2017-03-26

"歴史哲学講義(上/下)" G. W. F. Hegel 著

晩年ヘーゲルは、ベルリン大学で「世界史の哲学」と題して五回の講義を行ったという。この講義は活字にされることなく、死後1837年出版の「歴史哲学講義」は弟子エドゥアルト・ガンスが編集したものだとか。ヘーゲルが論じた弁証法的方法論には常々興味を持ってきたし、その彼が歴史を哲学的に論ずると宣言すれば、これは見逃せない。それは... 世界史の流れを理性の歩みとして明らかにし、人類の普遍性を自由意思の発展として描き出すこと... だという。過去の事実をそのまま叙述したり、反省を加えたりする歴史家たちのやり方とは一線を画し、人間の本性に立脚し、自由精神を透視してみようという試み。そして、自由意思の生い立ちを、東へ東へ求め、中国、インド、ペルシア、エジプト、ギリシア、ローマ、ゲルマンの順に辿る。
ヘーゲルは、「社会と国家こそが自由を体現する場」だと主張する。自由精神はしばしば悪と手を結んできた。彼は、それが全能の神が創造主であることに矛盾しないとの見解を示そうともがく。善も、悪も、人間の本性であることに疑いの余地はない。メフィストフェレスとも和解せねばならぬとすれば、理性や摂理を信じるだけでは不十分だ。となれば、なぜ完全なる神が、こんな不完全な存在をこしらえたのか?と問わねばなるまい。なるほど、ヘーゲルの歴史哲学とは「弁神論」であったか...

民族や国家の運命、その利害や動向は、道徳とは別の次元に置かれてきた。歴史から得られた教訓は、それに従うどころか、それ自体が都合よく解釈される。現在の知識が経験と理論に裏付けられた最高知として崇められ、過去の教訓は古臭いとして吐き捨てられるのは、いつの時代も同じ。あれだけ貴重な古代ギリシアの叙述が遺されながら、あれだけ貴重な啓蒙時代の書物が溢れていながら。ビスマルクはこんなことを言った... 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
人間が進化しているとすれば、歴史的な変化は望ましい。一時的な後退があったとしても、全体的により良く、より完全に向かっていれば。一般的には、そう考えられている。しかし、愚行を繰り返せば、より滑稽となる。変化を求めているのは、単なる退屈しのぎか。科学的な知識は、確実に増幅している。となれば、客観性はより強化されるはずだが、その分、主観性がより凶暴化して相殺させる。人類にとって、知らない方がよかったという知識も数多くあろう。パンドーラーの箱を開けてしまって後悔しても既に遅し。進化にはリスクをともなう。そして、リスクを凌駕できるほどの進化を遂げているか?が問われる。もはや反省という言葉だけでは不十分だというのか?ヘーゲル先生!
有識者や政治家たちは口を揃えて言う、歴史から学べ!と。しかし、説教じみた語り手ほど、物事を捻じ曲げて解釈する者はいない。それはソフィストの時代から受け継がれてきた。あらゆる戦争は愛国心が歪な形で媒介し、メディアが憎悪を煽り、これに大衆が加担するという構図は、21世紀の今も変わらない。集団性がある方向に一斉に向かった時、個人の自由は圧殺される。
そもそも歴史現象は、自然現象とは違って人間の思惑によって左右される極めて主観的な現象であり、これを客観的に捉えることは不可能なほど難しい。この矛盾は、歴史学が抱える永遠の課題であろう。デイヴィッド・ヒュームはこんなことを言った... 世界は政治哲学をもつにはまだ若すぎる!

ならば、客観的な思考に限界を認め、逆に主観的な思考を存分に解放し、とことん人間の本性を曝け出してみてはどうであろう。人間の本性を考察するということは、自分自身を観察することから始まる。集団から距離を置き、自我からも距離を置いてみる。大抵の人は、自己の内に悪魔の要素が住み着いていることに気づくだろう。理性とは自分の自由を自ら抑制する力であり、自分の理性に自信を持った時点で理性の奴隷となる。自己意識はしばしば理念と対立し、普遍的な絶対者とも対立する。だからこそ抑制との共存によって意識が高められる。相対的な認識能力しか持てない知的生命体にとって、絶対的な観念を見いだすことなどできはしない。自己の自由は、他人の自由を尊重する形で成り立つはずである。自由に生きるには、覚悟がいる、勇気がいる。それは、自律や自立をともなうからだ。物欲に依存することも、組織の中で安住することも、自分自身に同情することも放棄し、自分自身の知性に身を委ねる。
しかしながら、知性ってやつが、いかに脆弱であるか。歴史的人物がしばしば不幸の運命を背負うことは、ぞっとするような事実だが、それによって凡人が慰められるところもある。アレクサンダー大王は早死し、カエサルは暗殺され、ナポレオンは流刑の身となり... 偉業を成し遂げた者が、すべての幸福を勝ち取ったとすれば、どうして偉大と認められよう。真の自由人ならば、嫉妬や憎悪に隷属することもないはずだが...
叙述が宗教の形をとるならば、読者に信じてもらいたいという思惑が働く。だが、哲学の形をとるならば、矛盾を承知し、矛盾を積極的に受け入れ、読者に解釈を委ねるほかはない。少なくとも聖書のように解釈を強制することはできない。凡庸の、いや凡庸未満の酔いどれ天邪鬼が、自由が欲しい!と大声で叫んでいる間も、天才どもは静かに自由を謳歌してやがる...

