2013-12-29

"日本語と日本思想" 浅利誠 著

思考する上で言語の役割は大きい。精神の内に生じた何かを具象化できる道具なのだから。しかしながら、言語ってやつは、日頃から馴染んでいるだけに空気のような存在で、その正体を知ることは想像以上に手強い。柄谷行人氏は、うまいことを言っている。
「文法は言語の規則とみなされている。だが、日本語をしゃべっている者がその文法を知っているだろうか。そもそも文法は、外国語や古典言語を学ぶための方法として見出されたものである。文法は規則ではなく、規則性なのだ。... 私は外国人のまちがいに対して、その文法的根拠を示せない。たんに、"そんなふうにはいわないからいわない"というだけである。その意味では、私は日本語の文法を知らないのである。私はたんに用法を知っているだけである。」
... 「定本 柄谷行人集、ネーションと美学」より...

言語体系を根本から支えているものは文法であろう。そして、その文法に柔軟性があるからこそ、精神活動に多様性をもたらすのであろう。雁字搦めな文法規定の下では、精神もまた窮屈となる。「文法は規則ではなく、規則性」というのは、実に的を得ている。
著者浅利誠氏(フランス国立東洋言語文化大学助教授)は、日本語のあり方を「外国人のための文法」という観点から論じることを表明し、日本語を母語とする者のための文法には関心がないとまで言っている。それは、日本語を喋る者同士で暗黙に了承するような甘えの許されない文法論だということだ。まず、一つの言語系を観察するには、メタ的な視座を求める。母国語に対しては、どうしても贔屓目で見がち。他のどんな言語よりも美しい!なんて自惚れ論に興味はない。国語辞典崇拝論にも興味はない。そんなものから解放された立場から日本語の特徴を見つめなおすのに、ちょうどいい一冊としておこうか...

だいたいの言語系で、まず思いつくのは名詞文である。日本語で言えば、「何々は、何々である」といった形。会話では、あまり用いられない形式だが... ここには、本書に登場する基本的な要素が二つ組み込まれている。一つは、「は」という助詞の位置づけ。二つは、「である」という存在を印象づける句。
さて、助詞ってやつが、名詞や動詞などとくっつく形で、日本語の構造的特徴を成している。こいつらのおかげで文章に柔軟性を与えると同時に、文章の曖昧さの原因となっている。その扱いも微妙で、「は」と「が」の使い分けだけでも明確に説明することが難しい。「は」だけでも多様で、係助詞で分類したところで、格助詞の役割を兼ねる場合もある。
本書は、「は」の微妙な位置づけを、古語の「係り結び」「てにをは(弖爾乎波)」との関係から論じてくれる。中でも、三上章氏の「主語廃止論」にまで及ぶ論説はなかなかの見モノ。
また、格助詞を三つの空間との関係から論じている。例えば...「庭でリンゴを食べる」と言えば、主体周辺にある円空間をイメージさせ、「橋を渡る」と言えば、対象との接合空間をイメージさせ、「会社へ行く」と言えば、空間移動をイメージさせる... とった具合に。「格」とは、モノゴトの空間的位置づけ、つまりは居場所を表していることになろうか。
さらに、「である」では、ハイデガーの存在概念との関係から論じている。具体的には、ドイツ語の「sein」との関係で、英語の「be動詞」に相当するもの。つまり、どんな言語体系にも、実存を強烈にイメージさせる動詞が具わっているということになろうか。
こうして眺めていると、言語というものは、自己存在を意識するところから生じたのであろう。それは二項関係から生じる意識で、人と人との関係、人とモノとの関係といった相対的な位置づけをめぐっての空間意識である。人は皆、自分の居場所を探しながら生きている。たとえ世間で使われる言葉を知らなくても、精神の持ち主であれば、自己の中に独自の言葉を編み出し、そこに自己存在を確認する能力を自然に具えることができる。言語は、なにも記述できるものとは限らない。絵も、音も、数も... 精神の内に生じた何かを体現できる道具となるものなら、なんでも言語とすることができる。言い換えると、人間は、実存ってやつを言語という空虚なものでしか確認する術を知らないということであろうか...

1. 翻訳の意義
本書は、本居宣長、西田幾多郎、和辻哲郎らの視点を原点的な立場に据えている。この三人は、いずれも翻訳に携わっていて、外国語の視点から日本語を眺める目を持っているという。翻訳とは、風土や文化など人々が精神の拠り所にするものや、人間の核心部分を変換して解釈するということになろうか。外国語との対比から、普遍性、相対性、固有性といったものを見出すこともできよう。けして単語や文章を、一対一で機械的に変換できるものではない。その意味で、日本語を冷静な眼で眺められるのは、国語学者よりも翻訳家の方かもしれん。外国語が喋れるかどうかは別にして、外国語に触れることの意義がここにあろう。
「母語に対して超越論的であることは難しい。また、母語を外部の視座から問うのは難しい。しかし、そうすることによってしか母語は問われないのかもしれない。そうであるとすれば、私たちははじめからこの困難の中にあることになる。」
ただ、母国語の美しさに囚われると、偏重したナショナリズムと結びつきやすいということを付け加えておこう。
ところで、英語には、日本語の助詞と似たものに前置詞ってやつがある。英語試験では、どれか一つの前置詞を選択せよ、といった定番の問題がある。その対策で、at, in, by などと単語をセットで覚えたりする。しかし、外国人に言わせれば、単語から判断できるわけもなく、どれも正解という場合もあるようだ。日本人が一つの答えしか認めない傾向は、教育の弊害であろう。ネイティブの指標では、つい発音に目を奪われがちだが、風土や文化の理解がないために、却って誤解を招くケースも多い。実際、思いっきり訛っている方が土地柄がよく顕れていて、歩み寄りやすいということもある。そうした傾向は方言にも現れるし、実際、英語にも多様な方言がある。標準語なんてものは、多数決で決定されるようなもの。ネイティブなんて用語は、母語以外の言語を喋る者に対して使っているだけか...

2. 助詞と多様性
西洋語の基本的な構造は、SVO型、SOV型、VSO型などで説明できる。すなわち、主語(Subject)、動詞(Verb)、目的語(Object)の順番によって規定される。外国人が、助詞を省いた片言を喋るのも、単語の順番を意識しているからであろう。こちらも聞き取りやすいように、単語の順番を配慮したり、助詞を強調したりする。否定を表す場合、文章の最後に否定形がくるので、主旨が分かりにくいようだ。英語では、not が頭の方に現れるので、否定の主旨を前提にしながら以下の話題に集中する、という思考パターンがある。その点、日本語では、一つの文章で全体的な方向性を示している。例えば、「せっかくのお招きではございますが、当日は...」と言えば、最初から断る雰囲気が漂う。助詞や副詞、あるいは接続詞が連結して否定の主旨を伝えている。
論理性という意味では、not文だけで否定の主旨が伝わる西洋語の方が合理的と言えそうか。だが、精神の動きを表記するという意味では、むしろ文章全体で方向性を示す方が合理的かもしれない。この方向性が、空気を読むといった感覚と結びつくのだろう。もちろん、西洋語にも、そうしたテクニックはある。二重否定文という形式は、どんな言語系にも顕れ、やはり分かりにくいものだが、そこに微妙な感覚が込められる。
論理性という観点からだけ眺めるならば、プログラミング言語に日本語を適用してみるのもいい。むかーし、マクロ機能を駆使して、アセンブラ言語を日本語に置き換えてみたことがある。それなりに、できなくはないのだが、日本語の機能がかなり制限される。まさに「何々は、何々である」という構文に支配され、むしろ英語の方が分かりやすい。機械翻訳と何が違うのか?日本語の機能を削がれた日本語の文章にどれだけの意味があるのか?などと問えば、虚しくなったりもしたものだ。プログラミング言語として機能させるには、コンパイラが解釈できなければならない。そもそもコンパイラが西洋語的な言語で書かれている。だからといって、西洋語にしても自然言語に目をむければ、SVO型といった単語順に完全に支配されているわけではない。あくまでも基本形がそうだというだけで、その例外は詞や歌に見てとれる。ゲーテの詩的な文章が翻訳語ですら、その美しさを維持できるのは、言語の普遍性といったものが体現されるからであろう。そぅ、論理性においても、感情性においても、多少の優劣があるにせよ、人間が操る以上、言語には柔軟性があるということだ。そして、誰一人として同じ言語を喋っちゃいない...

3. 詞と辞の文法論
詞と辞の概念規定の創始者は本居宣長だそうな。その着想に強く影響を受けたのが、時枝誠記だという。詞と辞の区別は、文法構造の考察に由来するのではなく、漢字仮名混じりの表記から仕方なく生じたという。名詞や動詞や形容詞など直接示すものを詞とし、助詞や接続詞など補語的なものを辞と区別する。詞の方は、後世に受け継がれても違和感があまりないが、辞の方は時代の変化に富む。客体的な詞に対して、主体的な辞という見方はできるかもしれない。つまり、感覚的なものの方が変化に富むということか。日本語の本質的な構造は、辞の方にあるのかもしれない。しかも、その規定は曖昧で大雑把ときた。いや、明確に規定できないのかもしれん。おかげで、古文は既に外国語の領域にあり、現代人の大多数は大和言葉を解することができない。
時枝誠記は、四つの助詞に区別しているという。格を表す助詞、限定を表す助詞、接続を表す助詞、感動を表す助詞。わざわざ感動を表すものを区別するということは、格助詞には感情的なものがないというのか?また、陳述性があるかないかで、接続助詞と格助詞が区別される。時枝は、格助詞と係助詞の区別には関心がないらしい。

4. 「てにをは(弖爾乎波)」と「係り結び」
「てにをは」という語の起源は、漢文の訓読みのヲコト点に由来する。「係り結び」という形は、奈良時代に顕著で、平安時代になると少しずつ変化し、室町時代になると、「は」などの一部を除いてほとんど消滅したそうな。係り結びとは、「ぞ、なむ、や、か」は結びが連体形となり、「こそ」は結びが已然形になるという法則である。助詞の用い方によって結びまでも変形するとは、なんと不合理な... と思うわけだが、おそらく昔の人々は音感を重んじたり、句や辞と戯れる余裕があったのだろう。言語そのものが、貴族など身分の高い人々の遊び道具だったのだろう。やがて、言語が庶民化してくると、抽象化や合理化が進み、「は」で兼用されるようになったのかもしれない。
こうした歴史的背景を眺めると、「は」の抽象度は係助詞だけでは説明が難しいようで、格助詞を兼ねるのもうなずける。外国人にしてみれば、「は」をワと読むだけで頭が痛かろう。「お」と「を」は区別しても、同じ読みでやはり頭が痛かろう。現代社会は、言語に限らず、なんでも合理性に走る傾向がある。現代人は、無駄を楽しむ心のゆとりが失われてきたということであろうか?

5. 主語廃止論
三上章の「主語廃止論」は広く知られるそうな。日本語の最も根本的な文法は、主述文(主語、述語)ではなく、題述文(主題、述語)であるとみなす。主語は、主題で置き換えられるというわけだが、主題ってなんだ?主格に据えるものは、文章が表そうとする本質、すなわち陳述を要求することだと考える。これが主題というものらしい。
西洋語で、主語や時制がしつこく用いられるのは、それなりに意味がある。例えば、特許の文章では、誤解が生じないように、慎重に主語と前後関係を記述する必要がある。つまり、論理性や厳密性を求める記述においては、主語の役割は大きい。それで読みやすいかどうかは別だけど。数学がそうであろう。数学も厳密性を重んじる言語である。
さて、「主題 + 助詞」という形式によって、主語を無用とすることができるという。例えば、名詞をピックアップ(主題化)してみると...

「私は、彼女の結婚の仲人をした。」
「彼女の結婚の仲人を、私がした。」
「彼女の結婚は、私が仲人をした。」
「彼女は、私が結婚の仲人をした。」

んー... 主語の概念を主題という概念で抽象化しただけにも映るが...
主題化する上で「は」の役割は大きく、主格と結びつくという意味では、格助詞のように働いている。ただ、西洋語だって主題的な記述はできるだろう。
本書は、「は」の格助詞としての兼務を、コト的な表現で示してくれる。

「幸子は、日本人だ」 = 「幸子が日本人であるコト」
「象は、鼻が長い」 = 「象の鼻が長いコト」
「本は、母が買ってくれた」 = 「本を母が買ってくれたコト」
「日本は、温泉が多い」 = 「日本に温泉が多いコト」

なるほど、「は」の抽象度は高そうだ。一人称、二人称、三人称といった主語が省略されるということは、人称の抽象化という見方もできそうである。まさに日本社会が、人々の連携や人の和を重んじる風習は、ここに顕れている。自己主張が強ければ、一人称を重んじ、二人称や三人称と区別する。責任論で言えば、前者が全体責任とし、後者が個人の発言に責任を持つ、といったところか。いずれにせよ一長一短、自己存在に対する意識の違いが見て取れそうか...

6. 主語論理主義と述語論理主義
ハイデガーのドイツを形而上学の国とみなす、なんとも人を食った発言はよく知られる。
「私はドイツ語がギリシア人たちの言葉と彼らの思惟とに特別に内的な類縁性をもっているということを考えるのです。このことを今日繰り返し確証してくれるのはフランス人たちです。フランス人たちが思惟し始めると、彼らはドイツ語を話します。彼らは、フランス語では切り抜けられないということを確証します。」
クロソフスキーも、「ドイツ語こそは思惟の言語、Geist(精神)の言語であり、形而上学の神聖なる帝国」と発言したそうな。ニーチェも、インド・ヨーロッパ系の言語(ギリシア語、ドイツ語、フランス語など)と、ウラル・アルタイ系の言語(日本語など)との差異を、哲学上の問題として論じている。
文法は、思考プロセスの顕れというのは、本当かもしれない。言語の特徴が、学問的な特徴をなすことはあるかもしれない。哲学を生みやすい言語とか、数学が得意な言語とか。
西田幾多郎は、アリストテレス的な主語論理主義的な思考と、日本人的な述語論理主義的な思考の違いを指摘しているという。ただ、言語の特徴から多少の向き不向きがあるにせよ、言語の体系というものは日々変化している。思惟すれば自然に用語が生まれ、言語を操る人々が普遍性に向かえば、論理性も、感情性も、自然に具わるだろう。人間精神そのものが本質的に、主観と客観の融合によって成り立っているのだから。ましてや、グローバル化の流れにあって、それぞれの言語的特徴が融合したり、協調していくだろうし、翻訳の存在意義も、このあたりに再発見することができるだろう。実際、現代語は、かなり翻訳語や西洋語に毒されていそうだし、なにが純粋な日本語なのかも分からない。いずれにせよ、言語体系がいかに人間精神を投影する機能を具えうるか、これが問われることに変わりはない。

7. 繋辞とピリオド越え
柄谷行人氏の繋辞(コピュラ)の見方は興味深い。「日本では、山が美しい。海も美しい。女性も美しい。...」これが日本語のコピュラだと主張したそうな。それも賛否両論で、正しいかどうかはよく分からん。そもそも、繋辞とは、動詞や助動詞の変形であって、助詞とは関係なさそうに見える。だが、動詞のようなダイナミックな変化が、助詞によって体現される。
これと似た事例で、「ピリオド越え」というテクニックを紹介してくれる。漱石のあの文章だ...

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た事丈は記憶している。...」

一つ一つの文章は、句点で区切られ、完結しているにもかかわらず、見事につながっている。しかも、接続詞が一つもない。文章は、自然な流れには逆らえないということか。このような流れる文章こそ憧れであるが、永遠に到達できそうにない。はぁ~...

2013-12-22

"塩の道" 宮本常一 著

「世間師」という言葉があると聞く。旅をして広く見聞し、世間のことを良く知っているというだけでなく広く見識を持ち、事ある時に相談相手になるような人物を言うそうな。民俗学者宮本常一とは、まさにそういう人物らしい。実際に地方を歩きまわり、百姓の視線から良き相談役となり、農業経営や技術指導にも多くの時間を割いたという。その思想は、柳田国男の影響を強く受けながらも、それ以上に渋沢敬三の影響を受けているという。日本民族の研究では、同族意識が強いために画一的な見方が優勢となりがち。しかし、地域環境から生じる多様性こそが人間の真の姿であろうし、日本人とて様々な祖先の系譜があり、個性溢れる民族であることを浮き彫りにしてくれる。自然災害の多い地域だけに、自然には逆らえない神の力のようなものを感じ、運命論を受け入れざるを得ない。しかしそれは、運命に左右されるという受動的な考え方ではなく、むしろ積極的に自然と戯れるという考え方にもなろう。質素で静かなものに美意識を感じ、陰翳に侘寂(わびさび)の趣向(酒肴)をこらすのも、そうした自然観からくるのだろう。
本書には、宮本氏が自然観を物語る晩年の作品「塩の道」、「日本人と食べもの」、「暮らしの形と美」の三点が収録される。田村善次郎氏は、こう書いている。
「読者の中には、ひっかかって首をかしげるところのある人もいるかも知れない。大いに首をかしげていただきたい。そして、自分なりに納得できるまで検証していただきたいと希うのである。私たちに課せられているのは鵜呑みにして面白かったとすませることではなく、これを手がかりとして、日本とは、日本人とは何かを考えることであり、生きるとはどういうことかを、深く考えることだと思うからである。」

言うまでもなく人間が生きる上で欠かせないものは、食糧と水、そして塩だ。しかしながら、食糧や水に関しては多く議論されるものの、塩に関してはあまり議論されるのを見かけない。塩があまり問題とされないのは、安定供給が確立されているからであろう。塩がいかに重要であるかは、塩にまつわる言葉や慣習に見て取れる。「手塩にかける」とは、丹精をこめること。塩の製造には、それだけ手間隙がかかったということであろう。「敵に塩を送る」とは、甲斐の武田信玄が周辺国から塩の取引を断絶された時、上杉謙信の美談として語り継がれる。
あるいは、塩は清めるものという習わしがある。葬儀から帰ると家に入る前に塩をまいたり、嫌な客が帰ると玄関先に塩をまいたり、縁起担ぎで盛り塩をしたり、お相撲さんが怪我をしないようにおまじないをしたり。白いことが清めの印象と結びつきやすい。
海外に目を向ければ、古代ローマでは兵士の給料に塩が支給されたと聞く。salary(給与)、sauce(ソース)、salad(サラダ)など、ラテン語のsal(英語のsalt)に由来する語も多い。
塩の安定供給は、国家にとって重要な問題となる。塩が専売制になったのは明治38年(1905年)のこと。その頃、製造法や販売法についての調査がなされ、「大日本塩業全書」としてまとめられたという。こうした政策が必要だったのは、日本の製造法が海水を利用することに偏っていたこともあろうか。塩浜に海水をまいて天日に晒して塩を結晶させ、さらに潮水をかけて濃い鹹水を採って、煮詰めるといった方法が主流であった。海外では、内陸部に塩井(塩の井戸)があったり、湖の辺りに結晶を作ったり、地下道に岩塩ができたりと様々な製造法があるが、そうした例は日本では少ないらしい。まったくないわけではなく、温泉へ行くと塩田跡などを見かけるけど。
やがて、イオン交換樹脂膜を利用して工業的に生産されるようになると、従来の製造法が消えるだけでなく、塩の専売システムも消えていく。昭和60年(1985年)、日本専売公社が民営化され、日本たばこ産業(JT)となる。それは著者が没した後の事であるが、既に専売制の消滅を予感し、日本人と塩の関わりを改めて調査し残すことが大切であると指摘している。
そして、塩の観点から、宗教思想、経済原理、交通の発達といったものを語ってくれる。宮本氏は、長い工夫の歴史を再評価せよと促す。日本人は改革が苦手と言われるが、改善、改良ならば得意のようである。日本文化には、なんでも混ぜあわせて、独自なものにする性分がある。ちなみに、数理論理学者レイモンド・スマリヤンは、こう語っていたのを思い出す。「禅とは、中国のタオとインドの仏教を混ぜ合わせ、日本人がこしょうと塩で味付けしたようなものだ。」と...

ところで、塩って産業種目で言うと、何に属すのだろうか?塩田で作るから農業か?海浜で作るから水産業か?塩木の話が出てくれば林業か?化学製法となると製造業か?食糧が安定供給されるようになると、第一次産業から第二次産業、第三次産業へと付加価値の高いものへシフトしていく。クラーク式産業分類も見直す必要があるかもしれない。製造業に分類されるメーカだって、自前でモノを造っていないし。
注目したいのは、塩は他の食べ物と違ってエネルギーにならないとしていることである。米や麦や酒などは体内でエネルギーになるが、塩は体内にあるものを循環させて排泄させる効果があるだけ。エネルギーとなる食物は、たいてい神に祀られる。米、麦、栗などには穀霊というものがあり、お供え物とされる。対して、塩には霊がないから祀られないという。いや、霊を払う側か。こうした役割が、塩に対して無関心な態度にさせるとしている。
しかしながら、人間社会では、循環を促す脇役の方が目立つではないか。市場原理は価値を循環させるだけの金融屋が牛耳り、情報社会は情報源よりもそれを煽るまとめサイトや報道屋が牛耳る。政治屋が出しゃばるから、そこに利益供与を求める団体が癒着し、社会に動悸、息切れの類いをもたらす。エネルギーに神が宿るとすれば、その神を差し置いて目立つから悪魔となるのか?ならば、脳が働いて思案を生み出す間も、心臓弁の運動を目立たせず、血液循環を乱さぬようにするがよかろう...

1. 製塩法
製塩土器を調査すると、三千年以前の縄文時代まで遡り、海水を煮詰めて塩を採っていたそうな。製塩土器は、海水がしみ込んですぐに壊れるので、発掘作業で一つ見つかると、たくさんの遺物が出てくるのが特色だという。しかも、このように苦労して塩を採るやり方は、平安時代まで続いているとか。
もう少し能率の上がる方法に、揚浜(あげはま)というものがある。少し高くなったところを粘土で固めて、その上に砂をまいて海水をかけ、更に砂を集めて海水をかけると、非常に濃い鹹水が採れる。その鹹水を煮詰めるという方法。これを「揚浜式」と呼ぶそうな。
瀬戸内で多いのが入江で見られるものだという。海水が砂を運んできて、入江の一番奥までは行かず、中途で弓方の砂浜ができる場所がある。天の橋立もその類いか。その内側の海がだんだん干し上がっていくところを利用する。潮が引くと干潟で出てきて、そこに日が当ると、砂についている水分が蒸発して塩分が残る。その上に海水をかけて、濃い鹹水が得られるという方法。これを、「古式入浜」と呼ぶそうな。戦前多く見られたのが、「入浜塩田」だという。「自然浜」も揚浜式と同じようなものらしい。
そして、人工的に石垣を築いて「塩浜」となる。塩浜の時代になると、瀬戸内海に密集して出現するという。また、塩を煮詰めるための土釜は、鉄釜も使われるようになったという。

2. 木地屋(きじや)ってなんだ?
ロクロを回してお椀を作る光景は温泉などで見かけるが、木地屋は木をぐるぐる回しながらノミをあてて削ってお椀を作るという。それも、近江から全国的に広がったという面白い経緯があるそうな。放浪して伝えていく職人のほとんどは根拠地と結びつきを断っていくが、木地屋だけは、本拠である滋賀県永源寺町の筒井という所と、君ヶ畑という所に密接に結びついているという。なぜかは、近江から産出される鉄でないと、木地屋の椀を作ることができなかったのではないかという。鉄の供給者と絶えず連絡をとっていなければ、出先で良い仕事ができなかったはずだと。材料のこだわりもあろうか。鎌倉時代の石工技術にしても、近江一国に分布し、若狭が鋳造師とその技術の根拠地だそうな。近江を中心として、こうした加工技術の発達という経緯があるらしい。
ちなみに、近江の国友村の鉄砲鍛冶は有名で、関ヶ原の戦いの際、徳川家康はわざわざ近江国に大筒を発注して、石田三成を挑発したという逸話もある。
それはさておき、瀬戸内海でも近江の鉄釜が使われたらしいが、よほど上手くやらないと良い塩が採れない。海水を煮詰める過程で錆が出て、赤み帯びた塩になるからである。塩が清いものとするならば、真っ白である必要がある。鉄釜の能率よりも白い塩を作ることが優先され、石釜が利用されるようになる。日本人の凝り性やこだわりといった性分は、こういうところから受け継がれているのかもしれん...

3. 塩木をなめる... そして、塩の道
海浜ですら塩作りに苦労するのだから、山中となると尚更で、苦労話や工夫話が豊富なようである。
さて、塩を焼く!って何すんの?冬の間に木を伐って川のほとりに積んでおき、雪解け頃に水量が多くなって積んだ木を川に流すと、海岸まで流れ着く。塩がしみつく頃をはかって木を焚く。塩木(しおぎ)とは、塩釜で海水を煮つめるための薪木のことか。地域によっては、山中に住む人が木を流し、海岸に住む人が焚くという役割分担もあったとか。山中に住む人々にとって、川は塩を得るための生命線でもあった。
美濃の山中を歩いた時、「塩木をなめる」 という話を聞いたという。「なめる」とは、舌で舐めるのではなくて、伐ることを言うそうな。塩の生産に余裕が出てくれば、商品とされる。山中の人々にしても、木を焚くよりも海岸へ買いに行く方が手っ取り早い。その時、交換されるものは灰だったという。山にはたいてい共有林があって、生木のまま焼いてできる灰は非常にアクが強い。麻は、雪の深いところでは「雪ざらし」といって、雪の上に置いて太陽光線をあてると真っ白になるという。雪の少ない地域ではそれができないので、灰のアクを利用してさらすのだそうな。
また、塩の運搬で馬や牛を利用したことから、街道の発達が見られるという。それも、牛を利用する方が多いそうな。狭くて険しい山道では馬よりも牛の方が歩く力が強い。しかも、ゆっくり歩きながら道草を食ってくれるから、自然に整備されるらしい。これぞ、塩の道か!
馬の管理はどこの藩でも厳しいが、牛はそうでもなかったらしい。山中で取れる鉄の運搬も、やはり牛が利用される。馬なら運搬の後、連れて帰るが、牛なら一緒に売れるというメリットもあるという。帰り道で金だけ持って身軽になれば、パーっと使ってしまいそうだけど...
経済循環を、堺や大阪といった商品の集まる所ではなく、塩の流通という観点から語ってくれるのには感服させられる。経済システムとは、元来、生活の必需から生じたのであろうから。そして、余剰生産が生じた時、儲けに憑かれる。儲けとは、もののけの類いであろうか...

4. 戦のない地域
戦国時代でさえ、戦のない国があったという。武家社会が成立したのは鎌倉時代で、源頼朝は国々に守護、地頭を置いた。地頭になる人は、たいてい鎌倉の御家人で、彼らが地方へ下って、警察権の行使や租税を徴収する。こうした御家人たちが勢力を持つから戦が起こるのであって、武士がいなかければ戦はほとんど起こらないという。例えば、大和国には東大寺や興福寺の寺領が多くあり、ほとんど武士がいなかったから戦がなかったとしている。
実は、そういう国が周防にもあるという。源平戦の時、平重衡が東大寺を焼くと、東大寺再建のために国々から金を集める。弁慶が安宅の関で勧進帳を読むが、東大寺再建のための寄付金を募る帳簿をもって諸国を歩いたのが勧進帳物語だ。勧進帳の総元締めには大勧進がいて、俊乗房重源という真言宗の僧が東大寺大勧進職を努めた。重源が周防へ下ると、周防国が大和と同様に知行国となる。知行国になると、税金の一部を東大寺再建の費用にされる。東大寺再建には大量の材木が必要で、周防国には大きな杉の木がたくさんあったという。
ところが、頼朝が命じた地頭がたくさん下ってくると、地頭は地頭で税を取り立てる。重源上人は、東大寺の再建が難しくなるので、地頭を置かないでくれと頼朝に頼み、地頭は鎌倉へ引き上げたという。頼朝は、東大寺再建の大旦那だから聞かないわけにはいかない。周防国は、東大寺の知行国であり続け、江戸時代の初めまで続くことに。毛利家が周防と長門の領主となると、東大寺領も消えていく。
つまり、守護系や地頭系の武士がいなかったことが、ほとんど戦もなかったというのである。へー... 人間の領地欲は、武士だけに留まらないと思うが...
また、日本ではゲリラ戦がほとんどないという。ゲリラ戦は民衆が参加することによって生じる。ゲリラを援助するのは後ろで操る政権であるが、戦は武士の仕事で民衆はできるだけ巻き込まれないようにしたという。戦国時代の戦は、負けてしまえば、一族残党まで亡ぼされる。生き延びるためには身分を捨てるしかない。民衆と政権の結びつきが弱いとすれば、村に身を隠しやすいということはあるだろう。平家の落人伝説などがそれであろうか。一族で村を形成することもあろう。こうした風土が、部落問題の起源とも聞くが定かではない。
本書は、民衆がゲリラ戦をやらないことが、戦争をする人と食糧を生産する人を自然に分けたとしている。あれほど激しい戦国の世であっても、ほとんど飢饉が起こっていないという。むしろ飢饉は、自然災害と結びつくと。民衆が積極的に戦の難を逃れようとしたことが、人口減少もあまり見られないという。確かに、いざ鎌倉!といった言葉は国防を意識したもので、御家人の時代から兵農分離が意識されている。兵農分離を積極的に取り入れて成功したのは織田信長という説をよく耳にするが、そうでもないのだろう。斬新的な改革者というイメージが、なんでも先取りしたという人物像を作り上げる。むしろ、信長の斬新な政策は楽市楽座の方であろう。どんなに優れた武将でも、国家存亡ともなれば、必要なだけ動員する。太平洋戦争のような狂気した時代では、学徒出陣まで実施した。
よほど酷い政権でない限り無関心でいられるというのも、日本の特徴的な風土なのかもしれない。それで、野放し政権が出現するのも困りものだが。政治家と一緒になって民衆が狂気するよりは、民衆が冷めて見られるだけましというものか。逆に、民衆の狂気に司法判断までも同調すれば、法治国家は放置国家と成り下がるであろう...

