2024-03-24

"ビッグ・クエスチョン" Stephen W. Hawking

Big Question !
古来、自然科学には、神託めいた究極の問い掛けがある。宇宙はいかにして誕生したのか?人類とは何者か?そして、どこから来、どこへ行くのか?それは、自らの存在に意味を求めてきた旅、いや、解釈をめぐる旅である。
車椅子の宇宙物理学者スティーヴン・ホーキングは、10 の難題が突きつける。

  • 神は存在するのか?
  • 宇宙はどのように始まったのか?
  • 宇宙には人間のほかにも知的生命が存在するのか?
  • 未来を予言することはできるのか?
  • ブラックホールの内部には何があるのか?
  • タイムトラベルは可能か?
  • 人間は地球で生きていくべきなのか?
  • 宇宙に植民地を建設するべきなのか?
  • 人工知能は人間より賢くなるか?
  • より良い未来のために何ができるか?

さて、この世界一有名な無神論者は、これらの問いにどう答えてくれるだろうか...
仮に、神は存在するとしよう。宇宙に始まりがあったとしよう。すると、宇宙の始まりの前には何があったのか?神は天地創造の前に何をなさっていたのか?本当に神は、そういう質問をする人間どものために、地獄を創ったのか?
永遠なるものは、創造されるものより完全である。だから、宇宙は永遠でなければならない!という主張も分からなくはない。
しかし、だ。宇宙は完全である必要があるのか?そもそも、完全とはなんだ?宇宙の在り方に、どんな意味があるというのか?神はなにゆえ、11 次元の M 理論のような複雑怪奇の空間をデザインしたのか?... などと問えば、たちまち地獄行きよ。不完全者は、地獄を見なければ、天国を見ることも叶わないと見える。ダンテが「神曲」で天国を描く前に、煉獄と地獄を描いて魅せたのは、必然だったのであろう...
尚、青木薫訳版(NHK出版)を手に取る。

「私に信仰はあるのだろうか?人はそれぞれ信じたいものを信じる自由があり、神は存在しない!というのが一番簡単な説明だというのが私の考えだ。宇宙を作った者はいないし、私たちの運命に指図する者もいない... おそらく天国は存在せず、死後の生もないだろう。死後の生を信じるのは希望的観測でしかないと思う... だが、私たちが生きつづけることには意味があり、生きて影響を及ぼすことにも、子どもたちに伝える遺伝子にも意味はある。一度きりの人生は、宇宙の大いなるデザインを味わうためにある。そしてそのことに、私はとても感謝している。」

宇宙を形作る要素は、三つあるという。一つは質量を持つ物質、二つはエネルギー、三つは空間である。それは、アインシュタインのあの有名な方程式でも記述される。
しかしながら、量子力学では、すべての存在に対存在が想定され、エネルギーの存在には負のエネルギーを、素粒子の存在には反物質なるものを持ち出さなければ説明がつかない。空間そのものが、負の遺産の貯蔵庫というわけか...

「不確定性原理は粒子だけでなく、電磁場や重力場などの『場』にも当てはまる。そのため、何もない空っぽの空間のように見えたとしても、場は厳密にゼロになることができない。なぜなら、場が厳密にゼロならば、きちんと定義された位置もきちんと定義された速度もゼロになるからだ。それでは不確定性原理が破れたことになる。そこで、場は厳密にゼロになることはできず、ある最小値のゆらぎを持たなければならない。それがいわゆる真空のゆらぎだ。真空のゆらぎは、突如現れては打ち消し合って消滅する、粒子と反粒子のペアと解釈することができる。」

ところで、生命とはなんであろう。それを定義づけられる根本原理とはなんであろう。一つの性質に、維持と複製がある。まさに遺伝子には、複製しようとする意志と増殖しようとする力が感じられる。DNA は、生命体の青写真を世代から世代へと伝えていく。
複製と増殖という性質に着目すれば、コンピュータウィルスもある種の生命と見なすことができるやもしれん。そもそも人間は、物理的には粒子の集合体でしかない。コンピュータもまた然り。コンピュータ科学は、マシンを生命化しようとしているかに見える。今日のインテリジェンスな AI の出現は、既にアラン・チューリングが提起した、マシンは意志を持ちうるか?という問題を具現化している。AI に支配された社会は、すべての人間を奴隷の地位に押し込め、人間には実現不可能と思われた真の平等社会を実現するやもしれん...

