2018-02-25

"一外交官の見た明治維新(上/下)" Ernest Mason Satow 著

十九世紀末から二十世紀初頭、アーネスト・サトウは大英帝国の極東政策における主導的外交官として知られる。サトウというのは日本ではありふれた名だが、日系人ではない。ドイツ東部出身なのでドイツ人ということになりそうだが、当時はスウェーデン領にあって、出生時の国籍はスウェーデン人ということになるらしい。
とはいえ、ナポレオン興亡時代に幼少期を過ごし、地図の色の変わるがままに、スウェーデン人、ドイツ人、フランス人、ロシア人へと転身、そしてロンドンに定住、しかもソルブ系(スラブ系)である。彼にとって国籍という概念は、あまり意味がないのかもしれない。また、貿易商の家の出ということもあり、時代の趨勢や世界の情勢に目を向ける下地が自然に育まれたようである。

さて、明治維新とは、どんな革命だったのだろう...
日本では英雄伝説として語られがちだが、革命ってやつは極めて国家論に陶酔した社会で起こりやすい。案の定、日本国内は攘夷論と開国論で割れた。開国論に対抗するのは鎖国論のはずだが、これを通り過ぎて「夷狄追放」を合言葉とし、幕府が頼りないとなれば、これに尊王論が加わり、一気に倒幕論へ傾く。世論の不満を徳川家が一身に受け止め、最後に会津藩が尻拭いという構図である。
そして、官軍が進軍した先に何があるというのか...
これが一番重要なのだが、いつの時代でも急進派は穏健派の要人までも抹殺してしまう。そんなナショナリズムの傾向を強める時代では、外国人の目というより、国籍という帰属意識の薄い人物によって綴られる回想録は特に興味深い。このような文献が日英同盟への布石となった... と解するのは行き過ぎであろうか。結果論かもしれんが...

この書は、太平洋戦争終戦前二十五年もの間、日本では禁書とされてきたそうな。こっそりと非売品で配布された経緯はあるらしいが、検閲にひっかかって全章がそっくり抹殺されたりと、「鬼畜米英」が標語となっていた時代である。
数々の事件に巻き込まれ、斬首刑や腹切などの場面も盛り沢山。自ら身の危険を晒しながらも、機知に富んだ奇行や紅毛膝栗毛なユーモラス。当時の日本社会の人情や風情を垣間見る思いである。人生の成功とは、筆を優しくさせるものらしい...
尚、坂田精一訳版(岩波文庫)を手にする。

1. 開国と治外法権
サトウが日本へ赴任した1862年、ペリー提督に始まった対日貿易におけるアメリカの主導権は、すでに資本主義の先進国イギリスに移っていた。彼は横浜港に到着すると、いきなり生麦事件を目の当たりにする。他にも、鎌倉事件、長崎の水兵殺害事件、備前事件、堺事件、さらに、サトウ自身も襲撃を受けた経験が綴られ、文化摩擦によって実に多くの外国人が死傷した様子を物語る。
相手が外国人であろうと無礼があれば、武士には特権がある。切捨御免!これに攘夷思想が結びつけば、役人も見て見ぬふり。当初、外国人たちは日本人の残虐行為に接しては理解に苦しみ、日本固有の頑冥な世界観と野蛮な風習のせいだと考えたようである。
そして、外交交渉や通商条約で必ず持ち出されるのが「治外法権」という概念。法とは、慣習との結びつきが強いものであり、誤解が元で法律に触れることも度々ある。法的な駆け引きにおいて自由と平等が天秤にかけられ、先方の法律で自由な活動が制限されるのは御免蒙る。だが、外交上の法的な温床も微妙に変質し、犯罪者を保護する方向に働く場合もある。今日、問題が取り沙汰される日米地位協定もその類い。客人の安全保障という意味では同じことか。犯罪に関しては、人間である以上、各国でお互い様といえばそうなのだが...
集団社会において、よそ者との摩擦、すなわち縄張り意識が絡んだ時にはデリケートな問題となる。現在でも、グローバリズムが急進すれば、却ってナショナリズムを旺盛にさせ、排外主義ならぬ廃絶主義と化す。古代ギリシア人がバルバロイと呼べば、ナポレオン時代にはバーバリアンと呼び、徐々に夷狄や野蛮といった蔑視のニュアンスを帯びてくる。民族優越主義もこの類い。西洋人から見れば、世界地図の隅っこに住む蛮族だし、日本人から見れば、やはり蛮族なのである。
外国人の中には、わざわざ遠くからやってきた客人という意識を持った者もいるだろう。当初、礼儀作法や挨拶などから、無礼、憤慨という形で現れる。特に形式を重んじる公家や武家の社会では、面子こそ命。おまけに、侍は威信をまとっており、庶民と接する方が自然に振る舞えたと見える。
そして、文化の摩擦は、法律の摩擦という形で露わになる。開国、すなわち、自由貿易を認めるということは、治外法権の議論を避けられないことを意味する。

