2024-03-03

"プリューターク英雄伝" プリューターク 著 & 澤田謙 編

死ぬまでに読んでおきたい!
そんな大作が、ToDo リストを賑わす。プリュータークの「対比列伝」も、そうした一冊。
だが、人生は短い。永遠に到達できない境地があるのも止む無し。だとしても、無闇矢鱈と足掻いてみるのも悪くない...

そこで、本書だ!
翻訳者澤田謙が独自の視点で人物像を掘り起こし、編纂して魅せる。
「対比列伝」というからには、古代のギリシアとローマで著名な人物を、一人ずつ対比しながら物語るという趣向(酒肴)。それぞれ二十名以上、計五十名ほどの英傑が記される。優れた人物の優れた行為には、一種の張り合いのようなものを感じる。自分もこうありあたいと...
しかも、時代を超えた対比となると、人物の特徴がより鮮明になる。長所だけでなく、短所も露わになり、より親しみが感じられる。

しかしながら、ここでは対比にこだわらず、自由奔放な書きっぷり!
「大王アレキサンダー」、「英傑シーザー」、「高士ブルータス」、「哲人プラトン」、「智謀テミストクレス」、「怪傑アルキビアデス」、「義人ペロピダス」、「雄弁デモステネス」、「大豪ハンニバル」、「賢者シセロ」と十名ばかりを炙り出し...
しかも、ハンニバルやプラトンは、対比列伝では一章をなしていないが、ここでは章に昇格させ、他の人物についても、かなり加筆したと宣言している。歴史学者箕作元八の著作「西洋史新話」を参考にしたと... そして、そちらの書にも興味がわくが、絶版のようだ。うん~、惜しい!
ブルータスの二大演説に至っては、対比列伝には骨格が記されるだけだそうだが、ここではシェークスピア風の戯曲で捲し立てる。
それで原書はというと、歴史書というより物語性に富んだ伝記小説風のようで、その性格は継承しているらしい。

例えば...
アレキサンダーの大王たる逸話は、知っていても、やはり読み入ってしまう。
ダイオゼネス(ディオゲネス)との問答では... 樽犬先生、何をご所望か?じゃ、そこをどいてくれ。日が陰るでなぁ...
「我もしアレキサンダーたらずんば、願わくばダイオゼネスたらん哉じゃ。」
「ゴルディアムの結び目 - この紐を解くものは、天下に王たるべし。」に挑んでは... 颯ッと佩剣を抜き放ち、紫電一閃!結び目を両断する。波斯(ペルシア)を平らげると、大王はこう言い放ったとさ...
「敵に克つよりも、己に克つこそは、王者たるに適わしきこと。王者の光栄は、そこのところにあるのだ!」

プラトン物語は、ソクラテスに看取られている。
「雅典(アテネ)の神々を礼拝せず、自分の創った新たな神を拝する。濫りに新説を流布し、世の青年を惑わす。」これが、ソクラテスの罪状。道徳を説き、真理を叫び、法に従うことを説いた賢者は、今、脱獄の勧めを拒否して法の裁きに身を委ね、毒杯を仰ぐ。
その意志を次いだプラトンは、学園アカデマス(アカデメイア)を開講し、青年たちを導いた。これが、今日のアカデミーである。プラトンは、哲学者こそ統治者の資質としながら、自らは教師に甘んじたとさ...

ハンニバル物語には、人を動かすリーダーシップ論を学ぶ。
電光石火のごとくアルプス越えを果たせば、「カルタゴは怖るるに足りないが、ハンニバルは怖れねばならないぞ!」
この豪傑に、ローマはアルキメデスの知恵で反撃す、「予に支点を与えよ。然らば地球を動かさん!」

... こうした物語を多くの作家が読み、また創作の糧にしたことだろうことは、想像に容易い。

ところで、英雄ってやつは、どんな時代に出現するのであろうか...
大衆は、強烈な指導力を持つ政治家の出現を待ち望む。そして、選挙運動を冷めた目で眺めては嘆く。そんな人物は見当たらないと...
大衆は、移り気が激しい。いざ、豪腕な政策を施せば、それを嫌い、今日の英雄は一夜にして独裁者呼ばわれ。
しかも、大衆は盲目で、自信満々な語り手を信用する。こうしたことが、民主主義の最大の弱点なのであろう。
したがって、政治家は、弁論術を求めてやまない。支持を得るために、その技術を磨く。現代風に言えば、プレゼン技術。もちろん、その根底に政治哲学が重視されるべきだが、何事も手っ取り早く手段や方法に群がるのが人間社会というもの。効果的な人心掌握術があれば、そこに群がる。重要なのは真理ではない。真理っぽく装うことだ。大事業を成すには、真理では足らぬ。正義でも足らぬ。権勢や利運をも味方につけなければ。
ただ、いつの時代でも、どこの国でも、絶えないのは大勇を妬む小勇がある。民主主義社会では、善良な政府の存在よりも、善良なマスメディアの存在の方が本質的なのかもしれん...

