2014-08-31

Surface Pro3 とISPのモデム(NETGEAR CG3000D)をWiFi接続

おもちゃの噂を嗅ぎつけたお客人が、見物にやってきた...

さて、仕事場(= 自宅)には無線系統が二つある。普段はルータ(Yamaha RT107e)にぶら下げたアクセスポイント(NEC Aterm WG300HP)を利用し、プロバイダ(Jcomさん)が提供するモデム(NETGEAR CG3000D)搭載のWiFi機能はずっと眠らせてきた。
そこで、こいつを起こして客人に解放しようと思ったら、ちょっとビックリ!

まず、CG3000D はブリッジモードで動作中。尚、工事屋さんがそのように設置していったし、その方が都合がいい。そして、無線端末と CG3000D をLANケーブルでつないでおいて、Jcomサイトからダウンロードした設定用ソフト(WLANSetup_cg3000d.exe)をセットアップするだけで簡単につながる。無線端末をつなぐために、わざわざ有線経由で設定するという発想もどうかと思うが、サポートが楽になるのだろう。このソフトは、MACアドレスを CG3000D に自動登録する仕掛けも具えている。
てなわけで、Surface をLANアダプタ(BUFALLO LUA3-U2-ATX)経由でつないで、難なく完了!802.11n のチャネル幅は、20MHz/40MHz が選択でき、もちろん 40MHz に設定。実測値は、50Mbps ってとこか。実は、モデム直の 5GHz帯に期待していたが、ルータ越えの 2.4GHz帯(Aterm)の方が速かったりして...
まぁ、ここまではいいだろう。

ところが、この設定用ソフト、CG3000D の動作モードをルータモードに切り替えやがる。ちょっと考えれば当たり前だが、一言ぐらい断ってもええんでないかい!
ブリッジモードでは、RT107e に素通しでグローバルアドレス(IPv4)が振られるが、ルータモードでは、DHCP 経由でローカルアドレスが振られる。もちろん、無線端末にもローカルアドレスが振られる。まさか、端末の数だけグローバルアドレスを与えてくれるわけがない。ルータモードは必然であり、すぐに推察できる。
とはいえ、無線がつながった途端に、有線側が一斉にダウンしたのには仰天!いくら感覚の麻痺した泥酔者でもよ。おまけに、RT107e は外からのローカル空間に対してブロックしている。それは、こっちの都合だけど。修復には、RT107e のフィルタ設定を修正するだけで、1分とかからない。ただし、VPN を張る時は、ちと頭が痛い!
やはり、もう一度眠ってもらおう。お詫びに強烈な睡眠薬を投与してあげる...

世間では、かんたん設定やら自動設定やらが横行し、便利なことは結構だが、油断も隙もあったもんじゃない!と思う今日この頃であった...

参考までに、試した構成は...
CG3000D(ルータモード:DHCP,WiFi) - RT107e(DHCP) - Aterm(ブリッジモード)

元に戻した構成は...
CG3000D(ブリッジモード) - RT107e(DHCP,VPN) - Aterm(ブリッジモード)

補足... RT107e のLAN側には、SW-hub経由でマシン群をぶら下げ、Aterm は無線アクセスポイントでしか使っていない。Aterm をルータモードにすると、ローカル空間が二つになって経路管理がスッキリしない。

余談... Aterm WG300HP は、DLNA準拠のメディアサーバを具え、余計な機能だと思っていたが、Surface のおかげで、ちょっぴりええんでないかい!

2014-08-24

Surface Pro3 から見た Win8.1

Win8.1 は、全般的に大雑把な行動パターンには向いていそうである。視覚的にも分かりやく、そんなに悪くない。既に、Win7 でその傾向を示しているが、多くのユーザを囲い込もうとすれば、使い方は庶民化していくだろう。
実際、タッチパネル操作で違和感はない。指で操作するにはアイコンはそこそこ大きい方がいいし、マウス操作では余計なAeroスナップ機能もタッチパネルではちょっと便利。
なによりも、スタート画面のタイル構想は、単にアプリ起動の一覧だけではなく、最新情報の通知という大きな役割がある。天気予報やニュース、カレンダーやスケジュール、メールやSNSなど。ストアには、ろくなものが見当たらないが、可能性を感じさせてくれる。とりあえず欲しいのはバッテリー残量表示、そして、バックグランドでタスクを動かすことが多いので、CPUやメモリのモニタであろうか。タスクマネージャやリソースメータあたりのグラフから、スタート画面にピン留めできるのでもいい。さらに、せっかくのタイルに、JavaScript などのコードが埋めこめれば、本格的なポータル画面に位置づけることができるだろう。セキュリティポリシーに反するか?既に無法地帯か...
しかしながら、デスクトップ環境で、わざわざディスプレイまで手を伸ばそうとは思わない。ましてやマルチディスプレイ環境で。それに、マウスの方が細かい操作に向いている。ただ、ノート環境だからこそ、セカンダリディスプレイの活用幅が拡がるという見方もできそうだ。いずれにせよ、用途が多様化すれば、ユーザインターフェースも多様化しそうなもの。デスクトップPCの Win7 を Win8.1 にアップする気にはなれん...

世間全般の傾向として、大雑把な仕様になりつつあるようだ。Webサービスには、何年も放置された些細なバグが目立つ。使う分には、ほとんど支障にならないので、無視するようになっていく。情報が氾濫する社会では、つまらない事を気にしている余裕はない。鈍感になるということか。
Win8.1 にしても、余計なカスタマイズは歓迎されない。ユーザは本当に自由を獲得しているのだろうか?おまけに、デフォルト値や推奨、といったものが信用ならない。つい最近、自動アップデートを強く推奨しておきながら、おかげで起動しなくなった!と世間では騒いでいた。しかも対処法では、レジストリをいじれ!と堂々と宣言する。知識のある者はより快適に、知識のない者はより言いなりに... 機会均等という一見美しい理念も、能動的性格と受動的性格をはっきりと区別させ、格差を助長させるのかもしれん。そりゃ、毎日呑んだくれてりゃ、ついていけんよ!
通信業界も負けじと、課金方向に誘導しやがる。プライバシーポリシーでは、心地良いフレーズが踊る。
"we may share your personal information..."
だが、share を use と置き換えるとゾッとする。we ってのも怪しい。政府や企業、あるいはテロリストも含まれるってことだ。SNSを取り巻く世界には、個人情報の分析から利益を上げるビジネスモデルによって這い上がってきた企業が群がる。通信業者は、こんなことを平然と宣言する。
「当社は、利用目的の達成のために、利用者から個人情報をご提供いただくことがあります!」
人類の叡智を共有するとは、なんと美しい理念であろう。クラウド時代では、すべてを持たなくて済む、いや、持った気になれる。では、真の所有者は誰か?いまやビッグデータは、漏洩経路を辿ることすらできず、独り歩きを始めた。利便性が宗教化すると、いっそう自己責任が問われる。そもそも所有なんてものは、幻想なのかもしれん...