5. 自給自足と面子
二百年もの間、鎖国を続けられたのは、食糧の自給自足体制があったからだという。最も恐れるものは災害や飢饉の類い。飢饉が生じると、食糧の確保できる藩は、「津留(つどめ)」をやったという。津留とは、米を藩外へ売り出すことを禁ずること。他藩が助けてくれないとなれば、藩の面子を潰すという意識が強くなる。そして、米の流通は藩によって完全管理される。良く言えば、大名の面子が自立を確立させた、悪く言えば、大名の面子のために民衆が犠牲になった、といったところか。
天保の飢饉では、大阪で大塩平八郎の乱が起こる。だが、土佐国では凶作というほどではなく、米を出す力を持っていたという。大阪へ米を出すのを止めたことで米価が上昇。凶作というだけで飢饉が起こるのではなく、むしろ米の供給が不均衡になった時に飢饉がより大きくなると指摘している。したがって、どんな小さな藩でも、自給自足体制を整えることに必死だったようである。面子や誇りのために、粗末なものを食べる忍耐が鍛えられる。魚介類でも、生魚でも、なんでも食べる。ナマコを初めて食べた人は勇気がいったことだろう。そのために、様々な食べ方が工夫され、食文化を育んできたということか。自給自足の精神が、質素ながらも様々な工夫をこらし、自立の精神を育んできたというのはもっともらしい。実は、主食は米や魚などではなく、味噌汁の方では...

6. 稲作民族と騎馬民族
縄文時代、北九州のあたりに定住した稲作民族を倭人と呼ぶ。それは2300年ぐらい前のことで、中国沿岸を通って朝鮮半島の南を経由して移住し、その祖先は越人とされる。だが、日本列島の東方には、原住民が住んでいた。これも、どこからやってきたのか知れないが、蝦夷(えみし)と呼ばれ、後にエゾと呼ばれる。えみしという言葉が定着する前は、土蜘蛛という言葉がある。竪穴に住むことから、土蜘蛛という言葉が生まれたという。九州にも土蜘蛛はいた。
一方、騎馬民族もどこからか移住してきたようである。その後裔が鎌倉武士なのかは知らんが。もともとは牛や馬は荷を運ぶ道具という習俗があったらしく、乗り物という意識はないらしい。こういう習俗は日本独特のものだそうで、明治頃まで続いているという。
さて、稲作民族は定住を好み、騎馬民族は移動する習性がある。騎馬民族は地元と密接な婚姻関係を作ったそうな。その最たるものが天皇家で、東は美濃から西は九州に至るまで婚姻関係を結んでいるという。男だけが移動して、その地域を統治するために女を娶る。天皇だけが方々へ行き、豪族の娘と結婚する。やがて、飛鳥に藤原氏が進出し、都が落ち着くと、天皇は地方を歩くことができなくなる。それでも、今までの異国との婚姻の習俗は残っていて、皇后を出す家も習俗化する。これがお家柄というやつか。明治の初めまで、藤原氏がずうーっと皇后を出していたという。秀吉や家康が、藤原氏の称号を欲したのもうなずける。
しかしながら、藤原氏は一度も天皇になったこともなければ、天皇になろうともしなかった。それはなぜか?脇役の宿命か?習俗の持つ力というやつか?習俗ってやつは、取り憑かれると宗教のごとく恐ろしいものとなるらしい...

7. 障子と畳
平安文化は、貴族が寒さに堪える文化だという。源氏物語絵巻の十二単は見事なほど着ぶくれを演じてくれるが、美しさという見栄だけであんな分厚い恰好はしないだろう。谷崎潤一郎は「陰翳礼讃」の中で、用を足すにも風流とする文化があるとした。純日本風の厠は、母屋から離れていて夜中に行くには便利が悪い。斎藤緑雨は「風流は寒きものなり」と言ったとか。漱石は便通いを「生理的快感である」と言ったとか。芸術と寒さは相性がいいのだろうか。
さて、部屋の境界に敷居の溝を切る技術が発達すると、そこに遣り戸をはめて風や寒さを凌ぐ。やがて、そこに襖(ふすま)を滑らせることに。平安中期、盛んに書物を読み、筆写するようになると、明るさをもたらすために、襖に薄い紙を張り、障子が発明される。平安の終り頃、楮(こうぞ)という植物の繊維をとって、紙にする技術が発達したそうな。それ以前は、紙は色紙であったとか。美濃国に楮の大きな産地があって、これは白い紙だという。美濃紙の発達と明かり障子の流行は、同期しているらしい。障子の発明によって日常生活をますます情緒溢れるものにさせる。
さらに、ワラでこしらえた畳が登場すると、板張りの空間を愉快にさせる。ワラ靴などのワラ細工の発達は、乾く田んぼとの関係が深く、こうした軟質文化が日本人を器用にさせたという。
本書は、物質文化を「軟文化」「硬文化」に分類し、軟文化の特色は、刃物を使わないとしている。軟文化の代表といえば、織物であろうか。ちなみに、トヨタ自動車も機織り機が起源である。
ところで、畳の部屋は柔軟性が高い。ベットで寝る場所を固定することもなく、自由に布団が敷けるし、布団がなくてもごろ寝ができる。居間にも食堂にもなり、襖を取っ払えば二つ部屋を一つ部屋に再構成できる。ただ、畳部屋が、テーブルよりもお膳を主流にしたとしているところは、合点がいかない。お膳は縄張り意識をはっきりさせ、テーブルは開放感がある、と言えばそうかもしれない。階級社会では、お膳の方が座る場所を規定できるだろう。上座や下座という概念との結びつきもある。しかしそんなことは、畳部屋でも板張りでも同じであろうに。
ちなみに、幕の内弁当なんてものは、お膳の発想から生じたのだろうか?それも、みんな平等という考え方で、個性を嫌うという考え方が潜在意識にあるのだろうか?

2013-12-15

"日本文化の形成" 宮本常一 著

前記事「忘れらた日本人」に触発されて、民俗学の視点から日本文化の源流を眺めたくなる。ただ、飛鳥時代から縄文時代まで遡ってしまうと、歴史というより考古学に近く、いまいち興味が持てないでいた。古代の移動技術を想像しても、つい陸路を中心に考えがちで、地理的な位置からしても、大陸からの一方的な影響が強いと思い込んでしまう。しかし、古代人たちの航海能力は馬鹿にできない。飢饉や凶作が頻繁に起こり、一族の存亡に直面すれば、一家総出で命も懸ける。太平洋から眺めれば、日本列島は漂流しやすい絶好の場所。まさに本書は、海路の視点から日本文化の源流に迫ろうとする。
また、もう一つ気心を変えてくれるものがある。それは、著者が愛読したという古事記、日本書紀、万葉集、風土記などを掘り返して歴史を語ってくれることだ。こうした古典群にも、いまいち興味が持てないでいたが、いずれ挑戦してみたいという気にさせてくれる。
尚、原作の「日本文化の形成」は、全三冊、896項もの大作だそうな。宮本常一氏の死によって、その壮図は中断されたものの、日本観光文化研究所での講義録や、晩年のシンポジウムなどの報告も記載されているという。この古典は、ちくま学芸文庫から刊行されるが、絶版中か!本書は同じタイトルだけど、講談社学術文庫版で、原作の下巻を底本にしているという。なるほど、講義録や写真図版などが省略され、250項のかなり軽い一冊に仕上がっている。とはいえ、内容はかなり分厚い...

人々が定住するのは、その場所で食糧が確保できるからである。狩猟や漁猟が生活の根幹をなしていた時代、獲物がとれなくなると移住を余儀なくされる。そして、定住率を高めるには、稲作や畑作の始まりを待つことになる。国家の成立もまた、人々の定住化によって始まる。
そうなると、農耕の意味するものは大きい。基本的な民族移動は、農耕以前の時代にほぼ完了していたのかもしれない。地図を眺めれば、樺太・千島列島経由、朝鮮半島経由、台湾・琉球経由の三つの海上ルートがすぐに目につく。それだけで、北海道系、北九州系、南九州系で、文化の伝来に特色が現れそうなもの。しかし、日本独自の縄文式の紋様を持つ土器は、北海道から沖縄に渡って満遍なく発掘されているそうな。縄文時代は、約一万年ほど続いたとされるが、その時代に北から南まで人々の往来があったということか。そして、弥生土器が出現した頃から稲作が始まったとされ、定住化が始まったようである。ただ、縄文土器と弥生土器が共存している証拠が、北九州の遺跡(福岡県粕屋郡新宮町)で発掘されているという。
本書は、この時代の中国大陸や朝鮮半島の情勢から、江南の地、すなわち揚子江の南から進出してきた民族に、日本民族の本流を探ろうとする。とはいえ、それだけでは説明のつかないところも多く、東南アジアとの関係も無視できない。小さな島ともなれば、食糧問題や人口問題が表面化しやすく、そのまま一族存亡の危機となる。近年でこそ考古学の発掘成果によって、中国大陸や朝鮮半島の文化を一方的に受容しただけでなく、済州島(チェジュド)などを媒介して双方で活発な交流があったこと、あるいは、西方だけでなく、北方や南方との交流も重要な意味があること、などが明らかになりつつある。宮本常一氏は、それ以前から、その見通しを示していたという。網野善彦氏は、彼の柔軟な学術態度を称賛し、こう語っている。
「民俗学の世界では、民俗学者は文献に頼ってはいけないとされ、ときには文献史料は読んではならないとすらいわれたことがあったと聞いている。」
それは、自己の確立が充分でないまま、あるいは文献史料の扱いを知らないままで、文献に頼ろうとすることへの警告だという。民俗学は、抽象化よりも多様性を重んじる学問で、そのために現地調査は欠かせない。とかく大和、京都、鎌倉など政治の中心から歴史を見がちであるが、柔軟性こそが宮本民俗学の真骨頂というわけか。日本列島が、太平洋の中の一島国である以上、文化はどこからでも漂流してくる可能性がある。日本民族は画一的という印象があり、島国根性で一括りにしがちなのは、教育の影響もあろう。こうして眺めていると、多様性に富んだ民族のようで、文化の源泉を辿るのも一筋縄ではいかない...

1. えびす
えびす様は、日本全国で見られる七福神の一つ。釣り竿を持ち鯛を抱える姿から、もとは漁猟の神といったところであろうか。「えびす」には「夷」の字をあてるが、「蝦夷」とも書く。古くは「エミシ」と呼んだそうな。「蘇我蝦夷」と書いて、「ソガノエミシ」と読む。蘇我蝦夷は、蘇我氏の氏長(うじおさ)で、飛鳥時代に権勢を振るい、645年、中大兄皇子や中臣鎌足らに攻められ自害する。そんな政治の中心人物が、なぜエミシを名乗っていたのか?蘇我一族には、もう一人、エミシを名乗る人物があるそうな。蘇我豊浦毛人(とゆらのえみし)がそれで、「毛人」と書いてエミシと読むという。平安京に尽力した佐伯今毛人(さえきのいまえみし)、墓誌を残す人に小野毛人(おののえみし)というのもあるらしい。毛人と書いてエミシと読むのは、毛深いことが逞しさの象徴だったという。日本書紀によると、夷は一人で百人分の力持ちという記述があるとか。
縄文時代の遺跡では、北海道を含めた東北より西南日本の方が数も少ないらしい。北海道の網走あたりに未発掘の住居跡が多く、北海道や東北の方が西日本より人口が多かったのではないかという。文化水準も、骨製や角製の釣針や銛などを多く用い、西南日本の文化よりも高いとか。そして、縄文時代に移動を繰り返し、夷の文化が北から南まで浸透していったということらしい。大和を中心に国家が成立すると、夷たちも政権に加わる。大和では稲作が始まり、弥生文化へ移行していく。しかし、北海道や東北では縄文文化が維持され、逆に遅れをとる。北海道には、弥生文化が発掘されないそうな。大和朝廷が成立する頃には、北海道や東北に残された夷は、農耕に従わず、異端視されるようになったという。
そうなると、単純に、蝦夷をアイヌとすることはできないようである。日本書紀の斉明天皇の時代、蝦夷征伐(えみしせいばつ)を行ったと記され、まだアイヌという言葉は見つからないという。大和朝廷を拒絶すれば、異民族として扱われ、後にアイヌという呼称さえ生じる。アイヌという言葉は、民族的差別からではなく、文化的差別から生じたということか。えびすという呼び名が大衆化していれば、同じ文字でもエゾなどと呼び名を変えて差別することは考えられそうか。たとえ同じ民族であっても文化の差が大きくなれば、まるで異国人のように映るものである。現在では、グローバル人という人種がわんさといる。だからこそ帰属意識に危機を感じ、なにかと考えの違う人々を非国民などと呼んだり、却ってナショナリズムを高揚させるのかは知らん。

2. コトシロヌシ(事代主)
日本書紀によると、天照大神の孫ニニギノミコトが高天原(たかまがはら)から日本へ下ってくる際、まず、タケミカヅチ(武甕槌)とフツヌシの二人の神を出雲へやって、コトシロヌシに告げると、コトシロヌシは海の中に八重蒼柴垣(やえあおふしがき)を造り、船の舳を踏んでその中に隠れたとされる。それは、抵抗しない意志を示したものだという。このコトシロヌシを、後世の人はエビス神として祀ったとか。エビス神を祀っているのは、古くは漁民に多く見られるが、奈良県の山中でも祀られているという。
「延喜式」という書物によると、大和葛上郡に鴨都味波八重事代主命(かもつみはやえことしろぬしのみこと)という神が祀られているとか。鴨という文字から、もともとは鳥類を捕まえることを生業とする狩猟民と考えられ、これもエビス神として祀られているとか。
こうしてみると、日本中に狩猟民や漁民の間でエビスが祀られていることが見て取れる。事代主をエビスと呼ぶようになったのは、いつ頃かは不明らしい。やがて、狩猟民や漁民も大和朝廷の下に組み込まれると、農耕文化へと移行していく...

3. 倭人の源流
稲作が弥生文化の基底をなしていることが、稲作がもともと日本にはなかったことを物語る。では、どこから渡来したのか?中国の最初の王朝は「夏(か)」とされる。夏人はもともと東南アジア系の人々で夷(い)と呼ばれたそうな。東南アジア系の原住民が河川を上って、、北の狩猟民や遊牧民と交易し商業都市を建設して、長江沿岸に多くの植民都市を作ったという。それが、やがて国家へ成長する。
さて、北方では夏が紀元前二千年頃から、次いで「殷」や「周」などの国家的結合が始まる。一方、揚子江の南は、なかなか国家が生まれず、紀元前5世紀になって、ようやく「呉」と「越」が生じる。紀元前4世紀頃になると、中国では稲作が中心になったという。
本書は、この越人に注目する。「魏志倭人伝」や「日本書紀」には、倭人は越人の一派であったことが記載されるそうな。やがて、越は呉を滅ぼし、江南の地に国家を形成。その勢力は、華南の海岸からベトナムにまで至る。そして、この時期と、日本に稲作が渡来した時期がちょうど重なるという。越人は、竜を崇拝し、入墨をし、米と魚を常食とする海洋民であることから、漢民族の系統とは違う。海洋民ともなれば、航海術にも長けていただろう。国家的な計画で一派が移住してきたのかは、分からないが。
また、中国に伝わる「旧唐書(くとうじょ)」の中の「日本国伝」には、日本国は倭国と別種であることが記されているそうな。唐の成立は618年だから、もっと古くから、聖徳太子の頃には既に日本国という呼び名があったと思われる。日本国という名は明らかに中国を意識していて、日の昇る方向という意味がある。邪馬台国のことを日本国と呼んでいたのか。
日本書紀には、奈良時代の人の眼で律令国家建設の過程を反省している記述があるという。しかも、律令国家の建設を主導した者が、縄文文化人たちの後裔でもなければ、稲作をもたらした者でもないようだという。それは、土蜘蛛(つちぐも)や国樔(くず)、あるいは海人(あま)などと呼ばれ、北方に住む者は蝦夷(えみし)と呼ばれている。このような連中が即座に団結して、統一的な国家を建設するのは、強力な外敵でもなければ説明がつかないようだ。そこで、倭人が渡来してきたという推定をしている。となると、九州に弥生文化の遺跡が多く見られるのは意味がありそうだ。九州の倭国と奈良の邪馬台国が勢力争いをしたという構図も見えてきそう。はたまた、平将門の乱の時代、海賊として瀬戸内海で暴れた藤原純友は、やはり九州と交流があり、海賊が西側に出現したのも造船技術があるからであろう。恐れられた毛利水軍もやはり西国であり、こうした伝統は、海洋民の倭人から受け継がれているという見方もできそうか...

4. 稲作の渡来ルート
稲作の渡来ルートは、華北の陸路から朝鮮半島を南下してもたらされたのではなく、中国沿岸の海路から朝鮮半島の南部をかすめて、もたらされたのではないかという。いまのところ朝鮮半島の北部では、この時代の稲作の痕跡が発見されていないのだそうな。朝鮮半島を経由して文化が渡来するようになったのは、漢が成立し、紀元前108年に中国の東北から朝鮮半島にかけて、楽浪(らくろう)、臨屯(りんとん)、玄菟(げんと)、真番(しんばん)の四郡を置いた頃からだという。この文化は青銅器をもたらす。稲作は、計画的な事業であり、まずは水田を開かなければならない。そのためには、指導教員や農具が必要で、鉄製の刃物や青銅器を求める。倭人と朝鮮半島との交流は、日本書紀にも数多く記録されているそうな。日本と朝鮮半島との間の交流は百済の時代まで続き、この頃までにかなりの倭人が朝鮮半島に移住したと推測されている。だが、百済は新羅に滅ぼされる。661年、斉明天皇は、百済支援のために自ら軍を率いて九州に出陣している。
百済を失えば、朝鮮半島への足がかりを失い、新たな交易ルートを模索せざるを得ない。この頃から、種子、屋久、奄美、度感(とこ = 徳之島)などの人々が日本政府の役人に従って、方物を貢納しているという。大陸と琉球の交流は、もっと古くからあったのだろう。琉球を経由して大陸に渡る航路は、気象条件などからも危険が多い。
また、「後漢書」の中の「倭伝」には、中国と耽羅(済州島)の間に交流があったことが記載されているという。江南から日本に渡来するのにも、済州島は大きな役割を果たしたようである。
尚、沖縄の城獄貝塚から明刀銭(めいとうせん)が出土されているそうな。朝鮮の全羅南道でも出土されているとか。明刀銭は、春秋戦国時代に斉の国で造られ、斉を中心に、趙、燕など北方の国で使用されたという。このことから、山東半島を中心に、揚子江付近から朝鮮半島付近に至る、黄海交通圏というものがあったと推測されるという。

5. 焼畑と秦氏の一族
畑作には焼畑という農法がある。焼畑は、多くの山の中腹から上の緩傾斜面で行われ、火山地方には山麓にも見られるという。その始まりは、木を焼き払うことによって、森林に潜む猪や鹿を野に追い出すためではないかという。たまたま焼き跡に生えたものが、食するのに適していたということか。その中に、ワラビがある。そうした経験から、焼き跡に一定の植物の種子を巻いたり、根菜を植えるようになったのではないかという。焼畑耕作を必要とする人々は、移動性が強いという。狩猟もその系列か。獣を追って、山から山へ。焼畑は、狩猟、採取の延長として発達してきたのではないかという。なるほど、作物の栽培後に土地を休閑し、移動しながら耕作していく点で、発想が似ていると言えば似ている。
焼畑耕作は、朝鮮半島、中国、台湾にも見られる現象だそうな。これは自然発生的なものなのか?いや、そうでもなさそうである。技術的には、水田耕作よりずっと前に、焼畑耕作や定畑耕作はあったと考えられる。
ところで、武蔵という国名は、ムサシと読む。サシは、朝鮮語で焼畑を意味するそうな。武蔵から甲斐にかけて、サシやサスという地名が多く、指、差の字を現れ、こういう所はたいてい焼畑をやっているという。
だが、朝鮮半島だけでなく、最も影響を受けたのは中国だという。中国の古代国家は、北方の黄河流域を中心に成立し、その生産基盤は畑作であったという。キビやアワの類いで、周や秦の時代に作られたものは、黍(モチキビ)、稷(ウルチキビ)、粟(アワ)などが多いとか。漢の時代になると、稲作が生産基盤となっていく。そして、畑作は、もともと秦人の技術ではないかという。
日本へ最初に渡って来た秦人は融通王とされ、日本書紀にも記述があるそうな。秦氏の一族は、中央政府に関与することが薄く、早くから地方に散在し、生産に携わっていたのではないかという。よそ者ということで、豪族たちにこき使われていたのか?秦人は、6世紀中頃には、全国に7000戸を超える分布があるという。当時、1戸当たり15人は居たというから、10万人を超える計算か。中には、秦人で占めた村もあるとか。秦の一族は、高い生産技術を持っていて、地域の生産リーダのような存在だったという。それを物語るものが、平城宮跡から発掘された木簡にあるそうな。貢納物の荷札に品目、数量、代表者名が記載され、そこには畑作の作物と秦の性名が多く見られ、伊豆、尾張、近江、若狭、丹波、紀伊、播磨、備前、阿波、讃岐などに渡っているとか。秦は、ハタとも読む。また、全国には、幡、幡多、幡田、八田、八幡などの地名をよく見かける。古事記や日本書紀でも、秦をハタと読んでいるとか。陸田もハタと読むそうな。

6. 赤飯文化の渡来
ペリー来航に同行したジェームズ・モロー博士は、琉球を訪れ、米作りをかなり詳しく記したそうな。そこには、赤米のことも記され、唐の時代に渡来したのではないかという。日本で赤米が多く作られるのは、鹿児島県、熊本県、宮崎県の南部、高知県などで、南西九州に集中しているという。吉事に小豆(あずき)を入れた赤飯を食べるのも、赤米が起源であろうか?赤米のことを大唐米とも呼ぶ。祝事に赤が用いられるのは唐の影響なのかもれいない。遣唐使が南島路をとるようになったのも関係がありそうか...

7. 太平洋の小さな島々
キャプテン・クックが太平洋の島々を探検した時、人喰いの習俗を持つ島のことが伝えられるという。人間は飢えれば、なんでもする。小さな島では、人口が増えれば生活が苦しくなり、調節を余儀なくされる。男女のバランスが崩れるのも、存続の危機となる。食糧危機ともなれば、島脱出も試みるだろうし、島外との交流を強く求めるだろう。となれば、ミクロネシアなどからの移住も十分に考えられる。あてすっぽで海を渡る勇気があったのかは知らんが、存亡の危機ともなれば、そんなこと言ってられないだろうし、ちょっとでも良い噂を聞きつければ、あるいは迷信や占いに頼って、新天地を求めたであろう。

2013-12-08

"忘れられた日本人" 宮本常一 著

民俗学者宮本常一は、その方面の第一人者柳田國男が提唱した「方言周圏論」に対して、控えめながらも、東西日本における文化の相違を指摘したそうな。酔っ払った反社会分子は、こういう挿話に弱い!
江戸時代から日本の中心は東京であり、学者も芸術家も東京を目指し、民俗風習の観察さえも東京人を中心になされてきた。しかし、文化や民族における画一的なモノの見方は、本質を見失う恐れがある。情報化社会とされる現代ですら、ステレオタイプ的な見識が旺盛なのだ。宮本氏は、そうした風潮を嘆いてのことか、昭和14年(1939年)から日本全国を思いつくまま歩き、生き字引となった老人立ちの話を聞いて回る。しかも、本土から離れた対馬や四国を題材にしていることが、島国根性の源泉を探っているように映る。現在風に言えば... ビッグデータという用語が世間でひとり歩きしている感があるが、スモールデータの分析もろくにやっていないのに... といった愚痴が聞こえてきそうだ。
とはいえ、きつい地方訛りを聞くだけでも退屈しそうで、交流好きで謙虚でなけば話題も引き出せないだろう。実に根気のいる仕事である。こうした熱意やこだわりが、本当の意味で学問を支えているのだと思う。確かに、学問は高度化、抽象化が進んでいる。その影で、具体的な民俗風習の観察が見落とされるとすれば、学問は本当に進化しているのだろうか?進化という言葉もまた迷信になってはいないだろうか?本書は、それを問うているような気がする。

当時の老人と言えば、江戸末期から明治時代を生きた人々で、本書はここに真の伝承者を求める。いくら島国とはいえ、しかも鎖国の時代とはいえ、村落構造、宮座、民家などで文化の系統が多様なのは自然であろう。大陸に近い地域ともなれば、中央政治とは無関係に文化交流が生じる。戦後、地主制や家父長制が、封建的というだけで批判され、農村イメージを一色に塗りつぶしてきた。だが本書は、様々な地主制の形態が存在したことや、家父長制や世襲制の一辺倒ではなかったことを物語ってくれる。
古来、日本には「講」という自発的な民衆組織があったという。信仰から親睦、農作業に関するものなど、人々は些細な悩み事から集いはじめる。草分け的に生じた民衆の集まりが巨大化していくと、そこに権力が入り込むという構図は、昔から変わらない。弱者の集うところに政治屋が入り込み、農協様のような官僚的組織が巧みに組織化されてきたことを想像させる。
また、女性の地位を巡っては、昔から虐げられてきたというのが通説であるが、西日本では、女性が一人旅をなしえたことや、エロ話を堂々としていた様子など自由奔放な雰囲気が紹介される。夜這いが日常的に行われ、性はタブーとされるのではなく、むしろ開放的であったとか。信長や秀吉と会見したルイス・フロイスも「日欧文化比較論」の中で、日本女性は処女の純潔を少しも重んじないと語ったという。男性社会と銘打ちながら、実は、女性のしたたかさに操られた社会だったのかもしれない。少なくとも、現代社会はそのように映る。家族の中で最も発言力があるのは財布を握る鬼嫁だ!との愚痴も聞こえてくるし。三行半では、夫が妻に離縁状を突きつけることになっているが、妻から愛想を尽かされたというのが本当のところでは?慣習とは恐ろしいもので、慰謝料の概念として受け継がれる。男性社会が成り立つのは金持ち風情の特権であろうし、金の切れ目が縁の切れ目となれば、男の方が三行半を喰らうのはもっともな話である。

ところで、歴史事象を観察する上で、通時性と共時性の二つの視点がある。通時性が歴史的な変化を追うのに対して、共時性は同時に生じる地域的な差異に注目する。いわば時間と空間の視点であるが、その双方が協調されてこそ、真の歴史へと誘なう。ただ、歴史学では、時代の流れから前後の事象と結びつけ、その意義を求めることの方が一般的であろうか。本書のように、時間をスライスしながら土地柄を語ろうとする文献は、少数派のような気がする。民俗学を歴史学に含めるか社会学に含めるかは微妙だが、それぞれ近接する領域にあって補完しあっているのは間違いなかろう。歴史ってやつは、通時性だけでは説明がつかないところがある。古典芸術が再解釈されて現代に蘇れば、たちまち共時性となって出現しやがる。まるで新たな発想が生まれたかのように。忘却が人間の得意技とすれば、いつまでも独創性を主張できるという寸法よ!

1. 寄り合い
村には世話人というものがいて、江戸時代には「肝煎(きもいり)」と呼ばれ、明治以降には「総代」と呼ばれたそうな。また、帳箱には古くから伝えられる文書が入っていて、取り決めや掟が二百年にも渡って残される村もあるのだとか。その様子を、対馬の伊奈という村の事例で紹介してくれる。
伊奈の古文書には、「宗氏の一族にあたる郷士の家が、寄り合いに下男ばかり出すのは、けしからん!」という記述が残っているそうな。郷士とは、農村に土着した武士の身分を与えられた者で、会合には、旦那も下男も一緒に出席する習慣があったらしい。主従関係や身分差別があるものの、意見を平等に聞く場があって、その中に一般の村人も含まれていたということか。寄り合いには、全員参加の風習があって、サボると周囲から非難される。透明性という意味では、見事な民主主義が機能しているわけだが、同時に柔軟性を欠く。些細な事でもなかなか結論がでず、間の間の...間をとって中途半端に決定されるといった具合。そして、最終的に村長や長老といった御意見番が決定するという仕組み。ここだけ見れば、永田町の論理か。
しかし、一旦事が決まると、誰も文句を言わず忠実に守り通す。狭い村ともなると、毎日顔をつきあわせなければならない。それでもなお、互いに気まずい思いをしないような、自然なシステムが育まれてきたということか。民主主義的な寄り合いと、決定事項に対する権威という両面から、村組織が機能していたというわけか。もともと民主主義的な風土があったからこそ、戦後いきなりGHQから押し付けられたアメリカ式民主主義を受け入れることができたという意見をよく耳にするが、あながち間違いでもなさそうである。
「日本中の村がこのようであったとはいわぬ。がすくなくとも京都、大阪から西の村々には、こうした村寄りあいが古くからおこなわれて来ており、そういう会合では郷士も百姓も区別はなかったようである。領主、藩士、百姓という系列の中へおかれると、百姓の身分は低いものになるが、村落共同体の一員ということになると発言は互角であったようである。」
しかし、つまらぬ事でも集まることが重要とされる感覚は、現代に悪しき風習として受け継がれるところがある。忘年会を欠席するだけで査定対象とされる企業組織があれば、その閉塞感に逃げ出す人も少なくないと聞く。また、親切心は村八分に変貌しやすい。せっかく親切にしたのに、見返りがないと妬んだり、好き嫌いが自然に生じ、なんとなく気に食わないといった感情から同調者を募ったりと。そこに、金銭と権力が絡めば、集団的暴力が表面化する。昔の村社会がうまく機能したのは、貧乏で権力と無縁だったからであろう。世話役が必要だったのも、謙遜や控え目を美徳とする風習があるからであろう。そして、世話役のように、きっぱりと物事を主張できるところに人が集まり、そこに政治屋どもが寄生する。村選挙が信仰化して村占拠となれば、若年層が村を逃げ出すは必定。民主主義が信仰と結びつくと、途端に機能を失い、民主主義の面影すら見えなくなる。

2. 農地開放と多様な村落
農地開放は、戦後、GHQ主導で実施されたが、もっと前の農林省が企画したものが引き継がれたようである。とはいえ、政治とは行動力であり、日本の官僚だけで実現できたかは疑問だが...
農地解放という言葉は、いかにも自由や平等と相性がよさそうで、弱者の味方や正義の味方という印象を与える。だが現実には、政治的にうまく振る舞う者や自己主張の巧みな者が得をし、本当の弱者はますます追い詰められる。こうした弱者社会に平等主義を掲げる政治屋どもが、寄生虫のごときつけ込むというお馴染みの構図か。
大きい地主の方は割合がつきやすく、むしろ小地主に問題が多かったそうな。当然ながら農地に対する農民の愛着は強く、実際には、解放する方が不合理という場合も少なくなかったようである。貧乏な農家では、馬や牛が売られる前に娘が売られ、息子も出征にとられ、子沢山が労働力不足を補い、学校なんて行かずに働け!などと説教されるような時代。農地開放の名の下で、ほとんど搾取される小作人たち。こういう有り様を見て、青年将校たちは決起した。二・二六事件などが、それである。貧乏農家出身の軍人が多ければ、正義漢も多かろう。政治がだらしないと偏重したナショナリズムが高揚し、正義の集団性が軍部を暴走させる。
さて、日本の村には、大きい地主が土地の大半を持って小作人の多い部落と、所有地が比較的平均している部落の二つのタイプがあるという。地主と小作の分化している村は、みな面白がって調査するが、後者のような平凡な村は、振り向く研究者も少ないそうな。だが、著者は、むしろ後者のタイプの部落の方が多いのではないかと語る。
そして、その典型として愛知県北設楽郡、旧名倉村(現設楽町)が紹介される。小さな村の存続のために、遠い村と嫁のやりとりをする。適齢期というものが設けられ、嫁に行けないと揶揄され、社会的な圧力も加わる。そして、おのずと格式やら家柄やら財産やらをやかましく言うようになったという。ある種の政略結婚のようなもので、見栄っ張りが旺盛となり、結婚式も派手になっていく。一昔前、名古屋の結婚式の派手さは有名だったが、今はどうなんだろう?共同体意識の強い地域ほど、参列者の数やら見栄えを気にするのかもしれん...

