2009-01-18

"代数に惹かれた数学者たち" John Derbyshire 著

今宵は代数学の歴史を酔っ払いの目で語ってみよう。なぜかって?そこにピート香のきいた煙臭いスコッチがあるから。

数学の歴史は抽象化の歴史でもある。もともと数学が対象としたものは「数」であり、それは自然数に始まる。自然数の欠点は、引き算や割り算を行うと、答えが自然数の世界からはみ出すことである。算術によって世界が閉じられないという現象は、「数」の概念を、自然数、整数、有理数、実数、複素数へと拡張させてきた。そして、1600年頃、方程式を解きたいという欲求から文字による記号表記が現れ、抽象化レベルを一段と高める。抽象化の流れは、未知数や係数を記号表記する多項式の概念を登場させる。ここに、数の代わりに文字を扱う「代数」が始まる。ニュートンの「普遍算術」の世界とでも言おうか、人間の精神は、未知数と係数の関係を探求する方向へと向かう。ここまでの抽象化は、まだ二次元の世界にとどまる。しかし、対象がベクトルや行列の領域に到達すると、多次元の世界が広がる。そして、大学初等教育では「線形代数」に出会い、アル中ハイマーは奈落の一途をたどった。
1900年頃、文字記号は数の概念から離れはじめた。幾何学に革命が起き、人間の精神は非ユークリッド観へと向かう。数学の対象は、もはや「数」ではなく、体、環、群、そして、イデアルへと移行する。イデアル論は、酔っ払いの実存すら疑わせ、プラトンのイデア論へ通ずるものを感じる。アル中ハイマーは、既に「アルジェブラ」という強烈なカクテルによって一撃を食らっているが、抽象化の波はこれでも収まらない。トポロジーが登場し、凸多面体、星形多面体、メビウスの輪、トーラス、クラインの壺など、もはや現実逃避の世界が広がる。そして、アレクサンドル・グロタンディークのコホモロジー理論に到達した時、止めの一撃を食らった感覚すら感じない。ヤコービ多様体?不分岐類体論?モティヴィティック・コホモロジー?もはや純粋数学の領域にあるとは思えない。そして、代数学は幾何学に呑みこまれてしまった。いや!幾何学が代数学に呑みこまれたのか?いずれにせよ、アルコール濃度の高い方に飲みこまれたに違いない。ここで初めて数学はアルコール漬にされたことを自覚するのであった。
ヘルマン・ワイル曰く。
「トポロジーの天使と抽象的な代数学の悪魔が、数学の領域の一つ一つの魂を求めて戦っている。」
代数学で扱う素数や、方程式や、因数分解って、一体なんだったんだ?現代の代数学は、群、多元環、多様体、行列といった概念によって構築される。今後、代数学はどこへ向かうのだろうか?「普遍代数」へと進化するのだろうか?代数学は、既にアル中ハイマーには手に負えない宇宙へと旅立ってしまった後だった。

幾何学が代数学的なものに見える瞬間がある。それを本書はヒルベルトの零点定理とリーマン面で紹介してくれる。多項式の零点集合を観察していると、おもしろいものが見えてくる。例えば、次の4次方程式が&型曲線を描くのには感動する。
4(x^2 + y^2 - 2x)^2 + (x^2 - y^2)(x - 1)(2x -3) = 0
多項式の値がゼロになるなら、その多項式のべき乗も、このイデアルになるという。多項式の不変量の研究は、環の研究に他ならない。そして、イデアルの中のすべての多項式がゼロになる多様体とはどんなものか?といった探求が始まる。本書では、円錐曲線から代数曲線へ展開し、代数曲線の漸近線、つまり、無限大に近づくときの曲線の振る舞いが議論される。リーマン面においては、その威力が発揮されるのは逆関数を考えた時だという。平方関数の逆関数は平方根関数である。問題はゼロでない数には平方根が二つあることだ。リーマン面では、複素数がすべて対になっていて、一方がもう一方の上に重なっている。なるほど、垂直方向(z軸方向)の2点が平方根を表している。ただし、切れ目のところ以外であるが、4次元で図示できるとすれば、この切れ目は消えるというから驚きだ。リーマンは、現代微分幾何学を生み出し、いずれ一般相対性理論で使われることになる。

