では、学校の教材や参考書が悪いのだろうか?本書は、そうではないと指摘している。日本語の達者なアメリカ人のエピソードでは、日本の学校教育のように要領よく教えれば、文法的に酷い間違いをするアメリカ人も減るだろう、と言ったとか。それで成果は?と問えば、一言もない。楽しんで参考書を読んだなんて記憶はまったくないし、一時的な入試対策では卒業とともに廃棄してしまった。手段ばかりに目を奪われ、本来の目的を見失っていた典型である。そして、最初から教材探しに翻弄する羽目に...
あのシドニーシェルダンのオーソン・ウェルズが演じるシリーズを購入したのは、二十年前になろうか。そぅ、ドリッピーだ!英会話学校へ通えば、外国人講師から broken english を勧められる。最初から完璧に喋ろうとしても言葉が出てくるはずもなく、もっと人生楽しもうぜ!ってな具合に。ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」を題材とした英会話講座に参加すれば、いい歳こいたオヤジが学生に混じって、いまさらアリスもないだろう!と恥ずかしい思いもしたが、実に楽しかった。習うより慣れろ!とは、プログラミング言語と同じ。
そんなおいらだって、そこそこ喋れるようになった時期がある。だが、使わないとやはり衰える。いまだに外国人の前ではジェスチャーが多く、失語症のような感覚に見舞われる。老齢化って言うな!英語で失敗し、恥をかくこと幾度と知れず。どうやら英文と戯れることを、またもや忘れかけているようだ。
本書は、英語再入門のための指南書である。具体的な活用事例として、小説の retold 版を紹介してくれるのがありがたい。著者行方昭夫氏には、サマセット・モーム小説の翻訳で魅せられた。小説と戯れるような感覚で英語長文に触れられれば... この感覚こそ、解読術ならぬ快読術!それは、速読術ならぬ速愛術のようなものか...
言語習得に、単語と熟語、文法、文章読解という三つの力を鍛えることは、いつの時代も変わらない。ただ、英語と日本語は物理的に周波数帯が違うわけで、巷を騒がしている「聞き流すだけで...」といった宣伝文句にも一理ある。
一方で、海外留学をすれば、すぐに身につくというものでもない。却って大量な英語に圧倒されて引き篭もってしまい、そのまま帰国するケースも珍しくない。結局はコミュニケーション能力が問われる。
いずれにせよ学習法は千差万別。自分にあった方法は、いくら遠回りをしても自分で見つけるしかあるまい。具体的な生活の場で会話を訓練すれば規則も自然に身につく、という考えもあろう。実際、英語圏の国では子供でもすらすらと喋っているし、日本人の子供だって立派に日本語を操る。
では、子供と大人とでは何が違うのか?少なくとも、いい大学に入りたい、いい職業に就きたい... などという脂ぎった動機は持ち合わせていないだろう。母親に相手にしてもらいたい、単に興味がある... といった純真な心から発しているように見える。大人どもは、知識でも、技術でも、なんでも手っ取り早く身につけたいと考える。他人の知識や経験を活用し、自分だけは損をしたくないと考える。労力最小の原理に取り憑かれているのだ。人間ってやつは、経験を積んでいくうちに、面倒くさがり屋になっていく動物のようである。
昔から、数ヶ月で英語がものになる!といった宣伝文句を見かける。だが本書は、あえて、じっくりと長文を味わおう!という視点から、英語学習の明るい面を強調してくれる。とはいえ、長文と戯れるのは、やはり骨が折れる。読書体力を養わねば... それは英語に限ったことではない。
1. 誤訳について
日本語と英語では系統があまりにも違うだけに、熟練した翻訳家であっても誤訳はつきもの。そもそも、日本語で会話していてもよく勘違いはするし、客観性を保つべき法律においてすら解釈をめぐってしばしば論争になる。それは、言語システムの特性と言ってもいいだろう。言葉が精神の投影だとすれば、精神を完全に解明されていない今、言語システムには曖昧さがつきまとい、その柔軟性が進化をもたらす。弁証法ってやつは、永遠に廃れることはあるまい。しかも、言語は時代によっても変化し、社会風習との結びつきが極めて強い。
