2013-09-29

"臨床医学の誕生" Michel Foucault 著

「狂気の歴史」では、非理性から理性の道を解き明かそうとした。「臨床医学の誕生」では、死から生の道を見出そうとする。それは、「解剖 = 臨床医学」という観点からの試みである。フーコーは、臨床医学の鍵となる四つの概念を持ち出す。
「この本の内容は、空間、ランガージュ(ことば)および死に関するものである。さらに、まなざしに関するものである。」
「空間」とは、分類学的な視点からの空間である。かつて疾病は植物学的に分類され、症状を平面的な図表に当てはめていたという。知識は文献などの平面上の記述によって蓄えられるが、人体や病原菌はユークリッド空間に実在する立体像である。さらに精神病を相手取る場合、歪んだ精神曲率を非ユークリッド空間の中に見出す... のかは知らん。
「ランガージュ」とは、記述の在り方である。言語学者ソシュールの提起した用語であるが、フーコーが構造主義者とされる所以がこのあたりにあるのだろう。ソシュールは、言語を記号的に捉え、シニフィアン(表現)とシニフィエ(意味)とが一体化したものとし、けして分離できないとした。ここでは、「意味するもの」と「意味されているもの」との関係が述べられる。やはり人間観察には、両義性を具えるモナトロジー的思考が必要なのだろう。肉体と魂こそが、それである。
「死」とは、屍体解剖の意義である。人体構造を学ぶには屍体解剖が不可欠であるが、宗教的な道徳や愚鈍な偏見がそれを拒んできた。今でも、臓器提供の進まない事情がある。死んだ家族の身体が切り刻まれることに抵抗を感じるのも自然であろう。さらに医学の進歩が死の定義までも変えてしまい、生きることと死なないことが別物とされる。
「まなざし」とは、観察の意義である。医療において診断は最も重要な要素であろう。だが、診断の正確さをあまりにも崇めるために、初期段階では投薬すら控えるべきとされたという。投薬が自然治癒の妨げになるとされ、患者の苦しみが配慮されない。本書は、観察と実験を混同してはならないという。とはいえ、奇病を解明するために、人柱となって身体を提供してきた人たちも多く居たことだろう。
フーコーは、これら四つの観点から、19世紀頃、臨床医学の認識を劇的に高めたとしている。しかしながら、臨床の概念そのものはヒポクラテスの時代からあるのだけど...
「ヒポクラテスは観察にだけ執着し、すべて体系というものを軽視した。医学が完成される道は、彼の足跡をたどるよりほかにない。」
あらゆる学問が、高度化、細分化する中で本来の目的を見失い、権威主義に陥る経験をしてきた。人は皆、権威やら名声やらに弱いもので、そのことが逆に進歩を妨げることもある。知の純粋な領域、いや無意識な領域においてのみ、ア・プリオリを見出すことが可能となる... というのは本当かもしれない。

医学生がまずもって学ぶものは、解剖学と生理学だそうな。解剖学では人体構造を学び、生理学では人体機能を学ぶ。まず、構造面と機能面からの健康状態を知らねば話にならない。こうしたアプローチは自明に思えるが、そうでもないらしい。現代医学のほとんどの基本概念は、19世紀に見出されたという。コッホやパスツールの細菌学、集団を対象とする疫学、消毒や麻酔の技術、レントゲンなどの画像診療、ワクチンをもたらす免疫学、感染症治療に革命を起こした抗生物質、そして、精神分析や向精神薬や遺伝学など...
ただし、本書が扱うのは、このような科学的な進歩ではなく、それを可能にした医学認識の変化である。その変化は、まず臨床における記述に現れたという。
「薄い偽膜は義膜性で、卵白の蛋白をふくんだ薄皮に似ており、はっきりした固有の構造を持っていない。他の偽膜はその表面にしばしば血管の痕跡をとどめており、それらの血管は、いろいろな方向にむかって互いに交叉し、充血している。偽膜はしばしば重なり合った薄片に還元できるが、これら薄片の間には、多少とも変色した血液の凝塊がはさまっていることも稀ではない。」
この記述は、医師A・L・J・ベール著「精神疾患新学説」(1825年)の中の一節だそうな。なかなかの文学的な描写である。だが、科学論文や技術論文では主観的な表現を忌み嫌う。学問では、抽象化、一般化、法則化を探求することに傾注し、直感の入り込む余地を与えようとしない。
しかし、だ。人間を対象とする学問では、抽象化よりも多様化の方が適合しやすい。同じ病でも症状が微妙に違えば、精神病は心理学の領域に極めて近い。実際、「病は気から」とよく言われ、ウィルスや病原菌のような物理現象だけでは説明できないケースが多い。となると、病状を記述する場合、主観的な表現を排除することが、学問として合理性に適っていると言えるだろうか?記述による質的な精密さを求めるのはどんな学問分野でも同じであろうし、研究対象によって主観と客観の按配を変える必要があろう。
一般的に、科学は客観性に満ちていると認知されているが、主観科学というものがある。人間の多様性は本性的であろうし、自然的な要素でもあろうから、その観察においては主体に着目する必要がある。オリバー・サックスの記述などは、まさにそれだ。
ところが、フーコーの記述はそういう類いのものと大分違う。
「すべて可視的なものは陳述可能なものであり、それは完全に陳述可能だからこそ、完全に可視的なのだ。」
あえて主体を排除した立場から、人間観察を試みた結果がこれか?メタ精神によって個体精神を記述すると、こうなるのか?精神の破綻を感じないでもない。まぁ、読者の側が酔っ払った精神破綻者なので、大した問題ではないかぁ...
主体を観察しようとすれば、客体の眼を必要とし、相互に立場を交換しあうことになる。主体分析の矛盾が、ここにある。人間は、永遠に自己を知ろうとし、また永遠に自己を知り得ないということであろうか...
「個性の宿命は、つねに客観性の中で形をとることになるが、この客観性は個性をあらわしながら、これを隠し、これを否定しながらこれを創る。」

1. 解剖学と臨床医学
1764年、J・F・メッケルは、卒中、錯乱、肺結核といった疾患における大脳の変化を研究したという。その方法は、脳の容積あたりの重さを測って比較し、脳の乾燥した部分と充血した部分を調べるというもの。また、カミエとエルマンが金槌を用いた方法は有名だそうな。軽く叩いて、頭蓋骨内が充満しているかどうかを音で調べるというもの。
精神現象の科学的分析は、脳を直接観察することによって、重さや音などの物理量に還元しようという試みから始まった。現在では、脳の表面を電磁的に観察することによって言語障害などを分析したり、体内器官の活動を電磁波でモニタしたりする。間接的な方法ではあるが、解析学の基本に則っている。解剖学は知覚することから始まり、いかに物理現象に還元するかが問われてきた。デカルトの解剖学、マルブランシュの顕微鏡学といった実践が、まさにそれ。ここに、デカルト式実存論の本質が隠されていそうである。つまり、客観的背景において、いかに観念的実体に分解できるかということだ。
そして、精神を記述する上で合理的な言葉を組織する必要に迫られる。叙述の客体は、主体になりうるだろうか?これを問い始めた時、臨床医学なるものが浮かび上がる。記述のないところに現象はない!これを科学の信条とすれば、主体的な記述もまた、客体的な科学的構造を持った叙述を可能にするかもしれない。これが臨床医学の信条ということになろうか。臨床医学とは、科学と文学の融合とすることもできそうである。
フーコーは、屍体へ敬意を表明する。
「文明国民の間に哲学が光をもたらしたとき、人間の屍体に対して、探究的なまなざしを注ぐことがついに許された。これらの屍体は、かつてうじ虫の餌にすぎなかったが、今や最も有益な真理の、ゆたかな源泉となったのである。」

2. ポジティブ思考とネガティブ思考
医学が目の前の病人を問題とする以上、現実を直視する実証的な学問となる。つまり、「ポジティヴィズム(実証主義)」だ。多様性に富んだ症状では、哲学的な抽象論よりも個々を詳細に記述することが求められる。そうした認知は古くからあるものの、具体的に現れたのは屍体が「眺められるもの」の形象となった時だという。
ところで、病に打ち勝つための大切な心持ちに、ポジティブ思考というものがある。精神の状態は、血液の脈拍、すなわち心臓の動きに現れるため、治療において重要な要素となる。そこで、ポジティヴィズムにおけるポジティブ思考とはどんな状態か?などと考えさせられるのだった...
ネガティブ思考に陥った場合、その原因が解明できれば、ネガティブな状態から脱することができるだろう。ネガティブ思考を知らずして、ポジティブ思考もありえない。もしありうるとすれば、単なる陽気な鈍感であろうか。原因を解明せずして、ポジティブ思考を押し付ければ、却って病を悪化させる。これが有難迷惑の根源であろうか。ポジティブ思考とは、単に楽観的に考えるのではなく、現実を直視することから得られる冷静な目を養うこと、とでもしておこうか。そして、ネガティブ思考とは、現実を見ようとせずに、激しい思い込みに耽ること、ということになる。
... などど、ふと勝手な解釈を試みるのであった...
ポジティブ思考ほど、病に対抗するのに都合のよい精神状態はないだろう。だが、真理は、ネガティブな方向にも存在する。科学的分析と臨床的観察の調和こそが、病に対抗する術ということになろうか。偉大な哲学者たちが、中庸の原理を尊重する理由がここにある。それは、日常と歴史の結びつきでもある。宗教的道徳観念が屍体観察を遠ざけてきた。しかし、暗い部分を見ることによって、明るい部分を見ることができる。屍体解剖と臨床医学の融合とは、そういうことであろうか。それぞれに役割を与えるとしたら、死の原因を屍体解剖に求め、生の原因を臨床医学に求めるといったところであろうか...

3. クリニック
初期の臨床では、あらゆる疾病を一つの平面上に収めた図表があり、医師はその図表と睨めっこしながら患者に接したという。診察とは、図表上の座標を決定づけることで、疾病を記号として眺めることであったと。現代風に言えば、聴診器をあてたり、直接手で振れたりせず、ひたすらコンピュータと睨めっこするといったところであろうか。フーコーは、こうした段階の臨床を診療とは考えず、病床で師と弟子が観察しながら教育の形をとるものだとしている。これに患者の立場を加えれば、真のクリニックが見えてきそうだ。医者と患者は対等な協力関係にあり、医者が患者を治してあげるという類いのものでもあるまい。
さて、クリニックの意識は、フランス革命の混乱期とともに生じたという。至るところでテルミドールの反動による山賊行為が起こると、多くの医師が軍隊に招集される。病院には負傷兵で溢れ、多くの病人が放り出されると、混乱に乗じてイカサマ師が繁盛し、医療品質を崩壊させる始末。
しかし、振り子の針が振れ過ぎると、医療の在り方が見直されることに。執政政府は、臨床講義を医療制度再編成の主要テーマとして取り上げたという。人間味や同情心といったものは、非人間的環境から学ぶものらしい。施設院や救貧院や刑務所のない社会を夢想したところで、やはり貧困は拡がる。幸福過ぎる社会では、むしろ非人間性を助長するのかもしれない。苦悩のないところに、偉大な哲学は生じないだろう。健康な馬鹿ほどタチの悪いものはないのかもしれない。おまけに、酔っ払いとなれば、目も当てられない。おっと、いつの間にか自分を語っている。
理性が非理性から導かれ、生の意義が死体から見つかるとすれば、真理ってやつは怠惰や享楽から見出すことができるかもしれん。クリニックとは、夜の社交場のようなものであろうか。なるほど、心のアフターケアとは、アフターファイブのことであったか...