ところで、社会の多様化、生活様式の多様化が進む一方で、なぜこうもコモディティ化が促進されるのだろうか?単純に経済効果を狙っているだけか?少々使い方が合わなくても、人間は馴らされやすい動物ということか?最新製品を持っている、使っているというだけで、一つのステータスになっているのは確かだ。アリストテレスの生まれつき奴隷説も、あながち間違いとは言えまい。ちなみに、進化という言葉は迷信化しやすい... と誰が言ったかは知らん。

1. Microsoftアカウントとローカルアカウント
まず、アカウント空間が二つあることに戸惑う。OneNote などのアプリで「共有&同期」思想を活用するためには、Microsoftアカウントとローカルアカウントが関連付けられている必要がある。実際、関連付けることを推奨している。だが、余計なデータ転送をバックグランドでされたくない場合や、完全なローカル空間で仕事がしたい場合もある。そんな時は、ローカルアカウントで起動すればいい。おかげで、ストアアプリの利用やインストールなどをアカウント毎に制限できるわけだが、管理思想がどうも肌に合わない。
特に驚いたのは、購入して最初のセットアップ時にユーザ名やパスワードが聞かれるので、安易に答えると、意図しないフォルダ名がローカル空間に作成される。"c:\User\ユーザ名" てな具合に。姓と名が聞かれ、どちらの入力もサボれないようになっていて、名の方がフォルダ名になった。世間では、漢字名を指定して往生した人も少なくないようだ。
このフォルダ名を変更したければ、別のローカルアカウントを作成して、こちらにMicrosoftアカウントとの関連付けを移して、元のアカウントを削除すればいい。
しかし、だ。散々カスタマイズした挙句にこれをやれば、環境設定を最初からやり直し... 冗談じゃない!そこで、環境を保持したままフォルダ名を変更するには、実体名とレジストリにエントリされるポインタ値をいじればいい。当然ながら、この整合性が崩れると起動画面が崩れる。しかも、ポインタ値は、Microsoftアカウントとの関連付けにも使われる。
したがって、変更作業では、Administrator権限を持ったダミーのローカルアカウントを作成し、そこで作業しなければならない。そして、実体名(c:\Users\ユーザ名)と、以下のレジストリにエントリされるポインタ値を変更する。

"HKEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\Microsoft\Windows NT\CurrentVersion\ProfileList\"
ここで該当するUIDの "ProfileImagePath" を変更。

その後、改めて元のユーザ名でログインし、Microsoftアカウントとの関連付けを戻せば修復できる。理屈では...
ただし、危険な作業であることは間違いないし、そのまま放置するのが最も賢明な選択かもしれない。実は一度しくじったが、Administrator権限を持つ別のアカウントがあれば、どうにでもなる。また、レジストリにゴミが溜まったり、アプリケーションによっては多少の不具合が出るかもしれない。ちなみに、おいらの場合、Windows Media Player の再生リスト群が二重になった。どちらが本物かはすぐに判別でき、偽物の方を削除すれば済む。要するに、パス変更でリンク関係が崩れることになるので、注意が必要!

2. セキュリティソフト... avast!2014 vs. Windows Defender
avast!を愛用してきたが、アクションセンターが Windows Defender との共存を嫌う。無理やり共存させる手もなくはないが、却ってスッキリしない。おまけに、アクションセンターが、起動が重い!バッテリー寿命が短くなる!などと騒ぎよる。ここは素直に Windows Defender にしてみるかぁ...

3. タッチキーボードとスクリーンキーボード
デフォルトのタッチキーボードで、イライラ!
記号キーを表示するために、[&123]ボタンで切り替えなければならないし、ファンクションキーも見当たらない。そこで、ハードウェア準拠のキーボードが選択できる。

[PC設定の変更] -> [PCとデバイス] -> [入力]で、"ハードウェアに準拠したレイアウトをタッチキーボードオプションとして追加する" スイッチをオン。

これで、タッチキーボードの右下で、物理キーボード風のマークが選択可能となる。
また、タッチキーボードとは別にスクリーンキーボードというのがある。これは使えそうだ。大きさと場所が自由に変えられるし、邪魔な時は透過表示ボタンがある。そして、スタート画面とデスクトップ画面の間で移動しても、キーボードは表示したまま。これはどうでもええか、いや余計か...

4. ついでに、大雑把な作りを感じたものをメモっておく
デスクトップ画面のアイコン間隔を微調整するには、レジストリをいじるしかなさそうだ。Win7 には[画面デザインの詳細設定]ってやつがあるが...

"HKEY_CURRENT_USER\Control Panel\Desktop\WindowMetrics"

試しに、アカウント画像を作成してみると、デフォルト状態に戻せない。なんじゃそりゃ!画像を消すには、これまたレジストリをいじるしかなさそうだ。作成という概念はあっても、削除という概念はないのか?

"HKEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\Microsoft\Windows\CurrentVersion\AccountPicture\Users\"
ここで該当する SID にアクセス許可を与えて、以下のキーを削除。
"Image200, Image240, Image40, Image448, Image96"

... 結局、レジストリをいじる羽目になるのなら、Windows のGUI思想は成功へ導いているのだろうか?金儲けで成功すれば、それは成功というわけか...

2014-08-17

開封の儀を執り行う... Surface Pro3

十年前のノートPCを、誤魔化し、誤魔化し... もう我慢できん。ついに衝動買いに走る。モノは「Core i5 + 128GB SSD + 4GB RAM」搭載モデル。思い切って Core i7 を選択する手もあるが、貧乏性には辛い。そして、これがチーム・モバイっちの面々...




タブレット型を選んだのは、メモ機能が欲しかったからである。特に睡眠中に考えつくことが多いので、枕元にメモ用紙を置いていないと落ち着かない。ただ真っ暗でないと眠れないので、メモをとる時は灯りをつけることになる。そこで、手書き入力のできる軽いマシンがあるとありがたい。実際、スリープしたままでもバッテリーの持ちがいいので、毎晩一緒にスリープよ。
ついでに街中の情報を感じながら歩いてみるが、ちとでかい!軽くなったとはいえ、喫茶店あたりで落ち着かないと開く気がしない。そして、スタバ戦略にしてやられる!