3. 年齢階梯制と隠居制度
年齢階梯制とは、年齢によって成員が区別される制度で、長老組、若衆組などがあるという。あるいは、女衆という集いも生じたようだ。寄り合いでは、戸主が集まるものとされ、女性が代理で出席することは少ない。出席しても、ほとんど発言せず、片隅にいるのが普通。そこで、独自の集まりが組織される。井戸端会議もその類いであろうか。
さて、年齢階梯制が、もっとも顕著なのは、非血縁的な地縁集団が比較的強い社会だという。血縁関係が薄ければ、互いに結合を強めるために地域的な集いが発達する。遠くの親戚より近くの他人というわけか。著者の印象では、年齢階梯制は、西日本に濃く現れ、東日本ほど希薄になるという。しかも、そのタイプも多様性に富んでいて、家父長的な同族結合の強いタイプ、非血縁結合の強いタイプ、そして、それらの中間的なタイプがいくつもあるという。
年齢階梯制の濃厚なところでは、隠居制度も強く現れるそうな。隠居制度の起源や起因は、非血縁的な地域共同体であったと思われるという。そういう村では、村作業が一斉作業となることが多いとか。山仕事、磯仕事、道つくり、祭礼、法要、農作業、公役奉仕などが、公共事業的な存在となっているようである。地方自治体の性格から、公共事業と結びつきやすい地域があるのだろう。そこに、政治権益が結びつけば、政治家の影響力を増し、大物政治家の出やすい地域となる。開発の余地のある土地柄ほど、餌食にされやすい。首相の出やすい町というのは、自慢にならないようである。

4. 講仲間とお堂
九州肥前の西部において、中世に発達した松浦一族のごときは、当初は松浦党と呼ばれ、同族集団的な色彩が強かったという。だが後に、姻戚にあたる宇久氏(五島氏)や青方氏なども含めており、クジによって座席を設け、本家と分家による秩序には従わなくなったという。これは郷土武士のケースであるが、瀬戸内海では、下級武士または農漁民町民など生産者の間でも同業者の集団を結成し、これを「衆」と呼ぶそうな。三島衆や塩飽衆などが、それか。衆は、鎌倉時代の文献にも見られ、一結衆などにつながるらしい。一結衆とは、「講仲間」というやつで、地蔵講や念仏講などが古くからあり、宗教的な集まりが始まりとされるようだ。
現在では、民生委員という用語を見かけるが、地縁集団から生じた世話人のようなものか。昔は、葬式が自宅で行われた。おいらの祖母の葬式も田舎の家で行われ、講仲間のような連中がいた。周囲の人たちが、当たり前のように葬式の手伝いをする。そういう光景が、懐かしく思い出される。今では葬儀屋がすべてやってくれるので、後腐れのない世の中となったものである。どちらが良いかは好みの問題であろう。登山道で自然に挨拶を交わすような雰囲気も悪くないが、周囲の人々が家族事情に詳しいというのも鬱陶しいものである。
また、兵庫県加古川の東岸一帯には、村落の中に講堂と呼ばれる建物が多いという。「お堂」という建物は、中世の絵巻物にも見られるそうな。お堂が村の寄り合いの場所とされてきたことから、宗教的な寄り合いが発達したのではないかという。講堂、講壇、講説といった類いで、もともとは長老の話を聞く場所が、教えを乞うような場所となっていったのかもしれん...

5. 世間師
意外なほど若い頃、奔放な旅をした経験を持つ者が多いという。その傾向は旧藩時代から見られるが、明治になって甚だしくなったとか。彼らは「世間師」と呼ばれる。村里生活が画一的だった分、行動においては個性が強烈だったということであろうか。旅の恥はかき捨て!というのもあろうか。
当時の老人は、若い時は、みんな無鉄砲な世間師だったという。確かに、日本中を歩きまわった経験を持つ年寄りは多い。祖父母の世代には、首都圏に出稼ぎに出た話や、海外で戦車に乗った話などを聞かされたものだ。戦時中、男は人夫として駆り出された。本書にも、東京、大阪、北九州などに出稼ぎに行った話が紹介される。
現在のビジネスマンは、首都圏や地方を往復したり、海外へ行くことも多い。しかし、そのほとんどは往復切符。世間師たちの旅は、それこそ無鉄砲な片道切符!戻れる保障があるのと、ないのとでは、心持ちも随分と違うだろう。安全で便利な社会が、人を臆病にさせるのか?現在のように思考が個性的になると、逆に行動では情報に流されて画一的になるのか?わざわざ現地に行かなくても、画像情報が容易に入手できるし...
貧乏な村の出身となれば、兵隊志願者も多く、海外へ出て行く者も多い。裕福な者が余暇で旅をするのと、貧乏な者が生活のために旅をするのとでも、意味が違う。冒険心においては、昔の人の方が勇気があったのかもしれん。
1877年、西郷騒動(西南戦争)で熊本の町は丸焼けになると、町の復興のために大工や人夫が必要という噂が流れ、人々が大挙して押し寄せたという。その復興も目に見えて早かったとか。こうした光景は国民性として受け継がれている。

6. 文字伝承と時間意識
古くから、日本人の識字率の高さを指摘する欧米人の文献を見かける。寺小屋などの文化が民衆から自発的に生じたり、村長や長老たちが率先して教師役を務めたりと。
とはいえ、地方の農村をくまなく歩く様子から、文字を知らない者が少なくないことも見えてくる。文字を知る者と、知らない者とでは、生活意識や性格にも大きな差が生じる。文字を知らない者は、語る者のことを信じて、そのまま覚えるしかないので、騙されやすい。よほどの作為のない限り修正しようとはせず頑固爺にもなる。対して、文字を知れば、偉大な書を読むこともでき、信じるかどうかの基準を自分で定めることができ、大袈裟な伝承に疑いを持つこともできる。
文字を知る者は、外部からの刺激にきわめて敏感だという。世間の流れやその歯車に、自分の生活を同期させようとして、より世間を気にすると。流行語に惑わされるのも、時代に乗り遅れまいという焦りがあるのだろう。知識があるために、却って惑わせることもある。言葉の持つ利便性は、そのまま言葉の持つ暴走性へとつながる。文字文化が存在しなかったら、国家という概念も成り立たないのかもしれない。よって、国家建設において、教育の重要性は非常に高い。
伝承者としての老人の役割とは、地域の生字引としての存在であるが、そういう役割も文献が整ってくれば自然に消えていく。人間の存在意義は、文字に置き換えられていくのかもしれん。ただし、文字に精神が結びつかなければ、伝承の役割は果たせないだろう。
「民間の口頭伝承は文書資料とちがって、自分たちの生活に必要のなくなったものはぐんぐんわすれ去られていく。しかしただ忘れ去られたのではなくて、神体だけはのこり、管理者がかかわっているものである。」
ところで、文字を知らない者は、一緒に話をしていても区切りをつけることがなく、ほとんど時間を気にしないという。ただ、朝だけは滅法に早いのだとか。飯だ!と言えば食い。暗うなった!といえば寝る。
「文字の縁のうすい人たちは、自分をまもり、自分のしなければならない事は誠実にはたし、また隣人を愛し、どこかに底ぬけの明るいところを持っており、また共通して時間の観念に乏しかった。」
一方、文字を知っている者は、四六時中、時計を気にしているという。時間によって、社会や世間における自分の位置を確認し、そこに責任感を結びつけるのかもしれん。責任とは、ある種の自己存在の確認であろうか。文字に対する意識が組織の中の自分を確認する意識と結びつき、空気を読むという隠れた文字を読む風潮を育んできたのかも。だから、寄り合いでもなんでも、どこかに所属していないと落ち着かないのかは知らん。
「民間のすぐれた伝承者が文字をもってくると、こうして単なる古いことを伝承して、これを後世に伝えようとするだけでなく、自分たちの生活をよりよくしようとする努力が、人一倍つよくなるのが共通した現象であり、その中には農民としての素朴でエネルギッシュな明るさが生きている。」

7. 四国の裏街道
土佐山中で出会った老婆の話は、四国のお遍路の旅を思い浮かべる。巡礼の旅路ともなれば、険しい道でなければ意義を失う。通りかかった老婆は、大変なレブラ患者で、男か女かも見分けがつかないほど。いわゆるハンセン病。その老婆によると、こういう業病は四国に多くて、そういう者のみの通る山道があるという。
「盗人の通る道もあるのだからカッタイ病の通る道もあるのでしょう」
善人に道があれば、罪人にも道があろうし、ケモノにも道があろう。明るい道もあれば、暗い道もあろう。生きる者すべてに道が用意されていなければ...

2013-12-01

"イワン・イリッチの死" レフ・トルストイ 著

ウォッカ級の長編大作が続くと、純米酒のごときシンプルな物語を欲する。しかし、濃厚さはスピリタス級か!なにしろ死神を相手取るのだから...

トルストイに触れるのは、二十年振りぐらいになろうか。帝政ロシア時代にあって、ロシア正教会と国家権力の癒着や民衆圧迫の政策を批判し、国家から危険人物と目された。だが、あくまでも非暴力主義を唱え、その活動はトルストイ運動として知られる。学生時代というのは、自由に焦がれ、なにかと反権力的な考えに惹かれるもので、同じく政府批判でシベリア流刑となったドストエフスキーや、農奴制度を批判して投獄されたツルゲーネフと合わせて親しんだものである。イエス思想への原点回帰を匂わせる点でも彼らは共通しており、宗教思想の暴走にも興味を持った。トルストイは、代表作の一つ「アンナ・カレーニナ」の完成後、十年間、創作意欲を失い、自我に籠ったと伝えられる。そして、再び出現した作品が、「イワン・イリッチの死」である。
題材そのものは単純... 一人の裁判官が、不治の病にかかって恐怖と孤独に苛まれ、ついに諦観に達する... という物語。なんの変哲もない純粋さが、却って芸術としての凄みを与える。

なぜ、この書を再読する気になったかというと...
実は先日、友人の葬儀で納棺に立ち会った。ヤツは、こわばった手足を棺の底敷に沈めながら、ずっしりと横たわっていた。その姿は、防腐処理のせいか、堂々としていて、実に死人らしくない。闘病生活の疲れからか、少し痩せ細っているものの、すっかり面変わりした顔は、まったく関係のない第三者の面構え。穏やかな表情が、微笑んでいるようにも、冷徹にも見える。なによりも不思議なことは、生きている者を投影するかのように見えることだ。まるで生きる者を非難するかのような... ついに人生の意義のようなものを悟ったというのか?
ところで、葬式というものは、最も悲しむべき喪主が、最も忙しい仕事を負わされる。気持ちを少しでも紛らわせようという魂胆か?財産を計算をするのも、香典を整理するのも、気を紛らわすにはちょうどいい。そして、葬式を終え、参列者が去った後、突然泣き崩れる。
しかし今回は、家族葬のような簡易的な形で済ませたいという意向があり、死に顔をじっくりと拝むことができた。俺の顔を見ながら愚痴ってんじゃねぇよ!という台詞が聞こえてきそうなほどに。葬式仏教のような形式ばったものよりも、落ち着いて惜しむことができるだけに、その質素感が却って重みを与える。そのような儀に参加させて下さった遺族の方々に感謝する。
... いま、そんな事を振り返りながら、読んでいる。

1. 生への欺瞞
イワン・イリッチは三人兄弟の次男。父は、典型的な官僚役人として、年功序列で役職を与えられ、安穏な晩年を過ごした。長男も、父と同じ栄達の道を選び、名義ばかりの椅子を占め、惰性的な俸給を得る。三男は、紋切型の家族に一人ぐらい現れる、はみ出し者。末っ子ともなれば、いつも兄たちと比較され、反抗心を抱く。次男イワンは、一家で秀才と言われ、長男ほどの杓子定規でもなければ、三男ほどの無鉄砲でもない。快活で、社交的で、礼儀正しく気持ちのいい人物で、同僚からも好かれるタイプ。そんな人物が、医者にも診断できない得体の知れない病に襲われ、絶えまない腹痛から精神を歪ませていき、ヒステリックな性格へと変貌させる。普通に恋愛し、普通に結婚し、普通に子供もでき、平凡に生きてきたからこそショックが大きいのか。
裁判官の資質で何よりも嫌う事は嘘をつくこと。嘘も方便と言うが、正義漢にとって虚偽ほど許せないものはないらしい。しかし、その嘘が、唯一の心の支えになろうとは。医者は完治すると言っているし、家族や同僚もきっと治ると励ましてくれる。その胡散臭い言葉が、なによりも辛い。病床にあり、モルヒネ漬けとなり、痩せ細っていく顔を見れば、鏡を遠ざけ、自分の身体からも目を背ける。やがて、イワンは死へ向かっていることを悟る。まだしも、末期癌などと宣告される方が、ましなのかも...
「おれがいなくなると、その時はいったいどうなるんだろう?なんにもありゃしない。おれがいなくなった時、いったいおれはどこへ行くんだろう?本当に死ぬんだろうか?いやだ、死にたくない。」
恐怖を嘘で誤魔化すのが、精神ってやつの常套手段。なによりも自己を欺瞞しやがる。希望という名の絶望ほどタチの悪いものはない。無責任な博愛者ほど、ガンバレ!と、精神的に追い詰め、憐憫な情は残酷な情の投影となる。若くて活力がみなぎっていれば、自分が死ぬなんて想像もつかないし、考えもしない。だから、他人の命を粗末にするのかは知らん。死を身近に感じなければ、生きる意義なんて考えないものかもしれん。

2. 死への覚悟
死を知ったとしても、死を悟ったとしても、人間だからいずれ死ぬ!と分かっていても、その考えに馴れることは並大抵のことではない。死とは何か?と自問したところで、理解を超えた領域にある。そして、死の意義について、屁理屈でもいいから、答えを出さずにはいられない。死という得体の知れない恐怖が迫れば、唯一の慰めは時間感覚を麻痺させることぐらいであろうか。
死を問うことを、生を問うことに転嫁することはできそうである。死を無意味とするならば、意味のある時代を思い出せばいい。周囲にできることと言えば、ただ目を見つめ、昔の懐かしい話を笑顔で語ってやることぐらいであろうか。こんな場面に、励ましも、希望の言葉も、真面目くさった話も無用だ。生に満ちていた思い出だけが、迫り来る死という瞬間を遠ざけてくれる。それでも、過去を思う時間は「死の距離の自乗に反比例」して、だんだん速くなっていくものらしい。未来の絶望のために過去の希望に救いを求めるとは... 思い出作りとは、死に直面するための心の準備に過ぎないというのか?
周囲の人々が絶望の目で見つめていると、自分の存在が彼らを苦しめているのを感じ、ついに死を覚悟する。かくして、イワン・イリッチは、死を喜びに変えたのだった。人生とは、死というほんの一瞬の光を見るだけのためにあるのかもしれん...
「ところで死は?どこにいるのだ?古くから馴染みになっている死の恐怖をさがしたが、見つからなかった。いったいどこにいるのだ?死とはなんだ?恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからである。死の代わりに光があった。」
... 中央裁判所の判事イワン・イリッチ、享年45歳。

2013-11-24

"カラマーゾフの兄弟(上/中/下)" フョードル・ドストエフスキー 著

悪い病が... 前記事「罪と罰」の勢いで、この長編まで再読してやがる。おまけに、推理小説風の展開に一気読みせずにはいられない。その展開とは、物欲の権化のようなフョードル・カラマーゾフの血を引く三人の腹違いの息子に、私生児と噂される野郎を加え、おまけに、男どもの強欲に女どものヒステリーが絡んだ恋愛構図ときた。女と遺産が絡むと男どもはいきりたつ、儚い性分よ。そんな中で殺人事件が起こる。「犬神家の一族」を思わせるような地獄絵図、とでもしておこうか。
ちなみに、カラマーゾフという名の「カラ(カーラ)」には、暗黒や黒塗りという意味があるらしい。カラス(黒い鳥)の語源でもあるとか。腹黒さを題材にした定番のような物語というわけだ。しかし今読むと、これほど宗教色が強く、社会批判の強い作品だったとは... 宗教社会も、人間社会も... 世界はカラマーゾフ一家、人類はみな兄弟ってか...

父フョードルは一代で財をなした、というより資産家の生娘を口説いては我が物にしてきた。世間知らずの箱入り娘ともなれば、ちょいワル男にイチコロ!駆け落ちまでする。だが、恋が成就した途端に次の女に走るのが、カラマーゾフの性分よ。息子たちは、幼児期に邪魔にされ、召使や修道院に押し付けられてきた。長兄ドミートリイは、父親の財産を当てにする放蕩無頼な情熱漢となる。次兄イワンは、少年期に気難しく自我に籠り、冷徹な知性人でプライドの高い無神論者となる。しかし、三男アリョーシャだけは、長老ゾシマに心酔する純真無垢な修道者で、実にカラマーゾフらしくない。ドストエフスキーがこの人物を主人公に据えたのは、ブルジョワ社会における道義的退廃やインテリ主義といった風潮への批判であろうか?いや、盲目的に何かを信じれば、毒牙にかかっている。やはり、お前もカラマーゾフか。
「兄たちは自分を滅ぼしにかかっているんです... 父もそうですしね。そして道連れにほかの人たちまで滅ぼしてしまうんですよ。ここには、いつぞやパイーシイ神父の言われた "地上的なカラマーゾフの力" が働いているんです。地上的な、狂暴な、荒削りの力が... この上にも神の御心が働いているのか、それさえ僕にはわからない。わかっているのは、そういう僕自身もカラマーゾフだってことだけです...」
そして、息子らに割って入るのが、フョードルの私生児と噂される召使スメルジャコフ。彼はイワンの独特な無神論に心酔し、しかも癲癇病を患っていて、とんでもない行為に及ぶ。ちなみに、ドストエフスキー自身が癲癇病を持っていたことは広く知られる。古来、癲癇病は「聖なる病」とも「呪いの病」とも呼ばれ、痙攣して意識を失っている間、崇高な気分になれると聞く。その崇高な精神状態が、このようにさせるのか?
ついでに、女性陣も紹介しておこう。貴族女学校出の気高い令嬢カテリーナは、ドミートリイと婚約。ドミートリイにとって、お高くとまった女性を自分に振り向かせるのが快感で、しかも金目当て。一方、カテリーナの力強さとは対照的な存在に、妖艶なロシア美人のグルーシェニカを位置づける。彼女を巡るフョードルとドミートリイの確執は、「二匹の毒蛇が互いに食い合いをやる」構図。当のグルーシェニカも嬉しそうだから敵わん。男性諸君はみな、小悪魔にイチコロよ!
そんなところにフョードルが殺され、しかも事件当夜、ドミートリイが召使の老人の頭を殴って屋敷から出てきた。アリョーシャとグルーシェニカは無実を信じるものの...

ところで、本物語の最大の見モノに、二つの口論を挙げておこう。
一つは、イワンがアリョーシャに議論を持ちかける「反逆」とそれに続く「大審問官」の章。評論家ローザノフは、「大審問官」こそ「この小説の魂である」と指摘したそうな。それは無神論と有神論の対決で、カトリック教批判が思いっきり込められている。イワンは、無神論者というよりフリーメイソンか。正統派とされるヨハネに対して、反正統派とされるトマスが論争を仕掛けているようでもある。
二つは、イワンとスメルジャコフが三度の対面をする場面。カラマーゾフ家では、殺してやる!という暴言を耳にするのは日常茶飯事。そこにスメルジャコフが、自ら及んだ行為はイワンの意志に従っただけという証拠を論理立てて説明すれば、イワンは自分の意志に自信が持てなくなり精神病を患う。「永遠の神がないなら、いかなる善行も存在しないし、すべては許される!」と説いたのはイワンである。スメルジャコフは拳銃自殺に追い込まれる。
いくら自由意志を信じたところで、無意識の領域にも本性が深く根付いている。自分の行動が幻想かもしれないと思い込ませるのも、宗教を無条件に信じ込ませるのも、催眠術のごときものかもしれん。そもそも自発的に考える者が、人に考えを押し付けたりするだろうか?キリスト教徒も、反キリスト教徒も、同じく盲目の信仰に憑かれる。それは、敵意という信仰だ。洗脳によって自問する力をも奪うとなれば、俗界の盲目振りは呆れるほど。敵意に満ちた興奮の前では、人間は為す術もない。そして今、自分には社会風潮に対して問う力が残っているだろうか?社会に洗脳されてはいないだろうか?と問うてみても、俗界の泥酔者にはとんと分からん...

1. 幻の後編構想
冒頭には、13年前の出来事を回想する形で記述すると宣言され、後編の存在を匂わせる。だが、ドストエフスキーは本編を書き終え、三ヶ月後に他界。小林秀雄氏は「およそ続編というようなものがまったく考えられぬほど完璧な作品」と評したとか。まったくである。強いて言うなら、同じく冒頭で主人公にアレクセイ(アリョーシャ)を選んだことが宣言されるが、むしろ、イワンやスメルジャコフの方に大きな意義を与えているように映る。好みの問題かもしれんが...
本物語では、アリョーシャは誰にもまして現実主義者として紹介される。
「奇蹟が現実主義者を困惑させることなど決してないのである。現実主義者を信仰に導くのは、奇蹟ではない。真の現実主義者は、もし信仰をもっていなければ、奇蹟をも信じない力と能力を自己の内に見いだすであろうし、かりに反駁しえぬ事実として奇蹟が目の前にあらわれたとしても、その事実を認めるくらいなら、むしろ自己の感情を信じないだろう。また、もし事実を認めるとしたら、ごく自然な、これまで自分が知らなかったにすぎぬ事実として認めるにちがいない。」
だが、この紹介はイワンの人物像に近く、神に心酔するアリョーシャの純真さはこそばゆいぐらいだ。ひょっとすると、アリョーシャが現実主義に目覚めていく様子を、後編で描く予定だったのかもしれない。いくら神に恋焦がれたところで、人間は俗世の側にいる。もし、後編が存在したなら、もっと主人公らしい、もっとカラマーゾフらしい俗の姿を曝け出したのかもしれない。
ちなみに、アリョーシャが修道院を出て、リーザとの愛に傷つき、革命家になって皇帝暗殺の計画に加わり、断頭台にのぼることになっていた、という説もあるそうな。本書にも、アリョーシャと車椅子生活の長いリーザとの純愛が描かれるが、その扱いが中途半端な気がしなくもない。
また、研究家ヴェトロフスカヤは、神の人アレクセイ伝説との関連を指摘しているという。神の人アレクセイとは、4,5世紀のローマの苦行者のこと。名門の貴族に生まれ、妻とむつまじく暮らしていたが、思うところあって家出し、荒野で修行を積んで帰宅すると、妻も家族も彼であることに気づかず愚弄し、ついに死ぬ直前に名を明かすという。ヴェトロフスカヤの見解は、この伝説に主人公アリョーシャの運命を重ねようとしたのではないかというもの。アリョーシャが何に目覚めていくのかは知らんが、偉大な小説は作品が完成するまでの過程までも伝説にしてしまうんだから、敵わん!

2. 長老制度と聖人の遺体
長老制度は、ロシア正教において歴史的に微妙な存在らしい。長老がロシアの修道院に現れたのは、18世紀頃だそうな。ドストエフスキーの生きた時代から百年も経っていない。東方の正教会とはギリシア正教のことだが、長老制度はシナイやアトスに遥か千年も昔から存在していたという。ある説によると、古代ロシアにも存在していたとか。13世紀から15世紀のタタール支配、あるいは動乱、そしてコンスタンティノープル陥落などで東方との交流が遮断された結果、長老制度が忘れ去られ、途絶えたという。復活したのは18前世紀の末、偉大な苦行者の一人とされるパイーシイ・ヴェリチコフスキーとその弟子たちによる、ほんの一部の修道院だけだという。ロシアでは新制度として迫害さえ受けてきた制度で、特に栄えたのはコゼーリスカヤ・オープチナ修道院だという。
本物語では、自己の意志を完全に放棄し、長老の服従下とする思想が、アリョーシャを通して描かれる。アリョーシャにとって長老ゾシマは聖人なのだ。だが、長老とて亡くなる。腐敗、腐臭を放つ聖人の遺体をどういう目で眺めているのか?
「長老の遺体がたちどころに快癒の奇蹟を起すどころか、反対にあんなに早く腐敗しはじめたというだけの理由で、こんな悲しみや不安が心に生じうるものだろうか...」
聖人伝説には、遺体が腐敗を示さなかった事例も少なくない。その奇蹟が、修道僧たちに感動に満ちた神秘性を与える。聖人として心服していれば、腐臭も知覚が受け付けないというのか?それとも、腐臭を感じたならば、それこそ他の僧たちに尊敬の念が足らないと罵られるのか?聖人伝説を創作するには、防腐処理も欠かせない。信者は無条件の信念のためになんでもやる。教会や修道院という知性や理性の集団でさえ。俗人は、偉人に死んでもなお重荷を背負わせようとする。
また、神父の間にも派閥が生じ、長老を嫌う者もいれば、誹謗者もいる。優れた才能の持ち主が故に、恨みや妬みを買うのが俗界の掟だ。思惑が絡めば、防腐処理も手抜きをする。腐敗、腐臭を感じるのは俗人の自然の能力であって、むしろ奇蹟は神への冒涜となろう。長老ゾシマの遺体が腐臭を放てば、まさに自然に帰した証拠である。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」... ヨハネの福音書第12章

3. 無神論 vs. 教会信仰
プラトンは、無神論の誤った考えを三つ挙げた。一つは、神が存在しないと考えること。二つは、神は存在するが人間には無関心と考えること。三つは、犠牲や祈願によって神の機嫌がとれると考えること。しかし、神を崇めるほとんどの者が、この三つ目に憑かれる。無神論者だって、すぐに有神論に鞍替えする。神の代理人と称する人間の多さには驚くべきものがある。信仰の恐ろしさは、病的な興奮にまで高められること。パスカルは言った、「人は良心によって悪をするときほど、十全にまた愉快にそれをすることはない」と。限りない神の愛をすっかり使い果たすほどの大罪を、人間が犯せるはずもない、と信じたいものだが。おいらだって、無神論者だし、無宗教者だし、ついでに泥酔者だ。葬式では、ちょいとばかり仏教に世話になるものの。だからといって、宇宙論的な絶対的な存在を信じないわけではない。宇宙法則としての到底敵わない真理のような存在を。それを神と呼ぶことに抵抗を感じるだけだ。
「18世紀に一人の罪深い老人がいたんだが、その老人が、もし神が存在しないのなら、考えだすべきである、と言ったんだ。そして、本当に人間は神を考えだした。ここで、神が本当に存在するってことは、ふしぎでもなければ、別段おどろくべきことでもないんだ。しかし、人間みたいな野蛮で邪悪な動物の頭にそういう考えが、つまり神の必要性という考えが、入りこみえたという点が、実におどろくべきことなんだよ。」
教皇グレゴリウス7世は、ローマ教皇のみが正当で、普遍的な教会の主であり、教皇のみが新しい法令を制定することができ、教皇が世界の無条件の主であると唱えたという。以来、ローマ教会はウルトラモンタニズムへと邁進してきた。ウルトラモンタニズムとは、「山の向こう側」という意味で、アルプスの向こうから押し寄せる教皇史上主義というわけだ。教皇とは、凶行に走るものらしい。
ロシアでは、無神論だの、革命だの、と叫ぶ社会主義者たちが旺盛となる時代。教会や聖職者は、国家の中で厳密な地位を占め、教会思想そのものが国家に組み込まれる。キリスト教徒の社会主義者は、無神論の社会主義者よりも、ずっと恐ろしい。あるいは、宗教に取り憑かれた革命家は、自由主義の革命家よりも、ずっと恐ろしい。ヨーロッパの自由主義やロシアのディレッタンティズムでさえ、社会主義とキリスト教を混同するという。敬虔な愛を盲目な愛と混同すれば、まるで地上のサタン!正義を宗教で規定しようとすれば、集団的暴力を加速させ、民衆裁判や公開リンチの類いに蝕まれる。このような集団的信仰を編み出す教会が、いったい何を救ってくれるというのか?懐疑心旺盛な泥酔者を、どうか説いてみてくれ!ドストエフスキーよ。
本書は、その答えとまでは言わないにしても、それらしい事をシンプルに語ってくれる。
「肝心なのは、己に嘘をつかぬこと。」
己の嘘に耳を傾ける者は、ついには自分の内にも周囲にも、いかなる真実も見分けがつかなくなり、自分をも他人をも軽蔑するようになるという。誰も尊敬できなくなれば、人を愛することをやめ、愛を持たぬまま心を晴らし、気を紛らわすために情欲や享楽に耽け、ついには罪業たる畜生道にまで堕落すると。すべては、絶え間ない嘘、自己欺瞞から生じるというわけか。
「おのれに嘘をつく者は、腹を立てるのもだれより早い。」
腹を立てることが、時には非常に心地良いものとなる。理性を自負して憤慨することが格好いいもんだから、腹を立てることに快感を求めたりする。叱られるより叱る立場の方が見栄えがいいもんだから。己の美学のために腹を立てる、とでもしておこうか...

