オライリー君の Hacks シリーズの中でも、ちょいと異質感あり。自分の心をハッキングし、自分の人生をハッキングする。自分探しの旅に終わりはないのか...
ちなみに、行付けの寿司屋の大将が言っていた。心を握ります!って。気色わるぅ...
本物語では、基本的な脳の構造から、視覚や聴覚などの感覚系、運動や推論といった思考系、そして、これらの機能が連携する様子を観察しながら記憶の果たす役割が考察され、さらに、人間関係における脳の働きが論じられる。
脳には、各部位に違う機能が備わっていることが、科学的に判明している。だが、どのように備わっているかは不明のまま。よく見かける論説では、「論理の左脳」、「直感の右脳」といった類いのものだが、そう単純ではない。部位に機能的な傾向はあっても、独立して機能するものでもない。脳の損傷によって失われた機能を、別の部位が補うといった症例もある。脳内の複雑なネットワークによる協調と補完は、まさに神秘!創造主は神だ!と信じるのも無理はない。
おまけに、脳が司令する意思には、二つのものある。意識した意思と、意識してない意思とが。しかも、その境界も曖昧ときた。意識した意思が言語化すれば、おそらくそれは自分自身の意思であろう。では、意識していない意思は、誰の意思か?聖職者が答えてくれる。それは神のお告げ... と。俗人も負けじと答える。それは悪魔のささやき... と。
脳というブラックボックスには、自我とは別に暗躍するヤツらも住み着いていそうだ。脳を操る黒幕どもが。それが、深層心理ってやつかは知らん。もしかして脳ってやつは、神と悪魔の共同作業でこしらえたものということはないのか。神と悪魔は、表裏一体ということはないのか。主観と客観の関係のような。ヤツらは、グルってことはないのか。やはり人間は人間らしく、ヤツら双方と距離を置き、中庸を生きるのが収まりがいい...
ところで、思考する知的生命体が、思い込みってやつを排除することができるだろうか。精神などという得体の知れないものに取り憑かれながら。主観に支配されれば、客観への憧れを妄想にまで膨らませ、科学する衝動を抑えきれない。
ちなみに、客観的に語ると宣言した有識者どもの主張が、客観的だったためしはない。無い物ねだりというやつか。
脳ってやつが、いかに幻想や錯覚を見せていることか。自我の安定を図るために。
巷では、感情を抑えるのが大人の態度とされる。だが逆に、これを存分に解き放ち、本音に耳を傾ける方が合理的ということはないだろうか。怒りも、悲しみも、憎しみも、喜びも... 感情のすべてを利用し、愚痴までも存分に吐き出して言語化する。小説家とは、そういう類いの人種では。内にあるものすべてを曝け出し、恥を忍んでまで表現力の限界に挑む。芸術家とはそういう類いの人種では。人がどうであれ、そんなことは気にもかけず、素直に自分の本心に従って行動する。これぞ自由精神の体現。Mind Hacks... とは、そういうことだと解している。
無意識の領域は、ことのほか広大だ。考えや記憶を植え付けるには、いろんな裏技がありそうだ。思い込みにも情緒あり。脳には、脳の持ち主ですら知らない人生があるのやもしれん...
1. レクリエーション神経科学
この手の研究は、「認知神経科学」という分野に属すそうな。「認知心理学」という用語なら見かける。情報処理的な観点から、知覚や記憶、言語操作や意思決定といった心理プロセスを研究する分野である。これに、脳科学を融合したような...
