2017-11-26

"標準テキスト CentOS 7 構築・運用・管理パーフェクトガイド" 有限会社ナレッジデザイン 著

千ページ近くもある分厚さ!OS で熱くなりたければ、このくらい厚くないと...

一つの OS に初めて触れるにはリファレンス的な存在が欲しいが、いくら Linux が無料とはいえ、こうして参考書を漁れば金がかる。それでも、強制的でないところがいい。人間の本質とも言うべき多様性ってやつは、小さな知識、小さな経験、小さな感情、そして、小さな思考の集合体として形成される。しかも、この集合体はあらゆる方向に選択肢の網を張り、自由精神とすこぶる相性がいい。どの文献を選ぶかは、自分の知識レベルに合わせればいいだけのことで、動機は極めてシンプルだ。シンプルな部品を組み合わせて多様な処理をする... これぞ、Unix ライクな世界と言えよう。まさに本書には、部品的な情報が満載!これをヒントに、後はググれば大抵の情報は入手できそうである...

"Unix comes with a small-is-beautiful philosophy. It has a small set of simple basic building blocks that can be combined into something that allows for infinite complexity of expression."
 - Linus Torvalds -

さて、Fedora Core の時代から愛用してきた Fedora だが、システム入れ替えのために CentOS へ鞍替えすることに。というのも、バージョン 2X あたりからであろうか、GUI 環境の不安定さが目立つようになった。ハードウェアとの相性か。
Fedora の魅力は、なんといってもパッケージの豊富さ!最新版のカーネルに触れることもでき、そのために distro の実験台とも囁かれ、実験好きにはたまらない。
しかしながら、Unix の本来の姿は、安定性の方にあるのだろう。厳密には、Linux は Unix とは認められていないが、Unix ライクであることに違いはない。
そこで、安定感抜群との噂の CentOS というわけである。なるほど、RHEL のクローンと呼ばれるだけのことはある。ただ、パッケージ群がちと寂しい。それでも、あちこちから拾い集めたり、ソースからビルドしたりすれば、なんとかなりそう。systemd の採用は CentOS 7 からのようだが、Fedora で経験済みなので、まったく違和感なし。dnf が yum に戻って、ちょっと古い Fedora ってな感じ。これを機に、Linux の勉強をやり直してみるのも悪くない...

ところで、本書にはサーバ監視に関する情報が満載だというのに、なぜか?SNMP に関する記載が見当たらない。時代の流れからすると、https + 暗号化の方向であろうが、SNMP にも v3 でセキュリティ機能も強化されている。だが本書は、OpenLMI について触れていて、どうやら WBEM ベースが流れのようである。
結局、酔いどれネアンデルタール人は、snmpwalk コマンドを叩きまくって、霧に包まれたプロトコル空間を歩き回ることに。リュケイオンの学徒のごとく。だから逍遥する学派などと呼ばれる。いや、彷徨する学派か。いやいや、崩壞する学派か。行き詰まると... 自分でやれない事は素直に諦めな!... とメフィストフェレスが囁いてくる。誰かがヒントを与えてくれたとしても、手取り足取り教えてくれる者はいない。だから自由なのだ。自由人とは、自己能力の縄に縛られながらも、それを快感にできる人のことをいうのだろう。きっと、M に違いない...

1. 趣味が昂じた世界
当初、リーナス・トーバルズ氏は、自分の名前を OS につけるのは利己的と考え、Freax と名付けたそうな。自由を匂わせる名である。これを友人のレムケ氏が気に入らず、Linux という名を与えたとか。リーナスも最終的に同意し、冗談まじりにこう語ったという。
「Linux は良い名前だし、その名前を付けたことを僕は誰か他人のせいにできる。今もそうしているようにね...」
商用 Unix は高価で一般ユーザにはなかなか手が届かない。そこで、386 アーキテクチャ用にチューニングを試みてきたのが、Minix や Linux といった Unix ライクな世界である。
Linux の前身 Minix は、マイクロカーネル。つまり、ファイルシステムやメモリ管理は、それぞれ独立したプロセスとしてカーネルの外に置かれ、カーネルは割込み、プロセス管理、メッセージなどの最小限の機能のみを持つ。この方式は、プロセス間のメッセージ通信のための実装が重くなり、パフォーマンスが劣るのが気になるところ。
そこで、リーナスは興味本位でチューニングし、モノリシックカーネルとして設計し直したのが Linux である。つまり、プロセス管理、メモリ管理、ファイルシステムなどのコードを単一ファイルで管理し、それを単一のアドレス空間にロードして実行するという方式で、vmlinux に収められる。Unix っぽいのは、細かく部品化するマイクロカーネルの方であろう。モノリシックカーネルは移植性に劣るとの批判を受けてきた。
しかしながら、カーネルモジュールという動的に機能追加できるチューニング思想のおかげで、ちょいと古いマシンでも Linux 化して延命できるし、組込システムのようなリアルタイム性を重視する分野とも相性がいい。x86 ベースのパソコンのためにスクラッチから書かれ、しかも、POSIX 準拠を目指せば、一般ユーザ向け Unix クローンとしての存在感を増す。著作権も、とっくに GPL へ移行済だし。今では、x64, Alpha, arc, arm への移植性も担保され、この酔いどれ天の邪鬼も二十年以上に渡って恩恵を受けてきた。Unix を権威主義的とするなら、Linux は民主主義的である。自由精神とは、こうした才能豊かな人たちの趣味が昇華した姿ということは言えるのかもしれん...

