2025-02-23

"ポスト・ヒューマン誕生" Ray Kurzweil 著

Google 社の AI 開発で陣頭に立つレイ・カーツワイル...
彼は、指数関数的に成長を続けるテクノロジーは、いずれ「シンギュラリティ」に至ると予見する。それは、人間であることの意味を拡張させ、遺伝という生物の枷を取り払い、知性が高みに登りつめることを意味するらしい。この指数関数的な進化を「収穫加速の法則」と命名。しかも、その時期は近い!と...
それは理想郷でもなければ、地獄でもない。では、信仰の問題か。いや、理解の問題だ。コンピュータ科学は、もはやコンピュータを研究する分野にとどまらない。おそらく、あらゆる学問がそうなのであろう。つまり、学問する主体自身を理解しようという。そして、人間には人間自身を理解する能力があるのか、が問われる。シンギュラリティは近い。だが、人類には、ちと早すぎる...

シンギュラリティを邦訳すると「技術的特異点」となる...
特異点といえば、数学的なアトラクターや物理学的なブラックホールを想起させる。例えば、周期的に安定状態にあるシステムが、微妙なズレやゆらぎのために周期性を徐々に失っていき、突如、ある種の不動点に嵌ってしまうことがある。そうした状態に一度でも嵌まると、抜け出すことはほぼ不可能。市場価値の歪みから生じる金融危機などは、その典型パターンと言えよう。
しかし、ここでの特異点は、ちと明るい未来を想像させてくれる。人類に明るい未来が相応しいのかは知らんが...
尚、井上健監訳、小野木明恵、野中香方子、福田実共訳版(NHK出版)を手に取る。

人工知能やロボットが人間の能力を超えると、社会のあり方が問われるようになる。そんな状況を想定することは難しくない。現実に、将棋界や囲碁界でそうした事態を目の当たりにする。
しかし、マシンが知性や理性までも人間を超越するとなれば、それはどんな社会であろう。人間足るとは、どういうことか?などと逆にマシンに問い詰められ、憂鬱感を蔓延させた社会となるか、あるいは、マシンが統治者となることを従順に受け入れ、それこそ人類が夢見てきた真の平等社会となるか。いずれにせよ、明るい未来は見通せそうにない。

だがそれは、人間とマシンが別物だと思い込んでいるからそう思うのであって、人間とマシンが融合したハイブリッド型生命体として進化していくとすれば、どうであろう。人間が自ら造り出したテクノロジーと合体する臨界点では、どんな生命体が形成されるだろうか。コンピュータが得意とする記憶量、正確さ、高速性といったものを人間が身にまとえば、最強の生命体となろう。それでも、人間性だけは見失わずにいたい。
ご都合主義の人間のことだ。サヴァン症候群のような天才的な能力のみを寄せ集め、欠点は徹底的に排除にかかる。愛などという微妙な属性を崇め、都合の良い性癖だけは手放せず。人間が思い描く合理性が宇宙の合理性に適っているかは知らんが...

「まず、われわれが道具を作り、次は道具がわれわれを作る。」
... マーシャル・マクルーハン

科学は人間の地位を蹴落としてきた。人間の棲家である地球中心説を放棄させ、人間中心説を放棄させるに至れば、知性や理性なんぞ、人間だけに与えられた特別な性質などとは言ってられまい。
人間には意思がある。少なくとも、そう思っている。マシンには意思がない。少なくとも、そう思ってきた。だが構造的には、人間も、マシンも、同じ原子の集合体。突き詰めれば、宇宙に存在する物体すべてが同じ構成要素で形成され、運動する物体のすべてはエネルギーの燃焼と放出を繰り返す熱機関として君臨する。はたして精神や魂は、人間固有のものなのか?
知的生命体の進化の過程が宇宙の進化そのものだとすると、宇宙空間に充満する原子の集合体が、一つの意思を持っていても不思議はない。カーツワイルは、進化の過程で鍵となる三つのテクノロジーを挙げている。それは、G(遺伝子工学)、N(ナノテクノロジー)、R(ロボット工学)で、GNR 革命と称す...