1. 共同体の原点... 中国
共同体の原点を、東へ、東へと辿り、中国の最古の国家に求める。古代中国には「四書五経」という偉大な書群があるが、本書は「五経」の方に触れ、法律と道徳の源泉を探る。五経とは、歴史の原典「書経」、占いや漢字の元をなす図形を扱った「易経」、古揺を集めた「詩経」、礼儀作法の教説「礼記」、音楽論「楽経」。これに、孔子が手を加えたとされる魯の国の年代記「春秋」を合わせて「六経」とも言われる。
古代中国では、既に歴史を意識して記述を残す文化が確立していたという。これは非常に高度な文化ではあるが、その半面、歴史書の地位が高まり、一度記述されたことは聖典となり、間違いを修正することが難しくなる。歴史家が大きすぎるほどの権威を持つことになり、歴史が政治家たちの正当化のための手段とされれば本末転倒。
また、国土に侵入してくるタタール人との戦いから集団の結束が正義となる。万里の長城は、まさに人類の奇跡的偉業!大統一国家でもなければ成し遂げられなかっただろう。同時に、多民族国家で分裂紛争を繰り返し、結束を崩さないために、新たな風潮や思想は迫害され、革新的な考えが罪に問われる。西洋的な自由精神の観点から、強制的で受動的、主体性を欠く。義務を強制し、法律も義務を基準に定められる。
しかしながら、平等を重んじた国家で、位階に基づく区別があるだけ。西洋的な固定された奴隷身分の概念もなければ、中世には憧れの国家体制と目された時期もある。
だが、行政職に就く目的は、ひたすら高い地位を求めることになり、社会全体が官僚的になりやすい。親は子供を官吏養成に血眼になり、官吏採用も官僚的となる。政府が奨励する学問が尊敬され、そこに人々が群がり、知識そのものが官僚的に。
罪の問われ方では、殺意、過失、偶発事は一切区別されないと指摘している。大罪で裁かれる時は、家族全員が責任を負わされるとか。連帯責任という概念は、日本にも根強くあり、官僚的性質も強い。危険なのは、行動者の主体的自由や道徳心の一切が否定されることだという。
一方で、身分の上下が考慮されず、軍功赫々たる軍司令官ですら同等に裁かれるのは、平等が徹底されていると指摘している。道徳は強制的で平等はあっても自由はないから、政治体制は専制政治にならざるをえない、と指摘しているが、まるで日本国家のことを言われているような...

2. 歪な身分制度... インド
中国とは、正反対の国家としてインドを挙げている。中国では散文的な知性が制度の隅々にまで行き届くが、インドは空想と感情の国であるという。歪な身分制度として名高いカーストは、神話的な発想からきており、差別だけが独り歩きをしている感がある。
インドの教典「ヴェーダ」は、本来バラモンしか読んではならないものらしい。シュードラ(奴隷民)が読むと罰せられるのだとか。優れた書ならば、なにゆえ万民で共有しないのか。知識の独占も、これまた人間の本性である。バラモンは、カーストの最上位に位置する司祭階級で、政治的にも影響力が強く、生きた神のような存在。宗教的な教典ってやつは、縄張り意識が強く、きわめて排他的で、おまけに解釈まで強制する。
とはいえ、上位民が尊敬される生活をしていれば、下位民が反乱を起こすことはない。それぞれの身分には義務が規定されるが、身分が低いほど決まりも少ないという。このような安定した上下関係を皮相的に眺めれば、西洋人の目に理想郷に見える時期もあった。何事も、他人のものがよく見えたりするものだが...
インド宗教の最高位に「ブラフマン」という宇宙論的な根本原理があるという。肉体を否定することによってブラフマンの力を得るらしい。自我とされるアートマンが、ブラフマンと同一となった状態が「梵我一如」ってやつか。仏教でも、無我の境地を最高の精神状態とされる。この宇宙原理から外れると、社会から抹殺されるという暗黙の了解のようなものがあるという。
バラモンは、苦行によって手に入れた宗教の高みを保持し、けして手放すことはない。生まれつき特権が、下位カーストによって神として崇められるとなれば尚更。カーストは単なる階級制度ではなく、宗教によって後押しされた、より根深い掟となっている。
また、中国には自らの手で歴史書を記述する文化があったが、インド史で信頼できるのは、アレクサンダー大王の遠征後に記されたギリシア人の手による記録ぐらいなものだという。バラモンの記述したものは、歴史を明らかにするという点で良心に欠ける、と指摘している。

3. 自由意思の青年期... ギリシア
ヘーゲルは、クセノフォンやプラトンらが生きた古代ギリシャ世界を、歴史の青年期に位置づける。精神の躍動ぶりは、ホメロスの作品にも見て取れる。
ギリシア文化で最高峰をなすアッティカ地方は、もともとはあらゆる部族の避難所であったという。ペルシアやエジプトなどの抑圧から逃れてきた民族と土着民が融合する社会。現在でも、この地域がイスラム世界からの逃避ルートになっている。古代アッティカは、20世紀、新世界アメリカに、ヨーロッパの既成観念に反発した人々が流れ、さらにヒトラーの台頭で多くの知識人が流入した光景にも重なる。
多種多様な民族の合流が、アテナイを中心に民主主義を育んでいった。当初、海洋的な地形から海賊の棲家となるが、クレタ島のミノス王が海賊を制圧。クレタ島は最初に市民政治が確立されたことで知られる。それは、後のスパルタのような一党支配だったという。古代ギリシアの都市国家体制は、しばしば二つで大別される。アテナイ式とスパルタ式が、それだ。多民族の政治体制では民主制が機能しやすく、単一民族では独裁制が育まれやすいということか。
ヘーゲルは、ギリシアの共和制について、三つの特徴を挙げている。
一つは、信託を取り入れた政治。自主的に決断を下すには、確固たる根拠と主体的な強い意思を示す必要があるが、まだ強靭な意志力をもっていなかった時代。ソクラテスですらダイモニオン(精霊)の声に耳を傾ける。
二つは、奴隷制度。市民が自主的に広場で演説を行い、また聴衆し、ギムナジウム(体操場)で体を鍛え、祭典に参加する、といった権利と義務を持つことは民主主義で必要な条件だという。だが、こうした権利を得、哲学をするためには、市民が仕事から解放される必要があり、労働は奴隷のものとなる。
三つは、都市の範囲をこえることなく、小規模な国家でしか機能しないこと。大規模な国家では様々な利害が衝突する。共同体の人員が日常で顔をあわせ、慣習を同じくし、共通の文化によって成り立つ小規模なレベルでなければならなかった。
また、ソロンは財産の多寡によって四つの等級に分け、党派の対立を緩和しようとしたという。四つの等級は、すべてが公共事業を審議し決定する民会には出席できるが、公職に就くことができるのは上位三等級だけ。
注目すべきは、民会を通して僭主ペイシストラトスが権力を握ったことだ。党派の争いが激しくなると、そこにつけ込むように独裁者が現れる。民衆は移り気が激しく、目前の利害に対して簡単にメフィストフェレスに魂を売る。20世紀初頭、世界で最も民主的とされたヴァイマル共和国の行き詰まりが、見事に怪物独裁者の呼び水となった。フランス革命では、自由、平等、博愛を掲げたにもかかわらず、すぐにロベスピエールらの恐怖政治と化し、ナポレオンが登場しなければ収まらなかった。共和制ローマも、帝制へ引き戻された。古代ギリシアには、既に民主主義の弱点と限界が暴かれている。「徳が民主制の基礎である。」とは、モンテスキューの言葉である。
さらに、ペリクレスが民主化を促進した。アレオパゴス(評議会)の権限を制限し、職務を民会と法定に分散。彼は、私生活を犠牲にして祭礼や宴会を自粛し、国家のために尽くした人物として評され、アリストファネスは「アテネのゼウス」と呼んだそうな。
真の民主制で最高権力を握ることができるのは、人格と自信であるとしている。ただ、この二つの性質を巧みに演じることは、政治屋の得意とするところ。自由社会とは、徳のもとで発揮される自然的な監視体制ということは言えるかもしれない。
しかしながら、自由社会アテナイもまた堕落の道を歩む。道徳そのものが堕落の要因となるのはスパルタも同じだが、現れ方が違う。アテナイではあけっぴろげで軽率な党派紛争という形をとり、スパルタでは所有欲と私生活の乱れという形をとる。民衆を扇動する弁論術はアテナイを中心に発達し、ソフィストの活躍の場となった。やがて互いの堕落が引き寄せ合うかのように、ペロポネソス戦争へと導かれる。市民が困窮すれば、唯一の政策が植民地を求めることへ。アテナイは海軍によって外への征服を続け、スパルタは海軍を持たずに内陸支配に固執する。ペロポネソス戦争は、政治体制という価値観をめぐるものであったか。この時代にあって既にイデオロギー戦争の様相を見せる。