2. ヨーロッパの掃溜め... 横浜
16世紀半ば、日本はすでにヨーロッパと自由に貿易をしていた。ポルトガルの宣教師が九州で歓迎され、オランダ、スペイン、イギリスがこれに続いたが、秀吉によるキリシタン迫害から徳川幕府による鎖国政策によって、長崎だけが特別な地となった。サトウが赴任してきた時は、安政の条約で外国貿易のために港を開いて、もう三年が経っていたが、長崎は進んだ町だったようである。
一方、神奈川は条約によって最初に西洋人の居留地に定められた東海道の要所だが、横浜は商業都市としてはまだ未熟な地だったようで、商売に無知な山師連中が溢れ、約束の破棄や詐欺は珍しくなかったという。生糸に砂が混じっていたり、重い紙紐で結わえてあったり... 税関の役人が賄賂を要求すれば、西洋人も負けじと巧みに振る舞って役人のおこぼれを頂戴したり... まったく時代劇で見かける、お代官様!の世界。横浜在住の外国人社会を「ヨーロッパの掃溜め」と称したという。サトウが、いきなり生麦の地で事件に遭遇したことも、こうした背景との関係が見えてくる。犯人探しをめぐっては、なかなか役人が本気になってくれず、苛立ちを隠せない。
「日本語には定冠詞というものがなく、英語では、"The treaties are sanctioned." というのと、単に、"Treaties are sanctioned." というのではひじょうに大きな差異があるが、日本語では両方とも同じ表現の形式をとるからである。そして、私たちは、大君の閣老がわれわれをペテンにかけて、時間をかせぐために、責任のがれのあいまいな用語を使用しようとは、全く思いも及ばなかったのである。」

3. 薩摩と長州、攘夷論から開国論へ
将軍配下の武家支配は、中世ドイツの国情に似ているという。王侯の乱立した政体である。伊藤俊輔(後の博文)は、こう語ったという。
「大名がみな勝手に助力の手を差し控えたり、各藩の大名がまちまちの流儀で軍隊の教練をやったりするのを放任するかぎり、日本は強国にはなり得ない。北ドイツ連邦で、その実例が繰りかえされた。弱小な諸侯は、より強大な者に併合されるほかはないのだ。」
日本は島国ということもあり、今まで外国からの侵入の恐れがなかったために、強力な中央集権国家の必要性がない。おまけに、蒙古襲来の危機に際しては神風伝説が生まれた。
徳川時代には、譜代大名が外様大名の監視役として配置される形式が顕著となる。参勤交代や大名行列は、特に遠方の、とりわけ九州の大名連には顰蹙を買った制度である。何かと難癖をつけては、お家断絶へ追い込む空気が漂う。やがて、外国からの圧力が譜代も外様もないという意識を強めていく。ここに廃藩置県の意義がある。
とはいえ、倒幕の先鋒役を演じた薩摩藩や長州藩にしても、当初は攘夷論が旺盛であったようである。生麦事件では、島津家の行列に遭遇して乗馬したままのイギリス人を、薩摩藩士たちが殺傷。イギリスは補償を求めて艦隊を派遣し、鹿児島の街を砲撃した。薩英戦争である。町を破壊された薩摩藩は、攘夷決行がいかに無謀であるかを知り、一転してイギリスとの親善を図る。
これと同様の意識変化が、長州藩でも起こる。攘夷論の先鋒に下関海峡航行中の外国船を砲撃した。下関戦争である。英、仏、米、蘭の四ヶ国連合艦隊の砲撃はひとたまりもなく、長州藩もまた攘夷決行の無謀を知る。
そして、開国思想へと傾くと、京の都で反目しあった薩摩と長州が手を組み、倒幕論で一致していく。だからといって、攘夷論が完全に失せたわけではあるまい。とりあえず列強国と仲良くし、富国強兵の道を探るといった穏健な攘夷論がくすぶる。
では、幕府の方針はどうであったのか?ペリー提督の圧力で、最初に開国論へ向かったのは、むしろ幕府の方である。幕府が主権者であれば、各藩の面子を考慮しなければならない。特に、御三家への配慮を。水戸藩は、京都の攘夷派と結んで、幕府を仇敵視していたという。実際、桜田門外の変で条約締結の責任者である大老井伊直弼を暗殺したのは、水戸の浪士。1867年、徳川慶喜は、内乱勃発の懸念から自ら将軍職を退いた。大政奉還である。天皇を主権者とした強力な国家を建設する必要性は、徳川家も認識していた。
しかしながら、徳川家が存続すれば、廃藩置県にまで及ばない。それは、徳川幕府が豊臣家の存続を許さなかったことと酷似している。
また、世間では「幕府は二股政策をやっている」という噂が広まっていたようである。幕府は大名と外国の板挟みになって、双方に矛盾した言質を与えていたというもので、将軍が大名に外国人追放の命を下したというのである。あるいは、外国人追放の命の根源は、朝廷にあるかもしれない。日本社会には、天子様には逆らえないという論理が、正義の旗で巧みに利用されてきた歴史がある。真相は不明だが、政変時には諜報活動も盛んで、様々な情報が錯綜するもの。
「当時外国人の間では、名分上の君主という単なる名目中に存在する無限の権威についてはまだ全く思い及ばなかったし、また外国人の有した日本史の知識では、日本の内乱の場合に天皇(ミカド)の身柄と神器を擁することのできた側に常に勝利が帰したという事実がまだわからなかったからだ。おそらく、世界のどの国にも、日本の歴代の皇帝(エンペラー)ほど確固不動の基礎に立つ皇位についた元首は決してなかったろう。」