2013-09-22

"監獄の誕生" Michel Foucault 著

相変わらず難解なフーコー... この怖いもの見たさが、思考の暴走を加速させやがる...
「狂気の歴史」では、ルネサンスの輝かしい歴史の裏で、狂人たちの処遇にも変化が現れたことを物語ってくれた。それは、非人間性から非理性というやや柔らかい概念への移行である。精神病という病の認識が芽生え、光と影が人間性において融合を始めたのである。とはいえ、治療法をめぐっては、監禁されることに変わりはない。
「監獄の誕生」では、その生々しい監獄の設計図が描写される。犯罪者の精神鑑定という見方も、この頃登場したらしい。人類の歴史とは、人間という身分をめぐっての歴史である... とでもしておこうか...

監獄は国家権力の重要な機構の一つであり、それは裁判所や警察機構と協調して機能する。規格外の者をどう扱うか?非行や非理性をどうやって抑制するか?そこには、排除の方法論がある。しかしながら、監視、処罰、矯正といった手口は、一般社会にも根付いている。家庭、学校、企業、病院、軍隊など、あらゆる集団で管理社会が形成され、少し規格から外れると村八分にされる。最高権力者である国王もまた民衆に監視され、やがてギロチン行き。アリストテレス風に言えば、人はみな、生まれつき奴隷のようなものであろうか...
フーコーは、国家権力の在り方をイデオロギーの作用としてではなく、人間本性的な観点から論じる。権力とは、思想観念的なものではなく、ブルジョアジーという新たな階級が生じる中で自然に組み込まれたという。どんなに平等を叫んだところで、やはり階級は生じる。それは、人間の多様性が本性的なものだからであろう。能力の自由を妨げることはできない。問題は、むしろ権力と階級が固定されることの方にある。
かつて、国家権力が処刑の正当性を示すために見せしめを命じれば、民衆の見世物として定着した時代があった。陰謀によって処刑された者も少なくなかろう。自白を強要された者もいるだろう。犯罪の証拠に自白が有効であるのは、現在とて同じ。当時、「死刑囚の断末魔語録」という様式が実存したという。罪の悔み、判決の承諾、神へ詫びる姿など、死刑囚たちの懺悔の記録が処刑の残虐さに正当性を与える。
しかし、いつの時代も真相は闇に葬られる。少しでも疑いのある記述が暴露されれば、探偵文学が活況となり、様々な陰謀説が巻き起こる。三面記事が、極悪非道の人物に仕立て上げるかと思えば、権力との対決振りを英雄伝説に塗り替えることも。皮相的な道徳礼賛の下で面白おかしく書き立てれば、そこに民衆が群がる。はたして苛酷な処罰が、犯罪を抑制しているだろうか?モンテスキューは、過度な刑罰はむしろ法の網をくぐる狡猾さを身につける...といったことを語った。
刑法の役割とは何か?一つは国民の法益を守ることにある。犯罪防止はそのためのものであって、大岡裁きのように悪い奴を懲らしめるためのものではあるまい。けして復讐や賠償のためのものではないのだ。とはいえ、見せしめにしても、強制収監にしても、政治の技術として機能する。そこで、実践的な概念に量刑というものがある。ただし、時代感覚によって量刑に違いが生じるのは自然であろう。あまりに残酷な刑罰が日常化すると、突然虚しさに目覚め、人間性を取り戻したいという感覚に見舞われるかもしれない。
フーコーは、監獄の側から見た人間社会の在り方を問うている。本書は、いかに監視するか?いかに処罰するか?を主題にした国家権力論である。人間の多様性が本性的であるにもかかわらず、刑罰の方はというと、量刑、すなわち刑期で画一化され、究極の刑罰に死刑が位置づけられる。多様性に対して画一的に対処するとは、なんとも奇妙であるが、経済的な政治技術と言えよう。ただし、社会復帰のための矯正や訓育においては、精神鑑定と精神医学によって多様に対処することが求められるが、それも19世紀まで待たなければならない。
フーコーは、人間管理システムの最高モデルは「一望監視方式」にほかならないとしている。こうした画一的な処置を、社会全体の幸福量として計測するならば、功利主義的な発想に近い。実際、一望監視方式を考案したのは、功利主義の主唱者ジェレミ・ベンサムだそうな。

ところで、刑罰には時間の意義が含まれ、刑期は自由の量として換算される。保釈金は時間を買うための手段となる。その金額が、犯罪の重さだけでなく保有資産も考慮されるとなれば、ここにも経済原理が働く。すなわち、需要と供給の関係である。
一方で、終身刑は、死刑と同じく時間の概念を抹殺する。完全に望みが絶たれれば、労働や訓育に無関心となり、もっぱら脱獄と反抗の計画に向けられるという。そこで現在では、時間の概念を失わないように、仮釈放という方策が組み込まれる。確かに、時間は自由意志と直結する概念である。しかし、監獄制度は、希望をつなぐだけで機能するものでもあるまい。塀に囲まれた世界は、ある種の保護地域として機能する。実際、三食が保証された刑務所に戻りたいと、わざと軽犯罪を繰り返すケースもある。

「シャバを恐れてる。50年もムショ暮らしだ。ここしか知らない。ここでなら彼は有名人だが、外では違う。ただの老いた元服役囚だ。白い目で見られる。あの塀を見ろよ!最初は憎み、しだいに慣れ、長い月日の間に頼るようになる。施設慣れさ!終身刑は人を廃人にする刑罰だ。陰湿な方法で...」
...映画「ショーシャンクの空に」より

1. 身体刑の消滅
拷問は、罪人にけして楽な死を与えない。しかも、民衆の見世物となって娯楽化する。処刑台では... 胸、腕、腿、脹ら脛を灼熱したやっとこで懲らしめ... その傷口には、溶かした鉛、煮えたぎる油、焼けつく松脂がたっぷりと注がれ... 身体は四頭の馬に四裂きにされ、手足の関節がもぎ取られる... そこに聴罪司祭が問いかける。生きているか?... これが身体刑の日常だそうな。
なぜ、一人の死にこれほどの手間暇をかけるのか?人間どもは、よほど退屈なのだろう。伝統的な裁判では、残虐な処罰が道徳の下で正当化されてきた。恥さらしが目的化すれば、死体になってもなお晒し者となる。そして、残酷な日常が民衆を狂気させる。道徳の暴走とは、実に恐ろしい。本書は、数世紀に渡って理性の宗教がなしてきた数々を物語る。人類の野蛮さの刻印として。
「刑罰としての身体刑は、身体へのありとあらゆる処罰を包括しているわけではない。というのは、それは分化したかたちで苦痛を生み出すことであり、刑の犠牲の刻印のために、また処罰する権力の明示のために組織される祭式であって、自分の立てた原則を忘れ自己統御を失ってしまうような司法権力の激怒のすがたではないのである。身体刑の極端さには、権力の一つの経済策全体がもりこまれている。」
しかし、あまりに度が過ぎ、権力者の憎しみまでも正当化されれば、どちらが罪人なのか?見物人は疑問を持ち始める。18世紀から19世紀頃、身体刑が簡略化し、死刑の苦痛にも平等という概念が生じたという。
ただ、イギリスは身体刑の消滅に最も抵抗した国の一つだという。その理由は、イギリスの刑事裁判が陪審員の設置と、訴訟手続の公開と人身保護令状の尊重によって、模範的な役割を与えていたからだという。刑法の厳格さを減少させたくないという思惑があったようだ。尚、モンテスキューの「法の精神」によると... イギリスでは、拷問を認めず第三者の証言を重んじるが、フランスでは、証人を怯えさせることを法の原理とする... といったことが語られていた。人道的な法律という意味では、イギリスの方が進んでいる印象を与えるが、ここでは逆説的に語られるところに注目したい。
さて、死刑執行が見世物でなくなれば、司法と死刑囚との間で機密が生じる。密室において拷問が隠蔽されることも。警察権力の暴走は、民衆の暴走にもまして恐ろしい。そこで、法による厳正な規定が必要となる。法理論家たちは、罪の意識を目覚めさせることが動機となり、残酷さが少ないほど穏やかさは増し、人間らしさが増すと考えるようになる。刑罰は、身体に刻むのではなく、精神に刻むものであると。身体刑に対する反対運動が生じれば、国家権力は残忍者の代名詞となる。そして、国王たちもまた、自ら守ってきた残酷な伝統によって晒されることに...

2. 自白の両義性
犯罪訴訟の手続きにおいて、証拠と第三者の証言に信憑性があれば、原理的には自白は必要としないはず。しかし、現実の取り調べでは、自白を中心に展開される。ここには、奇妙な両義性が介在する。一つは、自白は他のいかなる証拠よりも説得力がある反面、嘘は自白にも他の証言にも内在するということ。二つは、自白は自発的であるべきだが、同時に強要されるということ。自由意志は、おそらく人間の本性的なものであろうし、自発的な懺悔ほど説得力のあるものはない。だが、自由意志の扱いをちょいと間違えると、自発性とは程遠いものとなる。それは、平等とて同じ。自由や平等といった癒し系の言葉は、心地よく響くだけに悪用されやすい。
さて、人間はどこまで拷問に耐えることができるだろうか?自白の強要など簡単なことかもしれない。そこで、ちょいと視点を変えて、監獄を社会復帰のための装置として眺めると、自白の扱いも変わってくる。刑罰や監禁制度は再犯防止として機能しているだろうか?それは再犯率が物語っている。刑罰が非行性を助長することもある。一度、加辱刑を受けたものは、晒し者とされることを恐れないかもしれない。刑罰が日常化すれば、脅しの効果も薄れるだろう。酔っ払い運転を撲滅するために処罰を強化しても、却って事故現場から逃げ去るという悪質が生じる。タクシーやバスの運転手が、前日の晩酌のために検査にひひっかかれば、職を失い、人生をも狂わせる。軽い酒気帯びから悪質の酔っ払いまで、一緒くたに社会的制裁を受けるとすれば、そこに量刑は機能しているのだろうか?刑罰が社会の価値観に適った程度で規定されなければ、罪に対して自発性を促すことは難しい。刑罰がその性質上、強制執行されるのは当然である。だが、そこには自由意志との和解によって成り立つ側面があることに留意したい。

