2010-02-14

"ファウスト(第一部/第二部)" Goethe 著

ゲーテを好むようになったのは10年ぐらい前であろうか。その頃に本書を読んで、鳥肌の立つような迫力を感じた覚えがある。前記事で「ウェルテル」を扱ったので、ついでに読み返すとしよう。
ゲーテは、この作品を20歳から想を練り、24歳で書き始め、82歳で書き終えたという。彼は83歳で没したので、この天才詩人にして全生涯をかけた大作ということである。本書は戯曲であり、台詞調で、しかも韻文で書かれているので、調子に乗って一気に読んでしまう。それにしても、この癒される感覚はなんなんだ!音楽の流れるような文章の連続には、もはや手も足もでない。真の芸術は鑑賞者を無言にさせるというわけか。うなるような酒が酔っ払いを黙らすかのように。読み終えた時には満腹過ぎて、いまや何を読んだのかも思い出せない。真の感動から感想を語るのは難しい。感じるままに綴ろうとしても、精神をどこか冷めた領域に置かないと文章は書けないから。感想文を書くということは、余韻に浸るには余計な行為なのかもしれん。したがって、この記事を書くために、またまた再読するしかないのであった。

16、17世紀頃、ドイツには「ファウスト伝説」という広く伝えられた魔術伝説があると聞く。古来から魔術は、宗教と同じように人間の魂を支配してきた。だが、宗教と魔術は真逆な立場にある。宗教が神に帰依し身を捧げるのに対して、魔術は策略をもって神にとって代わろうとする。昔々、科学は魔術に属していた。宗教家にしてみれば、科学は神を冒涜する目障りな存在だったことだろう。13、14世紀頃盛んだった錬金術は万物を黄金に化けさせる。医術や錬金術や占星術は神秘思想と結びついて神の行為を自ら行うものと解釈され、錬金術師や占星術師は人間を惑わせる魔術師と呼ばれた。錬金術が化学の前身であるならば、占星術は天文学の前身と言えよう。本作品は、実存したと言われる錬金術師ドクトル・ファウストの伝説を題材にしている。そのラテン語形「ファウストゥス」には、「幸福なる」という意味があるという。いかにも、神にとって代わりそうな名前である。
主人公は、ファウスト博士と悪魔メフィストフェレス。ファウスト博士は、哲学、法学、医学、また要らんことに神学までも研究した大学者である。彼は、学問からは何も得られないと無力感に絶望している。さて、ファウストの運命は、天国と地獄のいずれへ導かれるのか?悪魔メフィストフェレスは、地獄へ導いて見せると、神と賭けをする。そして、ファウストをあらゆる官能的享楽へと誘惑する。女性美を与えながら次の瞬間には悲劇を与えて精神を没落させようというわけだ。だが、ファウストは悲劇の経験を重ねるうちに、精神の本質を悟っていく。日々勤労に励み、自然の脅威や権力の脅威を恐れることなく、自由に生きることを理想とするのである。そして、ファウストは天国へ導かれるように世を去る。ここには、ファウストの感情論にメフィストフェレスのニヒリズムを対抗させた構図がある。そして、悪魔に人間精神の本性を代弁させる様子がちりばめられる。悟性の発達した現実主義者が数々の教訓を与えるのは、夢想家にとってこれほど役立つものはない。悪魔の策略は、人間を没落しようと刺激しながら、かえって神の業を助けるかのようである。なるほど、宗教も魔術も同類項というわけか。そして、アル中ハイマーは魔術を求めて夜の社交場へと繰り出す。酔っ払いを女性美によって没落させようとしても、小悪魔はかえって若返りの薬となろう。

