2014-04-06

"訣別 ゴールドマン・サックス" Greg Smith 著

... 麻雀教室をやるんだ。そこらの闇市のおっさんたちに麻雀の面白さを教える。カモ教育だ。今までの博奕打ちは、猟師が海で魚捕るみてぇにボッタクるばかりで、客の養成をしなかった。だからカモがどんどんいなくなる。百姓みてぇに、種を蒔いて、育てて、それを戴くようにするんだ。
... 映画「麻雀放浪記」より

信用という言葉の意味を解する時、経済学におけるものほど違和感を持つことはない。信用取引は、けしてデリバティブと切り離せない。デリバティブってやつは、債権、株式、為替、コモディティなど市場で取引される資産から価値を派生させたもので、巨額な担保、すなわち借金の上に成り立っている。中には評価不能なほど複雑なものまである。例えば、ある債権からリスク部分を切り離して証券化すれば、債権の委譲なしに信用リスクのみを委譲することができる。こんな証券を結合したり、スワップしたりなどで金融テクニックを駆使すれば、現物そっちのけで信用だけが独り歩きを始める。まさに、価値の幽体離脱!
2008年に勃発したリーマンショックでは、投資銀行の無謀なデリバティブ商品に、保険業界のスワップ商法が安全性を装い、おまけに、格付業界の保証つきときた。どんな業界であれ、調査や格付といった統計情報は、業界や大企業が裏から手を回すだけでいくらでも装える。そして、金融のプロですら価値評価のできない水準に膨らませてしまう。金融屋の言い分は、いつもこうだ。
「みんな大人でしょう。私どもは洗練をきわめた機関投資家です。自分たちが何をやっているか、きちんとわかっています。」
アンドリュー・ロス・ソーキンは著書「リーマン・ショック・コンフィデンシャル(TOO BIG TO FAIL)」で、金融界に欠けているものはただ一つ、純粋な人間性だと語った。ここでは、倫理性の欠如が指摘される。こうした苦言を呈する人たちの存在が復元作用をもたらすというのも、アメリカ経済の強みではあろうけど...

著者グレッグ・スミスは、2000年ゴールドマン・サックスに入社し、わずか3年目で20億ドルもの先物取引をこなす。20代後半にはヴァイス・プレジデントとなってデリバティブ・デスクで活躍するものの、やがて社風の変化に疑問を持つようになり、12年後に退職。著者が嘆く社風の変化とは、長期戦略から短期戦略へ、投資から投機へ、そして、目先の収益を上げる者が出世する体質へと変貌する様である。
そもそも、投資銀行とヘッジファンドが共存できるのか?という疑問がある。投資と投機は似て非なるもの。投資戦略とは、投資先の企業価値を高めることであり、そのために長期的な視野が求められるのであって、瞬間的なサヤ取りゲームとは相容れない。もちろんリスクヘッジも必要だが、なぜこちら方が主業務になりえたのか?それは、部門間の縦割り構造にあるようだ。
本書は内部告発の類いとは、ちと違う。ウォール街の内側から業界体質を語った回想録である。今日の金融業界を手っ取り早く知りたければ、ゴールドマン・サックスを観察すればいいと聞くが、まさにその類い。ここには、企業組織が経営哲学を見失えば、短期的な収益主義に走るという典型的な事例がある。哲学を失った能力主義ほど危険なものはなく、エリートづらをしているだけにタチが悪い。
「長期志向のビジネス・モデルが主流の経済では、企業の収益はより安定的で、しかもどうやって収益が上げられているかには、透明性が生じる。これは株主にとっても、よりよい結果だ。株主は、仕事が安定的に入っていくる、収益の流れが予測可能な企業を好むものだからである。今日の"金を掴んで、走れ!"式のビジネスモデルは、無責任だし、持続可能でもない。」

