S. K. ランガー女史には、人間が物事を表象的に捉える認識過程からシンボル哲学なるものに魅せられた(前記事)。ここでは、芸術哲学とやらに魅せられる。
シンボル化という感性は、人間の思考プロセスに根源的に組み込まれているらしい。それが意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ...
尚、池上保太、矢野万里訳版(岩波新書)を手に取る。
「感覚的形式を通しての表現能力は、着想力の必要に応じて成長する。芸術の目標は洞察であり、感情の本質的生命の理解である。だが、すべての理解は抽象化を必要とする。... シンボル化を伴わないところに理解はなく、抽象化を伴わないシンボル化もない。... 実存をまったくそのままに伝達しようと努めるのは無意味である。経験自体さえ、そのようなことはできない。私たちは理解する事柄を観念するのであり、観念作用は常に定式化、表示、抽象化を伴うのである。」
芸術とは、SM の世界か。芸術家たちは極めて独断的に仕掛けてくる。しかも、独善的ですらあり、S のなせる業!
しかしながら、鑑賞者の側に感じるものがなければ、そこに芸術は成り立たない。素直に感じたければ、M にもなるさ。もはやカノンの虜よ!
人間の認識力には、事物を抽象的に捉える機能がある。これを具現化する技術が芸術ということになろうか。その技法の極地は、美的啓示と至高の芸をもたらすが、巧妙な欺瞞の芸にもなりうる...
「芸術は技術である。だがそれはある特別な目的、すなわち、表現形式、つまり本然の人間的感情を打ち出して、視覚、聴覚、または、想像力を通して知覚できる形式を創造することを目的とする技術である。」
芸術は哲学でありうるだろうか。無論学問分野として、芸術と哲学は別物。
しかしながら、どんな事物であれ、そこに哲学的思考を見い出せないものはない。その意味で哲学とは、摩訶不思議な学である。存在意識が絡むから、そうさせるのか。存在という意識があやふやである以上、いかようにも解釈できる...
人間の思考は、言語を通じて強化され、概念となる。人間は思考段階を登っていく上で、その場その場で表象的な何かを求める。内面を投影する仕掛けとして、シンボルやイメージ感覚のようなものを。空間とは何か、時間とは何か、そして、そこに存在するものとは、自己とは... などと問うだけで哲学的思考へ導かれる。
芸術は、内面と強く結びつくだけに、実に多くの哲学的問題を提起する。芸術家は表象を超えた何かを創造し、鑑賞者も負けじと表象を超えた何かを想像する。それが、芸術の意義というものか。
芸術空間は、一つの仮象であり、空想的幻影であり、虚空間であり、それでいて純視覚的空間で覆い、その全体がヴィジョンを提示する。そして、実在と概念を結びつける思考過程で、その思考そのものが哲学的であることを知らしめる。
芸術作品に癒やされるのは、それが真理へ導くからであろうか。おそらく、真理そのものが重要なのではあるまい。真理へ近づこうとする過程こそが...
「科学は普遍的表示作用から緻密な抽象化に進み、芸術は緻密な抽象化から、普遍性の援用をまつことなく、生命的内包作用に進む...」

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