1. 代数の父は誰か?
「代数の父」という称号は、誰に与えられるべきであろうか?これは議論の分かれるところだろう。本書は1世紀から3世紀頃に現れたディオファントスを支持している。ただ、その600年後のアルフワーリズミーとする説も有力である。彼の名はアルゴリズムの語源になったという説もある。ディオファントスは、未知数、べき乗、引き算と等号に特別な記号を使ったという。それも、負数が登場する前の時代である。ただ、未知数に特別な記号を使ったのは、ディオファントスが初めてではないようだ。その最初の人物は不明という。そこに本当の意味での「代数の父」が存在する。それでも、文字表記した問題群を伝えた最古の人物なのは確かなようだ。「代数(アルジェブラ)」という言葉はアラビア語起源である。本書は、この「アルジェブラ」が、アルフワーリズミーの著書の題名からきているという説に納得がいかないようだ。ディオファントスの著作「数論」は、未知数やべき乗を記号で表しているが、アルフワーリズミーの著作「アルキターブ・アルムフタサル・フィ・ヒサブ・アルジャブル・ワルムカーバラ(補完と削減による計算の手引き)」には、記号表記ではなく文章で表されているという。ディオファントスの著作には、幾何的方法から記号操作へと向かう歴史的な転換が見られるが、アルフワーリズミーの著作にはそれが見られないらしい。本書は、むしろ時代に逆行しているではないかと指摘している。

2. 3次方程式と4次方程式は誰が解いたか?
3次方程式の一般解は誰が解いたかということについては、やや複雑な歴史がある。ジェロラモ・カルダーノは、著作「偉大なる技について」、すなわち、代数の規則に関する第一の書物で、3次方程式と4次方程式の一般解を掲載した。当時、3次方程式の型は三つあったという。
(1) n = ax + bx^3
(2) n = ax^2 + bx^3
(3) ax + n = bx^3
(1)と(3)は、同型に見えるが、当時は負数という概念がようやく認められようとした時代で、まだ区別されていた。(1)型の一般解を見つけた人物に、ボローニャ大学の教授シピオーネ・デル・フェッロがいる。彼は、亡くなる前にアントニオ・マリア・フィオーレという学生に打ち明けたという。以降、かわいそうなことにフィオーレはどんな数学史にも凡庸な数学者として記されているという。フィオーレは、数学の競技で名をあげようと、既に競技で有名だったニコロ・タルターリアと勝負した。その時、タルターリアは三つの型の3次方程式を解いた。その勝負をカルダーノは、ツアンネ・デ・トニーニ・ダ・コイから聞き、タルターリアに接触して他言しないという約束で解法を聞き出したという。4次方程式の解はカルダーノの弟子ルドヴィコ・フェラーリが解いた。カルダーノとフェラーリは、3次方程式についての貢献がタルターリアが最初ではなく、その前にデル・フェッロであったことを知ると、3次方程式と4次方程式の一般解を著作に載せた。タルターリアは、3次方程式の解法を発表しなかったが、彼が独自に解いたことに疑いはないという。しかし、その栄誉はデル・フェッロとの共同扱いにされタルターリアは苦しんだ。カルダーノは、3次方程式と4次方程式の解法を示した著作が後ろ盾になって、政治的にうまく振舞ったという。

3. ニュートンの功績
著者の好きなニュートンの逸話を紹介してくれる。
「1696年、ヨハン・ベルヌーイがヨーロッパの数学者に二つの難問を出した。ニュートンは問題が出された日にそれを解いて、自分の答えをロンドンのロイヤル・ソサエティに出し、ソサエティはそれを、誰が出した答えかを言わずに、ベルヌーイへ送った。ベルヌーイは、匿名の答えを読んだとたん、それがニュートンのものだと悟った。ベルヌーイは、「爪を見れば、ライオンとわかる」と言ったという。」
ニュートンは、科学への貢献と微積分を発明したことで知られるが、代数学者としてはあまり知られていない。彼は、ケンブリッジ大学で代数学を講義していたという。ルーカス教授職の後任ウィリアム・ホイストンは、その講義録を「普遍算術」という本にまとめて出版した。ニュートンは出版を許可したが、しぶしぶだったという。著者として、自分の名前を出すことを断り、しかも、破棄できるように全部を自ら買い占めることまで考えたという。ただ、ニュートンの功績で注目すべきは、ずっと以前に書かれた「数学著作集」の第一巻に収められたメモの方だという。そこには、ニュートンの定理と呼べるほどのものがあるらしい。
「n個の未知数による対称式は、n個の未知数による基本対称式を使って書くことができる。」
基本対称式とは、次の三つ。
(1次) α + β + γ, (2次) βγ + γα + αβ, (3次) αβγ
対称式とは、αに対して行われることが、すべてβやγにも行われるもので、足し算、掛け算の組み合わせも未知数に対して均等に行われるものである。例えば、次のようなものである。
5α^3 + 5β^3 + 5γ^3 = 5(α + β + γ)^3 - 15(α + β + γ)(βγ + γα + αβ)
この定理が、方程式を解くことに重要な関わりを持つことになる。