しかしながら、本当に必要なのはノートPCとしての装備だ。Surface には前々から目をつけていたが、いまいち気乗りしない。モバイル用途だけなら、こいつを選ぶ理由がないし、タブレット型とノート型の両方を持つのが現実的だと考えている。
こいつが仕事で使い物にならなければ大損だが、引退間際の酔っ払いだって、たまには冒険したい。I/F装備が貧弱な気もしなくはないが、他のスペックを眺める限り、ちっぽけなリスクだろう。実際、USBの電源供給はしょぼいが、SSDの起動が速いし、補って余るものがある。まだまだ手足には程遠いが、幸せに近づきつつある... ような気がする今日この頃であった...

開封して、いきなりタッチパネルで30分ぐらい悪戦苦闘!まず、ストア・アプリの終了の仕方が分からん。画面の左端でスワイプして起動アプリの一覧を表示させ、終了したいアプリをつかんで画面の下端までスライドし、しばらく待つと画面がくるりと回転して終了する。アプリ内では、上端でつかんで下端までスライドし、しばらく待つと画面がくるりと回転して終了する。おぉ~っ...!しかし、3回見たら飽きる。わざわざ回転させなくても、下端に放り投げれば終了できたりして...
さらに、右クリックで悩む。目的の場所で、押したまましばらく待って放すだけ。
どうも、しばらくってのが待ちきれん... 年寄りって言うな!

1. Type Cover(Pro3用) = USキーボード
ノートPCを購入する上で、いつも悩ましいのがキーボードの選択である。OSが多言語対応だというのに、日本で購入する場合、日本語キーボードしか選択肢を与えないというメーカは実に多い。日本マイクロソフトとて例外ではない。このグローバル時代に、外国人たちはどうしてるんだろう?
ちなみに、おいらは二十年来、英語配列キーボードしか使う気がしないネアンデルタール人だ。日本語の刻印が目障りな上に、変換ボタンに圧迫されてスペースキーが短い... ここまでは許せても、記号文字(Shift + !@#...)の配置が違うのはどうも。数式には欠かせない文字群、こいつらを探そうとするだけで思考の妨げになる。キー入力は脳と直結するだけに長く叩くほどストレスとなり、キーボードのデザインにこだわる技術屋は少なくない。そもそも日本語キーを直接叩く人が、知人には一人もいない。八十にもなろうかというお婆ちゃんですら、ローマ字入力をする。
... などと愚痴りながら、Type Cover は並行輸入版を別購入するものの、正規版より1万円ほど高いのはいかんともしがたい。
しかし、モノはそこそこいい!バックライト装備で真っ暗でも叩けるし、打鍵感も悪くない!Home/End/PgUp/PgDn や、チャームに直接アクセスできるキーも揃っている。
タッチパッドもなかなか!当初、なんて使えないパッドだと嘆いていたが、操作法を開拓していくうちに印象がまるで逆転。指感覚では分かりにくいが、手前端に左クリックボタンと右クリックボタンが隠れている。ドラッグ&ドロップは、一本指でタップし、二本目の指でタップしたまま動かす... と思っていたら、一本指でも、ダブルタップして押したまま動かせばいい。ドラッグ&ドロップが改善されるだけで、こうも様変わりするものであろうか。一度キーボードに手が固定されると、億劫な上に惚れっぽい酔っ払いはタッチパネルへ手がいかなくなる。
とりあえず、左サイドで威張っている CapsLock を抹殺して、Ctrl にマッピングしておくかぁ...

2. バッテリー
バッテリーの持ちは意外といい。SSD のメリットも大きそうだ。
まずは、Type Cover を接続し、バックライトを消した状態で、映画や音楽の再生、ファイル転送などでストレスをかけてみる。スリープだけオフにして、他の設定はデフォルトのまま。すると、5時間ほどで、"バッテリー残量がなくなっています(10%)" と大きく表示される。仕様には、ブラウジングで8時間程度となっているが、大袈裟でもなさそうだ。日帰り出張ぐらいなら電源を持ち歩かなくてもよさそう。充電は、起動したままでもそこそこ進み、フル充電に2時間ちょい...
さらに、CPUをガンガン動かす演算処理を残量30%あたりから試す。CPU使用率 70% - 80%、クロック 2.80GHz 近辺をうろちょろするような... さすがに熱を持つ。残量20%の時点で、10%の通知は30分後ぐらいかなぁ... と構えていると、10分ぐらいでいきなり残量ゼロの警告が出て、慌てて電源をつなぐ。バッテリー駆動で、ここまで酷使することはないだろうが、リチウムイオンの特性からして減りだすと速そうだ。いくらリチウムイオン式の二次電池が安定性が高いとはいえ、電解物質の特性からしてメモリ効果を完全にゼロにはできないだろう。使いきってフル充電... を繰り返す方が持ちはいいのだろうけど、シェーバーのような感覚にはなれそうにない。
ちなみに、スタート画面にバッテリー残量表示のアプリがあってもよさそうなものだが、今のところストアには見当たらない。わざわざチャームを出さなければならない上に、表示も貧弱!

3. ハイバネーション
さて、最も気になるのはハイバネーションだ。ハードウェアとOSの相性が現れやすい機能でもある。古くから電源系のトラブルの元という印象があるので、デスクトップ環境では叩き斬るわけだが、ノート環境ではそうもいかん。
電源ボタンには、スリープ、シャットダウン、再起動の三つがエントリされている。これに、休止状態ってのがあるはず。
powercfg -a で確認すると休止状態は利用可能になっているが、無理に表に出すこともあるまい。ただ、シャットダウンしても、Type Cover を叩くと起動することがある。最初は操作ミスだと思っていたが、やはり何度かある。デフォルトで「高速スタートアップ」が有効になっているが、こいつが臭い。でも、やめられん!スリープの方は、ある程度時間が経つと休止状態になるようで、こちらはありがたい。
ちなみに、システムを完全にシャットダウンやコールドリブートさせるためには、こうやればいいらしい。

  shutdown /s /t 0  # シャットダウン
  shutdown /r /t 0  # コールドリブート

尚、再起動はコールドリブートという噂を耳にしたが、ほんとかなぁ...
本当のシャットダウンではないとすれば、起動の速さをアピールするためのズルか?同期系アプリとの関連性はどうなっているのか?例えば、シャットダウンしたつもりで街を歩いていて、勝手にフリースポットに接続してファイル転送でもやられたらかなわん... まさか!共有やら、同期やら、便利なことは結構だが、裏で何をされるか油断も隙もあったもんじゃない!

