2020-09-06

"リア王" William Shakespeare 著

かの四大悲劇を、ハムレットの復讐劇、マクベスの野望劇、オセローの嫉妬劇と渡り歩けば、トリは老王の狂乱劇ときた。やはり歳は、トリたくないもんだ。
シェイクスピアに魅せられると、人生ってやつがいかに悲劇の連続であるか、そして、道化を伴わず生きてゆくことの難しさ、そんなことを再認識させられる。老いてゆくには、苦難を笑う奥義を会得せねば...
尚、福田恆存訳版(新潮文庫)を手に取る。
「年寄りになるのは、智慧を貯めてから後の事にして貰いたいものだね。」

四大悲劇の魅力といえば、なんといっても道化が登場するところ。真理を語らせるには、この世から距離を置くものの言葉が説得力を持つ。人間が語ったところで、言葉を安っぽくさせるのがオチよ。
ハムレットとマクベスは、この世のものとは思えぬ存在に操られ、オセローは現世を生きる安っぽい存在にしてやられた。道化は至るところで姿を変え、もはや、この世のものやら、あの世のものやら。
そして、道化の最高峰の作品が、この「リア王」。ここでは、現世を生きる道化役が堂々と道化を名乗る... この身はリアではない。こんな惨めな人間が俺であるはずがない。お前は誰だ。俺をよく知る者か。おいらはアホウ。爺様の影法師さ!... と。
人生なんてもんは、道化を演じながら生きているぐらいなものかもしれん。猿の仮面をかぶれば猿に、武士の仮面をかぶれば武士に、エリートの仮面をかぶればエリートに、サラリーマンの仮面をかぶればサラリーマンになりきる。あとは、幸運であれば素直に波に乗り、不運であれば生きる糧とし、いかに達者を演じてゆくか。
そして気づく。自我を救う唯一の道が、狂気であることを。悲劇とは、まさに劇薬。それは滑稽劇のことを言う...
「然り、その通り、お前さん、結構いい道化になれるぜ。」

さて、この滑稽劇の筋書きを綴ろうとすると、道化のヤツが熱くさせやがる。こいつは、シェイクスピアの分身か...
まず、ブリテン王リアは、二人の客、フランス王とバーガンディ公爵を招いて宣言する。三人の娘に領土を譲って引退し、最も孝心の厚い娘に最大の恩恵を与えると。老リアは、長女ゴネリルと次女リーガンのえげつない甘言を大いに喜ぶが、末娘コーディーリアの実直な言葉に激怒する。「愛情は舌よりも重い」とコーディーリアが沈黙すると、「無から生じるものは無だけだぞ!」とリアは言い放ち、勘当したのだった。フランス王とバーガンディ公爵は、コーディーリアを嫁に迎えようと競っていたが、勘当の身となれば持参金もなく、バーガンディ公爵は辞退し、フランス王はそれでも連れ帰る。
そして、王の権力と財産のすべてが二人の姉に渡った時、老王はますます老いていったとさ...
道化が歌う...

「親爺ぼろ着りゃ、子は見て見ぬ振り
親爺財布持ちゃ、子は猫かぶり
運の女神は、名うての女郎
銭の無いのにゃ、何で戸を開けよう」

長女ゴネリルがやってくると、道化が愚痴をこぼす...
「こいつは驚いた、お前さんと娘共とは一体どういう血の繋がりがあるのかね、あの連中は俺が本当を言うと鞭をくれる、お前さんの方は嘘をつくと鞭だという、そうかと思えば、時には、黙っているからといって打たれる事もあるがね。つくづく思うよ、何になるにしても、道化だけはなるものではないね、といって、お前さんになるのも御免だよ、おっさん、お前さんという人は自分の智慧を両端から削って行って、中身が何も残らなくしてしまった人だね。それ、そこに、削り落しの一かけらがやってくる。」

老王は娘たちに放り出され、道化とともに荒野をさまよう。
「墓の中にいたほうが、まだしも楽であろう... 人間、外から附けた物を剥がしてしまえば、皆、貴様と同じ哀れな二足獣に過ぎぬ。」

ここで重要な役割を演じるのが、忠臣ケント伯爵。彼はコーディーリアをかばって共に追放されるが、風貌を変えて別人を装い、老リアに再び仕える。だが、老いぼれには、ケントの忠節さえも救いにならないと見える。そして、リアの家来というだけで足枷を嵌められると、道化の解説付きという親切ぶり...
「は、は、は!ひどい脚絆があったものだ。生き物を繋ぐには急所があって、馬は頭、犬や熊は首、猿は腰、人間ならば脚と相場が決っている。殊にあちこちほっつき歩いて脚を使い過ぎると、必ず木製の靴下を穿かされるものさ。」