2. ユーザ管理: LDAP
簡単そうで侮れないのが、ユーザの一括管理。Unix 系のシステム管理で最初に遭遇するのが、ユーザデータベースとしての二つのファイルの扱いであろう。/etc/passwad と /etc/shadow がそれである。
だが、ネットワーク環境が当たり前の今日、これらのファイルでマシン毎に管理するのは非現実的であり、アカウント情報やホスト情報などを共有し、自動配布するための仕掛けが欲しい。ひと昔前には、NIS や NIS+ で運用し、Sun Microsystems の講座を受けたりもした。
そんなネアンデルタール人にとって、OpenLDAP はありがたいツールである。本書は、あまり興味のなかった Active Directory との連携にも触れられ、LDAP サーバの視点から語ってくれる。

3. ログ管理: Journald
systemd では、ログ収集のためのツールに Journald ってやつがある。ただ、ルータ管理のために rsyslogd に馴染んできたので、Journald と別々に扱うのはスッキリしないなぁ... と思いつつ、保留状態であった。本書は、こららの連携についても触れてくれる。

4. NTPサーバ: chrony
インストールして、いきなり ntp 系のデーモンが動作中?ntpd は、まだインストールもしていないのに。どうやら、CentOS 7 から chronyd ってやつが標準のようだ。ntpd よりも効率的に同期してくれるのだとか。どういうふうに効率的なのかは知らんが...

5. SELinux の感覚
ルータのフィルタリング管理では、まずはすべてを遮断し、徐々に必要なポートを開けていくという考え方があり、フィルタリング設定が熟成されていく様が快感だったりする。静的フィルタリングだけ考慮していればいい時代では、それで十分だったが、いまや悠長に構えてはいられない。ただ、基本的な考え方は、あまり変わらないだろう。SELinux にしても、Firewall にしても...
SELinux のような LSM(Linux Security Modules)の感覚がちと違うのは、独立したセキュリティポリシーの元で管理されるために、サービスを外からアクセスする時に結構厄介だったりする。煮詰まった時は、SELinux を疑え!という標語ができそうなほどに。そして、とりあえず停止してみると、たいていうまくいったりする。この時、アクセスを許可しながらログを記録してくれる Permissive モードはありがたい。そして、エラーログを拾いながら、setsebool コマンドで必要なブール値を許可していくといった手順を踏む。SELinux を disable してしまうという荒っぽい手もなくはないが、そんな気にはなれない。
そして、ファイルのパーミッションは、ACL(Access Control List)を適切に設定することを忘れずに...

6. サーバ監視ツール: Zabbix
サーバ監視ツールといえば、昔から MRTG が定番だったが、ちと面倒なところがある。必要な情報が限られていれば、データベースに記録される情報をクライアント側からテキストレベルで拾ってきて、独自に html 化してブラウザで視覚化するといったこともやってきた。
ところが最近、視覚的にも、操作的にも、進化したものがたくさん登場しているようだ。この機会に少し試してみよう。簡易的にブラウザで覗けるツールとして、Monitorix を愛用してきたが、Munin もなかなか。
本書は、古参の Nagios、デファクトスタンダード的な Zabbix、日本生まれの Hinemos を紹介してくれる。惚れっぽい酔いどれ天の邪鬼は、「デファクトスタンダード」という言葉に弱い。てなわけで、Zabbix を試すことに...
なるほど、操作性もよく、スクリーン設定が柔軟で、グラフやサーバー情報を行列で配置できる。複数のスクリーンをスライドショーできるのも魅力で、ルータ群やサーバ群の監視画面を指定の時間間隔で循環させられる。おまけに、マップが作れる。つまり、ネットワーク構成のお絵描きができて、ルータ、サーバ、モバイルなどアイコンも豊富。こりゃ、病みつきになりそう...

構成要素は、Zabbix サーバ、Zabbix エージェント、データベースサーバ、Web サーバの四つ。監視対象にエージェントをインストールしておけば、サーバ側で統合監視ができる。したがって、自分自身を監視したければ、サーバとエージェントの両方をインストールすればいい。
データベースサーバは選択でき、ここでは MariaDB を使用する事例を紹介してくれる。MariaDB は、MySQL から派生した RDBMS で違和感はない。
おっと!いきなり、"Zabbix server is running" が、"no" になってやがる... Oh no!
サービスは起動中なのに?そして、SELinux を疑い... Firewall を疑い... 半日を費やす。あれ?設定ファイル(/etc/zabbix/zabbix_server.conf)には...

  DBUser=zabbix

GUI 画面で設定したはずが、デフォルト値っぽい。変わったユーザ名にしたのは確かだけど。あるいは入力ミスか?本書の事例では、ユーザ名を zabbix にしているので、問題ないってわけか。
なので、mysql コマンドで設定したユーザ名に変更すると、無事 "yes" が表示された。Zabbix サーバの起動が、"no" なんていうから悩んでしまったが、実はサーバが起動していなかったわけではなく、単にユーザがデータベースの情報を参照できなかったというオチ。その間、障害や警告のログを貯めてしまう。はぁ~、情けない!
ただ、こんな些細なことでも、引っかかるから仕組みを理解しようと真剣になれるのであって... などと自分に言い訳するのであった。

7. SNMP を歩き回る... : Zabbix + snmp
さて、本書では触れられないが、実はここからが本チャン!まずは昔を思い出しながら、SNMP を歩き回ってみる。
監視対象ルータは、YAMAHA RTX810 で、SNMPv2c で運用中。まず、YAMAHA が公開している MIB を  /usr/share/snmp/mibs 配下に置いて、snmpd を起動。以下がそのファイル群。

  yamaha-product.mib.txt
  yamaha-rt-firmware.mib.txt
  yamaha-rt-hardware.mib.txt
  yamaha-rt-interfaces.mib.txt
  yamaha-rt-ip.mib.txt
  yamaha-rt-switch.mib.txt
  yamaha-rt.mib.txt
  yamaha-smi.mib.txt
  yamaha-sw-errdisable.mib.txt
  yamaha-sw-firmware.mib.txt
  yamaha-sw-hardware.mib.txt
  yamaha-sw-l2ms.mib.txt
  yamaha-sw.mib.txt

