2014-04-13

"新賢明なる投資家(上/下)" Benjamin Graham, Jason Zweig 共著

この書に出会ったのは十年ぐらい前になろうか。いま読み返すと、いっそう輝きを増してやがる。泥酔投資家にとっての自戒の書だ。
ベンジャミン・グレアムは、投資と投機の違いを明確にし、バリュー投資理論を確立した。「賢明なる投資家」の初版は1949年に遡るが、改版を重ね、今日もなお読み継がれている。市場理論は、あまり進化していないということか。進化したのは、価値を歪ませる技術と、その上に乗っかるサヤ取り技術の方であろうか...

十年前を振り返ると...
2002年頃から始まった景気拡大期間は、いざなぎ景気を超える勢いで、市場は楽観ムードに包まれていた。だいたい素人が参入しやすい時期というのは、市場が楽観的な時で、株で儲ける!といった類いの書が大量に出回る。取引手数料を欲する証券会社の後ろ盾で。グレアムに言わせれば、市場参入時期としては間違っていることになろうか。少々無謀な取引に手を出しても大した損をすることもなく、実験するには手頃な時期である。おかげで投機的な行動にのめり込む。デイトレードを一年ほど試して何度か大損すると、センスのなさを悟るものの、トータルではプラスだったので、楽観的であったことに変わりはない。
やがて、精神的な苦痛が襲ってくる。不安が不安を呼び、市場を常にモニタしていないと落ち着かず、取引せずにはいられない。まるで麻薬だ。本職の集中力までも緩慢とさせ、廃人になりそうな気がした。とっくに廃人なのかもしれんが...
人間ってやつは、皆が儲けていると、それに乗り遅れまいという意識が強烈に働く。おまけに、損失を抱えても皆で損をすれば、自分に言い訳ができるという特質を持っている。赤信号、みんなで渡れば怖くない!
「人間のあらゆる不幸の原因は、ただひとつ、部屋でじっとしているすべを知らないことである。」... ブレーズ・パスカル

そんな精神状態から救ってくれたのが本書である。そもそもの目的はなんだったのか?独立のために経済学を学ぶことと、ついでに将来の年金の足しにすることであって、けして大儲けを目論むことではなかったはず。そして、何よりも大切にしたい意志は、社会を生きているのか?それとも、社会に生かされているのか?これを問い続けることだったはず。群衆心理や自己欲望に隷属するのでは話にならん。いくら足掻いたところで、酔いどれごときはアリストテレスの言う生まれつき奴隷よ...
「有名になりたがる者の幸福は他人次第である。快楽を追求する者の幸福は自分ではどうしようもないその場の雰囲気によって変わる。しかし、賢き者の幸福は自分の自由な行動によって大きくなる。」... マルクス・アウレリウス

この書は、グレアム自身が財産を失うという苦悩を体験し、長年に渡って市場心理を観察した反省から成立している。そして、投資戦略は投資家の性格で決まるとしている。投資スタイルは人の数だけあり、自分で見つけるしかないということだ。ポートフォリオの構築では、市場に合わせるのではなく、自分の性格に合わせる方が持続的で、精神的ストレスもなくなる。どうすれば儲かりますか?という質問自体がナンセンス!金融商品ほど他人の意見を当てにする世界は珍しいかもしれない。それだけ、透明性が低いということであろう。なによりも心強いのは、売買のタイミングは本質ではないと語ってくれることである。その根拠は、この言葉でほぼ言い尽くしている。
「賢明な投資家は、株安のときだけ株を保有し、高くなってきたら売却し、再び買える程度に株価が下がってくるまでは債権と現金で身を守る。」
今日では世界中の市場がリアルタイムでつながり、売買のタイミングをあまり気にしなくていいという助言は、時代遅れに映るかもしれない。いかんせん、巧妙なデリバティブ手法を高度な数学モデルで装いながら、バリュー投資とモメンタム投資を統合させようと躍起なのだ。
しかしながら、本来の市場の役割は、正当な価値評価を与えることにあるはず。投資は企業価値を高めることを目的とし、投資家はその配当金を受け取ることで経済循環を促すのが本筋であろう。だが、誰一人として正当な価値を知らないことが、群衆を暗示にかける。
市場が、金融屋の価値観に偏らず、多様な価値観の集合体となれば、人類の普遍性を発揮できるのかもしれない。だが、人間には、大金を前にすると盲目になるという性癖がある。好況であろうが、不況であろうが、その動向に応じて儲かりそうな方向に群がるか、安全そうな方向に群がるか、いずれにせよ資金は右往左往を続ける。相対的な認識能力しか発揮できない人間にとってできることといえば、欲望と恐怖の狭間を彷徨うことぐらいかもしれん。
「相場とは持続不可能な楽観主義と根拠のない悲観主義との間を永遠に行ったり来たりする振り子である。賢明な投資家とは、楽観主義者に売り、悲観主義者から買う現実主義者である。」