「シンギュラリティは最終的に宇宙を魂で満たす、と言うこともできるのだ。」

では、シンギュラリティに達した精神は、普遍性に則したものとなろうか...
人類は技術力をムーアの法則に従って進化させてきた。それにともなって精神を進化させてきたと言えるだろうか。いまだソクラテス時代の哲学が輝きを失わずにいる。仮に、マシンの部分だけが進歩し、人間性が取り残されているとすれば、あまりにバランスを欠く。
人間は、環境への適合という意味では進化しているだろう。寿命が延びていることも、その一因と思われる。身体を自己修復機能を搭載したサイボーグで再構築すれば、寿命は限りなく延びていくだろう。
ナノボット・テクノロジーが、病原体を破壊し、DNA エラーを修復し、放射能に強い皮膚をまとい、ニューロンを超高速素子に置き換え、身体を超人的にアップグレードする。血液の酸素を運ぶ効率を大幅に改善したプログラムできる人工赤血球を注入すれば、凡人がオリンピック選手の記録を上回る能力を獲得できる。そうなると、オリンピックの存在意義が問われるであろう。

手も足もいらない。そればかりか、肺は必要か、心臓は本当に必要か。老化や死を限りなく遠ざけることができれば、生の意味を与えてきた死を正当化する必要もなくなる。おそらく人間のことだ!死の概念を遠ざけ、その意識を疎かにすれば、戦争をおっぱじめる。地球最強の生命体は、宇宙戦争を引き起こす史上最悪の生命体になるやもしれん...

宇宙に目的があるかは知らんが、生命体の目的は生存にある。それは、構造やメカニズムの最適化によって成される。はたして非生物的なメカニズムが、生命のデザインを受け継ぐであろうか。やはり、宇宙は合理的にできていそうだ。複雑になり過ぎれば崩壊させられ、原子レベルに分解されちまう。アインシュタインも言っている。「できるだけ単純に、ただし単純すぎてもいけない。」と...
そして、人間の根源とは何か?と問い直さずにはいられない。それで、精神を病んでりゃ、世話ない。まったく精神ってやつは、厄介だ。いや、すべてが合理化されれば、精神も必要なし!今、脳のリバースエンジニアリングに迫られる...

「忘れてはならないのは、未来に出現する知能は、人間の文明の表れであり続けるということだ。その人間の文明が、すでに、人間と機械が融合した文明であってもだ。言い方を変えれば、未来の機械は、もはや生物学的な人間ではなくとも、一種の人間なのだ。これは、進化の次なる段階である。次に訪れる高度なパラダイム・シフトであり、知能進化の間接的な作用なのだ。文明にある知能のほとんどは、最終的には、非生物的なものになるだろう。今世紀の末には、そうした知能は、人間の知能の数兆倍の数兆倍も強力になる。しかし、だらかといって、しばしば懸念が表明されているように、生物としての知能が終わりを告げるというわけではない。たとえ、進化の頂点から追い落とされようとも。非生物的なものの形態ですら、生命の設計を受け継ぐ。文明は人間的なものであり続けるだろう。しかも、多くの点で、今日にもまして、人間的と見なされるものをより典型的に示すようになる。ただし、人間的という言葉は、本来の生物学的な意味合いを超えて使われるようになりはするが...」

2025-02-16

"力学的な微分幾何" 大森英樹 著

本書は、物理現象を数学で捉えようとする試み。それは、教科書や解説書といったものではなく、あくまでも副読本に位置づけたものだという。音楽でいえば、楽譜のようなものだとか。楽譜は演奏者に次のイメージを開かせるための補助手段に過ぎず、演奏者は読者に過ぎず... と、いささか挑発的。
とはいえ、客観性では他を寄せ付けない数学を、人間の認識、すなわち主観性の側面から物語ってくれるところが、いかにも愉快。それだけ、毒しているとも言えるのだけど...