4. WiFi機能を試す
無線アクセスポイントを外出先で5ヶ所ほど試したが、接続できない場所は今のところない。スターバックス(at_STARBUCKS_Wi2)もOK。実は、我が家のWiFiルータが一番苦労してたりして...
ちなみに、地元の魚町商店街(UomachiWLAN)は、田舎ながら頑張っている。番地ごとにアクセスポイントを設置して、通りをすべてカバーしようと。無防備だけど。たまーに「制限あり」と表示されて断絶することがあるが、再接続でOK。ただ、隣の通りに行った途端に電波は届かない。
ところで、「制限あり」という症状は、なかなか侮れないようだ。"Surface, Win8.1, 制限あり" で検索すると、対処法がわんさと出てくる。OSの再起動、ドライバのアップデートや再インストール、ルータとの相性など、あるいは諦めた!というものまで...
Surfaceの問題か?Win8.1の問題か?は知らんが、対処法が収束していないことは根本的な問題を抱えているかもしれない。802.11ac が、まだ安定していないというのもありそうか。とりあえず、11n でつながってくれれば文句はない。いずれにせよ、信頼できるアクセスポイントでないと、重要な作業をやる気はしない。重要ポイントで使い物にならなければ困る、さっそく夜の社交場への出張計画を立てるとしよう...

5. 手書きメモツール... OneNote2013 vs. Windows Journal
OneNote には、なんとなく期待していた。尚、標準装備される Office2013 をセットアップすると、OneNote2013 が使えるようになる。こちらの方が断然いい。
Surfaceペンの頭を、シャーペンのようにカチっと押すと、OneNote が起動する。
ペンからの起動を OneNote から OneNote2013 に切り替えるには...

[ファイル] -> [オプション] -> [詳細設定]で、"既定の OneNote アプリケーション" をチェック。

最初、この項目が表示されなかったが、Office2013 を更新すると表示される。
AdobeReader と連携して、pdfファイルが挿入できる。要するに印刷環境さえ整えていれば、ExcelでもWordでも印刷イメージでインポートできる。この機能は大きい。セミナーなどで資料を見ながら、手書きでメモが加えられる。
しかしながら、本当にメモ機能として有効なのは、ファイル保存という概念を取り去ったことだろう。シャットダウンしてもデータが残るので、純粋にメモに集中できる。
ただ、"OneNote のクリーンアップ作業中"というメッセージが出て、起動が異常に遅い場合がある。同期でもとっているのか?どうもクラウドってやつは油断ならん!
ちなみに、Note Anytime ってのもある。タッチキーボードと合わせてかなりのことができそうだが、そこまで機能はいらない。
前からあるツールだが、Windows Journal も悪くない。勝手に雲に上げられたくなければ、こちらの方がいいかもしれない。こいつも、「Journal ノート ライタ」ってやつを[ツール]からインストールしておけば、印刷可能な環境でファイルがインポートできる。しかし、普通のアプリ同様、ファイル保存をやらないとデータが残らない。
この差は意外と大きい。いかにコンピューティングがファイルってやつに付きまとわれてきたか、を考えさせられる。そして、改めてメモという行動パターンを見つめなおすことに... 結局、OneNote2013 に病みつき!

6. OneDrive と「共有&同期」宗教
OneDrive は標準でバインドされる。クラウド空間に15GB容量を無料に提供してくれるサービスのこと。おかげで、OneNote などのアプリで「共有&同期」の概念が前提できるわけだが、有難迷惑なところが多分にある。
ただし、デフォルトの保存先をローカルに変更することも可能。

[PC設定の変更] -> [OneDrive] -> [ファイルの保存」で、"ドキュメントを既定でOneDriveに保存" スイッチをオフ。

これで本当に安心できるのかは知らんが、とりあえず信じてみよう。
さらに、[同期の設定] にわんさと項目が出現するのに仰天!こいつは、環境設定で最初にやるべきではないか。ネットワークに参加している他の Win8.1 マシン上で、Microsoftアカウントにログインしようものなら、環境ごと同期を始めそうな項目が並んでいる。スタート画面のレイアウト、ウィンドウのデザイン、個人設定のテーマ、ブラウザ環境、言語設定...
バックアップ設定では、OneDrive と同期させておくと、PCの復元もできる。確かに便利なものもあるが、デフォルトですべてオンになっているのは強烈!
ちなみに、起動時のログインに、Microsoftアカウントとローカルアカウントが選択できるが、これも悩ましい。例えば、全アプリ一覧画面の構成が気に入らないから、以下のディレクトリでショートカット群の階層を整理すると、再起動だけでは不十分で、同期がとれるまで反映されないようだ。

"c:\ProgramData\Microsoft\Windows\Start Menu\Programs"

全般的に余計なカスタマイズは歓迎されない。ユーザは本当に自由を獲得しているのだろうか?
ところで、持たない時代とは、持たれる時代ということか。じゃ、誰に?そんなこと知ったこっちゃない。ますます鈍感力が問われる時代ということか。生物は危険性を認知できるからこそ進化してきたはずだが...

2014-08-10

"数学と論理をめぐる不思議な冒険" Joseph Mazur 著

数学を小説のように読ませてくれる書とは、こういうものを言うのであろうか。そこには、タレスやピュタゴラスによって始まった幾何的思考から、カントールやゲーデルを苛ませた無限の概念に至るまでの論理思考の旅物語がある。幾何的思考の根源は、精神空間を物理空間に投影しようという試みから始まった。そこに代数的思考、すなわち記号が融合すると、アレフという別世界が開ける。「万物は数である」という信仰が崇められ、数学が極めて宗教臭い時代、無限の概念はゼノンのアキレスと亀の競争物語によって伝えられた。アリストテレスは、「現実的な無限」と「可能的な無限」を区別し、自然数の集合を「可能的な無限」と考えたようである。アルキメデスに至っては、既に可能無限から実無限の概念へ飛躍していたのではないか、という研究報告がある。だからといって、ニュートンやライプニッツの微積分学の功績が色褪せることはない。ほんの束の間ヒルベルトの時代、宇宙のすべては数学で完全に記述できるとされた。しかし、ゲーデルがどんな論理にも不完全性が紛れ込むことを証明すると、数学はまたしても哲学の領域へ引き戻される。人類は、無限を手懐けるために二千年以上もの旅を続けてきたが、いまだ精神空間を完璧に物理空間に投影できないでいる。数学は、永遠に哲学に幽閉され続けるのかもしれん...
「数学は精神で構成するものであり、精神の活動を通す以外には、実存性はもちえない。記号、方程式、定理は、数学の内容を伝えるための手段にすぎない。それらのものは命題をなし、それが集まって物語となる。」

数学の王道は演繹原理にある。それは、ユークリッドが原論で示した証明への道筋だ。純粋な証明ほど説得力のあるものはない。自己主張を論理武装しようとするのは、それが説得の道だからだ。
しかしながら、説得の道にはもう一つある。見たまんま!ってやつだ。実際、原論は五つの公準から成り立っている。公準とは、平たく言えば前提である。つまり、証明の要なし、いや、証明できない自明な命題があることを承知せよ!と要請している。すべての論理証明が前提によって成り立つとすれば、前提の根源を考察せずにはいられない。人間は何事を思考するにも、まず直感や直観の類いを働かせる。インスピレーションとは、ある種の霊感のようなものであろうか。そうした思いつきは極めて経験的であり、演繹に至る前に帰納という思考を試している。純粋な思考だけで定理は導けない。寄り道、回り道、近道といった思考実験を繰り返すうちに、定理らしきものがうっすらと見えてくる。学問に王道なし!とは、この道だ。王道を探るには、覇道や邪道も探ることになる。定理への道は前提から始まる、これを帰納原理とでもしておこうか。とはいえ、邪道ばかり歩いていると疲れる...

