2017-06-11

"たいした問題じゃないが - イギリス・コラム傑作選" 行方昭夫 編訳

たいした問題じゃない... と言えば、そうかもしれない。哲学とはそうしたものだ。しかし、それがなければ人生は味気ない。なにも重々しく構えることはない。思わずニヤリとしてまう文体の群れ、群れ、群れ... 英国紳士風のユーモアを皮肉屋が仕掛けてくれば、酔いどれ天の邪鬼はイチコロよ...

英国には、文学の一ジャンルとしてエッセイの地位が高いという伝統があるらしい。その源泉はシェイクスピアやフランシス・ベーコンあたりに遡るのであろうが、評論とたがわぬ堅苦しさが残る。十八世紀になるとジャーナリズムが勃興し、ジョゼフ・アディソンやリチャード・スティールらが、政治経済だけでなく風俗慣習や身近な出来事などを題材にしたという。十九世紀には、チャールズ・ラム、ウィリアム・ヘイズリット、リー・ハントらが、一段と庶民に親しみやすいものにしたとか。特に、ラムの「エリア随筆」は傑作として名高いそうな。
そして二十世紀初頭、A. G. ガードナー、E. V. ルーカス、ロバート・リンド、A. A. ミルンといった名エッセイストを輩出した。本書は、この四人の選集である。
尚、リンドは二十世紀のラムと称されるそうな。ミルンの児童小説「クマのプーさん」は日本でも親しまれている。

四人とも、ジャーナリストで、作家で、批評家で、文化人で、新聞雑誌のコラムを担当したという似たような経歴を持つ。このようなエッセイ文学が開花した時期が第一次大戦前後と重なるのは、暗い出来事を明るく書いてないとやってられん!とでも思ったのか。彼らは年齢が多少違えば、出身地も背景も違う。なのに、それぞれの作品群には多くの共通点が見出せる。無意識と習慣の奴隷、関心と無関心の境目、忘却と幸福の相性、嫉妬と愛情の癒着、怠惰と迷信の法則、規則と自由のバランス、名誉と偶像の崇拝、動物愛護と人間虐待の矛盾... といった対称的題材を表裏一体として描きながら人間性の滑稽と醜態を暴く。それでいて人間の弱さには温かい目を注ぎ、書き手自らダメ人間を演じて、人間悲劇を人間喜劇として描写する。ちょいと考えてみれば、どれも古代から哲学者たちが論争してきた題材ばかり。ここには、人類の普遍性のようなものが語られているのやもしれん... と言えば、ちと大袈裟であろうか...

読者というのは、自分の思考に近い作品を好むもので、おいらの場合は、特に無意識と無関心についての記述に惹かれる。人の本性が無意識の領域にあるとすれば、概して人間は自我を知らないことになる。心の落ち着く場所が見つからず、魂に余裕がないとすれば、そして、それに気づかなければ、ぼんやりとした不安に襲われ、苛立ちを隠せないだろう。道徳家や有識者たちは、なにゆえ、いつも、けしからん!と憤慨しているのか。せかせかした日常に慣らされてしまえば、本当に大事なことを見失ってしまう。一度死んでみなきゃ、それを見直す機会も訪れないということか。とはいえ、生まれ変わることができたとしても、同じ過ちを繰り返すだけのことよ...
人は誰でも、社会の出来事すべてを引き受けるだけの度量を持ち合わせていない。何かしら専念しようと思えば、無関心の才能が求められる。宣教師は、異教徒を改宗させようとするあまり、金銭なんぞに構っている暇はあるまい。哲学者は、真理を見極めようとするあまり、俗世間の道楽に惑わされている場合ではあるまい。プラトンの記述によると、ソクラテスですら饗宴で酒をあおったようだが、それでもなお無関心な態度を崩さず、思いに耽ったことだろう。酒は心がけよりも、命がけよ...
しかしながら、無関心が必ずしも美徳とはなりえない。幸せを求めれば、何かを犠牲にせざるを得ない。名声不朽の人は、ある程度の人間性を放棄してきたことだろう。歴史上の偉人たちは、世間が大事にする多くのことに無関心でいただろう。人格ってやつは、何について無関心でいられるかで規程できるのやもしれん...

