもらす。真実と虚偽の狭間で社会の緩衝材を演じてきた冗談はいずこへ...
人間ってやつは、なんでも二元論で片付けようとする。真実と虚偽ばかりか、善と悪、正義と不義、勝ち組と負け組... などと対立構図を煽り、それで理解した気になる。多様化社会と言いながら、頭はなかなか多様化できずにいる。そして、男と女も...

男女不平等の歴史は長い。それは役割分担から始まったと思われる。まず、大きな違いは子供を産む能力がある。女は子を産み、育てるという重要な役割を担い、男は外に出て働く。生物学的に子孫を残すことを中心に据えれば、男の役割は補助的なものとなる。それが、いつのまにか逆転しちまったようだ。権威を腕力でもぎとったのか、あるいは、子供を産む能力という物理的優位性への嫉妬から、男を社会的地位や肩書に走らせたのか。今となっては虚栄に過ぎないが....

性には、生物学的なものとは別に、社会や文化が生み出した性がある。巷ではジェンダーと呼ばれ、この立場もまた男と女の狭間で社会の緩衝材を演じてくれる。平等とは、互いの違いを認め、それを受け入れてこそ成り立つ概念。認められなければ、せめてそっとしておきたい。わざわざ否定することもあるまい...

ところで、古くから男と女にまつわる格言が数多ある。未練がそうさせるのか。いくつか未練がましく拾ってみよう... 未練は男の甲斐性よ!

「女は勝負!ここと決めた時は、相手の骨までしゃぶるのだ!」
... ブラック・ジャック「サンメリーダの鴞」より、ピノコのつぶやき

「女性はなにをするにしても、男性の倍うまく行なわなければ。でも、幸いなことに、これは難しいことではありません。」
... シャーロット・ウィトン

「男は常に女の初恋の人でありたがる。それが男の無様な虚栄である。」
... オスカー・ワイルド

「男は上手をいく女には、めったに手を出さぬもの。」
... フランクリン・P・ジョーンズ

「恋する男は己の能力以上に愛されたいと願望する人間だ。それがすべての恋する男を滑稽にする。」
... フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン

「女がお白粉を塗りたくることも、いやというほど聞かされている。神から授かった顔があるのに、女は自分でそれを別の顔にしてしまうのだ。」
... シェイクスピア

「男と女のあいだには友情は成立しない。情熱、敵意、崇拝、愛は存在しうるが、友情は無理だ。」
... オスカー・ワイルド

「歳をとったら女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する。これは愛情じゃありません。生きる知恵です。」
... 永六輔

2026-03-22

"カルマンフィルタと適応信号処理" 谷萩隆嗣 著

適応信号処理とは、文字通り、環境や情況の変化に応じて適切な処理を自動的に行うこと。受信信号の変化に応じて、フィルタ係数を動的に変化させたり...
例えば、航空機に内蔵される速度計や高度計といった計器類に、GPS などの外部情報を連携させ、誤差を補正しながら刻々と変化する位置情報を推定していくような自動操縦システムがある。環境変化への適応と未来を推定する能力では、人間という生命体もその一例といえよう。

こうしたシステムでは、リアルタイム処理が要求され、そのまま演算量が問題となる。本書は、カルマンフィルタ、最小二乗法、確率勾配アルゴリズムなどを題材に、様々な推定アルゴリズムについて解説してくれるが、なによりも実装の視点からの数学のテクニックに注目したい。
例えば、状態方程式、すなわち差分方程式と行列式との相性を軸に、転置行列で演算量をごっそり削ったり、共分散行列で分布領域をざっくり推定したり... と、演算量の軽減と推定誤差を最小にする戦略が注視される。
ただ、数式の記述がすこぶる丁寧なのは前戯好きにはありがたいが、ちとしつこい気もしないではない。もう少し視覚的な情報があると、さらにありがたいのだけど...

まず、状態方程式にガウス分布、いわゆる正規分布を想定し、条件付きのもとでベイズの定理による状態推定モデルが提示される。この時点で、最小二乗法や確率勾配アルゴリズムの登場を匂わせるが、とっかかりはカルマンフィルタの有効性から...