4. イワンの叙事詩「大審問官」
さる修道院の詩に「聖母マリアの苦悩の遍歴」というものがあるそうな。聖母が地獄を訪れ、大天使ミハイルの案内で様々な苦悩を見て回る。その中に、火の池に落ちた二度と浮かび上がれぬ大罪人もいて、「神もすでに彼らを忘れたもう」という深みのある表現となる。それでも、聖母は泣きながら神の前にひれ伏し、地獄に堕ちたすべての者に分け隔てなく恵みを乞う。神は、聖母の息子キリストの釘付けされた手足を指し示し、あの子の迫害者たちを赦せるか?と尋ねると、聖母はすべての聖人、殉教者、天使たちに、自分と一緒にひれ伏し、すべての者に分け隔てなく恵みを乞うよう命じる。こうして、聖母の願いは神に聞き入れられ聖霊降臨となる。「主よ、こう裁きたもうたあなたは正しい」と叫んで。
しかしながら、宗教改革が生じると、異端審問の恐ろしい時代へ突入し、壮麗な火刑場で異教の徒を焼きつくす。異端とされたキリストを磔に処した愚かさは、その数十倍の復讐劇とされてきた。人間どもは神の名の下で悪魔と化すが、それでも神は沈黙してこられた。神を目覚めさせるには、これほどの残虐行為では足りぬというのか?自己の自由を主張する者が他人の自由を迫害するとは、これいかに?
イワンは言う...「人間は、もともと反逆者として作られている」と。人間への尊敬がもっと小さければ、人間に対する要求ももっと小さいに違いないと。人間を偉大な存在とするから、ますます神の反逆者に育てると。永遠の調和のために子供の苦しみを必要とするなら、そんな高い入場料を払わなければならぬ未来社会などいらないと。
アリョーシャは弁明する... そんな愚かな行為をするのは、ロシア正教ではなく、ローマのことだと。せいぜいイエズス会のような連中だと。
イワンは続ける...
「人間は良心の自由などという重荷に堪えられる存在ではない。彼らはたえず自分の自由とひきかえにパンを与えてくれる相手を探し求め、その前にひれ伏すことを望んでいるのだ。だからこそ、われわれは彼らを自由の重荷から解放し、パンを与えてやった。今や人々は自己の自由を放棄することによって自由になり、奇蹟と神秘と権威という三つの力の上に地上の王国を築いたのだ。」
すべての悪行を赦せる者がいるとすれば、それは、無実を背負って自らの血を捧げた、あのナザレの人のみ。無実を承知で、黙って犠牲となれる者のみ。大審問官の弾劾に対して、沈黙を守り続け、最後もやはり無言のまま接吻をする。これはいったい何を意味するのか?大審問官が展開する支配者の論理ぐらい、あの高貴なお方はお見通しよ。自由によって生じる社会風潮も、その風潮に流された判決の責任を背負う大審問官の苦悩も。おまけに、大審問官自身が心の奥底でキリストの正しさまでも信じながら、政治の手っ取り早い手段によって処刑しようとしていることも。あのナザレの人はすべてを見抜いていたからこそ、沈黙を通したのかもしれん。
今日、いつの時代にもまして人々は完全に自由であると信じきっている。しかし、自由の暴走ほど恐ろしいものはない。道徳家は、人間の自由を支配する代わりに、いっそう自由を増やしてしまった。曖昧なものや疑わしいものばかりを選び、自由は自ら制するものではなく、多くの自由を見出し、拡散させ、もはや手に負えぬものとなった。自由には、義務と責任が伴うことをすっかり忘れ、選択肢ばかりを増殖させてしまった。神は、本当に人間に自由を与えようとしているのか?無条件に信じる奴隷の方が可愛いと思っているのでは?神とは、実は悪魔と一体ということはないのか?あるいは、メフィストフェレスと無二の親友ということはないのか?二千年以上前、ヘロデ大王の幼児虐殺は、20世紀に大量破壊兵器の時代を迎えて市民虐殺となって見事な抽象化を体現した。21世紀になってもなお、大量破壊兵器に夢を託す政治家で溢れている。
「人間にとって良心の自由ほど魅力的なものはないけれど、同時にこれほど苦痛なものもない。」

5. 思想の姦通者
裁判官のプライドは高く、自尊心の強い性分が、世俗のヒーロー役を演じ、誤審へと邁進する。法廷でさえ洒落たシャツを着て伊達男を気取るドミートリイは、悪役にうってつけ。証人たちも、たちまち危険な存在となる。些細な状況から想像を膨らませ、証拠を歪ませる。こうなると集団的ヒューマニズムほど恐ろしいものはない。そこに出世主義が結びついたら目も当てられない。
興味深いのは弁護士側の弁論である。明白な事実は、フョードルが死んだということだけ。強欲な資産家が死ねば、それが殺人事件となり、しかも親殺しと風潮される。そこには先入観があり、そもそも殺人事件などなかったという主張である。推定無罪もここまでくると...
尚、1875年、保守的な社会評論家マルコフが、「19世紀のソフィスト」という一文を発表し、その中で、農奴解放後の公開裁判における弁護人を「思想の姦通者」と呼んで反響が巻き起こったという。「思想の姦通者」とは、目的のために白を黒と言いくるめるような詭弁を用いる弁護士を指すそうな。
それにしても、法廷とは奇妙なものである。無実を主張すれば、却って反省がないと見なされ、重罪を課せられる。真犯人が自供するよりも、無実の人が無罪を主張する方が、刑が重くなるとは、これいかに?どうせ処罰を受けなければならならないとなれば、少しでも刑を軽くしようと罪を認めてしまう。そうなると、法廷は悪魔の手先だ。冤罪率というものは、事実上、統計には現れない。真実を知る者は本人だけなのだから。法廷の正当性を、科学的に示すことはできるだろうか?本当に無罪ならば、それを主張し続けるしかないわけだが、既に処罰を受けている者は根気が続くだろうか?せめて、模範囚となって仮釈放に期待するぐらいか。法廷もまたメフィストフェレスと仲がよさそうだ...

2013-11-17

"罪と罰(上/下)" フョードル・ドストエフスキー 著

学生時代に読んだ、多分。だが、本棚には痕跡が見当たらない。古本屋にでも出したのだろう。引越しで最もかさばる荷物が書籍、おいらは引越し貧乏だった。一度読んだ本を読み返すなんて考えもしなかった。今から思えば、惜しいことを...

当時は推理小説ばかり読み漁り、その延長上に位置づけていたような気がする。ストーリーは極めて単純!正義のために犯した殺人が、自我の良心に押しつぶされていき、ついに自首するという物語。だが、心理描写だけで推理小説バリの凄みがある。推理小説というものは、もちろん論理性は欠かせないが、それ以上に心理の変遷の方に真髄があるのだと思ったものである。しかし今読むと、社会批判や政治思想の方に目がいく。例えば、こんな文面に...
「犯罪は社会制度の不備への抗議だというのさ... 十八番の紋切型さね!... もし社会がノーマルに組織されたら、すべての犯罪も一度に消滅してしまう。なぜなら、抗議の理由がなくなって、すべての人がたちまち義人になってしまうから、という結論になるのさ。自然性なんか勘定に入れやしない。自然性は迫害されてるんだ... 彼らに言わせると、人類は歴史的な生きた過程を踏んで、最後まで発展しつくすと、ついにおのずからノーマルな社会となるのじゃなく、その反対に、何かしら数学的頭脳から割り出された社会的システムがただちに全人類を組織してさ、一瞬の間に、あらゆる生きた過程に先だって、生きた歴史的過程などいっさいなしに、それを正しい罪のない社会にするんだそうだ!だからこそ、彼らは本能的に歴史というものが嫌いなのだ。歴史なんて醜悪で愚劣なものだ、そう言って、すべてを愚劣一点張りで説明している!」
見えなかったものが見えてくる分、見えていた純粋なものが見えなくなっていくのか...

本書には、心を開かせる二つのパターンが対照的に描かれる。いわば、頑固さをいかに和らげるかという心理的技術として。一つは、純真な心を持つ娼婦の存在が、自己の醜い心を鏡に映し出す。二つは、老練な予審判事が証拠を匂わせて巧みに心理戦を仕掛けると、精神の裁判官とも言うべき存在となる。前者は人間自然性において良心を揺さぶり、後者は心理的技術によって罪悪感を煽るといった構図。
さて、罪人にとってどちらが恐ろしいだろうか?政治的、あるいは宗教的な大人の思惑には無条件に反抗心を抱いても、純真な子供の心には素直になれるところがある。大人に指摘されれば、見栄や体裁ばかりを気にし、どんな些細な事でも憤慨するが、小学生に指摘されれば、素直にありがとうと言える。権威主義の前で意地を張るのは、精神が虚栄心や羞恥心の塊となっている証であろう。映画「小説家を見つけたら」を思い出す。それは、自我に篭った老いた小説家を、文才ある少年が救い出すという物語。純真な心の前では、まるで蛇に睨まれた蛙よ。
結局、本物語は良心が勝利して終わる。ロングセラーを維持し、学生に愛読され続けるのも、基本的な精神構造を題材にしているからであろう。それは、自己肯定と嫉妬に良心や理性を絡めた構造で、特に強調される情念は「選ばれし者」という自負心である。才能を持ち高い理想を掲げるが故に、人をこのようにさせるのか?人はよく、義務だ!良心だ!なんてことを言う。そんなものは惰性的で、都合よく解釈されるに過ぎないということか。無意味や無価値といったものもそうだし、正義ですら解釈される。この方面で、人類はいまだ普遍性なるものを知らないようだ。にもかかわらず、決疑論的な思考が研ぎ澄まされると、もはや自意識に駁論を見出すこともできなくなる。エリート主義が最高潮に高められると正義が暴走を始め、ついには神に選ばれし者を自負する。神の代弁者や、神の生まれ変わりといった発想は、古代から受け継がれ、未だ健在!空想に救いを求めるしか術を知らなければ、ある種の自慰行為であろうに。
人は皆、神にでもなったような気分になれる領域を、どこかに求めているのだろう。スターを夢見たり、自分の考えを多数派に浸透させたり、布教活動をしたりするのも、なんらかの才能を自負し、周囲の人々が跪くことを願っているのだろう。自己主張と権利は、どこまで許されるだろうか?その境界を、良心や理性なんぞで規定できるだろうか?法で規定できたとしても、法では裁けない罪がある。良心や理性などというものは、いくら理論武装したところで、すぐに限界に達し、論理を崩壊させる。だからといって神に縋っても、今度は無力感に襲われる。空想の中で喋り続ければ、不愉快となり、愚痴となり、自我を衰弱させ、心の情景に憂鬱な色彩を深め、ついには自己嫌悪へと貶める。酒場で紛らわせば、何でもくらだない!という口癖が板につき、正義漢は泥酔漢へと導かれる。これを「くだらない病」と言うとか、言わないとか。精神を獲得した知的生命体は、自由意志、すなわち愚痴との対決を宿命づけられているようだ...

1. 非凡人を自負する男
主人公ラスコーリニコフは、貧乏学生で豚箱のような下宿の一室に篭り、徹底した個人主義と論理主義に憑かれたような人物。非凡人には凡人のために設けられた法律や道徳を踏み越える権利があるとし、独自の正義感を膨らませている。
ちなみに、ラスコーリニコフという名は、ロシア正教の分裂派「ラスコーリニキ」に由来するようである。というのも、宗教分裂派の話題にも触れられ、共産団や専制主義への批判が込められている。あるいは、精神分裂症と重ねているのかもしれない。主人公の独立心をプロテスタント精神と重ねているようにも映る。
「いったい人間は何を最も恐れてるだろう?新しい一歩、新しい自分自身のことば、これを何よりも恐れているんだ... だが、おれはあんまりしゃべりすぎる。つまりしゃべりすぎるから、なにもしないのだ。もっとも、なんにもしないからしゃべるのかもしれない。」
ラスコーリニコフは、社会の害虫どもの成敗と言わんばかりに、悪戯な商売をする高利貸しの老婆アリョーナを斧で惨殺する。だが、偶然出くわした義妹リザヴェータまでも殺害してしまう。リザヴェータは、義姉にいじめられ、なんでも言いなりで、気が弱く、お人好しな人物。大義のためには小さな犠牲はつきものと言わんばかりに。しかし、やがて良心の声がささやき始める。正義感が強いだけに、その張り詰めた気分が、病的なほどの臆病へと誘なうのか。完全主義者であるが故に、世間に絶望し、自我に篭り、社会嫌いや人間嫌いを誘発し、心気症や憂鬱症にかかりやすいのか。人間には、肉体のメカニズムだけでは説明できない領域がある。心ってやつだ。極めて危うく、脆く、しかも不可解ときた。ならば、心の愚かさを素直に認め、肩の力を抜こう。

2. 純真な心を持つ娼婦
貧乏な家族を養うために娼婦となったソーニャは、またもな教育を受けず、少女のあどけなさが残る。長い間、苦境にありながら、身投げすることもなく、発狂もせずに生きてきた。男性諸君が、娼婦に憧れるのは、なにも肉体を求めてのことだけではあるまい。経済的にも、精神的にも、苦労が多いだけに、激しい性格でありながら、辛抱強く、心の奥行きを感じる。自分にはない人生観の持ち主に、何かを悟ったようにも映る。そこに、酒神バッカスが魔法をかければ、淫蕩の美学へ導かれるという寸法よ。
純真な心が自我を投影するかのように迫ってくれば、ついにラスコーリニコフは彼女に犯罪を告白する。まるで、真理の感染者のような恐ろしい存在。しかも、殺害したリザヴェータはソーニャの仲良しだったことを知る。下手な知識よりも、純粋な心の方がはるかに説得力があるというのか?所詮、知性なんてものは、情欲に奉仕するものなのかもしれん。
「科学、文化、思索、発明、願望、理想、自由主義、理性、経験、その他いっさい何もかも、何もかも... 何もかもが、まだ中学予科の一年級なんです!他人の知識でお茶を濁すのが楽でいいもんだから... すっかりそれが慣れっこになってしまった!」
自分自身が馬鹿で間抜けで陋劣漢と知れば、不幸になる。だが、その不幸を避けては真理から遠ざかる。幸福とは、陽気な馬鹿に与えられるものなのか?まやかし人生を、まやかしながら、なんとなく生きる。それが幸せというものかもしれん。

3. 精神の裁判官
老練な予審判事ポルフィーリィも、ソーニャと違って別の意味で恐ろしい存在。なんの証拠もないのに、執拗な追求に、冷酷な理論から人間性が引き裂かれていき、傲慢な自信までも失わせる。証拠がなければ、尋問者の方がまごつくこともあろう。その意味では、どちらも隠し事を持っている。ただ違うのは、嘘が刑につながるかどうかということ。疑うことが仕事であるから、疑う側はそれ自体が自然な振る舞い。やはり、心理的優位は、若干尋問者の側にありそうか。その若干の優位性を最大限に利用することが、司法技術というもの。
「予審判事の仕事は、いわば一種の自由芸術!」
科学的証拠に優るものはないはずだが、司法では未だに自白や自供が決定的な力を持つ。科学捜査が盛んとなっても、相変わらず司法取引が有効であり続ける。被害者妄想から冤罪を仕立て上げられるケースもあろう。面倒な捜査を早く終わらせたい、あるいは税金の節約という意識が優先される。エリート主義ほど自分の誤りを認めたがらないとすれば、尋問者も被尋問者も同じ穴のムジナよ。尋問する側は、緊張と緩和を巧みに織り交ぜ、緩急自在に攻め立てる。
ちなみに、取調べ室で、貴様は人殺しだ!と繰り返して疲れさせ、思い切り腹が減っているところに、カツ丼が出るとった刑事ドラマの定番がある。刑事のポケットマネーで人情味を見せることで、ほんの少し良心をくすぐり、本音を吐かせるといった具合に。心理的には、拷問よりも合理的か。その按配は、被尋問者の性格に合わせる。なるほど、自由芸術か。人間社会における客観性なんてものは、若干の補助機能として働いているだけなのかもしれん。

4. 空虚な悪党の思惑
ラスコーリニコフの妹ドゥーニャは、スヴィドリガイロフの家に住み込みで家庭教師に雇われる。スヴィドリガイロフは、ドゥーニャに惹かれていく。彼は、ラスコーリニコフがソーニャに告白した犯罪を壁越しに聞いていた。そして、孤児やソーニャを援助して慈善家を演じる。
スヴィドリガイロフは、兄ラスコーリニコフを強迫して、妹との結婚を取り持つように要求する。埒があかないとなると、今度は妹に真実を語って結婚を迫る。ラスコーリニコフは、淫蕩無惨な背徳漢スヴィドリガイロフのうちに自分の内にある卑劣漢を見る。スヴィドリガイロフは、ドゥーニャが愛してくれないことに絶望すると、ソーニャに財産を授けて街を出る。そして、旅先で拳銃自殺。

5. 懲役刑の意義
刑罰の難しさは、刑期を終えた途端に、罪がチャラになるという気分にさせることにある。宗教の限界は、懺悔すればチャラにしてくれること。更生したと自覚すること自体が、更生できていると言えるのか?だが、そうでも思わないと、自我を救うことはできない。まだしも他人から責められ、社会から責められる方が、楽なのかもしれない。真の更生者は、精神病に蝕まれていき、永遠に救われないのかもしれない。独習哲学者ともなれば、本を読むのではなく、本に読まれる。まだしも、酒に飲まれる方が楽であろうに。良心があれば、自分の過失を認め、勝手に苦しむ。これも一つの罰であろうか。
もし、人を殺していいなんて権利を持つ者がいるとすれば、そいつだって殺されても文句は言えまい。法を超越した権利の持ち主ならば、法の枠組みを超えた罰を与えられるのも道理というものか。それは、法が認めた死刑執行人とはまったく違う次元にある。能動的に罪の意識を持つことは、人間の最も苦手とする情念なのかもしれない。
ラスコーリニコフの場合は、過失ではない。確実な意志の下で斧を振り下ろした。ついに自首する気なるが、なかなか罪を素直に認められず、償う気にもなれない。シベリアの監獄へ移送されても。
悪事とは何を意味するのか?ただ刑法上の違反を認めたというだけのこと。強制労働で疲れた日はぐっすりと眠れる。皮肉なことに、獄中では精神がすっかり自由になる。しかし、冷静に考えれば考えるほど、自責の念に駆られていく。ソーニャもシベリアへ移住し、面会を欠かさない献身さを見せる。あの狡猾なスヴィドリガイロフですら、自ら死に至らしめた。自分の方が、殺されたしらみよりも、もっと嫌な汚らわしい人間かもしれないと...

2013-11-10

"人間知性論(全4冊)" John Locke 著

「壮年にして世を去った亡友加藤卯一郎君が健全であれば、必ず全訳を企てたであろうと、亡き友人を偲びながら筆を取った。」
前記事の「人間悟性論」は加藤卯一郎氏の部分訳版で、この「人間知性論」は大槻春彦氏の全訳版である。加藤氏によると、ジョン・ロックは「悟性論」の執筆に20年を要し、時々思い出しては書いたために、重複箇所が多いことを認めているという。多忙で怠惰のために整理しきれなかった、と後世語ったとか。そうした印象は部分訳版ではあまり感じなかったが、なるほど、全訳版はかなりこってりしている。言い換えれば、部分訳版がいかに要約されていたか、ということか。おそらく逆順に出会っていれば、部分訳版を手に取ることはなかっただろう。重複した書を読むことは無駄と考えがちで、よほど翻訳が気に入らない限りはやらない。しかし、だ。思考プロセスを味わうには全訳版も捨てがたく、こうした試みも楽しいことに気づかされる。
そして、無駄とは何かということを考えさせられる。... 無駄を知らずして、有意義を知ることはできまい。ネガティブ思考を避け、ポジティブ思考ばかりを追いかければ、陽気な無知と成り下がるだろう。情報の9割は、社会風潮に惑わされたもので、無駄なのではないか。回り道、寄り道、道草の類いの方が、遥かに有意義なのではないか。実は、無意味、無意義、無駄、無益、無用などと蔑まれる方にこそ、真理が潜んでいるということはないだろうか。春風にでも揺られるように思考の散歩を楽しむ、まさに春風駘蕩のごとく。真理への道とはそういうものではなかろうか。... などと。そして、無知性バンザイ!無理性バンザイ!ついでに酔っ払いバンザイ!...と自我に同情するのであった。

「無意味な饒舌を弄し、自分で不快になるより、知らないのを知らないと告白する方が、はるかによい。」... キケロ著「神々の本性について」より

ところで、表題を「悟性論」から「知性論」に変えたのはなぜだろうか?理性や知性という言葉はよく見かけても、悟性という言葉はあまり見かけない。一般的に論理的思考や思考力などの語で代用され、哲学の領域に押し込められた感がある。
では、悟性という言葉を、ちょいと解放してみよう...
広義には、知性に含まれるのかもしれない。理性が悟性から生じるのかは知らんが、相性がいいのは確かだろう。理性がいかに直観的であっても、論理的な裏付けがあってより強固なものとなるのだから。さらに、実体験で後押しできれば、揺るぎない思想観念が構築できる。しかしながら、どんなに優れた知識を駆使しても、やはり判断を誤る。人間能力が不完全である以上、知識が完璧だと信じるのは宗教観念に陥った感がある。いくら真知と呼んだところで、厳密な意味で真知にはなりえず、結局は直観や経験に頼らざるを得ない。判断力は常に期限とやらに追い回され、そこに蓋然性がつきまとう。人間の能力が臆見や誤謬から逃れられないとなれば、精神修行などでは何一つ悟れないということか。悟性が悟る性質と書くのは、偶然ではなさそうである。そして、狭義には... 悟性とは何一つ悟れないことを悟る... とでもしておこうか。

まさにロックは、観念の生得性を否定し、経験論を唱える。経験論といっても、キリスト教的伝承を崇め過ぎるきらいを感じないわけではない。彼が敬虔なキリスト教徒であるのは確かなようで、その意味でブレーズ・パスカルの論調に似ている。普遍的な神学論を構築しようとキリスト教の合理化を試みれば、宇宙論的な神を受け入れざるを得ないだろう。原子論的な展開を見せるのも自然である。
この書には、カトリック教会批判が込められているかは定かではないが、少なくともスコラ学派批判が見て取れる。特に、三段論法的な思考を、かなり意地悪で丁寧に論じるあたりに。一旦理知の枠組みを決定して、しかもその形式を崇拝すれば、柔軟性を欠くとしている。真知が様々な種類を持つならば、思考方法や論理形式も多様的になるのは自然であると言わんばかりに。尚、三段論法はスコラ学派が信条とする論理形式だそうな。アリストテレスは、あの世で嘆いているに違いない。
しかし、これだけ経験を重視しながら、ユークリッド幾何学の公準や公理を高く評価している。思考プロセスにおいて、演繹による推理や論証が重要なのは当然だとしても、公準や公理はこれ以上証明できない普遍的な原理によって支えられている。あるいは、カントはア・プリオリな概念を時間と空間の二つのみで定義した。こうした思考原理は、純粋な直観に支えられるわけだが、これらも経験的と言えるのだろうか?人間の直観力を、普遍原理において信じるならば、極めて宗教的ですらある。ロックは、信仰と理知は矛盾しないとしている。とはいえ、信仰と理知の境界を知ることも必要だと言っている。
「もし信仰と理知の境が立てられないと、狂信すなわち宗教で常軌を逸したことも反駁できない。」
思考が働くということは、何らかの情報、すなわち記憶を辿っていることになろうから、経験的と言えるのかもしれない。DNA構造が半永久的な記憶素子として機能していれば、そこに時間の概念が埋め込まれ、立体的な螺旋構造が空間の概念を与える。時間にしても、空間にしても、胎児の段階で知っているのかもしれない。そうなると、生得と経験の境界がぼやけてくる。いずれにせよ、無意識の領域に意志なるものがあっても不思議はない。その証拠に、未だ気まぐれを制御する術が分からん。
... などということは前記事でも書いた。同じ事を繰り返すのは精神が泥酔している証であろう。こりゃまずい!酔いをさますために、知性豊満なボディラインを求めて夜の社交場へと消えていくのであった...

1. 実体と認識イメージ
精神の観念の明晰さは物体と同じだという。確かに、認識イメージは、ニュートン力学やユークリッド幾何学に求めているような気がする。ロックの実体が、おいらの実体イメージと似ているかは分からないが、ちょいと試してみよう...
物事を理解する過程において、おいらの中には、実体的な解釈と、表記的な解釈があるように思う。それは、数式や文章の意味を理解しようとする時に、違いが如実に現れる。事象イメージが幾何学的に投射できれば、実体的な感覚として捉えることができる。つまり、分かった気になるってやつだ。そこに哲学的な意義が結びつくと、おいらは、これを「理解した」と解釈する。
一方、論理の積み重ねで証明できたとしても、どうしても精神空間に投射できないものがある。表記的な解釈ができても、心に訴えるものを感じない。数式や文章が風景のごとく通り過ぎていく感じ。こうした認識イメージは、数式や文章だけでなく、身体運動にも生じる。動体視力というものがあるが、卓越したスポーツ選手は、運動している自分を長く感じられる時間軸を持っているのだろう。ボールが止まって見える!などと言うのは、まさにそれか。精神空間内で対象が幾何学的イメージと結びつくと、思考や運動がスムーズに行える。
ロックは、観念を持つ活動は、思考と運動だけだとしている。優れた思考力にしても、あらゆる能力差とは、より長く感じられる精神内時間の差なのかもしれない。実際、頭の回転が速い!などと言ったりする。時間を無限に感じることができれば、究極の思考力を発揮することができそうだ。無心や無我の境地といった精神状態においても、時間の無限性のようなものを感じて、崇高な気分になれる。精神内には、幾何学的な空間イメージと、論理的過程の時間イメージがあり、双方が結びついた時に記憶として残りやすい。
しかし厄介なのは、理解した気分と理解した内容が、別々に記憶されることである。まるで気分と中身の幽体離脱。どうりで、理解したはずだと思い込んで記憶を遡ると、いつも全然理解していなかったことに気付かされるわけよ。そして、常に思考過程をメモっておかないと不安に襲われるが、それも無駄な努力に終わる。理解した気になった時の思考過程は、現在の思考アルゴリズムと全然違うのだから。おいらの精神空間は、曲率の歪が刻々と変化する上に、気まぐれときた。空間や時間が定義できない領域で、統一観念や普遍観念を見出すことは不可能だ。俗世間の泥酔者には、解釈することができても、理解することは永遠に叶わぬであろう。
... などと、ボキャ貧小僧にはこんな事ぐらいしか語れん。自己放射は、既にブラックホールに落ちた感がある。

2. 意識と無意識
知識を知らない時代の自分を思い出すことは難しい。いまや純真な心を取り戻すこともできない。物心がつくとは、どういう現象なのか?ロックなら、知覚や感覚が観念と結びついた時とでも答えるのだろう。彼は、すべての観念の生得性を否定する。意識できるとうことは、そこに観念なるものが生じるのだろう。それには同意する。だが、生まれたばかりの赤ん坊だって尻を叩くと泣きだすではないか。先立つ教えは、無意識の中にもある。
また、目覚めている自分と眠っている自分とでは、同一人物と言えるだろうか?夢であれば、思いっきりエゴイズムを発揮してもよさそうなものだが、想定外に展開されるのは、そこに別の人格が存在するということになりはしないか?夢現象が眠った肉体と目覚めた魂の分裂とすれば、人格の幽体離脱か?あるいは、現実を生きるだけでは物足りぬというのか?ならば、精神分裂症は、人間の魂を忠実に体現した状態で、こちらの方が正常なのかもしれない。
意識できない領域がこれほど広大なのに、なぜ自由意志なんてものが信じられるのだろうか?そうでも思わないと、やってられないってか!いずれ死を迎えると知っていても、生に意義を求めないと生きられないってか!精神が欲望の奴隷となるならば、真の自由意志は無意識の中に見出すしかあるまい。潜在意識や無意識を意識でき、自由に制御できれば、最も純粋な理念や理知を構築することができるのかもしれない。
しかしながら、道徳の大原理は、実践よりも口先で勧められることの方が多いと指摘される。徳が一般的に推奨されるのは生得だからではなく、得になるからだと。そして、意志と欲望を混同してはならないと。意識があれば思惟せずにはいられない。実存原理の源泉がここにある。だが、心と思考が、あるいは、心と観念が一体だと、どうして言えようか?有は無に屈服するものなのか?時間と空間が究極の物理量である無限と結びつくように。そして、理性や知性を癒すには、無に帰するしかないというのか?そうかもしれん...