本書には、西洋思想の転換期と言われる宗教改革やルネサンス時代の精神が現れているように思える。それは、カルヴァン主義の予定説的な天職理念と、自由の概念の対比である。また、知識に頼る人間の性格を批難すると同時に宗教批判もうかがえる。
ところで、ファウストはゲーテ自身を描いているのだろうか?そう思っても不思議ではないだろう。ゲーテが体験的な詩人であることは広く知られる。だが、訳者相良守峰氏は、速断できないと指摘している。
また、専門的なことはよく分からないが、ギリシャ神話にまつわる妖怪たちが登場し、妖怪の性格と人間精神の本質とを絡めながら巧みに構成されるあたりの文学的な意義も深いのだろう。なにしろ、ドイツ哲学とギリシャ神話との融合が見られるのだから。本作品から影響を受けた芸術家が多いのは想像に易い。

[舞台の前曲]
座長、座付詩人、道化人の3人の会話から始まる。座長は、詩人と道化人に盛り沢山をお願いする。とはいえ、見物人の多くは退屈まぎれにやってくる。ご馳走の後の腹ごなしにやってくる。新聞を読み飽きた挙句にやってくる。ご婦人は着飾った我が身を見せものにやってくる。こんな観客の前でやる気が出るはずもない。そこで、座長は煙に巻きさえすればいいと説得する。詩人は、ならば奴隷でも探したまえと座長をあしらう。すると道化人は、その結構な力を使って詩人商売でもおやりなさいと詩人をあしらう。
「有頂天になっていると、悩みが生じる、ほら、いつのまにか、ちゃんと一篇の小説だ。」

[天上の序曲]
主は言う「地上の国では永久に何ひとつ気に入るものはないのか。」
悪魔は答える「気に入りませんなあ、あそこはいつも変わらず困ったもんです。」
主は言う「ファウストは、わしのしもべだ。」
悪魔は言う「なるほど、あの男の奉公ぶりは、地上のものではない。...自分に気違いめいたことも半分は気づいているし、快楽をきわめようとする。」
主は言う「人間は、努力する限り迷うものだ。」
神は、ファウストの悩む姿を見て、いずれ正しい道へ導くつもりでいる。対して、悪魔メフィストフェレスは、人間どもは神に与えられた理性をろくな事に使っていないと揶揄する。そして、ファウストを地獄へ導けるかという賭けが始まる。神が去った後、メフィストフェレスは呟く。
「時々、あのおやじに会うのは悪くないて。だからおれは仲違いしないように、気をつけている。悪魔を相手に、あれほど人間らしく口をきいてくれるとは、しかし大旦那として感心なものだ。」

[第一部]
1. 悪魔と契約
学問に絶望したファウストは、地獄や悪魔も恐ろしくはないが、その代わりにあらゆる歓びを奪われた。それでも、一角のことを知っていると己惚れるよりはましだと慰める。ところで、人間は自我を認識できているのだろうか?人間はあらゆるものを認識しようと努力する。そして、認識していると自負した時にやっかいとなる。永遠の真理に近づいたと己惚れ、悟りの境地を見開いたかのように神と同列に置いてしまう。ファウストには二つの衝動の魂が住み着く。一つは、愛欲に燃え官能をもって現世に執着する。もう一つは、塵の世を離れ、崇高な先人の霊界へ昇っていく。ファウストは自らの霊を呼び込み、霊は衝動と共に天と地の間をさまよう。そして、新たな境地へ連れ出してくれることを願う。そこへ、メフィストフェレスが近づき、悪魔と契約すれば永遠の苦痛から解放されると持ちかける。
「悪魔や幽霊には掟がありましてね、忍び込んだ口から出てゆかねばならんのです。はいるときは勝手だが、出るときは奴隷の身です。」
地獄にも規律があって、悪魔は紳士であり、契約を結んでも安全というわけだ。だが、ファウストは困苦や欠乏は美徳であると反論する。安息できるのは墓場だけなのかもしれないと。メフィストフェレスは「そのくせ死は一こう歓迎される客じゃありませんね。」と皮肉る。そして、メフィストフェレス自身が奴隷にも、しもべにもなると言って享楽へと誘う。