「数学者と物理学者と哲学者とを、凝り深さという性質で序列をつけるとすれば、哲学者が一番凝り深く、数学者がそれに次ぎ、物理学者が一番凝り深くないということになると思われる。しかし、人間は人間であるかぎり根源的に哲学するものである。誰しも小中学校の頃に 1 + 1 はなぜ 2 なのか?などという素朴な疑問にとりつかれたことがあるはずだ。」

数学者とは、自然数に内包される論理性以外は真実と認めない人たちを言うそうな。
物理学者とは、空間概念のみならず、時間、質量、力、電荷量、熱量、温度、エネルギーといった概念を疑いようのない正当なものと信じる人たちを言うそうな。
となれば、物理学者は数学者よりも現実主義者と言えそうか...

物理量は、数学的には実数、ベクトル、行列、関数といったもので記述され、単位記号が付随して物語となる。その意味で、数学の記述は無味乾燥な道具に過ぎない。しかも、具体的な記述法は、最初に考案した数学者に委ねられる。純粋な定理なのに難解な記述を強いるとは、このエゴイストめ!
いや、純粋だからこそ、人間が理解できるように記述することが難しいのやもしれん。本書には、こんな文句が散りばめられる。

「神がそれを好むからではなく、人間がそれを好むからだ!」

数学を学ぶには、直感とイメージが大切である。だが、直感がついていけくなると、奇妙な圧迫感が生じる。別の直感を磨く必要に迫られるあまり、却って直感を鈍らせることに。やはり何かを学ぶには、面白くなくっちゃ!楽しくなくっちゃ!

さて、力学と微分幾何の物語は...
まず、ユークリッド空間において曲面上に幽閉された束縛運動の考察に始まる。束縛力は、接平面に垂直に働く。その支点において、接ベクトルで記述される第一基本量と、法線ベクトルで記述される第二基本量から、曲面の曲がり具合を行列で定義し、距離的に最も効率的な測地線の運動方程式を探る。こうした考察を眺めているだけで、リーマン多様体を予感させる。

ちなみに、等距離図法の不可能性についての考察は興味深い。つまり、地球上のある領域において、二点間の距離がどこでも正確な縮尺率で地図を作ることが可能か?という問題である。その不可能性をガウスが証明したとさ...

次に、微分形式ってやつが、熱力学や電磁気学といかに相性がいいかを味わわせてくれる。熱力学の第一法則と第二法則が一次元的な運動として、一次形式や線積分での記述を容易にし、電場や磁場、あるいは電磁誘導が曲面的な運動として、二次形式や面積分での記述を容易にする。
そして、ガウスの発散定理とガウスの法則で二次微分形式との相性の良さを外観し、マクスウェル方程式が二次微分形式によって簡単な記述となる... といった流れ。
ちなみに、おいらは学生時代、ガウスの法則で赤点をとっちまった!

こうした空間概念が無限次元に拡張されると、自然に多様体の世界へと導かれる。支点を記述する微分と運動を記述する積分の関係は、次元に束縛されないとさ。
しかし問題は、微分可能性にあり、それが極めて確率的に低いことにある。方程式ってやつは、記述できりゃええってもんじゃない。微分方程式が厄介なのは、そこだ。

次元数が無限へと解き放たてると、陰関数定理ってやつが役立つ。陰関数定理は、多項式を多変数の式と見なすことができ、解析学では近似的に見ることもでき、重宝される。
そして、ニュートン力学は、ラグランジュ系で再定義され、ルジャンドル変換を通してハミルトン系へと導かれる。
ただ、ニュートン力学にしても、ラグランジュ系にしても、ハミルトン系にしても、乱暴に言えば座標系が違うだけ。それは、観測者の慣性系が違えば運動の見え方も違うと告げる相対性理論の考え方にもつなり、一般相対性理論の運動方程式がハミルトン系で記述できるのも頷ける。演算を簡単にするために力学系を変換していると見るなら、やはり人間のご都合主義か...

