「美術史の基礎概念」と題しておきながら、16 世紀の盛期ルネサンスと 17 世紀のバロックに対象が絞られる。この時代を注視すれば、近代美術の様式基盤がだいたい網羅できるというわけか...
尚、海津忠雄訳版(慶応義塾大学出版会)を手に取る。
美術の様式は個人の裁量にとどまらず、流派、地域、民族、時代など様々な角度から見て取れる。人間ってやつは、それだけ環境に影響されやすい動物だということだ。独自性や自立性を主張したところで詮無きこと。
ハインリヒ・ヴェルフリンは、美術様式の発展過程を五つの対概念で定式化して魅せる。線的から絵画的へ、平面的から深奥的へ、閉じられた形式から開かれた形式へ(構築的から非構築的へ)、多数的統一性から単一統一性へ、絶対的明瞭性から相対的明瞭性へ(無条件の明瞭性から条件付き明瞭性へ)... と。
いずれの概念も、従来様式の殻を破るかのように発展してきた様子が伺える。美術とは、まさに自由精神の体現!美術史に人間の情念遷移図を見る想い。芸術論とは、普遍的な人間学に属すのものなのであろう...
「人は常に自分が見たいように見ているのだとしても、このことはあらゆる変遷の中で一つの法則が作用している可能性を排除しない。この法則を認識することが、科学的美術史の主要問題であり根本問題である。」
人間は、刺激に貪欲である。斬新な手法に目を奪われるのは、いつの時代も同じ。芸術家は一層エゴイズムを旺盛にし、鑑賞者も負けじと新たな感動を求めてやまない。双方で高みに登っていこうというのか。いや、退屈病が苦手なだけよ。
芸術家たちは様々な手法を駆使して作品に息を吹き込む。あらゆる制約から解き放たれた瞬間、静的な芸術作品が動的な存在へ。ユークリッド空間で崇められる線や円の概念から脱皮して新たな空間感覚を刺激し... 陰影によって遠近法を際立たせたり、曲線に絶妙な歪を持たせてエキゾチックに演出したり、縁取りで存在感を強調していた主題を、境界線を曖昧にすることによって背景と同化させたり、主題の立ち位置が曖昧になれば、主役と脇役が逆転することも...
比例の概念までも歪ませれば、黄金比という数学の美へ導かれるのか。ダ・ヴィンチや北斎のように...
主題が自己主張を弱めると、逆に全体としての臨場感が増す。美術とは美の術と書くが、本物の自然物よりも、自然を模した人工物に感動しちまうとは。芸術美とは、激昂と静寂の調和のもとでなされる衝動と意企の駆け引き... とでもしておこうか。
そして、作品が雄弁に物語る術を会得すれば、もはや作者の手を離れ、作品自身が独り歩きを始める。コンピュータ工学には、マシンは意思を持ちうるか、という問い掛けがあるが、芸術作品にもそんな問い掛けが聞こえてきそうな。偉大な芸術作品とは、歴史の中で自ら独立墓碑を刻むものらしい...
「それぞれの芸術作品は一個の形成物であり、一個の有機体である。それの最も本質的な表象は、何も変更されたり、ずらされたりできず、すべてのものが在るがままでなければならない、という必然性の性質である。」
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