2. 学問という教義
メフィストフェレスはファウストに扮して学生と面会する。学生は弟子にしてくれと迫る。そこで、まず論理学の勉強を勧める。だが、哲学者があらゆる事象を論理的に導いても、その道理を理解するわけではない。おまけに形而上学を学ぶと、理解できないことでも深遠な意味付けをしてしまう。
次に、法律学は関心しないという。法律や制度には、永遠の病が遺伝されていて、条理が非条理となり、善事が苦悩の種になるから。しかも、人間が生まれながらに有する権利などは問題にすらされないと。
では、神学はどうか?この学問となると、誤った道を避けることが難しいという。神学には多くの毒が潜んでいるが、それが良薬と見分けがつかない。しかも、その教えを金科玉条とする。
また、医学の精神などつかむに造作はないという。
更に、言葉には概念があるはずだが、まさに概念の欠けているところに、言葉がやってくるという。言葉だけで立派に議論もできる。言葉だけで体系化することもできる。言葉だけで立派に信仰を示すこともできる。結局、誰しも自分の学び得るだけしか学べるものではないので、学問に励んでも無駄だと説く。
となれば、何を学ぶのか?メフィストフェレスは、女の操縦術を学ぶことを勧める。女の要求や希望に実直そうに応えれば、それだけで丸め込むことができる。まず、学位をとって優れていることを女性に信じこませれば、いちころ!というわけだ。
悪魔は、必ず魔女のような老婆を登場させて魔術を見せる。メフィストフェレスはその種を明かす。人を騙すには、学問と技術だけでは足らず、忍耐が必要だという。そこで、年季の入った「人間もどき」を登場させて説得させる。なるほど、学者や政治家のような権威も似たようなもので、賢そうに見せなければ詐欺は成立しないというわけか。戒律は、正当な論理が記されるよりも、権威のありそうな言葉を並べる方が、ずっと効果があるだろう。知識や学識は、人を騙すための最高の道具となり、あらゆる権威を手中にする山師を育てるというわけか。人間は、知識や技能といった優位性を築きながら、互いに騙し合いながら生きているのかもしれない。酔っ払いがどんな立派なことを語ろうとも、説得力がないのは道理というものである。

3. 少女マルガレーテ(愛称グレートヘン)との出会い
メフィストフェレスは、ファウストにあらゆる女性の典型のような人物を拝ませる。ファウストはグレートヘンにすっかり夢中になる。嘘などついた事のない、純心な真心というやつで。男を改心させるには、一人のホットな女性がいれば十分というわけか。そりゃそうだ!天使のような女性が教祖様ならば、おいらだってカルト宗教に嵌るだろう。真心という欺瞞は、理性と対立するのか?純心な精神には、やがて悪業が宿る。これが人間の本性か?精神が純心なまま鈍感であり続けることが、唯一の救済法なのかもしれない。理想論ばかり主張しながら、美しい言葉だけで啓蒙できると狂信する思想家は、精神の苦しみが少ないのかもしれない。鈍感だからこそ、自分の価値観が最高だと信じて押し付けがましい態度がとれるのかもしれない。物事を探求し知識を得るほど、ますます理解できなくなり、ますます苦しみを背負い込むような気がする。精神の成長とは、没落を意味するのか?本質が見えたと錯覚したあたりで、思考を止めればいいものを!したがって、純米酒は、純心のままでいられる鈍感力を与えてくれるから美味い!