さらに、時間を想定した時、これも慣性系に幽閉されることになる。
では、ビッグバンのような宇宙の始まりを論じようとすれば、何か基準となる時間軸が必要になりそうだが、それで絶対時間のようなものが存在することになるのだろうか。
いや、時間のみならず、標準や常識、さらには価値観や世界観、おまけに宇宙論なんてものも、記述できるものすべてが人間のご都合主義なのやもしれん。
少なくとも人間が編み出した学問は、何らかの記述ができなければ成り立たない。それで言語体系の限界に挑んでは新たな専門用語を編み出し、その定義で悩まされてりゃ、世話ない。これは、ある種の病理学か。おそらく人間の認知能力は、言葉や記号で表せない領域が思いのほか広大なのであろう。微分不可能な領域のように...

「自然法則は、『A という原因が起これば、必ず B という結果が生じる』という形の因果関係を記述するものが多い。これを『A ならば B である』という数学の命題と同義とみるためには、どうしても時間は一次元的でかつ循環せず線形的に発展するものと約束してしまわねばならない。」

2025-02-09

腕に新相棒、その名はアテッサ!人生をシンプルに刻む...

腕の相棒では、"SKAGEN SKW6106" や "KLASSE14 Volare Vintage Gold VO18VG004M" でヴィンテージ感に浸ってきた。北欧デンマーク発に南欧イタリア風味を加えて...
新たに、国産でエレガント風味を加え、庶民のささやかな贅沢感に浸る。

モノは、"CITIZEN ATTESA BY1004-17X"
ブラックチタンシリーズとの比較で悩ましいところ。ここは、ちょいと遊び心で...
このモデルは、光の当たり具合で表情が変わるのがいい。外出時は和装が多く、本体の光沢感と黒革ベルトが着物によく合う。カタログでは製品を良く見せようと、光の当て具合などで誤魔化されたりするが、実物の方がいいケースは珍しい。写真では見栄えが伝わりにくい色彩なのかも...
価格抜きで、第一感はこのモデル。YouTube で開発者の談話も参考にしたが、やはり第一感はこのモデル。気まぐれ崇拝者にとって、第一感こそ決め手だ!


*写真右は、電球色の照明下で、夜光機能がやや働く程度に光を絞ってみた。
うん~... 微妙!


こだわった機能は、エコドライブと電波時計。電池交換や時間を合わせる行為は、シンプルな人生に合わない。
重さは、59g と軽い。厚みは、10.8mm とアテッサシリーズでは比較的薄い。腕が細いので、ゴッツいのは勘弁!
発電持続時間は、約2.5年(カタログ値)と余裕あり過ぎ。
夜光機能もいい。但し、文字盤や針に蓄光塗料が施され、光を蓄える仕掛けなので、薄暗闇生活者には期待薄かも...

クロノグラフはいらない。ネアンデルタール人には故障の原因となるイメージがあるが、近年はそうでもないらしい。どうせ、最初に遊ぶぐらいなもの...
インダイヤルに日付や曜日の表示もいらないが、自動補正なら邪魔にならない。
月齢表示機能「ルナプログラム」ってやつが搭載されているが、これも自動計算なら邪魔にならない。いや、むしろエレガント感を演出してくれる。
ダイレクトフライト機能は、なくてもいいか... と思っていたが、電波時計では必須!ダブルダイレクトフライトだと、ホームと現地の時間が瞬時に切り替えられるようで尚いいが、それは贅沢というものか...

懸念事項は、革ベルト!ヘタった時の交換は?
馴染みの時計屋さんが言うには、「ベルトは純正である必要はないし、いろんなものが試せる面白味もありますよ!」と見本を見せてくれた。これで安心!
留め具の三ツ折れプッシュタイプもなかなか...

さて、これで人生も... と行きたいところだが、持ち物がエレガントだからといって人生もエレガント!というわけにはいかんよ...