「状態方程式が線形差分方程式で表される線形離散時間システムの状態変数の推定、すなわち状態推定を行うためのフィルタとしてカルマンフィルタがよく知られている。カルマンフィルタを適用すれば、状態方程式および確率変数の統計量が既知のとき、与えられた制約条件のもとで平均 2 乗誤差を最小にする最適な推定値を得ることができる。」

大まかに言えば、こんな感じであろうか...
状態方程式には前状態にカルマンゲインが加味され、カルマンゲインには観測誤差と推定誤差が加味される。それぞれの誤差にはノイズが含まれ、観測値と推定値が完全に一致すれば補正の必要はないが、そんな理想的な状況は考えにくい。そこで、前状態から現状態への移行分布と、その推定確率が問題となる。現状態が前状態に引きずらるなら、初期値の与え方も問題になろう。そして、状態方程式だけでなく、カルマンゲイン、観測値、推定値のすべてが方程式で記述され、これらの連立方程式がそのまま行列式に対応づけられる...

カルマンフィルタの性質としては...
カルマンゲインは、状態推定値に関係なく再帰アルゴリズムによって計算できるという。状態推定の計算とカルマンゲインの計算が分離していることが、一つの特徴だとか。そして、状態推定の平均二乗誤差を最小にする戦略が語られていく...
そもそも、カルマンフィルタは線形離散システムを想定し、与えられたパラメータをもとに状態推定を得るアルゴリズムであるはず。
しかし、必要なパラメータが欠けていても、そのパラメータをも推定しながら状態推定を得るものに「適応カルマンフィルタ」があるという。
さらに、非線形離散システムにおいても、「拡張カルマンフィルタ」「アンセンテッドカルマンフィルタ」といったものが導けるとか。適切な近似が与えられれば、だろうけど。結局、近似法との組み合わせが鍵ということになろうか...

2026-03-15

"ディジタル・フィルタ理論&設計入門" 三谷政昭 著

本書は、ディジタル信号処理の中核をなすディジタル・フィルタの入門書。しかし、入門書は侮れない。根本的な理屈を外観できて楽しい。ついでに屁理屈も...
おまけに、個人的に馴染んできた数値演算ライブラリ Scilab のコードが添えられ、視覚的に味わえる。Scilab に没入しすぎの感も否めないけど...
また、マイクロネット社の DspAnalyzer が紹介され、信号処理アルゴリズムや周波数特性を視覚的に解析でき、ちょいと興味がわく。

フィルタの設計は、アナログ時代から携わってきた。数学的な違いは、アナログではラプラス変換(変数 s)が威勢を張り、ディジタルでは z 変換が幅を利かす。
当時、ラプラス変換と聞くだけで蕁麻疹がでたものだ。表記の仕方にも馴染めず、作用素の変換表はまず手放せない。それは、z 変換でも同じこと。いまだ、微積分で定義される関数空間から逃れられずにいる。

本書では、s-z 変換の考え方から触れられ、これだけでもかなりのことが暗示される。
s は複素平面上で、s = σ + iω の形で記述され、s が微分に、1/s が積分に対応する。そして、連続時間 t を離散時間 T へ持ち込む双一次変換の存在感が強調され、近似法を駆使せよ!と告げる。

  z = esT ≈ (2 + sT) / (2 - sT)

1. 通過域と阻止域
フィルタの設計は、基本的には周波数特性とのにらめっこ。基本形は、LPF(ローパス・フィルタ)、HPF(ハイパス・フィルタ)、BPF(バンドパス・フィルタ)、BEF(バンドエリミネート・フィルタ)。要するに、いかに不要な周波数帯をちょん切るか。あとは、これらを組み合わせてマルチバンドパスにしたり、オールパスにしたり...

周波数特性で問題となるのは、通過域と阻止域の境界のノイズ除去と、通過域の損失をいかに抑えるか。利得や動作速度を考察するのはアナログでもディジタルでも同じことだが、ディジタルでは量子化誤差や位相空間が注視され、零点と極の特性が重要となる。零点とは、伝達関数が 0 になる z の値。極とは、伝達関数が無限となる z の値。複素関数の性質が零点と極に左右されることから、周波数特性は伝達関数の零点と極で決定される。

位相については、アナログでもネガティブ・フィードバックで自己発振の抑制に位相補正を用いたりするが、ディジタルの位相は伝達関数における入出力の偏角で記述され、ちょいと空間イメージの違いがあろうか。
偏角といえば、数学的な記述では三角関数だ。フィルタの設計は解析学とすこぶる相性がよく、フーリエ変換がまとわりつく。DFT が...
そして、通過域と阻止域の境界面でギブス現象が問題となるのも定番か。窓関数も...