4. 哲学的な思想改革... ゲルマン世界
ローマ帝国の厳しい迫害に耐えながらも、国教の地位を獲得したキリスト教は、もともとは寛容な思想だったに違いない。迫害から逃れるために秘密主義をとり、あまり知られていない多種多様な福音が存在したはずだし、だからこそ生き延びることができたのだろう。
しかしながら、四つの福音書を正典とすれば、それ以外は異端とされ、人々を区別なく救済するという本来の目的から逸脱する。その暴挙ぶりは十字軍という形で現れた。アレクサンドリア図書館は襲撃され、ヒュパティアのような優れた知識人を虐殺。宗教の狂乱ほど恐ろしいものはなく、博愛を唱える修道士ですら最も残虐な行為に及ぶ。
宗教弾圧が千年以上も続けば、キリスト教の本来の在り方とはなんぞや?と疑問を持つのも自然であろう。いや、宗教改革までの経過が長過ぎたのは、人間精神に宿る宗教心の根深さを物語っている。野望を抱く政治屋どもが宗教を利用しない手はない。教理が教会から与えられる以上、思考は自由とは言えないし、奴隷となんら変わらない。自分で教理を一つ一つ検証してみるのが哲学というもの。スコラ学者アンセルムはこう言ったという。
「信仰を手にいれたあとに、信仰の内容を思考によってたしかめようとしないのは怠惰である。」
そして、思想改革はゲルマン世界において起こった。ゲルマン民族には、ローマ帝国と敵対する部族と共存する部族が混在する。一般的には、ゲルマン民族の大移動がローマ帝国滅亡の直接的な原因の一つとされるが、タキトゥスの著作「年代記」を読めば、既にローマ社会が堕落していたことを教えてくれる。当初のゲルマン精神では義務の観念が乏しく、個人の意思が強い傾向にあったという。タキトゥスも、神とは無縁の民族として、その粗暴ぶりを記している。何かのきっかけで共同精神を目覚めさせたものと思われるが、ローマという巨大な敵を前にしたからであろうか?
さて、中世の終わりを告げる宗教改革は、カトリック教会の堕落の中で生じた。それは偶然に起こったものでなければ、権力の乱用でもないという。教会の堕落は教会自身に原因があり、欲望や主観的利害、あるいは利己的な意思がそうさせたと。ただし、堕落は教会だけにとどまらず、皇帝しかり、貴族しかり、民衆またしかり。すべてが堕落に見舞われれば、単純素朴な心情から反乱が生じる。それは修道僧ルターに発した。ルターの教えによると、こういうことらしい。
「ここにある無限の主体性、つまり、真の精神性たるイエス・キリストは、けっして目に見える形で目の前に現実に存在するのではなく、人間が神と和解するかぎりで精神的なものとして獲得することができる。つまり、信仰と満足のうちに得られる。」
これは何もカトリックと矛盾するようには見えない。それどころか、キリスト教の原点に立ち返ろうとしているように映る。当時のカトリックは、あまりにも具体的に世俗を支配しようとし過ぎたということか。ルターによる聖書のドイツ語訳は、ルター聖書と呼ばれるくらいだから、よほど影響力があったと見える。そもそも聖書が外国語で訳されることにも論争があった時代で、当時フランス語訳版は作られなかったらしい。国民の書が存在することは、国民に読書能力を要請することになるが、カトリックの国々では、その条件があまりにも満たされていなかったという。宗教改革は、純粋なゲルマン民族にだけ受け入れられたとか。
ちなみに、タキトゥスの著作「ゲルマーニア」によると、イギリスへ移住したアングロ・サクソン系もゲルマン種族としていた。ヒトラーがイギリスに好意的であったとされるのも、このあたりからくるのかもしれない。
ただ、自由意思が認められるのは一部のエリート階層でけで、農奴解放は基本的人権が登場するまで待つことに...
さらに、古代ギリシア文化への回帰という形で現れたルネサンスがドイツに広まる時期と、宗教改革の時代が重なるのも偶然ではあるまい。その意思は、啓蒙時代に受け継がれることに...

5. 悪魔との和解が急務... 現代
ところで、宗教嫌いなおいらは、昔からプロテスタントという用語の扱いが微妙だと感じてきた。ルター派もあればカルヴァン派もあるし、反カトリックという意味では英国国教会を含む場合もあり、実に多種多様。カトリックからの分裂派という意味で、東方教会やロシア正教会までは含まないようだけど...
すべてを遡れば、だいたい同じところに辿り着くという意味では、信仰心は人類にとって普遍的な存在なのだろう。おいらは無宗教者で無神論者であるが、それでも、なんとなく宇宙論的な絶対的存在を信じているし、それが宗教の言う「神」とは違うような気がしてならないというだけのこと。実際、キリスト教徒と称して科学的な見地から教会とは距離を置いたり、独自のキリスト教を再構築する人もいるし、安楽死ビジネスを敬虔なキリスト教徒が運営していたりする。そういう人たちは布教という行為には、あまり出ないようである。人間の信仰心は実に多種多様で、精神を宗教団体などという枠組みで画一化できるものではないし、ましてや強制できるものでもあるまい。仲間意識を煽る人ほど人頼みに走り、人に依存しようとしているだけのことかもしれん。
ユダヤ教はエジプトの神から派生し、キリスト教はユダヤ教から派生し、イスラム教にしてもこれらの影響を受けている。古代ギリシア時代には、ゼウスを中心としながらも実に個性的な神々が共存していたが、一神教になった途端に歪になるのかは知らん。人々を救済するはずの宗教が寛容性を失い、排外主義に憑かれた時、悪魔と化すのかも知らん。どんな大罪人でも懺悔すれば救済されるというのに、異端というだけで罪のない人々まで抹殺にかかるとは、これいかに?しかも、紛争は近い地域や近い思想の間で生じやすいし、親兄弟の間で生じる憎しみほど根が深い。人間ってやつは、本質的に差別好きで、縄張り意識が強く、自己存在を強調せずにはいられない。善や徳を唱える前に、メフィストフェレスと和解することの方を優先するべきなのかもしれん...

