2017-07-23

"天才数学者はこう賭ける - 誰も語らなかった株とギャンブルの話" William Poundstone 著

博奕打ちとは、楽して金儲けをしよういう人種。そのために、情報収集に努め、賭け場を研究し、己の技を磨く。怠惰を求めて勤勉になるとは... 株式市場に参入する動機は、まさにこれ。今まで働いて貯めてきたお金を、今度はお金に働いてもらう。これが資産運用ってやつだ。自分自身に生産性がなくなれば、生産性のある者に投資する方が、社会的合理性に適っている。
では、株式市場は合理的であろうか?ほとんどの経済学者はそう考えているようである。ただ、合理的という言葉は、修正のきく言葉だ。カオス理論では、原理がほぼ合理的でも、ほんのわずかな不確定要素のために混迷となる現象を扱う。その結果生じる物理学的なブラックホールも、数学的なアトラクターも、一旦嵌まると抜け出すことが難しい。こうした数学的モデルは、青天井になる金銭感覚を忠実に再現し、欲望社会の混迷を如実に投影する。人間は、理は避けられても、偶然は避けられない。ならば、偶然をも味方にすれば無敵となろう。もし偶然を法則化できれば、数学は錬金術となる。無作為、無秩序、不確定... これぞギャンブルの醍醐味。人生もまた。そして、オケラの酔いどれ天の邪鬼は、ドスの利いた声でつぶやくのだった... 一人勝ちするのは悪い奴!ハコテンこそ美学さ!

理論的には株価に上限はない。それは、リスクもまた無限大であることを意味する。それでも、市場は長期的にはある程度合理的と言えよう。世界恐慌も、ブラックマンデーも、リーマンショックも乗り越えてきた。どうなに暴落しようとも、主だった株価指数がゼロになったことはない。最も危険なのは、レバレッジを賭けた場合だ。自分の財布と相談しながら賭けをやる分には大怪我をしない。これは最も単純なギャンブルの法則、小学生でも知っている。
しかしながら、元手が自己資本から他人資本へ移行していくにつれ、大人どもはこんな単純な法則までも忘れてしまう。最も高度な金融工学で教鞭をと執る経済学者や、ノーベル賞級の経済学者までも。大金が人を狂わせるのか?そもそも人間が狂っているのか?天才数学者たちの運命の分かれ目もまた、この最も単純なギャンブルの法則が境界面にある。株式市場は、経済学や金融工学という名を借りて、すこぶる立派な社会行動の場に見えるものの、やはりカジノの類いか...

本物語で驚かされたのは、あのクロード・シャノンが既に数学的方法論で株式投資をやっていたということである。情報理論の父と呼ばれる巨匠が。しかも、かなり成功していたとか。
情報理論は、S/N比を問う世界。情報効率の観点から「情報エントロピー」の概念を用いて、CPUの性能アップよりも帯域幅を節約することの方に注力する。株式市場もまたノイズの渦巻く世界。乱雑する情報からいかに有効な情報を抽出するか、投資戦略はこれにかかっている。
もう一人、注目すべき人物が紹介される。その名はジョン・L・ケリー2世、ベル研究所で二番目に頭が良いと評されたとか。すなわち、シャノンの次ということだ。彼が編み出した投資戦略は「ケリー基準」と呼ばれ、元手に対する賭けるべき割合の指標を与える極めて保守的な方法である。ケリー基準の大まかな枠組みは利益とリスクを均衡させる点にあるが、本書が「シャノン方式」と呼んでいる方法は、ケリー基準の特殊な形の「定率再分配ポートフォリオ」というシンプルなポートフォリオの最適化である。
そして、重要な計算法に「幾何平均」を持ち出す。平均といえば、普通「算術平均」を思い浮かべるだろうが、ユークリッド空間に投射する「幾何平均」という捉え方がある。ケリー基準の計算式は、幾何平均の最大化を目論み、破滅を避ける単純な方法を提示している。大雑把に表せば、「幾何平均 = 算術平均 - 分散の半分」の形。幾何平均は、必ず算術平均よりも控え目な値をとり、リスクがゼロの場合に同値となる。「平均分散分析」という方法論を提示したハリー・マーコウィッツも、著作「ポートフォリオ選択論」の中で、幾何平均の基準に大いに利点があると書いているという。リターンの幾何平均を投資に対する福利で計算した収益率、と捉えてみるのもいいだろう。
株式投資の分析法では、テクニカル分析とファンダメンタルズ分析、あるいは、バリュー投資といった考え方があるが、シャノンやケリーの戦略はファンダメンタルズ的な、あるいはバリュー投資的な思考に近い。世界恐慌を目の当たりにすれば、保守的な思考を重んじるのも頷ける。ウォーレン・バフェットが師と仰ぐベンジャミン・グレアムの投資哲学も、世界恐慌の経験から生まれた。
さらに、ケリー基準を先取りしていた人物にダニエル・ベルヌーイの名を挙げていることも見逃せない。そう、巨匠オイラーとともにピョートル大帝に招かれ、サンクトペテルブルク科学アカデミーで活躍した数学者だ。流体力学における「ベルヌーイ効果」でも知られ、株式市場のランダムウォークをブラウン運動的な捉え方をするのは、いかにも彼らしい。ただし、ここに熱力学の第二法則が成り立つかどうかは知らん...