MIB 内のオブジェクトは、階層構文の SMI(Structure of Management Information) で定義されているので、地道に中身を追っていけば、エンタープライズ ID が "1182" であるとか、他のオブジェクト ID も見えてくる。

階層を辿るには、snmptranslate コマンドが便利で、例えば、こんな感じ...
# snmptranslate -On YAMAHA-RT-INTERFACES::yrIfPpInUtil
.1.3.6.1.4.1.1182.2.3.9.1.25

ファイルを覗かなくても頭から追っていけば、ネットワーク関連が以下の OID 配下にあることが見えてくる。
# snmptranslate -Tp
# snmptranslate -Tp .1
# snmptranslate -Tp .1.3
     ...
# snmptranslate -Tp .1.3.6.1.2.1.2.2
+--iso(1)
   |
   +--org(3)
      |
      +--dod(6)
         |
         +--internet(1)
            |
            +--mgmt(2)
               |
               +--mib-2(1)
                  |
                  +--interfaces(2)
                     |
                     +--ifTable(2)
                        |
                        +--     ...
                        +-- -R-- Counter ifInOctets(10)
                        +--     ...
                        +-- -R-- Counter ifOutOctets(16)
                        +--     ...

ある程度あたりをつけたら、snmpwalk コマンドを叩きまくる。
# snmpwalk -v 2c -c "コミュニティ名" "IPアドレス" .1.3.6.1.2.1.2.2.1.10.2
IF-MIB::ifInOctets.2 = Counter32: 864038922

# snmpwalk -v 2c -c "コミュニティ名" "IPアドレス" .1.3.6.1.2.1.2.2.1.16.2
IF-MIB::ifOutOctets.2 = Counter32: 477116257

これらの情報を元に、Zabbix サーバでアイテムを作成していくわけだが、一個作るだけでヘトヘト!

  Name     = WAN0 Recv bps
  Type     = SNMPv2 agent
  Key      = ifInOctets.2
  SNMP OID = .1.3.6.1.2.1.2.2.1.10.2
  Port     = 161
    ...

  Name     = WAN0 Send bps
  Type     = SNMPv2 agent
  Key      = ifOutOctets.2
  SNMP OID = .1.3.6.1.2.1.2.2.1.16.2
  Port     = 161
    ...

Munin だったら、拾える情報を自動的にソフトリンクしてくれるコマンドがあるんだけどなぁ... などとぼやいていたら、なんと!テンプレートを公開してくれる素敵な方々がおられるではないか。素直にググってれば、5分とかからなかっただろう。ネアンデルタール人には、SNMP は歩き回るものという先入観がある。はぁ~、情けない!
自由人になるには、まず時間を有効活用すること。それでも、勉強にはなったぞ!と自分に言い訳するのであった...

2017-11-19

マルチモニタに睨まれて... 四面楚歌!?

モニターってやつは、向こうから一方的に光を放ち、こちらは受け身でそれを見る。だから、出力装置なのである。しかしながら、四面ともなると、こちらが見られているようで、なんとも奇妙な気分になる。恥ずかしいような...
誰かがリモートで仕掛けているのか?贅沢にも一つの画面でリソース監視をやれば、お返しに四つの目線で人間監視をくらう。仮想ワークスペースを加えれば、十面以上もの影の眼で見張られる。まるでマジックミラー...
それでも贅沢ってやつは恐ろしいもので、三日もすれば慣れちまい、こちらの方から、チラッと見せたくもなる。だから、こんな記事を書いているのやもしれん。
ゲームをやるでなし... デイトレードをやるでなし... 贅沢な空間が心にゆとりを与え、新たな境地を開拓してくれる。いや、そうに違いない。いやいや、そんなものは幻想だ。能力が上がるわけもなく。自己投資とは、自己満足の類いか... 自己啓発とは、自己陶酔の類いか...



 * 左四面がメインマシン、右縦二面がサブマシン...

1. メインマシン
マシンにパフォーマンス不足を感じるようになり、新たなマシンを購入することに。自作する元気もなく、BTO パソコンを求めるも、断じて歳のせいではない。今まで二面のマルチモニタを使用してきたが、酔いどれ天の邪鬼の衝動は、なぜか四面にこだわってやがる。
まず、スタンドタイプのモニターアームとなると、安定感を優先したい。そして、エルゴトロンのものを選択。首角度の柔軟性が乏しいが、安定性と両立させるのは、ちと酷か。モニタは大抵のものが VESA 規格準拠なので、叩き売りしているやつを四台調達し、同じ型番で揃えて、まあまあ...




ケースでは静音性を求めたいが、冷却性も気になるところ。SSD にすれば、音はそれほど気にならないだろう。そして、こいつがなかなかのお気に入り... be quiet!




オーディオ端子は、Optical OUT が捨てがたく、できれば、Realtek HD 対応が欲しい。すると、ちょうど ASRock のマザーボードに、Realtek ALC1220 Audio Codecs 搭載のものがあった。ASRock は、ASUS から独立した企業ということで、なんとなく選んでしまう。
ところで、ASUS は今では「エイスース」と読むって、店員さんに教えてもらった。おいらは昔から「エーサス」と読んでいたので、歳がバレちまった。
そして、マシン構成はこんな感じ...

