1960年代末、かの P. F.ドラッカーは、知識社会の到来、知識労働者の興隆、情報社会の高度化、グローバル経済の出現といった大変革からもたらされる未来像を描いて魅せる。それは、来るべくして来る断絶の時代か...
尚、上田惇生訳版(ダイヤモンド社)を手に取る。
「手動のトロッコは、ゲリラ戦で活躍する。後続の列車のために、レール下の地雷を見つける。本書は、このトロッコである。未来はゲリラ戦である。予期せぬことが脱線の原因となる。本書は、そうならないための警報を発する。まだよく見えないいくつかの断絶が、政治と経済と社会を変えつつあることを、いち早く知らせるために...」
断絶は、主に四つの分野に見られるという。
一つは、新技術や新産業の出現。同時に、今日の重要産業や大事業が陳腐化する。
二つは、グローバル経済の到来。今日でもなお、エリート官僚たちが打ち出す経済政策は、主権国家を単位に言語、法律、イデオロギーといったものを前提にしている。だが、来るべく経済社会は、そんな枠組みの意味をなくすであろうと...
三つは、社会と政治の多元化。現実を支配しているのは中央集権だが、この最大の組織である政府に幻滅が広がり、その能力が疑問視されると...
四つは、これが最も重要なこととして、知識の性格の変化。すでに知識は、資本、費用、資源など様々な意味を含んでいる。労働と仕事、学ぶことと教えること、知識の本質と使い方は変化していき、権力者の知識ある責任が新たな問題になると...
いずれも、21世紀の今、目の当たりにしているところ...
「本書は趨勢を予測しない。非連続の断絶を見る。明日を予測しない。今日を見る。明日はどうなるかを問わない。明日のために今日いかに取り組むかを問う。」
高度な情報テクノロジーが、誰にでも情報や知識を手に入れる機会を与えてくれる。となれば、あとは個人の問題。意欲ある者は、ますます知識を得、偏狭な者はますます偏狭になり、意識格差を増幅させていく。その結果、意識の多元化とはほど遠い、二極化が進む。最も深刻な格差問題は、経済格差よりもこの意識格差であろうか。最も重要なこととして四つ目に挙げている知識の性格の変化は、これに当たるのやもしれん...
発明の時代から起業家の時代を得て、創造する能力が問われる時代、組織のあり方が問われ、マネジメントのあり方が問われ、個人のあり方が問われる。科学や技術のダイナミクス、市場やイノベーションのダイナミクス、そして人間のダイナミックス、ますます知の用い方が問われていく。そうした中でドラッカーは、組織の病や政府の病を指摘する。
まず、組織リーダの責務として、社会に敏感であることと...
「組織とは、自らのために存在するのではない。組織は手段である。それぞれが、それぞれの社会的な課題を担う社会のための機関である。生き物のように自らの生存そのものを至上の目的とすることはできない。組織の目的は、社会に対するなんらかの貢献である。その行動の評価基準は、生き物とは違い、自らの外部にある。」
次に、マクロ経済に特化した近代経済学に苦言を呈す。経済発展の理論でイノベーションを強調したシュンペーター以降、進展が見られないと...
多元化社会では善玉も悪玉も必要だという。いや、善玉の越権行為の方がはるかに危険か。民主主義国家のあり方を再確認するには、権威主義国家や共産主義国家の存在にも、それなりに意味があるのやもしれん。
政治学には、「統治のくもの巣」なる言葉があるらしい。本書は政治の実態をフェルト化現象で説明する。
「歴史上、今日ほど政府が突出した存在になったことはない。1900年頃の最も独裁的な政府さえ、今日最も自由な国において税務署が日常行っているほどには、市民のプライバシーに踏みこまなかった。ツァーの秘密警察さえ、今日当然とされているほどの公安調査は行わなかった。1900年頃のいかなる官僚も、今日政府が企業、大学、個人に記入させているほどの数字の詳細は求めなかった。しかも政府は、あらゆる国において、最大の雇用主となっている。そして政府は、あらゆるところへ進出している。しかし、それは本当に強力なのか。たんに太って巨大になっただけ... まったくのところ、政府は病んでいる... この政府への幻滅こそ、今日の最も深刻な断絶である。」
組織や政府が当てにならないとすれば、あとは個人のあり方が問われる。一流の人材を育てるには、できるだけ多くの人間に教育を与えることだという。イタリアのルネサンスしかり、日本の桃山時代しかり、オランダのレンブラントやルーベンスの時代しかり... と。
大学は多様な人材を必要とする。博士号を重視し、狭い専門分野を研究することは、知識をないがしろにするという。そのような種類の人間も必要だが、それぞれの分野に少しいればいいと。
多様な人材という意味では、アメリカにその強みがあったが、本書が刊行された時代に知の流出に警鐘を鳴らし、マネジメントの必要性を強調する。それは、組織のマネジメントばかりか、個人のマネジメントも含まれる。
しかしながら、個人は集団の中に埋もれ、ソーシャルメディアに埋もれていく...
「権力を馬鹿にすれば、悪用される。組織の力は使わなければならない。それは現実の存在である。理想をもつ者がどぶに捨てれば、どぶさらいがそれを拾う。教育ある有能な者が責任をもって使わなければ、無能で無責任な者がその座に座り、権力を振るう。社会的な目的に使わなければ、自らの目的に使う者の手に渡る。せいぜいのところ、自らの臆病さのゆえに専制者となる者の手に渡るだけである。」

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