3. 力能と自由意志
「必然性と自由が両立できて、同時に自由に束縛されるということができるのでないかぎり、自由であるはずはないのである。」
自由は意志に属さないという。ロックは、「自由意志」という言葉が嫌いなようだ。確かに、意志は隷属への反発から生じるところがある。意志が欲望の虜となることが、しばしば自由とされる。なるほど、意志こそが不自由を規定しているのかもしれない。
もし自由意志なるものが存在するとすれば、必然的に自己抑制の能力を具えることになろう。精神の天才たちは、受動的な観念を能動的に作用させる術を知っていそうである。
「意志が自由をもつかどうかを問うことは、一つの力能がもう一つの力能を、一つの性能がもう一つの性能をもつかどうかを問うことであり、議論したり答を必要としたりするのは一見して不合理が大きすぎる問いである。」
自分の意志が自由であるかどうかを問えることが、一つの能力かもしれない。だが、真の自由人が自由を問うであろうか?自然を満喫できる者が、自由なんぞに目くじらを立てるだろうか?意志は、自由よりも不安や欲望と相性がよさそうである。凡庸な、いや凡庸未満の酔っ払いは自由が欲しいと大声で叫び、純粋な天才は静かに自由を謳歌する。
ところで、誰もが幸福を望むが、幸福は真理であろうか?ロックは、欲望は落ち着きのなさであり、落ち着きを取り戻すことが幸福の第一歩だとしている。幸福を求める心は普遍的であっても、その観念となると極めて多様だ。真理の探求が幸福への道だとしても、貧困や困窮といった切迫した事情があれば、真理を考える余裕もない。善というものは、ゆとりのある者が実践できるのであって、餓死寸前ともなれば、善悪の観念すらぶっとんでしまう。人は幸福過ぎても不幸過ぎても、やはり冷酷になるのだろう。真理と幸福は相性が良さそうに映るが、定かではないし、そもそも幸福の正体を誰も知らないのかもしれない。誰もが幸福を求めるということは、誰もが幸福に到達していないということかもしれない。
ロックのような天才は、願望や欲望を、幸福に結びつける術を知っていそうである。是非教えて頂きたいが、そんなものは教わるものではなく、自分で悟るものだと冷たくあしらわれそうだ。幸福になる術を教えてくれ!と願うだけで、既に欲望の虜になっているのかもしれん。知識は教わることができても、知性は教わるものではないというわけか...
「善人は、もし正しければ永遠に幸福だし、まちがっていても不幸でなく、なにも感じない。他方、邪悪な人は正しくとも幸福ではなく、まちがっていれば無限に不幸だ。」

4. 分節音と不変化詞の意義
人間は、分節音を造れるようになっているという。意志を伝えるための言葉は、人間社会の必需品。記号の観念は、意味音と無意味音の混在によって形成され、無意味音が言葉にリズムを与え聞き取りやすくさせる。会話において、あうんの呼吸や相槌といったものが、いかに重要であるか。空白のような無意味な区切り、接続詞のような区切り、あるいは、雑談や無駄話の類いも。単語や行間に隠される言葉を察知したり、言葉の裏を読む心の働きが、精神を進化させてきたのだろう。言葉は、名前を与えるだけでは不十分。コミュニケーションの本質は、むしろ無音や無駄音の側にあるのかもしれない。神が沈黙を守っておられるのも道理というものか。
ロックは、不変化詞の意義のようなものを語ってくれる。言語系は、本質的に意味を成す人称、数、性などに、語形が変化する動詞、名詞、代名詞、形容詞を組み合わせて、直接物事に対応させる。その一方で、これらを統合する役割に、接続詞、前置詞、副詞、助詞といった不変化詞がある。心の中でイメージを抽象化したり、文章の流れから推論を与えてくれるのも、不変化詞が寄与する。情報工学的に言えば、誤り訂正符号のような役割もあろうか。
日本語が主語をあまり必要としない文体であるのは、助詞や副詞の役割が大きい。西洋語では否定詞が前に配置されるだけに、長文になっても前提が把握しやすい。その点、日本語は前後の文脈から、否定を匂わせながら、最後に否定形が現れる。例えば、「せっかくのお招きではございますが、当日は...」と言えば、最初から断る雰囲気を作る。
不変化詞は、自立語を結びつける付属語として機能し、曖昧な表現が心の活動を促す。芸術作品が抽象的なのも、暗喩や比喩といった技法に訴えるものがあるのも、心の活動を促すからであろう。さらに、音律を整えれば詩や唄が生じる。だが、言語の不完全性が自由な精神活動を誘発する分、言葉の濫用が真理を惑わす。洗脳や勧誘では、分かりやすい言葉を連呼すれば効果的だ。古くから政治的なロビー活動が、メッセージの代用として象徴的な肖像や銅像を用いてきた。弁論術や修辞術といったものが真実を欺瞞し、いかに扇動の道具とされてきたことか...

5. 観念の永続性と忘却
ロックは、絶えず反復される観念が、永続的になるとしている。精神が本質に引き寄せられる性質を持っているならば、永続の観念こそ真理へ向かわせるだろう。
しかし、人間の得意技に忘却ってやつがある。神にも優る能力だ。忘れることで心が平穏を取り戻すのであれば、ある種の防衛本能として機能している。不安が先行して目先にとらわれれば、社会風潮に流される方が気も楽になれる。みんなで不幸になる分には、それほど不快を感じず、むしろ絆といった言葉で癒される。だが、自分だけが不幸に見舞われると激怒する。精神が受動的になると、せっかくの真理は忘却の渦へ消えていき、落ち着きのなさが愚かな行為を繰り返させる。怠惰や享楽はすぐに飽き、退屈病を呼び込むことになるので、持続の観点からけして心地良いとは言えまい。すると、持続の観点から心地良いものが、真理ということになるのか?知性こそが持続ならしめるものというわけか...
「あの不世出の英才パスカル氏について、健康の衰えが記憶をそこなうまで、理知の確かな年齢のどの部分で行ったことでも、読んだことでも、考えたことでも、なに一つ忘れなかったと伝えられている。」

2013-11-03

"人間悟性論(上/下)" John Locke 著

行付けの古本屋で、久しぶりに興奮するような出会いにありつく。1940年刊行... 日焼けしたページがブランデー色を彩り、年代物の風味を醸し出す。旧漢字が鏤められ、かなり読み辛いが、お構いなし。おかげで、新旧漢字対応表を作成するに至る。なぜ、こんな面倒な作業をやってまで?その気になれば、復刻版を入手することだってできるのに...
実用的でない、無駄に思える事をやることに、若干の喜びを感じるようになったのは確かである。怠惰に生きてきたことへの償いであろうか?有から無へ気移りしたのであろうか?酔っぱらいごときが生きていること自体、無駄なのかもしれん。無用や無駄といった定義は、生き方にも関わる。生き方が変わってきたということか?いや、神経が泥酔してきただけよ。もちろん酒にではなく...  君に酔ってんだよ!

ジョン・ロックは、イギリス史上で多難な時代を生きた。それは、清教徒革命や名誉革命で代表される内乱に見舞われた時代である。ちょうどスピノザと同年で、デカルトを引き継ぐ世代、スコラ学的なアリストテレス主義の亜流が色濃く残る時代でもあろうか。ロックが悟性論を書したのは、空虚な論争が学問の進歩を阻害すると考えたのかもしれない。
ロックの実存観念は、デカルトの我思う... と似ている。しかし、人間の能力をはるかに謙遜する立場にあり、あえて神の実存認識を批判しているようでもある。神を認識できる能力があるとすれば、人間の理性はあらゆる事態を扱うことができると考え兼ねない。ロックは、理性の存在を認めるものの、それを批判することによって、哲学の任務としているようである。その意味で、カントの批判哲学に受け継がれているように映る。哲学が宗教と決定的に違うところは、無条件に信じることを許さず、徹底的に悟性を働かせることにある。そして、答えが見つからず、自己矛盾に陥り、ついには救われないってか...
それでも、ロックは誘なう。人から寄せ集められた意見に頼って、のらりくらりと生きることに満足せず、自分にとっての真理ってやつを発見してみてはいかがかと。真理の探求とは、よほど心地よいものらしい。尚、本書は加藤卯一郎氏による部分訳版である。こりゃ、全訳版へ向かう衝動は抑えられそうにない...

さて、人はどうやって自己の存在を感じているだろうか?自己にとって生きている証とはなんであろうか?デカルト風に言えば... 人間は思惟する存在であり、思考を深めることによって神を感じ、崇高な気分を体現する... といったところであろうか。思考を働かせるには、何らかの思考材料を欲する。そこで、人体は知覚という末端の感知機能を具えている。この受動的な知覚能力を元に、自発的で能動的な思考を働かせて、実存ってやつを感じているのだろう。
いま、精神における受動的な働きと能動的な働きを、本書で扱われる「単純観念」「複雑観念」に対応させてみる。
単純観念とは、純粋に物事を受け止めるような精神現象、又は実体を認識するための属性のようなもので、知識の素材とでもしておこうか。それは、色や形や匂いなどの知覚、快楽や苦痛などの感情、運動や静止などの状態である。さらに、かなり微妙ではあるが、1と2は3に等しいといった自明な論理まで含めておこうか。自明とは、何を根拠にしているだろうか?おそらく直観である。ユークリッドは、これ以上証明できない真理があることを、公準や公理という権威と、そこから演繹される定理という形式で示した。無条件に定義されるのだから宗教的ですらあるのだが、普遍性の偉大さが確実に宗教と一線を画す。単純観念が直観の偉大さを示しているとすれば、カントのア・プリオリ的な源泉を感じる。
一方、複雑観念とは、単純観念が相互に関係して結合したような状態、あるいは、その結合した状態に別の結合した状態が関係して結合したような状態... などと言えば、キェルケゴールのあの言葉を思い出す... 「人間とは精神である。精神とは自己である。自己とは自己自身が関係するところの関係である。すなわち関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている。」... 狂ったか!
それはさておき、知覚や感情を知識として構築したり、知識の素材を組み合わせて統合観念を形成することに寄与するものが、悟性ということになろう。しかしながら、いくら論証を組み立てたところで、やはり人間は判断を誤る。完全な論証が構築できるほどの情報を揃えることもできなければ、仮に十分に情報を揃えられたとしても解釈した途端に誤謬が生じる。結局、判断力もまた直観に頼るしかない。したがって、悟性論は不完全性定理への道を暗示している... と解するのは行き過ぎであろうか?

1. 観念と生得論批判
「観念」という用語は、掴みどころがなく手強い!本書は、精神の現象や状態や表記、あるいは、知覚を知る過程や意思など、多義的に使っているようである。意識の対象を、心の自己充足という側面から扱うだけでは不十分であろう。そして、思考も一つの観念として、複雑観念に達する過程における精神現象としておこうか。
しかしながら、一切の観念は生得的でないとしている点が、ちと引っ掛かる。知識はすべて経験的だというのだ。すべての観念は感覚または反省からくるとしている。
確かに、知覚や感情を知識とするためには、記憶という機能が必要である。ただ、知識を受動的に捉えすぎている感がある。過去の記憶と現在の知覚を比較しながら知識を形成していくとすれば、もっともらしい。理性そのものが既知の原理であり、命題から未知の真理を演繹する能力にほかならない。論理的な裏付けがあって、理性はより確信へと向かうであろう。
しかし、すべての思考が意識できるわけではないだろう。本能的に善悪を感じている部分もあるのではないか。直観もまた本能的に働く。無意識的に、あるいは、自然本能的に働く思考をどう説明すればいいだろうか?カントは、ア・プリオリな観念に時間と空間の二つのみを置いた。この時点では、まだ理性は生起しない。判断するということは思考を働かせることであり、材料となる情報を辿っていることになる。その材料を、どこかの細胞に記憶される痕跡に頼るとすれば、すべて経験的と言えるのかもしれない。それは、胎児においても機能するだろうし、なによりもDNAという寿命を超えた記憶素子がある。生命の進化が反省からきていると言えば、そうかもしれん。
そうなると、生得の定義も微妙である。どこからを生命と言うのか?精子や卵子はどうか?胎児はどうか?一般的には、母胎から切り離された時とされるだろう。生まれたばかりの赤ん坊が尻を叩くと泣きだすのも、どこかに知識としてあるのだろう。いずれにせよ、証明する術はないだろうし、せいぜい生得的とは言えない?ぐらいなものであろうか。
確かに、先立つ教えは無意識の中にもある。いくら自由意志があると信じたところで、人間の本性の殆どは無意識の領域にある。それは、思いつきや気まぐれといった現象でも説明できそうである。精神を獲得した知的生命体が寿命から逃れられない以上、制御できない自我に弄ばれる運命にある...とでもしておこうか。

2. 数と無限、そして、持続の観念
「数は最も単純な又普遍的な観念である」
悟性において、数学的思考こそが最も純粋ということであろうか。思考の根拠が明確であるということが、どんなに幸せにしてくれることか。数の観念が記憶の助けとなったり、あるいは、自閉症患者が何かを数えることによって心に落ち着きをもたらすといった現象は、このあたりからきているのかもしれない。人間は、計算の観念によって思考を多様化させ、目論見や思惑を巡らせ、計算尽くしで生きている。
さらに、数の体系は、結合と交換の原理によって方程式やベクトル空間までも呑み込み、属性群として見做せる。思考の様態の変化を、思考の材料群による状態偏移として眺めれば、数学の抽象モデルである有限オートマトンを彷彿させる。だが、精神の状態遷移は数学モデルをはるかに超越し、いわば、なんでもありだ。その究極目的に無限が位置づけられる。
しかも、無限の観念は、有限との比較によって、なんとなく捉えているに過ぎない。せいぜい、アレフのような記法を用いて無限と有限を区別しているぐらいなもの。人間は得体の知れないものを「無限」で表記する癖がある。魂の存在が明確に説明できなければ、精神にも無限を結びつけずにはいられない。だが、人体は明らかに有限である。精神が人体の中にあるとすれば、精神もまた有限でなければならないはずだが。なぁーに、心配はいらない。空間が有限ならば、時間を無限にすればいい。たとえ寿命の壁があったとしても、ここに魂の不死が結びつくという寸法よ。知覚能力を獲得し、認識能力を発揮できる知的生命体は、永遠に真理を求め、永遠の記憶としての歴史が受け継がれる宿命、いや義務を背負っているということか?観念の持続、すなわち永遠の思考こそが実存であり、数直線上の無限にほかならない。

3. 神の観念
神への思いは、どこから生じるのだろうか?有限体と無限体が精神の内で融合した結果であろうか?だから、肉体と魂は分離できるか?などと論争を繰り返すのだろうか?宇宙法則のようなものを、神と呼んでいる人もいる。神の存在を天文に求めるのは、自然法則には逆らえないという意識からくるのだろうか?
なぜ、人間は神なんてものを思い描くのだろうか?無限に賢い存在、けして心を乱すことのない存在、絶対に間違えない存在、永遠の魂を持つ存在、すべてを知る存在... などと並び立てれば、なーんだ、単なる人間の憧れではないか!そして、制御できない自我への処方箋として、神のせいにすれば楽にもなれる。
ロックは、神の観念もまた生得的ではないという。神は普遍的原理ではないということか?やはり人工物なのか?神を全能者と定義し、人間の行為を最善のものに導くための善意と叡智を持っていて、しかも、来世において処罰が強制できるとすれば、道徳基準の最高の試金石となる。しかしながら、神は沈黙を守っておられる。おまけに、神の声が聞こえると言い張る仲介者が神の意志をなそうとする。神の命ずることを証明できるとすれば、人間は神を理解できる能力を持つことになる。全能者に対して、なんとおこがましいことか。結局、人間が人間を操る運命にあるわけか。
そこで、実践的に生じるのが、法の観念である。しかも、政教分離という観念を結びつけて機能する。それは、けして神への不信を唱えているのではない。人工物である宗教の虜になってはならないということだ。もし、神というものが存在するとしたら、その規定は一つしかないのかもしれない。だが、人間が創造した途端に多様な規定を必要とする。あえて一つで規定するならば、寛容性ということになろうか。人間は、認識できるものすべてを、実存という名において、一つの規定で説明できないと心が落ち着かない。ただ、それだけのことかもしれん。
「最大の実証的な善が意志を決定するのではなく、不安がこれを決定するのである」

4. 関係の観念
これが、最も重要な観念かもしれない。おそらく、思考の多様化は、複雑な知識の関係付けによって生じるのだろう。ロックは、単純観念や複雑観念が様々な形で関係することによって、観念の飛躍のようなものを語ってくれる。まさに量子進化論!悟性の原理とは、こういうことのようだ。
「相互に矛盾しない観念から作られた混合様態は実在的である」
論理的思考は、分類化、抽象化、階層化、構造化といった原理に支えられる。そして、人間認識は、あらゆるものを相対的な関係によって結びつけようとする。無意味などと判断すれば思考は停止し、無関係と判定すればそこに観念は生じない。おそらく、天才は関係付けの感性が卓越していて、凡人には気づかないところに関係性を見出すことができるのだろう。独創力、創造力、思考力の源泉は、ここにあるのかもしれない。
一方で、凡人は真に無関係なところに無理やり関係を生じさせ、精神の安住を図ろうとするために却って錯乱する。関係の基本には空間と時間があり、同郷や同年代というだけで意気投合する。また、努力を無とすることを極端に恐れ、何事も原因と結果を結びつけずにはいられない。そして、関係が失われれば、急激に不安に陥る。すべての観念の原理は、神の観念と同様、不安解消にあるのかもしれん。

5. 言葉の意義
悟性の産物に言葉という様態がある。言葉の体系には、言語的表記から絵画や音楽といった芸術的表記まで含めておこう。言葉とは、実に奇妙な威力を持っている。ぼんやりとしか認識できないものでも、名前を付けた途端に明確に認識できたと思い込めるのだから。神という用語を編み出したおかげで、実存の概念すら変えてしまう。仮想化社会へ邁進できるのも、言葉のおかげであろう。仮想化社会には、実に曖昧な用語で溢れている。知識がクラウド化すれば、雲のように消えていく。なるほど、無形を有形とする手段が、言葉というわけか。そして、言葉によって仮想と現実が融合すると、逆に精神は分裂し、エネルギー保存則は保たれるという寸法よ。ならば、最初から現実を幻想としてしまえば、惑わせることもあるまい。人間関係や人間社会、あるいは自己存在そのものが、言葉によって形成された幻想なのかもしれん。
「観念から成り立つ知識はすべて幻想であり得るのみである」

6. 理性の観念
「我々の能力を知ることは懐疑論と怠惰を矯正する」
自分の能力を知ろうとすれば、自己を検分することになり、その過程で何が不足し何が必要かを見積もることができる。自ずと間違いや偏見に気づくことになろうし、無闇に否定的な態度をとることもなくなるかもしれない。悟性によって導くことのできない領域があることを知れば、自己に言い訳をすることもなくなるかもしれない。となれば、自分の理性に自信を持った時点で、理性は崩壊していると見なさなければなるまい。
ところで、理性はどこから生じるのだろうか?無理性な人間が語っても詮無きことだが、それを検証しようとすると極めて直観的にならざるをえない。理性とは何か?と自問したところで、無闇な欲望の抑制ぐらいしか答えられないし、物事の道理を考えて行動しているわけでもなければ、自己の中に啓示のようなものがあるわけでもない。欲望が直観的なら、その抑制も直観的であることは、道理であろうか。酔っぱらいの悟性は、既に熱情の病に蝕まれ、常に危うい状況にあると認めざるを得ない。
ロックは、真理を愛する人は希で、そう確信する者も非常に少ないという。学問が、名声を得たいとか、安定した職業に就くためとか、高い給料を得るためとか、そうした道具にされているのも確か。誰もが流行りの学問に飛びつく。人間ってやつは、無駄な努力を極度に嫌う性質がある。とはいえ、そうした動機も経験する必要があろう。合理性の観念を経済的視点だけで判断するのは不合理だということを、より確かなものにするためにも。
「真理を愛さない人は、それを得るために大した骨折をしないし、又それを見失っても大して憂慮せぬものである。学界に於ては自ら真理を愛する者であると公言しない人は誰もない、そしてそうでないと思われて気を悪くしないような理性的創造物は一人もない。」

7. 悟性と客観性
本書は、悟性の領域に持ち込むための科学の役割について述べ、締めくくられる。それは、次の三つの段階において、科学を用いることであると。
  • 第一に、物事のあるがままの性質、それらの関係、及びそれらの働きについての観察。
  • 第二に、理性的な自由意志的行動者としての目的、特に幸福のための指針をもつこと。
  • 第三に、その双方に到達するための方法と手段を思考すること。
これらが、知識の対象の最初の分類だという。そして、それぞれを以下の学問に対応づけている。
  • Physica : 物事の構成、性質、及び作用に関する知識。すなわち、自然哲学や形而上学。
  • Practica : Physicaを役立てるため、実践するための熟練。すなわち、倫理学や道徳論。
  • セメイオウティケー: 符号の学問。すなわち、言語学や論理学。
悟性すなわち知性は、人間の心の営みである。自己を探求し、思考の働くままに自分の姿を投射し、そこに経験を見出す。経験の下で思考過程を蓄積していく。真理の道に終着駅はなさそうだ。あるとすれば、人類滅亡ってやつであろうか...

2013-10-27

"言語表現の秩序" Michel Foucault 著

分かりやすい書は目の前を通り過ぎて行きやすい。そこに疑問を感じなければ、思考する機会も訪れない。その点、難解な書は思考の材料にうってつけか。だからといって、理解できると期待してはいけない。目は文章を追うものの、頭は別のことを思い浮かべ、幽体離脱したような気分にさせやがる。絵画を鑑賞するようにページを眺め、数十ページ単位で後戻りすることもしばしば。少し目を離し、遠近法のような立体的な観点を要請してくる。そういえば最近、近くが見えにくい... 老眼って言うな!

思考から言葉が生じるのか?言葉から思考が生じるのか?いずれにせよ、言語が人間認識の手助けをしてくれるのは確かだ。頭では分かっているつもりでも、具体的に説明しようとすると、意外と分かっていないことに気づかされる。言葉の用いようは、記述と喋るのとでは、似ているようでまるっきり違う。記述する時は、文法や脈略に注意し、論理性に配慮する。自我のうちに第三者の存在を配置するかのように。
一方、喋る時は、そんなものを一切考えず、口の動きに任せて音を発する。話の展開や会話のリズムに身を委ねるかのように。雛形文法のような秩序が経験的に培われ、その隙間に言葉を埋め込んでいるだけなのかもしれない。口癖というやつであろうか。
記述にせよ、喋るにせよ、思考した事を表そうとすれば、記号に頼ることになる。文字記号や音声記号などに。数学も数学記号で表す言語とすることができよう。もっと言うなら、あらゆる学問は専門用語で形成された言語の体系のようなものか。「客観性」という用語一つとっても、数学と他の学問では抽象レベルがまったく違うし、「信用」という用語は経済学では異質となる。哲学では、面白い光景を見かける。一つの用語を様々な意味合いで用いたり、逆に多くの用語に同じ意味を与えたりと。哲学書が難解となるのは、宿命であろう。なにしろ精神を語ろうというのだから。
人間は、精神の存在をなんとなく感じることができても、いまだ明確に説明することができない。つまり、人間は自分自身の正体すら、よく分かっていないことになる。そして、精神を言語で表そうとすれば、言語の限界に挑むことになる。自ら編み出した人工物への挑戦となれば、既に自己矛盾を孕んでいる。言語は、あくまでも記号でしかないのに、人間が解釈を試み、思考した途端に意味作用が生じる。仮想的な実体形成とでも言おうか。言語が精神の投影となった時、そこにある種の体系が形成され、有機体のような存在となるのだ。その証拠に、国語辞典のような権威が存在するにもかかわらず、誰一人として同じ言葉を喋っちゃいない。
となると、精神現象もまた、単なる記号のようなものから生じるのだろうか?クラウド社会に浮遊するデータ群は、コンピュータによって解釈が試みられた途端に情報社会を席巻し、やがてビッグデータが一人歩きを始める。人体にも、DNAという半永久的なデータ列が存在するとなれば、精神とは、DNA情報に思考が媒介した現象であろうか?記号という薄っぺらな存在に、思考という認識行為が結びつくと、そこに実存という得体の知れない意識が生じる。実存なんてもの、ひいては精神なんてものは、認識の産物でしかないということか。精神の正体を突き詰めれば、言葉を枯渇させ、思考を枯渇させ、精神を枯渇させるというわけか。言語に無限の可能性を与えれば、精神の限界にぶち当たり、沈黙せざるを得なくなる。精神の枯渇から救済できる唯一の方法が、これであろうか。なるほど、神は沈黙したままでいる。

本書に紹介される古井由吉氏の言葉が、なんとも印象的である。
「書くことがあるうちはまだ駄目なのだと以前から考えている。書くことが思い当るうちは、表現はまだほんとうに真剣ではない。発想が底をついて、しかも表現意欲だけが動いているという状態があるはずだ。その時、私は自分の有りようから、世間の中に有る、血縁の中にある、あるいはただ椅子の上に座って有る、その有りようから、確かな言葉を掴み出すかもしれない。その時がやって来るまでに、私はすくなくとも、日常のとりとめのない意識の断絶の中で、自分が端的に有るその有り方への感覚をいくらかでも磨ぎ澄しておかなくてはならない。」

1. ディスクール(言説)
フランス語の「ディスクール」は、一般的に「言説」と訳されるが、もともとはギリシア語の「ロゴス」に由来するそうな。その意味は、話、講演、授業、説、論... から「思考の言語的表現」にまで及ぶという。ロベール仏語辞典によると、こう記述されているとか。
「言語体系(ラング)が構成する抽象的なシステムに対立する、言語における具体的な、言表の総体(エノンセアンサンブル)」
他にも、言述、叙法、話し方、論述、陳述、説術、述語などの訳語が当てられるようで、多様な用語であることが見て取れる。尚、フーコーは六冊目になるが、「言語の体系」や「知の体系」といった論理的な記述に近いような意味で読んできた。勝手な解釈だけど...
さて、言語の体系とはいかなるものであろうか?言語に精神が結びつくと、そこに自律的な有機体もどきが生じる、とでもしておこうか。人間社会では、人間の意思とは無関係に、言葉だけが一人歩きを始める。人間が思惟すると、実に恐ろしい。なにしろ、記号でしかない存在に、意思までも植えつけてしまうのだから。時には、正義の言葉となって法に基づかない社会的制裁を加え、時には、誹謗中傷の類いが集団的暴力となって公開処刑を施す。ミサの聖祭に至っては、パンやぶどう酒にキリストの肉と血を体現させる。
精神を言葉で語ろうとすれば、無を語ろうと必死になり、幻想までも実体に変えてしまう。もはや、言語の中に精神があるのか?精神の内に言語があるのか?も判別できない。ディスクールってやつが、精神の秩序を投影するような存在だとすれば、言葉に権威を求めるのではなく、自然に発する言葉を解放してやらなければなるまい。そして、精神の秩序とは、ア・プリオリな認識に身を委ねることになろうか。ちなみに、アル中ハイマーは、これを、崇高なる気まぐれ!と呼ぶ。

2. 構造主義批判か?それとも、風潮批判か?
「語彙の不足した人々は、もしそれが、真実よりも耳ざわりのいい言葉を好むならば、それこそ構造主義なのだ。」
フーコーは構造主義の批判者とされるが、構造的に分析しようとする立場そのものを批判しているわけではなさそうである。ただ、彼自身を含め、レヴィ=ストロースやアルチュセールといった人物が、構造主義者として一括りにされることに我慢がならないようである。構造主義への批判というよりは、構造主義という言葉を持ち出す論調への批判と言った方がよさそうか。
人は皆、なんでも一括りに分類する癖がある。人のタイプを相性で種別するのは、存在意識が働いているからであろう。自分をどこかのカテゴリーに属させて安住したいのか?あるいは、言語をもって自己存在を正当化したいのか?は知らん。有識者たちもまた、何々主義という枠組みに押し込めるのがお好きなようだ。そして、ある政治屋は国民の代表者のように語り、ある報道屋は市民の代表者のように語り、ある女史は女性の代表者のように語り、ある若者は世代の代表者のように語る。なによりも、知の象徴とされる学問が、最初にカテゴリー化や分類を試みる。逆説的ではあるが、こうした分析手法を試みない限り、多様性という本質も見えてこないだろう。フーコーもまた、言語の主体分析でソシュール的な記号原理を語っている。
「それが創造的主体の哲学のうちにあろうと、始源的な経験の哲学のうちにあろうと、あるいはまた、普遍的媒介の哲学のうちにあろうと、言説は、第一の場合には記述の、第二の場合には読解の、第三の場合には交換の、働き以上のなにものでもありません。そして、これらの交換、読解、記述は、絶対に記号以外のものを働かすことはない。こうして、言説は、その実存性においては、自らを記号表現(シニフィアン)の秩序に置くことによって、無にひとしくなるわけであります。」

2013-10-20

"言葉と物" Michel Foucault 著

またもや悪い癖が... 難解な書き手を前にすると、ついムキになってしまう。怖いもの見たさというやつか。我武者羅に読んでいるうちに、文章のリズムがあってくることもあるのだが... これでフーコーを連続五冊!実はもう一冊、目の前にあるのであった...

この書は、言葉の実存を問うた物語である。言葉ってやつは、実に奇妙な存在である。単なる音声や記号でしかないのに、精神と結びつくと強力な武器と化す。交わす言葉は微妙な距離をはかり、言葉のキャッチボールはすぐさま言葉のドッジボールへ変貌し、やがて言葉のビーンボールが頭をかすめる。おまけに、単語や行間に隠される言葉を察知したり、無言ですら何かを物語る。テレパシーってやつが心の記号を暗黙に呑み込み、恋の達人ともなればウィンクひとつですべてを語ってやがる。そんな魔力が内包されているものに、どうして実体がないと言い切れるだろうか?
言葉には、情報伝達としての役割もあるが、思考の材料や思考の構成要素としての役割がある。人間が思惟する存在であるとすれば、言葉は精神の内に生じる表象作用の翻訳語となるだろう。そう、言葉は、自己存在を確認するための道具でもあるのだ。
思考の源泉が言葉にあるのか?はたまた言葉の源泉が思考にあるのか?いずれにせよ思考の限界を試すということは、言葉の限界を試すことになろう。そして、言葉に実存を求めるということは、ひいては精神の実存を求めることになる。言語の体系は、音韻論、意味論、記号論、文法論... などの複合体を形成する。フーコーは、これらを総体として眺め、「言説(ディスクール)」という用語をあてる。
とはいえ、物理的にはシリアル化された記号の羅列でしかない。にもかかわらず、文章の達人にかかれば、読み手の心の内に立体映像までも生じさせる。画家がキャンバスの上に動的な物語を描写するように、小説家はページの上に物語の奥行きを体現する。フーコーの書にしても、目の前の文章を追いかけるだけでは何を語っているかが一向に見えてこず、立体的な観察を要請しているかのようである。国語辞典や百科事典といった権威主義に陥っては、けしてできない芸当であろう。一般文法で規制するということは、思考の自由を束縛するに等しい。抑制の強いところに皮肉や寓意といった文化が生じるのは、人間が本質的に自由を求めている証であろう。もはや、言語は自律的な有機体として存在する。しかも、人間の意思とは無関係に。言語の体系が精神の投影であるならば、その系は人の数だけあるということか...