さて、基本的な投資戦略は、ポートフォリオにおける優良債権と優良株式の割合の検討から始まる。つまり、安全資産の比重をどうするかという防衛的戦略である。債権が本当に安全なのかは、時代感覚の違いもあろう。生命保険のように生涯付き合わされる金融商品ともなれば、保険会社の株式を生涯保有するに等しい。安心を買って、安心の奴隷になっては本末転倒だ!
グレアムは、投資家たる者、経営に参加するぐらいの気構えを要請する。判断材料の基本は、ファンダメンタルズ、すなわち国家や企業の財務状況の分析である。だが、人気が集中すれば、すぐに予測水準を上回り、たちまち危険域へ突入する。やはり、補助的にテクニカル分析を組み合わせる必要がある。
幸か不幸か?今のところ、金融危機は市場が楽観的な局面から生じてきた。不調な局面で生じれば、公的資金を投入する余裕もなく、それこそ人間社会の崩壊となるかもしれない。危険域のサインは報道屋が出してくれる。まさに市場の好調振りを報じている時が、それだ。証券アナリストが、買いを煽っている時ほど危険な状況はないだろう。投資家たちがパニックになった時期は、黙っていても売りが殺到し、自動的に手数料が入ってくるという寸法よ。
バリュー投資では、集団心理の洞察と、企業の財務状況の比較が鍵となり、世間の逆を行く忍耐力を養うことになる。プラトンは、統治したいと思わない者が理想的な支配者であるとした。グレアムは、資金を望まないかのように振る舞う者が最高の投資家であるとしている。

