2011-07-10

"ジョゼフ・フーシェ" Stefan Zweig 著

「サン=クルーの風見」と呼ばれ、ナポレオンでさえ恐怖を抱かせた男ジョゼフ・フーシェとは何者か?政界のカメレオン、変節と転身の軽業師、裏切り専門の陰謀家、下劣な岡っ引き根性、浅ましい背徳漢...悪口を並び立てればきりがない。この感じの悪い人物の評伝は、14カ国で翻訳版が出版されたという。おいらが出会った伝記小説では、間違いなく上位にランクする一冊だ。
本書は、理想主義に偏り過ぎるのも恐ろしいが、極端な現実主義に陥るのも恐ろしいことを教えてくれる。あのラスプーチンが神秘主義で霊感的に支配したとすれば、フーシェは超現実主義で心理的論理で支配したといったところであろうか。そこには、メフィストフェレスのような悪魔的能力に対する尊敬の意がうかがえる。ナポレオンは、次のように述懐したという。
「余は一人だけ本当の完全無欠な裏切者を知っていた、フーシェだ!」
この男の行動の原理は、人間の恐怖心を利用することである。それは彼自身の恐怖心も含まれる。フーシェは人間の本性を最も理解していたと言えよう。
尚、著者シュテファン・ツワイクは、リットン・ストレイチーやアンドレ・モーロワと並ぶ世界的伝記作家だそうな。ユダヤ人としてウィーンに生まれ、ヒトラー時代にはイギリスに難を逃れ、アメリカを経てブラジルに亡命する。そして、真珠湾攻撃から3カ月も経たないうちにペトロポリスで自殺したという。その作品では「マリー・アントワネット」が広く知られる。これもいずれ挑戦してみたい。

表紙には「近世における最も完全なマキャヴェリスト」という触れ込みがある。だが、読んでいるうちにマキャヴェリズムの解釈が難しいことに気づかされる。前記事で「君主論」を扱った時は、確かにマキャヴェッリは、国家的危機に遭遇すればあらゆる手段を模索すべきだと語っていた。それを目的のためならなんでもありと拡大解釈すれば、こうなるのかなぁ。「君主論」の悪評を広めているのは、マキャヴェリストたちかもしれない。歴史的に影響を与えた思想というものは、例外なくご都合主義者たちによって歪んだ解釈を生む。マルクスは「私はマルクス主義者ではない!」と言ったとか言わなかったとか。
政治の歴史を紐解くと、純粋な観念の持ち主が決定的な役割を演じることは稀である。思想観念的なものがはるかに劣っていても、巧妙に振舞うことの得意な人物、すなわち黒幕のような人物が決定的な仕事をする。歴史的事象は理性と責任から生じるのではなく、疑念や不徳といった政治屋の思惑によって動かされてきた。すべては、いかがわしい性格と不十分な悟性によって運営されてきた。これが政治の矛盾であろうか。人間が悪魔へと進化するならば、「毒をもって毒を制す」という自己循環の原理からは逃れられないであろう。