「大衆時代なればこそ、世は英雄を待望するのである。猫の顔ほどの希臘(ギリシア)の小天地に、偉人傑士雲のごとく現われたのは、いわゆる希臘の自由なる民主主義時代であった。羅馬(ローマ)の民衆が、世界統一を夢みはじめたとき、シーザーが起ってその大衆の呼び声にこたえた。仏蘭西(フランス)革命の怒濤のごとき大衆の波に乗ったのが、一世の風雲児ナポレオンであった。ながい封建の桎梏が自然に腐れ緩んで、百姓町人の手足に自由が訪れたとき、西郷南洲は錦の御旗を東海道に押し立てたのだ。真の英雄は、自由なる民衆時代にあらずんば、現われるものではない。」
... 澤田謙

では、対比列伝に倣って、古代のギリシアとローマを対比しながら眺めてみよう...

まず、古代ギリシア時代は、アテネとスパルタの争覇戦であった。しかも両国の性格は、人情風俗習慣に至るまで正反対。アテネは文化を重んじる民主主義、スパルタは武断を誇る国家主義。デモステネスのような雄弁家を輩出したのも、アテネのお国柄を表している。もはや覇王フィリッポスに対抗できるのは、執政官にあらず、将軍にあらず、ただ一人の雄弁家であったとさ。
テミストクレスは、雅典(アテネ)の未来は海上にあり!とし、海軍を創設。積極的な海外貿易で国力を強化していく。政変で専制政治に傾くと、直ちにこれを打倒するアルキビアデスのような怪傑が出現する。
対するスパルタは、他国と交われば衰弱な風土に汚染されるとし、海外との交流を拒否する。アテネは個人財産を重んじ、スパルタは金銭を卑しみ、自ずと両国で法の在り方も異なる。見事なほどの対称性をなす都市国家と言うべきか。

これに、第三勢力としてテーベが割って入るといった構図。
ペロピダスは、異郷アテネに亡命するも、ひそかに二大強国の隙き間から、新興国テーベの樹立を画策する。それでも、外敵による危機が迫ると、ギリシア全土で惜しみなく結束できる関係が保たれている。

一方、古代ローマ時代は、策謀と奸計で賑わす。
ローマ皇帝という絶大な権力者がいながら、元老院という諮問機関が併設され、その意味では、アテネとスパルタが融合したような。いや、ローマは群衆が動かす国家だ。それ故、大っぴらに事を運べない。
シーザーが慕った高徳な人物ですら、正義感が強すぎる故に私情を捨て... ブルータス、汝もか!
このブルータスこそは、専制政治を打ち破って平民政治を打ち建てた、古ブルータス家の子孫であったという。策略家カシアスは、ブルータスの純粋な使命感を操って、暗殺計画の一党に引き入れ、事を為す。
そんなローマを遠くエジプトから視線を送る女王は、シーザーを悩殺し、アントニーを弄殺。だが三度目の正直か、オクタヴィアスを艶殺せんとして成らず。クレオパトラの鼻が一分低かったら、世界の歴史は違っていたろう... とパスカルに言わしめた妖艶無比なる美女の運命は、自ら毒蛇の餌食に...

シセロ(キケロ)ほどの人物までも、時代の餌食に... 
クレオパトラの鼻とは反対に、シセロの鼻は豌豆(シセル)に似ていたので豌豆氏と渾名されたそうな。この賢者にして、二大欠点が暴かれる。
一つは、余りに己の功績を、自ら称賛し過ぎたこと。彼の文書には、自賛の言辞で満ち満ちていたという。
二つは、弁舌にまかせて、あまりに皮肉や毒舌を弄したこと。元老院といわず、人民会といわず、裁判廷といわず、人を見下すような...
いずれも悪意はなさそうだが、没落を早めるには、惜しみて余りある。そして、ローマを追われながらも、共和制が独裁制に変貌していく様を憂う。
オクタヴィアスはシセロの信望を利用して統領になるが、アントニーのシセロ暗殺計画に屈っする。皮肉なことに、アントニーはオクタヴィアスに攻められ、エジプトで非業の死を遂げることに。オクタヴィアスはというと、シセロの子を抜擢し、共に統領ならしめたとさ...

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