脳を一つのブラックボックスに見立て、外部から様々な情報や刺激を与え、反応の仕方や反応時間の変化を観察する。EEG(脳電図)、PET(陽電子放射断層撮影法)、fMRI(機能的磁気共鳴映像法)、TMS(経頭蓋磁気刺激法)といった手法を駆使し、脳の各部位の活動を可視化する。
すると、「人間は脳の 10% しか使っていない」などという神話も崩れていく。10% しか使っていないなら、90% はいらないってか。ただ、この手の神話は、人間の可能性とやらを夢見させてくれる。希望めいた可能性は、人の心を動かすが、同時に危険でもある。絶望と背中合わせで。それで、心に平穏がもたらされるのなら、これも精神的合理性というものか。合理性という概念も、ちょいと角度を変えて眺めると、多様な合理性が見えてくる。
本書は、一般人にも実践できる数々の思考実験の冒険へといざなう。尚、「マインド・ワイド・オープン - 自らの脳を覗く」の著者スティーブン・ジョンソンは、これを「レクリエーション神経科学」と呼んでいるという...
2. 複雑な脳のリレー構造と多重人格性
中枢神経系を眺めるだけでも、複雑なリレー構造が見て取れる。
まず、脊髄の二つの神経、感覚の情報を受取るレセプターと筋肉や分泌腺を機能させるエフェクター。脊髄のニューロンの束が脳に到達する脳幹。さらに、後脳、小脳、中脳、大脳へ。
後脳は、主に、呼吸、心臓の鼓動、血液供給量の調整を担い、自動的に働く。小脳は、学習や運動の制御で重要な役割を担う。
ちなみに、小脳は最も古い脳とされ、進化において最初に獲得したとも言われるそうな。
中脳は、後脳と前脳を中継し、人間の場合は小さくなっているが、コウモリなど中脳が非常に発達している動物もいるという。
大脳は、右半球と左半球に分かれ、さらに前頭葉と後頭葉に分かれて四つの葉で構成される。これらを覆う大脳皮質には様々な機能が部位的に埋め込まれ、人間が人間らしくいられるのは、この大脳のおかげである。
そして、無数の神経から発せられる大量の情報をニューロンが電気信号で伝達し、脳が活発になると血流も著しく増加する。脳の中では、絶えず電子の嵐が吹き荒れているわけだ。
ひとりの人間の身体は一つだから人格も一つと見てしまいがちだが、脳の複雑なメカニズムを眺めると、二重人格、いや、多重人格の方が自然な姿に見えてくる。脳疾患とこれにまつわる精神病とは、進化の過程を今まさに実践している状態を言うのかもしれん...
3. 左脳か、右脳か
一般的に、左脳は言語認識、分析推論、論理的思考などの役割を担い、右脳は身体感覚、空間認識、芸術性、創造性などの役割を担うとされる。
人間のタイプでも、左脳型と右脳型で分類されるのをよく見かける。左脳型は言語力や計算力に優れ、右脳型はひらめきやイメージに優れるとされたり、あるいは、前者は真面目で几帳面、後者は楽観的でマイペースと言われたり。
右脳と左脳は、常に情報交換しながら協調しあい、補完しあっているのは確かであろう。しかし、それだけだろうか。反目しあったり、邪魔をしあったりすることはないのだろうか。何事も関係を持つということは、そういうことであろう。精神分裂症の境界面は、このあたりにありそうな...
では、左脳と右脳の連携を、外部からコントロールすることは可能であろうか。脳というブラックボックスに対して、入力と出力の関係から考察してみる。
そういえば、脳の処理傾向を、指の組み方、腕の組み方、足の組み方といった、さりげない癖で診断する方法を見かける。指の組み方は脳の入力側で、つまり、物事を直感的に捉えるか、論理的に捉えるか。右の親指が上になると、論理的に捉える傾向にあるらしい。腕の組み方は脳の出力側で、つまり、物事を直感的に処理するか、論理的に処理するか。右腕が上になると、論理的に処理する傾向にあるらしい。足の組み方も、性格診断で用いられたりする。右足が上になる人は常識行動タイプで、左足が上になる人は大胆行動タイプとか。
こうした傾向は、犯罪心理学や営業心理学にも用いられる。対面した人の手足の動きを観察しながら。利き手が、右か、左かでも、脳の半球説で論じられるのを見かける。
さて、入力側と出力側で左脳派と右脳派を区別するだけでも、四つのパターンができる。物事を直感的に捉えて論理的に処理したり、物事を論理的に捉えて直感的に処理したりもするわけだ。直感だけに支配される脳も味気ないが、論理だけに支配される脳も面白味がない。
そこで仕事中に、脳内の思考回路を操作しようと、腕や足を組み替えて、すべての組み合わせを試すのだが... うん~... うまくコントロールできているかよう分からん。結局、人間の最も人間らしい行動は、気まぐれだ!という考えに落ち着いちまった。ちなみに、ダンディズムってやつは、右曲がりで演じるらしい...