「スーパーインテリジェントな AI の到来は、人類に起こる最善のできごとになるか、または最悪なできごとになるかということだ。AI のほんとうの危険性は、それに悪意があるかどうかにではなく能力の高さにある。」

2024-03-17

"FACTFULNESS" Hans Rosling, Ola Rosling, Anna Rosling Roennlund 著

TED talk でハンス・ロスリング氏を見かけたのは、十年ぐらい前になろうか。彼が亡くなって、五年が過ぎたというのも不思議な感じ。今でも生き生きとした講演が観覧できるのだから...

産業革命で最も偉大な発明は何か?それは、洗濯機だ!この発明こそが、退屈な時間を知的な読書の時間に変貌させた魔法だ!と豪語したコミカル調が蘇る。
少子化問題で子供をどんどん産みなさい!と触れ回り、経済政策では消費を煽るばかりの政治家や有識者を尻目に、世界規模の人口増殖の方に問題意識を向ければ、マルサスの人口論を読まずにはいられない。経済学では、古びてしまったとされる理論を。いまや産んじまえば、なんとかなるって時代でもあるまい。ハンスは、貧困層の生活水準を引き上げることが人口増加の抑制につながる、と唱えるのであった...
尚、上杉周作、関美和訳版(日経BP社)を手に取る。

"FACTFULNESS" とは、ハンスの言葉で、データや事実に基づいて世界を読み解く習慣を言うらしい。本書の共著者でもある息子オーラ、妻アンナと共にギャップマインダー財団を設立。Gapminder は、統計情報を五次元で視覚化するツールとして知られ、ここでは国別に、所得、健康、寿命、人口の関係が示される。
こうして眺めていると、国の有り様が多種多様に富み、先進国と途上国で区別する国際機関や各国政府の要人たちの言葉が空虚に感じられる。先進国という呼称に固執する国もあれば、都合よく使い分ける国もあったり、あるいは、貧困国とされながらも最優先される必需品がスマホだったり。
本書は、10 の思い込みを提示してくれる。"FACTFULNESS" とは、これらの克服から見い出せるものらしい...

  1. 分断本能... 世界は分断されているという思い込み
  2. ネガティブ本能... 世界はどんどん悪くなっているという思い込み
  3. 直線本能... 世界の人口はひたすら増え続けているという思い込み
  4. 恐怖本能... 危険でないことを、恐ろしいと考えてしまう思い込み
  5. 過大視本能... 眼の前の数字が一番重要だという思い込み
  6. パターン化本能... ひとつの例がすべてに当てはまるという思い込み
  7. 宿命本能... すべてはあらかじめ決まっているという思い込み
  8. 単純化本能... 世界はひとつの切り口で理解できるという思い込み
  9. 犯人探し本能... 誰かを責めれば、物事は解決するという思い込み
  10. 焦り本能... いますぐ手を打たないと大変なことになるという思い込み

しかも、賢い人ほどハマりやすいという。問題は、知識のアップデート。変化の激しい時代では、すぐに知識が廃れていく。勉強は学生の本分!などと言われるが、社会人だからこそ、経験を積めば積むほど、その必要性を感じる。
古い知識が役に立たないということではない。古い知識に新たな知識を重ね、その知識に至るプロセスも新旧で重ねれば、より強力となろう。重要なのは、学ぶ習慣である。マハトマ・ガンディーは、こんな言葉を遺してくれた。「明日死ぬと思って生きよ。不老不死だと思って学べ。」と。
そして、学ぶ習慣を支えてくれるのが、好奇心だ。様々な角度から学べば、いろんな面白味が見えてくる。多くの偉人たちが、読書批判をやりながら、熱心な読書家であったことも頷ける...

「なによりも、謙虚さと好奇心を持つことを子供たちに教えよう。謙虚であるということは、本能を抑えて事実を正しく見ることがどれほど難しいかに気づくことだ。自分の知識が限られていることを認めることだ。堂々と知りません!と言えることだ。新しい事実を発見したら、喜んで意見を変えられることだ。謙虚になると、心が楽になる。何もかも知っていなくちゃならないというプレッシャーがなくなるし、いつも自分の意見を弁護しなければと感じなくていい。好奇心があるということは、新しい情報を積極的に探し、受け入れるということだ。自分の考えに合わない事実を大切にし、その裏にある意味を理解しようと務めることだ。答えを間違っても恥とは思わず、間違いをきっかけに興味を持つことだ。... 好奇心を持つと心がワクワクする。好奇心があれば、いつも何か面白いことを発見し続ける。」