4. 惚れ薬には佐渡の土
日本の諺に、「惚れ薬には佐渡の土」というのがあるそうな。黄金の国ジパングの名を伝えたのはマルコポーロの「東方見聞録」で、佐渡の金山については外国人たちも見逃せなかったと見える。
そして、七尾は、加賀、越中、能登に三国に渡る良港の地であり、貿易港の候補地として目をつける。この地は加賀藩の支配下にあるが、幕府が外国貿易のために召し上げようとすれば、加賀藩士たちも警戒して外国人たちに対して曖昧な返事に徹する。いくら自由貿易を唱えても、どうせ利益は幕府が独占しちまうのさ... などと人足たちの愚痴まで聞こえてきそう。海外貿易に対する権益をめぐっては、目の上のたんこぶは幕府という空気が、藩士だけでなく、庶民にまで漂っている。
正義を掲げるには、誰かを悪者にするやり方が手っ取り早いわけだが、これに各国の思惑も絡み、海外商社が暗躍する。幕府側に肩入れする者あり、新興勢力に肩入れする者あり。偽文書の類いも横行。どっちにせよ、勝てば官軍!正義の御旗ってやつは、後ろめたさをなくさせ、相手を合法的に抹殺する法則とさせる...
「かつてイギリスはパークス以上に献身的な公僕を代表として派遣したことがなかったということ、そして日本自身としても、パークスのおかげを被っており、日本はこれに報いることができず、また充分にパークスの努力を認めてさえもいないということを知る必要がある。もし、彼が1868年の革命の際に別の側(幕府側)に立っていたならば、あるいは、彼が多数の公使仲間と一緒に単純な行動に組していたならば、王政復古の途上にいかんともなし難い障害が起こって、あのように早く内乱が終熄することは不可能だったであろう。」

2018-02-18

"ゲーテとの対話(上/中/下)" Johann Peter Eckermann 著

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ... この文豪について語り始めると、かっぱえびせん状態になり、一晩中、酒を酌み交わしても足らない。義務教育時代、すっかり文学嫌いにされたものの、この酔いどれ天の邪鬼を救ってくれた作家の一人。ファウスト博士ときたら実に珍しい個性の持ち主なものだから、内面を追感することは困難ときた。では、メフィストフェレスの方はどうだろう。皮肉な言葉のおかげで偉大な人間世界を忠実に再現しているではないか。メフィストフェレスこそ救世主!真理を語ってくれるのは、やはり悪魔であったか...
ただ、自分の生涯をかけてまで一人の人物に夢中になれるヨハン・ペーター・エッカーマンという人には感服してしまう。同時代を生きたという幸運に恵まれたこともあろう。ゲーテの書き手としてのパワーは、晩年になって衰えるどころか、却ってキレてやがる。なにしろ七十を過ぎて二十歳前の小娘に求婚するほどの情熱漢、偉大な生気の持ち主。彼の生に対する執念と行動力は、見習わずにはいられない。さっそくマリーエンバートへ直行し、ゲーテと饗宴だ。ちなみに、おいらは「マリーエンバート」を「夜の社交場」と訳すのであった...