前提ほど脆いものはない。まさに非ユークリッド幾何学は、第五公準の崩壊によってもたらされた。第五公準の言い換えはいくつもあるが、ここではルジャンドルの言葉を拝借しよう。
「角の和が180度に等しい三角形が少なくともひとつ存在する。」
だからといって、ユークリッドを蔑む者はいないだろう。ポアンカレはこう言ったという。
「ひとつの幾何学が他の幾何学に比べてより正しいということはありえない。どちらが便利かと言えるだけである。」
人間社会もまた、すべて前提によって成り立っている。社会制度、政治体制、経済システムなどすべてが。民主主義社会では説得の力がモノを言う。説得力とは奇妙なもので、論理だけでは心もとなく、信じこませる何かひと押しがいる。すると、大数の法則は多数決の原理と結びつき、感情の向う確率論に支配されるという寸法よ。これを意志力というかは知らん。物事が客観性から乖離するほど扇動の力が武器となる。アピールやプレゼンテーションなどと呼ばれる技術が、それだ。精神が素粒子で構成されているとすれば、量子力学に従うはず。そこで、宇宙人たちの噂を耳にした。地球という天体には、マクスウェルの悪魔君が大勢いる世界があるとさ...

「天秤は、おもりを載せれば必然的に下がらざるをえない。それと同じく、精神は明白な証明には屈せざるを得ない。精神がからっぽで、釣り合い用のおもりがなければ、最初に言われたことの説得力の重みにすぐに負けてしまう。」
... モンテーニュ「エセー」の中のキケロの引用...

1. 疑い深きトマス君!
著者ジョセフ・メイザーは、マールボロ大学の数学教授。彼は講義中にこんな実験をしたという...
まず前提で、2p - 1 は、p が素数の時、必ず素数になると宣言する。そして、2 から 19 までの数を計算して見せる。わざと p = 11 を飛ばして。さて、受講生の反応はいかに...
1000 の桁に達すると、学生諸君は教授の権威によりかかる。だが、冷静になってくると、ある学生が疑念を抱き始めたという。最前列に陣取る彼の名は、トマス君!イエスの復活を信じなかった、疑い深きトマスにかけているのかは知らん。彼は、実例だけでは証明にならないと食い下がる。確かに、p = 11 や p = 23 では成り立たない。

  211 -1 = 2047 = 23 x 89
  223 -1 = 8,388,607 = 47 x 178,481

数学は純粋な判断であり、想像力が作る虚構とは次元が違うという評判だが、それは本当だろうか?数学だって、経験を基に憶測で納得しているところがあるのでは...
学校は、証明の手順を真似することを教える。証明を思いつく方法を教えるわけではないし、教えられるものでもない。試験とは、既存の証明をまる写しすれば良い成績が取れる仕組みである。おいらが好青年と呼ばれていた頃、数学は暗記科目ではないと固く信じていた。試験中に公式を導くところから始めていると、とても時間が足りない。決定的だったのは大学に入ってからだ。暗記科目と割り切れないと単位がとれない... どうせ落ちこぼれの愚痴よ!
おっと、話を戻すと...
反証するには一つの反例を示せばいい。だが、証明の方はどうであろう?真理が精神空間に映し出される幻影に過ぎないとすれば、数学もまた芸術の域にある。証明への道が無条件のエクスタシーを与えるならば、数学もなかなかの宗教だ。今でも証明されていない難題が真であることを頑なに信じて、その証明に人生を捧げている研究者たちがいる。その定理は、あてすっぽに真理らしきものを、気まぐれに語っただけかもしれないのに...
ポアンカレ曰く、「すべてを疑うのも、すべてを信じるのも、同じように都合のいい手だ。どちらもよく考えてみなくてすむ。」

2. 推論式(シロジズム)と自己矛盾性
数学の論証は、推論式によって組み立てられる。つまり、「もし~ならば~...」式の束によって。本書は「シロジズム」と呼んでいるが、なかなか微妙な用語である。論理学の根源は、アリストテレスの演繹モデルに従う。「すべての人は死ぬ。ソクラテスは人である。故にソクラテスは死ぬ。」 の類いだ。この手の三段論法を好む社会学者や経済学者は、実に多い。歴史は言うであろう。戦争が起こる時は必ず強大な軍事指導者がいたと。故に、強大な指導者がいる時は必ず戦争が起こると。
一方で、三段論法の危険性を忌み嫌う数学者や科学者は少なくない。ただ、一つの命題が他の命題との依存関係によって成り立っていることは事実だ。キェルケゴール風に言えば... 命題とは一つの関係、その関係はそれ自身に関係する関係の関係の... 狂ったか!
関係が複雑ならば、論理をほぐすために、カルノー図のような見た目で解釈する方法がある。実際、ブール代数を簡略化して真の意味を探ろうとする思考が、コンピュータシステムを支えている。こうした論理性は、境界条件によって支えられている。
ただ、論証できるからといって意味があるとは限らないし、結論が前提から導き出せるとしても前提の正しさとは無関係だ。ここに、根源的な論理の脆弱性が内包されている。ウィトゲンシュタインは、考えを伝える時に混乱を避ける方法は、論理的に正確な言語を作り、それぞれの単語に一つしか意味を持たないようにすることだとしたという。
しかしながら、一つの意味とはどういう意味か?精神の内で勝手にイメージされるものを、どうやって一つに集約できるのか?客観性に満ちているはずの専門用語ですら、微妙にニュアンスの違いを見せ、誰一人として同じ言葉を喋っちゃいない。記号に意味が生じた時、既に感覚と結びついているではないか。
とはいえ、人間社会は、矛盾だらけの言語を用いながら、それなりに通じ合っている。確かに、代数的記号は無味乾燥的なものだ。x = y という式の意味は、それ以上でも、それ以下でもない。だが、人間が解釈した途端に客観性を失う。コンピュータ言語だって人間が意味解釈をすれば、そりゃ暴走もする。純粋客観とは、無認識の領域にしかないのかもしれん。ここに、数学の抱える自己矛盾性があるのではなかろうか...