  Mother Board  : ASRock Z270 Extreme4
  CPU           : Intel Core i7-7700 3.6GHz
  Graphics Card : nVIDIA GeForce GTX 1060 3GB
  RAM           : DDR4 16GB
  Strage        : SSD 480GB
  Case          : be quiet! PURE BASE 600
  Monitor Arm   : ERGOTRON DS100 Quad monitor 33-324-200
  Monitor       : PHILIPS SoftBlue 234E5EDSB/11 x4

2. サブマシン
メインマシンを買い替えたので、今までメインだった DELL Studio XPS8100 をサブマシンへ。とはいっても、Linux を搭載し、サーバやルータの監視用にほぼフル稼働しているので、降格という意味ではない。Linux の魅力は、なんといってもハードウェア要件が緩いこと。一世代古いマシンをサブに位置づけても、メインが SM 狂なら遜色ない。
十五年前の独立時に Solaris マシンを導入して、その役割を与えていたが、コストダウンで Fedora Core に乗り換え。ただ、Fedora 2X あたりからであろうか、GUI 環境の不安定さが目立つようになった。例えば、xwininfo で情報がうまく取得できなかったり、たまーに固まったり。酔いどれ天の邪鬼は、ウィンドウの位置やサイズを非常に気にするタチときた。1ドットでもずれるとストレスになるので、geometry 系のオプションを多用する。ウィンドウを掴もうとした瞬間にくしゃみでもしようものなら... なので、ウィンドウ情報に関するコマンドが当てにならないというだけで幻滅してしまう、実にしょうのない性格なのである。
ハードウェアとの相性であろうか。いや、WUuu... の呪いが、フェドーラの悪魔を目覚めさせたのかも。尚、WUuu.. とは、Windows Update の略で、うぅぅ... と、うなるように発声する。
Fedora では前々からグラフィックドライバで悩まされることが多く、解決できたり、できなかったりを繰り返してきたので、そのうち直るだろうとは思っている。それに、ほとんどリモートで、しかも、CUI 環境で操作しているし、視覚的に覗きたい時はブラウザを経由するので、大した問題にはなっていない。いや、そんな感覚に慣らされていること自体が問題やもしれん...

てなわけで、distro の乗り換えをぼんやりと考えていた。ちょうどモニタが余ってマルチモニタにもしたいところ、それで GUI が固まるのでは洒落にならない。そこで、Fedora 26 から CentOS 7 へ鞍替えというわけである。RedHat系にこだわったわけではないのだけど。
Fedora の魅力は、なんといってもパッケージの豊富さ!最新版のカーネルに触れることもでき、そのために distro の実験台と囁かれる。
対して、CentOS は安定感が抜群!Fedora と比べちゃ悪いけど。Window System は、gnome2 が default になっているが、gnome3 で運用しても、まったく問題なし。忌み嫌ってきた gnome3 も、frippery + gnome-tweak-tool で印象が変わり、皮肉にも gnome3 を愛用している有り様。
ただ、パッケージ群がちと寂しい。それでも、あちこちから拾い集めたり、ソースからビルドしたりすれば、なんとかなりそう。systemd の採用は CentOS 7 からのようだが、Fedora で経験済みなので、まったく違和感なし。dnf が yum に戻って、ちょっと古い Fedora ってな感じ。
Unix ライクの本来の姿は、安定性の方にあるのだろうけど、Fedora に哀愁を覚える今日この頃であった...

2017-11-12

"日本教会史(上/下)" João Rodrigues 著

アビラ・ヒロンの「日本王国記」にせよ、ジョアン・ロドリーゲスの「日本教会史」によせ、なにゆえローマ・カトリック教会は、こうも日本の調査報告を求めたのか。やがて訪れる植民地政策の布石か。いきなり武力制覇を目論むより、まず敵を知るという意味では孫子の兵法に適っている。極東への野望はマルコポーロの「東方見聞録」に端を発し、黄金の国ジパングの噂を耳にした野心家どもが群がる。
しかし、それだけだろうか?
少なくとも、日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・シャヴィエールは違ったようである。東洋に初めて聖福音を伝えたのが聖トメーという人物で、バラモン教徒の手にかかって殉教したと記している。これは十二使徒の一人、インドの地で殉教したと伝えられる、あの疑い深きトマスのことのようだ。聖フランシスコは、その意志を継ぎ、さらに東へと布教の旅を続ける。その過程で、悪行のために良心の呵責に苛み、薩摩から逃れてきた弥次郎と出会う。彼は心の休まる宗派を求めて西へ、西へ、ついにマラッカで聖フランシスコに救われたとさ。
聖フランシスコは、日本には悪魔の宗教が蔓延ることを知り、日本へ行くことを決意する。パードレたちは悪魔が住むと聞けば、どんな土地にも赴く。
しかしながら、布教の旅とは、殉教の旅を意味する。死を覚悟してまで旅を続けるのはなぜか?その使命感はどこからくるのか?聖人という自意識が、そうさせるのか?神のためにすべてを犠牲に捧げる... 洗礼を受けるとは、そういうことのようである。
ただ、幸せ者に余計な信仰は不要だ。救済を求めているのは、耐え難い苦境にある人々。時代は戦乱の世、京の都が荒廃し、難民が溢れていた。藁をも掴む思いとは、こういう事を言うのであろう。重病人相手にお布施をたかる坊主たちに対して、医術の心得のあるパードレたちは無料奉仕。ボランティア精神は、キリスト教と相性がよいと見える。聖フランシスコは平戸や山口で布教活動をし、キリシタン信者の数を急激に増やしていった。
だが、それらの街々がやがて迫害の舞台と化す。西洋思想に対する怨恨は徳川時代に長らく封印され、その反動として、吉田松陰をはじめとする思想改革から、維新時代に薩摩や長州を中心に爆発した、と解するのは行き過ぎであろうか...