ゲーテの作品に触れるにしても、翻訳者の力を借りる。おいらの語学力では、原語で味わうには辛すぎる。それでもなお詩的な文体に魅せられるとは、どういうわけか?原文の美しさに、訳文が釣られるのだろうか?作品の偉大さが、翻訳者を自然に導くのだろうか?もし普遍的な精神なるものがあるとすれば、普遍的な言語のリズムというものがあるのだろう。
しかしながら、言葉は災いを呼ぶもの。ゲーテとて例外ではなく、やはり悪口を言う評論家たちの餌食となってきた。大きな論争では、ニュートン力学とヘーゲル弁証論の二つを挙げておこう。
ニュートンの科学的立場に対しては、人間精神の存在の解釈において大きな誤謬になると指摘している。ゲーテの「色彩論」は、生理的色彩を直観的演繹法によって綴ったもので、ある種の主観的なプリズム実験であり、単に現象として捉えたニュートンの「光学」とは一線を画すというわけである。
ヘーゲルの思考法は、誰の心にも宿る矛盾を法則化し方法論としたもので、これに対しては、偽を真とし、真を偽とするために精神の技術や有能性がみだりに悪用されるとしている。
本書に見られる弁明風の言葉は論争というほどの調子ではないが、面白おかしく書きたてる新聞屋が煽っているということはあるだろう。
「まず第一に無知ゆえの敵がいる。私を理解せず、無知ゆえに私を非難する連中だ... けれども、この手合は自分のやっていることの意味を知らないのだから、まだ許すこともできよう。
つぎに、数の上で多勢いるのが、嫉妬する連中だ。私の名声にけちをつけて破滅させようと躍起になっている...
つづいては、自分の成功がたいしたものでなかったので、敵にまわった連中がいる。私のせいで冷飯を食わされる羽目におちいったといって、憎んでいる...
第四には、しかるべき理由があって敵にまわった連中がいる。私も人間である以上、欠点や弱点を持っているから、書いたものにそれが現れざるをえない...」

1. エンテレヒーとデモーニッシュ
ゲーテは、精神現象における生気を語る上で「エンテレヒー」という用語を持ち出す。自然は、エンテレヒーなくして活動できないと。自己を偉大なエンテレヒーならしめよと。エンテレヒーこそ生産性や創造性の源、偉大な創意の源泉というわけである。ここに精神のエントロピーのようなものを感じるのは気のせいであろうか...
また、「デモーニッシュ」という用語を持ち出す。宇宙や人生の謎、悟性や理性では解き明かせないものという意味で。ナポレオン、フリードリヒ大王、ピョートル大帝などの天才的傾向は、これに属すという。
無意識に高次な努力を続ける幸福者、神がかった才能や理念の乗り移った無限の奉仕者、こういう人たちには世間の煩わしい言葉が耳に入らないものらしい。自然の言葉しか耳に入らず、だから安心して衝動に身を委ねられる。祈ったり、信じたりする必要もなく、感謝するのみ。ましてや神に見返りを求めるなど。自分の職に使命感が与えられれば幸せであろう。ラファエロも、モーツァルトも、シェークスピアも、きっとそうした類いの人間だったのだろう。
「優秀な人物のなかには、何事も即席ではできず、何事もおざなりに済ますことができず、いつも一つ一つの対象をじっくりと深く追求せずにはいられない性質の持主がいるものだ。このような才能というものは、しばしばわれわれにじれったい気を起させる。すぐさまほしいとねがうものを、彼らはめったにみたしてはくれないからだね。けれども、こういう方法でこそ、最高のものがやりとげられるのだよ。」

さて、これらの用語に「直観」という語を当ててみると、カントとの親和性が見えてくる。カントの三大批判書もまた偉大な直観を唱えたもので、酔いどれ天の邪鬼は、これを「崇高な気まぐれ」と呼んでいる。
ニュートンやヘーゲルが客観性に重きを置いたのに対して、カントやゲーテが主観性、すなわち直観に重きを置いたという見方はできそうだが、そう単純ではあるまい。いずれにせよ、双方の立場は補完関係にあるということ。文学作品としての面白さは、後者の側にあるのは確かだけど。
ただ、ニュートンから科学全盛の時代へと向かい、後にヒルベルト問題が掲げられ、宇宙や人間社会のすべてが科学や数学で説明できると豪語された時代へ向かいつつあった。そんな時流に、ゲーテやカントのような直観を重んじる立場が攻撃されるのも、仕方がないのかもしれない。カントは理性批判を書いた。次に誰かが感性批判と悟性批判を書くことになるだろう。かつて、ゲーテはカントをこう評した... たとえ君が彼の著書を読んだことがないにしても、彼は君にも影響を与えているのだ... と。この言葉を、そっくりゲーテ老翁に捧げたい...