おまけに、リア王親子を投影するかのように、グロスター伯爵親子の滑稽劇を物語るという二重仕立て...
グロスター伯爵の庶子エドマンドは、父を奸計に陥れてグロスター伯爵の嫡子エドガーを勘当させ、領地を相続する。エドマンドは、次女リーガンの夫コンウォール公爵の目に留まり、召し抱えられる。グロスターは、リアの身を他人事とは思えず補助したために、リーガンの命で両目を抉られる。
そして、放り出されたグロスターは、自ら勘当したエドガーと、なんの因果か再会することに。愚かな盲目の父と、父の生贄になった乞食とは、妙に気が合うらしい。
「誰が言えよう、俺も今がどん底だ、などと... どん底などであるものか、自分から、これがどん底だ、と言っていられる間は。」
エドガーは、ドーヴァーの崖に父を連れ、その自然の景色を描写して聞かせる。盲目の絶望を弄ぶかのように。
父グロスターの思いは、この場で飛び降りて、死なせてくれ!といったところ。そこに、狂った老リアが合流する。
「今は末世だ、気違いが目くらの手を引く。」

老リアは愚かだ。そして、狂った。狂ったがために、王位という虚飾の中に人間存在の虚飾を見た。狂気とは、愚かの進化形か。
グロスター伯も愚かだ。そして、盲目にされた。盲目になったがために、真の人間存在を見た。盲目もまた、愚かの進化形か。
神は、狂人にしかまともな世界を与えんのか。盲人にしか真理を見せんのか...
「人間が虫けらの様に思われて来た... いわば気まぐれな悪戯児の目に留まった夏の虫、それこそ、神々の目に映じた吾らの姿であろう、神々はただ天上の退屈凌ぎに、人を殺してみるだけの事だ。」

ところで、この物語で踊らされているのは、男か、女か。実行犯は、ことごとく男ども。父を放り出すのが娘たちの夫ならば、グロスター伯爵の目をえぐるのも次女の夫。老リアが孤立した知らせを受けてフランス軍をドーヴァーへ派遣するのも、フランス王妃となった末娘の進言。男性社会などと息巻いている男どもをからかうかのように...
結局、フランス軍はエドマンド率いるブリテン軍に敗れ、リアとコーディーリアは捕らえられる。ゴネリルとリーガンは、夫そっちのけでエドマンドの男っぷりに惹かれる。ゴネリルは、あの人の事で妹に負ける位なら... と、リーガンを毒殺。わたくしが法よ...
そして、ゴネリルも自ら胸を刺して命を絶つ。こんなえげつない女がなんで自ら。女心は男には永遠に分からんだろう。エドマンドは二人の姉と誓い合った男。死者二人と婚礼を挙げりゃいい... とでも。
ゴネリルとリーガンの遺体が揃って運び入れられると、そこに、コーディーリアの遺体を抱いた老リアが入ってくる。コーディーリアは、獄中で絞め殺されたのだった。ついに老いぼれは、絶望のうちに死ぬ。
こうして、老リアと三人の娘は、死者となって再会したとさ...

最後に、ちと脱線するが... いや、筋書きだって結構脱線してるけど...
「リア王」をモチーフにした黒澤映画「乱」について、ちょっぴり触れてみたい。設定を日本の戦国時代に移し替え、王女三姉妹の代わりに武将三兄弟を登場させた物語である。そして、シェイクスピアが乗り移ったような台詞を道化に吐かせる。
「こいつはめでたい!狂った今の世で気が狂うなら気は確かだ!」
"In a mad world, only the mad are sane!"

本書の中にも、これに近い台詞を見つけることができなくはないが、これといって特定することは難しい。原文を読んだわけではないので何とも言えないが、むしろ、あちこちに散りばめられた道化の台詞を一言で表現すると、こうなりそうな。あの世で、シェイクスピアが黒澤明に座布団一枚!なんて言ってそうな。もしかしたら、シェイクスピアが他の場所で似たような言葉を漏らしたのかもしれないが、いや、乗り移ったような...
それにしても、道化の台詞を追っかけるだけで哲学できちまうんだから、おいらはイチコロよ...

「何と王様、狂うたか、アホウを相手に、いない - いない - ばあ」

「智慧の無い奴は、狂わぬうちに...」

「頭を突込む家を持つためには、まずその前に頭を持つ事だ。」

「逃げたヤクザは、アホウになるが、アホウは決して、ヤクザにゃならぬ...」

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