久しぶりに嵌ってしまった。著者はノーベル賞物理学者であるが、この世界を覗けば日々の出来事が馬鹿らしくなる。真面目なのか?冗談なのか?その按配が絶妙である。まったりとして、それでいて癖がない。濃厚なマイルド感。なんとも気持ちのええカクテルである。徹底した探究心と根気。子供の頃から結果よりもその過程の方がおもしろかったと語っている。これぞプロフェッショナルの真髄かもしれない。科学者の書籍というものは、その辺の哲学書よりも深い哲学を感じる。本書は1986年に刊行されている。おいらは学生時代だ。もっと若いうちに読んでいたかったと思う反面、当時ではそれほど酔えないかもしれない。どんなに素晴らしい酒も、味わうためには、それなりに心の準備が必要である。こうして昔の書籍をあさっていくのも悪くない。では、数ある中で泡立ちの良さそうなところを摘んでみよう。なぜか?って。そこにビールがあるから。
1. 脳の視覚部門と感覚部門のつながりについて分析した時の話。
「僕が夢を観察した一つの理由は、目を閉じていて、何も外界からの刺激が無いとき、いったいどうやって人の姿などのイメージを夢の中で見ることができるだろうということに、非常に興味を持っていたことに始まる。」
絶えず眠りにつく時の自分を観察しようと努力したとある。
この発想で、おいらは大学時代を思い出した。講義中、寝てる時に自分の意識を自覚しようと努力したことがある。そして金縛りになった。皆からは良く笑われたものである。金縛り中、頭元に霊が存在するかのような感覚に陥って初めは恐怖を感じるが、慣れるとおもしろい。そして、力が抜け過ぎて金縛りになれなくなった。楽しみを一つ失うのである。
今では、医者から処方してもらった睡眠薬を飲んで、眠くなった状態でどこまで長く起きていられるか。という遊びを覚えた。楽しみを一つ増やすのである。
2. 「本質的対象とは何か」という哲学的議論をした時の話。
彼は「電子は本質的対象か?」という質問から始める。そもそも「本質的対象」という言葉を理解するところから始めたかったわけだ。
実は電子とは仮説なのだ。これが自然のしくみを理解する上で、ほとんど実在しているというぐらい便利なものである。そこで、理論上の構成物を本質的対象と考えるかという質問から始める。すると、あーでもないこーでもないという議論に発展して、哲学ではありがちな混乱で締めくくる。
結局「本質的対象」とは何かという定義すら誰も理解していなかったというオチだ。これでは、深夜の討論番組「朝まで生ビール」である。
3. 原爆の話。
著者がノーベル賞物理学者なので、このエピソードは外せないだろう。ロスアラモス時代、マンハッタン計画に参加した頃、数々の有名人に囲まれた会議の風景を物語る。つまり原爆を作る会議である。ここでは少々長いが、印象に残ったのでそのままの文章を引用する。
「誰か一人が意見を述べると今度は違う者がそれに対し異なる意見を説明する。という形で進行する。そこで気になるのが、最初に意見を言った人間が繰り返し強調しない。この会議のメンバーは皆それぞれに新しい事実を考えに入れて実に様々な意見を発表しながら、一方でちゃんと他の連中が言ったことを覚えている。しかも最後には一人一人の意見をもう一度繰り返さなくても、それをちゃんとまとめて誰の意見が一番良いと決めることができるのである。これを目のあたりに見て僕は舌を巻いた。本当に偉い人とはこういう連中のことを言うに違いない。」
目的意識が完全に共有できた賢者の会議というものがひしひしと伝わってくる。
一方で、外部との情報のやりとりに検閲が入る不自由な環境において、夫人への手紙で、わざと暗号っぽい数字を並べるなどのいたずらをしたことなどは微笑ましい。また、夫人もわけのわからないアルファベットを並べた手紙を書いたりと、よくできた女性のようだ。下手すると反逆罪で捕まる緊張感のある時代にこうした冗談がやれる人間性は洒落てるのである。
また、原爆実験が成功した時、皆が興奮して喜んだ中、開発者の一人が「どんでもないものを造ってしまった」と言ったことに対して、無我夢中で働いてきて、考えるという機能が停止してしまっていたことを語っている。数学者フォン・ノイマンの「今生きている時代に責任を持つ必要はない」という忠告で「社会的無責任感」を感じるようになり、それ以来幸福な男になった。と言っているが、悩み悩んだ照れ屋が無理に語っているように思える。