コロンブスの新大陸発見後、新世界を効率的に分割するための条約が結ばれた。トルデシリャス協定が、それである。エスパニアは西方へ、ポルトガルは東方へ、それぞれ航路を開拓するよう定め、ついに地球の裏側で衝突する。キリスト教会も一枚岩ではなく、聖ドミニコ、聖フランシスコ、聖アウグスティーニョ、イエズス会の四つの托鉢修道会が押し寄せてくる。こうした布教活動は、ローマ・カトリック教会が主導しているというよりは、各国の思惑によって展開されていく。おまけに、宗教改革の時代を迎えると、新興勢力であるイギリスやオランダが参入し、さらに政治色を強めていく。日本では、エスパニア人やポルトガル人を南蛮人と呼び、イギリス人やオランダ人を紅毛人と呼んで区別した。
アビラ・ヒロンの記録によると、紅毛人が権力者に意見したためにキリシタン迫害に及んだ、というようなことが記される。南蛮人が布教活動に熱心なのは日本支配を目論んでのことで、これに激怒した秀吉は大々的な迫害を企て、さらに、暴君家康とその子秀忠によって陰湿極まる拷問に及んだと。キリシタン大名も同じ運命を辿り、三条河原の公開処刑の様子など、いかに日本人が残忍であるかを綴っている。アビラ・ヒロンの記述は、日本人の慣習や文化については、ほとんどルイス・フロイスの引用かと思わせるところがあり、むしろ半分以上が迫害史、殉教史の性格を帯びている(前記事参照)。
対して、ジョアン・ロドリーゲスの報告は、日本贔屓な面を覗かせる。茶道や数奇の道、職人の技術魂、おもてなしやお土産の文化、湯殿や酒の作法など、清潔さと礼儀正しさではアジア随一と賞讃し、また、複雑な政治体制については、天皇と将軍の両立や、公家と武家の従属関係の逆転など、ちょうど時代変革の過程にあるとし、当時の政治体制がこの王国で矛盾していないと考察している。ロドリーゲスの弁明めいた記述が、当時、誤解を招くような書が多く出回っていたことを想像させる。
ただ、「教会史」と題しておきながら、教会について語られるのは下巻の最後の方だけ。アビラ・ヒロンの報告を「日本殉教史」とし、ロドリーゲスの報告を「日本旅行記」とした方がよさそうである。当初の目的が、政治的であったにせよ、宗教的であったにせよ、書いているうちに純粋な興味となって、自然に事細かく綴っているということはあるだろう。そうした記述ほど、本性が露わになりやすい。もし教会が主題だとしたら、なんと前置きの長い大作であろう。前戯好きにはたまらん...

1. ロドリーゲス通事
ローマのイエズス会本部が、日本管区における実地見聞者の手で教会史を編纂することに積極的に乗り出したのは、1610年頃からだとか。そして、最初の編纂者に命じられたのが、マテーウス・デ・コーロス神父だが辞退したという。迫害のさなか、とても教会史を執筆する気にはなれなかったようである。
代わって編述したのがジョアン・ロドリーゲスである。ただ、ジョアン・ロドリーゲスというのはポルトガルではありふれた名。当時の日本イエズス会には重要な地位にあった同名の人物が二人いたそうで、近年に至るまで布教活動の文献で混同されてきたらしい。そして、同名の司祭 João Rodrigues Girão に対して、著者の João Rodrigues Tçuzu は「ツウズ」と日本語の「通事」に当てて呼ばれたという。
ロドリーゲス通事は、ポルトガル人としては郷土方言に終生悩まされ、故国ではこれといった教養を身につける機会もなかったとか。そのために却って日本語やシナ語といった外国語の習得に真剣で、その結果として通事として身を立てることになったという。
いずれにせよ、これだけの大作を一人の力で執筆できるわけもなく、イエズス会の経験と観察力が結集された作品と言えよう。母国の知識に対して超越的であることは難しく、自分自身を外からの視座で問うことは極めて難しい。だが、そうすることによってしか母国を問うことはできない。外国人からの視座として、こうした文献が残されていることは、我が国にとって幸せであろう。翻訳の苦労が滲み出ているだけに、翻訳者たちに感謝したい...

2. 三位一体論
パードレたちは、なにゆえ日本の宗教を悪魔の宗教と呼ぶのか。なにゆえ釈迦や孔子を悪魔のごとく言うのか。
一つに、アビラ・ヒロンも、ジョアン・ロドリーゲスも、偶像崇拝を強調している。キリスト教の中心的な教義に「三位一体」ってやつがある。簡単に言えば、神という実体は一つだが、神の位格、すなわち、ペルソナは三つの姿で現れるというもの。父なる神、父の言葉を代弁する子(イエス)、そして聖なる魂(聖霊)の三つ。これは抽象的な概念だけに、様々な解釈を呼ぶ。
とりあえず、勝手に宇宙論的に解釈してみると... 根源的な宇宙法則は一つであって、そこから派生する物理法則、さらに多様化する物理現象すべては神との因果関係にあり、したがって、すべての自然物に神の魂が宿り、すべての存在原因は神の意志である... とでもしておこうか。そして、人間がやるべきことは、神の意志にそぐう行いをしなさい!と諭す。確かに、この精神的存在論は偶像崇拝とは対立しそうである。
しかしながら、こんな難解な概念を庶民にどうやって説こうというのか?信じる者は救われる!の原理に縋るしかあるまい。では、パードレたちの信用度はどこからくるのか?しかも、目の色、肌の色の違う異国人に。目の前の苦難から救ってくれただけで、信用に足るということはある。恩義からくる信用である。坊主どもの迷信まがいの祈祷では病気は治らない。ましてや人を救うよりも形式を重んじ、その伝統は現在では葬式仏教などと揶揄されながら受け継がれている。
対して、パードレたちの実質的な医術によって命が救われれば、全面的に信じてみようかという気にもなろう。人間の信用や信仰といった心理的性向は、そうしたものかもしれない。本来の宗教の姿は、苦難にある人々を救済するものであって、けして民族や国家を優越するためのものではないはず。だが、愛国心とすこぶる相性がよく、優越主義に陥りやすい。自己存在の本能を集団的な本能に結びつけるのだ。
とはいえ、宗教家の勧誘技術は、プレゼン技術としては非常に参考になる。人間ってやつには、自分が良い目にあうと、誰かに喋りたくてしょうがない性分がある。そして、こうするといいよ!って経験談を吹聴してまわるのである。こうした信者たちの口コミが、幸せの押し売りを演じながら各地に拡散していく。まるで戦国時代版 SNS だ。苦境にある人ほど宗教に嵌りやすいというのも道理である。人間ってやつは幸せ過ぎても、不幸過ぎても、やはり残酷になるものらしい...