ただ、これら 10 の思い込みは、進化の過程で必要であったのではなかろうか。問題は、どれも感情を煽り、ちと行き過ぎるところにある。
人は何事も、善悪、白黒、勝ち組と負け組... などと、二項対立で捉えがち。おまけに、自分自身を優位なグループに属させ、ある種の優越主義に浸る。人はなんでも悪く考える傾向があり、隣の芝は青く見えるもの。進化の過程は右肩上がりに見えるもので、直線的に上昇するものと捉えがちだが、そのおかげで希望が持てる。
だが、実際には退化の時代もあったはず。そうでないと、自省というものが働かない。
そして、現在は、進化の時代か、退化の時代か、そんなことは知らんよ。
恐怖心は、人間の心理操作でもってこい。だが、恐怖と危険はまったく違う。恐ろしいと思うことはリスクがあるように見えるだけで、危険なことには確実にリスクが内包されている。ジャーナリズムは、分断意識を刺激し、恐怖心を煽って、注目を浴びようとする。
ソーシャルメディアだって、負けじと犯人探しに躍起だ。政治屋は手頃なスケープゴートに責任転嫁とくれば、大衆は、今すぐ手を打たないと大変なことになると焦る。
しかも、こんな複雑怪奇な人間社会を、ひとつの切り口で理解した気になれれば、すべての思考をたった一つでパターン化しちまう。こうした心理傾向は、いわば人間の本能である。
そして、これらの思い込みを克服できれば幸せになれるかも分からん。それで、ハンスさんは楽観主義者のレッテルを貼られたそうな...

「わたしは、楽観主義者ではない。楽観主義者というと世間知らずのイメージがあるが、わたしはいたって真面目な可能主義者だ。可能主義者とは、根拠のない希望を持たず、根拠のない不安を持たず、いかなる時もドラマチックすぎる世界の見方を持たない人のことを言う。ちなみに、可能主義者はわたしの造語だ。」

また、アフリカ連合主催の講演で、辛辣なツッコミを喰らった場面は、なんとも印象的である。しかも、穏やかな口調なだけに、なおさら辛辣に...

「図とか表はよくできましたし、話も上手だったけど、ビジョンがないわね!極度の貧困がなくなるって話ね。そこが始まりなのに、先生の話はそこで終わってましたね。極度の貧困がなくなれば、アフリカ人は満足だと思ってらっしゃる?普通に貧しいくらいがちょうどいいとでも?講演の結びで、先生はご自分のお孫さんがアフリカ観光に来て、これから建設予定の新幹線に乗る日を夢見てるっておっしゃいましたね。そんなのがビジョンだなんて言えます?古臭いヨーロッパ人の考えそうなことですよ。... (略) ... 私の夢はその逆で... アフリカ人たちが観光客としてヨーロッパに歓迎される存在になる。難民として嫌がられるんじゃなくてね。それが、ビジョンというものよ。」

2024-03-10

"饒舌について 他五篇" プルタルコス 著

プルタルコスといえば、その大作に「対比列伝」がある。ToDo リストにずっと居座ってるヤツの一つ。ちょうど、澤田謙の編纂版「プリューターク英雄伝」でお茶を濁したところ(前記事)。
だが実は、「モラリア(倫理論集)」ってヤツもある。邦訳版で全 14 巻にも及ぶ大作で、エッセーの起源ともされるそうな。ついでに、こいつもお茶を濁すとしよう。だからといって、どちらも ToDo リストから抹殺できずにいる。未練は男の甲斐性よ!

本書は、その大作の中から「いかに敵から利益を得るか」、「饒舌について」、「知りたがりについて」、「弱気について」、「人から憎まれずに自分をほめること」、「借金をしてはならぬこと」の六篇をつまんでくれる。ソーシャルメディアでも見かけそうな題目が並び、現代病の根源を拾い集めたような...
尚、柳沼重剛訳版(岩波文庫)を手に取る。