3. 人間機械論
兵士は勇ましさの紋章のような存在で、18世紀後半には身体全体を服従させ、人間機械を形作ったという。農民の物腰を追放し、兵士の従順な態度を持ち込む。直立不動で胸をはり、しっかりとした足取りで行進する。そういう姿に、子供たちは憧れる。ある種の国家意識の高揚である。
「人間論(= 機械論)」として受け継がれる書物は、二つの領域から書かれたという。一つは、最初にデカルトが書き、医師や哲学者たちに継承され、解剖学や形而上学として花開いた領域。二つは、軍隊、学校、施設院における規則の総体として、矯正や反省をうながすための技術となった領域。前者では作用と説明が、後者では服従と効用が重視される。とはいえ、双方の領域には重なる点がある。服従させるとは、役立たせるということ、従順さを仕込むということ。すなわち、政治的な自動人形という権力モデルである。
軍隊的な規律や訓練が支配の一般方式になったのは、17世紀から18世紀だという。その代表格といえば、徹底した軍隊訓練に執心したフリードリヒ大王であろうか。それは禁欲苦行や修道院型の規律や訓練と違って、自分自身の身体統御を主要目的とし、名誉と誇りで支えられる仕組み。強制の形態でありながら、うまいこと奴隷制を免れるやり方で、身体が権力装置に組み込まれた積極的強制モデルである。モーリス・ド・サックス元帥の著書「我が夢想」には、こう書かれているという。
「細部に専念する人々は偏狭な人間だと見なされているが、しかし私には、この部分は根本的であると思われる。なぜなら、この部分が基礎であるからだし、また、その成分をもたなければ、どんな建造物をつくることも、どんな方式をうちたてることも不可能であるからだ。建築趣味をもつだけでは充分ではない。石の刻み方を心得ていなければならないのである。」
こうした細部に渡る合理的組織化は、古典主義時代に始まったものではない。政治分野は、立法、司法、行政、軍隊、警察、外交、経済、教育...と、多くの部門に分かれる。学問にしても、細部まで極めようと専門化が進み、いまや総合的な知識として眺めることが難しい。数学ひとつとっても、幾何学、代数学、微分学、解析学、確率論、集合論、情報理論など、それぞれが有機的な存在となっている。こうした分化構造を縦割り構造と言うのかは知らん。人間社会の合理性とは、人間を機械化しようという目論見なのかもしれん。

4. 一望監視方式
建築学的には「一望監視方式」という形象があるそうな。「パノプティコン」とかいうやつか。本書には、ベンサムの考案した図面が添付される。すぐに思いつくものは、一面を見通せる鉄塔から囚人をライフルで狙うといった監視システム。映画の見過ぎか?それはさておき、監視とは、いわば管理方法の一つであり、あらゆる共同生活に関係する事柄である。仕事におけるプロジェクトチームにも、家族構成にも。
事細かく監視を必要とする教育をするか、ある程度の自由裁量を認めても大丈夫なように教育をするか、どちらが人間らしいかは、ここでは議論しないでおこう。とりあえず、好みの問題としておこうか。権力者は、監視方式を画一化することを好む傾向があるようである。そんな規定を作るだけでも面倒であろうに。哲学的な共通観念を植え付ける方が、はるかに合理的であろうに。ただ、どんな方法を用いても、規格外の者は生じる。それが、人間の多様性というものであろうから。そして、政治における最も重要な事項は、教育ということになろうか。国民全体の意識が、目先の欲望や目先の風潮に向かうようでは国家の行く末も危うい。多種多様な価値観を育みながら、哲学的な共通観念を築くこと。つまり、真理において統一された多様な観念とすること。そして、監視は信頼において機能するということを付け加えておこう。警察権力や法律に無条件で従うのも、信頼の証である。では、政治家が率先して法の網をかいくぐろうとするのはなぜか?国家に信頼が置けないということか?俺が法律だ!とでもいうのか?いや、法の限界実験をやっているに違いない。
監視は長らく見世物とされてきた。円形競技場で奴隷たちの流す血などは、国家行事の娯楽であった。狂気を見世物とすれば、見物人までも狂気する。やがて、臭いものには蓋!という意識が広まる。しかし、どんなに人間の本性を覆い隠そうとも、タブー社会の中に投影され続けるだろう。

5. ナポレオン法典と拘禁制度
当時、監獄の歴史はナポレオン法典とともに創設されたと言われていたそうな。フーコーは、その歴史はもっと古いと語る。ただ、18世紀から19世紀に転換期が生じ、監獄は拘禁中心の刑罰制度へ移行したのも事実だという。監獄は、拷問のための待合所から、社会復帰のための拘束所へ。大航海時代から産業革命の潮流に乗って、主産業が農業から商業や工業へ移行する中、様々な商取引における法律が整備される。自由市場の暴走が、法の進化を促進するとは。それでも、資本家階級の台頭で、王族や貴族や聖職者といった特権地位を転覆させた功績は大きい。
さて、ナポレオン法典は民法典という印象があるが、刑事訴訟法や刑法、あるいは商法なども定められるという。五法典もあるとは知らなんだ。監禁制度に関しても規律と訓練が厳格に定められ、拘禁は単なる自由剥奪と混同してはならない、といったことが記載されるという。罪の重さによって、留置場、懲治監獄、中央監獄で収監場所が区別され、拘禁の仕方も区別され、労働と食事の在り方から就寝時間や起床時間などの囚人規定も定められているとか。改心の目的が明確に規定されていることは、注目すべきであろう。
監禁機構を行政の一部として取り込んだのが、拘禁制度ということらしい。19世紀になると、行政上の手続きとして、受刑者の精神報告も義務付けられたという。凶暴性や非行性に対する病理学的な見地が導入されると、狂気が精神病として認識されるようになり、やがて監獄の普遍的な方法が研究されていく。裏社会の研究は、社会学の本質の領域にあるのだろう。人間の本性は、むしろタブーの側にあるのかもしれん。

2013-09-15

"狂気の歴史" Michel Foucault 著

「パスカルによると... 人間が狂気じみているのは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう。」
いきなり投げかけられる文面が、これだ。この手の難解な書には、ある種の麻薬効果があって、なぜか心地良い。そして、思考が勝手に暴走を始めるのだ。なぁ~に、いつものことよ...

ミシェル・フーコーは、別種の狂気についても歴史を書く必要があると語る。物語は古典主義時代に遡る。カトリック教の強烈な支配下で多様性が失われると、ギリシア、ローマ時代の自由意志を懐かしむ風潮が生じ、古典回帰の文化運動が巻き起こる。いわゆるルネサンスだ。フランスではやや遅れて17世紀頃、ドイツではもう少し遅れて18世紀頃波及。この17世紀から18世紀にかけて、非人間扱いされてきた狂人たちの処遇にも変化が現れたという。そこには、ルネサンスの光明の陰で、監禁や牢獄とともにタブーとされてきた暗黒の物語があったとさ。この状況に最も当てはまる人物といえば、マルキ・ド・サドであろう。サドの前では狂気ですら完全な見世物となる。狂気は、長らく怪物のように扱われてきた。
ところが、古典主義時代に「非理性」という概念が登場したという。この用語は、怪物より柔らかい印象を与える。精神病や臨床医学という認識が広まり始めたのも、この時代だそうな。狂気もまたルネサンスの潮流に乗って、自由意志としての人間性を取り戻そうとする。とはいえ、治療法をめぐっては、監禁されることに変わりはない。狂気を研究すれば、理性との結合や分離について考察することになる。理性との結合から生じる人類愛ってやつは、どこからくるのか?盲目的な残虐行為への反発からくるのか?過去の狂気を批判する者もまた、叙情的な憤慨を剥き出しにする。自己存在を堅守するために理想論を並べたところで、別種の狂気に憑かれる。真理の偉大さを語れるのは、ただ沈黙のみ、ということであろうか...
「理性の真の姿は、理性が否認する狂気をただちに出現させ、今度はこちらが、理性を消滅させる狂気のなかに姿をけすことにある。」

一般的に狂気に対抗できるものは、理性とされる。確かに、狂気と非理性は相性がよさそうである。では、理性と非理性を分けるものとはなんであろうか?人間性を知ろうとすれば、非人間性との境界を探求することになる。理性を知ろうとすれば、理性の限界を見極めることになる。道徳もまた、悪徳への皮肉から生じる。理性とは、自由意志によって構築されるものであって、受動的な動機から生じるものではあるまい。
一方で、自由意志は束縛への反発から生じる。天才たちの超人的な集中力や芸術的な創造力もまた、自然や宇宙による束縛への反発であろう。まるで狂気の沙汰よ!すると、非理性を安直に悪徳と同一視するわけにもいくまい。狂気は理性とも相性がよさそうである。ソクラテス流に言えば、無理性を自覚する者こそ理性者ということになろうか。
「狂人は人間存在として取り扱われない、というこの否定的事実は、きわめて肯定的な内容を持っているのであって、人間扱いしない無情なこの無関心は、現実には強迫観念という意味あいを含んでいる。」
しかしながら、狂人たちに人間失格の烙印が押されるのは、今も変わらない。狂気の代名詞は、気違い、錯乱、暗愚、間抜け、気のふれた、頭が変、低能、痴呆、阿呆、白痴、馬鹿...と事欠かない。現代社会で「きちがい」が禁止用語とされるのは、真理を覆い隠そうという魂胆か?差別する側が狂気しているのは明らかだが、言葉の揚げ足を取って差別用語だと叫ぶ側もまた荒れ狂う。有識者や有徳者と呼ばれる人たちは、いくらか理性を具えているのだろう。そんな正気な人たちでさえ、無情な言動を通して認知し合っているではないか。理性という陰謀が、感情的な正義の声に耳を傾け、静かに囁く真理の声を抹殺する。しかも、理性は心の奥底で非理性と対峙しながら、常に緊張状態にある。理性者たちが突如として怒鳴りまくるのは、緊張を和らげるためか?これが説教ってやつの正体か?彼らは、言葉で勝利してもなお憤慨する。ならば、狂気を受け入れる方が、よほど平穏でいられるであろうに...
ちなみに、おいらがディオゲネスを好むのは、プラトンに「狂えるソクラテス」と仇名されたからだ。狂気バンザイ!無理性バンザイ!無知性バンザイ!ついでに、酔っ払いバンザイ!アル中ハイマー病バンザイ!

ちと脱線するが... もともと脱線しているが...
一霊四魂という思想があると聞く。勇、親、愛、智によって構成される魂が、一つの霊によって統括されるという思想である。いずれの魂も孤立すれば、邪気となる資質を具えている。邪気が悪魔の手に落ちれば、たちまち邪悪な鬼と化す。血塗られた歴史の陰には、いつも邪鬼が住み着いていた。アダムとイブが禁断の果実を食して以来、人間は神の善意を解することができなくなり、お釈迦様ですら菩提樹の下で心を惑わせた。イエスは敬虔な使徒に裏切られ、シーザーは誠実な盟友にあやめられ、芸術を愛した皇帝ネロを暴政に狂わせ、ボルジア家を強欲の代名詞とさせ、建築家を夢見た内気なヒトラーをば悪魔へ変貌させた。人間の魂には、恐ろしき邪鬼の棲家がある。
なのに、芸術家の目覚めは精神を悟るに、いくら狂っても足りない。四魂の邪鬼を存分に解放させ、猛烈な狂気の中に調和を目論む。凡人には到底及ばない芸当だ。
しかし、能力を欠いていても夢を描くことはできる。そして、夢もまた狂気するのだ。偉大な夢を実現できたら、どんなに幸せであろう。せめて、過ちを夢に閉じ込められたら、どんなに楽であろう。そして、酔っ払った狂人の悲痛な叫びを聞くがいい... おいらはハーレムに収監されたいのだ!