2017-03-19

"花伝書(風姿花伝)" 世阿弥 著

「ひとつ、この口伝に、花を知ること。まづ仮令、花の咲くを見て、万に花とたとへ始めしことわりをわきまふべし。そもそも、花といふに、万木千草において、四季をりふしに咲くものなれば、その時を得て珍しきゆゑにもてあそぶなり。申楽も、人の心にめづらしきと知るところ、すなわち、おもしろき心なり。花と、おもしろきと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり。いづれの花か散らで残るべき。散るゆゑによりて、咲くころあればめづらしきなり。」

春風駘蕩の奥義とは、こういうものを言うのであろうか...
これは、芸人たる心得と、芸の実力を発揮する方法を綴った秘伝の書である。まず、幽玄たらんことを第一とし、面白きことを第二とす。そして、幽玄と物真似を二大要素に据え、その真髄は花を知ること、能も花と知るべし!... と能芸の極意を語ってくれる。ゆえに、「風姿花伝」と言う。花とは、目に見える美しさだけでなく、奥深き趣きを具えてこその美。六百年も前、わが国でこのような体系的な芸術論が語られていたとは...
人の一生とは、狂言のようなもの。猿の仮面をかぶれば猿に、武士の仮面をかぶれば武士に、エリートの仮面をかぶればエリートに、サラリーマンの仮面をかぶればサラリーマンになりきる。あとは、幸運であれば素直に波に乗り、不運であれば生きる糧とし、いかに達者を演じきるか。人間なんてものは、物狂いを演じながら生きているぐらいの存在なのかもしれん...
尚、本書には、川瀬一馬による現代語訳が付せられる。

「花伝書」は、世阿弥の著作のごとく言われてきたが、実は世阿弥は筆記者であり、編者であり、これを口述して授けたのは父の観阿弥だそうな。芸術の本質を考究すれば、自ずと人生論の性格を帯びてくる。世阿弥は、能の位を「幽玄の位」「闌ける位」とで区別し、前者を生得の才、後者を年劫を積み重ねた才とし、双方の位を兼ね備えた者を達人と呼ぶ。
とはいえ、そんな奴は百年に一人の逸材。幽玄でない芸人でも長けることはあるし、幽玄な芸人でも長けることは難しい。ならば、双方を知るために、どう生きるか、人の道を究めようとすることこそ肝要というわけである。なるほど、初心忘るべからず!とは、父の遺言であったか...
「上手にも悪きところあり、下手にも善きところかならずあるものなり。これを見る人もなし。主(ぬし)も知らず。上手は名をたのみ、達者に隠されて、悪きところを知らず。下手は、もとより工夫なければ、悪きところをも知らねば、善きところの、たまたまあるをも、わきまへず。されば、上手も下手も、互ひに人にたづぬべし。さりながら、能と工夫を究めたらんは、これを知るべし。」

鎌倉末期、観阿弥は、滑稽卑俗なモノマネ芸であった申楽を、芸術性豊かな歌舞本位の新たな申楽にやりかえた。世阿弥は、父の意志を継ぎ、将軍義満をはじめとする室町武士の鑑賞を勝ち得るに至った。
とはいえ、申楽者たちは、なお卑屈な立場から抜け出ることができないでいる。庶民の心、人の心、分からずして、何が芸術だ。演戯から共感を呼び、役者と観衆の一体感こそ舞台演芸の真髄。即興性とは、一期一会になぞらえた一期一芸ごときもの。観阿弥は、人の心を写す方法論として物真似芸に重きを置き、仕手も、見手も、身分の隔たりを無にしようと思いを込める。この口述は、子への伝授というより、芸術家としての自覚を高めようとしたもののように映る。人間として低級卑俗から抜け出すために、謙遜と節度を重んじるかのように...
「私儀に言ふ。そもそも、芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感をなさんこと、寿福増長の基、遐齢延年の法なるべし。究め究めては、諸道ことごとく寿福延長ならんとなり。」
しかしながら、見物の側が奇妙な縄張りを囲うは、いつの時代も同じ。現在でも、歌舞伎役者たちが、気軽に観に来てください!と言ってくれるのは、おそらく本音であろう。その一方で、見物人たちが奇妙な身分差別をこしらえ、敷居を高くしてやがる。歌舞伎座あたりに出かけようものなら、セレブリティかぶれが、セレブ風を吹かせながら、着る物をめぐって火花を散らす。こちらの流儀が常識ざんす!貧乏くさくて不愉快ざんす!ってな具合に。本当の金持ちなら、貧乏人に絡んでまで自尊心を満足させようとはしないはず。人に難癖をつけずにはいられないとすれば、人に依存しながらて生きているようなもの。もとが滑稽芸なら、見物人も滑稽を演じるとうわけか...
「芸の家というものは血統が続くのが家ではない、芸の真髄が続くのが家である。人間は人の形をしているのが人間ではない、人の道を知っているのが人間である。(現代語訳)」

1. 芸の道 = 人の道
世阿弥は、芸の道をこう綴る。
...
七歳で芸の道に入り、子供の思うようにやらせよ。「自然といたすことに、得たる風体あるべし。」
十二三で調子が合うようになり、芸を仕込むべし。「童形なれば、なにをしたるも幽玄なり。」
十七より、最も重要な時期。声変わりで花が枯れ、腰つきも風情も変わり、嫌になってくる。一生の分かれ目はここにある。
二十四五、一期の芸が定まる時期。声変わりも落ち着き、身体も成人となり、若盛りゆえに上手を買いかぶる。自惚れのままの一時的な花に過ぎないと知れ。
三十四五、盛りの絶頂、名声を得る時期。だが、名声を得ることが目的ではない。いまだ真の花を究めぬと知れ。
四十四五、能の作法を悟るも、やり方を変えていく時期。花が枯れ、年老いていくが人の道。
五十有余、無用の事をしないという他は手立てがない。とはいえ、ものの善悪をようやく知る。「能は、枝葉もすくなく、老木になるまで、花は散らで残りしなり。これ、眼のあたり、老骨に残りし花の証拠なり。」
...
これは、孔子道ではないか!孔子は言った... 十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず... と。人の道には、死ぬ瞬間にしか悟れないものがあるようである。それをほんの少しでも覗き見るには、絶え間なく続く今を精一杯生き、準備を怠らぬように...