一方、ベルヌーイ、シャノン、ケリーといった流れを否定した学派がある。意外にも、あのポール・サミュエルソンは、ケリー基準を否定したという。彼は、愛弟子ロバート・C・マートンにオプション価格を決定する難題を解くよう促す。そう、あの悪名高い LTCM の破綻で主役を演じた一人だ。マートンは、「ブラック=ショールズ方程式」の証明でマイロン・ショールズとノーベル経済学賞を分け合った。ショールズは懐疑的な投資家に向かって挑発的な言葉を放つ。「あなたのような馬鹿がいるから成功するのだ。」と...
確かに、ケリー基準が完全だとは到底思えない。だからといって... サミュエルソンの業績は、経済学に数学の視点を与えてくれた。彼の著書「経済学」は、いまや教科書的な存在である。とはいえ、これほどの権威がマートン側にいたとは... シャノンがサミュエルソンの言動に衝撃を受けたのも頷ける。

1. オッズとエッジ
カジノにハウスエッジがあるように、あらゆる賭け場にはエッジが存在する。いわゆる、寺銭ってやつだ。パチンコ屋で10%以上、競馬場で25%、宝くじで50%強、生命保険はもっと悲惨な率だという噂もある。つまり、賭け場の主催者が常に有利な立場にあり、プレイヤーは最初からマイナスのエッジをしょいこんでいる。オッズは仮の姿というわけだ。
銀行利息がいくら安全だとしても、インフレ率を上回らなければ最初から損失を抱えているようなもの。おまけに、微々たる利息にも一定の税率がかかる。株式市場も同じだ。取引手数料がとられれば、収益や配当にも税金がかかり、収益はそれ以上を見込まなければならない。それでも、プレイヤーのエッジは、他の賭け場に比べればはるかに有利か。いや、情報の非対称性は想像以上に重荷である。プレイヤーのエッジがわずかでもプラスを維持できれば、長期的には負けることはない、少なくとも数学的にはそうなる。ケリー基準は、エッジがマイナスならば、そもそも賭けるな!と言っている。

2. ケリー基準の原動力「大数の法則」
ダニエルの伯父ヤコブ・ベルヌーイは、ギャンブラーや投資家に誤解され続けた法則を発表した。「大数の法則」がそれである。この法則には期待値の存在が前提されるが、しばしば平均値と混同される。コインの表と裏の出る確率が 1/2 でも、1回目に表が出たからといって、2回目は裏の出る確率が上がるわけではない。それでも長期的にはエルゴート的であり、連続して表が出れば、そろそろ裏が出るだろうと勘を働かせることはできる。実際、ギャンブルで勝つためには確率以上の感覚が求められ、これがプレイヤーのエッジとなる。
では、勘ってやつに、どれほどの信用を置き、どれだけ身を委ねられるか?ここにギャンブラーの資質がある。短期間に全部すってしまえば、数学が定義する期待値とは大きく乖離した行動となる。
しかし、人生は短い!ここで勝負だ!そこで、自分の許容量を超えて仕掛けるのがデリバティブ。バフェットが金融界の大量破壊兵器と呼んだやつだ。リスク回避のために逆ポジションをとる手もある。ただ、ヘッジをかけるにしても元手を保証するための見せ金が必要となり、いずれ資金調達に迫られるだろう。こうしたものはあくまでも補助的な戦術であって、そもそもヘッジを不要とする戦略を用いたいものである。
大阪商人が始めた先物取引は、農作物が気候の影響を受けても予め米価を決めておくことで価格を安定させ、社会混乱を避けようとする仕組みであった。ところが今、デリバティブの方が主役を演じて価格変動を煽り、市場不参加者までも巻き込んで、時間と金、さらに才能までも飲み込む強力な重力場と化す。裁定取引が成り立つのは、市場が不完全であることの証拠だ。主要株は世界各地で上場しており、為替も常に変動し、同じ証券や同じ貨幣であっても、必ず差額が生じる。グローバル時代で世界各地の市場がリアルタイムでつながっているとはいえ、少しでも差が生じれば、サヤ取りの機会を与える。おまけに、HFT(超高頻度取引)によってナノ秒単位で決するとなれば、人間が悠長に考えている暇などない。本来、株式市場とは、投資の機会を与え、生産社会を活性化させようという場であるはず。だが、今日の主役はサヤ取りの方で、ゼロサムゲームと化す。株式市場を完全にするには無裁定の状態を構築する必要があるが、おそらく不可能だろう。
ケリー基準は、どんなに運が向いていても、賭け金が許容量を超えれば、長期的には破綻すると言っている。