2. 書き手と読み手
ところで、読書というものは不思議なものである。一旦、こいつの虜になると、いくら読んでも足らない。満腹感というものがまるで得られないのだ。そして、次の作品にいっそうの期待をこめ、まったく贅沢を助長しやがる。
ただ、その贅沢を得んがために、ますます古典へ向かうとは、どういうわけか?現代が枯渇しているというのか?それとも、童心に帰りたいという潜在意識でもあるのか?いや、プラトンの言うイデア回帰のようなものかもしれない。権威的な一神教の神を強要すれば、多神教の時代を懐かしみ、ギリシア・ローマ文化へと古代回帰する。ルネサンスがそれだ。万物は回帰する... というのは本当らしい。いくら生に執着したところで、いずれ死に帰する。人生行路とは、原点回帰をめぐる巡礼の旅のようなものであろうか。いや、過去に絶望すれば、未来に根拠のない希望を抱く。つまりは、現実逃避というだけのことよ...
作家たちは、何を書こうとしているのだろう。既にホメロスが、アキレウスとオデュッセウスという最も勇敢な者と最も賢明な者については書いてしまったし、過去の偉人たちが、精神を描き尽くしてしまったではないか。後に遺された仕事とは?小説家たちは、偉大な心理学者でもある。精神というものが完全に説明できないばかりか、その存在すら疑わしいとくれば、いくらでも書けるという寸法よ。
小説家たちは精神に内包される矛盾と対峙し、多重人格性を体現し、精神分析のために自己からの幽体離脱をも厭わない。書いてるものが自我と調和できれば幸運であろう。だが、自我との対決は危険だ。下手すると、自己を抹殺にかかる衝動に駆られる。自分でこしらえたものに惑わされ、ゲーテとてメフィストフェレスに憑かれる。穏健な自由主義者が求めるものは自然療法か。主義主張という現代病を患わせなければ、書くものもなくなるであろうに...
「本物の自由主義者は、自分の使いこなせる手段によって、いつもできる範囲で、良いことを実行しようとするものだ。必要悪を、力づくですぐに根絶しようとはしない。賢明な進歩を通じて、少しずつ社会の欠陥を取り除こうとする。暴力的な方法によって、同時に同量の良いことを駄目にするようなことはしない。このつねに不完全な世界においては、時と状況に恵まれて、より良いものを獲得できるまで、ある程度の善で満足するのだよ。」

では、読者の方はどうであろう。
多くの作品を読み散らかして、ようやく総括された何かが読み取れそうな気がする程度で、すべての言葉から含蓄を読み取ろうなど無理な話。病的なほどの作品の群れが押し寄せれば、読者もまた狂わされる。書き手の独創性には、まったくまいる。読み手を無力にするだけでなく、その無力感がたまらないときた。おいらは、M だし。
玄人の書き手がド素人の読み手に高みに昇って来いと仕掛けてくれば、ディレッタント魂を呼び覚まさずにはいられない。これぞ至福の時間!酔いどれ天の邪鬼ときたら、本と BGM があれば、たいてい事足りる。おっと、それと熟成された酒だ。実は、こうした空間が最も贅沢なのやもしれん...
「自由とは不思議なものだ。足るを知り、分に案んじることを知ってさえいれば、誰だってたやすく十分な自由を手に入れられる。いくら自由がありあまるほどあったところで、使えなければ何の役に立つだろう!...
誰でも健康にくらせて、自分の職にいそしむだけの自由さえあれば、それで十分なのだ...
われわれは自分の上にあるものをすべて認めようとしないことで、自由になれるのではなく、自分の上にあるものに敬意を払うことでこそ、自由になる。なぜなら、自分の上にあるものを尊敬することで、自分をそこまで高め、上にあるものの価値をみとめることで、自分自身がいっそう高いものを身につけ、それと同じものになる価値があることをはっきりとあらわすからなのだ。」

2018-02-11

"0ベース思考" Steven D. Levitt & Stephen J. Dubner 著

原題 "Think like a freak." に対して邦題「0ベース思考」とするのに、ちと違和感があった。しかし、よくよく読んでみると、翻訳者櫻井祐子氏の抽象化センスはなかなか...
著者は、"Freakonomics" という造語を編み出したあのコンビ、スティーヴン・レヴィットとスティーヴン・ダブナーである。この語に「ヤバい経済学」という邦題を与えた望月衛氏の大胆さにも感服したが、それも、フリークのように考えよう!ってことかもしれん。とはいえ、ゼロから思考(嗜好)するには、なかなか勇気がいる...