2. 物学道 = 物真似道
本書では「物学」と書いてモノマネと読み、物学び(ものまなび)という思いが込められる。赤子は親の仕草を真似て学ぶ。子供は大人の行いを真似て学ぶ。人間性もまた、何かを手本としながら、あるいは反面教師としながら学ぶものである。
観阿弥の説く物真似とは、姿や振る舞いをそっくり真似るという意味だけではない。具体的には、まず十体の風体を会得せよ!と説く。十体とは、歳相応にて、女、老人、直面(ひためん)、物狂(ものぐるい)、法師、修羅、神、鬼、唐事。これらをすべて会得すれば、工夫によって細かく変化させ、百種にも拡張できるという。
さらに、十体を会得する以上に大切なことは、未来の花を忘れてはならぬ!と。幼少の風姿、初心の態度、壮年期のやり方、老齢の味というように、その時期々々において自然に具わった風体を演じる。ある時は子供や若者の能に見え、ある時は壮年期の役者かと思われ、また随分年劫を積んだようにも見えて、同じ人物が演じていると思われぬようにやる。
幼年の時から老後までの芸を、すべて一度に持つという理屈は、まるで多重人格論。いや時間を統合したパラレルワールドか。これを「年々去り来たる花」と称している。ただし、この芸境に達した役者は昔も今も知らないという。
芸能の位が上がったために過去の風体を捨ててしまうのでは、花の種を失う。万事に抜け目なく生きろ!とは、無限の境地を要請しているようなものだが、到達できないとすれば、永遠に暇つぶしができる。生きることが精一杯ならば、死を恐れている暇などない。
「ひとつ、そもそも因果といって、善い時、悪い時というのがあるのも、工夫をこらして見ると、要するにそれは珍らしい、珍らしくないの二つになる。上手な者がやった同じ能を、昨日と今日と続けて見たとして、前におもしろいなと見たことが、後ではまたおもしろくもない時があるというのは、昨日おもしろかったと思っていたのが、今日は珍らしくないために、よくないと思うのだ。その後また善い時があるのは、前に悪かったのにと思う気持ちが、また珍らしいということに返って、おもしろくなるのである。(現代語訳)」

3. ひためん(直面)と仮面
田楽と武家との結びつきは、源平時代に遡るそうな。そして鎌倉時代、田楽は武家社会の生活を反映し、武士が愛好する舞台芸能の中心となっていく。「田楽」と呼ぶからには、名の由来が田んぼであることは想像に易い。鎌倉殿と主従関係にある御家人たちが地方に散らばって舞台芸能を広め、今度は地方芸能として育まれて、逆に都で珍しい地方芸が人気を博し、都に本座、新座の田楽座が起こったという。都と農村が相互に影響しあって、能へと発展していったということらしい。禅の修養や武士道が、広く地方百姓まで浸透していった様子が、この時代に見て取れる。
芸術がいかに人間の本性を暴くものかを物語っていれば、やはり政治権力と相性が悪い。室町時代、世阿弥が低級卑俗とされた能芸を存続させるために、将軍義満のご機嫌取りもやったことだろう。芸を開花させるのは、根気のいる仕事だ。何事も世間を生き延びるためには、したたかさが求められる。能の精神は、権威主義から距離を置き、謙遜の態度を伝統にするしかなかったのかもしれない。だが世俗では、仕手も見手も自我を肥大化させていくのが世の常。だからこそ、皮肉芸や滑稽芸がより輝く。非道を行う者が、人道を説くというわけか...
鎌倉末期、近畿地方に栄えた申楽諸座の中、まず近江申楽の日吉座が起こり、天女の舞いという形が生まれ、これに仮面を使用したのが歌舞の芸だという。一方、仮面を使用しないのが、田楽の特色だったとか。本来の申楽は、メーキャップのみで仮面をかけることはなかったようである。仮面を用いたのは、歌舞の達者があまり美人ではなかったということであろうか?それとも、男が演じるからであろうか?仮面が無表情であるがゆえに、型を重んじるようになったということはあるかもしれない。
ひためんと仮面は、本音と建前を使い分ける技に通ずる。古代より世界各地で、美女の官能的な歌舞の伝統が見られる。ギリシア神話に登場する妖精やニンフなど、天使に天女の舞いを重ねたりと。日本では、歌舞を文芸的に発展させたのが、大和申楽座の観阿弥だったという。世阿弥が綴る普遍的精神を鑑みれば、ユネスコの無形文化遺産に登録されるのも、分かるような気がしてくる。しかしながら、能の精神が見えていないのは、むしろ日本人の方やもしれん...

2017-03-12

"お能・老木の花" 白洲正子 著

能といえば...
紋切り型の舞台演芸というイメージが強く、どうも近寄りがたい。日本の伝統芸能を日本人が馴染めないとは、どういうわけだ?海外公演の話はよく耳にするし、ユネスコの無形文化遺産にも登録されているというのに... などと思ってきた。
ところが、映画「のぼうの城」で、成田長親を演じる野村萬斎さんの田楽踊りは、滑稽ながらも奇妙な美を醸し出す。

♪~ がってんかぁ?... がってんじゃあ、がってんがってんがってんじゃあ ~♪
♪~ れんろんれんろんれんろんやぁ... ひょろろん、ひょろろん ~♪

その動きには、自由奔放でありながらも、何かに裏付けられた型というものを感じる。そして、漫才や落語も伝統的な話芸の型から派生したものであろうし、多分、その原点も庶民を喜ばすことを快感とする遊び心から発しているだろうし、多分、型破りという型もあるのではないか... というふうに考えるようになった。おかげで、つまらないイメージーも少しやわらぎ、ときどき貧乏臭い着物姿で博多座へも出かけるようになった。
本書は、そんな酔いどれド素人にも分かったような気分にさせてくれる入門書で、「お能」、「梅若実聞書」、「老木の花」の三作品が収録される。おまけに、いきなり冒頭から仕掛けてくるフレーズにイチコロよ!
「お能というものはつかみどころのない、透明な、まるいものである、と一口に言ってしまうこともできます。同時に何千何万のことばをつらねても、言いつくせないものであります。芸術はすべてそのようにとめどのないものですが、それは片手にのせるほどの小さな茶碗一個でも完全に表現することができます。お能もまたそのとめどのないものの円満な代表者であります。」