4. 5次方程式
数学界には、離散と連続という二つの相反する学派がある。代数学は離散数を対象とし、解析学は連続体を対象とする。代数学の歴史では、18世紀頃に歩みの遅い時代があった。それは、3次方程式と4次方程式の一般解が発見されてから、5次方程式に一般解のないことが証明されるまでの期間に象徴される。それも、微積分の発見が、代数学の進歩を減速させたと見ることもできるだろう。5次方程式への取り組みは、巨匠オイラーをもってしても証明できなかった。そこにアーベルが代数学を復活させたと言ってもいいだろう。1824年、アーベルによって5次以上の方程式に決まった代数的解法がないことが証明された。フェラーリが4次方程式を解いてから160年が経っていた。この過程も多くの数学者によって支えられる。ヴァンデルモンドという、フランス人っぽくない名前のフランス人、ヴァンデルモンドの行列式で知られる人物である。彼の考えを発展させたのがラグランジュだという。ちなみに、この名はフランス人っぽいがフランス人ではない。ラグランジュは、分解方程式から迫る。ルッフィーニもラグランジュの考えに従ったものだという。本書は「かわいそうなルッフィーニ」と評している。そして、アーベルの証明はアーベル=ルッフィーニの証明と表すのが良いと語る。だからと言って、アーベルの評価を蔑むものではない。ガウスは、アーベルの証明を見せられていたが、うんざりしてどこかへ置きっぱなしにしたという。既に有名だったガウスの元には、大問題を証明したと主張する変人たちが多く寄ってきた。アーベルもその一人として扱われた。アーベルはアウグスト・クレレと出会う。クレレは数学者ではなく、数学のプロモーターのような人物である。クレレは自分の雑誌にアーベルの論文を掲載した。クレレからアーベルにベルリン大学の教授に迎えるという知らせが入ったのは、アーベルの死後2日だったという。なんとも巡りあわせの悪い歴史であろうか。

5. 4次元へ
1次元の実数から2次元の複素数へと思考が移ったことで数学は豊かになった。ウィリアム・ローワン・ハミルトンは3次元についても、同様の代数を展開する。もちろん、実数や複素数のように交換法則や結合法則などの算術の基本法則が成り立たなければ意味がない。しかし、彼は、3次元ではできなくても、4次元ならばこの基本法則が成り立つと主張したという。いきなり2次元から4次元へと飛躍するとは?これでは3次元の立場がない。そこには、複素数とモジュラ計算の体系が展開される。ハミルトンこそ、ベクトルとスカラーなどの言葉を現代的な意味で使った最初の人だという。ベクトル解析の幕開けである。ただ、掛け算を厳密な交換法則と結合法則から解放すれば、あらゆる奇妙な物が姿を見せる。零ベクトルが因数分解できるような多元環もある。ゼロの因数には複素数も現れる。行列の掛け算で二つの零でない行列を掛けると、しばしば零行列が現れる。零の因数を認めることによって、多元環の概念は発展していく。

6. 行列式
中国の「九章算術」という本が書かれたのは、紀元前200年以降の前漢の時代と考えられる。これが西洋にどれだけの影響を与えたかは、意見の分かれるところだろう。この本には、連立方程式の解法があり、ガウスの消去法も記載されているという。ここで表される連立方程式を眺めていると、ある法則が見えてきて、それも行列に見えてくるからおもしろい。そして、置換などの基本操作が見えてきて、はたまた固有値問題へと発展する。数学の授業では、行列が先に登場し、その後に行列式を学ぶが、歴史的には行列式の方がずっと前に発見されているそうな。1683年になってから、行列式の発見がドイツと日本で二度あった。ドイツではライプニッツが、日本では関孝和である。日本人が書いた最初の数学書は、1622年、毛利重能の「割算書」で、関孝和は毛利重能の弟子である。関孝和は、おそらく中国の「九章算術」も知っていただろうという。彼は、係数、未知数、未知数のべき乗を表すのに漢字を使った。今日、ヤーコブ・ベルヌーイが紹介したベルヌーイ数は、実はその30年前に関孝和が発見していたという。連立方程式を行列式を使って解く手順にクラメールの公式がある。行列式に筋の通った理論を確立したのはコーシー。この数学の道具は、ハミルトンの4元数も表すことができるどころか、多元環も表すことができる。