フリークをどう訳すか... 変人、奇人、異形、酔狂、気まぐれ、あるいは俗語的に、麻薬中毒者ってのもありか。純真な子供心からの発想は、脂ぎった大人には難しすぎる。特に常識中毒者には。あの大科学者は言った... 常識とは、十八歳までに身にまとった偏見の塊りである... と。
どんな人間だって、今まで生きてきた積み重ねの中で思想や信念なるものを形成していく。価値観や世界観って呼ばれるやつだ。既に知識と経験が思考回路にバイアスをかけている。しかも無意識に。これをゼロにするということは、過去を否定することになりかねないし、ひいては自己否定を自らに課すことにもなる。人の行動を正解と不正解という基準でしか語れない人間、人の生き方を勝ち組と負け組という基準でしか区別できない人間には、無理な相談だ。キェルケゴールは言った... 人生とは、解のある問題ではない。経験を積みあげていくだけの現実である... と。
道徳ってやつがコンパスを狂わせる。間違えない人生が楽しいのかは知らん。失敗しない人生が退屈しないのかは知らん。問題は、失敗すること自体にあるのではなく、失敗の仕方である。やはり人生の醍醐味は、寄り道、回り道、そして失敗の側にあるような気がする。やはり狂気しなければ、思考というものは生まれないような気がする。とはいえ、本書が課してくる方法論は、酔いどれ天の邪鬼にはなかなか手強い...
「脳を鍛え直して、大小問わずいろいろな問題を普通とは違う方法で考える。ちがう角度から、ちがう筋肉を使って、違う前提で考える。やみくもな楽観も、ひねくれた不信ももたずに、すなおな心で考える。」

ここに提示されるのは、インセンティブという視点から人間の行動パターンを扱う、いわば行動経済学の分野であり、それは、ある種のゲーム理論として捉えることはできよう。人間の行動原理は、必要以上にプレッシャーのかかった場面では成功が第一の目的ではなくなり、世間体の方が優先される傾向にあるということ。失敗するにしても言い訳を求めて行動するということ。他人に対しても、自分に対しても。要するに保険をかけているわけだ。だから、馬鹿馬鹿しいと思われるような思い切った判断ができない。その方が成功率が高いとしてもだ。
まず、これを承知しておかなければ、数学的な方法論は役に立たない。経済学では、専門家の予想的中率はチンパンジー並み!というのをよく耳にする。アナリストの株価予想は、猿が投げるダーツの確率と大差ない!といった類いである。実際、官僚、研究者、国家安全保障の専門家、エコノミストたちの将来予測はよく外れる。そこで、コンピュータ工学にも、外挿アルゴリズムというものがあるにはあるが、あくまでも過去のデータを基準にしたもので、コンピュータだって設定条件を間違えば、金融危機や戦争を予測することはできない。
そして、悩みに悩み、夢の中まで考え尽くし、それでも判断がつかなければ、最後に頼れるのがコイン投げ!という寸法よ。これこそ馬鹿馬鹿しいかもしれないが、最もまっとうな選択肢かもしれん。フリークとは泥酔者か。どうりで酔いどれ天の邪鬼には、心地よく響く言葉である。
ところで、学問の方法論に「独学」ってやつがある。まさにゼロから学ぼうとする意志の顕れ。独学こそ知の最高の賜物!とは、酔いどれ天の邪鬼の信条とするところである。0ベース思考の根源に、この独学の奥義が秘められ、それがフリークのように考えるってことだ!と解するのは、やり過ぎであろうか...

1. 童心に返るは難しすぎる...
まずは、知らないことを知らないと素直に認める勇気を持ちたいものだが、酔いどれ天の邪鬼にはそれすら難しい。自分で思考しているつもりでも、他人の思考をコピーしているだけということもある。扇動者にとって、思考できない者が思考しているつもりで同調している状態ほど都合のよいものはあるまい。目の前の幸せに気づかないこともあれば、自分が気づいていないことに気づかないこともある。せめて後で気づけば少しは幸せか、いや、気づかないままの方が幸せか...
人の意見を聞きたいと宣言して、人の言葉に耳を傾けるように振る舞っていても、実は自分自身でアイデアが編み出せないだけ。しかも、自分の価値観から逸脱する規格外の思考にはまったく耳を貸さない大人は実に多い。そればかりか、つまらない質問を仕掛けては、否定的な答えを導こうと躍起になる。ならば、最初から独りで考えた方がましであろうに。大人どもときたら寂しがり屋で、孤独を極端に忌み嫌う。
一方で、純真な子供は純粋な疑問を投げかけ、カスタマレビューやオススメなんてものにちっとも乗ってこない。客観的な目を持っているのは、大人より子どもの方であろうか。少なくとも、政治的、宗教的、経済的な思惑の入り込む余地はなさそうだ。子供より大人の方が騙されやすいというのは、本当かもしれない。
子供たちはよく愚痴る... ぼくたちの気持ちを大人たちは分かってくれない... と。それは当たり前のことだ。大人同志でも互いが分からないというのに、童心なんてとうに記憶素子の中で消去されている。
ちなみに、児童向けにたくさんの本を書いた作家アイザック・バシェヴィス・シンガーは、「なぜ子どものために書くのか」と題したエッセイで、こう書いているという。
「子どもは書評ではなく、本を読んでくれる。批評家のことなんかちっとも気にしない。そのうえ本が退屈なら、遠慮したり権威を恐れたりせずに、これ見よがしにあくびをする。そしていちばんいいことに... また世界中の物書きがほっとすることに... 子どもはお気に入りの作家に、人類を救えだなんてふっかけない。」