3. 数を数え続ける動物
プラトンのあまり知られていない短い対話篇「エピノミス」は、こんなことを論じているという。
「動物の魂は、理性的な計算ができなければ、魂の力の長所すべてを得ることはできないだろうし、2 と 3、奇数と偶数を認識できず、数をまったく知らない人は、事物を合理的に説明することはできないだろう。事物について、感覚と記憶しか有しないからだ。それで勇気や沈着などのその他の長所がなくなるわけではないにしても。しかし真に語ることができなければ、人は決して賢くはならず、十全な徳の最も重要な成分である賢さがないことには、その人は完全な善に達することはありえず、したがって幸福にもなれないことになる。」
人間は自然数の概念になんの疑いもなく、数え続けてきた。数の概念がなければ文明すら成り立たない。それはプラトンの言うように、本能的に理性を求めている証であろうか?
ところで、ユプノ族というニューギニアの奥地に暮らす原住民には、手の込んだ計算法があるそうな。まず指から始まり、いろいろな体の部分を指定の順に右から左へ移りながら、33 まで数えるという。
ちなみに、フランス式指電卓というものがあると聞く。

「計算機がなくても、掛け算が出来る便利な方法があるのをご存じですか。俗にいうフランス式指電卓です。
7 x 8 = 56 の場合、左は、7 を表します。御一緒に... いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく、しち。右は、8 を表します。御一緒に... いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく、しち、はち。次は答えです。十の位は立ってる指を足します。2 + 3 で 5 ですね。一の位は折れてる指を掛けます。3 x 2 で 6。ということで、7 x 8 = 56。九九を忘れた方はぜひやってみてください。
では次に、8 x 9 = 72 にチャレンジ。いち、にぃ... これ大変時間がかかります。お好きな方は自分でやってみてください。」
... 「警部補・古畑任三郎スペシャル 笑うカンガルー」より...

4. 有限と無限の境界
エレアのゼノンは、亀にハンデをやれば、いくら足の速いアキレスでも勝てないことを論じた。アキレスが亀のスタート時点に着いた時には亀はさらに先に進んでおり、次の亀のスタート時点に着いた時には亀はさらに進んでいる。これを繰り返せば、永遠に追いつけないと。この謎掛けには、摩訶不思議な世界がある。亀もアキレスも、有限の時間で、有限の距離を進んでいる。なのに、追いつく距離は無限に縮まり、迫りくる無限小の時間の中でもがき続ける。それでも、境界条件をちょいと加えると論理は崩れるかもしれん。
「靴下さえ履いていたら、アキレスもちゃんと勝ったはずだ!」
さて、有理数と無理数の違いにも摩訶不思議な境界がある。有理数とは、分母と分子を自然数で表せる数。自然数は無限にあり、分母も分子も無限に配置できる。どんな有理数と有理数の間にも必ず有理数を配置できるわけで、無限小の隙間を埋め尽くせそうな気がする。にもかかわらず、有理数では表せない無理数ってやつが存在しやがる。そりゃ、ピュタゴラス教団も慌てるわね。無理数とは、無限の自然数で配置される有理数よりも、高貴な無限なのか?無限にも濃度があるというカントールの主張は、出任せではなさそうである。
それにしても、初めてカントールの無限に触れた時には、たまげた!デカルト座標上のすべての点は、数直線上の点と一対一で対応できるというのだから。集合論は詐欺か?論理とは、屁理屈と紙一重の世界にある... とでもしておこうか。
これと似た感覚がトポロジーの世界にもあって、ドーナツもコーヒーカップも同じ形とされる。形の属性において「位相」にだけ着目すれば、確かにそうなる。もはや常識ってやつは、まるで役に立たない。着眼条件をちょいと変えるだけで、客観性の視点も変わるということだ。
無限濃度の境界条件には「可算」という概念がある。平たく言えば、数えることが可能かどうかによって濃度が区別されるということ。無限と無限を比較する時、一対一の対応というと少々抵抗があるので、対応するものが必ず一つだけあるとしたらどうだろう。言い方をちょいと変えただけよ。直観的に大小関係を感じても、互いに無限個あれば、対応がつかないなんてことはありえない。同じ原理を用いれば、整数も、偶数も、奇数も、はたまた有理数もすべて同じ無限個数ということになる。
「有限の世界が無限の世界と出会うところには、ヘリも境界も端も限界もない。有限の図が無限の図になる特定の瞬間もない。」
ここで、人間の直観には、見たまんま!という思考原理が働くことに注意しよう。知覚の危険性が潜んでいることを。例えば、生まれつきの盲人が40歳で視力回復手術を受けた時の体験談を読むと、階段が目の前にあるのに、足下に危険があることすら認識できないと語っていた。形の属性は確実に認識できても、それが自分の身にどんな作用が生じるかまでは分からないらしい。そして、映像情報が大量に脳に入り込み、処理能力が追いつけず、却って精神病を患うことになる。あるいは、よく見慣れた人の顔でも、逆さに見ると誰だか見分けがつかなかったりする。人間は、知覚情報だけで認知処理をしているわけではない。論理思考とはいえ、極めて経験的だということだ。
カントールの無限は、人間にとって純粋に思考することが、いかに難しいかを問うている。現実に人間社会には、解釈され過ぎた常識ってやつで溢れている。客観性の能力を放棄したかのごとく...
「ここでの教訓は、帰納による論証には、疑いを向けた方がいいということだ。ただ、帰納による論証もそれなりに地位があるのは確かで、本当らしい印象を作ろうとするときには、非常に役に立つ。」

5. 連続体仮説ってどうよ?
無限濃度の記号は、ヘブライ文字の ℵ(アレフ) が用いられる。カントールはカトリック系だったと思うが。
それはさておき、有理数の集合と無理数の集合には、可算という境界概念において区別される。整数や有理数の濃度は、ℵ0 と表し、実数の濃度 c に対して次の関係が成り立つとされる。

  ℵ< c

これが、「連続体仮説」ってやつだ。日常的な数の感覚では、有理数よりも無理数の方がはるかに多い。まさに見たまんま!可算の条件に照らしても、自然数で表せないものを数えるなんて不可能に思えるし、直観的には連続体仮説は真に映る。
しかし、だ。次の命題が真だとすると、どうだろうか?
「どの二つの有理数の間にも無理数があり、どの二つの無理数の間にも有理数がある。」
これは直感に反する。二つの有理数の間に必ず無理数があるのはいい。二つの有理数の差がとても小さいとすると、その差をπで割り、結果を小さい方に足す。これで、元の二つの間にある無理数が一つ得られる。
問題は、無理数の間に有理数が必ずあるか?だ。二つの無理数を a, b とし、xy座標において原点から傾き a と b の直線α, βを引く。p, q を整数とすると、二つの直線は格子点(p, q)を避けて通るはず。そうでないと、傾きが q/p となって有理数となる。a と b の間には必ず角が生じる。その間の直線を無限に延ばせば、必ず格子点(p, q)のどれかに捕まるという。なんとも信じがたいが、そうなるらしい。
となると、無理数は、二つの有理数の間に存在するという関係から、可算という条件に当てはまるのではないか?二つの有理数の中間値に対して、見事に一対一で対応づけているではないか。ん~... アル中ハイマーには、無限濃度とアルコール濃度の区別が永遠につきそうにない...