4. 優雅なバー「アリバイ・ルーム」での話。
アル中ハイマーとして反応しないわけにはいかない。
ある常連客がミルクを注文する。この客が胃潰瘍であることを皆が知っているから哀れむ。これを見て、彼は次からコーラを注文し、つまらなそうな顔を作ってみせた。すると他の連中がたちまち彼をとりかこんで同情しはじめたという。
試しに、おいらも行付けのバーでやってみた。しかし、殺人カクテルが出てきた。ちなみに、このバーでオーダーが通った試しがない。
また、女性を口説く手ほどきを受ける。基本法則はこうだ。
「男は紳士と思われたいのが普通だ。礼儀知らずの野暮な奴と思われたくないし、ことにケチと思われるのが一番こわい。女の子達はこれを見抜いているから、思い通りに操られるというわけだ。よって、どんなことがあっても紳士であってはいけない。女の子を頭から軽蔑してかかること。しかも第一のルールは、女の子に決して何も買ってあげてはいけない。」
おいらは、ベロンベロンと、うぬぼれのデュアルバイアスがかかっているので見事に操られる。
かつて、女性から「ハイヒールを忘れたから買っといて!」というメールを受けた。
さっそく、おいらは夜の社交場近くのヒール店に一人で恥ずかしそうに入った。
どれを選んでよいかわからないので少々悩む。店員は真剣に選んでいると思ったのかもしれない。
「これなど、いかがでしょう!今人気がありますよ!」と近寄ってくる。おいらは、即座に逃げたかったが、いちおう色の好みだけは伝える。そして、「すぐに使うから包まなくていいよ!」って言うと、店員から「お客さんが履かれるんですか?」と止めを刺される。おいらにオーラでもあるというのか?「女の子に決して何も買ってはいけない」という教訓が身にしみるのである。
本書は、他にもたくさんのエピソードがあり、全てに突っ込みを入れたいが、今日はこのぐらいにしといてやろう。ただ、出てくる話はトップレスの店やら、バーでの出来事など、ただのスケベおやじである。ノーベル賞物理学者ってこんなもんかあ。妙に親しみを感じる。
まさしく馬鹿と天才は紙一重である。アル中ハイマーは前者であるという証明である。
おいらもそれなりに人生を楽しんでいるつもりであったが、楽しみ方が足らないと反省するのである。こういう本に新鮮さを感じるということは、おいらの根は真面目過ぎるのだ。
おっとくしゃみが「ヘークション!どこぞの女が俺の噂をしてやがるぜ!」
とドスの利いた声でつぶやくのである。
ここで、本書とは関係ないがロスアラモスでの出来事を追記しておこう。
かつて、相対性宇宙論の世界会議がロスアラモスで開催された。
アル中ハイマーは「重力場における時間の歪と相対性理論による実証」と題して論文を発表した。
「ホットな女性と一緒にいると時間が短い。そうでもないと時間が長い。オーラとは、重力による空間の歪であり、時間は美貌の波長に左右される。」
もちろん、オッペンハイマーの目に留まったことは言うまでもない。
オッペンハイマー&アル中ハイマー、なんとなく語呂合わせが良い。こうして記念に造られたワインが「ハイマースハイマー・ロゼ」である。このワインは、市場の不完全性パラダイムを体系化したハイマー理論に基づいて製造されたため、激辛と強烈なつんとくる酸味からは信じられない、濃厚でボリュームたっぷりの甘味を醸し出す。
また、会議のあまりの盛況ぶりに、どこかで噂を嗅ぎつけたクラブから、桜祭りの招待状が届いたことを付け加えておこう。アル中ハイマーはクラブ活動にも余念が無い。
すっかり、意気投合してしまったオッペン君は、カクテル「アトミック・ボンブ」を一気に飲み干した。そして、実証実験と称して「もう1軒行こう!」と言い出した。
おいらも、つい口癖で応酬する。「しょうーがねーなあ!」
以上。19XX年4月1日の出来事である。
2007-04-01
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