ジョゼフ・フーシェという人物を良く言う人はいない。王党派であろうが共和党派であろうがボナパルト派であろうが。その人物像は、魔神と呼べるほどの無性格、無思想、泰然自若たる冷血性、そして猛烈な野心家ではあるが虚栄心は持たない。ただ、陰謀の情熱を測るならば、その強さは英雄伝説に匹敵するほどの凄まじいものがある。なにしろ、ナポレオンやロベスピエールのような大物を手玉に取ったのだから。
この人物を高く評価したのが作家バルザックで、次のように語ったという。
「あらゆる面貌のもとに見通すことのできない深さを蔵しているので、その行動の瞬間においては、とうていその真意を洞察し得ないが、一芝居すんだずっと後になって、ようやく合点のゆくといったような人物の一人」
本書は、「ナポレオンが有した唯一の名大臣」、「奇妙な天才」と評している。
その風見鶏的行動は超一流...僧院の教師を勤めていたはずが、フランス革命期には徹底した寺院の破壊者になる...急進的共産主義者で金持ちを敵としていたはずが、ボナパルト政権では大資産家となり、オトラント公爵を名乗って貴族づらをする...無神論者のはずが、王政復古に際しては熱心なキリスト教信者へと変貌する...といった具合。その変わり身の早さは主義主張の存在をまったく感じさせない。ちなみに、マキャヴェッリも共和制を唱えながら、メディチ家に媚を売ったことで裏切者呼ばわれして世を去った。
フーシェの行動はワンパターンで、謀略を尽くし都合が悪くなるとあっさりと共同者に責任を押し付けて、自分は助かるということの繰り返し。ただ、政界から追放されると、その都度善良な市民の田舎暮らしへと回帰する。その安穏な姿と政界を生きる陰謀家のギャップの大きさ。浪人生活は、狡猾な頭脳を休ませるための充電期間というわけか。浮き沈みの激しい波瀾万丈。その振幅の極端な大きさは、野望の大きさを示している。
政治屋としてのあくどさという意味では、どこの政界でも見られるタイプ。有利な政党を渡り歩く者や、大臣ポストに近いところをうろうろする者や、ひたすら選挙戦略を練っている者など、どう見ても主義主張など何もないような政治屋を見かける。というより、こういうタイプが多数派であろう。民衆運動が起これば、政党の旗を持って便乗する者など、その行為があまりにも露骨過ぎて見ている方が恥ずかしくなる。彼らは、その滑稽さにも気づいていないのだろう。脂ぎった野心は盲目にさせるようだ。そして、いつも「命をかけて!」と叫ぶ。まったく命を安っぽくしやがる連中だ。
しかし、フーシェの野心は桁違いだ。一旦、命をかければ本当に殺してしまう。血なまぐさい陰謀をちょっとした悪戯とでも考えているかのように。政界には、トップとして君臨したいという野心家もいれば、黒幕としてトップを操りたいという野心家もいる。フーシェは後者のタイプ。陰に潜れば責任を負うことはない。政治生命を延命するには実にうまいやり方だ。ただ、ナポレオンのように表立って君臨したいという欲望を見せる場面もある。できればそうしたいのだろうが、現実的には陰の人物としてとどまることを心得ていたのだろう。そして、政界からの去り方を知らなかったために、歴史から恨まれ役を与えられた。

政界を裏で牛耳るとなれば、単純に金の力ということになる。では、いかに金の集まる仕組みを作るか?これが、暗躍する政治屋の実力ということになろう。フーシェは、警務大臣に任命されると、あらゆる国家機密を押さえ、その実力の源泉を諜報力に求めた。そして、国内外を張り巡らす大規模な諜報システムを構築し、憲兵や保安部隊を自在に操った。いざとなれば売国行為ができるほどに。
王家やボナパルト家、あるいは閣僚の金銭問題から女性関係、業界との取引など、あらゆる情報を押さえているので、強迫や買収も思いのまま。彼が政界から追い出されるたびに、警務省の機密書類が紛失し、閣僚たちが怯える始末。ちなみに、ボナパルト家の諜報活動で最も活躍したのは、皇后ジョゼフィーヌだったという。現在でも、警視庁や特捜と深く関わる政治屋が、力を持ち続けているのは周知の通りである。情報を制する者が政界を制するというわけか。しかし、高度な情報化社会ともなれば、情報漏洩で簡単に暴露されるという危険性がつきまとう。となれば、正直者が優勢となるだろうか?いや、もっと巧妙化しているようだ。あくどい奴はますますあくどくなり、精神の泥酔者はますます泥酔する。これが格差社会というわけか。
一昔前は国対族が暗躍していた時代があったが、現在ではどうなんだろうか?政治体制によって、どこに力が及ぶかを想像すれば、どこに黒幕が暗躍するかが見えてくる。民主主義では多数決の原理が強烈なために、最も影響を与えるのは選挙ということになる。となれば、選対族なんてのが怪しいことになりそうだ。選挙で勝てそうな流れがあれば堂々と表に出てきて、負けそうな流れになれば目立たぬように引っ込む。そのしたたかさが、「俺の顔で選挙に勝てる!」なんて幻想を植え付ける。彼らはひたすら票田に群がるという特性を持っている。そして、派閥の勢力を拡大するためにチルドレン戦略がまかり通る。なるべく思考しない集団がありがたいというわけだ。政治には、政治理念なんてものはまったく関係しないのかもしれない。これが政界の力学というものであろうか。