2025-02-02

"信頼性の高い推論 - 帰納と統計的学習理論" Gilbert Harman & Sanjeev Kulkarni 著

どの学問分野に分類すべきか、時折、そんな悩ましい書に出くわす。いや、分野に縛られない自由さこそ学問というものか。
本書の由来は「学習理論と認識論」と題した講義にあるという。哲学、人文学、情報工学、統計学、認知科学などの学生を対象に。著者には、哲学研究の専門家ギルバート・ハーマンと情報科学の専門家サンジェーヴ・クルカルニの名が連なる。知的活動に文系も理系もあるまいが、あまりに学際的。認識論的な思考過程として演繹法と帰納法の意味を探ることに始まり、機械学習的な思考過程としてニューラルネットワークやサポートベクターマシンを論じ、さらにトランスダクションにも触れる。そこには、確率論的な数式やベイズルールが散りばめられ、VC 次元のお出ましとくれば、とりあえず数学に分類しておこう。
ちなみに、数学は哲学である... というのが、おいらの持論である。
尚、蟹池陽一訳版(勁草書房 - ジャン・ニコ講義セレクション)を手の取る。

本書の記述が数学的な側面が強いとはいえ、やはり認識論の領域であろう。あらゆる学問が、人間の認識能力に発するのも確か。この宇宙に存在する一切の事物、あらゆる現象に、意味や意義なんてものはあるまい。おそらく。
だが、人間ってやつは、何事にも意味を与えずにはいられない。精神や魂といった概念を編み出しては、これに縋り、自分の人生に意味を与えずにはいられない。
それはきっと、認識能力を獲得したせいであろう。すべてを神のせいにして楽になれるなら、神の存在意義も絶大となる。結局、どう認識するか、どう解釈するか、ということに帰着する...

人間の認知能力が、あらゆる知識、事象、現象を分類したり、抽象化したりする。それは、機械学習のアルゴリズムが、ラベル付けされたデータから規則性を見つけ、定義し、分類する振る舞いと似ている。ニューラルネットワークやサポートベクターマシンは、ラベル付けされたデータ、分類化されたデータを用いる。つまり、扱うデータは、経験値がきちんと記述できる形になっているわけだ。
しかし、人間の認知能力は、記述できない、言葉にできない領域にまで広がる。そこで、トランスダクションという概念は、そうした領域にまで手を広げるものとして紹介される。
人間の推論メカニズムは、きわめて線形的で、連続的ではあるが、時には、分類の困難な、非線形な、矛盾や不合理までも相手取る。気まぐれってやつも、その類いであろうか...

物質に素粒子という素があるように、認識にも素となる命題めいたものがある。
例えば、ユークリッド原論の公準がそれだ。それは、これ以上証明のやりようのない純粋な要請であり、論理学の限界を示している。第五公準はおいといて。幾何学は、この公準を基点として組み立てられてきた。
その際、証明手順に演繹法と帰納法とがある。前者はきわめて純粋で、証明の王道といえば、おそらくこちらであろう。だが、現実は後者の方が有用なことが多い。誰もが疑いようのない明確な論理的過程よりも、経験を蓄積し、分析し、学習し、知識の精度を上げていく過程の方が実践的でもある。

ここでの関心事は、帰納法的学習の信頼性である。推定の難しさ、複雑さとして、VC 次元を持ち出し、その意味は「粉砕」によって説明される。
「粉砕」ってなんだ?大数の法則のようなものか?うん~... エントロピーに埋没しちまいそうな。推定の難しさは、簡単に言えばコンピュータの計算量ということにもなろうか。
「反省的均衡」という用語にも注目したい。それは、積分的な思考とでも言おうか。帰納法の目的が、これだ!と言ってもいい。帰納的な思考過程では、信念バイアスがかかることも留意しておこう。
そして、枚挙したデータ群から誤差を最小化する思惑、反証可能性の程度、単純な仮説の想定、正弦則による予測、カーブフィッティングを用いた実数値の推定など、基本的には線形性を想定した確率論的な推論を軸に検討が進み、やがて非線形や離散的なデータをも取り込む。トランスダクション・モデルに至っては、道徳的個人主義にも適応できるとさ...
いま、アラン・チューリングの問いかけを想起せずにはいられない。機械は意思を持ちうるか、と...

「統計的学習理論の最も偉大な発見の一つ、規則集合のヴァプニク - チェルヴォーネンキス次元、すなわち、VC 次元の重要性の発見。規則集合の豊かさの測度。反証可能性の度合いに反比例。VC 次元を持つ時、背景にある統計的確率分布が何であろうと、十分な証拠を条件付きとしてうまく得られる。」