ところで、疑問を持たずして思考を働かせることはできるだろうか?無条件で信じられれば楽になれるが、思考を停止させる恐れがある。なぜ?なぜ?...と鬱陶しく問うガキどもが、最も純粋な哲学者と言われる所以が、ここにある。そして、思考した結果生じる批判的思考が思考そのものを深め、カントの批判哲学が一段と輝きを放つ。
「認識と言語(ランガージュ)とは厳密な意味で交錯する。両者は、表象のうちに同一の起源と同一の機能原理をもち、たがいにささえあい、補いあい、たえず批判しあう。」
デカルト風に、人間を思惟する存在で、神の存在を認識できる能力があると定義すれば、他のいかなる動物よりも優越するいう自負が生じる。実際、神を認識できる存在が、反省する自律的な存在となっているだろうか?知が記述として残され、歴史の時間軸に墓標を刻むことができれば、永劫回帰も夢ではないかもしれない。
しかし、人間の最も得意とする技に、忘却ってやつがある。都合の悪いことは見ないだけでなく、実体験してもなお忘れることができる。ヘロデ王の幼児虐待は市民レベルにまで抽象化され、近年まで実施されてきた。醜い歴史は繰り返され、英雄伝説は猿真似に化けてきた。前向きな思考の根源は、無知の楽観性というやつであろうか。精神ってやつは、誤謬、妄想、無知のうちに連続性の秩序を失い、没落していく存在なのか?ならば、最初から思考を歴史から切り離し、機械的に構造的に理解しようとする試みは、客観的に機能するかもしれない。だが、いくら客観性を崇め、科学に頼ったところで、不完全性定理や不確定性原理からは逃れられない。人間精神は、自己矛盾と非連続性という最も苦手とする思考原理に憑かれたままでいる。

1. 人文科学の幕開け
17世紀から20世紀頃、科学の知、すなわち人間の知が宇宙を完璧に説明できるとし、人間中心主義を加速させてきた。ガリレオやニュートンから受け継がれる科学が次々と成果を挙げていく中、人間にまつわる学問においても、人体と精神を分離した分析が試みられ、人文科学、社会科学、人間科学などの分野が生じる。社会学は疎外のメカニズムを社会構造に求め、経済学は価値の流動メカニズムを合理主義に求める。言語学も例外ではなく、機械論的思考に見舞われ、やがて構造主義へと展開される。
だが、言語学者ソシュールは、シニフィアンとシニフィエ、すなわち記号作用と意味作用は分離不能な存在とした。こうした思考の歴史を眺めると、人間の客観性への憧れは半端ではないようである。客観的に語ると宣言された有識者どもの主張が、客観的だったためしはない。無い物ねだりというやつか?
さて、客体とは何であろうか?第三者か、いや、もっと崇高な神への思いであろうか。その証拠に、他人に指摘されると、むしろ意固地となる。神の言葉なら素直に受け入れられるというのに、耳には届かない。人間ができることと言えば、神の思惑を信じて直感に耳を傾けることぐらい。だが、ア・プリオリな認識が誤謬に包まれると恐ろしい。なにしろ科学は宗教レベルにまで押し上げられるのだから...
「人間精神は、本来、物のなかにある以上の秩序と類似を想定しがちである。自然は例外と相違にみちみちているのに、精神はいたるところに調和、合致、相似を見る。」

2. 思考のスケッチと有限原理
思考のための記述と言えば、箇条書きが基本になろうか。画家がスケッチを繰り返せば、アトリエには視覚的言語で溢れる。同様に、思考のスケッチを繰り返せば、散文で溢れる。
しかしながら、万能な言語は存在しない。論理的に優れた言語もあれば、芸術心をそそる言語もある。各々に長所と短所が含まれるとすれば、言語が多様化するのは自然であろう。自国語の特徴を把握する上でも第二外国語に触れる機会は貴重であり、翻訳の意義はこうしたところにも現れる。まさに、記述のスケッチには文化のスケッチが含まれ、フーコーの書は文化の翻訳の難しさを提起してくれる。
ところで、人間が認識できないものが、言葉となりうるだろうか?その微妙な境界に無限という語がある。人間は、有限については実にうまく説明できるのに、無限となると途端に説明できない。せいぜいアレフのような数学記号を持ちだして、有限と区別するぐらいなもの。つまり、人間ってやつは、存在という認識を通じて、無存在までも認識していることになる。そりゃ、実空間と仮想空間が区別できなくなっても不思議はあるまい。
では、精神がなんとなく認識できるのに、その存在となると説明できないのは、そこに無限性があるからであろうか?もし、精神が有限の存在だとすれば、知にも限界が生じるだろう。だが、人間の欲望はいまだ限界が見えてこない。存在しようがしまいが、有限だろうが無限だろうが、人間認識の産物に過ぎないということか。人間は、新たな認識が生じる度に新語をこしらえ、言葉を手がかりに思考を働かせる。カントのア・プリオリやニーチェの永劫回帰といった用語が生じるのも、精神の限界に挑んだ結果であろう。それが幻想であると、薄々気づいていても...

3. 古典主義時代のエピステーメー
フーコーは「エピステーメー」という知の枠組みを提唱し、古典主義時代の知の原理に「マテシス」「タクシノミア」「発生論」という三つの概念を結びつける。マテシスとは、代数学を普遍的方法とする概念で、タクシノミアとは、複雑な自然を秩序づける時に成立させる概念で、前者を相等性の学、後者を秩序の学としている。だが、互いに対立するものではなく、補完しあうものらしい。マテシスは単純な自然法則のようなもので、タクシノミアは複雑な表象のようなものであろうか。
17世紀、18世紀における知の中心は、「ポール=ロワイヤル論理学」に代表されるようなタブロー(表)にほかならないという。タクシノミアは同一性と相違性を扱うといういうから、記号を用いて事物を分類する原理が含まれている。そして、双方とも記号の体系を設定することになる。
タクシノミアはマテシスの中に宿り、それでいてそれから区別され、発生論はタクシノミアの中に宿るという。タクシノミアが、可視的相違性のタブローを設定するのに対して、発生論は継起的系列を前提にするとか。マテシスがモナドロジー的な普遍認識だとすれば、タクシノミアは複雑な現実認識であり、さらに発生論という時間認識を配置するといったところであろうか。人間認識から時間の概念を分離しようとする企てにも映る。しかし、精神ってやつは、時間の概念を失った途端に無に帰するような気もするけど...
古典主義時代の知が、ガリレオやデカルトに絶対的な地位を与え、合理主義的なものであったのは確かであろう。だが同時に、悟性の観念に対抗するかのごとく、生命や経験に制御しがたい無秩序を予感させてきた。
「タクシノミアは、マテシスとの関係においては命題学にたいする存在論として機能し、発生論にたいしては歴史との対比における記号学として機能する。かくしてタクシノミアは、諸存在の一般的法則を規定し、同時に諸存在の認識が可能であるための諸条件を規定する。古典主義時代における記号の理論が、自然そのものの認識と称する独断的様相をおびた学問と、時とともにしだいに唯名論的・懐疑論的になっていく表象の哲学とを同時に担いえたという事実は、まさにこのことに由来するのだ。」

4. 言葉の経済原理
アダム・スミスは、著書「言語の起源と形成に関する考察」の中で、こう述べているという。
「どんな小さな形容詞をかたちづくるにも、どれほどの形而上学が不可欠であったことか」
経済学の父とされる人物が言語学に言及しているとは少々驚きであるが、むしろ哲学者として名声を博していたということであろう。経済では、交換によって富が創出される。知もまた交流によって価値が創出されるとなれば、ここにも経済原理がある。価値の換算に貨幣が用いられ、知の表記に言語が用いられるとなれば、どちらも仮想的な存在となる。貨幣の流通量が多過ぎれば経済危機を招き、言葉の交換が激しければ人間関係が破談になる。貨幣の利息はリスクを計測し、言葉の利息は余計な言動となって返ってくる。富が貨幣の量で決まるとすれば、知は記述の量で決まるのかは知らん。言葉の重みってやつも、幻想なのかは知らん。富への群がりと知への群がりという行動原理には、似たところがある。MBAの取得や人気の学問に群がるの見れば、リカードの比較優位説のごとく、専門知識の比較優位説として知識の合理性を求める。
しかし、真の研究機関は、誰も手を出さないところに意義を求める。地道な研究を持続することこそが、学問の底力として蓄積されることを知っているからだ。役立つ知識ばかりを狙えば思考の柔軟性を失う。金儲け主義や売上至上主義といったものが、経済活動の柔軟性を奪うように。
さらに、経済原理を根底から支える原理に信用というものがある。経済活動においては、契約という形で実践される。契約行為では、誤謬、誤解の類いが必ず生じ、同意、成立、承認などの行為が慣習になっていることが前提される。現実に、巧みな記述によって、不平等契約を結ばされるケースも多い。ちなみに、ルソーは著書「人間不平等起源論」で、「いかなる言語も人々のあいだの同意にもとづくものではありえない」という考えに注目しているという。
確かに、言語を通じての認識合わせには限界がある。思考するという行為、あるいは解釈するという行為そのものが、主体に委ねられているのだから。そして、人工言語は、絶えず認識の限界に挑むことになろう。経済循環が富の限界に挑むように...

2013-10-19

avast! 2014 にアップして... あっぷっぷ!

惚れっぽい上に忘れっぽい酔っ払いなので、ちょいとメモっておこう...

avast 25周年ということで、先日、avast! 2014.9.0.2006 がリリースされた。さっそくアップすると、いくつかの不具合に出会う。セキュリティソフトなんだから、動かないとか、つながらないという事はあるだろう。ファイルスキャンを止めたり、ポートを開ければ済むだろう事は、すぐに想像がつく。
しかし、だ。起動が不安定になるとは、どういうわけだ?しかも、IEだけが...

環境: win7 64bit sp1

1. IE10 の起動が不安定。たまに起動しやがるから、悩ましい...
"Internet Explorer は動作を停止しました"と表示してプログラムを終了。IE11 も同じ。

対処: スクリプトスキャンを停止
ウェブシールドを停止すれば安定するが、あんまりなので、スクリプトのスキャンを止める。これもあんまりかなぁ?どうせ、IEを使うことは滅多にないけど...

具体的には...
[設定] -> [常駐保護] -> [ウェブシールド]のオプションで、[スクリプトのスキャン]の中に、IE, Firefox, Chrome などがエントリされているので、IEだけを対象外にする。

2. localhost:8080 がアクセスできない。
対処: リダイレクトポートを開放

具体的には...
[設定] -> [トラブルシューティング] -> [リダイレクト設定] -> [ウェブ] -> [http ポート]
この中にエントリされる 8080 ポートを削除。

3. google chrome の拡張機能の設定が一部チャラにされてビックリ!
対処: 再設定すればいい

4. 古いアプリが一部起動しない。
対処: ファイルシールドでアプリのパスを除外

具体的には...
[設定] -> [常駐保護] -> [ファイルシールド]のオプションで、[スキャンからの除外]に、アプリのパスを追加。

2013-10-13

新相棒、その名は... Gブロンコっち!

グレンリベットを開けたのが朝日の眩しい時分であろうか。そして、ボトルを空けた頃、夕日が眩しいぜ!シングルモルトの香ばしい色合いが、新たな相棒と妙に合う。歓迎するかのように...

 ・G-BRONCOアタッシュケース = ¥16,800 (amazon経由)
 # ポリカーボネート材, A4サイズ(36cm), ヘアラインゴールド色

隣で、古参のヒップフラスコっちが焼いてやがる...


PC収納ポケットと古株のモバイっち(12.1 inch)の相性もピッタリ...


G-BRONCOショップさんの対応が早く、しかも丁寧、発注から3日で届く。Facebookに公開される画像データを見ると、ヘアラインゴールドが、ちーと明るい気もするが、実物を前にすると、ちょうどいい具合に渋め。惚れっぽい酔っ払いはイチコロよ。億劫な移動が楽しみに変えられそうだ。さっそく出張を入れるとしよう... と思ったら、夜の社交場方面からメールが...

2013-10-06

"知の考古学" Michel Foucault 著

能動的に読める時はすらすら頭の中に入ってくるのに、受け身で読まされる時はなかなか頭の中に入ってこない。何度も同じ行を目で追い、単語に振り回される感じ。フーコーの文章はフランス人の間でも難解とされるようで、どうやら翻訳のリズムが合わないだけではなさそうである。おかげで、もう一冊!もう一冊!と悪い病を患う。知を究めるには、精神の破綻を覚悟せよ!とでもいうのか?... そうかもしれん。

さて、「知(サヴォワール)」とは、なんであろうか?知性、知恵、知識、知覚... こうしたものすべてが含まれるのだろう。そして、その結果生じる「思考する存在」とでもしておこうか。
知的活動を促進する学問は、人間が認識しうる様々な現象から一般性や法則性を見出し、未来への展望を図ろうとする。そこで最初に試みるのが、カテゴリー化や分類で、同一性や属性といった枠組みから抽象化の骨格を組み立てる。相対的な認識能力しか発揮できない知的生命体は、何かを基準にして比較しながらでなければ、物事を知ることができない。そして、知的活動を深化させると、専門化と細分化が進む。学問が高度化するほど知識交流を怠り、「知」の縦割り構造を促進するとは、これいかに?古来、学問の本来の姿は、総合的な能力の結集であった。人類は、自ら編み出した高度な「知」によって、精神を破綻させるのだろうか?
近年、あらゆる学問分野で科学的手法が用いられる。社会科学、精神科学、人文科学... 科学は極めて客観性と相性がよく、主観性の強い人間にとって弱点を補う有効な手段となる。しかし、科学的分析が目指すものは一般性や法則性を導くことであり、人間精神を相手取る分野とは相反する面がある。心理学や精神医学といった分野では、一般性よりも多様性の方が、法則性よりも矛盾の方が適合しやすい。いくら病状や症候群で分類したところで、実際には、個人の性格や精神状態などを考慮して対処することが求められる。そうなると、客観と主観の境界を、科学と非科学の区別で説明ができるだろうか?実は、本書に登場する最も重要な概念に「多様性」「矛盾」がある。一般性と多様性、法則性と矛盾、こうしたものに境界を設けても意味がない... とでも言っているような。
数学者ライプニッツは、空間を構成する最小単位は物理的な原子のような存在ではなく、モナドというけして分離できない複合体であるとした。言語学者ソシュールは、言語記号に内包される二つの性質シニフィアンとシニフィエ、すなわち表現と意味は分離不能な存在とした。こうした思考の根源を遡ると、古代から盛んに行われてきた「魂と肉体は分離できるか?」という議論へ辿り着く。もしかして、フーコーもまたこの手の議論の系譜にあるのか?あるいは、構造的な見方を批判しているだけなのか?いずれにせよ、「知」とは、総合的な観点にほかならない、と言っているように映る。

さらに、「考古学」とは、なんであろうか?最初から最後まで、それを自問しながら読み進めるが、一向に見えてこない。いまだ人類には「知」の源泉なるものが見えていない... とでも言っているような。その証拠に、科学がいくら進化しようとも、それにともなって精神は進化しているか?と問えば、楽観的には答えられない。
人間の原点を探ろうとすれば、時間を遡ることなる。そこで、事象を時間軸上にマッピングする歴史学は、考古学と相性がよさそうに映る。時系列で考察するということは、連続性のうちに解釈するということだ。しかしながら、物理現象は非連続性に満ち満ちている。
「考古学とは危険な語である。というのは、それが、時間の外にぬけ落ち、今や無言の中に凍結されたさまざまな痕跡を呼び起こすように見えるからである。」
生命の進化には、突然変異という現象がある。歴史の激動期には、人類史上初となる原型のような現象が生じ、変革は異端児たちによって牽引されてきた。そして、平穏時には、経験した思考法を流用しながら、自己の責任から逃れ、派生的な思考が大量生産される。こうした繰り返しを眺めれば、歴史とは連続性と非連続性の組み合わせ、という見方もできるだろう。いや、思考エネルギーの蓄積と解放の繰り返しとした方がいいかもしれない。
また、伝統的な形態では、過去の出来事をモニュメントとして記録に刻む。政治屋どもには銅像になりたがる奴らがいる。お釈迦様が気の毒なのは、仏像にされてしまったことだ。まさか、偉大な釈迦がそんなことを望むはずがない。過去という忌々しい野郎どもと、未来という明るい希望とやらに縋る奴らが、現在という悪夢のうちに手を取り合って、いっそう騒いでいやがる。これが歴史というものであろうか...
そして、思考の原型を遡れば、プラトンとアリストテレスの論争に帰着するように思えてならない。もっと言うなら、プラトンにしても、アリストテレスにしても、記録として残されてきただけのことであって、ずーっと昔の記録媒体のない時代から続いている論争で、彼らもまた先人たちの代理戦争をしていただけのことかもしれん。精神というやつは、数千年前から、数億年前から、あまり進化していないということであろうか。どうりで、知の歴史は考古学から脱し得ず、血の歴史を繰り返すわけだ...

1. 言表(エノンセ)と言説(ディスクール)
知の源泉を探求するのに、言語に着目するとは、これいかに?確かに、知は記述によって蓄積されてきた。フーコーは、「言説(ディスクール)」という語を持ちだして、言語系を総体として観察することを要請する。
「一見したところ、言表は、最終的、分解不可能な、それ自身において分離されるような、また、それと相似た他の諸要素との間で連関が成立するような、一つの要素として現れる。」
さて、言説によって「知」を完璧に記述できるだろうか?あらゆる学問は言語コードで記述され、学問の義務は研究成果を記録として残すことにある。知を思考の結果だとすれば、思考する主体である精神を、言語という手段を用いて記述することになる。精神を完璧に記述できるということは、人間が精神の正体を知っていることを意味し、ここには既に矛盾が含まれている。
それにしても、言語とは、奇妙な存在である。記号と意味が結びついただけの表記の道具でしかないのに、精神と結びついた途端にこれほど威力を発揮するものはない。洗脳者が言葉を巧みに用いるだけで、世論が扇動される。
また、同じ知覚でありながら視覚と聴覚で様相がまるっきり変わり、口語体と文語体でまったく違った形式をとる。小説家のように文章の達人ともなれば、独特な言い回しが現れる。単純で完結した、しかも自律的な文章を目の当たりにすると、そこに哲学が存在する。こうした文章は一つの体系を成していて、文節や文法などで分解することはできない。そこに、主語や述語、あるいは名詞や人称関係といった概念の入り込む余地などないのだ。
「一つの知とは、特殊化された言説 = 実践のうちで語られうるものである。」
実際、日本語という一つの体系を観察してみても、誰一人として同じ言葉を喋っちゃいない。客観的であるはずの専門用語ですら、個人や組織によって微妙にニュアンスが違う。言語が精神と結びつけば、そこに多様性が生じるのは自然であろう。しかも、時代とともに微妙に体系を変化させていく。
「コペルニクスの前と後、ダーウィンの前と後では、同一の言表を構成しない。」
大和言葉は日本固有の語でありながら、もはや現代人にとっては外国語のようなもの。時代感覚は言語系にも反映されてきた。翻訳の意義は、過去の知を現代感覚と結びつけること、あるいは、異なる文化圏の知を持ち込むことにあろうか。もはや言語系そのものが、精神を投影するかのごとく有機的存在である。ついでに、本書も間違いなく一つの言語系を形成している。まるで宇宙人の言葉であるかのような...
フーコーは、言説の広大な表面を分節化するために、「言説形成 = 編制」という形象を持ち出す。通常の学問のようにカテゴリー化や分類という手段を用いるのは、一時的な便宜上の方法であって、真の方法は、言説それ自身に問いかけよ!と。そして、分節化とは、モナトロジー的な、あるいはア・プリオリ的な分解とでも言うのか?もっと言うなら、直感的な?いずれにせよ、言語系を平面的な観点だけでなく、多次元的な観点で捉える必要がありそうだ。精神空間として捉えるがごとく...
「或る言説 = 実践によって規則的な仕方で形成 = 編制された総体、或る科学の構成に不可欠な諸要素 -- たとえそれが必ずしも科学を生ぜしめるべくさだめられていないにしても -- こうした総体を、知(サヴォワール)と呼ぶことができる。」

2. 主体なき知
「考古学的記述は、まさしく思想史の放棄であり、その要請、その手続きの体系的な拒否であり、人々が述べたところについての一つのまったく別の歴史の企てである。」
考古学は、統一性の原理としての主体とは無縁で、連続性や関連性を問わず、寓意的であることを拒むという。考古学記述が明確にしようとするのは、言説に隠された思考、表象、イメージ、主題、執念などではないと。そして、こうした記述は歴史への裏切りであるという。考古学は、思想史と違って、皮相的な瞬間を観察していると批判しているが、それは客観性に縋り過ぎと言っているのか?人間社会では、客観的や科学的という言葉が濫用される。だが、客観的に述べる!と宣言された主張で、客観的だったためしがない。
一方で、科学者の論述の中に、あえて主観的に述べると宣言した、イキイキとした記述を多く見かける。客観性という呪縛から解放されたかのような。やはり人間精神は、自由と相性がいいようである。思考は、主観によって牽引され、客観によって整えられるものであろう。本書には、多分に構造主義への皮肉が込められるが、構造的な思考を排除せよとは聞こえてこない。多様性を解明するためには、逆説的ではあるが、一般性や法則性を仮定してみることも必要である。潜在意識の活性化のためには、まったく違う土壌で思考してみることが求められる。芸術と無関係な世界で生きていても、芸術に触れることの大切さがここにある。思考の柔軟性こそが、知の源泉としておこうか。
しかしながら、思考が煮詰まった時に、新たな思考を試そうとするのであって、最初から柔軟に構えることは難しい。一般性や法則性で説明ができないから、多様性や矛盾に縋る。したがって、知の考古学とは、思考の限界を常に試すということになろうか。これが学問の原点ということになろうか。とはいえ、思考した結果が、本当に自分で思考したものなのか?と自問してみると、いまいちはっきりしない。誰かの知恵を拝借しているだけ、ということはないだろうか?独自の哲学を編み出したと自信を持っていても、古典に触れると、既に誰かが思考した結果であることに気づかされ、がっかりさせられる。学問を始めれば、誰かの痕跡を辿ることになる。赤ん坊が親の真似をしながら学習していくように。思考の原点は、模倣から始まるのであろう。それが猿真似で終わるか、独創性として開花させるかは、その深さで決まるのであろう。思考が遺伝子的に継続されるとしたら、「主体なき知」とはそういうことであろうか。
ちなみに、ゲーテはカントを評して、こう語っていた。「たとえ君が彼の著書を読んだことがないにしても、彼は君にも影響を与えている。」と...

2013-09-29

"臨床医学の誕生" Michel Foucault 著

「狂気の歴史」では、非理性から理性の道を解き明かそうとした。「臨床医学の誕生」では、死から生の道を見出そうとする。それは、「解剖 = 臨床医学」という観点からの試みである。フーコーは、臨床医学の鍵となる四つの概念を持ち出す。
「この本の内容は、空間、ランガージュ(ことば)および死に関するものである。さらに、まなざしに関するものである。」
「空間」とは、分類学的な視点からの空間である。かつて疾病は植物学的に分類され、症状を平面的な図表に当てはめていたという。知識は文献などの平面上の記述によって蓄えられるが、人体や病原菌はユークリッド空間に実在する立体像である。さらに精神病を相手取る場合、歪んだ精神曲率を非ユークリッド空間の中に見出す... のかは知らん。
「ランガージュ」とは、記述の在り方である。言語学者ソシュールの提起した用語であるが、フーコーが構造主義者とされる所以がこのあたりにあるのだろう。ソシュールは、言語を記号的に捉え、シニフィアン(表現)とシニフィエ(意味)とが一体化したものとし、けして分離できないとした。ここでは、「意味するもの」と「意味されているもの」との関係が述べられる。やはり人間観察には、両義性を具えるモナトロジー的思考が必要なのだろう。肉体と魂こそが、それである。
「死」とは、屍体解剖の意義である。人体構造を学ぶには屍体解剖が不可欠であるが、宗教的な道徳や愚鈍な偏見がそれを拒んできた。今でも、臓器提供の進まない事情がある。死んだ家族の身体が切り刻まれることに抵抗を感じるのも自然であろう。さらに医学の進歩が死の定義までも変えてしまい、生きることと死なないことが別物とされる。
「まなざし」とは、観察の意義である。医療において診断は最も重要な要素であろう。だが、診断の正確さをあまりにも崇めるために、初期段階では投薬すら控えるべきとされたという。投薬が自然治癒の妨げになるとされ、患者の苦しみが配慮されない。本書は、観察と実験を混同してはならないという。とはいえ、奇病を解明するために、人柱となって身体を提供してきた人たちも多く居たことだろう。
フーコーは、これら四つの観点から、19世紀頃、臨床医学の認識を劇的に高めたとしている。しかしながら、臨床の概念そのものはヒポクラテスの時代からあるのだけど...
「ヒポクラテスは観察にだけ執着し、すべて体系というものを軽視した。医学が完成される道は、彼の足跡をたどるよりほかにない。」
あらゆる学問が、高度化、細分化する中で本来の目的を見失い、権威主義に陥る経験をしてきた。人は皆、権威やら名声やらに弱いもので、そのことが逆に進歩を妨げることもある。知の純粋な領域、いや無意識な領域においてのみ、ア・プリオリを見出すことが可能となる... というのは本当かもしれない。

医学生がまずもって学ぶものは、解剖学と生理学だそうな。解剖学では人体構造を学び、生理学では人体機能を学ぶ。まず、構造面と機能面からの健康状態を知らねば話にならない。こうしたアプローチは自明に思えるが、そうでもないらしい。現代医学のほとんどの基本概念は、19世紀に見出されたという。コッホやパスツールの細菌学、集団を対象とする疫学、消毒や麻酔の技術、レントゲンなどの画像診療、ワクチンをもたらす免疫学、感染症治療に革命を起こした抗生物質、そして、精神分析や向精神薬や遺伝学など...
ただし、本書が扱うのは、このような科学的な進歩ではなく、それを可能にした医学認識の変化である。その変化は、まず臨床における記述に現れたという。
「薄い偽膜は義膜性で、卵白の蛋白をふくんだ薄皮に似ており、はっきりした固有の構造を持っていない。他の偽膜はその表面にしばしば血管の痕跡をとどめており、それらの血管は、いろいろな方向にむかって互いに交叉し、充血している。偽膜はしばしば重なり合った薄片に還元できるが、これら薄片の間には、多少とも変色した血液の凝塊がはさまっていることも稀ではない。」
この記述は、医師A・L・J・ベール著「精神疾患新学説」(1825年)の中の一節だそうな。なかなかの文学的な描写である。だが、科学論文や技術論文では主観的な表現を忌み嫌う。学問では、抽象化、一般化、法則化を探求することに傾注し、直感の入り込む余地を与えようとしない。
しかし、だ。人間を対象とする学問では、抽象化よりも多様化の方が適合しやすい。同じ病でも症状が微妙に違えば、精神病は心理学の領域に極めて近い。実際、「病は気から」とよく言われ、ウィルスや病原菌のような物理現象だけでは説明できないケースが多い。となると、病状を記述する場合、主観的な表現を排除することが、学問として合理性に適っていると言えるだろうか?記述による質的な精密さを求めるのはどんな学問分野でも同じであろうし、研究対象によって主観と客観の按配を変える必要があろう。
一般的に、科学は客観性に満ちていると認知されているが、主観科学というものがある。人間の多様性は本性的であろうし、自然的な要素でもあろうから、その観察においては主体に着目する必要がある。オリバー・サックスの記述などは、まさにそれだ。
ところが、フーコーの記述はそういう類いのものと大分違う。
「すべて可視的なものは陳述可能なものであり、それは完全に陳述可能だからこそ、完全に可視的なのだ。」
あえて主体を排除した立場から、人間観察を試みた結果がこれか?メタ精神によって個体精神を記述すると、こうなるのか?精神の破綻を感じないでもない。まぁ、読者の側が酔っ払った精神破綻者なので、大した問題ではないかぁ...
主体を観察しようとすれば、客体の眼を必要とし、相互に立場を交換しあうことになる。主体分析の矛盾が、ここにある。人間は、永遠に自己を知ろうとし、また永遠に自己を知り得ないということであろうか...
「個性の宿命は、つねに客観性の中で形をとることになるが、この客観性は個性をあらわしながら、これを隠し、これを否定しながらこれを創る。」

1. 解剖学と臨床医学
1764年、J・F・メッケルは、卒中、錯乱、肺結核といった疾患における大脳の変化を研究したという。その方法は、脳の容積あたりの重さを測って比較し、脳の乾燥した部分と充血した部分を調べるというもの。また、カミエとエルマンが金槌を用いた方法は有名だそうな。軽く叩いて、頭蓋骨内が充満しているかどうかを音で調べるというもの。
精神現象の科学的分析は、脳を直接観察することによって、重さや音などの物理量に還元しようという試みから始まった。現在では、脳の表面を電磁的に観察することによって言語障害などを分析したり、体内器官の活動を電磁波でモニタしたりする。間接的な方法ではあるが、解析学の基本に則っている。解剖学は知覚することから始まり、いかに物理現象に還元するかが問われてきた。デカルトの解剖学、マルブランシュの顕微鏡学といった実践が、まさにそれ。ここに、デカルト式実存論の本質が隠されていそうである。つまり、客観的背景において、いかに観念的実体に分解できるかということだ。
そして、精神を記述する上で合理的な言葉を組織する必要に迫られる。叙述の客体は、主体になりうるだろうか?これを問い始めた時、臨床医学なるものが浮かび上がる。記述のないところに現象はない!これを科学の信条とすれば、主体的な記述もまた、客体的な科学的構造を持った叙述を可能にするかもしれない。これが臨床医学の信条ということになろうか。臨床医学とは、科学と文学の融合とすることもできそうである。
フーコーは、屍体へ敬意を表明する。
「文明国民の間に哲学が光をもたらしたとき、人間の屍体に対して、探究的なまなざしを注ぐことがついに許された。これらの屍体は、かつてうじ虫の餌にすぎなかったが、今や最も有益な真理の、ゆたかな源泉となったのである。」

2. ポジティブ思考とネガティブ思考
医学が目の前の病人を問題とする以上、現実を直視する実証的な学問となる。つまり、「ポジティヴィズム(実証主義)」だ。多様性に富んだ症状では、哲学的な抽象論よりも個々を詳細に記述することが求められる。そうした認知は古くからあるものの、具体的に現れたのは屍体が「眺められるもの」の形象となった時だという。
ところで、病に打ち勝つための大切な心持ちに、ポジティブ思考というものがある。精神の状態は、血液の脈拍、すなわち心臓の動きに現れるため、治療において重要な要素となる。そこで、ポジティヴィズムにおけるポジティブ思考とはどんな状態か?などと考えさせられるのだった...
ネガティブ思考に陥った場合、その原因が解明できれば、ネガティブな状態から脱することができるだろう。ネガティブ思考を知らずして、ポジティブ思考もありえない。もしありうるとすれば、単なる陽気な鈍感であろうか。原因を解明せずして、ポジティブ思考を押し付ければ、却って病を悪化させる。これが有難迷惑の根源であろうか。ポジティブ思考とは、単に楽観的に考えるのではなく、現実を直視することから得られる冷静な目を養うこと、とでもしておこうか。そして、ネガティブ思考とは、現実を見ようとせずに、激しい思い込みに耽ること、ということになる。
... などど、ふと勝手な解釈を試みるのであった...
ポジティブ思考ほど、病に対抗するのに都合のよい精神状態はないだろう。だが、真理は、ネガティブな方向にも存在する。科学的分析と臨床的観察の調和こそが、病に対抗する術ということになろうか。偉大な哲学者たちが、中庸の原理を尊重する理由がここにある。それは、日常と歴史の結びつきでもある。宗教的道徳観念が屍体観察を遠ざけてきた。しかし、暗い部分を見ることによって、明るい部分を見ることができる。屍体解剖と臨床医学の融合とは、そういうことであろうか。それぞれに役割を与えるとしたら、死の原因を屍体解剖に求め、生の原因を臨床医学に求めるといったところであろうか...