1. 僧院生活
港町ナント出身のフーシェは、克己の厳しい訓練を10年に渡る僧院生活によって身に付ける。ちなみに、フランス革命の三大外交家、タレーラン、シェイエス、フーシェは、いずれも僧院出身だそうな。
政治情勢が激動期を迎えれば、精神論争や哲学論争、あるいは宗教に逃避する者が急増する。僧侶たちは知識階級と結び付いて社交クラブを結成する。北部の町アラスの「ロザティ」という社交クラブで、弁護士マクシミリアン・ロベスピエールと運命的な出会いをしたという。フーシェはロベスピエールの妹と婚約までしているが、破棄された。その理由は分からないらしい。何かわだかまりのようなものが残ったことは想像できるが...

2. 革命政府
フランス革命によって新たに選出された議員たちの中にナント市の代議士フーシェがいた。議会が混乱する中、席順だけでも秩序を保とうとする。ここには、ジャコバン党から、穏健派のジロンド党と急進派のモンターニュ党に分かれた構図がある。一番低い場所に陣取るのが、穏和で控え目、決議になると気のない連中で、マレー(沼沢)党と呼ばれる。暴れまわる急進的な猛者どもは、一番高い場所に陣取り、モンターニュ(山岳)党と呼ばれる。山岳か山賊かは知らんが、最後列の傍聴席に近い位置にあるのも、背後に民衆やプロレタリアがいるという象徴なのか?あるいは、そう自負していたのか?
フーシェは、とりあえず多数派で内閣の椅子を占めていたジロンド党に所属する。しかし、この日和見主義者への友人ロベスピエールの視線は厳しい。用心深いフーシェは、のらりくらりと態度を誤魔化す。ルイ16世はタンプル獄に囚われ、一介の市民として「ルイ・カペー」と馬鹿にされる。だが、いまだ危険な存在で、国民公会は助命か処刑かで揺れる。さすがにここでは曖昧な態度はとれない。投票前日まで穏健派が優勢なので、フーシェは助命に投票するつもりだったが、その晩、急進派がテロを画策して民衆暴動を扇動し、穏健派の代議士は暴力に巻き込まれる。そして、投票当日に急進派が優勢と見るや、フーシェはモンターニュ党に鞍替えする。
死刑に投票したことが、翌日報じられれば、穏健派の強いナント市民は憤慨するだろう。フーシェは、電光石火のごとく確固不動の信念として力強い声明を発し、機先を制す。ルイ16世の暴君ぶりを暴き、処刑やむなし!と、あたかも決断をしたかのように振る舞う能力は天才的だ。堂々たる声明で保守的な市民を黙らせた。そして、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットはギロチンへ送られた。