1. 防衛的戦略に輪をかけた保守的戦略
健全なポートフォリオをどのように構築するか?まずもって直面する課題がこれだ。本書は、優良債権と優良株式の保有割合を大雑把に提示してくれる。債権の比重を25%から75%にし、残りを株式にせよと。大きな幅を持たせているのは経済市況を睨んでのことで、市場が弱含みでそれを魅力だと判断すれば、最大75%まで増やし、市場が危機水準にあると判断すれば、株式の保有率を25%以下に減らす方針も検討すべきだとしている。だが、この方針は、債権が安全であるという時代認識からきている。
さて、グレアムに言わせると、おいらは思いっきり保守的な投資家ということになろう。本書に提示されるPER(株価収益率)やPBR(株価純資産倍率)の基準からすると、かなり安全な方向に行動しているからである。ただ、市場が好調な時には、どれも水準を越えており、買える銘柄が一つもない。したがって、株式を買い増すのは、ほとんど金融危機後ということになる。そして、普段から保有する銘柄は、配当金を主軸に置く。ヘッジのための信用取引も研究したが、リーマンショックを経験してもなお、その必要性を感じていない。
投資姿勢では、バランスシートの観察に10年ぐらい遡るのは必須で、ポートフォリオの見直しで月に1度、マイナー組み替えで年に1度ぐらいといったところか。落ち着くまで2, 3年ほど苦労したが、できれば生涯放ったらかしにしたい...
「保守的な見方からすれば、信用取引をする素人は、そのこと自体が投機であることを認識すべきであり、彼らにそのことを指摘するのは証券会社の義務である。」
ところで、債権は、古くから株式よりも安全とされるが、それは本当だろうか?近年、政府の社会制度におけるギャンブル性が顕著化してきた。国債や地方債には、本来、災害などの支援的な意味も含まれるはず。だが、巨大なグローバル企業が存在する今日では、国家の枠組みが曖昧になり、国家財政が先に破綻しても不思議はない。
では、不動産はどうだろうか?保険証券はどうだろうか?高度成長期のような右肩上がりの経済状況ならば、少々の浪費は相殺される。だが、年金や信託基金などの運用責任者たちが素直で人が良いだけに、デリバティブ勧誘の餌食にされる。国債や地方債を、年金資金運用機関や預金金融機関などが消化すれば、無意識のうちに間接的に保有させられ、自己のポートフォリオまでも曖昧となる。
では、現金はどうだろうか?為替の役割はますます複雑化する。ユーロのような共通貨幣が、一国の財政リスクによって共倒れしかねない。
... などと眺めていると、安全資産なんてものが存在するのか疑問だ。安全なんてものは相対的なものでしかない。企業倫理や経営哲学の見えやすい株式の方がマシかもしれない。証券取引所の上場基準も当てにはできないが...
いずれにせよ、一般投資家は情報の非対称性からは逃れらない。最初は分散投資のために、業界を満遍なく物色し、保険会社や銀行などの金融株を約20%保有していた。だが、財務報告がどうも肌に合わない。特に自己資本の考え方が嫌いで、株式融資を自己資本と呼ぶことに抵抗がある。返済義務がないと言えばそうなのだが。そこに目をつぶったとしても、自己資本比率では、BIS規定ですら8%程度。素人目で見ればレバレッジ率10倍以上ではないか。日本国債ですら対GDP比で2倍(200%)。尤も、LTCMの破綻やリーマンショックで演じたレバレッジ率は30倍にも膨れた。自己資本と主張するなら、自己責任において処理してもらいたいものだ。
ちなみに、おいらのポートフォリオは、普通株の保有率が90%で、残りはかんぽ保険や社債など。実は、普通株で100%にしたいと思っているぐらい。割合だけ見ればギャンブル性が強く映るかもしれないが、少し視点を変えて、株式の中で配当金用の銘柄と、短期取引用の銘柄で分け、配当金用を50%から90%で幅を持たせている。グレアム流に言えば、前者が優良債権で、後者が株式という位置づけだ。短期取引とは5年未満を想定しているが、実際にはそれを超える銘柄が半分以上あるので、長期と言った方がいいかもしれない。尚、本書は、長期の目安を、7年以上としている。
ちなみに、微妙なのが、今年(2014年)から始まったNISA(少額投資非課税制度)。投資金額は年間100万円ずつ上乗せして、期限5年で最大500万円の元手に対して非課税となる。さっそく戦略を練ってみたものの、長期戦略において、5年間というのが悩ましい。それだけでなく、売買を繰り返すと、すぐに非課税枠を消化してしまうため、よほどの計画性の必要を感じる。まさか!売買を煽るための罠ではあるまいな...

2. 転換証券とワラント
信用状態が芳しくない企業は、市場で普通社債、すなわち、非転換社債を発行することがほぼ不可能であろう。ベンチャー企業と称したところで、その有望性を評価することは難しい。そこで、転換社債やワラント付社債を発行して資金調達をすることが考えられる。ストックオプションのワラントは、普通株を行使価格で購入する長期的な権利として、夢を買わせることができる。経営アドバイスで銀行屋が勧めるケースが往々にあり、新興(信仰)企業の経営者はワラント債を発行する誘惑に駆られ、上場前に経営幹部や従業員に夢を与えようとする。
しかし、グレアムは、当時発達してきたワラント債は大惨事の温床だとしている。ペーパーマネーという怪物を作り出し、投資を投機へ変貌させるというわけだ。バブル時代、ワラントを行使したら、すぐに売り逃げするような行為がよく見られた。上場した瞬間は株価が跳ね上がる傾向があり、IPOの噂を嗅ぎつけるだけで群がる。IT系を称せば尚更だ。
しかし、謎のベールに包まれた実質価値は、上場とともに紙くずとなる。ストック・オプションを公明正大に設定することができるのかは知らんが、一部の人間に特権を与えるということは、一般投資家を馬鹿にするようなものかもしれない。ちなみに、おいらもワラント債を持っていた時期があった...
一方、転換社債は、所定の期間内で普通株に交換することができる権利であり、これまた魅力がある。発行会社にとっては、普通社債より安く資金調達できる上に、株式に転換すれば自己資本となって財務状況を改善する。投資家にとっては、株価が上昇すれば株式に転換し、キャピタルゲインが期待できる。社債として保持しても、利子が確実に受け取れるので安全性が高い。転換債権は、企業側にとっても、投資家にとっても、ワラントより有利そうに見えるが、一概には言えないだろう。言うまでもないが、メリットとデメリットは会社の財務状況にもよる。転換証券が、合併や買収にともなって発行されるケースもある。それは、普通株の事実上の希薄化であり、物理的には1株当たりの企業価値を下げるかに見える。だが、株価は、収益による増加だけでなく、合併や買収で経営改善のアピールができるだけでも上がる場合がある。だからといって、そのタイミングで買うのがいいかどうかは、別の思慮が必要であろう...

