言語とは何か...
これを問うだけで深淵な世界が広がり、その種類となると、日常会話で使う自然言語から学術的な専門言語に、数学の記法やプログラミング言語まで無数に出くわす。
しかしながら、人間の思考となると、そうした言語を遥かに超え、深層心理や潜在意識までも含めた領域にある。言語を用いることが知的活動のすべてではないし、言語能力が認知能力のすべてではないのだ。思考という現象が、どこに発するのかは知らんが、知能の進化が言語によって牽引されてきたのは確かであろう。
言語は、思考を確かなものにする。思考の過程を辿り、自己を確認するための手段となる。また言語は、記憶を確かなものにする。偉人たちが遺した名言や格言が自己を戒め、思考のフィードバックによって自省を促す。言語論を語るのに言語を用いること自体が、既に自己矛盾に陥った感があるが、この自己矛盾こそが進化の過程では必要なのであろう。そして、言語とは何かを問えば、人間とは何かを問うことに...
さて本書は、認知科学者と言語学者が織りなす言語論である。
まず、言語として成立する十大原則に「コミュニケーション機能、意味性、超越性、継承性、習得可能性、生産性、経済性、離散性、恣意性、二重性」を挙げ、言語現象の源泉を「オノマトペ」から辿り、言語システムの進化を「推論」という思考過程から紐解く。
人間の思考には、「A ならば X」を「X ならば A」へ過剰に一般化する傾向があるという。推論には、思考バイアスがつきもの。討論会でも、結果と原因をひっくり返して迷走する様をよく見かける。
とはいえ、誤りを犯すリスクは、そのまま進化の可能性を匂わせる。不確かな状況下では確率的な解決も必要だ。人間は、ある事象を観察すると、その類似性を探り、言葉に導かれて観察不可能な領域にまで思考を広げる。それは、ある種の病理学であろうか...
ところで、AI(人工知能)に発する「記号接地問題」というのがある。対象を記号と結びつけることができれば、それで知ったことになるのか?認知できたことになるのか?という問題である。
言葉で説明できるからといって、それで知っていることになるのだろうか。言葉で定義できたからといって、それで理解したことになるのだろうか。AI に質問すれば、適格な答えが返ってくる。それで、AI は、その事象を知っていることになるのだろうか。こうした問題は、コンピュータは意志を持ちうるか、というアラン・チューリングの問い掛けに通ずるものがある。
では、こう問い直してみよう。
記号に接地することが、そのまま知識にならないとすると、何と接地できれば、知ったことになるのだろうか。人間の知識は、何が後ろ盾になれば、確かなものになるのだろうか。人間の知性とは、言語機能が示すように抽象的な概念を扱う能力を言うのであろうか。
最もシンプルな答えは... 言葉は国語辞典が知っているよ!
1. オノマトペとは
オノマトペとは、擬音語や擬態語のこと。ゲラゲラ、ペコペコ、モグモグ、ドキドキ、メロメロなど、感情やイメージと直接結びつく幼稚な言葉で、大人の会議や討論会ではあまりお見かけしない。従来の言語学では補助的な扱いであったが、近年、言語の本質を巡って脚光を浴びているという。
各国語での違いが顕著なのは、動物の鳴き声であろうか。猫は、日本語でニャー、英語でミューやミャオ。犬は、日本語でワンワン、英語でバウワウといった具合に。
本書は、オノマトペを身体的で、アイコン的と特徴づけている。アイコン的とは、パソコンやスマホでお馴染みの分かりやすさを基調としたイラスト風の画像のことで、オノマトペとの違いは視覚的か音感的か。
そういえば、知り合いの子供が五歳で言葉も分からないのに、デスクトップ上でしっかりとゲームを起動できたりする。配置で判断するのか、絵柄で判断するのか。人間の知覚能力恐るべし!身を持って知る... と言うが、やはり知的活動の基本はこれであろうか...
「オノマトペは物事との間の部分的な類似性を頼りに、感覚イメージを写し取る。写し取るというオノマトペの性質ゆえに、その語形や発音、構成音そのものの特徴、さらには共起するジェスチャーや表情にまでアイコン性が宿る。言い換えれば、オノマトペは、その語形・音声や非言語行為のアイコン性を駆使して、感覚イメージを写し取ろうとすることばなのである。」
2. オノマトペの体系化
日本語は、オノマトペ性が保たれ、オノマトペが高度に体系化された言語だという。例えば、副詞からスル動詞を経て一般動詞となる過程にそれを見る。スル動詞とは、「~する」という表現のこと。「よろよろと」から「よろよろする」を経て「よろける」、「うろうろと」から「うろうろする」を経て「うろつく」、「ざわざわと」から「ざわざわする」を経て「ざわつく」といった具合に...
感情的ではあるが、文学的でもあり、芸術性はこうした性質に宿るのであろう。その発端は、純真な子供が好奇心を抱き、自律的に学習していくメカニズムにありそうだ。五十音の中でハ行だけが濁音と半濁音を持っているのも、音感的にオノマトペ性と関係がありそうな。スマホやパワハラといった略語が蔓延するのは、オノマトペ回帰であろうか...
「言語習得とは、推論によって知識を増やしながら、同時に学習の仕方自体を学習し、洗練させていく、自律的に成長し続けるプロセスなのである。」
ちなみに、論文などを書く時、欧米語に比べて日本語は向かないと指摘されたことがある。主語を省略したり、行間を読むといった習慣がそうさせるのか。昔、特許なんぞを書こうと一週間も篭もると、会話でも形式張ったり、主語を強調したり、しばらくぎこちなくなったものだが、英語ではそういうことがあまりないと聞く。そう単純なものでもないだろうけど...
3. 動詞枠づけ言語と衛星枠付け言語
言語は大きく種別して「動詞枠づけ言語」と「衛星枠付け言語」があるという。それは、移動の表現による分類で、前者は移動の方向を述語動詞で表し、後者は述語以外で表すとか。
前者の例としては、日本語の動詞「横切る」、「降りる」といった表現。
後者の例としては、英語の前置詞 "across"、"downn"、"over" をともなった表現。
こうした違いを突きつけられるだけでも、単語が一対一では対応できず、翻訳が一筋縄ではいかないことが身にしみる。
4. アブダクション推論
やがて言葉は、身体的な比較から論理化や抽象化が進み、オノマトペ性から離れていく。事象をなにかとグループ化やカテゴリ化するのは、人間の性癖とも言えよう。それをもたらしたのが、推論的思考や論理的思考ということになろうか。
二大推論法といえば、演繹推論と帰納推論だが、本書では「アブダクション推論」に着目する。そう、仮説的推論ってやつだ。
演繹推論は、論理的に事象を組み立てながら答えを導く方法で、最も信頼性が高い。
帰納推論は、近似的な経験の積み重ねから一般化する方法で、しばしば例外も生じる。
アブダクション推論は、結果から遡って原因を推測する方法で、帰納推論に補足を与える。
帰納推論にしても、アブダクション推論にしても、きわめて確率的。しかしながら、人間社会に蔓延る事象はきわめて複雑で、演繹できるケースはそれほど多くはない。最も実践的なのは、アブダクション推論ということになろうか。誤りを修正することで、理解は深まる。仮説を立て、実験し、結果に反することで思考を修正していく。ブートストラップを起動させて...
「子どもが言語習得の過程で行っていること、つまり知識が新たな知識を創造し、洞察を生み、洞察が知識創造を加速させるブートストラッピング・サイクルが、まさに帰納推論とアブダクション推論の混合によるものだからである。」

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