4. 視覚の罠
視覚系は大きな謎である。物体の形や色を見分けるだけでなく、奥行きや運動までも感知し、身に降りかかる危険かどうかまで瞬時に判別する。目の網膜に当たった光だけを頼りに、あらゆる脳内組織が連携した結果として見える世界。それは真実の世界であろうか。
例えば、生まれつきの盲人が、青年になって手術を受けて視覚を獲得した際、映像は見えるようになっても、それが自分自身とどう関係するか、それが危険な状況にあるのか、といった判断がまったくできず、却って情報処理が負担になって精神病を患ってしまうという症例もある。
今、目で見ている映像は、経験的に関連性をもたせた結果ということか。つまり、脳が映像を作っていると。人間にとって、見たまんまというほど説得力のあるものはない。
となれば、視覚が正常な人ほど、映像で洗脳することも容易いということか。だから、深く考えようとする時には本能的に目を閉じるのだろうか...
現代社会は映像情報に溢れ、アニメーション効果も絶大である。4K に 8K と解像度は格段に上げっても、フレームレートは変わらない。NTSC 方式であれば、毎秒 30 フレームのコマ送り。人間の目は、このフレームレートで十分すぎるほど誤魔化すことができるというわけか。
高度な認識能力を持つ宇宙人は、こんなノイズだらけの映像を見ている生命体を不可解に眺めているかもしれない。だから、遠くから観察しながらも、近寄ろうとしないのかは知らんが...
人間の視覚系は、物体の動きに対して補間機能が自動的に働く。人間の心にとって、連続性はよほど落ち着くと見える。逆に、ノイズがない純真な世界は、心が落ち着かないのかもしれない。だとなると、ノイズにも一定の価値がありそうだ。人間ってやつは、真実が見えすぎると思い上がる性癖を持っている。真理を見る目を持つには、盲目の方がよさそうだ。
本書は、視覚を誤魔化す実験として、ブルフリッヒ効果、隠し絵、蛇の回転などを紹介してくれる。
ブルフリッヒ効果は、片目に着色ガラスを付けるなどして、左右の目に入る光量の差を大きくすると、直線運動する振り子が楕円運動しているように見える、といった現象のこと。視覚の認知機能は、アンバランスなサングラスがあれば、簡単にハンキングできるとさ。
隠し絵は、トリックアートの類いで認知心理学でもよく見かける。有名なものでは、「妻と義母」、「ルビンの壺」など。ここでは、「アヒルにもウサギにも見える絵」が紹介される。ただ、これらのダブルイメージは、同時に見ることができない。脳が、イメージに文脈を与えているということか。人間の脳は、二つの文脈を同時に解する能力に欠けるのか。ここでいう文脈とは、脳内で形成される一つの物語であり、思い込みと解することもできそうだ。
蛇の回転は、静止画像なのに、じっと見つめていると、なぜか動いて見えるというヤツ。その画像は「蛇の回転」でググれば、わんさとひっかかる。静止しているのに動いているというのも、思い込みの類いか。
となると、映像情報によって思考を促す、いや、思考しているように思い込ませることもできそうだ。
おいらの場合、仕事場でデスクトップ環境にも凝る。マルチモニタを 8 面に拡張し、背景、色彩、動画などの素材を組み合わせて。周波数スペクトルをアニメーションさせるだけでも癒やされたりするし、三角関数の動きにも何か感じるものがある。ピュタゴラス教団の信仰も、この感覚に似たものがあったに違いない。ただ、素材が調和しないと、逆に集中力が乱れる。視覚系と聴覚系の連携にも気を使う。視覚に調和しない BGM は、思考を邪魔する。
そんなこんなで、普段から思考を高めようとしているわけだが、効果があるかはよう分からん。それでも、気分よく仕事ができる。これこそ気分屋の思い込みであろう...
