2015-04-01

まったく動かない時計と1日1分遅れる時計では、どちらが良い時計か?

あれは、ちょうど百年前の四月一日... それは、日差し麗らかな小春日和に珍しく、土砂降りでジメジメした長閑な一夜のことじゃった...
鏡の向こうの住人で、容姿端麗、理知でリッチな紳士が、腕組みをして思い悩んでいる様子。ただ、なぜか顔が赤い!?その御仁が申すには、でけぇツラした餓鬼を連れて冥府魔道を生きる浪人風情が、なにやら問いかけてきたという。

「ところで、其処許に尋ねたい。まったく動かない時計と1日1分だけ遅れる時計では、いったいどちらが良い時計であろうか?我ら親子、この問いに答えんがために冥府魔道に入り申した。しかるに、其処許のその目はありありと軽蔑の色を浮かべておる。先刻の女人はそうではなかった。真摯な瞳をしておられた。よいか!心して聞かれよ!
女人はこう申しておった... 1分ずつ遅れる時計は2年に1回しか正確な時間を示さないが、止まっている時計は1日に2回ずつ正確な時間を示す。したがって、止まっている時計の方がよい時計だと...
しかし、それが正確な時間であると、どうして知ることが叶うであろう。時計は始終同じ時間を指しているというのに...
あぁ、分からん!いかようにしても、分かり申さん!参るぞ巨大五郎! ~ ちゃん!」
... うる星やつら「第百鬼話、ダーリンが死んじゃう!?」より抜粋。

それでは、世俗邪道を生きる酔いどれ風情が、答えてしんぜよう...
人間認識とやらは、相対的な運動によって生じるもの。静止を感知したところで、周りの運動を基準にしながら静止を定義しているに過ぎず、いまだ人類は絶対静止なるものを知らぬ。
さて、時計とは、なんであろう?その定義について思慮すると、今宵も眠れそうにない。正確な時刻を示す道具とするならば、どちらも役には立つまい。だが、ちょいと視点を変えて、時の間隔を測るものとしたらどうであろう。例えば、湯を沸かす時、程よい頃に火を止めたいといった場合。動いているものであれば、なんとか役に立てそうである。
1日1分遅れるということは、再び正しい時刻を示すためには、長針と短針が共に整数周回分の遅れを示す時。長針だけでも、60日間(= 1日 x 60分)は狂いっぱなし。そこに短針がうまく出会う最も身近な機会は、720日後(= 60 x 12)に訪れる。つまり、約2年間で正規の時間と同期する計算だ。
しかしながら、1日をきっちり24時間で定義する必要が、どこにあろう。単位系が狂っているなら、別の単位系で定義し直せば良いだけのこと。結局、人文(じんもん)の都合で決まる。いや、天文(てんもん)の都合か。せいぜい言えることは、ある規則性が別の規則性と馴染むかどうかということぐらい。時間ってやつは、周期的な繰り返しに過ぎず、そこに何の根拠が求められよう...

一方で、人間精神とやらは、せわしい日常において静謐、静穏、静寂といったものに安らぎを求める。絵画や美術品には静の魔力が宿り、巨匠の手にかかれば、静の手段を持って動よりもはるかに動的な物語を語らせる。おまけに、心臓の鼓動が絶えず動いている俗界の生は、冥界の静に恋焦がれてやがる。人が死を恐れるのは、それが得体の知れぬ静止というだけのことであって、死への衝動はやまない。その証拠に、裕福な暮らしをしてもなお自殺しおる。あるいは、熱中したり、エクスタシーを得たりすると、時間が止まったようだ!と表現するのは、そこに真理が隠されているからかもしれん。
しからば、まったく動かない時計であっても、その静止の様にノスタルジックを覚え、癒される奴がいてもよかろう。いずれにせよ、道具を役立てるかどうかは、使い手の感性で決まる。

ここで、静止を再定義しておこう...
それは、相対的に自我と同化した状態、之即ち、ホットな女性の膝枕という神聖な地に脳の居場所を与えた状態なのじゃよ。
ちなみに、目の前にあるアバンギャルドな置時計は、書類が風で飛ばぬよう重石として重宝しておる。電池が切れて何年も動いていないというのに。地球儀を形取るボディラインと重量感が、妙に色っぽいのでごじゃるよ!
かくして俗界の酔いどれには、あぁ、分からん!いかようにしても、分かり申さん!
... ハーレム星のひめごと「第四十八手話、女王様にやられちゃう!?」より抜粋。

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