2. FIR フィルタと IIR フィルタ
基本構成は、乗算、加算、分岐、遅延といった要素で組み立てられ、数学的には差分方程式で記述される。大まかな分類では、非巡回形と巡回形があり、FIR フィルタと IIR フィルタは外せない。名称は、インパルス応答の継続時間が有限か無限かの違い。Finite Impulse Response か Infinite Impulse Response か...
ちなみに、インパルス応答とは、時間幅の非常に短い入力パルスから得られる出力のことで、システムの入出力特性を評価する上で重要な役割を担う。

FIR フィルタは...
有限時間で収束する。つまり、差分方程式がいつかゼロになり、入力次数のみの畳み込み和で記述できる。完全な線形位相となれば、安定性も高い。
よって、非巡回形で構成されることが多く、その分、次数の調整が面倒で、遅延器や加算器の段数も多くなる。

IIR フィルタは...
収束しない。つまり、差分方程式がいつまでもゼロにならず、入力次数に過去の出力データ列を加えた総和で記述する。位相を犠牲にすれば、優れた利得特性が得られるという寸法よ。
よって、巡回形で構成され、次数が少なくて済み、遅延器や加算器の段数も少ない。

リソースが贅沢な時代では、FIR フィルタの方が優勢であろうか。過去に引きずられないという意味でも...

3. 近似アルゴリズム
伝達関数の近似アルゴリズムに、Remez 法が紹介される。そう、チェビシェフ近似ってやつだ。最大誤差を最小にするために振動を分散するという意味で、等リプル近似とも呼ばれる。
事例では、サンプル点に重み関数を適応するなどが紹介される。

4. ヒルベルト変換
正規化周波数を持つ実信号に対して、位相を π/2 遅らせたり、進めたりする変換である。正規化周波数とは、サンプル時間で位相を捉えることで、サンプル時間は任意。数学的には、複素平面上で偶関数と奇関数の結合という見方ができ、物理的には、正の周波数領域で π/2 の遅れ、負の周波数領域で π/2 の進みを持つオールパス・フィルタという見方もできる。
事例では、遅延器で実数部を、ヒルベルト変換で虚数部を生成する解析信号の構成例などが紹介される。

2026-03-08

"戦争における「人殺し」の心理学" Dave Grossman 著

平時では、なぜ人を殺すのか?を問い、戦時では、なぜ人を殺さないのか?を問う。社会が正気なら狂気を論じ、社会が狂気すれば正気を論じるものであろうか。そして現代社会は、どちらの側に... 狂ったこの世で狂うなら気は確かだ!

性と戦争を論じれば、闇に包まれる。どちらも人間の本性が剥き出しになる題材。デーヴ・グロスマンは主張する。平和は性と戦争の双方を超克してこそ実現できる... 戦争を理解するには、まず人間を理解することだ... と。
尚、安原和見訳版(ちくま学芸文庫)を手に取る。

「神話では、アレス(戦争の神)とアプロディテ(愛の女神)の結婚からハルモニア(調和の女神)が生まれた。」
... リチャード・ヘクラー

著者グロスマンは、心理学者にして歴史学者、そのうえ叩き上げの軍人であったという。本書は、米国ウエスト・ポイント陸軍士官学校や同空軍士官学校の教科書としても使用されているとか。
戦場を知らないおいらが想像する人を殺す動機といえば、やらなければ、やられる!... ぐらいなもの。
しかし、人間には生まれつき人を殺すことへの抵抗感が備わっているという。同種間の闘争では、まず威嚇に始まり、それから逃亡や降伏へ。多くの兵士は戦闘という手段をなるべく避けようとするらしい。しかも、その動機では、自分の身を守ることよりも相手を殺さないことが優先されると。
自衛本能よりも戦友の身を守り、人殺しを避ける方が優先されるとすれば、人間も捨てたもんじゃない。だが、その人間性が訓練によっていかようにもコントロールできるとすれば...