3. 恐怖政治と「リヨンの散弾乱殺者」
フランス革命史において、「リヨンの叛乱」は最も血なまぐさい殺伐な事件だったという。農業国フランスにあって、リヨンは第一の工業都市で社会階級の対立もパリより激しい。狂信的な人間愛を心棒すると逆に残忍な行為に及ぶもので、理想主義に憑かれるがゆえに余計に流血の惨事を招く。リヨンは公然と王党派に投じたが、プロレタリアの兵士は雪崩を打って侵入する。リヨンの陥落でフランス革命は最高潮となる。
革命政府は、リヨンの徹底的な弾圧と破壊を命じ、ロベスピエールの友人クートンを派遣する。しかし、クートンは、フランス最大の工業都市と美術記念碑までも破壊することは自殺行為と悟る。そして、リヨンを保護しようとしたが、その緩和処置は過激派に見透かされ、国民公会から責任を問われる。
後任として、コロー・デルボアとフーシェが派遣され、容赦なく徴発し財産を掠奪する。ただ、フーシェは、市民は誰もが臆病で、処刑の必要性の按配も心得ていたようだ。効果的に噂が拡がるような手段を講じる。フーシェは、自画自賛して次のように書き残したという。
「われわれがローヌ河に投げこんだ血だらけの死骸が両岸に沿うて流れてゆき、その河口たる嫌悪すべきツーロンにまで達し、臆病にして残虐なイギリス人の目の前に、恐怖の印象と民衆の全能の姿を示すことは必要である」
ちなみに、ツーロンは王党派を支援するイギリスとスペインによって占領されていた。ツーロンまで流すというのは地理的にも大袈裟であるが、共和国の復讐がいかに凄まじいかを印象づける一節である。
また、ロベスピエールやダントンでさえ、教会や私的財産を侵すのに慎重だったのに、フーシェは急進的社会主義者へと変貌し、ボルシェヴィズム的な案を提出しているという。本書は、フランスにおける最初の共産主義宣言は、実はカール・マルクスでもなければ、ゲオルク・ビューヒナーの「ヘッセンの飛脚」でもなく、フーシェが草案した「リヨンの訓令」であるとまで言っている。それは、革命精神に則ったあらゆる行為は許され、貧民層は富で獲得した支配者階級の財を奪うことができるという内容である。そこには、労働が社会を養っているからという理屈がある。共産主義的思考では、金持ちは不義にして富める者とされ、極悪人とされた。
フーシェは、国民公会が公認する無制限の権力に飽き足らず、教会のあらゆる機能を奪い取る。無神論的な説教で霊魂と不滅と神の存在を否定し、キリスト教の葬儀を廃止する。没収した教会や私的財産を議員連に送ったのは、フーシェが最初で拍手喝采を浴びたという。
ここには、「フーシェ = 恐怖政治」の構図がある。もしかして、テロリズムやテロルの語源は、この人物にあるのか...

4. ロベスピエールとの決戦
ロベスピエールがパリで最有力者になると、リヨンの残虐行為が国民公会で問われる。ロベスピエールと敵対していたダントンをギロチンにかけたのも、精神的指導者コンドルセが裁判を避けるために自ら毒を仰いだのも、すべてロベスピエールの策謀だという。国民公会は、ジロンド党員の席がぽっかり空いていた。ロベスピエールは右派を百名ばかり片づけたのだ。山岳派もロベスピエールに反対する者らが墓場へ送られた。
フーシェは、正直で一本気な同僚のコロー・デルボアに、残虐の全責任を転嫁して、さっさと逃げようとする。そして、いままでの功績を鼻にかけて挑戦的に情熱的に弁明する。だが、いまいち反応がない。ヤバいと見たフーシェは、その晩ロベスピエールの家を訪れて赦しを請う。ロベスピエールは、意見の違う者を容赦しない、反対者の降伏でさえも許さない、サン=ジュストやクートンのような思想的奴隷でなければ許せない人物である。こうなるとフーシェが助かる道はただ一つ、相手を殺すしかない。
ロベスピエールは堂々たる思想的な演説によって無神論者のフーシェを脅かす。この大演説に拍手は鳴りやまない。対して、フーシェは地下活動で画策し、いつのまにかジャコバン党の総裁に選ばれた。これにはロベスピエールも寝耳に水。かつてアラスの社交クラブで一緒に語った仲間が、巧みな策謀家に変貌していたことに気づいていなかった。いまや、ロベスピエールが演説しようとすれば、フーシェの許可がいるのだ。
ロベスピエールには一途な頑固さがある。そして、公然と弾劾を繰り返しフーシェに弁明を迫る。フーシェが弁明を避けると、党員たちは総裁の資格を奪い、ジャコバン党からも除名される。ギロチンの恐怖に憑かれるフーシェは、ロベスピエールの計画しているブラックリストをでっち上げ、「君もリストに載ってるよ!」と脅してまわる。代議士たちに微塵もやましいことのない者は数えるほどしかいない。ロベスピエールに反対したことがなくても、金銭問題や婦人問題、あるいは死刑宣告を受けた人間と交友があったとか、言い出したら切りがない。ちなみに、婦人問題は共和主義的清教徒では犯罪である。
うまいこと裏で糸を引きながら、ロベスピエールの陰謀事件ではフーシェの名は出てこない。決戦当日、国民公会では、議員たちは互いに目を合わせるが、なぜか?フーシェだけが欠席している。依然として、代議士たちは最も強力な権力者の攻撃を渋っていた。そこへ、一人がロベスピエールに反対を表明すると、それが伝播して臆病が団結へと変化する。フーシェは、そうした臆病な集団心理まで読んでいたのだろう。結局、ロベスピエールはサン=ジュスト、ジョルジュ・クートンらとギロチンへ送られることが決議された。