3. サンクトペテルブルクの逆説
ダニエル・ベルヌーイは、兄ニコラウスが考案した架空の賭けを論文発表した。そう、「サンクトペテルブルクの逆説」である。
まず、硬貨をはじき、表がでるまで続ける。1回目に表が出たら金貨を1枚、2回目に出たら2枚、3回目なら4枚、4回目なら8枚を与えるとする。つまり、表が出る回数が1回増すごとに、金貨の枚数が倍になるというルールだ。
さて、このゲームの期待値は?最初に表が出る確率は、1/2 で金貨は1枚。2回目に出る確率は、1/4 で金貨は2枚。3回目に出る確率は、1/8 で金貨は4枚。4回目に出る確率は、1/16 で金貨は8枚... そして期待値は、各事象における確率の総和だから...

  1 x 1/2 + 2 x 1/4 + 4 x 1/8 + 8 x 1/16 + ....  = ∞

期待される賞金は、なんと無限大?利益とその確率の度合いが異なれば、いろいろな筋書きが描ける。ちゃんとした理性の持ち主は、このゲームを IPO(新規公開株)の期待値などとすることはないだろう。経済学には「限界効用逓減の法則」ってやつがあるが、これを思いおこさせる。
ダニエルは、この問題に富の効用は金額ではなく、相対的な倍率によって決まるという考えを持ち込んだという。金銭感覚は自分の財布との相対的関係であって、例えば、金持ちが道端で百円を見つけても通り過ぎるだろうが、貧乏人が拾うとハッピーになれる。つまり、富の増加によって生じる効用は所有財産に反比例するというものである。そこで、指数関数的な期待を相殺するための対数関数的な効用を考慮して、無限級数の各項を下方修正する。

  1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + .... = 1

すると、同じ無限級数でも行儀よく収束する。このゲームで期待できる金貨が1枚だとすれば、まぁまぁ妥当であろう。この無限級数は、ユークリッド空間に配置すると、一辺を 1 とする正方形となり、幾何学的投影という見方をすれば、幾何平均の考えに近い。
もっと高い水準に「至福水準」というのもあるが、いずれにせよ幸福の価値は金額だけでは測れない。価値観の違いとは、何に依存するかの違いである。そして、破綻を招くのは、その価値水準を超えて行動しちまった時だ。とはいえ、経済的な破綻は、まだましかもしれない。人間そのものを破綻させるよりは...

4. 人間は誰もがマーチンゲール人
巷で、よく揶揄される数学的方法に、「マーチンゲール法」ってやつがある。基本的な戦略は、負ける度に賭け金を倍額していく。次の勝ち分で全ての負けが取り戻せる、という誘惑に駆られ続けるという寸法よ。ただ、底知れぬギャンブル心理を、うまく数学的に表わしている。
ジョン・メリウェザーは、マーチンゲール人という噂がある。LTCM が10億ドルもの資金を集めることになったのも、この方法論に近い。いや、そのものか。ヘッジファンドの基本的な戦略は、ロングとショートを組み合わせたヘッジ取引である。
ちなみに、夜の社交場のポジションは、ショートヘアの小悪魔を指名し、ロングカクテルでまったりと攻略!
LTCM の事業の中心もまた、ロング・ショートを基本戦略に据えた収束取引。それはコンバージェンスを前提とした裁定取引である。同じ証券でも世界各地の市場で差額が生じ、その差額はいずれ収束するという前提で賭ける。理屈では、同じ証券なのだから価値も同じになるはず。そして、瞬間的な差額が大きいほど儲かるということになる。ただ、その差額は証券単位では微々たるもので、巨額な資金を投入しなければ大きな収益が見込めない。しかも、他人の資金を元手にすれば、途中でやめることもできない。まさに倍賭けゲーム!一旦マイナスに転ずると、ブラックホールに捕まるは必定。そして、IQ が平均して 170 もあろうかという大人どもの運命は、収束ではなく終息へ...
「ジョン・ケリーのリスク哲学の核心は、なにも数学を使わなくても述べることができる。どんなにありそうにない出来事でも、時間がたつうちにはっきりと起きるということだ。したがって、わずかでもすべてを失うリスクがあることを認める人は、いずれ実際にすべてを失うのだ。最終的な複利計算でのリターンは、太いしっぽに敏感に反応する。」

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