「戦争... が人を変えるわけではない。ただ人のうちにある善と悪を誇張するだけだ。」
... モラン卿「勇気の解剖学」より

1. 非発砲者の存在
どんな戦争にも、面と向かえば、一定の非発砲者が出るという。発砲者が他者の発砲を促すこともあれば、非発砲者が他者を躊躇させることも。兵士の発砲率では、第二次大戦で 15 % から 20% であったのに対し、ベトナム戦争で 90% 以上に跳ね上がったという。
戦場における兵士の仕事は、第一に敵を殺すこと。これを合理的に実行させるには、それなりの訓練を要する。映画「フルメタル・ジャケット」ではないが、心にそのようなジャケットをまとう戦闘員養成プログラムが施されたのか。ごく少数派にはサイコパスを覚醒させちまう人間もいる。

2. 人間性の否定
人殺しの心理メカニズムの一つに、相手の人間性を否定するということがある。あらゆる残虐行為に、ナショナリズムや民族優越主義、人種差別や性差別などの思い込みや偏見が加担する。敵の女ならレイプもお構いなし!これに憎悪を加え、相手を人間以下の動物とみなせば、どんな行為も正当化できる。さらに条件付き訓練を施せば、あとはパブロフの犬のごとく...
味方の損傷を最小限に抑え、効率的に敵を破壊しようとすれば、遠距離砲や超高度爆撃に頼る。そして、大量破壊兵器へ。ドローンなどの無人兵器を投入したところで、攻撃対象が人間であることに変わりはない。兵士を投入しない分、攻撃側は非人間性を旺盛にし、インフラや都市が標的とされ、狙われるのは戦闘員ではなく、一般市民である。

3. 匿名性と集団免責の原理
もう一つの心理メカニズムに、集団心理の凄まじさがある。戦争の情勢は、死傷者数と生産量の低下で評価される。報道屋は、破壊した戦車、撃沈した戦艦、撃墜した戦闘機の数を大々的に報じ、群衆扇動に一役買って出る。戦意高揚のために残忍な差別標語を並べ立て、劣等人種に、民族浄化に... と。これに同調圧力が加わり、歯止めがきかない。
一方で、戦闘に加わった人間の精神的代償は計り知れない。トラウマに発する PTSD の類いを生涯背負うことに。それは災害時でも言えること...
人が集まれば増強効果が生じる。喜びも、悲しみも、そして攻撃性も。大群衆の中で身の毛もよだつ残虐行為を見ても、周囲の傍観者が介入する確率が極めて低いのは、社会学でもよく指摘されること。集団の中で責任が分散され、もはや他人事。
そして、無意味な暴力は、たいてい個ではなく集団によってなされる。一人ではやれなくても、集団ならやれる!

「戦闘部隊は... ふつう犠牲者が 50 パーセントに達した時点で崩壊する。その顕著な特徴は、敵を殺すことを拒否する者の数が増えることである。... 敵を殺す動機と意志は、同輩や仲間の死とともに消滅する。」
... ピーター・ワトスン「精神の戦争」より

4. 服従の実験室
本書は、エール大学のスタンリー・ミルグラム博士の有名な実験に言及している。それは、面識のない人間に対して電気ショックを与え続けるというもの。当初、最大電圧まで与える被験者は 1% にも満たないだろうと予測されたが、被験者に指令を与えると、65% 以上が致命的にも見える電気ショックを他人に与えたという。悲鳴が続いても... 悲鳴がやんでも...
行動は自分で考え自主的に... と考えがちだが、人間は命令されることを好むところがある。フロイトも「服従したいという欲求の強さ」に言及しているという。
戦闘経験者の最大の動機は、撃て!と命令されるから... というのが本当のところらしい。人間には、潜在的な殺人者の影がつきまとう。それを自信に満ちた司令官が後押しするだけのことか。平時においても大衆は、強力な指導力を発揮する政治家を求めてやまない...