ただ、真のグローバリゼーションな社会であれば、なにも英語にこだわることはあるまい。いまだ人類は、絶対的な言語システムを編み出せないでいるのだから。どんな言語にも長短はある。古代には、ギリシア語世界、アラビア語世界、中国語世界があった。禅の伝道者は、真の数学を追求したければラテン語から学べと説くだろう。ユークリッドは原論をギリシア語で書き、後にアラビア語からラテン語に翻訳された。ニュートンはプリンキピアをラテン語で書いた。太陽王ルイ14世の時代には、知識人はこぞってフランス語かぶれになった。現在、英語が主流となったのは、ナポレオン戦争や二つの大戦の結果だけがそうさせたのではあるまい。大航海時代の宣教師たちの下地があってこそ。
言語に群がる特性は、政治や経済の力関係だけでなく、学問分野や専門職業との深い結びつきがある。英語圏の国は意外と少なく、公用語であっても主要語になっていない国も多い。ヨーロッパ大陸では、ドイツ語、フランス語、スペイン語の方が実用的かもしれない。
そして、多様性という人間の特性を存分に発揮し、翻訳界はますます活況となろう。第一外国語だけでなく第二外国語を学ぶ意義は、言語の長所と短所を互いに認識させることにあるのだと思う。実際、原作者が翻訳版からヒントを得て、改訂版に反映させるというケースもよく見かける。逆に、翻訳が酷すぎるために絶版に追い込まれるケースもある。せっかくの原書を台無しにする罪は重い。解釈をめぐる批判は、人間の多様性を相手取るだけに一筋縄ではいかない。
ぶっちゃけた話、意図的に非難しようと思えば、どんな優れた訳書でも、あたかも間違いだらけのような印象を与えることはできるのだそうな。批判ってやつは、よほど良識をもってやらないと意地悪や難癖となる。ド素人から見れば、専門家レベルの誤訳指摘は五十歩百歩という気もしなくもないのだけど。ただ、日本語力の違いをまざまざと魅せつけ、むしろ日本語の勉強になって、おもろい!
2. オススメの参考書
意外にも、英文解釈のための参考書に、受験参考書をあげている。解説まで施され、一般に英文を正しく読もうとする大人にとって、この上なく優れた教材だという。確かに、高校までの語彙に限定され、専門知識も不要だし、問題作成に膨大なエネルギーが注がれていることは間違いない。しかし、アレルギーが...
当時、ひたすら受験のために要領をえようとしただけで、十分に活用したか?と問えば、そんなことは断じてない。本書で紹介される小説の抜粋は、長文の横に解説が施され、参考書の形式そのものだ。英語学習で最も不足しているのは、平易な英文をたくさん読むことだという。そして、具体的に、こういうものを薦めてくれる。
- 原仙作著, 中原道喜補訂 「英文標準問題精講」
- 芹沢栄「英文解釈法」
- 朱牟田夏雄「英文をいかに読むか」
あれ?「英文標準問題精講」は見覚えがあるような...
3. 気軽に辞書を引こう!
当たり前のことだけど、日本語の小説を読む時ですらしばしば辞書を引く。今ではネット空間に辞書があるので、かなり気軽に引ける。
特に、用例を見よ!と、「ホレーショーの哲学」というものを紹介してくれる。シェークスピアの「ハムレット」にある台詞で...
"There are more things in heaven and earth, Horatio,/ Than are dreamt of in your philosophy."
「ホレーショー、天と地の間には、いわゆる哲学などでは夢にも考えぬことがあるものだ。」
"your philosophy" とすれば、普通は「君の哲学」と訳されるが、"your" を辞書で引けば、「(通例けなして)いわゆる、かの、例の」といった説明もあるという。
辞書にすべての事例を載せるのは不可能。辞書は万能ではないし、使いこなしてこそ価値がでる。英語だけでなく、日本語にも精通しなくては、いい翻訳は生まれない。そこで、役に立つ表現辞典を紹介してくれる。
- 中村、谷田貝、両氏「英和翻訳表現辞典」
例えば、"reserved man" を「ひっ込み思案の人」と訳しているんだとか。なかなか洒落た辞書のようだ...
また、イディオムに注目せず、正しい英文快読はありえない!と強調している。"you know" とはよく使うフレーズで、「ご存知のとおり」といった意味。しかし、相手が知らないことを皮肉って、「なんじ知れ!」という命令形もよく使われるという。"you see" もよく使うが、これも同じようなものか。
そして、イディオムに重点を置いた辞書も紹介してくれる。
- 「新クラウン英語熟語辞典」
- 多田幸蔵「英語動詞句活用辞典」
興味深いところでは、"had better" が命令口調であることを知らずに、えらい目にあった人の事例を紹介してくれる。あるアメリカ人の老教授を案内していて、こう言って機嫌を損ねたという。
"You had better go there by taxi."