3. 偶像崇拝の呪い
よく分からないのは、「踏み絵」によって、実に多くの庶民が迫害されたことである。偶像崇拝を悪魔だというなら、なにゆえ「踏み絵」ごときは堂々と踏みなさい!と教えなかったのか?仏像にしても、その象徴を庶民に分かりやすくするためのものであって、逆の意味でキリシタンも偶像崇拝を実践しているではないか。
いや、踏みなさい!と教えたのかもしれない。敬うものに対して、粗末に扱うことに後ろめたさのような気持ちがわくのも道理である。恩義のある人に対して、足を向けて寝られないとも言うし、そんな心理状態が良心の呵責と微妙に絡むと、奇妙な正義感に囚われたりする。だとしても、拷問の代償に神のせいにできれば、神も本望であろうに。
思想や信仰の領域では、それを庶民に分かりやすく伝えるために象徴的な存在が欲しいと考える。キャッチフレーズのような合言葉もその一つ。凡庸な人ほどそうした形を欲する。だから、実質的なものよりも形式や儀式に伝統の重みを与えようとする。いわば、存在感の強調だ。
しかも、思想信仰の創始者がどんなに天才であっても、それを継承していくのは凡庸な人々である。お釈迦様が気の毒なのは仏像として拝まれることだ。偉大な釈迦がそんなことを望むはずがない。釈迦は、あの世で私は仏教徒ではないと愚痴っているかもしれない。ナザレの大工のせがれも、あの世で私はキリスト教徒ではないと呟いているかもしれない。そういえば、土下座してまで当選回数にこだわった国会議員がいた。どうやら銅像が建つらしい...

4. 三つの政治形態
当時、西洋では、信長の登場や秀吉の豪華絢爛と治安安定を実現したこと、統治と商取引などの合理性について、政治的な矛盾が指摘されたようである。ロドリーゲスは、これを矛盾ではなく時代の変革と捕らえ、三つの政治形態を示している。
第一の政治形態は、日本固有の一人の主君、すなわち天皇による王国で、武家は公家に従属する階級。これが、日本王国の本来の姿としている。
第二の政治形態は、建武の新政から政権を奪い取った足利政権のあたりから。武家が公家の支配していた統治権と領地を奪取し、その後、武家同士で反目しあって日本全土を戦火とした。
第三の政治形態は、下克上から秀吉の平定あたり。イエズス会は、この第二と第三の政治形態を実見しているとのこと。実質的な王となった信長と秀吉は、第一の政治形態の一時的な代替品のような扱いか。
徳川家については、暴君家康と、その子秀忠の拷問政権としているが、天皇家と将軍家の両立は、なかなかうまく説明できないようである。それは日本史の課題でもあり、まともに説明できる歴史家も稀である。
とりあえず、将軍家が天皇家を滅ぼさなかったのは、気分の問題とでもしておこうか。それは後ろめたさのようなもの。いつの時代でも、権力者たちは勅令という形式にこだわった。武力を行使するための正当性をどう担保するか?それは、現在の民主主義でも問題とされるが、正義の看板を掲げられなければ同意されない。人間社会では、表立った粗暴な振る舞いは本能的に受け入れられないのである。だから古くから暗殺が横行し、自殺と公表されるのは政治の常套手段だ。天皇家の存在が神格化していったという意味では、伝統の力、慣習の力は偉大である...

5. 日本人の三つの心
「日本人には、誰にも理解されないきわめて表裏のある心の持ち主である。」
日本人は、三つの心をもつという。一つは、口先のもの。二つは、友人にだけ示す胸の内。三つは、心の奥底にあるもので、自分自身のためだけのもの。
日本人は契約や条約を無視したり、目先の利害関係だけで相手を騙したりしないという。やるなら、非常に几帳面で、周到に裏切るというわけである。異国人には多大の歓待と好意を示すので、つい安心してしまうとか。異国人を軽蔑し、極度に用心深く、攻撃的になるのは小心さの裏返しであり、日本人は、この点で大胆であると。表面的には笑顔でも、なかなか本音を表に出さないことが、陰険さとも取られるわけだが、遠慮がちな振る舞いを上品とする文化も、少しは理解があるようである。
また、職人や技芸の扱いを賞讃している。日本社会では大工の頭領や芸術の家元などが尊敬されると。建築様式では、木材しか使わないものの、工匠たちははなはだ卓越かつ巧妙、その器用さは傑出していると。金細工、彫刻師、染物師といった技芸者が大名などの権力者のおかかえとなったり、千利休という茶の工匠が天下人から一目置かれ、悲運の最期を遂げたのも、たかが茶人ではなかったことを示している。西洋社会では、こうした職業が蔑視されがちであると、ルイス・フロイスやアビラ・ヒロンも書いている。技術や工芸に敬意を払う文化は、現在でも技術立国の伝統として生きているようである。
「日本人はきわめて純真で勤勉であり、また儀式や外面的な華麗さを好むので、よく秩序立てられた国家における礼節ある人間生活に必要なほとんどあらゆる種類の学芸と技芸を持っている。」
そして興味深いのは、言語システムの柔軟性について言及している点である。漢字文化であるのはシナ人と同じだが、同時にかな文化が組み込まれているので、外来語を持ち込む時に合理的といったことが綴られる。読みに準じて言葉を伝えることができるので、教会用語もそのまま使えるし、「ローマ字」という概念が持ち込まれた様子が記される。「ツウズ」を「通事」に、「パードレ」を「伴天連」に、というように駄洒落風に字を当てることも容易。ちと訛るけど...

