2023-01-22

"経営の未来 - マネジメントをイノベーションせよ" Gary Hamel & Bill Breen 著

資本主義におけるほとんどの経営管理モデルは、二十世紀初頭に構築されたという。その慣行やルールは、二十一世紀の今でも幅を利かせ、とうの昔に亡くなった思想家や実務家たちの亡霊がまとわりつく... と。
確かに、経営管理の技術や組織構造は、会社が違っても似たり寄ったり。CEO や経営陣たちがすんなり他社に移れるのも、そのためか。しかし、成熟しきった経営管理モデルも、そろそろ次の段階を求めているようである。そして、非営利組織の運営手法の方が興味深い、今日このごろであった...
尚、藤井清美訳版(日本経済新聞出版)を手に取る。

「物理学の法則とは違って、経営管理の法則は既定のものでも永遠のものでもない。そして、それは悪いことでもない。」

おいらは、プロジェクトマネジメントをやることが多い。年齢は関係ないと言いたいが、経験を買われるようである。しかし、経験が邪魔をすることも多々ある。日本のムラ社会には、組織体質の悪弊もある。そんな煩わしいことから逃れ、多様な働き方を求めて独立したはずだったが...
近頃、フリーランスという都合のよい用語もあるが、それでも世間のしがらみから逃れられずにいる。三千年紀は幕を開けた。もはやネアンデルタール人の出る幕ではない。

ところで、マネジメント工学では、ずっと昔から疑問に思ってきたことがある。管理職って何を管理するんだ?管理の必要があるのか?
そもそも、「マネジメント」を「管理」と翻訳するところに違和感がある。仕事なんてものは自発的にやるもので、哲学的な意識が共通していれば、それで十分ではないか。共通しなければ、一緒にやらないだけのこと。おいらは人に命令することが大の苦手で、管理職には不向きな人間である。だから、あっさりと切り捨てる...

また、イノベーションという用語にも、なにやら宗教じみた香りがする。これをやれば、天国にでも行けそうな。そして、開発技法、生産方式、品質管理、サービス提供など、様々な技術や手法がイノベーションの対象とされてきた。企業が唱えてきた呪文は、コスト削減、リエンジニアリング、改善、アウトソーシング、オフショアリング... と枚挙にいとまがない。
そして、go to heaven... それは、すなわち、die out !

「近代経営管理は、ワンセットになった便利なツールや技法だけを言うのではない。トーマス・クーンの乱用され気味の用語を借りるなら、それはパラダイムなのだ。パラダイムは単なる考え方にとどまるものではなく、世界観であり、どのような問題が解決する価値があるか、もしくは解決可能であるかに関する、幅広くかつ深く奉じられている信条である。
  ...
人間は皆パラダイムの囚われ人であり、経営管理者としての人間は、効率の追求を他のあらゆる目標に優先させるパラダイムに縛られている。近代経営管理は非効率という問題を解決するために生み出されたのだから、これは驚くにはあたらない。」

本書で注目したいのは、上流工程を対象としていることである。階層構造では、最上位に位置づけられるのが経営管理イノベーション、次に戦略イノベーション、そして、製品やサービスのイノベーション、業務イノベーションと続く。人間の上流工程となると、人間性を問うことになろうか。仕事となると生き方を問うことになろうか。いずれも、哲学に帰するであろう。イノベーションもずっと人間に近づいてきたようで、これぞマネジメントの本質やもしれん...

「業務効率イコール戦略効率ではない... 企業は業務効率を測定する方法はたくさん持っているが、戦略効率を評価するとなると、ほとんどの企業がお手上げになる。新しいプロジェクトの案をどんどん生み出して検討するプロセスがないとしたら、現在のプロジェクトの構成が人材や資本の最も効率的な使い方であると、企業のリーダはどのようにして確信できるのか。資本や人材がより有望なプロジェクトに自由に移動できないとしたら、適切な資源が適切な機会に配分されていると、どのようにして確信できるのか。答えは簡単で、できないのである。」

こうして眺めていると、組織運営で当たり前とされるトップダウン的な規律は、あまり必要なさそうに見えてくる。いや、むしろ邪魔か...
現場の社員が状況を最も把握しているとすれば、そこに責任を与え、裁量と権限を持たせる方がずっと合理的なはず。自発的で持続的な行動を促すには、社員一人一人が経営戦略に参加しているという意識が持てること。社員が、業績データにリアルタイムでアクセスできることも付け加えておこう。
その心理的要素に、「大学院のような風土」「徹底的にフラットで大胆に分権化された組織」「小規模な自己管理型チーム」「自分の情熱に従う自由」といったものを挙げている。ベストプラクティスは、民主主義的な風土から生まれるというわけである。
しかし、こいつぁ、経営管理モデルというよりは無秩序に近い。いや、人間の本質に根ざした秩序というべきか。だからこそ、一旦、手懐けちまえば最強のイノベーションということになろう。但し、手懐けるまでの道のりは嶮しい...

ちなみに、政治学者フランシス・フクヤマによると、民主主義とは「一連の説明責任のメカニズム」を言うらしい。しかも、「説明責任が大きい体制ほど適応力が高い。」という。
そして、「階層構造ではなく格子構造の組織」「上司はいないが、リーダは大勢いる組織」などの事例を紹介してくれる。
組織運営では、肩書で序列化されたヒエラルキーよりも、責任の所在を明確にする方がずっと合理的というわけか。独裁体制では、ボトムアップの変革の機会はことごとく葬られるであろう。政治のごとく。それで、革命や反乱といった時代遅れの形で露呈するのでは、何をやっているのやら。二十世紀の終盤から、大企業といえども突発的な倒産に晒される事例が目立つ。世紀末現象かは知らんが、安定神話ってやつもまた自然法則に寄り添って崩壊するようである...

「民主主義社会では、権力は上に向かい、説明責任は下に向かう。政治家は自分の選挙区の有権者によって選ばれ、彼らに対して説明責任を負う。そのため、彼らはさまざまな視点を考慮に入れなければならない。企業の世界では、このパターンが逆になっている。社員は上に対して説明責任を負い、その一方で権限は取締役会から下にしたたり落ちる。トップ・マネジメントが説明責任を負っているのは、株主に対してのみだ。問題は、取締役会は価値を創造しないということだ。どれだけの価値が創造されるかは、社員の英知と想像力、それに彼らの戦略がどの程度、尊重されるかによって決まるのである。」

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