1. 狂気の秩序と排他的領域
狂気とは、脱理性から生じる理性のようなものであろうか?カオスやエントロピーが真理だとすると、無秩序から生じる秩序があってもいい。宇宙空間を構成するものは、人工的な美でもなければ、形式的な美でもなく、自然の乱雑さがあるだけ。なのに、そこにも秩序らしきものが生じる。まさに人体がそれだ。この集合体は、単なる原子の集まりだけでは説明できない。自然の産物である人体に合目的があるとすれば、人体の中に形成される狂気にも恣意性があるのだろうか?
狂気が、暴走する理性への反発から生じるのかは知らん。ただ、理路整然とした構成美に対するアンチテーゼとすることはできそうである。常識だけでは思考は乏しい。理性だけでも精神は乏しい。あらゆる進化には、秩序を超越した秩序のようなものが必要なのだろう。人間が自由意志の持ち主であるならば、人間同士で摩擦が生じない、なんてことはありえない。ましてや集団化すれば、個人の冷静さなど無力化される。集団性が常に狂気する危険性を孕んでいるとすれば、社会から一線を画すのも一つの手かもしれない。戦争は明らかに狂気であり、平和ボケも別種の狂気である。グローバルな共通観念を押し付ければ、存在本能としての帰属意識を働かせ、社会嫌いや人間嫌いを助長させる。仮想的なつながりを煽れば、孤独愛好家を増殖させる。
まだ精神病患者が救われるのは、狂気を自覚できることであろう。いや、自覚した途端に死に追いやられるかもしれない。最も厄介なのは、歪んだ精神では狂気していることにも気づかないことであろう。理性と狂気は対立的に扱われるが、理性を自認する者が狂気を自覚できるだろうか?
人間が排他的論理を好むのは、自己が優位な領域にあると願っている証であろう。はたして、正気と狂気の境界はどこにあるのか?排他的領域は、精神病棟の鉄格子によって隔離される。もし、その境界が鉄格子だとしても、異常者を隔離するためのものか?純真な心を保護するためのものか?そして、自分はどちらの側にいるのか?真理を探求するには、隔離よりも調和の方に分がありそうだ。
未来への希望は、過去の悲劇との相殺によって、精神の平穏を保とうとするのだろうか?幸せな人ほど悲観論を語るのか?それとも、悲観的な出来事に馴らされてしまった結果なのか?極端な悲劇を体験をすると、笑顔を見せないばかりか喜怒哀楽までも失う。人は幸福過ぎても不幸過ぎても、やはり冷酷になるようである。精神分裂症が理性と狂気の分裂によって生じるとすれば、理性を知ることができるのは精神病棟の方かもしれん。
「宿命的に人間を無に帰していた、死というあの必然性の発見から、人々は、実在それじたいであるあの無を軽蔑のまなざしで観照する態度へ移ったのである。死というあの絶対的限界をまえにしての恐怖が、不断の皮肉のなかに内在化する。」

2. 慈善事業と信仰
富裕も貧乏も、幸福も不幸も、神のおぼしめしとするなら、慈善事業は成り立たない。激しい慈善事業の拒否は、ルターやカルヴァンにも認められるという。キリスト教が神に縋る消極的な信仰とされる所以である。慈善事業は、信仰的に行われるべきものではなく、法的に処理すべきものだという。基本的人権としての最低生活水準を、社会が規定すべきということであろう。慈善事業は一時的な支援に留まり、永続的な解決にはならない。宗教的な施しも貧困や悪徳を撲滅することはできない。ここに救済の難しさがある。
とはいえ、突如として発生する災害や災難に対して慈善事業はよく機能する。慈善はカトリックの信条とするところ。実際、キリスト教の多くの国々で、災害や戦争で孤児や難民が発生すると、その身元を引き受けようという意志を示し、感服させられる。他方、善意というものは、なかなかの曲者であることも否めない。拒否されると、せっかくの行為を!と反発を買い、悪意を拒絶すれば、見破られたか!と逆ギレされる。どっちに転んでも憤慨されるとなると、善意も悪意も有難迷惑な存在か。
多くの国で、道徳は宗教で教わるものという伝統がある。確かに、人間には信仰が必要である。だが、宗教に頼らなくても信仰は構築できるし、既存の宗教の胡散臭さを無条件で信じるよりは無宗教の方がましであろう。実際、宇宙論的立場から独自の信仰を構築している科学者も少なくない。感情論的なキリスト教を批判し、論理的に修正を加えながら独自なものにするキリスト教徒もいる。おいらは無神論者に極めて近いが、それでも宇宙論的な絶対的な存在のようなものがあると思っている。それを神と言うのかは知らんが、少なくとも宗教が呼ぶ神とは同列にしたくないだけだ。神が見ておられるから道徳を行うと言うのなら、神が見ていなければなんだってやるのか?人間の都合で神を具現化する方が、よっぽど神の冒涜であろうに。とはいえ、独自の神を構築すれば、これまた暴走を始める。結局、人間ってやつは、ご都合主義に染まるのよ。そして、みんな教祖様となって聖職者は貪欲な生殖者となりはてるのか...は知らん。

3. 臨床医学への意識
学問の傾向は、まずは現象を分類しながら、抽象化によって高められていく。対して人間の病状はというと、一人一人に特徴が現れ、治療法は個別に対応させる必要がある。そんなことは、心理学者よりも福祉現場で働く人たちの方がよく心得ていて、患者の癖や行動様式を事細かく記録する。人間観察では、抽象化よりも具現化に縋る方がよさそうである。学問と人間観察とでは、思考の方向が真逆にあるのか?いや、双方を調和させるべきであろう。精神性と論理性も、人間性と自然性も。ヘーゲルは、こう書いているという。
「ほんとうの心理的治療は、狂気が知性の点でも意志とその責任能力の点でも理性の抽象的な喪失でなくて、単なる精神の混乱であり、依然として現存する理性のなかにおける矛盾である。」
狂気の歴史とは、監獄の歴史でもある。監獄は、人道的とは反対で、人類愛的ではなく極めて政治的な手法である。だからといって、非人道性を非難するだけでは、社会秩序を維持することができない。道徳的治療では、労働こそが第一とされる。労働によって狂気に拘束力を与えるならば、それが最善となろう。だが、強制労働に頼れば、道徳を根付かせるどころか、むしろ反道徳を育てる。なのに、どういうわけか?有識者ほど狂人を拘束したがるようである。ボアシエ・ド・ソヴァージュは著書「組織的疾病分類学」の中で、こう書いているという。
「魂の病を治すことができるためには、哲学者でなければならない。実際、この病の起源は、病人が善と見做す、一つの事柄への激しい欲望にほかならないのだから、医師のなすべき義務は病人に、彼が熱望している事柄は表面的には善であっても実際には悪であるのを、明確な理由によって証拠だててやり、自分の誤りをさとるようにすることである。」

4. 自由の使い道
モンテスキューは著書「法の精神」の中で、ローマ人の自殺とイギリス人の自殺とを対照的に語っている。ローマ人の場合は、道徳と政治にかかわる行為で慎重な教育に基づく計画的な結末であるとし、イギリス人の場合は、一つの病気としして、こう述べている。
「イギリス人は、その決心をしなければならないどんな理由も他人には考えられないのに自殺する。彼らは幸福のさなかにおいても自殺する。」
また、法律でどんなに厳しく取り締まろうとも、やはり法の抜け道を探るもので、風土に根付いた意志を無視すれば、むしろ狡猾さを身につけることになる、といったことも語っている。本書にも似たようなことが語られる。
「イギリス人は商業国民を形づくっている。つねに投機に夢中になっている精神は、たえず恐怖と希望に左右される。商業の核心にある利己主義は、容易にねたみ深くなり、他のさまざまな能力に助けを呼びもとめる。」
こうした自由は、自然な自由とは程遠いものだと指摘している。それは、個人や組織の利害にまつわる自由で、人間精神と心情とにかかわる自由ではないという。現在でも、経済的に成功した国で自殺が増加傾向にある。それは、偽りの自由の代償であろうか?真の幸福の姿が見えなければ、自然に不幸に吸い寄せられる。そして、狂気を演じながら、本当に狂気するのだろうか?金持ちほど自由になれるとすれば、その社会は専制的となる。どんなに賢明な御仁であっても、自惚れが知性を曇らせ、理性をも失わせるのに、ほんの一瞬あれば事足りる。魂に加えられる激しい情念が、どんな理性的な人間をも、突如として凶暴で愚鈍な人間に変貌させる。人間は、常に恐怖心や不安感に苛まされる臆病な存在である。その重圧から解放された途端に、極端な本性を剥き出しにする。普段から自由を抑制された者ほど、その反動は大きくなるだろう。厳しい鍛錬の裏腹に、能力を人質にするのか?理性の自由独立は、非理性の場において解放されるというのか?ならば、狂気を崇拝する宗教があっても不思議はない。狂気は、愚かさの爆発でもある。そして、あらゆる受難の道を辿り、愚かさを崇拝するというのか?
「死が時間の側面における人間生命の限度であるように、狂気は動物性の側面におけるその限度であって、死がキリストの死によって神聖視されたのとまったく同様に、狂気は、そのもっとも動物的な面までも、やはり神聖視されたのである。」

2013-09-08

"法の精神(上/中/下)" Charles-Louis de Montesquieu 著

三権分立論で知られるモンテスキュー。その著書「法の精神」は、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に多大な影響を与え、いまや近代政治の骨格となっている。しかし、それだけなら興味を持つことはなかっただろう。なにしろ説教じみた話は嫌いなのだ。
注目したいのは、様々な政体や法律が風土と深く関わることを論じ、社会学や歴史学の領域に踏み込んでいる点である。そこには、慣習法が成文法となりうるための自然条件が語られている。宗教との関係を論じるあたりは、カトリック教に特別な地位を認めず、諸民族の宗教から相対的な地位を与えたとして批判され、1751年禁書目録に加えられた。こうした背景が、酔っ払った反社会分子には一際輝いて映る。これは、法律について語った書ではない。人間にとって法律がいかに自然本性的なものであるかを語った書である。
また、もう一つ興味を惹くのが... モンテスキューの思想をいちはやく批判したのが、ルソーだそうな。ルソーと言えば、教育者としての印象が強く、避けてきた領域であるが、いつの日か、この批判的な立場にも触れてみたい!... という気分にさせてくれる。
「私が共和政体における徳と呼ぶものは、祖国への愛、すなわち平等への愛だということを注意しておかなければならない。それは、決して道徳的な徳でもなければ、キリスト教的な徳でもなく、政治的な徳である。」