2014-08-03

"連分数のふしぎ" 木村俊一 著

ピタゴラス教団は、整数では表せない数を忌み嫌い、隠蔽工作に走った。「万物は数である」を崇拝する者たちにとって、無理数は宇宙の理性に反する存在だったのである。自然数を分母と分子に配置する表記法に限界を感じるのは、現代人とて大して変わるまい。実際、あらゆるデジタルシステムは実数演算を近似値で誤魔化している。浮動小数点演算で答えが合わないと騒ぐ新人君を見かければ、IEEE754の意義を匂わせてやればいい。
ところが、だ!
ここに分数の底力を魅せつける一冊がある。連分数とやらを用いれば、無理数とて正体が暴けるというのだ。黄金比だろうが、超越数だろうが... はたまた、閏年も、12音階も、松ぼっくりも...
自然数、恐るべし!

連分数とは、分母の中に分数が含まれ、その分数の分母にさらに分数が含まれ... というように分数が階段状に連なったもの。こいつが本格的に活躍を始めたのは17世紀頃だが、古代ギリシア人はこれに近い思考法を知っていた。ユークリッドの互除法が、それだ。二つの数における最大公約数を求めるとは、約分しながら既約分数に迫ることであり、まさに連分数の発想である。もっともユークリッド原論では除算ではなく減算で示されるので、より厳密に言えば、互減法とするべきだという意見も耳にする。共通した線分の長さを除いていくという意味では、互除法でそれほど違和感はないけど。
それはさておき、問題は単純な操作の繰り返し回数にある。連分数における有理数と無理数の境界は、連なり方が有限か無限かだ。とはいえ、古代ギリシア人だって無限の連なり方を想像できなかったわけがなかろう。自然数が無限に連なることを数直線上で表せば、循環小数や循環連分数といったものも想像できそうなもの。幾何学表記の無限は神に崇められても、整数論表記の無限は悪魔とでもいうのか?神も、悪魔も、人間がこしらえた概念であることに違いはない。数が宗教の域に達すると、もう手に負えん...

ところで、平方根を語呂合わせで覚えたりする。一夜一夜に人見頃... 人並みにおごれや... 富士山麓オウム鳴く... 円周率は、30桁もあれば事足りる。産医師異国に向かう、産後厄なく産児、みやしろに虫さんさん闇に鳴く...
そういえば、この手の覚え歌で英語版をあまり聞かない。単語の文字数を割り当てる技は見かけるが、ゼロはどうするんだろう?なぁーに、心配はいらん。ゼロが登場するのは30桁より後ろだ。遥か果てにファインマン・ポイントという理性の配列があることを知らなくても、男性諸君のπ(オッパイ)好きは変わらんよ!

1. 初期値と周期性の原理
小数点以下を10進数で1から順に並べた数を、「チャンパーノウン数」と呼ぶそうな。

  0.1234567891011121314...

こうした規則性は連分数との相性の良さを予感させる。小数の循環パターンが見抜ければ、数値解析も容易となろう。問題となるのは、循環しないか、循環してもパターンが長すぎる場合だ。本書は、数の並びのパターンが見抜けなくても、連分数を用いれば数の正体が見抜ける可能性を匂わせてくれる。
数列の生成パターンで有名なものにフィボナッチ数列がある。最初の数を{1, 1}とし、{0, 1}でもええが、後は2つの数を足して次の数を作るということを繰り返す。

  {1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, ...}

これに似たもので、「リュカ数列」というものがあるそうな。最初の数を{2, 1}とし、後の操作は同じ。

  {2, 1 ,3, 4 ,7, 11, 18, 29, ...}

このような数列の重要性は、初期値と繰り返される操作という二つで構成されるアルゴリズムの単純さにある。この事例では足し算されるが、引き算でも、剰余算でも、それこそどんな関数でもOK!思考原理は、等比数列や等差数列、はたまたユークリッドの互除法やニュートン法も同じだ。このような数列アルゴリズムは、デジタルシステムを設計する際の検証法において、システムの苦手とするパターン生成、ノイズ発生器、乱数生成などで重宝できる。分数は割り算であるが、具体的な処理では多項式に排他論理を組み合わせることで等価性が得られたりする。連分数は、ある種の循環アルゴリズムという見方はできそうである。
もしかしたら、あらゆる数は何らかの循環性に支配されているのかもしれない。フーリエ解析では、三角関数の直交性を利用して成分分解すれば、どんな数でも近似値を、それなりに得ることができる。フラクタル解析では、縮小拡大、回転、反転といった単純な幾何学操作によって、どんな図形にも相似パターンを、それなりに当てはめることができる。あらゆる物理現象は、初期値、境界条件と言ってもいいが、これと周期性で決定できそうな気がする。もしかしたら、素数の出現パターンにも周期性があるのかもしれん。しかも、初期値が変わるだけで、まったく様変わりするような... 実は、多様性の正体とは、初期値の違いだけなのかもしれん。これを社会では環境と呼んでいる...

2. 黄金比と松ぼっくり
縦横比が黄金比となる長方形が最も美しい図形という説があるが、それは本当だろうか?美とは、周辺との調和によって生じる概念であり、絶対的な概念ではあるまい。少なくとも、人間の感覚に絶対というものはない。正五角形が崇められるのは、辺と対角線の長さの関係が黄金比になるからであろうか。古来、五芒星に宗教的な意味が与えられてきた。真ん中に現れる正五角形に対角線を引けば、正五角形の無限地獄へ誘なう... という魂胆かはしらん。
さて、黄金比は、x2 - x - 1 = 0 の解である。x2 =  x + 1 ... つまり、2乗すると1増えるような数。もちろん、黄金比を2乗しても同じ結果が得られる。

  ( (1 + √5)/2 )2 = (1 + 2√5 + 5)/4 = 1 + (1 + √5)/2

フィボナッチ数が一際輝いているのは、隣り合う2項の比が黄金比に近づくことにある。松ぼっくりが、宇宙においてどんな役割を果たしているのかは知らん。ただ、松ぼっくりの鱗片にフィボナッチ数が現れれば、ここに宇宙法則を感じずにはいられない。葉っぱたちが複雑に混在すれば、平等に太陽の光を欲する。互いに重ならないように満遍なく太陽の光を浴びることができれば、究極の民主主義像が描ける。その答えが、フィボナッチ数なのか?
本書は、次のような配列シミュレーションををやってみせる。

まず、葉っぱの付け方は...
最初に、1本目の枝を右方向に出し、丸い葉を1枚つける。
次に、一定の角度θだけ回転した方向に枝を出し、2枚目の葉をつける。枝は1枚目より少し長めにする。
さらに、同じ角度θだけ回転した方向に枝を出し、3枚目の葉をつける。枝は2枚目よりさらに長めにする。
以下、繰り返し...