さて、デリバティブの代表的なものに先物取引がある。大阪商人が始めた先物取引は、自然災害などで不安定になりがちな米価を安定させ、社会不安を抑制することが目的であった。農作物を生産すること自体が未来への賭けであり、将来価値を経済法則によって予め決定することができれば、保険として機能させることができる。現在でも、信用取引を理解し、うまく利用すれば、リスクヘッジとして機能する。派生的な存在というものは、脇役を演じてこそ輝く。
ところが、今日のデリバティブは、むしろ主役を演じながら信用不安を拡大している。オマハの賢人バフェットは、デリバティブを大量破壊兵器と呼んだ。銀行業務にしても、証券業務にしても、保険業務にしても、生産社会における補佐役であり、その主な役割は正当な価値評価にあるはず。しかし、自ら価値評価を複雑化し、サヤ取りに執着すれば、なーんの生産性もないことを目立たせるばかりか、破壊屋の本性までも曝け出す。それは、人間社会の補佐役である政治屋が目立ちたがるのと原理は同じだ。結局、市場に参加していない普通の人々の年金や資産が、市場のボラティリティとともにボラれるという寸法よ。
「金融界に関しては、実は大いなる誤解が存在する。ウォール街が扱うのはエリート層の金持ちばかりで、そういった連中は金を失っても当然だという見方だ。それは裏返せば、普通の人々は、金融界の問題だらけの仕事の進め方や奇妙な悪習からは、影響を受けないという見方でもある。だが、これほど誤った認識はない。」

1. 投資銀行からヘッジファンドへ
そもそもゴールドマン・サックスでは、自己資金を投じて投機的な取引を行うことは、規制上許されていないという。長期戦略のために取引先との信用を第一にし、けして目先の儲けに走るような社風ではないと。その理念を、9.11多発テロ事件直後の職場の空気で物語ってくれる。
「今こそ、他社とは違うということを見せつけなくては。ゴールドマン・サックスがゴールドマン・サックスであると、世間に知らせるのだ。顧客の無理な要求にも、できるだけ応えるようにしよう。すぐに利益がでなくてもかまわないから、みんなが立ち直るのを助けるのだ。今、そういう態度をとれば、必ず記憶しておいてもらえる。」
なのになぜ???
ゴールドマン・サックスの傘下に「グローバル・アルファ」という旗艦ヘッジファンドがある。いわゆる、クオンツ・ファンドの類い。その戦略は、高度な数学を用いて定量分析を行い、リスク管理のための金融モデルをつくったり、複雑怪奇なデリバティブの価格モデルを構築するなどして、バリュー投資とモメンタム投資を効果的に統合するというもの。
ちょうど2006年頃、市場は9.11から続いた長い不況から脱し、さらに住宅ローンの条件が緩和され、FRBが金融システムに低利資金をどんどん注入したおかげで、新たなバブルが到来していた。人々はサブプライム住宅ローンに群がる。このようなトレンドが楽観的な状態では、彼らの数学モデルは非常に機能する。
しかし、どんなに優れた公式を編み出したところで、サヤ取りがゼロサムゲームである以上、みんなが同じ数式に群がって、いずれ行き詰まる。数学モデルの弱点は、特異点に陥ると突然機能しなくなることだ。空間的に言えばブラックホール、力学的に言えばアトラクターのような状態だ。バブルの難点は、それが終わってみないとバブルだったことに気づかないこと。
また、企業組織というものは、稼ぎ頭となった部署の発言権が強まり、その部門の出身者が出世する傾向がある。全収益に占める比重が高くなれば、誰も口出しできなくなり、ますます縦割り構造を強める。ある種の官僚化だ。
ゴールドマン・サックスでは、百万ドルを超える収益をもたらす大型取引を「エレファント級売買」と呼ぶそうな。多くの社員がエレファント狩りに乗り出せば、ますます短期的な自己勘定取引にのめり込んでいく。金融機関にとって、デリバティブが一番儲かるのは市場が激変する時である。黙っていても手数料が入ってくるのだから。2008年から2009年初頭、ゴールドマン・サックスのいくつもあるデリバティブ・デスクは、どこもボロ儲け。その巨額の利益は、身を挺して顧客の投資を守ることで得たものではなく、顧客がパニックに陥ってデリバティブ商品を売る際に多額の手数料で儲けたものだという。
ちなみに、18世紀のイギリスの金融家ネイサン・ロスチャイルドの格言に、こんなものがあるそうな。
「路上に血が流れる時こそが、買い時なのだ。」
金融屋の報酬には驚くべきものがある。2006年、ゴールドマン・サックスの社長となっていたゲーリー・コーンの報酬は5000万ドルに達していたとか。天文学的な収入を得たことで、精神は摩訶不思議な次元へ突入したかに見える。近衛兵に囲まれ、VIP待遇漬けとなれば目も曇る。肥大する自意識の前では、人間の理性なんて簡単にぶっ飛ぶであろう。2009年の金融危機の年ですら、ゴールドマン・サックスの社員報酬総額は160億ドルであったという。それも前年実績の47%も上回るのだとか。尚、著者の報酬も50万ドルだったという。世間の資本市場の活力を維持することが主目的の仕事にしては、馬鹿馬鹿しいほど良い報酬だったと回想している。
報酬制度の悪習(悪臭)が指摘されて久しいが、いまだ健在のようだ。はたして今日の経済システムは、本来支払われるべき給料がその業界に支払われているだろうか?ある経済学者は語っていた。基礎物理学者はトレーダーなみに給料をもらうべきであると。もっとも、真理を探求しようという者が、あまり報酬にこだわることもないだろうけど...