1. 最高の敵は己の中に...
敵があってこそ得られる利益がある。愚者は友人関係すらぶち壊しちまうが、賢者は敵対関係までもうまく利用するらしい。目を光らせる者がいて、修正される振る舞いもあれば、他人を観察することによって、自分の長所や短所が見えてくることだってある。人に騙されて高い授業料を払い、それで賢くなることも...
虚栄心は人間の本能的な性癖の一つだが、そんな悪癖までも利用しちまう人たちがいる。樽犬先生(ディオゲネス)ともなれば、祖国から追放され、財産を没収され、そんな不遇を閑暇と哲学の道へ転じた。賢者とは、なんと抜け目のないヤツらだ。
愚者は、成功よりも失敗に学ぶことが多い。ならば、友よりも敵に学ぶことが多いのやもしれん。恋愛よりも失恋に学ぶことが多いのやもしれん。結婚よりも離婚に学ぶことが多いのやもしれん。
わざわざ自ら失敗を招く必要もあるまいが、愚者は自ら体験してみないと分からない。そして、自分は悪くない!と、なんでも他のせいにできる性分は、ある意味幸せである。
おまけに、敵意が生じれば、憎しみとともに妬みが生じ、他人の不幸を喜ぶ気持ちまでも芽生えさせる。「嫉妬は憎悪よりも、和解がより困難である。」とは、ラ・ロシュフーコーの言葉。嫉妬こそが最も厄介な敵やもしれん。今こそ、嫉妬を感じないようにする修行を...

2. 沈黙不能症
ソーシャルメディアに誹謗中傷の嵐が荒れ狂う時代では、沈黙の仕方も難しい。論争では、言葉で勝利することが第一の目的となり、真理なんぞ二の次三の次。ソフィストたちが育んできた弁論術の伝統は、いまやプレゼン技術として受け継がれる。ただ、技術がいくら進歩しようとも、古くから伝わる訓戒は変わらない。見た目より中身だ!言葉より実行だ!と...
お喋り屋が欲望を満たすのは、すこぶる難しい。人に聞いてくれ!と言いながら、自分は聞く耳持たず。他人に目を光らせておいて、自分自身には目を背ける。
それでも、お喋り屋が周囲を黙らすという意味では、人に沈黙を教えている。そればかりか、言葉の不毛を教えている。
酒呑みが、黙っていられるもんか!それで酒呑みに説教されてりゃ、世話ない...

「哲学が饒舌の治療を引き受けるとなると、これは厄介でむずかしい。用いられる薬は言葉だが、言葉は聞かれてこそ効き目があるのに、おしゃべりな人間は決して人の言うことには耳をかさず、のべつしゃべってばかりいるからである。そして、この他人の言葉に耳をかさないというのが、沈黙不能症という病気の最初の兆候である。」

3. 弱気の正体は依存症か...
弱気で他人の奴隷になるか、自己賛美で自己愛の奴隷になるか、借金でお金の奴隷になるか、いずれも似たり寄ったり。
しかし、人間ってやつは何かに依存せねば生きてはゆけぬ。アリストテレスは、人間を「ポリス的動物」と定義した。ポリスとは単に社会を営むだけでなく、最高善を求める共同体というような哲学的な意味も含まれているが、ほとんどの人間が社会に依存しながら生きている。社会制度がどんなに不完全であっても、その制度に文句を垂れようとも、その仕組みに依存せずには生きては行けぬ。自己責任なんぞクソ喰らえ!自立なんぞ悪魔にでも喰わしちまえ!それでミイラ取りがミイラに...
依存症に打ち負かされた弱気は、多くの不遇を呼び寄せる。不評の煙を逃れようとも、逃げ方が下手なもんだから、却って炎上よ。断ると気まずいかなぁ... という気持ちに憑かれ、無茶な要求までも引き受け、後の祭りよ。ノーが言えないのは、本当に相手への気遣いか。却って揉め事を増幅させてはいないか。
しかしながら、弱気がすべて悪いとは言えまい。無防備な強気よりはましかも。不当な要求で、厚かましく要求してくる連中は、断固として拒否!恥知らずを思い知らせてやれ!思慮分別に欠ける人間から憎まれるのは本望よ!

ゼノン曰く、「何だと、愚か者めが。その友人とやらは、お前に対して不当不正な所業に及んでいるのだから、お前を恐れてもいなければ、お前に対して恥ずかしいとも思ってはおらぬ。しかるにお前は、正義のためにそやつに刃向かう勇気がないのか!」

2024-03-03

"プリューターク英雄伝" プリューターク 著 & 澤田謙 編

死ぬまでに読んでおきたい!
そんな大作が、ToDo リストを賑わす。プリュータークの「対比列伝」も、そうした一冊。
だが、人生は短い。永遠に到達できない境地があるのも止む無し。だとしても、無闇矢鱈と足掻いてみるのも悪くない...