2. そもそも問題が分かっていない...
問題解決の場では、良い質問が良い答えを導くと、よく言われる。見当外れな質問に、優れた答えを与えても混乱するだけで、むしろ害をなすと。そもそも問題が分かっていないことが問題なのだ。
お偉いさんは問題点が羅列されるより、解答が羅列される方が安心できると見える。疑問よりも答えを欲し、目先の問題を一つ解決する度に新たな問題をいくつも発生させる。答えの抽象化も大事だが、それ以前に質問の抽象化ができていない。
「自分がすべての答えを知っているわけじゃないと認めるのにこれだけ勇気がいるんだから、正しい問いすら知らないと認めるのがどれだけ難しいかは、推して知るべし。」

3. やめるのはつらいよ...
「やめることは、フリークのように考える方法の核心にある。」
やめることを躊躇わせる力は、少なくとも三つあるという。
一つは、やめるのは失敗を認めること。
二つは、埋没費用という考え。公共事業がこの類いで、今更やめるのはもったいないという思考が働く。
三つは、目に見えるコストにとらわれすぎて、機会費用や逸失利益のことまで頭が回らないという性向。
人間社会には、偏執的なほどに成功物語ばかりが刻まれ、報道屋ときたら失敗に不名誉のレッテルを貼る。優秀な人材は、失敗も少ないと思われるかもしれないが、優秀な人ほどリスクの高い仕事を背負わされるはずだし、失敗経験も豊富なはずだ。仮に、リスクは高いが会社の将来がかかっている仕事と、誰がやってもそれなりに結果が出る仕事とがあるとすると、経営者はどちらに優秀な人材を割り当てるだろう。
失敗せずに生きてきた人は、そもそも失敗の概念を取り違えているかもしれない。失敗するような仕事を任されたことがないか、あるいは、失敗したことにも気づいていないか。正解ばかり当てにしてきた人もまた、正解の概念を取り違えているかもしれない。そして、失敗せずにきた人、正解ばかり答えてきた人、そのような人が出世するような社風をつくってしまえば、優秀な人材は逃避し、凝り固まった人間集団が残る。俗に言う、官僚化や腐敗化ってやつだ。粉飾決算や不正行為などでスキャンダル沙汰になったら、時すでに遅し。現実に、やめるべきプロジェクトが、惰性的に生き長らえている事例はわんさとある。やめれば負け犬となり、体面を保つことに躍起になり、尚更やめられない。まさに世間体の奴隷と化す。
本書は、フリークのように考えれば、やめるべき見極めができ、おまけに、免疫力がアップすると助言してくれる。やはり問題は失敗ではなく、失敗の仕方であったか。一度やめる経験を積めば、やめるような状況に追い込まれる前に十分に分析を施し、軌道修正ができるだろう。
しかしながら、やめる!という選択肢がベストかどうかも、判断するのは難しい。やめなければ、少なくとも現状は維持され、ある種の保険として機能する。保険好きに、フリークのように考えよう!と言っても無理な相談だ。
もし、やめられたら... 失敗から貴重なフィードバックが得られるかもしれないし、もっと生産的で、もっと刺激的で、もっと充実した人生が送れるかもしれない。ただし、有益なフィードバックを得ても、学ぶには時間がかかる。中途半端な見極めで判断を誤れば、さらに暗い思考へと導かれる。
そこで、「やめる」って言葉がおっかないなら、「捨て去る」と言い換えてみよと助言してくれる。失敗ではなく袋小路の発見と捉え、そこから逃れるという考え方である。袋小路だと分かれば、すごい発見だ!結果的に、やめる方が保守的な考え方ということにもなる。だとしても、世間体だけでなく、自分自身の中でも失敗で片付け、イノベーションを極度に恐れてしまう性癖を、心の奥底に押しとどめておくには、よほどの修行が必要である。
「正しい方法とまちがった方法、かしこい方法とおろかな方法、青信号の方法と赤信号の方法があるなんて思い込みを、ぼくたちはこの本を書くことで葬りたい。」

2018-02-04

"サロメ" Oscar Wilde 著

今宵は、深みのある妖しい官能美に誘われ、濃い血の色をしたブランデーを嗜む...