2017-11-05

"日本王国記" Bernardino de Avila Giron 著

エスパニアの商人ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロンが記した「日本王国記」は、16世紀半ばの三好長慶の京都占領から、下克上で台頭した織田信長や豊臣秀吉を経て、徳川家康の晩年までを物語る。本書は全編二十三章から成り、日本人の起源、風土、風俗、慣習、年月日の計算法、貨幣、度量衡、貿易、盃の儀礼、行政機構、宗教にまで及び、当時の日本人の価値観を西洋人の目から語ってくれる。
同じような記録に宣教師ルイス・フロイスのものが有名であるが、こちらは一般人が記したという意味で貴重な文献と言えよう。専門家が書いたものではないので、地名や人物名など誤記が目立ち、イエズス会士ペドロ・モレホンが多くの注釈を加えている。それでも、手掛かりなしに書けるわけもなく、当時の風潮、流布などを垣間見ることができる。例えば、本能寺の政変では、秀吉は毛利側に信長の死を隠して講和したという説が一般的だが、本物語では、素直に伝えて講和したことになっており、その親厚ぶりと人間味を伝えている。秀吉英雄伝として広められたのかは知らんが、世間ではそのような噂が流布していたようである。京の三条河原で盗賊が釜ゆでになった事件でも、石川五右衛門という名をモレホンの注釈によって見ることができ、実在した人物であることが伺える。
また、マニラ政府との交渉に原田喜右衛門が絡み、秀吉の誇大妄想が朝鮮出兵から明国に向けられただけでなく、フィリピンへの野望を隠さず、さらには天竺、すなわちインドに向けられていたことも匂わせる。

種子島の鉄砲伝来に始まり、西洋人の日本渡来が盛んになった、いわゆるキリシタンの時代。宣教師ガスパール・ヴィレラとルイス・フロイスは信長に謁見し、布教保護の朱印状を得た。
その頃、日本全国のキリシタンは3万を越え、1579年頃には約10万、1610年頃には75万にのぼったと伝えられる。信長の叡山焼き討ちに対しては、お布施で私腹を肥やす坊主どもの享楽ぶりに悪魔退治のごとく擁護する記述もある。アビラ・ヒロンは、偽りの阿弥陀や釈迦の教義、あるいは弘法大師のでたらめが教えられていると記している。坊主たちは権威や外面的な装飾と豪華さを誇り、王侯のごとく尊ばれ、なによりも偶像崇拝を導入していると。
ところが、秀吉のキリスト教禁止令から運命は一変する。1597年、二十六聖人の殉教。1614年、大殉教および宣教師をマカオとマニラへ追放。家康は秀吉の禁教令を引き継いだ格好だ。
本物語には、「元和の大殉教」にまで筆は及ばないが、そうなる運命を想像させる。高山右近は太閤秀吉に向かって、キリシタン宗徒の生き様を誇り高く言い放つ。キリシタンになったのは、けして気まぐれや好奇心などではない!ましてや利害関係でもなければ人生上の問題でもない!人を救うことのできる教えがあるとすれば、それは何かを問うた結果だ!坊主どもの教えすべてが悪ふざけで、偽りで、まやかしだ!さぁ、首を斬れ!... 本書の半分以上がキリシタン迫害史の様相を呈す。原題には「転訛してハポンとよばれている日本王国に関する報告」とあり、皮肉がこめられる。黄金の国ジパングと伝えたのはマルコ・ポーロの東方見聞録だという説があるが、以来、ジャパン、ジャポン、ヤポンなどと呼称され、ここでは「ハポンとは、サヨン(死刑執行人)なり」ということである。

しかしながら、異教徒を悪魔と呼ぶのは、どの宗派も似たり寄ったり。パーデルたちが信長の叡山焼き討ちを擁護するならば、坊主たちとて同じこと。統治者というのは、庶民が奴隷となるのを喜び、庶民が思考することを嫌う。したがって、まずもって迫害を受ける者は知識層である。
確かに、信長の叡山焼き討ちには凄まじいものがあり、日本史の中でも、この下克上の残虐な性格は非難の的とされる。だがそれ以上に、秀吉の大々的な迫害、さらに家康の拷問は陰険さを増し、蛮行はますます激化していく。聞かぬ耳は剃り落とし、命令に背いて動かぬ体は指を切り落とし、足を切り落とし... 親兄弟、親類にまでおよぶ。ここには、「踏み絵」なんぞでは言い表せない、凄まじい残酷史、いや拷問史が綴られる。キリシタンの時代とは、日本史随一の宗教戦争の時代とも言えよう...