芸が術となった時、権威をまとい、敷居が高くなり、鑑賞者に高みに登ってこい!と要請してくる。本書は、そんな術も、もともとは娯楽芸、いや滑稽芸から発していることを教えてくれる。
「お能は純粋に民族的のところから発生した...」
そもそも芸術と自由精神は相性がいいはずで、自由人は型に嵌められることを極端に嫌う。
しかし、だ。型に真理の奥義が秘められているとすれば、どうであろう。型の本質を見極めようという欲求に憑かれては、型と型破りの境界をさまよい、模写を尽くす。そして、神と腕比べをし、ついに、自我に参った!と言わせた瞬間、真の型破りが始まる。これが独創性ってやつか。こうした傾向は、ルネサンス時代の芸術家たちにも見られる。ラファエロしかり、ミケランジェロしかり、ダヴィンチしかり... 模写を尽くす根本的な動機は物マネに発し、その根底には大人たちの仕草に憧れる子供心がある。
一方で、マックス・ヴェーバーは、プロテスタンティズムの禁欲精神が、資本主義的な自由精神を覚醒させたと論じた。愛は障害があるほど燃え、禁断の愛では炎はより大きくなる。逆説的ではあるが、模倣が独創を育み、抑圧が自由を覚醒させるのは、相対的な認識能力しか発揮できない知的生命体の宿命であろう。厳格な型と厳しい稽古に裏付けられた自由精神の芽生え。それは、真に型を習得した者にしか打ち破れない領域にあるのやもしれん...
「... 名人なる者はこれもまた一個の不完全な人間で、いわゆる芸術家として発言することもしないほどの職人であればこそ『お能』が演じられるのです。」

舞台芸術というものは、その時代の民衆を喜ばせるものでなければならないわけで、社会慣習が変われば型も変化していく。人を喜ばせる芸も、見慣れてくれば、喜びは半減していく。観衆の目は肥えていき、贅沢になっていき、より刺激を求めてくる。おのずと芸にも磨きがかかり、巧妙かつ高度化して、ついに術の域に達する。
そして、庶民には手の届かない存在になるとは、なんと皮肉であろう。偉大な芸術を目の前にすれば、手も足もでない。十分に成熟した芸術は、信仰と見分けがつかない。無知を知れば、黙って見るほかはない。最低な感想は、作者や演技者はいったい何が言いたいのか?といったものだ。自己の能力が自己の自由を奪うとなれば、世阿弥の言葉がぐさりと刺さる。

 惣じて目ききばかりにて能を知らぬ人もあり。
 能をば知れども目のきかぬもあり。
 目智相応せばよき見てなるべし
 ...「花鏡」批判の事

1. お能と能楽
「能楽」といういかめしい言葉が通用するようになったのは、明治になってからだという。江戸時代にも能楽という用語はあったようだが、「お能」「乱舞」などと呼ぶ方が一般的だったらしい。お能の前身は猿楽とされるが、そんな単純なものでもないようだ。
「お能がいつ、どこで、どうして発生したかと言うことは、おそらくだれにもはっきりと言えないと思います。舞踊の歴史は人類とともに古いのです。お能はその長い長い舞踊史をつづるクサリの一部です。ひとつのクサリが他のクサリを生み、長くなるにしたがってたがいにもつれ合い、こんがらかってしまいました。そのクサリのひとつひとつを名づけて、あるいは傀儡子(くぐつ)、あるいは侏儒舞(ひきひとまい)、あるいは白拍子、あるいは曲舞、あるいは田楽、あるいは咒師(じゆし)、... などと申します。」
他には、奈良時代に中国から伝来した「散楽」というクサリもあるという。観阿弥は結崎座の座頭で、大和猿楽の一派。別の一派に近江猿楽というのもあるとか。世阿弥は競争相手の近江猿楽の特長にも目をつけ、大和猿楽に一部は吸収され、一部は滅んだという。
能楽とは、お能でもあり、乱舞でもあり、猿楽、散楽、申楽でもあり、猿楽の能と呼ばれたりもし、おまけに猿楽同士の枠をも集めたもので、まさに掴みどころがない。だがそれは、結果を見てそう言えるのであって、世阿弥の意図したことかは定かではない。
さらに、能には「中心といえるものがない」と指摘している。中心がなければ、すべてが中心を主張し、芸術家のエゴイズムを助長する。エゴイズムが肥大化した時に自由が見えてくるのだろうが、それができるのは名人だけだろう。中心点は無数の点となり、無限という無は無意識の象徴にまで高められ、そこから思いがけぬ美が生じるというものか。
最上の演出を「冷えたる能」とか、「闌けたる位」とか言うそうな。してみると、わび、さび、陰翳、冷え、枯れといった言葉も逆理であって、文字通り受け取るわけにはいかない。美の完全は、宇宙の不完全によって生じる。不完全とは柔軟性であり、柔軟性は自由精神と相性がすこぶるいい。黄金の茶室などは美の愚弄、冒涜の類い。凡人が真似れば、自我を肥大化させるだけで、権威主義の餌食となる。
また、お能は、武士がこしらえた文化だという。鎌倉時代の田楽が武家社会の生活を反映していたようである。武士には、いつ死が訪れるか分からない。元服すれば、まずもって切腹の作法が伝授される。生の儚さを、型に縋る思いであったのだろうか。
平安朝の文化人の理想は、現世に快楽を求めることで、来世は現世の延長と考えていたという。黙って極楽を待つより、今を極楽へ。お能には、幽玄との対話が組み込まれる。幽霊、神、鬼、天狗、化身、草木の精、狂人、神がかりなどが登場するのも、ある種の現実逃避であろうか。来世を描けば、現世に皮肉を込めずにはいられない。お能は型に嵌まりすぎていて、芝居のような個性がないとも言われる。
だがそれは、あまりにも抽象的だからということらしい。いや、普遍的と言った方がいいかもしれない。現実の人間はあまりにも個性が溢れ、能にとっては煩わしい存在であり、幽霊の方が煩わしくないとでもいうのか。死人と付き合う方が分かりやすいと言えば、そうかもしれん。幽玄に羽衣を着せて虚像を演じるのも、仏像や聖像を拝むのも、はたまた彫刻や絵画を賞賛するのも、たいして変わらないと言えば、そうかもしれん...
「芸術家は自然に対してさほど忠実でなくても、またその反対に自然がほとんど消滅していても芸術が成りたつことは、お能のもつ不自然さがもっともよく証明いたします。」