「大衆が必要とする指導者、そしてまた大衆に与えられる指導者は、断固たる自信と決意をもって命令を下す。その自信と決意は習慣による部分もあるが、指導者の絶対の命令権は伝統と法と社会によって確立されたものと信じきっていることにもよる。」
... アルダン・デュピク「戦闘の研究」より

2026-03-01

"自分を知り、自分を変える - 適応的無意識の心理学" Timothy D. Wilson 著

自分を知るには、勇気がいる。覚悟がいる。覚悟がないから、自らを欺瞞し、自らを暗示にかける。おまけに、自我とやらが自ら人生物語を創作にかかる。伝記作家が他人の人生物語を創作するように...
マーク・トウェインは、こんな言葉を遺した。「人間は顔を赤らめる唯一の動物である。いや、顔を赤らめる必要のある唯一の動物である。」と...
自分自身に嘘をがつけないのは、優しさに欠けるというもの。それが、精神の合理性というもの。もはや、自我は邪心の塊と化す...

そもそも、自分を知る必要があるのか。知らぬが仏ってこともある。自分はどこまで自分というものを知らないのだろう。防衛本能だって働く。余計なことを知らないうちに処理してくれるなら、それはそれでありがたい。なるべく、そっとしておきたいものだ。
それでも知りたい!どうしても知りたい!自己に関わる心の衝動は、ことのほか手ごわい。すると、自我が囁きかける。すべては自己責任で... と。純真無垢な心なんぞ、人間には似つかわしくない...
尚、村田光二監訳(新曜社)を手に取る。

「人はどれほど自分自身を知っているのか、その知識の限界はどのあたりか、自己洞察を欠くとどうなるのか... 人間は、生存にとって欠かすことのできない、強力な、洗練された適応的な無意識を持っている。しかし、無意識は気づかないところであまりに効率的に働いていて、知る方法もほとんどないから、自己知識を得るのはそれなりに困難だ。いくら必死に心の内を探ろうとしても、私たちの中には、直接知ることのできない、広大な領域がある...」

まず、自分を知るには無意識の領域に踏み込む必要がある。どのようにして自己洞察を得るか。ひとつには、適応的無意識の働きを観察すること。そして、その働きを科学的に検証すること。これがティモシー・ウィルソンの主張である。
無意識を意識するとは、既に自己矛盾を孕んでいる。しかし、こうした洞察はけして不可能なことではないと励ましてくれる。適応的無意識を素直に感じるには、衝動に身を委ねることも厭わない。気まぐれ崇拝者には、たまらない実験だ。そこに自分というものを再発見できれば、自分を変えることだってできるやもしれん。
但し、良い方向に変われるとは限らんが...

無意識の問題はフロイトも取り上げた。当時は、低水準の動機としてあまり重要視されなかったようで、現代心理学は、精神状態の効率性という観点から肯定的に捉えている。意識は、無意識との調和において成り立っているとでも言おうか。あるいは、妥協の中でもがいているとも言えそうか。
本書は、意識と無意識との狭間で、自己洞察の意義を強調する。自己認識、自己抑制、そして、自己敬愛といった意識は無意識と協調して発動されるという。人間は自己洞察を欠くと、どうなるのだろう。情報過多の時代では、情報の力を認識しておく必要がある。猛威を振るう広告に警戒心を怠れば、人間が広告業界の指令に盲従する自動人形になりかねない。

有効な特性の多くは、トレードオフがつきもの。人間の心には、誰しも偏見が根付いており、人種、性、職業、地域といった差別意識は、社会環境に引きずられやすい。
では、偏重した心で、偏重した意識を自覚できるだろうか。悪行を知らずして善行も叶うまい。相対的な認識能力しか発揮できない知的生命体が喜びを知るには、悲しみも必要だ。不幸な出来事がすべてマイナスというわけではない。その反発や修正でプラスに転ずることもあれば、自省の念を抱いて胸が張り裂ける思いもする。無意識の領域には、心理的な免疫システムが装備され、自己修復機能が働くようである。

しかしながら、完全に無意識に委ねるにも勇気がいる。自己洞察には、人間を知るという意味も含まれ、客観的な視点を要する。それが心理学の役目ということになろうか。いや、心理学だけでは心もとない。精神医学、脳科学、遺伝子工学、生物学、社会学、哲学、言語学などを含めた、それこそ人間にかかわる知識を総動員して...