7. 体、環、群、そして、イデアル
19世紀に入ると、「体」と「群」が数学的対象として加わる。「体」は数の体系で、四則演算をいくら行なっても、答えは同じ「体」にある。「体」には非可換性が紛れ込むが、有限体となると事情が変わる。有限個の元からなる「体」は、四則演算で定義された閉じている有限集合である。これがガロア体である。有理数の演算で答えが有理数となれば、それは有理数という「体」にある。しかし、現実には、高次元の方程式を解くと、わずかに無理数の「体」や複素数の「体」が現れる。係数の「体」よりも、解の「体」の方が大きい。この関係をガロアの群論が論じている。「群」とは、対象の集合である。「群」は、わずかな四つの公理、つまり、閉じていること、結合法則が成り立つこと、単位元があること、逆元があること、によって定義される。この単純な公理がその後の広い展望をもたらし、非ユークリッド幾何学へと向かわせる。「体」は「群」よりも複雑なもので、更に多くの公理が必要となる。その分、「体」の方が制限も多い。現代数学では、その対象に「環」というものがある。「環」は「群」よりも複雑だが、「体」ほどではない。「環」は、数学者にとって、ちょうどよい世界を提供する。例えば、整数の「体」において、足し算、引き算、掛け算は自由にできても、割り算はできない場合がある。整数は割り算において閉じているわけではない。数学の対象には、こうした三つの演算はできるが、もう一つの演算ができないものが実に多くある。これが「環」である。「体」は「環」よりも定義が厳しく、「群」は、もっと緩やかで「体」を広げることができる。「環」が「群」と「体」の中間に位置するのも、こうした事情がある。ガウスは複素数の「環」を見つけた。「環」には、一意的な因数分解という性質があるという。ただし、ガウスの時代には、「環」という言葉を使わなかった。その100年後に「環」という言葉が現れる。ここで鍵を握る概念「イデアル」が登場する。「イデアル」とは、数ではなく、数からなる「環」であるという。例えば、ある「環」として整数をとると、その中にある整数の倍数は全てイデアルであるという。ということは、公約数の二つの数でも、イデアルが得られそうだ。デデキントは、イデアルの定義から、どんな「環」についても、素数、約数、倍数、因数の定義を生み出すことができたという。

8. トポロジー
トポロジーという言葉は、1840年代、ゲッティンゲンの数学者ヨハン・リスティングによるものらしい。リスティングの考え方の多くは、ガウスに由来するという。リスティングはメビウスの輪についても述べているという。しかし、その4年後にメビウスが発表している。トポロジーの構造を調べるのに、面から離れずに出発点を縮めることができるか、といった経路を議論する。経路であるループを調べることによって構造を分類したのが、アンリ・ポアンカレ。本書は、ポアンカレが現代トポロジーの創始者となったことには、興味深い矛盾があるという。トポロジーの学派には二通りある。一方は幾何学に由来し、もう一方は解析学に由来する。解析学は、極限、微積分など、連続性を扱う。滑らかで連続的な変形と考えるならば、トポロジーとの関連はつかみやすい。トポロジーは柔軟で滑らかに連続的に伸び縮みするゴムシートのようなものだからである。ところが、最初に姿を見せたトポロジーの不変量はトーラスの穴の数で、これは整数である。次元もトポロジーの不変量で、これも整数である。ポアンカレが明らかにした基本群も、連続群ではなく、数えられるものである。つまり、トポロジーは離散的なものを対象としている。これに対して矛盾とは、ポアンカレがたどり着いた手段が、解析、特に微分方程式を使ったことにある。次元がトポロジーの不変量であることを証明したのは、L.E.J.ブラウアーだという。
「ブラウアーの不動点定理: n次元球体のそれ自身への連続写像には不動点が存在する。」
n次元球体とは、二次元ならば単位円、三次元ならば球である。これらをn次元に一般化している。つまり、それぞれの球体の点を移動していくと、結局出発点に戻ることができるという定理である。

1 コメント:

アル中ハイマー さんのコメント...

本書で紹介される書籍をメモっておこう。

1. エドウィン・A・アボットの著書「Flatland(1884年)」。
この本は、社会的身分体制を二次元空間の辺の数で決めるという物語だそうな。辺の数が多いほど地位は高くなる。線分は最も最下位で女性の地位とし、正方形、正五角形、正六角形と進み、円が最高位ということになる。その世界に、三次元の訪問者、球がやってくる。球はフラットランドの中に潜って謎となる。球は二次元の世界から見ると、不可解な拡大と縮小をする円に見える。この球は哲学的な対話に引き込み、点国のことも紹介するという。この本は、著者独自のキリスト教観を掲げ、ヴィクトリア朝時代の社会風刺として書かれたものらしい。
アマゾンで探してみると、ブルーバックスから「二次元の世界 - 平面の国の不思議な物語」というのがあった。おそらくこれであろう。古くて入手が難しそうだ。

2. ハロルド・エドワーズ教授の著書「構成的数学試論(2004年)」。
本書では、強力なコンピュータが使えるようになった現代で構成主義の出番が来ていると語られる。そして、この本はその構成主義を分かりやすく解説しているという。ただ、洋書しかなさそうだ。
人間の精神には、「直観主義」と「形式主義」の対立がある。もともと数学は、論理学で形式主義であるが、天才たちの直観によって、発展をしたことも否定できない。
「構成主義」は、数学的構造をスケッチするような直観的アプローチのようなものだろうか?
ちなみに、著者ダービーシャーはエドワーズ氏の本の引用が多い。それもファンだと自ら語る。

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