2. 世阿弥
室町時代には、お能は非芸術的な演戯とされたそうな。ある歴史書によると、江戸時代、歌舞伎役者は河原者や河原乞食などと呼ばれ、卑しめられたと聞く。これと同じような処遇であろうか。娯楽芸は庶民から発した文化であり、身分の高い連中には、やはり低俗なのか。現在でも、お笑い芸を低俗とする論調を見かける。笑いの感情は、高等な動物の証だとも言われるのだけど。
この卑しいお能を芸術にまで育てたのが、世阿弥である。世阿弥は美しい少年で、将軍足利義満の目に留まったという。義満がどれほど芸術的な精神を持ち合わせていたかは知らんが、その派手好きは金閣寺に見て取れる。世阿弥は、謙虚に、したたかに生きたという。自己の内にある芸術家を抑えつけてまで、自己を殺してまで。芸術家を気取らない芸術家といったところであろうか。純粋な精神から発する芸術は、真理を暴くために、しばしば政治の思惑と対立する。しかも、民衆への影響力が強く、政治家は無視できない。それは、いつの時代でも同じだ。
本書は、身の程を知っていたから、お能の型を完成させられたと指摘している。言い換えれば、世渡り上手とも言えそうで、芸術家としての立場は千利休と対称的ですらある。利休の運命が、自分の意にかなっていたかは別にして。
ただ、義満に寵愛されながらも、その愛に溺れず、世阿弥の作品の中に一つとして将軍を讃えたものは見当たらないそうな。将軍の機嫌をとってまで生き永らえようとは思わなかったということか。やはり自由精神は芸術家にとって命か...
世阿弥は理論家でもあり、「花伝書」をはじめ十六もの書を残したという。そこには能の本質、構成法、教育方針などが語られているとか...
「世阿弥の遺書が現代人をまんぞくさせるのは、今から五百年も前に私たちと同じことを思っていた人があるということを発見することにあります。」

3. 序破急
日本の伝統芸能に限らず、舞台劇を鑑賞する人は、「序破急」という言葉を耳にしたことがあるだろう。いわゆる三幕構成である。世阿弥は、こう書いているという。

「序ははじめであるから正しい姿である。また自然の姿である」
「破はそれに和してこまかく手をつくし注釈をほどこす部分である」
「急は急速におしつめて最後をかざる部分である」

お能の場合、正式な番組は五つで構成されるそうな。一、脇能... 二、修羅能... 三、かつらもの(または三番目物とも)... 四、狂女物あるいは四番目物...五、切能。このうち、脇能と修羅能が「序」、かつらものが「破」、切能は「急」に属すという。
なんとなく、プラトンが唱えた「イデア論」、あるいは、ヘシオドスの唱えた人間の「五つの種族」に通ずるものを感じる。序に精神の原型、すなわち純粋な魂を据え、狂気の末に鉄の種族へと変化していく様に...

4. 香道
本書は、お能とお香の類似性を語ってくれる。これは、リラクゼーションのためにお香を焚く酔いどれには見逃せない。お香ほど抽象的なものもあるまい。そこにあるのは香木と煙だけ、あまりにも自然であるがゆえに誤魔化せない。匂いは純粋に直感を刺激し、お香には匂いを楽しむという遊び心が具わっている。無意識と遊び心の共存だ。お能の役者もありのままの姿を演じながら、なんらかの型を強要している。
香道における志野宗信は、お能における世阿弥のような存在。彼は、香木を六種類に分類したという。それは「六国」とも「六木」とも言われる。それぞれ南の国の名をとって、伽羅(きやら)、羅国(らこく)、真那伽(まなか)、真南蛮(まなばん)、寸聞多羅(すもたら)、佐曾羅(さそら)と名付けたという。六歌仙にかたどって六種五味を嗅ぎ分けると...

  • 伽羅 = 苦... 品位高く優にして苦味を主とす。高尚なる事雲上人の如し、故に僧正遍昭とす。
  • 羅国 = 辛... 薫り鋭く苦味を帯びて白檀の如き処あり。凛然たる武士に似たり。業平の表面女色を装へど内心の大志を抱けるに比すべし。
  • 真那伽 = 鹹... 薫り軽く艶にして早く香の失するを良しとす。少し癖ありて愁を含める女に似たれば小野とす。
  • 真南蛮 = 甘... 甘味を主とす。他に劣りて卑しき処あり。故に山賤の花蔭に休らへる黒主に適すべし。
  • 寸聞多羅 = 酸... 酸味を主とす。品位優ならず。いはば商人のよき衣着たりとやいはむ。故に此を康秀と見たつべし。
  • 佐曾羅 = 酸... 香気冷やかにして酸上品なるは伽羅に紛ふ処あり。高尚なれば高僧の部として喜撰に擬す。

この六種五味を会得すれば、何百何千ものお香をききわけられるとのこと。そして、この五味が、お能の五つの構成に通ずるというわけである。すなわち、優美で品のよい伽羅は「かつらもの」、白檀のように凛然たる羅国は「修羅能」、愁いを含む真那伽は「狂女物」、やや品の落ちる真南蛮は「他の四番目物」、最も優美でない寸聞多羅は「切能」、冷ややかにすがすがしい佐曾羅は「脇能」と...
「知識をもたないために直感にたよるほかはない... 人間の知識が発達するにつれてにぶくなった直感は、人が知識にたよれない場合に限り溌剌とよみがえる...」

5. 梅若実聞書
梅若六郎の父、梅若実が73歳で隠居に際してのエピソードを紹介してくれる。著者は「花伝書」を携えて、「先生、この本をお読みになったことありますか。これこそ本当の芸術論というものです。」という挑戦的な質問に、翁はこう答えたという。
「いえ、そういうけっこうな書物がある事は聞いておりましたが、未だ拝見したことはございません。芸が出来上がるまで、決して見てはならないと父にかたく止められておりましたので。... しかし、もういいかと思います。が、私なぞが拝見して解りますでしょうか...」
人生という厳しい修行を生きた者にしか発せない言葉であろう。どんな難解な書を読んでも、分かった気になれる惚れっぽい酔いどれとは大違い。全然分かっていないから、分かったふりが平然とできる。
また、名人の芸に対する態度を、アランことエミール=オーギュスト・シャルティエの文章と重ねている。
「剣術を習った人はよく知っている様に、腕をのばそうとする努力は、まさにその努力の為に、腕を完全に伸ばし切る事を不可能にする。この様な場合には、反対に、その事に頭を使わないで成功する様な、何かしら柔軟なもの、無関心なものが必要である。... 大衆が喜ぶのは、その結果よりも、結果を生む為にはらわれる努力の方に拍手喝采をするのであって、実際の話が、我々は自己の欲望に褒美を出しているのだ。」
剣術も一種の舞踊と言えよう。いずれも究極の意味において、敵は相手ではなく、己にある。結果として相手を負かすことよりも、真の意味で己に勝つ... 何かを悟った境地とは、こういうものを言うのであろうか。心眼とは、目が見える以上に見えるものらしい。凡人は、目が見えたところで盲目であり続ける...