「適応的無意識の現代的な見方では、判断、感情、動機などの心の興味深い働きの多くが、抑圧のためではなく、効率性という理由から意識の外で起こる。心は低水準の処理(たとえば知覚過程)が意識に到達しないようになっているだけでなく、多くの高次の心理過程や状態もアクセスできないように設計されている。心は、多くのことを同時に並行しておこなうことができる、よくデザインされたシステムである。何か他のことについて意識的に考えながら、気づいていないうちに世の中について分析し、思考している。」

2026-02-22

"第1感 - 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい" Malcolm Gladwell 著

原題 "blink: The Power of Thinkinng Without Thinking"
直訳すれば、ひらめき - 考えずに考える力... これに「第1感」との放題を与えた翻訳センスはなかなか。気まぐれ崇拝者をそそるタイトルだ!その 2 秒後、いつのまにか手に取ってやがる。
尚、沢田博、阿部尚美訳版(光文社)を手に取る。

「第一感」という用語は、将棋でよく耳にする。局面を見渡した時、最初に思いつく手や最初に受ける印象を大事にする。
一方で、「第六感」ってやつがある。それは、外界を感知するための五感機能を超越する感覚を想定したもの。五感を総動員した感覚、あるいは、理屈を超えた六つ目の感覚とでもしておこうか。
だがここでは、第六感をも凌駕する感覚を物語ってくれる。最初の 2 秒に感じたことを、ちょいとメモっておく。そうした習慣を身にまとうだけでも、新たな視界が開けると...

瞬時に判断が必要な場面で、知識や論理的思考が邪魔をすることはよくある。論理的に思考を組み立て、自発的に行動しているつもりでも、結局は自己満足にとどまっていることも。
とはいえ、瞬時の判断が浅はかだったと後悔することもある。外見や見た目に騙されるのも事実。容姿に惑わされ、人の良さそうな人に惹かれ、清潔感のある人に好感を持ち、誠実そうな人を信用する。時間がなければ、普段は認めてもいないステレオタイプや先入観に引きずられやすいものだ。
そうした第一印象は、どこからくるのか。それは経験や環境に裏打ちされたもので、経験を変えれば瞬時の感覚を養い、操ることができるというのが、マルコム・グラッドウェルの主張である。

本書には、「輪切り」という用語が散りばめられる。それは、様々な状況やパターンを断片的に読み取り、瞬間的かつ無意識のうちに判断する能力のこと。人間の認識能力は、現象を連続的に捉える傾向があり、それを抑えて断片的に捉えようというわけである。
解析学でも、積分的な見方と微分的な見方を交えながら本質に迫ろうとするが、実際に直面した状況に応じて視点をどのように断片化するかは至難の業。少なくとも、法則的に見い出せそうにない。
それこそ第1感!

そこで本書では、具体的な事例を羅列する戦略をとっている。心理学者や医者、通信兵や将軍、テニスコーチや家具デザイナー、音楽家や車のセールスなど、いずれも自分の無意識を鍛え、巧みに操る様子を。なるほど、第1感ってやつは、演繹的な思考よりも帰納的な思考の方が適合しそうか...

また、心理学には「適応的無意識」という用語があるそうな。
本書は「適応性無意識」とし、あえて「的」ではなく「性」を用い、精神分析学の立場を表明している。それは、フロイト流の無意識とは別物だという。フロイトは、意識すると心を乱すような欲望や空想をしまっておく場所が、心の奥底に存在することを唱えたとか。
対して、適応性無意識は、強力なコンピュータのようなもので、生きていく上で必要な大量のデータを瞬時に処理するという。厳しい生存競争を生き抜いてきたのは、この能力のおかげだとか...

「高度な思考の多くを無意識に譲り渡してこそ、心は最高に効率よく働ける。最新式のジェット旅客機が意識的なパイロットからの指示をほとんど必要とせず、自動操縦装置で飛ぶのと同じだ。適応性無意識は状況判断や危険告知、目標設定、行動の喚起などを、実に高度で効率的なやり方で行っている。」
... ティモシー・D・ウィルソン

では、ちょいと気になるところを拾っておこう。第1感で...