モンテスキューが生まれたのは、1689年。太陽王ルイ14世による絶対君主制が旺盛で、フランス革命はなお百年先のこと。一方、イギリスでは名誉革命が権利章典を結実させ、自由主義的な立憲政治の基礎が固まろうとする頃。政教分離の思想が明確に現れ始めたのも、この時代であろうか。
分類するとすれば、フランスはカトリック国、イギリスはプロテスタント国となろう。モンテスキューは、カトリック教には君主政がよく適合し、プロテスタント教には共和政がよく順応するとしている。もしくは、制限政体にはキリスト教がよく適合し、専制政体にはマホメット教がよく適合するとしたり、輪廻の教義については極端な善悪をもたすとして、真の魂の不死とは別物のような言いようで、切腹文化に至ってはどんな些細な罪でも死で片付けてしまい、もはや法すら機能しないとしたり、フランス人らしい苦々しい気高さを感じないではない。人間精神の本性が自由意志にあるとすれば、キリスト教が自由と最も相性がよく、人間社会に最も適合するということらしい。
しかしながら、自由や平等という概念ほど多くの解釈を与え、人々を惑わせてきたものはない。ヨーロッパでは西洋中心主義やキリスト教優越主義の全盛の時代にあって、その脱皮を図った作品に位置づけられるとしても、この程度で禁書にされるとは...よほど病んでいた時代なのだろう。そして、雄弁術に右往左往する21世紀の民主政治の有り様を見て... やはり数百年後に、よほど病んでいた時代と評されるのだろう。
「知識は人々を穏和にする。理性は人間性を高める。他方、人間性を否認させるものは、ただ偏見だけである。」

さて、権力分立の原理は、古代ギリシアの政体に現れ、既にプラトンやアリストテレスによってその構想が述べられている。真の徳の持ち主によって政治がなされるならば、どんな政治体制であろうが問題はあるまい。だが、自分の徳に自信を持った時点で、理性は崩壊へ向かう。プラトンは、真の愛智者を無知を自覚する者とした。政治家の資質でよく槍玉に挙げられるのが、道徳的節度の欠如である。彼らは、こぞって政治には金が必要だと主張する。権力に大金が結びつくと、誰もが盲目になるということを知りながら。これが人間の本性だとすれば、道徳的な人間を前提にした政治は、非現実的ということになりはしないか。毒を以て毒を制す!の原理に縋るしかあるまい。
「極端に幸福な人間も、極端に不幸な人間も、同様に冷酷になりやすい。修道士と征服者とがその証拠である。優しさとあわれみとをもたらすのは、中庸および幸運と悪運との混合のみである。」
過度に拡大された権勢に様々な制限を設けない限り、無政府状態と大して変わらない。自分の事がよく見える天才は、ほんの一握りしか存在しないだろう。政治家が中庸の道を避ければ、政治不要説が拡がる。モンテスキューは、良心や道徳だけで人間社会を構築することに限界を感じたのかもしれない。彼が問題とするのは、義務を強制するのではなく積極的に義務を果たすように仕向けること、人々が自然に律するように動機づけること、そんな手段となりうる法律を探求することにある。
人はみな欲望を持ち、弱さを持つ。だからといって、恐怖心や強迫観念で行動を抑制しようとすれば、すぐに行き詰まる。人間は生まれながらにして、平等に自由が与えられるのかは知らん。それを仮定してみても、自由を野放しにすれば、他人の自由を迫害する。自由は尊大であるがゆえに自惚れやすく、一旦手に負えなくなると、逆に自由を失い、奴隷的な社会となる。人間には、隷属することすら、すぐに馴らされる性質がある。それでもなお礼儀正しくいられるのは、自尊心のおかげであろうか。公共的自由と個人的自由を混同してはなるまい。だからといって、平等を崇めても同じこと。能力差は自然に生じるもので、個人に得手不得手があるから社会が機能する。公共的平等も同じく公共的な徳と結びつくものであって、バラマキ的平等と混同してはなるまい。
ところで、固定観念から完全に解放された者など存在しうるだろうか?真の自由人になれないのは、思惟する生命体の宿命であろうか?ならば、自由人とは、自らの自由を自ら制限できる者としておこうか。そして、法律だけで裁いてはならない罪がある一方で、法律では裁けない悪がある、ということを心に留めておきたい...
「アリストテレスは、ある時にはプラトンに対するその妬みを、またある時にはアレクサンドロスに対するその情熱を満足させようと欲した。プラトンは、アテナイ人の専制に対して憤慨していた。マキャヴェリは、その崇拝の的であるヴァレンチノ公のことで頭が一杯であった。トーマス・モアは、自分で考えていたことよりも、自分が読んだことのあることを多く語っているが、ギリシアの都市の簡明さをもってすべての国を統治しようと望んだ。一群の著述家は、王冠が見えないいたるところに無秩序を見出していたのに、ハリントンには、イギリス共和国しか目に入らなかった。法律は、常に立法者の情熱と先入観に出会っている。法律は、あるときにはそこを通り抜けてその色に染まり、あるときにはそこにとどまってそれと一体化する。」

1. 政体と原理
アリストテレスは、正しき国制を王制、貴族制、国制で分類し、それぞれの逸脱した形態を僭主制、寡頭制、民主制で区別した。モンテスキューは、「共和政体、君主政体、専制政体」の三つに分類する。共和政体は、人民の全体や一部が権力を掌握する形で、民主制も貴族制もここに含まれる。君主政体は、統治者が一人ではあるが、しかし確固たる制定された法律によって統治される形。専制政体は、法律も規則もなく、万事がただ一人の意思と気まぐれによって引きずられる形。そして、君主政体を動かすバネが名誉で、民主政体を動かすバネが平等だという。
また、宗教的観点から「制限政体」「専制政体」でも区別される。
さて、国事というものは、遅すぎても速すぎてもダメで、一定の動きで進むことが望ましいという。だが、民衆の動きは、いつも激しすぎたり、鈍すぎたりする。そこで、精神原理においては、人間本性的である羞恥心と嫉妬心を挙げ、これらに対抗するために自尊心を位置づけて、法律の在り方を論じている。しかしながら、これら三つの情念ほど荒れ狂うものはない。愛の濫用から生じる熱病のごとく。
「人間を治めるのは中庸であって過度ではない、と私はくり返し言いたい。」
民主政体では、いくつかの階級が自然に生じ、完全に平等とならないことが存続と繁栄をもたらすだろう。そこには、人間の多様性がもたらす原理がある。逆に言えば、階級の在り方が弱点となる。人間社会の多様性を認めるならば、他人が政体を押し付けていい、ということにはならないだろう。たとえ民主主義が人間社会にとって最善だとしても、多様な民主政体が生じていいはず。なのに、貧困国に欧米型の民主主義を押し付けるというやり方が相変わらず繰り返される。何もない所に形を見出すには、お手本があると助かる。だが、あまりにも道徳を崇めるがゆえに、風土によって育まれてきた価値観を見落としてしまう。政体を押し付けるということは、宗教を押し付けるのと同じことなのかもしれない。
また、政体の原理が健全であれば、悪しき法律も良き法律の効果を持ち、原理の力がすべてを導くという。政体の原理がひとたび腐敗を始めると、最良の法律もまた最悪の法律になると。確かに好転した共同体では、自然な秩序が生まれる。それは、会社の組織や仕事のチームにも言えることだ。国家が原理を少しも失っていない時には、良くない法律というものはほとんど存在しないという。ちょっとでも酷い法律が編み出されれば、国家が原理を失う兆候ということか。なるほど、法律の及ぼす効果が、国家の健康状態のバロメータにできそうだ。
「法律と習俗の間には、法律がよりいっそう公民の行動を規制するのに対し、習俗はよりいっそう人間の行動を規制するという区別がある。習俗と生活様式の間には、前者がよりいっそう内面的な振舞にかかわり、後者が外面的な振舞にかかわるという区別がある。」

2. 民主政治とソロン
民主政治を語る上で、アテナイに最初の民主政治をもたらした人物を無視するわけにはいくまい。ソロンは公民を四階級に分けたという。裁判役や役職を選ぶことのできるのは、生活にゆとりのある上位三階級。共和政体では、投票権を持つ者を区分することと投票の仕方が、基本的な法律になるという。まずもって公民会を構成すべき公民の数を決めることが大切である。そして、抽選による選出は民主政に相応しく、選択による選出は貴族政に相応しいとしている。しかし、抽選だけでは欠陥があり、無能者が選ばれる可能性が高い。そこで、ソロンは、文民的役職や軍職は選択によって任命し、元老院議員と裁判役は抽選で選ぶように定めたという。さらに抽選の欠陥を補うため立候補者の中からしか選ばれないこと、選ばれたとしても裁判役によって審査されること、しかも誰でも不適格者を提訴することができることを定めたという。本格的な民主政体だったようだ。2500年前にリコールの仕組みが配慮されているとは...
また、元老院や貴族団体が徒党を組む危険性を指摘し、投票が公開であることが共和政体の基本法律であるとしている。尚、キケロは、ローマ共和政の末期に投票を秘密にした法律が、没落の原因になったと指摘したそうな。ただ合点がいかないのは、人民の側は徒党を組む危険はないとしていることである。情熱をもって行動するからだそうだが、人間ってやつは何かと派閥やグループで集まり、その中で安住したがるもの。地元出身というだけで投票したり、有力者が推薦するだけで投票したり、挙句に利益供与のたかり屋となった後援会もどきが徒党と化す。こうした現象は、モンテスキューの時代には、まだ見られなかったのだろうか?
それはさておき、ソロンは、裁判機構においても巧みに権力の濫用を分散させているという。従来から寡頭的に存在するアレイオス・パゴス評議会や、貴族的な公職者の選出に対して、民主的な裁判所を設け、民衆に要職者を糾弾する権限を与えているようだ。民主政体では、人民が法律を作ることが基本となる。そのために多くの欠陥法が作られるだろうし、法律は常に実験に晒される。ローマやアテナイの共和政体が賢明だったのは、元老院の決定が一年間だけ法律の効力を持つこと、そして人民の意思によって永続的になったことだという。
歴史的には、有徳な君公が少ないというわけでもないらしい。むしろ人民が有徳であることが難しいという。確かに、隷属的な人間が有徳となることは難しいだろう。民主政体では、人民が元老院や役職者や裁判役から職務を略奪する時に消滅するが、君主政体では、個人が諸団体の特典あるいは諸都市の特権を奪う時に腐敗するという。その違いは、万人による専制政体か、一人による専制政体かぐらいであろうか。フランス革命時に生じた恐怖政治を予言していたわけでもなかろうが。正義が集団性の毒牙にかかると、これほど暴走しやすいものはない。徳が必要なのは、特に民主政体においてなのかもしれん。
「高官たちの偏見は、もとはといえば国民の偏見から始まった。無知蒙昧な時代には、たとえ最大の悪事を犯した場合ですら、人はそれについてなんの疑いももたないものであるが、光明の時代には、最大の善事をなした場合でも、人はなお心おののくものである。」