5. 思い込みにも情緒あり
思い込みは、どこから生じるのか。おそらく、心を持つ人間は、こいつから逃れることはできまい。人間は、あらゆる情報に因果関係を持たせようとする意識が働く。そして、多くの関連情報をひとまとめにし、総合的に捉えたり、構造的に理解しようとする。いわゆる、「ゲシュタルト原理」ってやつだ。学問とは、そうした立場であり、物事を理解する上での自然な感覚とも言えよう。
精神的には、物事を抽象化し、ひとまとめにして、それで分かった気になれる性質はありがたい。ただ勢い余って、無関係なものまで無理やり因果関係を与えようとする性癖も共存する。無関係にも程度があろうが、宇宙に存在するものが完全に無関係とも言えないか。なんでも関係性を持たせたいと思うのは、外界との関係を断つことを恐れているからかは知らん...
さて、思い込みという心理現象も、様々な関係性の意識から生じるような気がする。理解の過程には、思い込みがつきもの。天動説や地動説も、その類い。変化を嫌う現状維持バイアスが心理的に働くことも、現実から目を逸らす要因となる。真理の色は、ステレオタイプに簡単に染められるのである。
また、その日の心理状態によって、見えることがあれば、見えないこともある。見たことがないものを、見たことがあると思うことも。疲れている時に偽りの真実を見せるなど。デジャヴも、その類い。逆に、見慣れたものに未知なものを感じることも。脳のデータベースには、偽造の記憶で溢れていそうだ。いや、心ってやつが、記憶を取り出すときに捏造するのかも...
人間の脳には、情報の捉え方でも、一人称視点と三人称視点で都合よく使い分ける能力が備わっている。幸運に巡り合うと自分の努力を褒めたり、不運に見舞われると神のせいにしたり、まったくおめでたい。
ところで、コーヒーの味は、カップで変わるという。バーの薄暗いセピア色の雰囲気が、ピート香を引き立てるのも確かだ。こうした感覚は、コーヒーとカップが関係を持った瞬間に生じる。人間の脳は、様々な要素の関係性から物事を認識しているのは確かであろう。こうしてみると、思い込みという感覚も奥が深い。
しかしながら、世間は、思い込みを低級扱いする。特に、学問の世界では。思い込みを排除するのに、関係性を断つことも一理ある。
とはいえ、学問の場では、現象の原因、つまりは、関係性を追求しようとする態度を重視する。人間ってやつは、多くの関係性を持ちたいという欲求に飢えていそうだ。それでいて、思い込みを馬鹿にするとは。矛盾の最大の原因は、心を持つことか...
6. 独り言の効能
人類の進化を論じる時、ほとんどの科学者が言語の獲得を重要視する。まさに文化は、言語によって語られる。記号も図形もある種の言語、そして、美術作品も、建築物も、音楽も、はたまた、暗号も、方程式も... ある種の言語化。
しかし言語ってやつは、人と話をしたり、情報を伝達したりするだけのものではない。自分自身で思考するためにも欠かせない。言語は、様々な種類の情報を関連づけ、思考を促してくれる。他人に説明しているつもりでも、実は、自分自身に言い聞かせているということもよくある。
となると、独り言も、心のハッキングで利用できそうだ。自問や自省の役割は大きい。歴史を遡ると、多くの自省の名著にでくわす。啓蒙時代にあってはルソーの「告白」、ルネサンス時代にあってはチェッリーニの「自伝」、ローマ帝国時代にあってはアウレリウスの「自省録」、紀元前に遡ると、司馬遷の「史記」の末尾に「太史公自序」なるものが添えられる。いまだ人類は、人間自身を語り尽くせていないということか。偉人たちですら、独り言が不十分だったと見える...
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