3. クリニック
初期の臨床では、あらゆる疾病を一つの平面上に収めた図表があり、医師はその図表と睨めっこしながら患者に接したという。診察とは、図表上の座標を決定づけることで、疾病を記号として眺めることであったと。現代風に言えば、聴診器をあてたり、直接手で振れたりせず、ひたすらコンピュータと睨めっこするといったところであろうか。フーコーは、こうした段階の臨床を診療とは考えず、病床で師と弟子が観察しながら教育の形をとるものだとしている。これに患者の立場を加えれば、真のクリニックが見えてきそうだ。医者と患者は対等な協力関係にあり、医者が患者を治してあげるという類いのものでもあるまい。
さて、クリニックの意識は、フランス革命の混乱期とともに生じたという。至るところでテルミドールの反動による山賊行為が起こると、多くの医師が軍隊に招集される。病院には負傷兵で溢れ、多くの病人が放り出されると、混乱に乗じてイカサマ師が繁盛し、医療品質を崩壊させる始末。
しかし、振り子の針が振れ過ぎると、医療の在り方が見直されることに。執政政府は、臨床講義を医療制度再編成の主要テーマとして取り上げたという。人間味や同情心といったものは、非人間的環境から学ぶものらしい。施設院や救貧院や刑務所のない社会を夢想したところで、やはり貧困は拡がる。幸福過ぎる社会では、むしろ非人間性を助長するのかもしれない。苦悩のないところに、偉大な哲学は生じないだろう。健康な馬鹿ほどタチの悪いものはないのかもしれない。おまけに、酔っ払いとなれば、目も当てられない。おっと、いつの間にか自分を語っている。
理性が非理性から導かれ、生の意義が死体から見つかるとすれば、真理ってやつは怠惰や享楽から見出すことができるかもしれん。クリニックとは、夜の社交場のようなものであろうか。なるほど、心のアフターケアとは、アフターファイブのことであったか...

2013-09-22

"監獄の誕生" Michel Foucault 著

相変わらず難解なフーコー... この怖いもの見たさが、思考の暴走を加速させやがる...
「狂気の歴史」では、ルネサンスの輝かしい歴史の裏で、狂人たちの処遇にも変化が現れたことを物語ってくれた。それは、非人間性から非理性というやや柔らかい概念への移行である。精神病という病の認識が芽生え、光と影が人間性において融合を始めたのである。とはいえ、治療法をめぐっては、監禁されることに変わりはない。
「監獄の誕生」では、その生々しい監獄の設計図が描写される。犯罪者の精神鑑定という見方も、この頃登場したらしい。人類の歴史とは、人間という身分をめぐっての歴史である... とでもしておこうか...

監獄は国家権力の重要な機構の一つであり、それは裁判所や警察機構と協調して機能する。規格外の者をどう扱うか?非行や非理性をどうやって抑制するか?そこには、排除の方法論がある。しかしながら、監視、処罰、矯正といった手口は、一般社会にも根付いている。家庭、学校、企業、病院、軍隊など、あらゆる集団で管理社会が形成され、少し規格から外れると村八分にされる。最高権力者である国王もまた民衆に監視され、やがてギロチン行き。アリストテレス風に言えば、人はみな、生まれつき奴隷のようなものであろうか...
フーコーは、国家権力の在り方をイデオロギーの作用としてではなく、人間本性的な観点から論じる。権力とは、思想観念的なものではなく、ブルジョアジーという新たな階級が生じる中で自然に組み込まれたという。どんなに平等を叫んだところで、やはり階級は生じる。それは、人間の多様性が本性的なものだからであろう。能力の自由を妨げることはできない。問題は、むしろ権力と階級が固定されることの方にある。
かつて、国家権力が処刑の正当性を示すために見せしめを命じれば、民衆の見世物として定着した時代があった。陰謀によって処刑された者も少なくなかろう。自白を強要された者もいるだろう。犯罪の証拠に自白が有効であるのは、現在とて同じ。当時、「死刑囚の断末魔語録」という様式が実存したという。罪の悔み、判決の承諾、神へ詫びる姿など、死刑囚たちの懺悔の記録が処刑の残虐さに正当性を与える。
しかし、いつの時代も真相は闇に葬られる。少しでも疑いのある記述が暴露されれば、探偵文学が活況となり、様々な陰謀説が巻き起こる。三面記事が、極悪非道の人物に仕立て上げるかと思えば、権力との対決振りを英雄伝説に塗り替えることも。皮相的な道徳礼賛の下で面白おかしく書き立てれば、そこに民衆が群がる。はたして苛酷な処罰が、犯罪を抑制しているだろうか?モンテスキューは、過度な刑罰はむしろ法の網をくぐる狡猾さを身につける...といったことを語った。
刑法の役割とは何か?一つは国民の法益を守ることにある。犯罪防止はそのためのものであって、大岡裁きのように悪い奴を懲らしめるためのものではあるまい。けして復讐や賠償のためのものではないのだ。とはいえ、見せしめにしても、強制収監にしても、政治の技術として機能する。そこで、実践的な概念に量刑というものがある。ただし、時代感覚によって量刑に違いが生じるのは自然であろう。あまりに残酷な刑罰が日常化すると、突然虚しさに目覚め、人間性を取り戻したいという感覚に見舞われるかもしれない。
フーコーは、監獄の側から見た人間社会の在り方を問うている。本書は、いかに監視するか?いかに処罰するか?を主題にした国家権力論である。人間の多様性が本性的であるにもかかわらず、刑罰の方はというと、量刑、すなわち刑期で画一化され、究極の刑罰に死刑が位置づけられる。多様性に対して画一的に対処するとは、なんとも奇妙であるが、経済的な政治技術と言えよう。ただし、社会復帰のための矯正や訓育においては、精神鑑定と精神医学によって多様に対処することが求められるが、それも19世紀まで待たなければならない。
フーコーは、人間管理システムの最高モデルは「一望監視方式」にほかならないとしている。こうした画一的な処置を、社会全体の幸福量として計測するならば、功利主義的な発想に近い。実際、一望監視方式を考案したのは、功利主義の主唱者ジェレミ・ベンサムだそうな。

ところで、刑罰には時間の意義が含まれ、刑期は自由の量として換算される。保釈金は時間を買うための手段となる。その金額が、犯罪の重さだけでなく保有資産も考慮されるとなれば、ここにも経済原理が働く。すなわち、需要と供給の関係である。
一方で、終身刑は、死刑と同じく時間の概念を抹殺する。完全に望みが絶たれれば、労働や訓育に無関心となり、もっぱら脱獄と反抗の計画に向けられるという。そこで現在では、時間の概念を失わないように、仮釈放という方策が組み込まれる。確かに、時間は自由意志と直結する概念である。しかし、監獄制度は、希望をつなぐだけで機能するものでもあるまい。塀に囲まれた世界は、ある種の保護地域として機能する。実際、三食が保証された刑務所に戻りたいと、わざと軽犯罪を繰り返すケースもある。

「シャバを恐れてる。50年もムショ暮らしだ。ここしか知らない。ここでなら彼は有名人だが、外では違う。ただの老いた元服役囚だ。白い目で見られる。あの塀を見ろよ!最初は憎み、しだいに慣れ、長い月日の間に頼るようになる。施設慣れさ!終身刑は人を廃人にする刑罰だ。陰湿な方法で...」
...映画「ショーシャンクの空に」より

1. 身体刑の消滅
拷問は、罪人にけして楽な死を与えない。しかも、民衆の見世物となって娯楽化する。処刑台では... 胸、腕、腿、脹ら脛を灼熱したやっとこで懲らしめ... その傷口には、溶かした鉛、煮えたぎる油、焼けつく松脂がたっぷりと注がれ... 身体は四頭の馬に四裂きにされ、手足の関節がもぎ取られる... そこに聴罪司祭が問いかける。生きているか?... これが身体刑の日常だそうな。
なぜ、一人の死にこれほどの手間暇をかけるのか?人間どもは、よほど退屈なのだろう。伝統的な裁判では、残虐な処罰が道徳の下で正当化されてきた。恥さらしが目的化すれば、死体になってもなお晒し者となる。そして、残酷な日常が民衆を狂気させる。道徳の暴走とは、実に恐ろしい。本書は、数世紀に渡って理性の宗教がなしてきた数々を物語る。人類の野蛮さの刻印として。
「刑罰としての身体刑は、身体へのありとあらゆる処罰を包括しているわけではない。というのは、それは分化したかたちで苦痛を生み出すことであり、刑の犠牲の刻印のために、また処罰する権力の明示のために組織される祭式であって、自分の立てた原則を忘れ自己統御を失ってしまうような司法権力の激怒のすがたではないのである。身体刑の極端さには、権力の一つの経済策全体がもりこまれている。」
しかし、あまりに度が過ぎ、権力者の憎しみまでも正当化されれば、どちらが罪人なのか?見物人は疑問を持ち始める。18世紀から19世紀頃、身体刑が簡略化し、死刑の苦痛にも平等という概念が生じたという。
ただ、イギリスは身体刑の消滅に最も抵抗した国の一つだという。その理由は、イギリスの刑事裁判が陪審員の設置と、訴訟手続の公開と人身保護令状の尊重によって、模範的な役割を与えていたからだという。刑法の厳格さを減少させたくないという思惑があったようだ。尚、モンテスキューの「法の精神」によると... イギリスでは、拷問を認めず第三者の証言を重んじるが、フランスでは、証人を怯えさせることを法の原理とする... といったことが語られていた。人道的な法律という意味では、イギリスの方が進んでいる印象を与えるが、ここでは逆説的に語られるところに注目したい。
さて、死刑執行が見世物でなくなれば、司法と死刑囚との間で機密が生じる。密室において拷問が隠蔽されることも。警察権力の暴走は、民衆の暴走にもまして恐ろしい。そこで、法による厳正な規定が必要となる。法理論家たちは、罪の意識を目覚めさせることが動機となり、残酷さが少ないほど穏やかさは増し、人間らしさが増すと考えるようになる。刑罰は、身体に刻むのではなく、精神に刻むものであると。身体刑に対する反対運動が生じれば、国家権力は残忍者の代名詞となる。そして、国王たちもまた、自ら守ってきた残酷な伝統によって晒されることに...

2. 自白の両義性
犯罪訴訟の手続きにおいて、証拠と第三者の証言に信憑性があれば、原理的には自白は必要としないはず。しかし、現実の取り調べでは、自白を中心に展開される。ここには、奇妙な両義性が介在する。一つは、自白は他のいかなる証拠よりも説得力がある反面、嘘は自白にも他の証言にも内在するということ。二つは、自白は自発的であるべきだが、同時に強要されるということ。自由意志は、おそらく人間の本性的なものであろうし、自発的な懺悔ほど説得力のあるものはない。だが、自由意志の扱いをちょいと間違えると、自発性とは程遠いものとなる。それは、平等とて同じ。自由や平等といった癒し系の言葉は、心地よく響くだけに悪用されやすい。
さて、人間はどこまで拷問に耐えることができるだろうか?自白の強要など簡単なことかもしれない。そこで、ちょいと視点を変えて、監獄を社会復帰のための装置として眺めると、自白の扱いも変わってくる。刑罰や監禁制度は再犯防止として機能しているだろうか?それは再犯率が物語っている。刑罰が非行性を助長することもある。一度、加辱刑を受けたものは、晒し者とされることを恐れないかもしれない。刑罰が日常化すれば、脅しの効果も薄れるだろう。酔っ払い運転を撲滅するために処罰を強化しても、却って事故現場から逃げ去るという悪質が生じる。タクシーやバスの運転手が、前日の晩酌のために検査にひひっかかれば、職を失い、人生をも狂わせる。軽い酒気帯びから悪質の酔っ払いまで、一緒くたに社会的制裁を受けるとすれば、そこに量刑は機能しているのだろうか?刑罰が社会の価値観に適った程度で規定されなければ、罪に対して自発性を促すことは難しい。刑罰がその性質上、強制執行されるのは当然である。だが、そこには自由意志との和解によって成り立つ側面があることに留意したい。

3. 人間機械論
兵士は勇ましさの紋章のような存在で、18世紀後半には身体全体を服従させ、人間機械を形作ったという。農民の物腰を追放し、兵士の従順な態度を持ち込む。直立不動で胸をはり、しっかりとした足取りで行進する。そういう姿に、子供たちは憧れる。ある種の国家意識の高揚である。
「人間論(= 機械論)」として受け継がれる書物は、二つの領域から書かれたという。一つは、最初にデカルトが書き、医師や哲学者たちに継承され、解剖学や形而上学として花開いた領域。二つは、軍隊、学校、施設院における規則の総体として、矯正や反省をうながすための技術となった領域。前者では作用と説明が、後者では服従と効用が重視される。とはいえ、双方の領域には重なる点がある。服従させるとは、役立たせるということ、従順さを仕込むということ。すなわち、政治的な自動人形という権力モデルである。
軍隊的な規律や訓練が支配の一般方式になったのは、17世紀から18世紀だという。その代表格といえば、徹底した軍隊訓練に執心したフリードリヒ大王であろうか。それは禁欲苦行や修道院型の規律や訓練と違って、自分自身の身体統御を主要目的とし、名誉と誇りで支えられる仕組み。強制の形態でありながら、うまいこと奴隷制を免れるやり方で、身体が権力装置に組み込まれた積極的強制モデルである。モーリス・ド・サックス元帥の著書「我が夢想」には、こう書かれているという。
「細部に専念する人々は偏狭な人間だと見なされているが、しかし私には、この部分は根本的であると思われる。なぜなら、この部分が基礎であるからだし、また、その成分をもたなければ、どんな建造物をつくることも、どんな方式をうちたてることも不可能であるからだ。建築趣味をもつだけでは充分ではない。石の刻み方を心得ていなければならないのである。」
こうした細部に渡る合理的組織化は、古典主義時代に始まったものではない。政治分野は、立法、司法、行政、軍隊、警察、外交、経済、教育...と、多くの部門に分かれる。学問にしても、細部まで極めようと専門化が進み、いまや総合的な知識として眺めることが難しい。数学ひとつとっても、幾何学、代数学、微分学、解析学、確率論、集合論、情報理論など、それぞれが有機的な存在となっている。こうした分化構造を縦割り構造と言うのかは知らん。人間社会の合理性とは、人間を機械化しようという目論見なのかもしれん。

4. 一望監視方式
建築学的には「一望監視方式」という形象があるそうな。「パノプティコン」とかいうやつか。本書には、ベンサムの考案した図面が添付される。すぐに思いつくものは、一面を見通せる鉄塔から囚人をライフルで狙うといった監視システム。映画の見過ぎか?それはさておき、監視とは、いわば管理方法の一つであり、あらゆる共同生活に関係する事柄である。仕事におけるプロジェクトチームにも、家族構成にも。
事細かく監視を必要とする教育をするか、ある程度の自由裁量を認めても大丈夫なように教育をするか、どちらが人間らしいかは、ここでは議論しないでおこう。とりあえず、好みの問題としておこうか。権力者は、監視方式を画一化することを好む傾向があるようである。そんな規定を作るだけでも面倒であろうに。哲学的な共通観念を植え付ける方が、はるかに合理的であろうに。ただ、どんな方法を用いても、規格外の者は生じる。それが、人間の多様性というものであろうから。そして、政治における最も重要な事項は、教育ということになろうか。国民全体の意識が、目先の欲望や目先の風潮に向かうようでは国家の行く末も危うい。多種多様な価値観を育みながら、哲学的な共通観念を築くこと。つまり、真理において統一された多様な観念とすること。そして、監視は信頼において機能するということを付け加えておこう。警察権力や法律に無条件で従うのも、信頼の証である。では、政治家が率先して法の網をかいくぐろうとするのはなぜか?国家に信頼が置けないということか?俺が法律だ!とでもいうのか?いや、法の限界実験をやっているに違いない。
監視は長らく見世物とされてきた。円形競技場で奴隷たちの流す血などは、国家行事の娯楽であった。狂気を見世物とすれば、見物人までも狂気する。やがて、臭いものには蓋!という意識が広まる。しかし、どんなに人間の本性を覆い隠そうとも、タブー社会の中に投影され続けるだろう。

5. ナポレオン法典と拘禁制度
当時、監獄の歴史はナポレオン法典とともに創設されたと言われていたそうな。フーコーは、その歴史はもっと古いと語る。ただ、18世紀から19世紀に転換期が生じ、監獄は拘禁中心の刑罰制度へ移行したのも事実だという。監獄は、拷問のための待合所から、社会復帰のための拘束所へ。大航海時代から産業革命の潮流に乗って、主産業が農業から商業や工業へ移行する中、様々な商取引における法律が整備される。自由市場の暴走が、法の進化を促進するとは。それでも、資本家階級の台頭で、王族や貴族や聖職者といった特権地位を転覆させた功績は大きい。
さて、ナポレオン法典は民法典という印象があるが、刑事訴訟法や刑法、あるいは商法なども定められるという。五法典もあるとは知らなんだ。監禁制度に関しても規律と訓練が厳格に定められ、拘禁は単なる自由剥奪と混同してはならない、といったことが記載されるという。罪の重さによって、留置場、懲治監獄、中央監獄で収監場所が区別され、拘禁の仕方も区別され、労働と食事の在り方から就寝時間や起床時間などの囚人規定も定められているとか。改心の目的が明確に規定されていることは、注目すべきであろう。
監禁機構を行政の一部として取り込んだのが、拘禁制度ということらしい。19世紀になると、行政上の手続きとして、受刑者の精神報告も義務付けられたという。凶暴性や非行性に対する病理学的な見地が導入されると、狂気が精神病として認識されるようになり、やがて監獄の普遍的な方法が研究されていく。裏社会の研究は、社会学の本質の領域にあるのだろう。人間の本性は、むしろタブーの側にあるのかもしれん。

2013-09-15

"狂気の歴史" Michel Foucault 著

「パスカルによると... 人間が狂気じみているのは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう。」
いきなり投げかけられる文面が、これだ。この手の難解な書には、ある種の麻薬効果があって、なぜか心地良い。そして、思考が勝手に暴走を始めるのだ。なぁ~に、いつものことよ...

ミシェル・フーコーは、別種の狂気についても歴史を書く必要があると語る。物語は古典主義時代に遡る。カトリック教の強烈な支配下で多様性が失われると、ギリシア、ローマ時代の自由意志を懐かしむ風潮が生じ、古典回帰の文化運動が巻き起こる。いわゆるルネサンスだ。フランスではやや遅れて17世紀頃、ドイツではもう少し遅れて18世紀頃波及。この17世紀から18世紀にかけて、非人間扱いされてきた狂人たちの処遇にも変化が現れたという。そこには、ルネサンスの光明の陰で、監禁や牢獄とともにタブーとされてきた暗黒の物語があったとさ。この状況に最も当てはまる人物といえば、マルキ・ド・サドであろう。サドの前では狂気ですら完全な見世物となる。狂気は、長らく怪物のように扱われてきた。
ところが、古典主義時代に「非理性」という概念が登場したという。この用語は、怪物より柔らかい印象を与える。精神病や臨床医学という認識が広まり始めたのも、この時代だそうな。狂気もまたルネサンスの潮流に乗って、自由意志としての人間性を取り戻そうとする。とはいえ、治療法をめぐっては、監禁されることに変わりはない。狂気を研究すれば、理性との結合や分離について考察することになる。理性との結合から生じる人類愛ってやつは、どこからくるのか?盲目的な残虐行為への反発からくるのか?過去の狂気を批判する者もまた、叙情的な憤慨を剥き出しにする。自己存在を堅守するために理想論を並べたところで、別種の狂気に憑かれる。真理の偉大さを語れるのは、ただ沈黙のみ、ということであろうか...
「理性の真の姿は、理性が否認する狂気をただちに出現させ、今度はこちらが、理性を消滅させる狂気のなかに姿をけすことにある。」

一般的に狂気に対抗できるものは、理性とされる。確かに、狂気と非理性は相性がよさそうである。では、理性と非理性を分けるものとはなんであろうか?人間性を知ろうとすれば、非人間性との境界を探求することになる。理性を知ろうとすれば、理性の限界を見極めることになる。道徳もまた、悪徳への皮肉から生じる。理性とは、自由意志によって構築されるものであって、受動的な動機から生じるものではあるまい。
一方で、自由意志は束縛への反発から生じる。天才たちの超人的な集中力や芸術的な創造力もまた、自然や宇宙による束縛への反発であろう。まるで狂気の沙汰よ!すると、非理性を安直に悪徳と同一視するわけにもいくまい。狂気は理性とも相性がよさそうである。ソクラテス流に言えば、無理性を自覚する者こそ理性者ということになろうか。
「狂人は人間存在として取り扱われない、というこの否定的事実は、きわめて肯定的な内容を持っているのであって、人間扱いしない無情なこの無関心は、現実には強迫観念という意味あいを含んでいる。」
しかしながら、狂人たちに人間失格の烙印が押されるのは、今も変わらない。狂気の代名詞は、気違い、錯乱、暗愚、間抜け、気のふれた、頭が変、低能、痴呆、阿呆、白痴、馬鹿...と事欠かない。現代社会で「きちがい」が禁止用語とされるのは、真理を覆い隠そうという魂胆か?差別する側が狂気しているのは明らかだが、言葉の揚げ足を取って差別用語だと叫ぶ側もまた荒れ狂う。有識者や有徳者と呼ばれる人たちは、いくらか理性を具えているのだろう。そんな正気な人たちでさえ、無情な言動を通して認知し合っているではないか。理性という陰謀が、感情的な正義の声に耳を傾け、静かに囁く真理の声を抹殺する。しかも、理性は心の奥底で非理性と対峙しながら、常に緊張状態にある。理性者たちが突如として怒鳴りまくるのは、緊張を和らげるためか?これが説教ってやつの正体か?彼らは、言葉で勝利してもなお憤慨する。ならば、狂気を受け入れる方が、よほど平穏でいられるであろうに...
ちなみに、おいらがディオゲネスを好むのは、プラトンに「狂えるソクラテス」と仇名されたからだ。狂気バンザイ!無理性バンザイ!無知性バンザイ!ついでに、酔っ払いバンザイ!アル中ハイマー病バンザイ!

ちと脱線するが... もともと脱線しているが...
一霊四魂という思想があると聞く。勇、親、愛、智によって構成される魂が、一つの霊によって統括されるという思想である。いずれの魂も孤立すれば、邪気となる資質を具えている。邪気が悪魔の手に落ちれば、たちまち邪悪な鬼と化す。血塗られた歴史の陰には、いつも邪鬼が住み着いていた。アダムとイブが禁断の果実を食して以来、人間は神の善意を解することができなくなり、お釈迦様ですら菩提樹の下で心を惑わせた。イエスは敬虔な使徒に裏切られ、シーザーは誠実な盟友にあやめられ、芸術を愛した皇帝ネロを暴政に狂わせ、ボルジア家を強欲の代名詞とさせ、建築家を夢見た内気なヒトラーをば悪魔へ変貌させた。人間の魂には、恐ろしき邪鬼の棲家がある。
なのに、芸術家の目覚めは精神を悟るに、いくら狂っても足りない。四魂の邪鬼を存分に解放させ、猛烈な狂気の中に調和を目論む。凡人には到底及ばない芸当だ。
しかし、能力を欠いていても夢を描くことはできる。そして、夢もまた狂気するのだ。偉大な夢を実現できたら、どんなに幸せであろう。せめて、過ちを夢に閉じ込められたら、どんなに楽であろう。そして、酔っ払った狂人の悲痛な叫びを聞くがいい... おいらはハーレムに収監されたいのだ!