3. 連邦共和国と地方分権
共和国が小さな国家であるのは、その本性からきているという。大きな共和国では、共同の善が無数の考慮の犠牲にされ、例外に服し、偶然に依存することになると。小さな共和国では、公共の善はよりよく感じられ、よりよく知られ、公民により近くにあると。ここには、地方分権の意義が語られている。公共の善が濫用されやすいのは、大きな共同体ということか。古代ギリシアの栄華は、まさにポリスの連合体から生じた。
共和国は、小さければ外国の力によって滅び、大きければ内部の欠陥によって滅びる。おそらく、民主主義の機能しやすい規模というものがあるのだろう。モンテスキューの時代では、オランダ、ドイツ、スイス同盟が永遠の共和国とみなされていたそうな。すなわち、連邦共和国の形態である。ドイツとは神聖ローマ帝国のことだが、数々の自由都市と君公に服す小国とから成る混成国家。それは、オランダやスイスの連合より不完全だという。君主政体の精神は戦争と強大化で、共和政体の精神は平和と節度で、性格の違う両者が連合すると何かと弊害が起こりやすい。とりわけ、共和政そのものが民衆の共同体のような形態であるから、連合形態と相性がよさそうである。オランダ共和国では、他の州の同意なく勝手に他国と同盟を結ぶことができない。これは必然であり、ドイツにはそれが欠けているという。そもそも、連合する諸国家が同じ大きさだったり、同じような国力だったりすることは難しい。それでも、オランダ共和国では、投票権が各州に一票ずつで平等というところに意義があるとしている。古代ギリシアのポリス連合では、軍事的にはスパルタが、商業的にはアテナイが優位であった。
ところで、共和国が領土を侵さないとなれば、戦争を仕掛けるのは専制国だけということになりそうだが、それは本当だろうか?そして、共和国も君主国も、専制国と戦う羽目になるのか?だとしても、どちらが戦争を仕掛けたかとなると、互いに相手国のせいにする。法治国家であれば、民衆は自国の正義のためにしか戦争を容認しないだろう。少なくとも正義の名目がなければ。それでもなお戦争が起こるのは、民衆が専制国であることを自覚できないからか?なるほど、専制国であっても共和国を称す。

4. 三権分立の原理... 立法権、執行権、司法権
一つ...
「同一の人間あるいは同一の役職者団体において立法権力と執権権力とが結合されるとき、自由は全く存在しない。なぜなら、同一の君主または同一の元老院が暴君的な法律を作り、暴君的にそれを執行する恐れがありうるからである。」

二つ...
「裁判権力が立法権力や執行権力と分離されていなければ、自由はやはり存在しない。もしこの権力が立法権力と結合されれば、公民の生命と自由に関する権力は恣意的となろう。なぜなら、裁判役が立法者となるからである。もしこの権力が執行権力と結合されれば、裁判役は圧制者の力をもちうるであろう。」

三つ...
「もしも同一の人間、または、貴族もしくは人民の有力者の同一の団体が、これら三つの権力、すなわち、法を作る権力、公的な決定を執行する権力、犯罪や個人間の紛争を裁定する権力を行使するならば、すべては失われるであろう。」

5. 風土と法律
「悪しき立法者とは風土の難点を助長する者であり、良き立法者とはそれに対抗する者である」
法律が風俗と合わないために、法律の抜け道の方が慣習化されることが多々ある。現実に、同じ善意の行為であっても、社会によって評価が逆転し、裁かれることすらある。法律の偏重は民衆の心を偏重させるだろう。
さて、冷たい空気は身体の皮膚を収縮させ、より多くの血液を流そうとするため、寒い風土ではより多くの生気を持つ。そのために、北方民族は、勇敢で、勤勉で、自己の優越により多く意識を持つという。一方、暑い風土では臆病で、暑すぎる赤道近辺では怠惰になりがちだという。感受性においては、寒い地方では乏しく、温暖な地方においてより大きくなるという。オペラに対する感受性がイギリスやロシアよりもイタリアによく現われるのは、そのためだとしている。南方ほど道徳から遠ざかり、より激しい犯罪を増加させるんだとか。情熱を助長させて、美徳も悪徳も激情的になるんだとか。ほんまかいな?北方民族に勇気があるとすれば、戦争を好むのも、こちらの方ということか?しかし、古代ギリシアにしても、古代ローマにしても、地中海の温暖な地域に高度な文明を栄えさせ、北方まで勢力を伸ばした。後に北方民族に滅ぼされたとはいえ。
アジアに至っては、ヨーロッパのような安定した温暖地方がないとしている。インド人は、暑すぎるために本性的に勇気がないので、残虐で野蛮な習慣を持つと分析している。近年でも、嫁焼き!という慣習が指摘される。ノーベル賞経済学者アマルティア・センが問題提起した「喪われた女性たち」は国際的に反響を呼んだ。本書は、修道院制度が害悪を作り、暑さが度を越して修道僧で溢れ、瞑想に耽ることが怠惰へと向かわせるという。中国人には、よく整備された厳しい法律が機能する様子を語りながら、その反動かは知らんが、最も狡猾な人民を育てるとも言っている。日本人に至っては、どんな些細な罪も死で片付けられ、法律すら無力だとしている。切腹の慣習を指摘しているのだろうが、当時の西洋の価値観に照らせば、よほど異様な国に映ったと見える。ちょうど江戸時代にキリスト教徒が迫害され、その無節操さの批判も含まれているのだろう。
それはともかく、血液の流れ方は人間の気性に影響を与えるだろうし、気候とも関係するだろう。今でも、ラテン系は陽気で楽観的だとか言ったりする。そして、気候が極端だと怠惰になりやすいというのもあるかもしれない。暑すぎても、寒すぎても、ヤル気が出ん。着眼点は悪くないのだが...

6. 経済活動と法律
商業は破壊的な偏見を癒し、習俗が穏やかなところではどこでも商業が存在するという。確かに、商業活動は迷信的な慣習を解放してきた。一緒に商売をする二国民は、互いに助け合うのは必定。自然に生じる文化交流が、戦争リスクを軽減している。一方で、プラトンは商業活動が野蛮な習俗となることを嘆いた。商売に憑かれれば、人間行動や道徳観念までも取引の対象にされる。商業活動が横暴になると、それに対抗するかのように厳密な正義観念を生み、利益主義に陥らないようにという風潮が巻き起こる。尚、社会学者マックス・ウェーバーは、著書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、禁欲的な信仰心のあるところに資本主義が根付いたとした。なるほど、経済活動に対する規制が、道徳を具体化してきたということは言えるかもしれない。
「商業を花咲かせようと欲するすべての国では、現実的貨幣を用いるように、そして、これを観念的なものとしうるような操作を全く行わないように命ずる法律が、この悪習の根を絶つために極めてよい法律であろう。万物の共通の尺度であるものは、なににもまして、たえざる変化にさらされないようにすべきである。商売というものはそれ自体が極めて不確実であり、事物の本性に基づく不確実さに新たな不確実さを加えるのは大きな悪である。」
ところで、奢侈は資産の不平等に比例するという。富を分配する時、法律が各人に生存上必要なものしか与えないようにしなければならないという。それ以上を与えると、ある者は浪費し、ある者は蓄積し、ますます不平等を助長すると。これは基本的人権に関わる問題であるが、この最低水準を巡っては今なお論争が絶えない。生活保護を同じ受けるにしても、少しでも貯蓄して将来に備えるより、手持ちをすべて使い果たす方が厚遇されるとは、これいかに?予算がつけばすべて使わないと、次期には予算がつかないと恐れる官僚組織のように。
「一国が富めば、すべての人の心に大望を抱かせ、貧困になれば、すべての人の心に絶望を生じさせる。大望は労働によって刺激され、絶望は怠惰によって慰められる。」
誰でも一度は贅沢を夢見るだろう。少ししか儲けまいとあれほど欲していた者でさえ、やはり多く儲けたいと願う。経済が活発化すれば、国内に大企業が出現し、その大きさゆえに公共的な存在となる。君主政体においての公の事柄は、商人にとって胡散臭いものであるが、共和政体においての公の事柄は安全に見えるという。そして、大企業は君主政体には向かず、共和政体に向くとしている。専制国家については語るまでもないが、一つ付け加えるならば、隷属状態にある人々は取得よりも保持に努めるだろう。対して、自由人は保持よりも取得を優先する。自己の自由度を計測するには、何を取得しようとしているか?これを測ればいい。金に焦がれるか...地位に焦がれるか...知識に焦がれるか...教養に焦がれるか...すべてを諦めれば深刻な隷属状態に陥る。
また、商業を運命づけられた地域もあり、オランダがそうであり、マルセイユがそうであるという。そして、海岸の配置に加え、自然の恵みを補うために勤勉でなければならないという。一方で、肥沃な農業地に恵まれた地域では、それを維持しようと努めるために、質素な習俗が身につくという。尚、日本の鎖国政策への批判は手厳しいが、まったくだ。
「誰とも取引しないことに利点を見出すのは、自足しうる人民ではなくて、自分のところにはなにももたない人民である。」
同じ事が工業でも言えるだろう。天然資源に恵まれない地域でも、やはり勤勉でなければならない。大航海時代には、商業貿易が発展し、造船技術を進歩させ、貿易と付加価値の高い工業製品が結びついて国家財政を潤した。工業力が軍事力と結びついて世界制覇の野望を抱かせ、やがて、軍事力よりも経済力による世界制覇の時代へと移行していく。商業が盛んな国では銀行の役割が大きい。銀行は信用によって投資を拡大し、新たな価値基準を作る。流通と価値基準の双方を押さえるだけで、あらゆる商業活動を支配でき、生産者は隷属することになる。大商人は、金に物を言わせて貴族の称号を得て政治にも影響力を持ち、やがて工業者までもが商業者となっていく。本書は、銀行を奢侈のために機能させるのは、誤りであると指摘している。そして、アダム・スミス張りの貨幣を用いる理由と交換の意義が語られる。
「商業は、売買の場合には求めるものが最も多い国民の需要に比例して行われ、交換にあっては求めるものが最も少ない国民の需要の範囲内においてのみ行われる。そうでないと、後者は自分の勘定を清算することができなくなるであろう。」