6. 老木の花
「初心忘るべからず」とは、世阿弥の言葉と言われる。その言葉にふさわしい能の名人に、友枝喜久夫という人を紹介してくれる。渡辺保という人は、こう評したという。
「仕舞はその姿勢 - 構えが大事である。ところが友枝喜久夫の構えは、一見構えともいえないような無雑作なものである。右手に持った扇がダラリと下がっている。この無雑作な扇が、しかし身体全体に不思議な色気を漂わせるから不思議である。無雑作に見えても技術をこえなければ持てる扇ではない。技術によって技術にとらわれず。すなわちそこに自由な心境がある。」
無雑作から生まれる技術とは、無からの有への体現であろうか。能を難解なものにしたのはインテリであって、芸術に祭りあげ、専門家がそれに便乗して権威主義を造りあげたが、友枝喜久夫にはそれがないという。
「一時的な快楽を与えて過ぎ去って行くものと、血の出るような訓練をして、技術を超越したところに現れる不滅の美は、その強烈なことにおいて変りはなく、たまたま会えるか会えないか、見物の心ひとつにある。テレビの普及は私たちを怠け者にしてしまい、受動的にしかものが見られなくなっている。解らないとか難しいというのも現代のマスコミが作り出した概念にすぎず、そんなことをいい出したら、絵や彫刻だって能以上に解らないし、難しいのである。」

2017-03-05

"知性改善論" Baruch De Spinoza 著

宇宙論的な神を唱えれば、無神論者のレッテルを貼られ、長らくタブー視されたスピノザ哲学。だが、人間の編み出した宗教の教義など普遍性には遠く及ぶまい。汎神論論争の帰結が、スピノザ哲学を不動の地位に押し上げるとは、なんとも皮肉である。真理を探求すれば懐疑主義となり、独りよがりの自問自答に耽る。それは疑い深いのとは違う。健全な懐疑主義と啓発された利己主義こそが、真理探求者の資質とでもしておこうか。時勢に逆らってまで信念を貫く姿勢は、酔いどれ天の邪鬼にはたまらない...
本書は、知性の方法論を語ってくれる。注目したいのは、事物理解の方法として、定義を重視している点である。優れた定義が、優れた認識を与えるというわけだ。優れた質問が優れた結論へ導くものだが、そこには、きちんとした定義が前提される。定義が不明瞭であれば前提を見失い、議論は迷走する。誤謬の原因の多くは、ここにあるのではあるまいか...

ところで... 知性とはなんであろう?
知性をうまく定義することができれば、人生に意味を与えることができそうだ。しかしながら、これを定義することが最大の難題である。スピノザは、最高善を唱えている。それは、人間の至高の幸福としての真理を探求する意志とでも言おうか、能動的な精神の姿であって、極めて自由意志に近いものであろう。
「知性」を我が家の国語辞典で引くと、「物事を知り、考えたり判断したりする能力...」とある。思考力や判断力には、おのずと限界がある。肉体で成り立つ人間は有限的な存在でしかなく、量子論的に言っても、質量ある物体は有限的な存在でしかない。そもそも真理なんてものは、人間が勝手に編み出した退屈しのぎの概念かもしれないし、そんなものは存在しないのかもしれない。仮に存在するとしたら、おそらく無限の体系にあるのだろう。
では、幽体離脱した魂は、無限的な存在になりうるだろうか?遺伝子や記憶子の継承によって、普遍的価値観へ昇華させることができるだろうか?時間の矢に幽閉され、空間次元の非対称性に幽閉される人間の認識能力が、唯一活路を見出すとすれば、それは世代を超越した永劫回帰にあろうか。ニーチェが問題提起したあれだ。スピノザだって、知性への道を完全に記述できると思ってはいまい。なるほど、どんな賢人であっても、自分自身を真理会得者などとは呼ばないものらしい...

さらに... 知性を導くための道具とはなんであろう?
知性はしばしば知識と混同されるが、まったく違うもののように映る。知性は知識によってもたらされるが、知識を詰め込んだところで知性が得られるものではない。知識の宝庫と言えば学問だ。最高の仕事が最高の道具によってもたらされるように、最高の知性もまた優れた学問によってもたらされるであろう。
しかしながら、学問は手段でしかない。知識とて記憶と忘却に見舞われ、人間の都合でどちらかが選択される。実際、凡人の学問は最高善を求めず、金銭欲、名誉欲、快楽の手段と化す。有識者や有徳者ですら名誉を重んじるがために、相手の名声を傷つけることに必至で、感情の捌け口としているではないか。真理ってやつが、おぼろげに存在すると信じたところで、精神そのものが存在するのかも、いまいち自信が持てず、確実に実感できるものに縋るのも道理である。
世間が求める善と真理探求者が求める善が真逆であれば、真理探求者は、寒山拾得のごとく社会から距離を置くか、あるいは、シャングリ・ラのごとく世間の目に晒されない領域を求めるであろう。
デカルトが、人間は思惟する存在だと明言しても、なぜ思惟するのかまでは答えられない。キェルケゴールが、それは人間が精神であるからだと答えても、精神の正体までは答えられない。いまだ人間は認識の正体を知らないでいるのだ。どうして事物が存在し始めたのか?存在の根源とは何か?それは、単なる認識の産物ではないのか?実は、すべてが虚構であり、真理もまた空虚ということはないのか?脳の形成では、原子や電子が無数に集まることで意識なるものが生じる。そして、それが精神へと昇華し、精神の持ち主は思惟せずにはいられない。ただ、それだけのことかもしれん...

そもそも... 自己の正体も知らない人間が真理を知ることができるのか?
論理を駆使したところで、すぐに矛盾にぶつかり、弁証法を用いて堂々巡り。自己の正体も知らないから幸せ者なのかもしれん。だから、哲学という学問が成り立つのかもしれん。どうせ凡人には真理を見極めることなんてできんよ。
具体的な方法論では、せめて消去法を用いるぐらい。現実を生きるには、反省の認識が有効となる。そして、人生は思考実験の場となる。この実験を放棄すれば、真理の探求を放棄したことになり、生きる意義の大半を失うことになろう。能動的に思考することを放棄すれば、知識や情報に惑わされるだけの存在となろう。だから、デカルトは「省察」ってやつを書いたのかは知らん...
「精神は理解することがより少く知覚することがより多ければ、それだけ大きな虚構能力を有し、また理解することがより多ければ、それだけそうした能力が減少するということを特に注意しなければならない。」