1. 狂気の秩序と排他的領域
狂気とは、脱理性から生じる理性のようなものであろうか?カオスやエントロピーが真理だとすると、無秩序から生じる秩序があってもいい。宇宙空間を構成するものは、人工的な美でもなければ、形式的な美でもなく、自然の乱雑さがあるだけ。なのに、そこにも秩序らしきものが生じる。まさに人体がそれだ。この集合体は、単なる原子の集まりだけでは説明できない。自然の産物である人体に合目的があるとすれば、人体の中に形成される狂気にも恣意性があるのだろうか?
狂気が、暴走する理性への反発から生じるのかは知らん。ただ、理路整然とした構成美に対するアンチテーゼとすることはできそうである。常識だけでは思考は乏しい。理性だけでも精神は乏しい。あらゆる進化には、秩序を超越した秩序のようなものが必要なのだろう。人間が自由意志の持ち主であるならば、人間同士で摩擦が生じない、なんてことはありえない。ましてや集団化すれば、個人の冷静さなど無力化される。集団性が常に狂気する危険性を孕んでいるとすれば、社会から一線を画すのも一つの手かもしれない。戦争は明らかに狂気であり、平和ボケも別種の狂気である。グローバルな共通観念を押し付ければ、存在本能としての帰属意識を働かせ、社会嫌いや人間嫌いを助長させる。仮想的なつながりを煽れば、孤独愛好家を増殖させる。
まだ精神病患者が救われるのは、狂気を自覚できることであろう。いや、自覚した途端に死に追いやられるかもしれない。最も厄介なのは、歪んだ精神では狂気していることにも気づかないことであろう。理性と狂気は対立的に扱われるが、理性を自認する者が狂気を自覚できるだろうか?
人間が排他的論理を好むのは、自己が優位な領域にあると願っている証であろう。はたして、正気と狂気の境界はどこにあるのか?排他的領域は、精神病棟の鉄格子によって隔離される。もし、その境界が鉄格子だとしても、異常者を隔離するためのものか?純真な心を保護するためのものか?そして、自分はどちらの側にいるのか?真理を探求するには、隔離よりも調和の方に分がありそうだ。
未来への希望は、過去の悲劇との相殺によって、精神の平穏を保とうとするのだろうか?幸せな人ほど悲観論を語るのか?それとも、悲観的な出来事に馴らされてしまった結果なのか?極端な悲劇を体験をすると、笑顔を見せないばかりか喜怒哀楽までも失う。人は幸福過ぎても不幸過ぎても、やはり冷酷になるようである。精神分裂症が理性と狂気の分裂によって生じるとすれば、理性を知ることができるのは精神病棟の方かもしれん。
「宿命的に人間を無に帰していた、死というあの必然性の発見から、人々は、実在それじたいであるあの無を軽蔑のまなざしで観照する態度へ移ったのである。死というあの絶対的限界をまえにしての恐怖が、不断の皮肉のなかに内在化する。」

2. 慈善事業と信仰
富裕も貧乏も、幸福も不幸も、神のおぼしめしとするなら、慈善事業は成り立たない。激しい慈善事業の拒否は、ルターやカルヴァンにも認められるという。キリスト教が神に縋る消極的な信仰とされる所以である。慈善事業は、信仰的に行われるべきものではなく、法的に処理すべきものだという。基本的人権としての最低生活水準を、社会が規定すべきということであろう。慈善事業は一時的な支援に留まり、永続的な解決にはならない。宗教的な施しも貧困や悪徳を撲滅することはできない。ここに救済の難しさがある。
とはいえ、突如として発生する災害や災難に対して慈善事業はよく機能する。慈善はカトリックの信条とするところ。実際、キリスト教の多くの国々で、災害や戦争で孤児や難民が発生すると、その身元を引き受けようという意志を示し、感服させられる。他方、善意というものは、なかなかの曲者であることも否めない。拒否されると、せっかくの行為を!と反発を買い、悪意を拒絶すれば、見破られたか!と逆ギレされる。どっちに転んでも憤慨されるとなると、善意も悪意も有難迷惑な存在か。
多くの国で、道徳は宗教で教わるものという伝統がある。確かに、人間には信仰が必要である。だが、宗教に頼らなくても信仰は構築できるし、既存の宗教の胡散臭さを無条件で信じるよりは無宗教の方がましであろう。実際、宇宙論的立場から独自の信仰を構築している科学者も少なくない。感情論的なキリスト教を批判し、論理的に修正を加えながら独自なものにするキリスト教徒もいる。おいらは無神論者に極めて近いが、それでも宇宙論的な絶対的な存在のようなものがあると思っている。それを神と言うのかは知らんが、少なくとも宗教が呼ぶ神とは同列にしたくないだけだ。神が見ておられるから道徳を行うと言うのなら、神が見ていなければなんだってやるのか?人間の都合で神を具現化する方が、よっぽど神の冒涜であろうに。とはいえ、独自の神を構築すれば、これまた暴走を始める。結局、人間ってやつは、ご都合主義に染まるのよ。そして、みんな教祖様となって聖職者は貪欲な生殖者となりはてるのか...は知らん。

3. 臨床医学への意識
学問の傾向は、まずは現象を分類しながら、抽象化によって高められていく。対して人間の病状はというと、一人一人に特徴が現れ、治療法は個別に対応させる必要がある。そんなことは、心理学者よりも福祉現場で働く人たちの方がよく心得ていて、患者の癖や行動様式を事細かく記録する。人間観察では、抽象化よりも具現化に縋る方がよさそうである。学問と人間観察とでは、思考の方向が真逆にあるのか?いや、双方を調和させるべきであろう。精神性と論理性も、人間性と自然性も。ヘーゲルは、こう書いているという。
「ほんとうの心理的治療は、狂気が知性の点でも意志とその責任能力の点でも理性の抽象的な喪失でなくて、単なる精神の混乱であり、依然として現存する理性のなかにおける矛盾である。」
狂気の歴史とは、監獄の歴史でもある。監獄は、人道的とは反対で、人類愛的ではなく極めて政治的な手法である。だからといって、非人道性を非難するだけでは、社会秩序を維持することができない。道徳的治療では、労働こそが第一とされる。労働によって狂気に拘束力を与えるならば、それが最善となろう。だが、強制労働に頼れば、道徳を根付かせるどころか、むしろ反道徳を育てる。なのに、どういうわけか?有識者ほど狂人を拘束したがるようである。ボアシエ・ド・ソヴァージュは著書「組織的疾病分類学」の中で、こう書いているという。
「魂の病を治すことができるためには、哲学者でなければならない。実際、この病の起源は、病人が善と見做す、一つの事柄への激しい欲望にほかならないのだから、医師のなすべき義務は病人に、彼が熱望している事柄は表面的には善であっても実際には悪であるのを、明確な理由によって証拠だててやり、自分の誤りをさとるようにすることである。」

4. 自由の使い道
モンテスキューは著書「法の精神」の中で、ローマ人の自殺とイギリス人の自殺とを対照的に語っている。ローマ人の場合は、道徳と政治にかかわる行為で慎重な教育に基づく計画的な結末であるとし、イギリス人の場合は、一つの病気としして、こう述べている。
「イギリス人は、その決心をしなければならないどんな理由も他人には考えられないのに自殺する。彼らは幸福のさなかにおいても自殺する。」
また、法律でどんなに厳しく取り締まろうとも、やはり法の抜け道を探るもので、風土に根付いた意志を無視すれば、むしろ狡猾さを身につけることになる、といったことも語っている。本書にも似たようなことが語られる。
「イギリス人は商業国民を形づくっている。つねに投機に夢中になっている精神は、たえず恐怖と希望に左右される。商業の核心にある利己主義は、容易にねたみ深くなり、他のさまざまな能力に助けを呼びもとめる。」
こうした自由は、自然な自由とは程遠いものだと指摘している。それは、個人や組織の利害にまつわる自由で、人間精神と心情とにかかわる自由ではないという。現在でも、経済的に成功した国で自殺が増加傾向にある。それは、偽りの自由の代償であろうか?真の幸福の姿が見えなければ、自然に不幸に吸い寄せられる。そして、狂気を演じながら、本当に狂気するのだろうか?金持ちほど自由になれるとすれば、その社会は専制的となる。どんなに賢明な御仁であっても、自惚れが知性を曇らせ、理性をも失わせるのに、ほんの一瞬あれば事足りる。魂に加えられる激しい情念が、どんな理性的な人間をも、突如として凶暴で愚鈍な人間に変貌させる。人間は、常に恐怖心や不安感に苛まされる臆病な存在である。その重圧から解放された途端に、極端な本性を剥き出しにする。普段から自由を抑制された者ほど、その反動は大きくなるだろう。厳しい鍛錬の裏腹に、能力を人質にするのか?理性の自由独立は、非理性の場において解放されるというのか?ならば、狂気を崇拝する宗教があっても不思議はない。狂気は、愚かさの爆発でもある。そして、あらゆる受難の道を辿り、愚かさを崇拝するというのか?
「死が時間の側面における人間生命の限度であるように、狂気は動物性の側面におけるその限度であって、死がキリストの死によって神聖視されたのとまったく同様に、狂気は、そのもっとも動物的な面までも、やはり神聖視されたのである。」

2013-09-08

"法の精神(上/中/下)" Charles-Louis de Montesquieu 著

三権分立論で知られるモンテスキュー。その著書「法の精神」は、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に多大な影響を与え、いまや近代政治の骨格となっている。しかし、それだけなら興味を持つことはなかっただろう。なにしろ説教じみた話は嫌いなのだ。
注目したいのは、様々な政体や法律が風土と深く関わることを論じ、社会学や歴史学の領域に踏み込んでいる点である。そこには、慣習法が成文法となりうるための自然条件が語られている。宗教との関係を論じるあたりは、カトリック教に特別な地位を認めず、諸民族の宗教から相対的な地位を与えたとして批判され、1751年禁書目録に加えられた。こうした背景が、酔っ払った反社会分子には一際輝いて映る。これは、法律について語った書ではない。人間にとって法律がいかに自然本性的なものであるかを語った書である。
また、もう一つ興味を惹くのが... モンテスキューの思想をいちはやく批判したのが、ルソーだそうな。ルソーと言えば、教育者としての印象が強く、避けてきた領域であるが、いつの日か、この批判的な立場にも触れてみたい!... という気分にさせてくれる。
「私が共和政体における徳と呼ぶものは、祖国への愛、すなわち平等への愛だということを注意しておかなければならない。それは、決して道徳的な徳でもなければ、キリスト教的な徳でもなく、政治的な徳である。」

モンテスキューが生まれたのは、1689年。太陽王ルイ14世による絶対君主制が旺盛で、フランス革命はなお百年先のこと。一方、イギリスでは名誉革命が権利章典を結実させ、自由主義的な立憲政治の基礎が固まろうとする頃。政教分離の思想が明確に現れ始めたのも、この時代であろうか。
分類するとすれば、フランスはカトリック国、イギリスはプロテスタント国となろう。モンテスキューは、カトリック教には君主政がよく適合し、プロテスタント教には共和政がよく順応するとしている。もしくは、制限政体にはキリスト教がよく適合し、専制政体にはマホメット教がよく適合するとしたり、輪廻の教義については極端な善悪をもたすとして、真の魂の不死とは別物のような言いようで、切腹文化に至ってはどんな些細な罪でも死で片付けてしまい、もはや法すら機能しないとしたり、フランス人らしい苦々しい気高さを感じないではない。人間精神の本性が自由意志にあるとすれば、キリスト教が自由と最も相性がよく、人間社会に最も適合するということらしい。
しかしながら、自由や平等という概念ほど多くの解釈を与え、人々を惑わせてきたものはない。ヨーロッパでは西洋中心主義やキリスト教優越主義の全盛の時代にあって、その脱皮を図った作品に位置づけられるとしても、この程度で禁書にされるとは...よほど病んでいた時代なのだろう。そして、雄弁術に右往左往する21世紀の民主政治の有り様を見て... やはり数百年後に、よほど病んでいた時代と評されるのだろう。
「知識は人々を穏和にする。理性は人間性を高める。他方、人間性を否認させるものは、ただ偏見だけである。」

さて、権力分立の原理は、古代ギリシアの政体に現れ、既にプラトンやアリストテレスによってその構想が述べられている。真の徳の持ち主によって政治がなされるならば、どんな政治体制であろうが問題はあるまい。だが、自分の徳に自信を持った時点で、理性は崩壊へ向かう。プラトンは、真の愛智者を無知を自覚する者とした。政治家の資質でよく槍玉に挙げられるのが、道徳的節度の欠如である。彼らは、こぞって政治には金が必要だと主張する。権力に大金が結びつくと、誰もが盲目になるということを知りながら。これが人間の本性だとすれば、道徳的な人間を前提にした政治は、非現実的ということになりはしないか。毒を以て毒を制す!の原理に縋るしかあるまい。
「極端に幸福な人間も、極端に不幸な人間も、同様に冷酷になりやすい。修道士と征服者とがその証拠である。優しさとあわれみとをもたらすのは、中庸および幸運と悪運との混合のみである。」
過度に拡大された権勢に様々な制限を設けない限り、無政府状態と大して変わらない。自分の事がよく見える天才は、ほんの一握りしか存在しないだろう。政治家が中庸の道を避ければ、政治不要説が拡がる。モンテスキューは、良心や道徳だけで人間社会を構築することに限界を感じたのかもしれない。彼が問題とするのは、義務を強制するのではなく積極的に義務を果たすように仕向けること、人々が自然に律するように動機づけること、そんな手段となりうる法律を探求することにある。
人はみな欲望を持ち、弱さを持つ。だからといって、恐怖心や強迫観念で行動を抑制しようとすれば、すぐに行き詰まる。人間は生まれながらにして、平等に自由が与えられるのかは知らん。それを仮定してみても、自由を野放しにすれば、他人の自由を迫害する。自由は尊大であるがゆえに自惚れやすく、一旦手に負えなくなると、逆に自由を失い、奴隷的な社会となる。人間には、隷属することすら、すぐに馴らされる性質がある。それでもなお礼儀正しくいられるのは、自尊心のおかげであろうか。公共的自由と個人的自由を混同してはなるまい。だからといって、平等を崇めても同じこと。能力差は自然に生じるもので、個人に得手不得手があるから社会が機能する。公共的平等も同じく公共的な徳と結びつくものであって、バラマキ的平等と混同してはなるまい。
ところで、固定観念から完全に解放された者など存在しうるだろうか?真の自由人になれないのは、思惟する生命体の宿命であろうか?ならば、自由人とは、自らの自由を自ら制限できる者としておこうか。そして、法律だけで裁いてはならない罪がある一方で、法律では裁けない悪がある、ということを心に留めておきたい...
「アリストテレスは、ある時にはプラトンに対するその妬みを、またある時にはアレクサンドロスに対するその情熱を満足させようと欲した。プラトンは、アテナイ人の専制に対して憤慨していた。マキャヴェリは、その崇拝の的であるヴァレンチノ公のことで頭が一杯であった。トーマス・モアは、自分で考えていたことよりも、自分が読んだことのあることを多く語っているが、ギリシアの都市の簡明さをもってすべての国を統治しようと望んだ。一群の著述家は、王冠が見えないいたるところに無秩序を見出していたのに、ハリントンには、イギリス共和国しか目に入らなかった。法律は、常に立法者の情熱と先入観に出会っている。法律は、あるときにはそこを通り抜けてその色に染まり、あるときにはそこにとどまってそれと一体化する。」

1. 政体と原理
アリストテレスは、正しき国制を王制、貴族制、国制で分類し、それぞれの逸脱した形態を僭主制、寡頭制、民主制で区別した。モンテスキューは、「共和政体、君主政体、専制政体」の三つに分類する。共和政体は、人民の全体や一部が権力を掌握する形で、民主制も貴族制もここに含まれる。君主政体は、統治者が一人ではあるが、しかし確固たる制定された法律によって統治される形。専制政体は、法律も規則もなく、万事がただ一人の意思と気まぐれによって引きずられる形。そして、君主政体を動かすバネが名誉で、民主政体を動かすバネが平等だという。
また、宗教的観点から「制限政体」「専制政体」でも区別される。
さて、国事というものは、遅すぎても速すぎてもダメで、一定の動きで進むことが望ましいという。だが、民衆の動きは、いつも激しすぎたり、鈍すぎたりする。そこで、精神原理においては、人間本性的である羞恥心と嫉妬心を挙げ、これらに対抗するために自尊心を位置づけて、法律の在り方を論じている。しかしながら、これら三つの情念ほど荒れ狂うものはない。愛の濫用から生じる熱病のごとく。
「人間を治めるのは中庸であって過度ではない、と私はくり返し言いたい。」
民主政体では、いくつかの階級が自然に生じ、完全に平等とならないことが存続と繁栄をもたらすだろう。そこには、人間の多様性がもたらす原理がある。逆に言えば、階級の在り方が弱点となる。人間社会の多様性を認めるならば、他人が政体を押し付けていい、ということにはならないだろう。たとえ民主主義が人間社会にとって最善だとしても、多様な民主政体が生じていいはず。なのに、貧困国に欧米型の民主主義を押し付けるというやり方が相変わらず繰り返される。何もない所に形を見出すには、お手本があると助かる。だが、あまりにも道徳を崇めるがゆえに、風土によって育まれてきた価値観を見落としてしまう。政体を押し付けるということは、宗教を押し付けるのと同じことなのかもしれない。
また、政体の原理が健全であれば、悪しき法律も良き法律の効果を持ち、原理の力がすべてを導くという。政体の原理がひとたび腐敗を始めると、最良の法律もまた最悪の法律になると。確かに好転した共同体では、自然な秩序が生まれる。それは、会社の組織や仕事のチームにも言えることだ。国家が原理を少しも失っていない時には、良くない法律というものはほとんど存在しないという。ちょっとでも酷い法律が編み出されれば、国家が原理を失う兆候ということか。なるほど、法律の及ぼす効果が、国家の健康状態のバロメータにできそうだ。
「法律と習俗の間には、法律がよりいっそう公民の行動を規制するのに対し、習俗はよりいっそう人間の行動を規制するという区別がある。習俗と生活様式の間には、前者がよりいっそう内面的な振舞にかかわり、後者が外面的な振舞にかかわるという区別がある。」

2. 民主政治とソロン
民主政治を語る上で、アテナイに最初の民主政治をもたらした人物を無視するわけにはいくまい。ソロンは公民を四階級に分けたという。裁判役や役職を選ぶことのできるのは、生活にゆとりのある上位三階級。共和政体では、投票権を持つ者を区分することと投票の仕方が、基本的な法律になるという。まずもって公民会を構成すべき公民の数を決めることが大切である。そして、抽選による選出は民主政に相応しく、選択による選出は貴族政に相応しいとしている。しかし、抽選だけでは欠陥があり、無能者が選ばれる可能性が高い。そこで、ソロンは、文民的役職や軍職は選択によって任命し、元老院議員と裁判役は抽選で選ぶように定めたという。さらに抽選の欠陥を補うため立候補者の中からしか選ばれないこと、選ばれたとしても裁判役によって審査されること、しかも誰でも不適格者を提訴することができることを定めたという。本格的な民主政体だったようだ。2500年前にリコールの仕組みが配慮されているとは...
また、元老院や貴族団体が徒党を組む危険性を指摘し、投票が公開であることが共和政体の基本法律であるとしている。尚、キケロは、ローマ共和政の末期に投票を秘密にした法律が、没落の原因になったと指摘したそうな。ただ合点がいかないのは、人民の側は徒党を組む危険はないとしていることである。情熱をもって行動するからだそうだが、人間ってやつは何かと派閥やグループで集まり、その中で安住したがるもの。地元出身というだけで投票したり、有力者が推薦するだけで投票したり、挙句に利益供与のたかり屋となった後援会もどきが徒党と化す。こうした現象は、モンテスキューの時代には、まだ見られなかったのだろうか?
それはさておき、ソロンは、裁判機構においても巧みに権力の濫用を分散させているという。従来から寡頭的に存在するアレイオス・パゴス評議会や、貴族的な公職者の選出に対して、民主的な裁判所を設け、民衆に要職者を糾弾する権限を与えているようだ。民主政体では、人民が法律を作ることが基本となる。そのために多くの欠陥法が作られるだろうし、法律は常に実験に晒される。ローマやアテナイの共和政体が賢明だったのは、元老院の決定が一年間だけ法律の効力を持つこと、そして人民の意思によって永続的になったことだという。
歴史的には、有徳な君公が少ないというわけでもないらしい。むしろ人民が有徳であることが難しいという。確かに、隷属的な人間が有徳となることは難しいだろう。民主政体では、人民が元老院や役職者や裁判役から職務を略奪する時に消滅するが、君主政体では、個人が諸団体の特典あるいは諸都市の特権を奪う時に腐敗するという。その違いは、万人による専制政体か、一人による専制政体かぐらいであろうか。フランス革命時に生じた恐怖政治を予言していたわけでもなかろうが。正義が集団性の毒牙にかかると、これほど暴走しやすいものはない。徳が必要なのは、特に民主政体においてなのかもしれん。
「高官たちの偏見は、もとはといえば国民の偏見から始まった。無知蒙昧な時代には、たとえ最大の悪事を犯した場合ですら、人はそれについてなんの疑いももたないものであるが、光明の時代には、最大の善事をなした場合でも、人はなお心おののくものである。」

3. 連邦共和国と地方分権
共和国が小さな国家であるのは、その本性からきているという。大きな共和国では、共同の善が無数の考慮の犠牲にされ、例外に服し、偶然に依存することになると。小さな共和国では、公共の善はよりよく感じられ、よりよく知られ、公民により近くにあると。ここには、地方分権の意義が語られている。公共の善が濫用されやすいのは、大きな共同体ということか。古代ギリシアの栄華は、まさにポリスの連合体から生じた。
共和国は、小さければ外国の力によって滅び、大きければ内部の欠陥によって滅びる。おそらく、民主主義の機能しやすい規模というものがあるのだろう。モンテスキューの時代では、オランダ、ドイツ、スイス同盟が永遠の共和国とみなされていたそうな。すなわち、連邦共和国の形態である。ドイツとは神聖ローマ帝国のことだが、数々の自由都市と君公に服す小国とから成る混成国家。それは、オランダやスイスの連合より不完全だという。君主政体の精神は戦争と強大化で、共和政体の精神は平和と節度で、性格の違う両者が連合すると何かと弊害が起こりやすい。とりわけ、共和政そのものが民衆の共同体のような形態であるから、連合形態と相性がよさそうである。オランダ共和国では、他の州の同意なく勝手に他国と同盟を結ぶことができない。これは必然であり、ドイツにはそれが欠けているという。そもそも、連合する諸国家が同じ大きさだったり、同じような国力だったりすることは難しい。それでも、オランダ共和国では、投票権が各州に一票ずつで平等というところに意義があるとしている。古代ギリシアのポリス連合では、軍事的にはスパルタが、商業的にはアテナイが優位であった。
ところで、共和国が領土を侵さないとなれば、戦争を仕掛けるのは専制国だけということになりそうだが、それは本当だろうか?そして、共和国も君主国も、専制国と戦う羽目になるのか?だとしても、どちらが戦争を仕掛けたかとなると、互いに相手国のせいにする。法治国家であれば、民衆は自国の正義のためにしか戦争を容認しないだろう。少なくとも正義の名目がなければ。それでもなお戦争が起こるのは、民衆が専制国であることを自覚できないからか?なるほど、専制国であっても共和国を称す。

4. 三権分立の原理... 立法権、執行権、司法権
一つ...
「同一の人間あるいは同一の役職者団体において立法権力と執権権力とが結合されるとき、自由は全く存在しない。なぜなら、同一の君主または同一の元老院が暴君的な法律を作り、暴君的にそれを執行する恐れがありうるからである。」

二つ...
「裁判権力が立法権力や執行権力と分離されていなければ、自由はやはり存在しない。もしこの権力が立法権力と結合されれば、公民の生命と自由に関する権力は恣意的となろう。なぜなら、裁判役が立法者となるからである。もしこの権力が執行権力と結合されれば、裁判役は圧制者の力をもちうるであろう。」

三つ...
「もしも同一の人間、または、貴族もしくは人民の有力者の同一の団体が、これら三つの権力、すなわち、法を作る権力、公的な決定を執行する権力、犯罪や個人間の紛争を裁定する権力を行使するならば、すべては失われるであろう。」

5. 風土と法律
「悪しき立法者とは風土の難点を助長する者であり、良き立法者とはそれに対抗する者である」
法律が風俗と合わないために、法律の抜け道の方が慣習化されることが多々ある。現実に、同じ善意の行為であっても、社会によって評価が逆転し、裁かれることすらある。法律の偏重は民衆の心を偏重させるだろう。
さて、冷たい空気は身体の皮膚を収縮させ、より多くの血液を流そうとするため、寒い風土ではより多くの生気を持つ。そのために、北方民族は、勇敢で、勤勉で、自己の優越により多く意識を持つという。一方、暑い風土では臆病で、暑すぎる赤道近辺では怠惰になりがちだという。感受性においては、寒い地方では乏しく、温暖な地方においてより大きくなるという。オペラに対する感受性がイギリスやロシアよりもイタリアによく現われるのは、そのためだとしている。南方ほど道徳から遠ざかり、より激しい犯罪を増加させるんだとか。情熱を助長させて、美徳も悪徳も激情的になるんだとか。ほんまかいな?北方民族に勇気があるとすれば、戦争を好むのも、こちらの方ということか?しかし、古代ギリシアにしても、古代ローマにしても、地中海の温暖な地域に高度な文明を栄えさせ、北方まで勢力を伸ばした。後に北方民族に滅ぼされたとはいえ。
アジアに至っては、ヨーロッパのような安定した温暖地方がないとしている。インド人は、暑すぎるために本性的に勇気がないので、残虐で野蛮な習慣を持つと分析している。近年でも、嫁焼き!という慣習が指摘される。ノーベル賞経済学者アマルティア・センが問題提起した「喪われた女性たち」は国際的に反響を呼んだ。本書は、修道院制度が害悪を作り、暑さが度を越して修道僧で溢れ、瞑想に耽ることが怠惰へと向かわせるという。中国人には、よく整備された厳しい法律が機能する様子を語りながら、その反動かは知らんが、最も狡猾な人民を育てるとも言っている。日本人に至っては、どんな些細な罪も死で片付けられ、法律すら無力だとしている。切腹の慣習を指摘しているのだろうが、当時の西洋の価値観に照らせば、よほど異様な国に映ったと見える。ちょうど江戸時代にキリスト教徒が迫害され、その無節操さの批判も含まれているのだろう。
それはともかく、血液の流れ方は人間の気性に影響を与えるだろうし、気候とも関係するだろう。今でも、ラテン系は陽気で楽観的だとか言ったりする。そして、気候が極端だと怠惰になりやすいというのもあるかもしれない。暑すぎても、寒すぎても、ヤル気が出ん。着眼点は悪くないのだが...

6. 経済活動と法律
商業は破壊的な偏見を癒し、習俗が穏やかなところではどこでも商業が存在するという。確かに、商業活動は迷信的な慣習を解放してきた。一緒に商売をする二国民は、互いに助け合うのは必定。自然に生じる文化交流が、戦争リスクを軽減している。一方で、プラトンは商業活動が野蛮な習俗となることを嘆いた。商売に憑かれれば、人間行動や道徳観念までも取引の対象にされる。商業活動が横暴になると、それに対抗するかのように厳密な正義観念を生み、利益主義に陥らないようにという風潮が巻き起こる。尚、社会学者マックス・ウェーバーは、著書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、禁欲的な信仰心のあるところに資本主義が根付いたとした。なるほど、経済活動に対する規制が、道徳を具体化してきたということは言えるかもしれない。
「商業を花咲かせようと欲するすべての国では、現実的貨幣を用いるように、そして、これを観念的なものとしうるような操作を全く行わないように命ずる法律が、この悪習の根を絶つために極めてよい法律であろう。万物の共通の尺度であるものは、なににもまして、たえざる変化にさらされないようにすべきである。商売というものはそれ自体が極めて不確実であり、事物の本性に基づく不確実さに新たな不確実さを加えるのは大きな悪である。」
ところで、奢侈は資産の不平等に比例するという。富を分配する時、法律が各人に生存上必要なものしか与えないようにしなければならないという。それ以上を与えると、ある者は浪費し、ある者は蓄積し、ますます不平等を助長すると。これは基本的人権に関わる問題であるが、この最低水準を巡っては今なお論争が絶えない。生活保護を同じ受けるにしても、少しでも貯蓄して将来に備えるより、手持ちをすべて使い果たす方が厚遇されるとは、これいかに?予算がつけばすべて使わないと、次期には予算がつかないと恐れる官僚組織のように。
「一国が富めば、すべての人の心に大望を抱かせ、貧困になれば、すべての人の心に絶望を生じさせる。大望は労働によって刺激され、絶望は怠惰によって慰められる。」
誰でも一度は贅沢を夢見るだろう。少ししか儲けまいとあれほど欲していた者でさえ、やはり多く儲けたいと願う。経済が活発化すれば、国内に大企業が出現し、その大きさゆえに公共的な存在となる。君主政体においての公の事柄は、商人にとって胡散臭いものであるが、共和政体においての公の事柄は安全に見えるという。そして、大企業は君主政体には向かず、共和政体に向くとしている。専制国家については語るまでもないが、一つ付け加えるならば、隷属状態にある人々は取得よりも保持に努めるだろう。対して、自由人は保持よりも取得を優先する。自己の自由度を計測するには、何を取得しようとしているか?これを測ればいい。金に焦がれるか...地位に焦がれるか...知識に焦がれるか...教養に焦がれるか...すべてを諦めれば深刻な隷属状態に陥る。
また、商業を運命づけられた地域もあり、オランダがそうであり、マルセイユがそうであるという。そして、海岸の配置に加え、自然の恵みを補うために勤勉でなければならないという。一方で、肥沃な農業地に恵まれた地域では、それを維持しようと努めるために、質素な習俗が身につくという。尚、日本の鎖国政策への批判は手厳しいが、まったくだ。
「誰とも取引しないことに利点を見出すのは、自足しうる人民ではなくて、自分のところにはなにももたない人民である。」
同じ事が工業でも言えるだろう。天然資源に恵まれない地域でも、やはり勤勉でなければならない。大航海時代には、商業貿易が発展し、造船技術を進歩させ、貿易と付加価値の高い工業製品が結びついて国家財政を潤した。工業力が軍事力と結びついて世界制覇の野望を抱かせ、やがて、軍事力よりも経済力による世界制覇の時代へと移行していく。商業が盛んな国では銀行の役割が大きい。銀行は信用によって投資を拡大し、新たな価値基準を作る。流通と価値基準の双方を押さえるだけで、あらゆる商業活動を支配でき、生産者は隷属することになる。大商人は、金に物を言わせて貴族の称号を得て政治にも影響力を持ち、やがて工業者までもが商業者となっていく。本書は、銀行を奢侈のために機能させるのは、誤りであると指摘している。そして、アダム・スミス張りの貨幣を用いる理由と交換の意義が語られる。
「商業は、売買の場合には求めるものが最も多い国民の需要に比例して行われ、交換にあっては求めるものが最も少ない国民の需要の範囲内においてのみ行われる。そうでないと、後者は自分の勘定を清算することができなくなるであろう。」

7. 復讐と死刑制度
復讐心は、人間本性的な情念の一つで、最も理性を失う動機となろう。倍返しにしたいというのが人情であり、実際、残虐な皇帝たちはそうしてきた。
そこで、復讐行為に制限を与える法律を見かける。ローマの十二表法には復讐が規定された。怪我を負わせた者に対して、同じ程度の復讐が許されると。ハンムラビ法典には「目には目を歯には歯を」のような記述がある。江戸時代に仇討ちが合法化されたように、西洋にも決闘の法慣例があった。いずれも同等の報復まででチャラにし、報復が無限に及ぶのを禁じようとするものである。やがて、復讐と死刑制度は深く結びつき、合法的殺人と化す。被害者は、裁判官を復讐の代理人として見るだろう。
さて、ここで注目したいのは、二つの異なる法律をいかに比較するか、という問題を論じていることである。フランスでは偽証者に対する刑罰は死刑になるが、イギリスではそうではないという。だが、この点だけ比較して是非を問うても仕方がないと指摘している。関連する法についても議論すべきだと。
フランスでは犯罪人に対して拷問が行われるが、イギリスではそうではないという。さらに、フランスでは被告側から証人を出すことがないが、イギリスでは双方の立場からの証言を許すという。ここには違いがあるものの、双方において一貫性が見られる。
イギリスの場合は、犯罪人に対する拷問を認めないので、被告人から自白を引き出す望みは薄い。だから、双方から第三者の証言を必要とするため、死刑の恐怖によって証人を気おくれさせることはないという。フランスの場合は、法律によって証人を怯えさせることを原理とするため、検察側の証人しか聴聞しない。
確かに、どちらもそれなりに道理があるように思えるが、まったく性格の違う法律として規定されている。要するに、法律の是非を比較する場合、一つ一つの刑を比較しても意味がないということである。
しかし現在、死刑制度の是非だけが取り沙汰される。人道的か?だけを問えば、人が人の命を奪うことに抵抗のない者なんてごく少数派であろう。死刑制度の反対論者はひたすらこの点だけを主張する。だが、我が国における無期懲役刑は事実上、十数年で仮釈放が認められ、被害者の遺族の心中を察すると何とも言いがたい。はたして量刑は、死刑との境界で線形性が保たれているだろうか?近年、二十年を超える事例もあり、徐々に延びる傾向にあるようだ。死刑制度が廃止されれば、無期懲役刑の意味が相対的に重くなるのかもしれないが。いずれにせよ、法律とは理念とも言うべき総合的な観点から構築されるものであって、人道的な感情だけで一つの制度を規定できるものではないだろう。そして、一貫性のない法律が一つ紛れ込んだ時、すべての法体系に歪が生じる。
「不必要な法律が必要な法律を弱めるごとく、くぐり抜けるのが容易な法律も、立法を弱める。」