5. 警務大臣に就任
ロベスピエール失脚後の総裁政府(五総裁内閣)、統領政府(ナポレオンが第一統領となった政府)、そして、ナポレオン皇帝の時代に、フーシェは警務大臣を勤める。フーシェがこの要職に就くと、上役や大臣や政府を監視する。そして、たちまち職権外まで手を伸ばし、全国をくまなく監視する機関を組織した。どの政権においても秘書が買収され、あらゆるスキャンダルがフーシェの耳に入る。彼は、戦時でも平時でも、政治では諜報がすべてであることを熟知していた。もはやテロルよりも有効な手段を得たのだ。諜報機関を掌握すれば、あらゆる方面から金が転がり込んでくる。賭博場、娼家、銀行などから。
陰謀を助成するかと思えば妨害したりと自由自在。知っているということは、知らない振りもできるわけだ。権力の最高の秘訣は、密かに味わい小出しに使うものだという。

6. ボナパルト政権
共和国は堕落し、一人の独裁者にしか救済できない状況にまで追い込まれていた。エジプト遠征に赴いていたボナパルト軍が近々フランスに上陸することを知っていたのは、フーシェひとりだったという。ナポレオンが帰還すると大臣連は競って媚を売る。タレーランでさえ。だが、用心深いフーシェは、その成功をギリギリまで見極めてから閣僚に収まる。
ナポレオンが共和制の第一統領の地位では飽き足らず、いよいよ野望の本性を現すと、陰で振る舞う陰謀家の存在感が増す。汚い仕事はすべてフーシェにお任せ!権力者にしてみれば、自分は手を汚さずに済む実に都合のいい存在だ。専制君主たる皇帝になるためには議会を説得しなければならない。そして、買収や謀略が企てられる。政治の不徳を正すために蜂起したこの天才にして、地位に目が眩むと誇大妄想に憑かれる。強烈な野望で盲目した独裁者の周りには、思考の停止したイエスマンか、イエスマンを演じる策謀家しか集まらない。アンギアン公ルイ・アントワーヌを中立国から引き出して、処刑したのはフーシェにして「犯罪以上の失策」と言わしめた。
ところで、フーシェは貴族出身のタレーランと肌が合わない。二人の敵対関係はナポレオンにとって都合がよい。互いが競って怪しい動きを報告し合うから。しかし、スペイン遠征には二人は協力して反対する。愚かな兄ジョゼフが王冠が欲しいと言うもんだから、恰好のものが見当たらないので、国際法を犯してスペインから王座を取り上げた。これには誰もが不条理を感じる。ただ、皇帝に公然と抗議したのはタレーランで、フーシェは裏に回る。そして、タレーランだけが免職し、フーシェは助かった。
しかし、汚い話ばかりではない。国家危機ともなれば、フーシェは抜群の政治手腕を発揮する。ナポレオンがスペインで苦戦して留守をしている時、プロイセンとオーストリアが侵入してきた。閣僚連中が慌てふためく中、独断で国民軍を組織しフランスの危機を救う。閣僚たちが、その行動を命令違反としてナポレオンに進言すると、ナポレオンはむしろフーシェの行動を絶賛し閣僚たちを叱る。ナポレオンとフーシェは、互いの能力を認めていた。だが、心の底では互いに嫌っている。フーシェはその野望からナポレオンが邪魔で、ナポレオンはフーシェの謀略家としての危険性を十分に承知していた。
そして、ナポレオンがロシア遠征に失敗すると、フーシェを危険人物として恐れる。皇帝は他の王家とは違って、たった一度の敗戦が失脚の原因になるという政治基盤の脆さを知っていた。ナポレオンは、フーシェをパリから遠ざけようと画策する。そして、「イリリア」という架空の国の統治者に任命する。もし占領すれば君のもの!というわけだ。いかにもギリシャ神話に登場しそうな架空名としてふさわしいから笑える。フーシェはその謀略を知りながら渋々ドレスデンへ赴く。フランツ皇帝が攻めてきても、やる気なし。