1. キリスト教宣教師とて一枚岩ではない
コロンブスの新大陸発見後、1494年、エスパニアとポルトガル両国の間に「トルデシリャス協定」が結ばれた。この条約は、東方航路による地球半分をポルトガルの勢力範囲とし、アメリカ大陸の大部分を含む西方半分をエスパニアの勢力範囲と定めた。互いの航路開拓が進めば、両者はいずれ地球の反対側で衝突する。東方航路は、喜望峰をまわって、インドのゴア、マラッカ、マカオを経て日本へ。ポルトガルはエスパニアに先んじて日本へ上陸し、平戸や長崎をはじめ九州の諸港で貿易による巨利を得た。
とはいえ、日本へ渡ったのはポルトガル人だけではなく、エスパニア人やイタリア人も混じっている。初めて日本でキリスト教を説いた聖フランシスコ・ザビエルはエスパニア人だし、九州のキリシタン大名の名代として少年使節のローマ派遣に尽力したアレッサンドロ・ヴァリニャーノはイタリア人だし、この書を記したアビラ・ヒロンもエスパニア人だ。
一方、国家としてのエスパニアはマニラを征服し、ここを足場にシナや日本への進出を狙っていた。だが、1585年、教皇グレゴリオ13世の教令発布により、日本入国はポルトガル側のイエズス会に限られることに。これは、一歩先に日本に来たアレッサンドロ・ヴァリニャーノが、エスパニア側の宣教師が入国すると、布教に混乱をきたすことを憂慮して、グレゴリオ13世に要請したからだという。
しかしながら、オランダやイギリスも宣教師を派遣し、植民地貿易上でポルトガルやエスパニアと激しく争うことになる。日本では、先に関係を持ったポルトガル人やエスパニア人を南蛮人と呼び、新参者のオランダ人やイギリス人を紅毛人と呼んで区別した。いずれも蔑視を込めた用語であろう。
本物語には、宣教師やキリシタンの弾圧に紅毛人の助言があったことも記される。すなわち、南蛮人による植民地化を企てる陰謀があるという紅毛人の進言である。映画「将軍」でもモデルとなったウィリアム・アダムスこと三浦按針は、家康の外交顧問として仕えたイギリス人である。
秀吉が死去してしばらく政治不安が続くと、イエズス会やフランシスコ会だけでなく、ドミニコ会、アウグスチノ会も布教進出を狙い、宗派争いが国家の思惑と結びつく。日本人から見れば、南蛮人も紅毛人も同じ西洋人であって、双方が東洋をめぐって覇権争いをしていることは感じ取ったであろう。秀吉にしても、家康にしても、残虐きわまる迫害に及んだのは、外国勢力に対する恐怖の裏返しであり、特に鎖国政策はその顕れと言えよう。人間の意識として自己存在を強調するために排外主義に陥りやすいのは、いわば本能的な反応である。しかも、こいつは集団的意識と結びつきやすく、愛国主義とすこぶる相性がいい。そして、西洋への対抗意識とともに徳川家に対する憎悪までも、迫害の中心となった九州や山口に封じ込められ、明治維新で一気に爆発したという流れ... などと解釈するのは行き過ぎであろうか。

2. 信長の人物像
本書では、残虐な性格の持ち主とされる信長への擁護が感じられる。伝統や形式を打ち破ろうとした改革精神や、農民出身の秀吉を出世させるなど、この下克上の政治手法は、当時でも西洋人受けしたと見える。布教活動において坊主を排除する点で、利害関係が一致したこともあろう。信長の死は、勇気、寛容、気構えの気高さなど、ひとしくすべての人に惜しまれたと記している。そして、こんな人物像を残している。
「体格のよい、背の高い、よく均整のとれた人物で、眼は大きく、鼻の高い、小麦色の肌で、神経の強靭な、やせて、毛ぶかい、すばらしい武士で、しかも気さくで、面倒くさい儀式ばったことを極端に嫌った。」
こうした信長の風采や性格を記述したものは、日本の文献でもあまり見られないそうな。
尚、宣教師ルイス・フロイスは、こう記述しているという。
「この尾張の王は、年齢三十七歳ぐらい、丈は高くやせ型で髪は少ない。声は大層高く、非常に武技を好んで粗野である。正義と慈悲を楽しんでいるが、傲慢で名誉を重んじ、決断を表に現わさず、戦術にたくみであって、ほとんど規律を守らず、部下の進言に従うことも稀である。彼は諸人から異常な畏敬を受け、酒を飲まず、自らを奉ずること極めて薄く、日本の王侯たちをことごとく軽蔑して、まるで目下の役人に対するように肩の上から話しかけるが、人々は至上の君に仕えるかのように服従している。理解力にすぐれ、明晰な判断力を持っており、神仏やその他の偶像を軽視し、異教のうらないは一切信ぜず、名義上は法華宗信徒ではあるけれども、宇宙に造物主もなく、霊魂不滅なこともなく、死後何物も存在しないと明言している。彼の仕事の処理は完全であって巧妙を極め、人と話す際は廻りくどくくだくだ言うことを憎んでいる。」

3. 日本人評
キリシタンの時代とは、信長の下克上に始まり、強硬姿勢で外国を威圧した秀吉、その反動で、これまた強硬姿勢で内に篭った家康と、いずれも極端な人物の登場、極端な政策を経験した時代だったと言えよう。
アビラ・ヒロンは、日本人の起源をシナ人と同じとしながら、シナ人と違って日本人は派手で残虐と評している。三条河原の公開処刑や殉教事件を目の当たりにすれば、それも致し方あるまい。その半面、礼儀正しく、几帳面で、清潔としているなどは、フロイスの記述をそのまま引用した感がある。
女性や子供に対する評判は、すこぶるいい。女は色白で、鼻立ちがよく、美しくてしとやかな者が多いと。子供は可愛く、六、七歳で道理をわきまえるほど優れた理解力を具えていると。このあたりは、フロイスも書いている。
特に、結婚した女性は十分に信頼に足り、世界中でこれほど善良で忠実な女性はいないとまで書いている。日本人はいかに貧しくても傲慢で尊大で怒り易く果敢であるという。残忍で非情、貪慾で吝嗇であると。あらゆる行動が陰険で、基準と誠実に欠け、何事にも極端に走りやすく、変わりやすい人々であると。だからこそ、キリスト教の布教が必要だというわけである。なんとも支離滅裂な論評だが、当たっている面も少なくない。
また、真面目な職人ということが、不名誉とされないどころか、芸術とも、技能とも見做され、鍛冶屋、大工、絵師、刀を研ぐ刀剣師などが極めて尊重されると、驚いた様子。こうした職業は、西洋では卑しいとされていたようである。
「日本人は占星師でも数学者でも哲学者でもない。それに大まかなところはほとんどない。もっとも、すばらしい手工業者で、生来ひどく短気なくせに、手先仕事なら何によらず、すばらしい完璧さを示して、ゆっくりと仕事をやる。しかし、それでも彼らの諸国の行政はすばらしい秩序と整いとがあり、完全無欠に諸法律が守られているので、どういう事態が起こっても、法律に反してことがおこなわれることはないくらいである。」