1. 15年後の夫婦仲を言い当てる心理学者
たった 15 分の録画した夫婦のさりげない会話から、将来離婚に至るかどうかを言い当てる心理学者がいるという。嫌悪、軽蔑、怒り、防衛、愚痴、悲しみ、拒絶、ニュートラル(無感情)などをパラメータ化し、「離婚の数学」とやらを実践して魅せたとさ。
その考察の中で、人間関係における批判と軽蔑の性質の違いと、それぞれの重みを指摘している。おそらく、互いに尊敬できる点が一つでもあれば、それでうまくいくのだろう...

「批判がいちばんよくないと思うかもしれない。批判は相手の人格を厳しく非難する行為だ。軽蔑は批判とは性質が違う... 相手を見下したような話し方をするほうがよっぽど関係はこじれる。相手を見下す言葉はすべて軽蔑だ。相手を自分より下に置いて、上下関係を作ろうとする... 軽蔑は嫌悪に似ている。嫌悪も軽蔑も人を完全に拒絶し、社会から追い出そうとする...」

2. 日常の受信パターンから重要な情報を嗅ぎつける通信兵
第二次大戦中、イギリス軍は多くの女性を信号傍受の仕事に当たらせた。毎日、モールス信号を聞いていると、ある特徴的なパターンに気づく。それは、発信者の側も気づいていない。情報漏洩ってやつは、機械的な欠陥よりも人為的なミスによるものが圧倒的に多い。それはエニグマ暗号解読物語として映画にもなったが、今日の最新鋭の暗号システムにおいても、最大の脆弱性は人間そのものということになろう...

3. 医療事故で訴えられる医者と訴えられない医者
医者が医療事故で訴えられるかどうかは、ミスを犯す回数とはほとんど関係ないという。腕のいい医者が何度も訴えられる一方で、度々ミスをしても訴えられない医者がいるとか。さらに、医療ミスが起きても、訴えない人がかなりの数に上る。現実に、患者の身内は、いい加減な治療というだけでは医者を訴えたりはせず、訴訟を起こすのは他に理由があるという。医者にせかされたり、無視されたり、個人的な扱いによるものが大きいと...

「医療事故というと、どんでもなくややこしい問題のように思うかもしれないが、要は患者を大事にしているかどうかの問題であり、その態度は声の調子に現れる。医者にとって最も損な声は威圧的な声ということになる。」

4. 複雑系の洞察に鋭い将軍
戦略家の中には、情報を集めてすべてを見渡すことができれば、負けるはずがないと考える者も少なくない。孫子の兵法にも「彼を知り己を知れば百戦殆からず」という言葉がある。だが実際、適格な情報を適度に収集することは至難の業!情報過多で判断を誤らせるケースもしばしば。すべてを知ろうとすればするほど、却って身動きできなくなる。
いまや戦争は、軍隊と軍隊のぶつかり合いだけでは済まなくなった。破壊した戦車、撃沈した戦艦、撃墜した戦闘機の数を競い合う時代は終わった。高い戦闘力よりも高度な戦略力が問われ、軍事行動は経済システムや文化、あるいは国民性とも関わる問題である。これほどの複雑系では、軍事力だけでは先が見通せず、人間の思考が馴染んできた連続性とは程遠い状況にある。

「チェス盤を見てみろ!敵の動きはすべて分かる。でも勝てる保証はあるか?そんなものはない。敵の考えまでは分からんのだ!」

5. 偏見に惑わされるクラシック界
訓練を積んだクラシックの音楽家は、演奏の善し悪しを数小節で判断できるという。第二次大戦後、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のオーディションにて。仕切り越しに演奏を聴いた結果、合格と判定された人物は女性で、おまけに日本人だったとさ。
オーケストラが男性社会であった時代、しかも、西洋文化を代表するクラシック音楽を極東の僻地で理解できる者がいるはずがない、という偏見を露呈することに...
熟練した審査官ですら、実際より演奏がうまく見える演奏家はいるという。いい姿勢で自信たっぷりに演奏すると上手に見えたり、姿はぱっとしなくても演奏そのものは素晴らしかったり、楽器をもって立ち去る姿を見ただけで、なんてダサい奴だとか、何様のつまりだ、と思ったり、目に見えるものと耳に聞こえる音には、常にそうしたギャップがあるそうな...