ナポレオンはライプツィヒの会戦で大敗し、ついに支配権を失った。政変が革命的に起こる時は、火事場泥棒的な状況となる。フーシェは、パリに行くのに遅れをとり、結果的にナポレオンの策略が功を奏した。フーシェは、あらゆる有力者に媚びへつらい要職を得ようとするが失敗。彼にはプライドというものがないのか?
一旦ナポレオンはエルバ島に追放されるが、復帰して百日天下の時期に、懲りずにフーシェを登用する。嫌ってはいるが、ナポレオン自身を理解する一番の人物だと思っていたらしい。ナポレオンが皇帝に収まれば、戦争を繰り返すことを意味する。議会は、ナポレオンが自ら退位することを迫った。その先頭をきったのがラファイエット。民衆が平和を願いナポレオンが求心力を失うと、ついにフーシェが引導を渡す。

7. 王政復古と失脚
さて、次の総裁は誰か?ラファイエットは奸計で落伍させられるが、第一回の投票では、一位がカルノー、二位がフーシェ。よって、カルノーが臨時政府の上席を得た。ところが、フーシェは陋劣なトリックを使う。次に5名の委員会からなる組織によって、総裁を選出すべきだとカルノーに持ちかける。しかも、自分はカルノーに投票すると控え目を演じて。だが、2名を買収して、自分に投票して3対2で勝つ。大衆に人気のあったラファイエットに続いて、カルノーもしてやられた。とうとうフーシェは、絶対君主の座を手に入れた。ルイ18世から使者がくるわ、タレーランから慇懃な挨拶状がくるわ、ワーテルローの勝者ウェリントン公は隔意ない報告を送ってくるわ、いまや絶頂期を迎える。
あらゆる方面でいい顔をして、議会の前ではナポレオンの子息を、カルノーの前では共和制を、同盟軍の前ではオルレアン公を、推すように見せかける。だが、実のところ密かにルイ18世に舵をとる。誰もがどこへ向かっているか気づかせないように、実に見事だ。ただ、この時期には、これが最高の解決策だったという。王政復古のみが、外国の軍隊に蹂躙されているフランスに庇護を与え、摩擦を生じさせない方法であったと。誇りとプライドの高すぎるフランス国民を導くための現実的な施策だったということであろうか。フーシェは、重臣、民衆、軍隊、議会、元老院の反対を押し切った。政治的判断力で一流だったことは間違いないようだ。しかし、賢明な施策も一つ重要なものが欠けていたという。それは自己の利害を忘れる精神である。自分の利益を優先して政界から去る方法を知らないために、後に追放されることになる。
フーシェは、ナポレオンを失脚させて、見事にルイ18世の王政復古のお膳立てをした。しかし、ルイ16世とマリー・アントワネットの娘アングレーム公爵夫人マリー・テレーズはフーシェを絶対に赦さない。ルイ18世だって兄の恨みを忘れてはいない。しかし、よほど便利な男なのだろう。選挙対策や諜報活動で重宝した。
ルイ18世が戻ってくれば、タレーランが内閣首班格に就く。タレーランは晩餐で、自分が恐怖政治時代に国民公会の逮捕令を逃れてアメリカに亡命した頃の話をした。そして、アメリカ駐在大使になる気はないかと促す。フーシェは大臣職を取り上げられることに気づき、真っ蒼になる。ドレスデン宮廷の公使に任命すれば、この左遷を断るだろうと思われたが、大はずれ。例のごとく、権力にぶら下がるためならば、卑屈になりさがり、犬になって尻尾をふる。ナポレオンが最後まで権力を固辞しようとしたように、フーシェもまた最後の称号にしがみく。しかし、ルイ16世を死刑にしたナントの大逆人、リヨンの散弾乱殺者の事実が消されるわけではない。あらゆる特赦の恩典からも除外され、とうとうフランスから追放される。ドレスデンでは、ザクセン国王からも私人として滞在することも認められなかった。およそ権力を持たない権勢家、失脚した政治家、策の尽きた陰謀家ほど、この世で哀れな存在はない。