4. マルガレーテとの悲劇
メフィストフェレスは、ファウストをワルプルギスの夜の饗宴へと連れて行き、官能の泥沼に引きずり込む。ファウストが享楽に溺れていると、その中に不吉なグレートヘンの幻を見つけ、彼女に死刑の危機が迫っていることを知る。グレートヘンはファウストの子供を産んでいた。そして、子供を抱いてさすらった挙句、池に投じて殺してしまった。彼女は重罪人として投獄される。彼女を救わんがためにファウストはメフィストフェレスを伴って牢獄へ救いに行く。しかし、グレートヘンは自らの死を恐れ生を切望しながらも逃げようとはせず、神の審判に委ねて刑に服す。自らの罪を認めているところは純心でもある。そして、グレートヘンは裁かれて死ぬが、天上の声は「救われた」と叫ぶ。だが、罪深き人間の精神を、この一言で救済できるのか?メフィストフェレスは、人間が狂乱するのを楽しむかのように、悲劇的な運命を与えた。

[第二部]
1. 宮廷デビューと懲りないファウスト
ファウストは、悲劇の心を癒すため、自然美の探求者となる。
「虹こそは人間の努力を映す鏡だ。あれに思いをいたせば、もっとよく分かるであろう。人生は、彩られた映像としてだけ掴めるのだ。...一切の無常なるものはただの映像に過ぎぬ。」
立ち直ったファウストは、メフィストフェレスに上流社会へ導かれる。彼は、メフィストフェレスによって巧みに道化の地位を手に入れ、神聖ローマ帝国の王座の間にデビューする。しかし、皇帝は遊び好き、宮廷では享楽に溺れ、国法は行われず、財政困窮で国家は危機に直面している。仮面舞踏会で、ファウストは富貴な神プルートゥスに扮し、メフィストフェレスはその逆の強欲を演じる。二人は、遊戯に陶酔している皇帝に、地価に埋蔵される無限の宝を担保とした兌換貨幣の発行を認めさせる。しかも、皇帝はその記憶すらない。国中が歓楽しているうちに、国家の財政は立ち直り、ファウストは皇帝の信任を得る。
次に、皇帝は世界一の美男と美女とされるギリシア神話上の人物、パーリスとヘーレナを見たいと言い出す。神話上の人物を現世に連れて来ようというのだから、とてつもない欲望である。ファウストはメフィストフェレスの魔力を当てにして承諾する。ちなみに、パーリスはトロイア国の王子で、ヘーレナはスパルタ国の王妃。そして、香の煙の中からパーリスとヘーレナの姿が現れると、ファウストはヘーレナに恋する。ここには、実体のない形態に過ぎない、いわばプラトンのイデアのような存在がある。ファウストがヘーレナに触れた途端に爆発して、霊は霧となって消える。メフィストフェレスは、またもや美女にうつつをぬかす姿を見て、懲りない人間にうんざりする。人間はアダムとイブの時代から、誘惑されっぱなしというわけか。

2. 時空の旅、ギリシャ神話の世界へ
ファウストが書斎へ戻ると、助手ワーグナーが教授となっていた。ワーグナーは人造人間ホムンクルスを造る。小人間ホムンクルスは、レトルトに入れた原料を蒸留して化学的に造られた、いわば肉体を持たない純粋生命体である。ここには唯心論的な世界が組み込まれているようだ。ホムンクルスは、ファウストの夢までも見通す力がある。ファウストはヘーレナの夢を見るが、メフィストフェレスには何も見えない。ファウストは、夢の中で古典的ワルプルギスの夜へと時空の旅をしている。それを追いかけて、ホムンクルスとメフィストフェレスは、古代ギリシャ神話の発祥の地テッサリアへ飛んでいく。場面は、ギリシャ神話にまつわる妖怪たちがたくさん登場し、時空を超えた旅が続く。ヘーレナは、スパルタ王メネラス(メネラオス)の宮殿の前に立っていた。トロイアの城が陥落し、ギリシャ軍によって奪い返された彼女は、夫のメネラスの元へ帰ってきた。宮殿には、醜い妖怪フォルキュアスに変装したメフィストフェレスが現れた。メネラスは、フォルキュアスにヘーレナを神の生贄にするように命じていた。嫉妬のための刑罰である。ちなみに、一般的な説、いわゆる「パリスの審判」によると、パーリスはオリュンポスの女神に惑わされてヘーレナを奪い、それが原因でトロイア戦争が起こったことになっているが、ヘーレナが美男パーリスに誘惑されて、自らトロイアへ走ったという説もあるようだ。フォルキュアスは、助かる道はスパルタ北辺の異民族の首長の元へ逃れるしかないと教える。その首長とはファウストのことである。見事にそそのかし、ファウストはヘーレナと結婚する。そして、二人の間に早熟な天才児オイフォーリオンが生まれる。蛮族に征服されたギリシャが独立戦争を始めた時、オイフォーリオンはその戦争を身近で体験しようとして、両腕を翼のように広げて飛び立つが、深い谷間に墜落死する。ヘーレナも子供の死を追って悲劇で終わる。
グレートヘンといい、ヘーレナといい、悲劇のたびにファウストは精神を目覚めさせていく。その中で、ファウストの心がメフィストフェレスから離れていくのは想定外である。ちなみに、解説ではオイフォーリオンは、イギリスの詩人バイロンの運命を示しているという。バイロンは、若くして世を去ったが、ここにはその才能を惜しんだ意味が込められているそうな。