そこで、本書だ!
翻訳者澤田謙が独自の視点で人物像を掘り起こし、編纂して魅せる。
「対比列伝」というからには、古代のギリシアとローマで著名な人物を、一人ずつ対比しながら物語るという趣向(酒肴)。それぞれ二十名以上、計五十名ほどの英傑が記される。優れた人物の優れた行為には、一種の張り合いのようなものを感じる。自分もこうありあたいと...
しかも、時代を超えた対比となると、人物の特徴がより鮮明になる。長所だけでなく、短所も露わになり、より親しみが感じられる。

しかしながら、ここでは対比にこだわらず、自由奔放な書きっぷり!
「大王アレキサンダー」、「英傑シーザー」、「高士ブルータス」、「哲人プラトン」、「智謀テミストクレス」、「怪傑アルキビアデス」、「義人ペロピダス」、「雄弁デモステネス」、「大豪ハンニバル」、「賢者シセロ」と十名ばかりを炙り出し...
しかも、ハンニバルやプラトンは、対比列伝では一章をなしていないが、ここでは章に昇格させ、他の人物についても、かなり加筆したと宣言している。歴史学者箕作元八の著作「西洋史新話」を参考にしたと... そして、そちらの書にも興味がわくが、絶版のようだ。うん~、惜しい!
ブルータスの二大演説に至っては、対比列伝には骨格が記されるだけだそうだが、ここではシェークスピア風の戯曲で捲し立てる。
それで原書はというと、歴史書というより物語性に富んだ伝記小説風のようで、その性格は継承しているらしい。

例えば...
アレキサンダーの大王たる逸話は、知っていても、やはり読み入ってしまう。
ダイオゼネス(ディオゲネス)との問答では... 樽犬先生、何をご所望か?じゃ、そこをどいてくれ。日が陰るでなぁ...
「我もしアレキサンダーたらずんば、願わくばダイオゼネスたらん哉じゃ。」
「ゴルディアムの結び目 - この紐を解くものは、天下に王たるべし。」に挑んでは... 颯ッと佩剣を抜き放ち、紫電一閃!結び目を両断する。波斯(ペルシア)を平らげると、大王はこう言い放ったとさ...
「敵に克つよりも、己に克つこそは、王者たるに適わしきこと。王者の光栄は、そこのところにあるのだ!」

プラトン物語は、ソクラテスに看取られている。
「雅典(アテネ)の神々を礼拝せず、自分の創った新たな神を拝する。濫りに新説を流布し、世の青年を惑わす。」これが、ソクラテスの罪状。道徳を説き、真理を叫び、法に従うことを説いた賢者は、今、脱獄の勧めを拒否して法の裁きに身を委ね、毒杯を仰ぐ。
その意志を次いだプラトンは、学園アカデマス(アカデメイア)を開講し、青年たちを導いた。これが、今日のアカデミーである。プラトンは、哲学者こそ統治者の資質としながら、自らは教師に甘んじたとさ...

ハンニバル物語には、人を動かすリーダーシップ論を学ぶ。
電光石火のごとくアルプス越えを果たせば、「カルタゴは怖るるに足りないが、ハンニバルは怖れねばならないぞ!」
この豪傑に、ローマはアルキメデスの知恵で反撃す、「予に支点を与えよ。然らば地球を動かさん!」

... こうした物語を多くの作家が読み、また創作の糧にしたことだろうことは、想像に容易い。

ところで、英雄ってやつは、どんな時代に出現するのであろうか...
大衆は、強烈な指導力を持つ政治家の出現を待ち望む。そして、選挙運動を冷めた目で眺めては嘆く。そんな人物は見当たらないと...
大衆は、移り気が激しい。いざ、豪腕な政策を施せば、それを嫌い、今日の英雄は一夜にして独裁者呼ばわれ。
しかも、大衆は盲目で、自信満々な語り手を信用する。こうしたことが、民主主義の最大の弱点なのであろう。
したがって、政治家は、弁論術を求めてやまない。支持を得るために、その技術を磨く。現代風に言えば、プレゼン技術。もちろん、その根底に政治哲学が重視されるべきだが、何事も手っ取り早く手段や方法に群がるのが人間社会というもの。効果的な人心掌握術があれば、そこに群がる。重要なのは真理ではない。真理っぽく装うことだ。大事業を成すには、真理では足らぬ。正義でも足らぬ。権勢や利運をも味方につけなければ。
ただ、いつの時代でも、どこの国でも、絶えないのは大勇を妬む小勇がある。民主主義社会では、善良な政府の存在よりも、善良なマスメディアの存在の方が本質的なのかもしれん...