さて、本書には、四人それぞれに八点前後の短篇が収録される。全部で32作品もあるわけで、この中からお気に入りを選ぶのにも骨が折れる。そこで、読んだ記憶を墓石に刻むがごとくお気に入りの骨を、いやフレーズを拾っておこう...

1. ガードナー
「事実についての自分の解釈を疑ってみるのはよい習慣であり、また、他者の動機についての自分の解釈を疑ってみるのはもっとよい習慣である。十中八、九間違っているものだ。」

「サミュエル・バトラーが言ったように、人は、あるものについて、知っているのを意識しなくなって、初めてそれを知るのだ。それを知っているかどうかなど考えていると、次の瞬間に忘れる。」

「自由を現実のものとする社会秩序を享受するためには、個人の自由を制限することに同意しなくてはならない。自由はただ個人的なものというだけでなく、社会的な契約でもある。利害の調和である。他人の自由を侵さぬ限り、私には好き勝手にする自由がある。」

「無名の人やおとなしい人の権利を守るのは、小国の権利を守るのと同様に大切である。車を乗り回している連中がわざと警笛を大きくならしているのを聞くと、私は煮えくり返る思いがする。ドイツがベルギーを乱暴に蹂躙した時と同じ怒りだ。」

「今の複雑な世界では、我々は完全なアナキストにもなれないし、完全な社会主義者にもなれない - その両方の賢明なごちゃ混ぜでなくてはならない。二つの自由 - 個人の自由と社会的な自由 - を守らなければならない。一方で役人を監視し、他方でアナキストを警戒しなければならない。私はマルキストでもないし、トルストイ的社会主義者でもなく、両方の妥協の産物である。」

2. ルーカス
「ブレイクの詩を、いつものように不正確ながら、口ずさんでいた...
 他人の悲しみを見て
 悲しくならずにいられようか
 いやいやそんなことはあり得ない
 決して決してありえない」

「書くのに難儀すれば、読むのは楽。」

「悪い人たちじゃないけれど... 私のアキモネを根分けさせようという考えに取りつかれているのよ。こんな平和に満ちた庭園にまで、革命的な考え方が侵入してくるなんて、とても不思議な話だわ。」

3. リンド
「厳密な道徳家、少なくともピューリタンにとっては、あらゆる種類の自己耽溺は悪習であり、時間厳守が一種の自己耽溺であるのは疑いようがない。怠惰と面倒を避けたいという願望に根ざしているのだ。イギリス人は、諸民族の中で一番怠惰な民族であるから、もし時間厳守を守っていさえすれば、多くの余計な仕事や心配から免れると知って、時間厳守の教義を説き出したのである。ひどい自己中心主義の分派にすぎない。」

「子供のとき最小の努力で生きてゆく方法を身につけるだけの狡さがなかったおかげで、大人になってから苦労するのである。」

「日常生活では、詩への無関心は人類のもっとも目立つ特徴の一つである。偉大な詩が人類の最大の業績だということを否定する人はほとんどいないのだが、詩を読む人は殆どいないのだ。宗教の重要性が今日ひろく疑問視されているように、詩の重要性はいつか疑問視されるようになるのだろうか?それとも、詩は資産があって詩心のある人に相応しい仕事として尊敬され続けるのであろうか?」

「人間の人間に対する残虐行為は無数の人々を悲嘆に暮れさせており、その数は有史以来どんどん増えているのは確かである。しかし、人間性の気高い矛盾によって、仲間の人間に対しては狼である人間が、他の生き物に対して驚くべき優しさを繰り返し示してきた。」

「忘れっぽい人は人生を最大限に生かそうとする人なので、平凡なことはうっかり忘れることが多い。ソクラテスやコールリッジに手紙を出してくれと頼む人などどこにいるか。彼らは、投函などを無視する魂を持っているのだ。」

4. ミルン
「一般の人は空を見上げて、大空の下で自分がいかに卑小かと思うのだが、占星術の信者は天を見上げて、自分の圧倒的な偉大さを今更のように感知するそうだ。私は自分が信じていなくてよかったと思う。」

「天気の話では熱っぽく議論を戦わせることは殆どない。議論しないのであれば、意見が同じ者同士が親しみを覚えることもない。しかし、食べ物の好みははっきり差があるので、明確に意見の一致があれば、それはあらゆる結びつきの中でもっとも親密なものとなる。」

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