3. 安全域の概念
投資には、「安全域」の概念が必要であると指摘している。だが、完全な安全域など存在しないだろう。人生そのものが安全域にはなく、災害や事故は確率論でしか語れない。だから保険というものが機能する。現在では、グレアム流の安全株を選ぼうにも、基準が厳しすぎて、そんなものは見当たらない。リスク分散にしても、昔ほどは機能しないだろう。世界中の市場がリアルタイムで結び付けられ、金融機関の間ではアルゴリズムを使った自動売買を行う高頻度取引(HFT)が盛んとなり、いまやコンマ何秒で差益を決する。複雑な投機行為が絡むと、瞬時に波動エネルギーが蓄積され、市場変動の振幅は拡大しつつある。知らず知らずにデリバティブで強烈に結び付けられ、投資と投機の境界すら曖昧だ。大衆が大挙して押し寄せれば、リスク分散だけでは対処できない。実際、金融危機の規模は拡大しており、今の時代だからこそ、微分的な思考よりも積分的な思考の方が役立つだろう。
高度成長時代であれば、少々無謀な投資も機能した。その影で賢明な主婦たちの行動が、巨大な預貯金をもたらした。7%という夢のような金利は、10年の複利計算でほぼ倍になる。その一方で、ギャンブラー亭主どもが金は天下の回り物などとほざいては、財形貯蓄まですっからかんにする。金利といえば借金の事しか考えず、貸出金利と預入金利の差など構っちゃいない。そういう輩に限って保険が必要だと騒ぎよる。これが、当時の一般的な家庭像であろうか。いや、我が家の構図よ。人間ってやつは、安全な時に危険を犯し、危険な時に安全の幻想に縋るらしい...
「知恵の神オーディンがトロールの王を訪ね、王の腕をつかみながら、どうすれば混沌に打ち勝つことができるのだ、と尋ねた。そなたの左目をいただきたい。そうすれば教えて差し上げよう、とトロールの王は言った。オーディンはためらうことなく左目を差し出して、教えてくれ!と縋る。するとトロールの王はこう言った。両目を見開いてよく見ることだ!」... ジョン・ガードナー

4. グレアムからの四つのアドバイス
  • 第一原則... 自分が何をしているのかを知れ。己の事業を知れ。
  • 第二原則... 決して自分の事業を他人任せにしてはならない。他人に任せるのであれば、彼のやることに対して注意を怠らず、かつ十分に理解することができ、その人の誠実さと能力に絶対の信頼が置けるという並々ならぬ確証が持てなければならない。
  • 第三原則... 信頼の置ける計算の結果、相応の利益を得るチャンスが十分にあると考えられる場合を除いて、その事業(投資)に踏み出してはならない。特に、利益よりも損失のほうが多いであろう投機的行為には手を出してはならない。
  • 第四原則... 自分の知識や技術に勇気をもって従え。事実に基づく結論を自ら下し、その判断が正しいと確信したのなら、たとえ他人がそれに対して躊躇したり異なった考えを持っていようが、自分の判断に従って行動せよ。

5. テキサス州の古いジョークだそうな...
学校の先生がビリー・ボブに問題を出す。
「君は12匹の羊を飼っていたが、1匹が柵を越えて逃げてしまった。後に残っている羊は何匹かね?」
「一匹も残っていません」と、ビリーは答えた。
「よろしい。君は引き算が分かっていないようだね。」
「たぶん分かっていません。でも、うちの羊のことなら何でも知っています!」

0 コメント:

コメントを投稿