7. 復讐と死刑制度
復讐心は、人間本性的な情念の一つで、最も理性を失う動機となろう。倍返しにしたいというのが人情であり、実際、残虐な皇帝たちはそうしてきた。
そこで、復讐行為に制限を与える法律を見かける。ローマの十二表法には復讐が規定された。怪我を負わせた者に対して、同じ程度の復讐が許されると。ハンムラビ法典には「目には目を歯には歯を」のような記述がある。江戸時代に仇討ちが合法化されたように、西洋にも決闘の法慣例があった。いずれも同等の報復まででチャラにし、報復が無限に及ぶのを禁じようとするものである。やがて、復讐と死刑制度は深く結びつき、合法的殺人と化す。被害者は、裁判官を復讐の代理人として見るだろう。
さて、ここで注目したいのは、二つの異なる法律をいかに比較するか、という問題を論じていることである。フランスでは偽証者に対する刑罰は死刑になるが、イギリスではそうではないという。だが、この点だけ比較して是非を問うても仕方がないと指摘している。関連する法についても議論すべきだと。
フランスでは犯罪人に対して拷問が行われるが、イギリスではそうではないという。さらに、フランスでは被告側から証人を出すことがないが、イギリスでは双方の立場からの証言を許すという。ここには違いがあるものの、双方において一貫性が見られる。
イギリスの場合は、犯罪人に対する拷問を認めないので、被告人から自白を引き出す望みは薄い。だから、双方から第三者の証言を必要とするため、死刑の恐怖によって証人を気おくれさせることはないという。フランスの場合は、法律によって証人を怯えさせることを原理とするため、検察側の証人しか聴聞しない。
確かに、どちらもそれなりに道理があるように思えるが、まったく性格の違う法律として規定されている。要するに、法律の是非を比較する場合、一つ一つの刑を比較しても意味がないということである。
しかし現在、死刑制度の是非だけが取り沙汰される。人道的か?だけを問えば、人が人の命を奪うことに抵抗のない者なんてごく少数派であろう。死刑制度の反対論者はひたすらこの点だけを主張する。だが、我が国における無期懲役刑は事実上、十数年で仮釈放が認められ、被害者の遺族の心中を察すると何とも言いがたい。はたして量刑は、死刑との境界で線形性が保たれているだろうか?近年、二十年を超える事例もあり、徐々に延びる傾向にあるようだ。死刑制度が廃止されれば、無期懲役刑の意味が相対的に重くなるのかもしれないが。いずれにせよ、法律とは理念とも言うべき総合的な観点から構築されるものであって、人道的な感情だけで一つの制度を規定できるものではないだろう。そして、一貫性のない法律が一つ紛れ込んだ時、すべての法体系に歪が生じる。
「不必要な法律が必要な法律を弱めるごとく、くぐり抜けるのが容易な法律も、立法を弱める。」

2013-09-01

"政治学" アリストテレス 著

アリストテレスの「政治学」はいろんな翻訳版があって目移りするが、絶版中も多い。ちと高いが、西洋古典叢書版(牛田徳子訳)を試す...
プラトンが対話篇にこだわったのは、思考プロセスを重んじたからであろう。科学者の多くにプラトン贔屓が見られるのもうなずける。その分、文学的で冗長的ではあるのだけど。対して、アリストテレスの記述は、演繹的で、学術的にも洗練され、政治学者の多くはこちらの方を好むようである。世評のごとく学問の祖と呼ぶには、こちらの方が相応しいのかもしれん。いずれにせよ好みの問題と解しているが...

「政治学」は、プラトンの「国家」と「法律」を継承する国家論として成立し、プラトンの批判書にもなっている。プラトンがソクラテスを崇める立場ならば、アリストテレスはソロンを崇める立場といったところか。ちなみに、ソロンはアテナイに最初の民主制をもたらした政治家で、アレイオス・パゴスの審議会は寡頭制的に、公職者の選出は貴族制的に、裁判所は民主制的に...といった調和の特徴を持つ仕組みを構築した。この場合の調和とは、分権のイメージであろうか。
さて、プラトンとアリストテレスは両者とも四つの徳「思慮(知恵)、勇気、節制、正義」を基盤とするが、その扱いは若干異なる。プラトンが政治の場で正義を実践するための精神活動として節制を最も重視したのに対して、アリストテレスは四つの徳のバランスが崩れると、国家は逸脱した形態に変貌するとしている。そして、徳には、戦争のためのものと、仕事のためのものと、平和や閑暇のためのものがあるとし、戦争のためには勇気が、仕事のためには思慮が、その双方のためには、節制と正義がそれだという。最善の国にとって、戦争は平和のためにあり、仕事は閑暇のためにあると。これがアリストテレス流の中庸の原理というものか。四つの徳とは、調和によって輝くものであって、単独で崇めると暴走するものなのだろう。思慮の方向を間違うと悪知恵と化し、勇気を心得違いすると粗暴に振る舞い、過度の節制が卑屈にさせ、無責任な正義が集団的暴力を煽る。公共の場で正義の根拠が説明できなければ、無条件に信じる宗教と何が違うというのか...

「人間は自然によって国家的動物である。」
国家とはポリス、すなわち共同体のこと。言い換えれば、「人は一人では生きられない」とすることもできようが、学術的に記述すると重みを感じるものよ。
さて、政治とは、実践の手段であり、中間的な多数者を対象とする。ただし、最底辺の少数派への配慮を前提として。現実には、優れた者を対象とする必要はなく、劣った者を規制することになろうか。となると、本来自由を望む人間にとって、政治の存在感は必要最小限に留めたい。国家とは、自由の制限として成り立つ、という見方もできるかもしれない。そして、自由とは、主権に直結する概念となろう。
アリストテレスは、公共的立場を放棄した者を、けして自由人とは認めない。富裕層が支配することだけを知り、貧困層が服従することだけを知るのでは、共同体として機能しないからだ。他の動物のように単に群れて安住するだけでなく、積極的に生きようとするのが人間の本来の姿であるという。国家の目的とは、ソクラテスから受け継がれる「善く生きる」を実行するための手段というわけか。ただし、一旦徳を欠けば、人間は野蛮な本性を剥き出しにし、動物の中で最も厄介な存在となる。
また、平等の誤謬を指摘しながら、自由人を公共的平等を実践する者と定義している。ここでは、「正しき自由」という概念を用いて論じられるが、同時に「正しき平等」としても差し支えあるまい。人間社会において自由が平等に与えられることは自然であり、自然な自由とは正しい範囲で規定されるべきものとしている。
しかしながら、正しき...ってやつが曲者だ。これを具体的に規定することは至難の業。二千年以上経った今でも自由と平等の共存の仕方が分からず、両派とも民衆の機嫌取りに奔走する始末。善き者や有徳者になるためには、三つの原因「自然、習慣、理知」が必要だという。善く生きるための自然的資質を具え、善く生きるための習慣を身につけ、理知によって生きるということ。なるほど、目立ちたがり屋の政治屋どもとは逆の資質か。
ところで、「最善の生」とは、実践的な生ということになろうか。そして、生き方が正しいかどうかは結果で評価される。それゆえに、何事も結果ありきとなりがちで、結果を出した者の生き方に憧れ、それを真似る。だが、個人に備わる性質は多様性に満ちていて、同じ生き方などできるものではない。結局、自分の生き方は、自分で見つけるしかあるまい。猿真似では、あまりにも受動的すぎる。ならば、現在進行中の生き方、すなわちプロセスを大切にするしかないではないか。いずれにせよ、成功する者はごくわずか。ほとんどの人は失敗の言い訳を探しながら生きている。何かのせいにすれば気が楽になり、真似る人生も悪くない。人のせいにし、社会のせいにし、神のせいにし... それでもなお神は沈黙したまま。しかし、能動的に生きれば自分のせいになる。自爆テロの類いか。そして、自我の奥から自己に囁いてくる。もっといじめて!と...やはりM性でなけれ悟れない境地であろか...

1. 「政治学」と「ニコマコス倫理学」
「政治学」には、ちと気になる点がある。それは「ニコマコス倫理学」とだいぶ印象が違うことである。後者は、息子ニコマコスが編纂したとされるので、弟子たちの解釈も反映されているだろう。本記事は、ニコマコス側にバイアスをかけて解釈している?かもしれない。ここでは、その違いを二点ほど挙げてみよう。
一つは、「生まれつき奴隷」の解釈について...
アリストテレス批判でよく見かけるところである。本書では「自然による奴隷」と記述され、「法による奴隷」と区別される。法による奴隷とは、能動的に生きるのではなく、ひたすら世間体や掟に従って生きるような人間を言うのか?どうやらそのようである。自然的な能力を持たなければ、受動的に生きることになり、何かに隷属することになる。現代風に言えば、組織への依存性を高めるといったことであろうか。経営者の言いなりになって、文句ばかり垂れるのでは、隷属しているのと変わらない。ニコマコス的に解釈すれば、奴隷制や階級制の固定を容認した発言でもなさそうである。
ところが、生まれの卑しさを差別したり、男女関係においては腕力の強い男が自然に支配者になるとしたり、非ギリシア人が奴隷になるのは仕方がないとしたり、ややムカつく記述も目立つ。現代感覚で量れば、奴隷制を肯定したと言われても仕方がないかもしれない。実は本音を漏らしていたりして...
二つは、国制の在り方について...
「ニコマコス倫理学」では、君主制、貴族制、民主制の三つの形態があり、最善なのは君主制で最悪なのは民主制だとしていた。ただし、僭主制は君主制の逸脱した形態としながら。
「政治学」では、正しき国制に、王制、貴族制、国制があるとし、それぞれの逸脱した形態が、僭主制、寡頭制、民主制だとしている。国制を論じるのに、その種類の一つに国制があると混乱しそうだが、多数者支配を意味している。尚、貴族制とは、最優秀者たちによる支配であって、固定された階級による支配という意味ではない。つまり、単独支配、少数支配、多数支配という三つの型から論じられ、民主制は逸脱した側にあって、正しき国制ではないというわけだ。そして、優れた順に、王制、貴族制、国制とし、逸脱した中で最もマシなのが民主制で、最悪なのが僭主制だとしている。
師匠と弟子たちの発言において、こうした印象の違いは、どこからくるのだろうか?弟子が分かりやすく記述した結果であろうか?逆に、弟子の考えから発展させたのだろうか?あるいは翻訳者の違いだろうか?いや、おいらの解釈がいい加減なだけのことかもしれん。まぁ、大きく違うと言えばそうかもしれないし、大して違わないと言えばそうかもしれないが...
少なくとも、どんな正しき国制であっても、自己の利益を優先する者が権力に物を言わせると、似ても似つかぬ姿に変貌する。人間の実践できる政治は、逸脱した形態でしかないということか?アリストテレスはそうは言っていないが、それを暗示していると解するのは行き過ぎであろうか?とりあえず、理想が高ければリスクも大きく、最もリスクが低いのが民主制である、と解釈しておこうか。しかしながら、民衆が一方向に向かった時の力は果てしなく、集団の徳性が見失われた時、最もリスクを高める。アリストテレスは、どうせ人間どもに正しき国制なんて描けないのだから...と、弟子たちに本音を漏らしたのかもしれん。