8. 晩年
追放当初は心配していなかったという。なんといってもロシア皇帝の知り合いで、ワーテルローの勝者ウェリントン公の親友で、オーストリア宰相メッテルニヒの友人だと思いこんでいるのだから。そして、何度も意中をほのめかすが、どこからも音沙汰はない。メッテルニヒでさえも、どうしても来たいならオーストリア領に来るのはいいよ!そこまで反対するほど心の狭い人間ではないよ!でも、ウィーンはダメよ!みたいなことを言われる始末。
かつて、全ヨーロッパを監視していた男が、いまや自分が監視されている。自ら考案した巧妙な諜報システムによって、かつての部下たちが手紙から会話までを盗聴する。どこへ行っても厄介者扱いされ、こそこそと逃げ回るはめに...かつて監視して排除した者たちの亡霊に追われるように。
56歳の老人フーシェには、26歳の若い夫人がいた。再婚時、ルイ18世に結婚証書に著名してもらうという栄誉をもらったこともあった。しかし、プラハへ移り住むと、夫人はチボードーという同じく国外追放された共和党員の息子と恋に落ちる。どの程度の恋愛かは分からないが、それが世間にもれると、オトラント公爵夫人と愛人、そして老齢な亭主という構図で、おもしろおかしく書きたてるのがジャーナリズムというものだ。かつて、警務大臣の下で沈黙させられていた新聞は、ここぞとばかりに唾を吐きかける。
彼が、最後の瞬間まで持ちこたえられたのは、政治の舞台へ復帰する希望だけだったという。偽名を使ってまで、「オトラント公爵に関する同時代の覚え書」というものを発表して、才能や性格を生き生きと描き、匿名の自画自賛の書を出したという。しかも、回想録を執筆中で、近々ルイ18世に献じられるとまで言いふらしたそうな。だが、世間からは忘れられ、ほとんど相手にされない。
見兼ねたメッテルニヒは1818年にトリエストに転地することを許し、1820年この地で死去。彼の死後4年、回想録が出版されるという噂が流れると、中には背筋の寒い思いをする権力者もいたことだろう。警務省で紛失した極秘書類の行方はいまだ不明なのだから。だが、ほとんど当てにならない代物だったという。最後まで沈黙を守り、すべての極秘情報を墓場まで持ち去った根っからの政治屋だったというわけか...

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