2. ポールソンとブランクファイン
2006年、市場が沸き、顧客の誰もが自信満々で売買に参加し、デリバティブ営業は収益を上げ続ける。その頃、CEOヘンリー・ポールソンが財務長官に任命され、ロイド・ブランクファインが会長兼CEOになる。政府高官に就任する際、利益相反を回避するために所有していた株式を売却しなければならない。ポールソンは、ゴールドマン・サックスの株をすべて売却するが、景気がピークの時期で、売却額も5億ドルにのぼるとか。公職に就くための強制的な売却となれば、キャピタル・ゲイン課税もなされない決まり。
もっとも社内におけるポールソンの命運は尽きていたようで、引退の花道として財務長官への転出を選んだという冷笑的な見方もある。というのも、ポールソンは投資銀行畑の人間で、後任のブランクファインはトレーダーだそうな。ブランクファイン率いるFICC部門と株式部門は、ゴールドマン・サックスの収益の半分以上を稼ぎ出していたという。ちょうど社風の変化に則った人事というわけか。
1990年末から2000年初頭にかけて、企業合併買収や企業金融といった投資銀行業務が収益の原動力であったが、2006年頃には、自己資金で投機を行うことで儲ける自己勘定取引が原動力となる。この戦略転換で、ゴールドマン・サックスは、他の投資銀行の二倍、三倍という収益を上げた。市場の流動性を無理やり煽り、自ら価値の歪を生じさせて、その差額で儲ける。サヤ取り効果の最大化を目指す戦略だ。予知能力を備えた天才というのがブランクファインの社内評価、対してポールソンは率直で保守的で古風な投資銀行家と評される。
利益を一番上げている者のところに権力が移るのはウォール街の論理、というより企業の論理であろう。ポールソン時代の初期は、まだ企業理念がしっかりしていたという。とはいえ、財務長官という看板が、ゴールドマン・サックスの安全性を後押ししたことは否定できない。ベア・スターンズやリーマン・ブラザーズが破綻し、信用崩壊が明るみになった時ですら、財務長官ポールソンも、ニューヨーク連邦準備銀行総裁ガイドナーも、まるで先を心配していない態度で、営業戦略でも投資銀行の中で特別な存在であるかのように触れ回る。
「世界経済は崩壊寸前です。ご自分をお守りになって、競争相手に比べて一頭地を抜くには、奇跡の解決策が必要です。わが社が御社のために作成した特注の仕組み金融商品を売買なさるべきです。」
この特注の金融商品こそが、悪性デリバティブそのものだった。そして2008年、リーマン・ショック...
ポールソンは、ビッグ9のトップをワシントンに呼び出し、数千億ドル規模の資金提供を提示する。TARP(不良資産救済プログラム)が議会を通過。ある意味、投資銀行の内情を知るポールソンが財務長官だったのは、幸運だったのかもしれない。多大な犠牲を払ったとはいえ、日本に比べればはるかに事態の収拾が早かった。リーマン・ブラザーズは、魔女狩りの類いの犠牲者だったのかもしれん。
しかし、だ。救済とは誰のための救済なのか?401kがすっからかんになる人も大勢いるというのに、ここが救済されることはまずない。あの世で煮えくり返っている中小企業の社長さんも少なくあるまい。エリート連中は、多額の教育費を投じて、いったい何を勉強してきたというのか...