2. アリストテレスの人生
アリストテレスがマケドニア人であったかは定かではないらしい。生まれは、エーゲ海北西部に面したカルキディケ半島のスタゲイラ。カルキディケ地方のギリシア小都市は、野心的なマケドニアに対抗するためにオリュントスを中心に連盟を結成し、戦争と和睦を繰り返していたという。そして、マケドニア王フィリッポス2世に滅ぼされる。アリストテレスの父ニコマコスはフィリッポス2世の父アミュンタス3世の待医であったと伝えられることからも、一目置かれた家系であったようだ。
一方、プラトンの学園アカデメイアは、外国人に広く門戸を開いていた。その自由闊達な学風に惹かれ、アリストテレスはアテナイへ赴く。彼の才能は師から一目置かれていたようである。だが、突然アテナイを去る。ちょうどプラトンの死去した時期。後継者争いでプラトンの親族派に追い出されたのか?あるいは、マケドニアがギリシア本土に勢力を伸ばしつつあり、親マケドニア派として居づらかったのか?理由は不明だそうな。その後、フィリッポス2世の要請でその息子、後のアレクサンドロス大王の家庭教師となる。ちなみに、ギリシア同盟軍を率いてペルシアへ侵攻しようとした矢先、フィリッポス2世は暗殺された。この事件にアレクサンドロスが関与したという面白おかしく書き立てた物語もあるが、真相は知らん。
それはさておき、本書にはアレクサンドロス大王の記述がまったく見当たらない。君主制を研究するには、おあつらえ向きのはずだが。どんなに偉大な人物であっても、君主の及ぶ政治力の限界を認めていたのだろうか?アリストテレスは、ひと目で見渡せる小規模のポリスを理想国家とし、非ギリシア人を差別して民族優越主義を露わにする。おそらく、マケドニア人もギリシア人に含めているのだろう。誰にでも優れた集団に属したいという願望があるだろうし、誰にでも優位に立ちたいという国粋主義的な性格が潜んでいるだろう。
しかし、教え子によって、想像だにしない世界規模の多民族国家が建設され、植民地支配では現地人を積極的に登用するなどの宥和政策が用いられた。なんとも皮肉である。おまけに、大王が死去すると、アテナイで反マケドニア派が決起し、アリストテレスは不敬罪で弾劾されることに。同僚テオプラストスとともに、母の故郷エウボイアのカルキスへ逃れ、そのまま病死。
プラトンとアレクサンドロス大王という二人の巨匠の庇護の下で、アリストテレスは名声を博したが、後ろ盾を失った途端に追放罪を喰らう。アリストテレスの人生は、師と弟子の確執、あるいは、真の学問が政治に翻弄される様といった、世俗でよく見かける構図を映し出しているかのようである。

3. プラトンの共有観念に対する批判
歴史を振り返れば、国家主権を唱える場合、まずもって前提されてきたのが領土の所有権である。そして、国家組織の下で、あらゆる所有権が私有財産とともに搾取されてきた。
さて、私有財産権をどこまで認めるか?あるいは、国家の所有物はすべて共有にすべきなのか?プラトンとアリストテレスの両者の主張は、このあたりに大きな違いを見せる。
プラトンが過激なのは、財産だけでなく子供や妻までも国家で共有すべきだとしたことである。これには、いくらプラトン贔屓のおいらでも目を覆った。民衆が私有財産に対して横暴になる様を嘆いてのことかもしれんが。善き国家モデルについては、プラトンは独裁制と民主制の混在型を提案している。最も賢者とされる師ソクラテスが国家の名の下で死刑に処せられるようでは、アテナイ型民主制に限界を感じるのも仕方があるまい。
対して、アリストテレスは国家が一つになることの危険性を指摘している。人間は本質的に多様であり、国家が一方向に進めば、もはや国家ではなくなるという。自由と平等を論じる上で最も気を使うところは、人間の多様性であろう。多様な価値観の否定は、個性を否定することになり、ひいては主権を脅かすことになる。だからといって、教育によって同質な人間を大量生産すれば、様々な弊害をもたらす。子供を国家のものとしてしまえば、ヒトラー・ユーゲントのような印象を与えかねない。人間の共有では、共有される側にも意志があることを忘れてはなるまい。
さらに、財産の共有は、もっと厄介なことになるかもしれない。共産主義的な配給では、一生懸命働く者がバカをみる。生産活動に対する能力と労力が報われないと、ヤル気も失せる。だからといって、すべてを私有財産とするわけにもいかない。アリストテレスは、公共財産と私有財産を区別すべきだとしている。
しかしながら、私有財産の範囲を法で規定することは非常にデリケートな問題で、経済学はこの問題に悩まされてきた。現在では、会社は誰ものか?という議論がお盛ん。クラウド社会ではデータは盗んだ奴のもの?休眠口座は金融屋のもの?
それはさておき、地球は誰のもの?と問えば、みんなのものと答える人が多数派であろう。ところが、ある一定の面積を規定すると、それは土地と呼ばれ、そこに所有権が生じる。道路は公共のものなのに、玄関先に鉢植えを並べて、その一郭に所有権を暗示する。人は皆、所有が絡むと血眼よ。共有の概念は、俺のものは俺のもの!お前のものも俺のもの!となる。たまーに女性は恐ろしいことを口にする。私はあなたのものよ!って。愛を金で買うのは責任逃れのためか?慰謝料もその類いか?ならば、いっそのことプラトン流に誰のものでもないとするしかないのか?
アリストテレスは、ソクラテスに対して誤謬が生じるのは「国家はできるだけ一つであらねばならぬ」という想定が、そもそも間違っていると批判している。師に対してなかなかの挑発的な発言ではあるが、まったくである。

4. 経済学のパラドックスと政治学のパラドックス
人間社会では、マクロ的な現象とミクロ的な現象とがしばしば正反対になる。そのこと自体は、今では常識とされる。経済学では、倹約のパラドックスや貯蓄のパラドックス、あるいは合成の誤謬などと呼ばれるやつだ。実際、個人や企業にとって好ましいことが、社会全体として好ましくない方向に作用することは珍しくない。プラトンとアリストテレスもまた、マクロとミクロの双方から国制を考察している。ただ、プラトンが、個人の様式に一致して国家の様式が決まるとしたのに対して、アリストテレスは、個人の善と公共の善は、種類は同じでも、同時に一致するとは限らないとしている。
さて、個人の悪魔性と集団の悪魔性とでは、どちらが厄介であろうか?どちらも暴走したら手が付けられない。ただ、一人であれば暗殺で事足りるか。いや、権力が暗殺者の手に落ちるだけよ。真の君主制であっても、一人の王が誠実なだけでは足りない。どんな優れた人物にも寿命があり、やがて世襲に染まる。そして、権力の狂気を是正するために、民衆の暴力革命に委ねれば、社会的リスクを高めることになる。そこで、大勢の政治参加があれば、誰かが暴走に気づくだろうし、修正の機会を若干増やすかもしれない。いや、集団化した狂気は少数派を抹殺するだけよ。実際、選挙では、意見が均等に割れると多数決が機能しないどころか、最悪な選択がなされることもある。独裁制と民主制の違いとは、この程度のものであろうか。
どんな国制であれ、その善し悪しは、多数派の慣習に委ねられることになりそうだ。人間は、自己存在をより強調したいという本能を持っている。ほとんどの欲望は自己愛で説明がつくだろう。より多くの財を求め、より多くの権力を求め、自己存在の優越を確認する。となれば、自己存在を否定できるような人物でなければ、真の君主にはなりえないということか?これを、政治学のパラドックスとしておこうか...

5. ポリス型地方分権
国家とは、人口構成、経済状況、宗教観、歴史など、様々要素が絡んで形成されるものだから、同じ民主制であっても形式が違うのは自然であろう。国制とは、真似してうまくいくものではあるまい。実際、ある地域でうまくいった政策だからといって、別の地域に導入してもうまくいかない。アリストテレスは、市民に共通観念を呼び覚ます素因として、国家のアイデンティティを重視している。政治において最も重要なのは、正義の実践であり、刑罰や税の徴収が正当化されるのは、正義観念においてのみである。共同体として結びつく力は、政治理念、経済活動、共同生活など、手段によっても変わってくるだろう。たった二人の夫婦ですら共通意識は簡単に崩壊する。たとえ神の前で誓ったとしても。関係が近いほど、結びつく力は鬱陶しいものになるらしい。ちなみに、古代ギリシアにはこんな格言があるそうな。
「愛することのすぎたる者は、また憎むことのすぎたる者なり」
それはさておき、国家にも経済と同様、目的に合った機能しやすい規模というものがあるのだろう。国内であっても地域によって多様性があるならば、それなりに政策を変えていく必要がある。地方自治体や地方分権の意義とは、そういうことであろう。中央集権の機能しやすい規模もあれば、経済活動の機能しやすい規模もあるだろうし、大きな国家ほど必然的に地方自治との組み合わせを模索することになろう。
その意味で、プラトンやアリストテレスが語る古代ギリシアのポリス型連合は、地方分権モデルとして参考にできそうである。アテナイとスパルタというだけで制度がまるっきり違うが、いざ国防となると、ペルシアの侵攻に対して全ギリシアが連合して立ち向かった。それは、けして隷属しない!けして主権を放棄しない!というポリスの合言葉においてのみ生じる力で、政治家どもの面子などとはまったく異次元のものである。ただ、スパルタのエフォロイ制については、並の人に重要な裁判を採決する至高の権威を与えていることを批判している。これには、現在の裁判員制度への批判に通ずるものがある。市民にどこまで権利を与えるかは、民主制が抱える永遠のテーマであろう。

6. 自給自足と人口論
本書は、機能しやすい共同体の規模を、自給自足の観点からも考察している。アリストテレスの人口論とでもしておこうか。生産性は人口が多いほど優位だが、同時に生産性がおぼつかなければ、飢餓が生じる。国防のための適当な領土というものがあり、市民を養い、国防軍を維持するだけの経済力が必要だとしている。
「人が多すぎる国がよい法治国になるのは難しい -- おそらく不可能かもしれない。とにかくみるところ、よく治められているという評判の国で人口に制限を設けていない国はない。」
当時の主産業は農業であるが、議論の対象はそれだけに留まらず、貨幣による交換術にまで及ぶ。それほど農業人口にこだわることもないといったニュアンスか。確かに、技術革新が進めば、付加価値の高い工業へと労働人口が移ってきた。現在、アメリカの農民はたった300万人ほどで、2億人分以上の食糧を賄っている。まさかアリストテレスの時代に、ここまでの比率を想像していたとは思えないが。
また、マネーサプライもどきの経済原理が論じられる。貨幣は物との交換から生じたにもかかわらず、本来の目的から逸脱し、貨幣そのものの交換に用いられ利子が生じたという。そして、利子は貨幣から生まれた貨幣であるため、利子は貨幣そのものを増殖させるという。ついでに、貨幣があらゆる価値の交換に関与するために、そこにサヤ取りの原理が生じるといったことも匂わせる。本書は、利子による財の獲得は自然に反するとし、自足のためには財の獲得が自然に適っていなければならないとしている。どんな富にも限界があるはずだが、人々は貨幣となると無限に増やそうとする。ちなみに、ソロンの言葉に、こういうものがあるそうな。
「人間には富のいかなる際限もはっきりと見定められない。」