「大衆時代なればこそ、世は英雄を待望するのである。猫の顔ほどの希臘(ギリシア)の小天地に、偉人傑士雲のごとく現われたのは、いわゆる希臘の自由なる民主主義時代であった。羅馬(ローマ)の民衆が、世界統一を夢みはじめたとき、シーザーが起ってその大衆の呼び声にこたえた。仏蘭西(フランス)革命の怒濤のごとき大衆の波に乗ったのが、一世の風雲児ナポレオンであった。ながい封建の桎梏が自然に腐れ緩んで、百姓町人の手足に自由が訪れたとき、西郷南洲は錦の御旗を東海道に押し立てたのだ。真の英雄は、自由なる民衆時代にあらずんば、現われるものではない。」
... 澤田謙

では、対比列伝に倣って、古代のギリシアとローマを対比しながら眺めてみよう...

まず、古代ギリシア時代は、アテネとスパルタの争覇戦であった。しかも両国の性格は、人情風俗習慣に至るまで正反対。アテネは文化を重んじる民主主義、スパルタは武断を誇る国家主義。デモステネスのような雄弁家を輩出したのも、アテネのお国柄を表している。もはや覇王フィリッポスに対抗できるのは、執政官にあらず、将軍にあらず、ただ一人の雄弁家であったとさ。
テミストクレスは、雅典(アテネ)の未来は海上にあり!とし、海軍を創設。積極的な海外貿易で国力を強化していく。政変で専制政治に傾くと、直ちにこれを打倒するアルキビアデスのような怪傑が出現する。
対するスパルタは、他国と交われば衰弱な風土に汚染されるとし、海外との交流を拒否する。アテネは個人財産を重んじ、スパルタは金銭を卑しみ、自ずと両国で法の在り方も異なる。見事なほどの対称性をなす都市国家と言うべきか。

これに、第三勢力としてテーベが割って入るといった構図。
ペロピダスは、異郷アテネに亡命するも、ひそかに二大強国の隙き間から、新興国テーベの樹立を画策する。それでも、外敵による危機が迫ると、ギリシア全土で惜しみなく結束できる関係が保たれている。

一方、古代ローマ時代は、策謀と奸計で賑わす。
ローマ皇帝という絶大な権力者がいながら、元老院という諮問機関が併設され、その意味では、アテネとスパルタが融合したような。いや、ローマは群衆が動かす国家だ。それ故、大っぴらに事を運べない。
シーザーが慕った高徳な人物ですら、正義感が強すぎる故に私情を捨て... ブルータス、汝もか!
このブルータスこそは、専制政治を打ち破って平民政治を打ち建てた、古ブルータス家の子孫であったという。策略家カシアスは、ブルータスの純粋な使命感を操って、暗殺計画の一党に引き入れ、事を為す。
そんなローマを遠くエジプトから視線を送る女王は、シーザーを悩殺し、アントニーを弄殺。だが三度目の正直か、オクタヴィアスを艶殺せんとして成らず。クレオパトラの鼻が一分低かったら、世界の歴史は違っていたろう... とパスカルに言わしめた妖艶無比なる美女の運命は、自ら毒蛇の餌食に...

シセロ(キケロ)ほどの人物までも、時代の餌食に... 
クレオパトラの鼻とは反対に、シセロの鼻は豌豆(シセル)に似ていたので豌豆氏と渾名されたそうな。この賢者にして、二大欠点が暴かれる。
一つは、余りに己の功績を、自ら称賛し過ぎたこと。彼の文書には、自賛の言辞で満ち満ちていたという。
二つは、弁舌にまかせて、あまりに皮肉や毒舌を弄したこと。元老院といわず、人民会といわず、裁判廷といわず、人を見下すような...
いずれも悪意はなさそうだが、没落を早めるには、惜しみて余りある。そして、ローマを追われながらも、共和制が独裁制に変貌していく様を憂う。
オクタヴィアスはシセロの信望を利用して統領になるが、アントニーのシセロ暗殺計画に屈っする。皮肉なことに、アントニーはオクタヴィアスに攻められ、エジプトで非業の死を遂げることに。オクタヴィアスはというと、シセロの子を抜擢し、共に統領ならしめたとさ...