3. 資金調達トレード
投資銀行ってやつは、一般の銀行とは違い、預金者というものを持たない。また、一般の銀行が非常時に命綱として使える連邦準備制度からの低利融資も受けられない。そこで、貸し倒れ引当金を積み増して財務体質を強化したり、経営陣の念頭にある事業に投入したりするために、「資金調達トレード」という手法を編み出したという。
その仕掛けは...
まず、ドイツやオランダ、あるいはアメリカの資金運用管理会社や年金基金、アジアや中東の国富ファンドなどの顧客が、投資銀行にかなりの金額の現金を一年契約で投じる。この投じた資金に対して、投資銀行は顧客が選んだ運用成績の指標、例えば、S&P500指数やラッセル2000小型株指数に、極めて大きなクーポンを上乗せした利回りを保証する。顧客は、よそでは得られない好条件を与えられ、ゴールドマン・サックスもまた、低い利回りで多額の資金が調達できる。
しかし、顧客には大きな不利な点がある。それは取引相手リスクが生じるということ。すなわち、情報の非対称性の罠だ。投資銀行が経営破綻に陥れば、顧客が投じた資金は雲散霧消となる。ゴールドマン・サックスは、サブプライム住宅ローンの焦げ付きが明るみになってもなお、資金調達トレードを勧めていたという。

4. 四種類の顧客タイプ
顧客のタイプには、賢い顧客、邪な顧客、単純な顧客、そして、質問の仕方を知らない顧客の四種類があるという。
「賢い顧客」は、大手ヘッジファンドや機関投資家のうちで、銀行やトレーダーが手を尽くして助けてくれるところを指す。調査レポートやIPO(新規株式公開)や増資などの市場最新情報も、正直で偏向のないデリバティブ価格モデルも、入手できるような。だが、賢い顧客が入手できる最も重要な財産は人材だという。優秀な人々が、彼らのために働いてくれると。彼らに利幅の大きな金融商品を押し付けたりはしないという。押し付けても、撥ねつけられ、却って疑われることになろう。本当の意味で信用を理解している顧客というわけか。
「邪な顧客」は、限度ぎりぎりまで利益を増やそうとするため、極めて頭がいいという。インサイダー情報によって儲ける人もいれば、わざと悪評を流して、空売りを仕掛けることもある。実際、ネット社会には、この手の情報が氾濫している。
「単純な顧客」は、肉食系揃いのウォール街では、捕食される小動物以外の何ものでもないという。感情の起伏が激しく、奇矯な発言をしたり、激昂するような女王様タイプが多いとか。
しかしながら、最も気の毒な結果になるのは、「質問の仕方を知らない顧客」だという。単純な上に、お人好しとなれば、エレファント級売買を仕掛ける絶好の標的というわけだ。公務員の年金基金や、慈善団体、財団、信託基金の運用責任者に多いタイプだそうな。ヘタすると、国家の年金制度まで喰い物にされる。
賢い顧客が増えれば増えるほど、市場が安定し、長期的な利益が保証されるだろう。だが、短期的に出し抜こうとする者が必ずいるし、周期的に訪れる金融危機は人間社会の法則に映ってならない。それは、強欲と恐怖心は表裏一体という法則である。どっちが表かは知らんが。人間ってやつは、自我の中のエゴイズムを呼び覚ましながら、自ら精神崩壊へと導き、その中でしがみつく相手を欲している、ただそれだけの存在なのかもしれん...

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