3. 欲望の変化、美的享楽から国家建設へ
ファウストは、享受のあとはいつも、一人自然の中に逃避する。彼はグレートヘンとヘーレナへの思いに耽っていた。メフィストフェレスは、今度は栄華な王朝生活で誘惑しようとする。しかし、ファウストは名声は空虚であると主張し、あらゆる無限の追求は、もはや人間の幸福のための創造的な活動に変わっていた。美的享楽は終わりをつげ、ファウストの欲望は、隣人のための行動が新たな指針となり、理想国家を築くことへと変貌する。そのためには、まず土地を所有しなければならない。ちょうどその時、皇帝は弊政のために人民に謀反されて僣帝の軍と戦争をしている。皇帝は劣勢であった。そこで、メフィストフェレスは、皇帝に味方して巻き返せば、海岸地帯の土地を褒美にくれるだろうと持ちかける。そして、魔力によって勝利し広大な土地を得る。

4. 開眼
ファウストは、旧制度から解放して新国家を建設し、人々は幸福を得た。だが、丘の礼拝堂のそばに住む老夫婦の小屋が目障り。彼はここから国内を展望したいのだ。老夫婦は立ち退きに応じない。その礼拝堂の鐘がファウストを狂わせる。やむなくメフィストフェレスに命じて老夫婦を移そうとするが、家屋に火をかけるなどの乱暴な振る舞いで老夫婦を殺してしまう。ファウストは移転させよと命じたのであって、殺害せよと命じたわけではない。彼は、その責任を感じて心が重くなる。そこに、焼跡から漂う煙の中から四人の灰色の女が現れた。それは「欠乏」「罪責」「憂愁」「困窮」の四人。「憂愁」のほか三人は、富貴なファウストに近づくことができない。悪魔こそが自由を束縛するものと感じて、メフィストフェレスと縁を切りたいと思っていた。この心の隙間に「憂愁」という幽霊が入り込み、ファウストを盲目にする。結局、人間とは、どんな享楽にも飽くことなく、どんな幸福にも満足せず、移り変わる様をひたすら求め、ついには、永遠の虚無を悟るものなのか?そして、ファウストは百歳に達して開眼する。自由な土地に自由な民と共に過ごしたいと願い、日夜励んで国土を開拓し、自然の脅威や権力の脅威を恐れることなく生きることに喜びを見つける。かくて人生の意義を認めたファウストは言う。
「瞬間に向かってこう呼びかけてもよかろう、留まれ、お前はいかにも美しいと。」
そして、ファウストは死んだ。メフィストフェレスは賭けに勝ったように見えるが、ファウストの描いた理想は天国に近いもので、地獄に属するものではない。天国から舞い降りた天使が撒き散らす紅薔薇は悪魔たちを焼き、ファウストの魂は天使によって救済される。そこに、かつての最愛の女性グレートヘンの魂が贖罪人として現れ、聖母に祈りをささげてファウストの魂が天へ昇る。

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