こう言えば感謝されたかもと...
"Perhaps it would be better to go by taxi."
こんな実践的な事例は、入試対策を前提とした教育では教わることもないか...
4. 自動詞と他動詞の区別
日本人の英語解釈で問題なのが、自動詞と他動詞の区別ができないことだと指摘している。英語圏の人々は、自動詞と他動詞の違いに敏感なことは分かる。日本人がこの感覚に疎いのは、自己主張の傾向が少ないということもあろう。日本語では主語を曖昧にする傾向がある。英語の方が論理的な言語ともされるし、時制を重視する点も、日本人の感覚になかなか合わないところがある。
例えば、ある日本語を学んだ英米人のエッセイには、「こわい」という語を習って、とても驚き、信じられなかったと書いているそうな。「とてもこわかった」と「それはこわい芝居よ」を英語で言えば、こうなる。
"I was very frightened." / "It was a very frightening drama."
"frightened" も "frightening" も、日本語では同じ「こわい」で済ますことに納得できないらしい。
さらに、興味深い事例として、ひと昔前の男性化粧品のテレビコマーシャルをあげている。
"For exciting young men."
字幕に「エキサイトする若いきみたちに」と入っていたとか。学生たちに、この宣伝文句の正しい日本語訳を求めると、たいてい「わくわくする青年のために」といった訳をするという。
そこで、女性をわくわくさせたければ、マンダムを使用しなさい!という宣伝ではないのか?と問う。そして、「女性をエキサイトさせるのに、自分がエキサイトしては駄目だ。客を笑わせる落語家は自分自身は笑わないものだよ」と説明すると、「女の子の心をときめかせる若い男性諸君に」という正解を示したとさ...
"You're irritating." 「君はぼくをいらつかせる。」
これには、95% の学生が「君はいらいらしている」と訳すという。ちなみに、ネット上の機械翻訳では、両方でてくるなぁ...
5. 長文を味わう!
本書は、味わい深い四つの作品から長文を抜粋してくれる。参考書風に単語や熟語の解説が施されるので、小説のように読めて、なかなか乙である。だが、ちょいと考えてみると、学生時代にやっていた訓練ではないか!大っ嫌いだったはずだが、こうも自然にやれるとは...
ただ、自分の翻訳が正しいかを検証するために、全訳が欲しい!と思っていたら、最後に付録されていた。それに気づかず、読みきれたのが幸せ...
- "The Year of the Greylag Goose"「ハイイロガンの春夏秋冬」、動物行動学の創始者ローレンツ博士著
- "At the River-Gates"「水門で」、児童文学者フィリパ・ピアスの短篇「幽霊を見た10の話」に収録
- "Introduction to ISHI IN TWO WORLDS" 「イシの序文」、SF作家ル=グウィンが亡母の著書「イシ - 北米最後の野生インディアン」に寄せた序文。
- "The Summing Up"、サマセット・モーム著
"The Year of the Greylag Goose"
ハイロガンのつがいは、普通、一生貞節な夫婦として添い遂げる。だが、劇的な状況が生じて中断することもある。突然、違った相手と熱烈になったり、不倫も。雄も雌も愛に狂う、まるで人間のような奴らだ。知性の面で動物は劣っているが、感情や情緒の面では... それは、脳の部位や構造によって裏付けられる。
"At the River-Gates"
第一次大戦に出征していった兄貴。塹壕の地獄からの声。兄貴が出征してから、水門を開きに行くのは父の仕事。ある日、嵐の夜、ずぶぬれで悪戦苦闘している父を助けたのは、戦地にいるはずの兄貴だった。そして翌日、兄貴の戦死の電報が... わしは今では老人じゃよ!と弟が懐かしそうに兄弟愛を語る。
"Introduction to ISHI IN TWO WORLDS"
イシの物語は、「ロビンソン・クルーソー」を逆にしたような物語。クルーソーの孤独は、海で嵐という自然の猛威によってもたらされたが、イシの孤独は同じ人間での卑劣な集団行為によるもの。イシは、白人から皆殺しにされた野生インディアンの最後の生き残りとして、家族の惨死を悲しみつつ、何年間も身を隠して暮らした。悲惨な暮らしに耐えられなくなって、白人の世界に迷い出た時、待っていたのは覚悟していた死ではなく、皮肉にも思いやりと友情であった。
"The Summing Up"... これは、一年ぐらい前に記事にしたので省略。
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