次に、長さのルールは...
円形の葉の半径を1とし、1枚目の葉の長さは1、2枚目の枝の長さは√2、3枚目は√3、4枚目は√4(= 2)...
回転角θは90度とし、螺旋を描く。

これを有理数回転で配置すると徐々に隙間ができていき、無理数回転で配置するとうまいこと隙間を埋めることができる。自然界は、無理数回転を要請しているのか?
「有理数による近似がもっとも悪い無理数は、黄金比である。もしかしたら植物はそのことを知っていて、黄金比回転で葉っぱや松ぼっくりの鱗片を配置しているので、植物の渦巻きの腕の本数にフィボナッチ数が出てくるのかもしれない。」

3. 12音階と53音階
1オクターブを12の半音に分けた音階理論は、ピタゴラスが構築したとされる。その正体を、本書は16世紀に考案された対数と連分数を組み合わせて解き明かそうとする。対数は、実に奇妙ながら便利な道具だ。なにしろ、掛け算の世界を足し算の世界に変えてくれるのだから。おかげで、指数関数的に増加する物理現象を比例関係で考察することができ、電気回路では利得の概念が単純化できる。
さて、人間の耳は対数耳になっているという。確かに、耳の周波数特性は、計算尺のように数字が大きいところで目盛の幅が詰まっている。人間が音程の違いを聞き取るのは、周波数の差ではなく周波数の比である。ピタゴラスはそのことに気づいていたことになる。そして、一弦琴で弦の長さと周波数の関係を示した。
「ピタゴラスが "簡単な整数比であらわされる2音がよく協和する" という原理から、ド : ソ = 2 : 3 という周波数比を繰り返し適用することでピタゴラス音律を作った。その後、より簡単な整数比を実現するように改良された純正律があらわれ、さらに転調しやすく改良された平均律があらわれた。」

12音階平均律とは、対数の世界で12等分するということ、すなわち、2の12乗根をとることである。


本書は、12音階平均律よりもっと美しくなりそうな53音階平均律を提示している。しかも、モーツァルトの父レオポルトが書いたバイオリンの教則本にも、これにピッタリ合う記述があるそうな!


4. 近似と精度
無理数を連分数で近似する場合、精度の見極めでは、程よい次数で連分数を打ち切ることになる。その次数は、偶数次において小さめの近似、奇数次において大きめの近似、この間を振動している。
「αの連分数近似として p/q という分数が出てきたら、その誤差、つまり |α - p/q| は、1/q2 以下である。... αが無理数であれば、|α - p/q| < 1/q2 を満たすような整数のペア {p, q} が無限組存在する。」
ただし、これは2次の場合。n次の有理数の場合では「リウビィユの定理」というものがあるという。
「実数αはn次の代数的、つまり有理数係数のn次方程式の解としてあらわされる数であるとする。このとき、αの近似分数 p/q で、誤差が 1/q(n + 1) 以下のものは有限個しかない。」
さて注目したいのは、幾何学的なアルゴリズムで「中間近似分数」というものを紹介してくれる。X-Y 平面上において、整数座標の格子状に釘を打ち付けた様子を考える。そして、原点と目的の点との間を糸で張り、原点側で最初にひっかかる釘(0, 1)と(1, 0)の間で糸を上下させる。糸がどの釘で折れ曲がるかの中間点を拾っていき、その中間点を連分数の要素とすれば、近似分数が得られるという発想だ。
例えば、5/7 の近似分数を求める場合、原点(0, 0)と座標(5,7)の間を糸で結ぶと、折れ曲がる釘が(0, 1), (1, 0), (1, 1), (3, 2)、通過する釘が(2, 1), (4, 3)となる様子が示される。これらの座標が、連分数の中間近似分数に対応する。しかも、糸が上下する様子がそのまま誤差として見える。誤差関数もまた連分数で記述できるというわけだ。

5. マハーラノービスの問題
ラマヌジャンがケンブリッジにいた頃、友人のインド人数学者マハーラノービスが雑誌の難問コーナーから、こんな問題を見つけてきたという。
「通りの家がずらっと並んでいて、端から順番に1番、2番、... と番地番号がつけられている。さて、ある家の左側に並んでいる番地番号を全て足した数と右側に並んでいる番地番号を全て足した数がちょうど同じになるという。この家の番地番号は何番で、通りには家が何軒あるか?ただし、通りの家の数は50軒以上、1500軒以下とする。」
ラマヌジャンは、即座に50軒未満の場合で、通りの数が8軒、家の番地番号は6番と答えたそうな。

  1 + 2 + 3 + 4 + 5 = 15 = 7 + 8

他の解は、通りの数が49軒、番地番号が35番の場合。

  1 + 2 + ... + 34 = 34 x 35 / 2 = 595
  = (36 + 49) x (49 - 35) / 2 = 36 + 37 + ... + 49

これを幾何学的に表すと、底辺が軒数の49、高さが存在する番地番号の49、の直角二等辺三角形の面積で表すことができる。番地番号35は、その斜辺の過程のどこかにあるはず。すると、底辺と高さの比は √2 であり、その思考法では、連分数による √2 の近似法に置き換えられる。代数的には、通りの軒数をn、番地番号をm とすると、次の方程式を満たすような自然数の組(n, m)を求める問題となる。

  1 + 2 + ... + (m - 1) = (m + 1) + (m + 2) + ... + n
  1 + 2 + ... + n = (1 + 2 + ... + (m - 1)) + m + ((m + 1) + (m + 2) + ... + n)

この二つの方程式から

  n(n + 1)/2 = m + 2m(m - 1)/2 = m + (m2 - m) = m2

そして、n(n + 1)/2 が平方数になるような n を求める問題に変えている。答えは、(n, m) = (288, 204)。

  1 + 2 + ... + 203 = 203 x 204 / 2 = 20706
  = (205 + 288) x (288 - 204) / 2 = 205 + 206 + ... + 288

尚、本書には具体的な解法が紹介される。ちと複雑だが、なかなか興味深い!