2026-05-17

"詩と認知" George P. Lakoff & Mark Turner 著

原題 "More Than Cool Reason: A Field Guide to Poetic Metaphor..."
シェイクスピアの言葉から引かれているらしい。これを「冷めた理性の及びもつかぬ...」と邦訳し、「詩と認知」との邦題を与えている。「冷めた理性の及びもつかぬ...」を主題に、「詩と認知」を副題とした方が、隠喩が利いているような...
尚、大堀俊夫訳版(紀伊国屋書店)を手に取る。

言語学には、「認知的隠喩論」なるものがあるらしい。詩ってやつは、想像力や思考力を掻き立てるメタファーであり、道徳的、社会的、個人的な問題意識を高める手助けになると...
また、本書には、シェイクスピア、ダンテ、ミルトン、キーツ、エリオットら、あるいは、聖書やサンスクリット恋愛詩が鏤められ、原題にあるようにメタファー・ガイドブックにもなっている。

 Because I could not stop for Death...
 He kindly stopped for me...
 The Carriage held but just Ourselves...
 And Immortality.

 佇む死を待てずにいると...
 かれは私のために立ち止まってくれた...
 客車には私たちと...
 永遠だけが乗っていた。
 ... エミリー・ディキンソン

「冷めた理性」とは、客観性に裏付けられたもの。これに「及びもつかぬ...」とするところに、客観主義への批判が込められる。
かつて、科学でなんでも解決できると豪語された時代があった。だが現在、あらゆる学問分野で科学的分析が進みながらも、客観主義、機械主義、構造主義、物質主義... といった主張だけでは限界を感じる。
そこで、心の本質的な営みを詩的隠喩に求めるのが、言語学者ジョージ・レイコフと文学理論家マーク・ターナーの試みである。人間精神の合理性を、客観性と主観性の調和に求めて...

「隠喩を研究することは、精神と文化のかくれた面に向い合うことである。詩の隠喩を理解するには、慣習的な隠喩を理解することから始めなければならない。それはとりもなおさず、ある世界観の存在、想像力に加わる制約、そして日常の出来事を理解する上で隠喩の果たす重要な役割を知ることに他ならない。これはそのまま詩の隠喩がもつ力の核となる。なぜならわれわれの日常的な理解の根底を認識し、新たな様相のもとに経験させるのが詩のはたらきだからである。」

隠喩ってやつは、日常的に広く使われるだけに、却って気づかぬところがある。自明であれば、その奥底にあるものを見落としがち。
一方で、生や死といった概念に時の流れが結びついて、人生観を暗示する。人生は旅路、人間は旅人、生は奴隷、死は自由、死は安息の場、死は人生の帰結... などと。生命体は、時間軸上で死を運命づけられている。だからこそ生の虚しさを想い、死の果敢なさを想わずにはいられない。

「時は全てを運び去る。心までも...」
... ウェルギリウス

詩の特徴は、なんといっても音調をともなって、人の心に言葉を刻み込むこと。気分を乗せるには、リズムが重要だ。諺、格言、名言といった文句も、音調がともなって訓示や戒律となる。これらの音調には隠喩が媒介し、それゆえ人は言葉に動かされる。
しかしながら、詩を理解するには、それなりの知識がいる。隠喩を味わうにも、それなりの経験がいる。そうでなければ感じることもできず、いったい何が言いたいのか?などと最低な感想をもらす。「盲人はドブに文句をつける」とさ...

言葉の認知は、存在意識と強く結びつく。詩や隠喩に有難味を感じるのは、認知対象の存在を意識しているからであろう。
そこで本書は、「存在の大連鎖」という説を論じて魅せる。
この大連鎖を関係と解するなら、キェルケゴールにも通ずるものがある。彼はこんな言葉を遺した... 人間とは精神である。精神とは自己である。自己とは自己自身が関係するところの関係... すなわち、自己とは自己自身にまつわる関係... さらに、関係の、関係の、関係の...  と。
相対的な認知能力した持ち得ない知的生命体は、他との関係から自己を認知するしかないだろう。関係においてのみ存在意識が成り立つとすれば、人間は依存地獄を生きる他はない。

人間の定義を言葉に頼ると、人間は動物である、生物である、物質である.. と自然界における地位がどんどん押し下げられ、存在そのものが曖昧になっていく。パスカルの言葉に「人間は考える葦である」というのがあるが、隠喩を用いれば高尚さを装うこともできよう。曖昧さを抽象化の概念で包み、崇高な宇宙論とすることもできよう。身体的に、生物的に、本能的に、そして理性的に... と辿り、物理的な存在から精神的な存在へ昇華させることもできよう。隠喩の大連鎖は、因果関係を崇高な意識へ高めていく。

しかしながら、巧妙な言葉は、しばしば強烈な自意識を覚醒させちまう。自己啓発から自己実現へのプロセスは、自我を肥大化させ、自惚れから自己陶酔へ。隠喩で語られる精神ってやつが、どれほど偉大かは知らんが、御用心!御用心!

「狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おほし...
生命に至る門は狭く、その路は細く、之を見出す者すくなし...」
... マタイ伝福音書 7:13-14

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