幕は、月光に照らされた宴の場。男どもをクビったけにする王女は、美しく、妖しく... 月の蒼い光に誘われて墓場から抜け出てきたような女人。神の降臨か、いや、悪魔の使いか。死神の祝福を受けた蒼き女は、まもなく場を真っ赤に染める。
本当の事しか言わないと断言する人は、みな嘘つきだ。大人どもは欺瞞や奸策に溺れ、破廉恥を承知で嘘をつくではないか。そうでなければ、幸せにはなれないと。多くの恩恵と叡智にメフィストフェレスがピロートークを仕掛けてくる。口に虚しいと書いて「嘘」... 人の為(ため)と書いて「偽り」... さて、どちらを信じよう。狂気の美に魅せられし者は、自らを狂人にさせるという。ワイルドが聖書に取材した一幕悲劇は、酔いどれ天の邪鬼にはスペクタル官能喜劇に映るのであった...
尚、福田恆存訳版(岩波文庫)を手に取る。

ユダヤの王エロドは預言者ヨカナーンを恐れ、地下の牢獄に幽閉した。王妃エロディアスの先夫は、ここに十二年も閉じ込められ、首を締められて殺されたとさ。王といえども、神がかった呪いの言葉に逆らって、首を刎ねるほどの度胸はないとみえる。なにしろ、この預言者はナザレのお人がお墨付きを与えた人物なのだから...
エロドは兄から王の座を掠奪し、妃をも奪った。今度は妃の娘サロメの妖しい誘惑が忍び寄る。宴の場で、王は王女の踊りをご所望ときた。だが、サロメはごねる。
そして、けして近づいてはならぬ!という王の命に逆らい、預言者の牢獄へ... あたいは、お前に口づけするよ!
すると、近親相姦の呪いの言葉が... 王妃エロディアスの娘よ、パレスチナの女よ、ユダヤの女よ、バビロンの娘よ、背徳の街ソドムの娘よ、去れ!神の宮殿を汚すな!
サロメは踊りの披露と引き換えに、罵詈雑言を浴びせかけた男の首を所望する。彼女が七つのヴェールを纏って踊るは、七つの煉獄を自ら引き受けようというのか。いや、王が恐れる男に近づき、しかもその男の血を欲するは、征服欲からくる退屈しのぎか。その征服も、ヨカナーンに対するというより、エロドへの復讐か。いや、単に狂女というだけのことやもしれん。
ついに首だけになった男は、サロメの口づけに黙って応じるしかない。この汚らわしい光景に王は命じる... サロメを殺せ!
王は死骸がお嫌いと見える。自分で殺した者のほかは...

「サロメ」は、新約聖書を題材にしたオスカー・ワイルドの戯曲である。預言者ヨカナーンは洗礼者ヨハネ、エロド(= ヘロデ・アンティパス)はイエスの誕生を恐れてベツレヘムの幼児虐殺に及んだヘロデ大王の子。惨劇の舞台は、あのナザレの大工の倅が生きたゆかりの地ということになる。エドムの地は、北の死海、南の紅海に挟まれ、死と血に呪われた地ということか。なるほど、預言者の言うことも尤もらしい。
「エドムの地より来たれるものは、深紅に染めし衣をまとひ、その都ボズラより来たれるもの、美々しい装いに光輝き、権威を笠に威張り歩くものは?なにゆえ汝の衣は緋色に染めてあるのか?」

後のユダヤ戦争は、ローマとその属州であったユダヤ人居住区の間で生じたとされるが、本物語は、どさくさに紛れて宗派の抹殺を謀ったことをも匂わせる。
パリサイどもが天使は存在する!と言えば、サドカイどもが天使などいるものか!とくる。同じ宗教の間で、どうして争いごとが。それがユダヤ人というものか。いや、キリスト教だって四つの福音以外は異端とし、仏教にも多くの宗派が反目しあう。
人間には、性癖がある。それは、存在という意識に裏付けされたものだ。しかも、すぐに自己存在を自己愛に昇華させる。自我が嫌になるほどに。集団の中で微妙な違いを唱えては、居場所を求めてやまない。縄張り意識ってやつに。そもそも人間が多すぎるのだ。
ヌピア人はいう...「おれの国の神々は、みな血には目がない。年に二回、若者と娘を生贄に捧げる。若者五十人に娘百人をな。それでもどうやら足りぬらしい、神々は相変わらずおれたちを苛み続けているからな。」
カパドシア人はいう...「おれの国には、もう神々は一人もいなくなってしまった。ローマ人が追い払ってしまったのだ。なかには、山の中に隠れているのだという者もいるが、おれは信じない... きっと、みんな死に絶えてしまったのだろう。」
一方、ユダヤ人は現世に希望を持ち続け、影も形もないただ一人の神を崇めている。彼らの信じるものは、目に見えぬものばかり。それは、イエスの子たちであった...
「盲人の目は日の光を仰ぎ、聾者の耳は開かれる...」